シグナムは居住区の壁を破壊して、ラボの外に広がる地下空洞へと飛び出した。
右腕は力なくだらりとぶら下がっていて、貫かれた右肩の傷からは血が流れ続けている。腕につながる筋皮神経が損傷したようで、右手がうまく動かない。人間なら致命的な怪我だ。
しかしプログラム体であるヴォルケンリッターにとって、肉の現し身は式の写し身にすぎない。肉体がどれほど酷く損傷したところで、魔力を消費して再構成すれば怪我は消えてなくなる。
ただしそのために必要とする数秒の時間を、戦いの最中に相手が与えてくれるとは限らない。
一拍置く間もなく、砂塵を裂いて姿を現したウィルが急迫。殺意が刃に乗って迫り来る。
纏うバリアジャケットは管理局らしさのある白地に青のロングコートから、黒地に赤を差した軽装へと変化している。防御に回す魔力を減らしたと一目で見てとれる、より攻撃的なスタイル。
傷を治して右腕を使えるようにするだけの猶予はない。レヴァンティンを左手で握ったまま迫る刃を受け止める。
金属がぶつかり合うけたたましい音が空洞に反響する。
二つの刃が拮抗したのは一瞬。迫り合いに押し勝ったのはウィルの方。
シグナムといえど利き腕ではない腕一本だけで受け止められるほど、速度の乗ったウィルの突撃は甘くない。
受け止めきれないなら受け流すまでと、押し込むウィルの動きに合わせてあえて剣を引き、相手の突撃の威力を利用した前蹴りを放つが、かつては届いたはずの槍の鋭さをもった蹴撃が空を切る。
ウィルはあらかじめ予測していたかのように、身体を半身にして蹴りを回避すると、動きを止めることなく後ろ回し蹴りに移る。
シグナムはとっさに蹴り足を引き戻して、身体の前で折り曲げて盾とする。回避の態勢から強引に放たれる蹴りなら威力は低い。十分受けきれるはず。
その瞬間、ウィルの蹴り足を覆う金属製のブーツに取り付けられたノズル――フェザーから、圧縮された空気が噴出する。
急激に加速した蹴りの衝撃は、盾とした右脚を突き抜けて全身に響き渡り、シグナムの身体を弾き飛ばす。
飛ばされながら、飛行魔法で姿勢を制御するよりも先に、レヴァンティンに魔力を送り込んで空を裂くように振るう。
「陣風」
刀身に込められた魔力が大気と交じり合い、指向性を持つ衝撃破を生み出して、追撃を目論むウィルを迎撃する。
「アナテマ」
呼応するようにウィルが何もない空間を蹴った。銀脚に込められた魔力が大気と交じり合い、指向性を持つ衝撃破を撃ち出す。
同質の技、二つの衝撃波が宙空で激突。
衝撃波に指向性を持たせていた魔力が干渉し合い、崩し合う。
指向性を失い四方八方へ撒き散らされた衝撃波が、周囲の岩壁やラボの壁を砕く。
散乱する衝撃波と飛び散る瓦礫の合間を縫ってウィルが迫る。
直進できない分、飛行速度は先ほどより落ちている。この速度からの突撃なら左腕だけで競り負けることはない。
ウィルもそれは承知しているのか、シグナムの手前で急激に速度を落としつつ、魔力運用で足裏に形成した膜で衝撃を吸収しつつ着地。その足で地を蹴って、飛行から走行へと移る。
ここからは刹那に渾身の一撃を交わす騎兵の戦いではなく、技巧で相手を詰ませる剣士の戦いだ。
斜め左から切り上げるウィルの剣を、金属製のコンバットブーツの裏で受け止め、上段に構えたレヴァンティンを振り下ろす。
ウィルは左足を一歩踏み込んで前身し、剣の軌道から外れながらシグナムの右斜め前方の至近距離に位置取り、剣を引き戻す動きに連動して、左肘で弧を描くようにしてシグナムの顔を狙う。
顔を上体ごと後ろに逸らしてかろうじて回避したその瞬間、肘打ちの動きに連動して動いていたウィルの左膝が右脇腹に突き刺さる。
シグナムの身体がくの字に身体が曲がり、がら空きになった首筋めがけて、かついだ剣が振り落ろされる。
その確かな殺意にシグナムの肉体が反応した。
首筋に打ち落とされる剣をレヴァンティンの柄で受ける。そして剣との接触点を中心として弧を描く斬撃。
ウィルは剣を引きつつ立ててこれを防御。その間にシグナムは後方へ跳躍。
距離をとらせるものかとウィルが再び突撃し、剣と拳と脚を駆使した攻防が再度繰り広げられる。
攻め続けるウィルと防戦一方のシグナム。
片腕が使えないのだから手数が落ちて守勢に回るのは当然の成り行きといえ、シグナムの劣勢はそれだけが原因ではない。
シグナムの動きは本来よりワンテンポ遅れている。
戦うために造られ、何万という戦いを経験として蓄積してきたシグナムにとって、肉体が勝手に動くというのはごく自然なことだ。
個々の動作すべてを頭で考えているようでは、瞬間的な対応を要求される近接戦で一流と言われる領域に上がることはできない。
かといって、思考を放棄して本能のままに動くのでは動物と同じ。頭脳に求められるのは細やかな指示ではなく大まかな方針だ。頭脳は管理者、末端の肉体は労働者。方針を定めさえすれば、優秀な肉体はいちいち指示をしなくとも最適な行動をする。訓練とはつまるところ肉体という部下を教育するようなもの。
逆に、頭脳が方針を打ち出せないうちは、肉体がどれだけ優秀であっても目指すところがわからず明確な反応を返してくれない。
今のシグナムの状況はまさにそれ。彼女の内にあるためらいと迷いが、肉体の判断を妨げている。
肉体を十全に働かせるためには、決めなければならない。
目の前の障害をどのようにして排除するのか。
いや、本当に排除しなければならないのか。
受け入れた方が良いのではないか。
襲いかかるウィルの殺意に満ちた瞳は、ひび割れ、歪み、怒りと歓喜と嘆きがないまぜになった狂相に包括されている。
ここで戦うことがどれほど愚かな行為か、彼が理解していないはずがない。
戦いの果てにシグナムが討たれて、もしくはウィルが返り討ちにされて、どちらかが命を落とすようにことになれば、はやての精神にどれほどの悪影響を与えるか。大きなストレスが闇の書の暴走を引き起こす可能性があると、シグナムに語ったのは彼自身だ。
――はやてには幸せになってほしいんです
あの言葉は偽りだったのだろうか。シグナムを騙すための心にもない言葉だったのか。
それは違う、と断じられる。
人は物事に優先順位をつける。
シグナムも人を傷つけてきたことに罪の意識を覚えるようになってなお、はやてのためにさらなる罪を犯す道を選んだ。
彼も同じことなのだろう。はやてを助けたいと願う彼も、シグナムを殺したいと狂う彼も、どちらも真実で、シグナムを殺すことを優先したからといって、はやてを助けたかった気持ちが嘘にはならない。
はやてを大切に思う彼に、その想いを踏みにじるほどの憎悪を抱かせてしまったのは、シグナム自身だ。
(そうか……私はこの人を――こんな人たちを生み出し続けて来たのだな)
命を奪われた一人一人に人生があり、未来があり、家族がいて、愛する者がいた。
奪った命はもう戻ってこない。命の重さは不可逆だ。
はじまりは他者の認識。それは罪の認識。
プログラムの写し身でしかないはずの肉の躰に、臓腑を焦がさんばかりの火が熾こる。
闇の書の騎士としてではなく、シグナムという一個人が生み出した、それは怒りだ。
知らず、理解せず、体を動かして、心を凍りつかせて、時間だけを重ねてきた、唾棄すべき己への。
仕方がなかったのかもしれない。
罪の認識や死への忌避は、生を尊ぶ世界、優しい主の元へ召喚されたからこそ手に入れられたものであり、過去では理解することが不可能だったのかもしれない。
システムの一部である自分がこのように人間めいた倫理感を有することこそがイレギュラーで、本来ありえないことなのかもしれない。
言い訳はいくらでも思いつく。
だが、その理屈を罪から逃れる口実にしてしまった時、二度と自分を許せなくなるという確かな予感があった。
闇の書は多くの人びとの命を奪った。守護騎士もその尖兵として、多くの人々の命を奪ってきた。騎士に命令を下していた過去の主はもういない。今の主に罪はない。罪を覚えているのは騎士だけだ。
誰かが嘆きと怨嗟に応えなければならないのであれば、それをすべきはシグナムを置いて他にない。守護騎士の将として、重ねてきた罪と向きあわなければならない。
彼の憎悪の刃をこの身で受け止めることで、それが成せるのであれば――
そう思ったはずなのに、湧き上がる贖罪の念と同時に、シグナムの頭に浮かぶものがある。
微笑みを浮かべた少女の姿。自分たちに幸福の意味を教えてくれた最高の主。
シグナムとウィル。どちらが勝利したとしても、それが死を伴うものであれば、はやては嘆き悲しみ、闇の書の暴走を引き起こしてしまうかもしれない。
はやてのためにはここで死ぬわけにはいかない。まだウィルの復讐に決着をつけさせるわけにはいかない。
物事には優先順位がある。
シグナムにとって最も優先することは、優しい主が生き残ること。
そのために殺さないように彼を無力化させる。それがシグナムの下した判断だった。
目的意識が明確になったことで急速に肉体が活性化を始める。
頭部を狙う剣閃をレヴァンティンで受ける。それは予測の上と、ウィルは続けて足元を横に薙ぐ。
軽く跳躍して回避。瞬間、ウィルの腕部のフェザーから翼――圧縮空気が噴出。全力で振るわれた剣が、瞬時に真逆の方向に斬り返される。
地面にレヴァンティンを突き立てる。ウィルの剣が突き立てられたレヴァンティンと衝突して、その動きが鈍った刹那。
シグナムはレヴァンティンから手を放し、姿勢を低くしてウィルの懐へと飛び込んだ。
突進の威力を乗せた左肘がみぞおちへと突き刺さり、ウィルの口から声にもならない苦悶をあげさせる。
間髪いれず、がらあきの顎を左手の掌で打ち上げる。
跳ね上がるウィルの頭。掌には意識を断った確かな感触。
昔のシグナムなら、さらに攻撃を続けてとどめを刺していたはずだ。
今のシグナムが望むのは、相手を殺さずに無力化すること。意識を断ったという手応えがある以上、これ以上の攻撃はウィルにいたずらにダメージを与えるだけで必要ない。
だからそこで動作を止めてしまった。
Possesion
ウィルの脚部のノズルから圧縮空気が噴出。人間一人に音速を突破させるだけのエネルギーで加速したウィルの膝がシグナムへと。
騎士甲冑を貫かれ、胸が潰れ、胸骨が割れ、心臓が一瞬鼓動を止めた。
『Meister!!』
瞬間、とっさに声のした方に手を伸ばす。手に触れたのは、先ほど地面に突き立てていたレヴァンティンだ。
吹き飛ばされる最中、再びレヴァンティンを地面に突き立てる。刃は地面を削り取りながら、錨となって吹き飛ばされる速度を減少させる。
地に足をつけ、ウィルの姿を探す。
膝蹴りの威力そのままに飛び上がったウィルは旋回を終え、シグナムへと狙いを定めて突撃を始めている。
意識は断ったはずなのにどのような理屈で動いているのかはわからない。確かなことは、生半な攻撃で彼を止めるのは不可能だということ。
止めるには一撃で行動能力を奪うより他にない。
左腕でレヴァンティンを掲げ、刃を返しつつ上段に構える。
身体の動きも魔力の運用も最速最強の一撃を放つことに特化させる一閃は、回避された時の隙が大きい諸刃の剣だ。
第一、必殺技というものは技単体で必殺足りえるのではない。その技を確実に当てるまでの行程を無視して放つ必殺技は、格下に付け込まれる隙になる。
それでもここで最も信を置ける技以外を頼る気にはなれない。
ウィルはもはや格下ではなく、本気で戦うに値する難敵だ。純粋な技量のみであればいまだシグナムに及ぶところではないが、彼の狂固な殺意はその差を埋めかねない領域に到達している。
そのような相手をリスクを負わずに制圧しようとするなら、その思考こそが付け込まれる新たな隙になる。
だからもてる全力をこの一閃につぎ込む。ただ殺すために放つ時よりもなお全霊を込めて。最適のタイミング、最高の速度で、最高の一撃を。
訪れる一瞬の交錯に全神経を集中させた、その時。
風切る音が耳に届き、同時に上段にかまえたレヴァンティンが弾きとばされた。
事態を把握するより早く、真横から何者かの突撃を受けて押し倒される。
完全な意識外からの攻撃に反応が遅れ、その間に馬乗りになられて、両腕を地面に押さえつけられる。
女の自分よりも細い、子どもの腕。赤いおさげがシグナムの顔をくすぐる。
仲間のはずのヴィータが、シグナムの身体を押さえつけていた。
見た目は子どもでも、単純な腕力においてはザフィーラに次ぐ怪力だ。マウントポジションを取られればなすすべがない。
「どけ! このままでは――」
シグナムは上に乗るヴィータをどかそうと声を張り上げる。
ヴィータが乱入したからといって、今のウィルが矛を納めるとは思えない。取り押さえようとるヴィータごとシグナムを両断しようとするだけだ。
このままでは二人とも死んでしまう――と、そこで早とちりに気がつく。争いを止めるために、片方だけを抑えるような愚をヴィータが犯すはずがない。
視線を横にずらすと、そこには乱入してきた男により、突撃を不本意な形で止められたウィルがいた。
剣が肉を裂く感触で、ウィルは意識を取り戻した。
意識の覚醒を検知したグレイスが、主の意識レベルが低下した状態における自律行動モード『
身体の自由を返されたにも関わらず、ウィルは目に映る光景を受け止めきれずに動けなかった。
「……しくじってしまったか」
苦しげな男の声。
ウィルの刃が切り裂いたのは、紅花染めの戦衣に身を包む赤い髪の佳人ではなく、穏やかで上品な仕立てのスーツを着こなした灰色髪の初老の男。
肩口から体の半ばまで切り裂かれながらも、グレアムは酷く穏やかな瞳でウィルを見つめながら、右手の杖を掲げた。
剣はグレアムの身体を切り裂いたその状態のまま氷で覆われた。
「グレアム、さん…?」
熱狂に身を任せていた意識は冷水を浴びせられたように鮮明になり、正気へと引き戻される。
グレアムはウィルが止まったのを見た表情を和らげると、膝から崩れ落ちる。
呆然としてまとまらぬ思考を抱えたまま、肉体は倒れるグレアムの体を正面から支える。
「……なんで」
ウィルの心を代弁するかのようなその声は、聞き逃してもおかしくないほどに小さく。しかし、静寂を壊して、辺りにしっかりと響いた。
細い、細い、子供の声。
八神はやての声が、空洞に響いた。
はやては壁の壊れたウィルの部屋のそばで、移動用のドローンに腰掛けたまま、目を見開いていた。
彼女が声を発した瞬間まで、誰もその存在に気が付かなかった。
放つ魔力が風を巻き、剣戟と拳が交わす高音と低音が溢れる命を賭した戦い。それがあまりに鮮やかで。見ているだけの少女に誰も気が付かなかった。
「……なんで」
呆然とし、言葉を失う三人の耳朶を、再びはやての声が打つ。周囲は驚くほどに静かで、遠く離れているのに声がはっきりと届く。
誰も答える声を出せなかった。
腕の中のグレアムがびくんと身体をはねさせ、口から真っ赤な血を吐いた。
ウィルの服が、腕が、血で染まる。
「はっ――はやく手当て! ジェイル先生に連絡せんと!」
鮮烈な赤色は離れていても見えたのか、呆然としていたはやては狼狽しながらもそう口にする。
ウィルの身体は動かなかった。ウィルだけではない。誰も彼もが、氷漬けにされたようにその場から動くことができず、視線を外すことができなかった。
その様子を見て、狼狽していたはやての、常に優しげで、年齢にそぐわない落ち着きをたたえていて、ほんの少しの寂しさを残していた顔が、いびつに歪んだ。
「なんで誰も動かんの! おじさんがそんな怪我してんのに、なんで私の方ばっかり見てるん!」
大きな声を出すことなど滅多になかったからか。詰問の声は滑稽に裏返っていて。
そんなはやては、まるで知らない人を見るような目でこちらを見て。
そんな目で見たことを自覚して、自己嫌悪でさらに顔を歪ませて。
誰もが動けなかったのは、グレアムのことがどうでも良かったからではない。
はやての隣に、いつの間にか黒ずんだ闇が現れて、書の形を成していたからだ。
金色の剣十字が刻まれた、黒より昏い装丁の。実験棟に保管されているはずの。
心臓の鼓動が体に響くように、闇の書の鳴動が空間を大きく揺らした。
頁の隙間から様々な色の絵の具を混ぜて煮詰めたような、黒く汚れた光があふれる。
はやてを中心にして、周囲の地表を覆い隠すように巨大な魔法陣が描かれ始める。
陣を成す線は視覚化されたプログラムの塊だ。
現在の収集状況は六百頁と少しと聞いている。
未完成の闇の書の起動。それが示す状態は、すなわち
――暴走が起こる
ウィルの腕に支えられたグレアムが絞り出した言葉は小さくて、口からあぶく血で濁って明瞭としていなかったが、たしかにそのように聞こえた。
書からあふれる黒が軟体生物の触腕のような形を成し、はやての四肢に抱きしめるような優しさで絡みつく。
「すまない」
声を発したシグナムの方に振り返る。視線が交錯した次の瞬間には、彼女の身体は疾風となって駆けだしていた。
その途中に転がるレヴァンティンを拾い、闇の書に囚われたはやてに向かって一直線に。
「そいつを死なせないでくれ」
そしてもう一人。ヴィータはグレアムの命をウィルに託し、同じように闇の書に向かって突撃した。
書から溢れ出る黒の触腕は四方八方へ伸びて、暴れまわる。
シグナムとヴィータを追って、闇の書の元へと突っ込むべきか。
逡巡するも、腕の中の冷たい身体を再認識した瞬間、ウィルはグレアムを抱えたままその場から飛び退いた。
直後、先ほどまでウィルたちがいた空間を、触腕がえぐり取るように通過する。
突撃するシグナムとヴィータは、それぞれカートリッジの弾丸をデバイスへと装填する。
そこに容赦ない一撃が襲いかかる。
ヴィータは振りかぶったグラーフアイゼンを狙い定めてぶん回し、迫る触腕を打ち返す。
強い威力には強い反動。ヴィータ自身も数メートル後方に吹き飛ばされたところを、間髪入れずに触腕の追撃。ふりかぶる猶予はない。カートリッジに込められていた魔力が解放され、推進力となってグラーフアイゼンを加速させる。
迫る触腕の一本目は一撃を受け真っ二つに。直後に襲いかかった二本目は打ち返され、三本目で拮抗し、四本目でグラーフアイゼンが押し負け、五本目がヴィータの身体を串刺しにした。
シグナムは襲いかかる触腕を紙一重で回避しながら、はやての元へと向かう。
闇の書へと近づくにつれ、触腕の密度は上昇し、ついには避けようのない全方位からの攻撃を受ける。
カートリッジに込められた魔力が解放され、刀身が分割され、ワイヤーで繋がれた連結刃へと姿を変える。シグナムを囲うように張り巡らせた、触れるものを両断する刃の結界。
膨大な数の触腕が次々と殺到し、物量が刃ごとシグナムを飲み込んだ。
ウィルはグレアムに負担を与えないように、出口であるエレベーターへと飛ぶ。
まずはグレアムを安全なところに連れて行って、治療をほどこさなければならない。
だが、ウィルだけでは何もできない。治癒力をわずかに高める程度の回復魔法でどうにかなるような傷でないことは、傷を与えたウィル自身が何よりも理解している。
頼みの綱のスカリエッティはまだラボにいる。ラボにはウーノもクアットロもセインも残っている。スカリエッティなら他の脱出手段くらいは用意していて、みんな脱出できるはずだ。そうであってくれ。
もしなければ、みんな死ぬ。ウィルのせいで死ぬ。
その時、空洞全域に特殊な場が展開された。
突然、飛行魔法の制御がきかなくなる。肉体の周囲を覆う慣性制御場が解けていく。
AMF――魔力の結合を崩す特殊な空間が空洞全体に展開されていた。
その影響は飛行魔法に限らない。魔力を体外に出そうとすると即座に結合がほどけて魔力素へと戻ってしまう。それどころか体内に巡らされる魔力すら気を抜けば崩れてしまいそうだ。
肉体強化がとける前にと、飛行魔法を完全に解除して着地する。
空洞のあちらこちらから現れたドローンが闇の書に向かって突撃を始めた。
魔力によらない動力で動いているのか、ドローンはAMFの環境下でも次々に闇の書へと殺到する。
一方、魔力で構成された闇の書の触腕は、AMF環境下で次第に動きを鈍らせていく。
はじめは一撃でドローンを破壊していたのに、二度三度と打ち据えなければ壊せなくなり、次第にドローンの接近を許すようになる。
いくつかのドローンは触腕の一撃で破壊されていったが、そのたびに新たなドローンが闇の書へと向かう。破壊されたドローンを盾に新たなドローンが突撃し、やがて一体のドローンが闇の書の至近距離へと到達すると、己を中心にさらなるAMFを展開した。
さらなるドローンが闇の書へ。取り付くと同時にAMFを展開。さらに新たなドローンが。まるでスズメバチを包み込むミツバチの大群だ。
それを何度も繰り返すたび、ドローンが発生させるAMFは強固になっていく。
「いつまで呆けているつもりだい」
いつの間にか、そばにはスカリエッティが立っていた。
彼の後ろには、ウーノにクアットロ、セイン。ラボにいる戦闘機人が揃っていた。
「まずは逃げよう。話はそれからだ」