ラボに最寄りの転送ポート。その小屋の隅には無菌状態を作り出す結界が張られ、スカリエッティによるグレアムの治療が続いている。
離れた場所で目を閉じているウーノ、その指先は宙空に浮かぶコンソールを操作し続けており、この事態に何らかの対応をとっているのは明らかだ。
何もしていないのは、残りの三人。すなわち、クアットロ、セイン、そしてウィル。
小屋の壁に背を預けるウィルの胸の内は後悔で占められている。
全てが頭から飛んで、ただ心の底から湧き上がる熱さに身を任せて襲いかかった、あの時の自分の愚かさ。
子供の頃、クアットロを殴った時からまるで成長していない。あの思い出を過ちとして忘れないようにしたのではなかったのか。
同じように我を忘れて襲い掛かった結果は、子供の過ちとは規模が違う。グレアムに重傷を負わせ、闇の書の暴走を招き、救いたかったはやてを死なせ、仇は討つ前に失った。
闇の書は再び転生する。次の闇の書が出す犠牲はウィルが出したようなものだ――と、延々と続いていた悔恨と慙愧は、扉が荒々しく開けられる音で打ち切られた。
入り口に立っていたのは、蒐集に出ていたザフィーラとシャマルだ。
「何があった」
ザフィーラの鋭い視線が、部屋の中を横切る。
その後ろからシャマルが不安気な顔をのぞかせる。
「闇の書が暴走したのよ」
億劫そうに顔をあげたクアットロが疑問に答える。
「私も自分の目で見たわけじゃないけど、ウィルとシグナムが殺し合いを始めて、グレアムおじさまが巻き込まれて、それを目撃しちゃったはやてちゃんがショックで暴走したみたい。シグナムとヴィータは暴走した闇の書に飲まれちゃったようね」
目を見開いて茫然と固まったのもつかの間、シャマルは困惑と怒りをもってウィルを睨みつける。
「どうしてそんなことを!?」
問い詰めんと寄ろうとしたシャマルは、隣のザフィーラのたくましい腕に制止されて、その場でたたらを踏んだ。
ザフィーラの視線はウィルに向いていなかった。
「それは後回しだ。主を助けるために、俺たちは何をすればいい」
その先には、結界から出てきたばかりのスカリエッティがいた。
彼は抗菌性を高め医療用に調節したバリアジャケットを解除して、ザフィーラの元へと歩み寄る。
「良いタイミングで戻ってきてくれた。きみたちがいないとどうにもならないところだ」
幾分か落ち着きを取り戻したシャマルが答える。
「戻る途中でウーノさんからの緊急信号を受信しましたから。でも、私たちがどこにいるかわからなかったとはいえ、あんな広域に発信すると管理局にも見つかってしまいませんか?」
「管理局とそれ以外の何人かに知らせるのも目的のうちだよ。事態を収束させるには、兎にも角にも戦力がいる。今は猫の手でも借りたいくらいだ」
話の邪魔とわかっていながらも、ウィルはスカリエッティに尋ねる。
「あの……グレアムさんの容体はどうでしたか?」
スカリエッティはウィルに向き直ることなく答える。
「命に別状はないよ。傷は深かったが、自分で傷口に凍結魔法をかけて出血を抑えていた。すぐに解凍できたから神経組織への損傷もさほど深くはない。平常ではなかったとはいえ、さすがの判断力だ」
「そうですか……」
良かった、と続けかけた言葉を喉の奥に飲み込み、うなだれる。
グレアムは当初、はやてを犠牲にしてでも闇の書を滅ぼそうとしていた。ウィルははやてを救うため、グレアムの計画を捻じ曲げさせてスカリエッティと会わせた。それなのに、このままでははやては死に、闇の書の悲劇はまた繰り返す。
目が覚めた時にグレアムは死すら救いに思えるほどの絶望を味わうに違いない。
「主を助けることはできるか?」
「可能性は極めて低いが、途絶えてはいない」
その言葉に、ウィルは弾かれたようにスカリエッティの顔を見上げる。
「ウーノ、ラボはどうなっているかな?」
「三分前に、闇の書を取り囲んでいたドローンはすべて破壊されました。闇の書はAMF環境下で行動を鈍らせながらも、徐々にラボ全体に侵食を進めています」
現在、ラボのある地下空洞全体を包むように、肉体強化などの体内に作用する魔法すら効果を失うほどの超高密度AMFが展開されている。
このラボは無人世界に築かれただけあって、しくじれば周囲一帯を崩壊させかねない危険なロストロギアをも取り扱えるよう、壁面は次元干渉型の実験の影響すら外に漏らさない構造をしている。セキュリティは、スカリエッティ自らが改良を加えた特製で、次元空間航行艦船に搭載されているそれをゆうに上回る。
現在のラボは一種の隔離空間。それでも、暴走する闇の書を抑えられる時間は限られている。
「後どれほどもつ?」
「多めに見積もって一時間。最短で四十分。それだけの時間があれば、闇の書ならラボの動力炉を掌握できるでしょう」
動力源たる炉を落とされれば、AMFは効果をなくす。
AMFによる弱体化がなければ、闇の書はあっという間に地上へと姿を現すことだろう。
「結構。それだけあればこちらも手を打つことができる」
ウーノの報告を聞き終え、スカリエッティは再びザフィーラたちに向き直る。
「どうやらグレアム君が尻尾を掴まれていたようでね。アルカンシェルを搭載している艦船が近隣海域に来ている。さっきザフィーラ君とシャマル君宛の信号を広範囲に発信したから、そう遠くない内にここまで来るはずだ。いざという時はアルカンシェルで闇の書を消してくれるだろう」
スカリエッティのラボは様々な世界に複数存在しているが、わざわざ無人世界のラボを拠点にしたのは、万が一闇の書が暴走した時に周囲の被害を気にすることなく破壊できるためだ。
だが、それはここにいる面子にとっては求めるべき手段ではない。
「俺たちが求めるものは主を救うための手立てだけだ」
「わかっている。彼らはあくまでも私たちが失敗した時の保険だ。私はこれから暴走する闇の書へ赴いて、はやて君を救い出すための仕掛けを施す。そのために、ザフィーラ君、シャマル君、そしてウィルには同行をお願いしたい」
スカリエッティは腰をかがめて、座り込んだままのウィルと視線を合わせると、挑発的な笑みを浮かべる。
「グレアム君のことは私にも原因の一端がある。彼の精神状態が万全なら、自分が傷つくという愚は犯さなかったはずだ。だから私はきみを責めはしない。しかしだ、もしきみが――」
「やります。俺にできることなら、何でも」
「即断即決は昔からきみの美徳だね。ザフィーラ君とシャマル君は聞くまでもないか。それでは説明を始めよう。なに、気負わなくてもきみたちにやってもらうことは至極簡単だ」
そうして語られた、命を賭けるというより支払うような計画に、周囲で聞いていたセインが息を呑む。
ただ、参加者たちは誰も顔色一つ変えることなく、余計な口を挟むこともせず、耳を傾け続けていた。
数分後、スカリエッティが計画を語り終えると、
「たしかに俺たちがいなければ不可能な計画だ」
「ひとまずラボの手前まで行きましょう。準備が整ったらすぐに突入できるように」
ザフィーラとシャマルは即座に背を向け、扉へと向かう。
ウィルもその後に続こうとして、立ち止まり、振り返る。視線は部屋の隅でドローンに寝かされたグレアムへ。
遠目ではよくわからない。近寄ってこの目で容体を見たいと思ったが、顔をそむけて扉の方へと歩を進める。はやてを助けて闇の書を滅ぼすまでは合わせる顔がなかった。
「彼女たちが到着したら連絡を。グレアム君は到着した管理局に引き渡せば良いだろう。見物していてもいいが、適当なところで合流して引き上げるように。きみたちを失うのは惜しい」
「ドクターはいかがなされるおつもりですか?」
「生き残れたら適当な手段を見つけて戻る。無理ならその時は……ウーノ、きみに頼むよ」
「承知いたしました。……ご無事なお帰りをお待ちしております」
スカリエッティはウーノと簡単な言葉を交わすと、先に出て行った三人の後を追って、扉から小屋の外へと出て行く。
残された面々の様子は変わらない。
ウーノは相変わらずコンソールを操作し続け、セインは所在なさ気にうろうろと小屋の中をうろついて、そしてクアットロは座り込んだまま四人が出て行った扉をじっと見つめて、ぼそりとつぶやいた。
「……バカ」
近くを行きつ戻りつしていたセインが、首をかしげる。
「クア姉、何か言いました?」
「セインちゃんには関係のないことよ」
クアットロは唇をとがらせながら、いつになく真剣な面持ちで己の首に触れた。
山のふもとにある洞窟を進むと、途中から岩肌は銀灰色の金属質な通路に変わる。
地中のケーブルが途中で断裂したのか、脱出する時には付いていた照明は消えていた。ウィルたちが光源として生み出した魔力光が通路をほのかに照らすが、浮かび上がる金属の無機質な輝きは、どこか不気味さを感じさせる。
四人はその先の、本来ならラボに入るための生体認証がおこなわれる小部屋で待機する。
四人はあくまでもはやてを救うための最初の段階の担当で、たとえ成功したとしてもその後に続いてくれる者がいなければ、事態はより悪化しかねない。
ウーノは闇の書が動力炉を落とすまでに、最短で四十分かかると言っていた。スカリエッティが計画を説明して、小屋から出るまでに十分弱。小屋からラボの入り口まで五分ほど。ラボの入り口から闇の書のいる空洞へも同じくらいかかると考えて、二十分間待機することになった。
「今のうちに、聞いても良いかしら?」
おずおずとながら、シャマルが話しかけてきた。
ぼんやりと暗がりに目をやるばかりのウィルが、内心では次から次へと湧き上がる慙愧の念に焦がされていると見とったのか、見かねたのか。
「シグナムさんとのことですか?」
暗いが、シャマルがわずかに首を縦に振ったのが見えた。
「私たちは表面上だったかもしれないけれど、仲良くやってこれたと思っていたの。でも、あなたにとってはそうではなかったのかしら。……やっぱり、私たちがあなたを襲ったことを恨んでいるの?」
だらんとぶら下げていた両手を胸の高さまで持ち上げて、じっと見る。
暗がりにあってわずかな光を受けて、陰影をはっきりとさせる生身の左手、反射させて鈍い輝きを放つ金属の右手。
腕を奪われたのは恨むには十分な理由かもしれないが、ウィルにとってはどうでもいい。
「俺の父さんは、十一年前の闇の書事件に参加していました。エスティアという船に配属されていた武装隊の一員です」
「エスティアって、たしか……」
即座に事情を理解したシャマルが、口元を手で押さえ息を呑む。
十一年前、確保した闇の書とその主を運ぶことになった、管理局の艦船。途中で闇の書が暴走し、闇の書ごと消滅した。その存在は、ヴォルケンリッターがラボに連れてこられたその日に見せた映像にも映っていた。
「それじゃあ、ずっと闇の書のことを……私たちのことも恨んでいたの?」
「あなたたちと闇の書を滅ぼすために生きてきました」
「で、でも、どうして今なの?」
「シグナムさんが言ったんです。俺の父さんを殺したのは自分だって」
シャマルは怪訝な表情で、ウィルの発言を咀嚼するように数度呼吸して、それでも納得できずに首を横に振った。
「前回の私たちは分断されたところを管理局に撃破されたのよ。それはザフィーラも同じよね?」
シャマルに話を振られたザフィーラは無言で首肯する。
「本人から最期を聞いたわけじゃないけれど、わざわざシグナムだけ生け捕りにされたとは思いにくいわ」
「そうですね。俺も嘘か勘違いじゃないかと考えなかったわけじゃありません」
シグナムに呼び出されて、まず最初に尋ねられたのは、ヒュー・カルマンという名前に聞き覚えがあるかということだった。
どこからその名を聞いたのかと動揺しながらも、肯定する。
やはりそうか、と。シグナムは顔を伏せ、そして告白した。
――私は貴方の父親と戦い、殺した
前回の闇の書事件で、ヴォルケンリッターは各個撃破されて消滅している。それはグレアムから聞いた確たる事実だ。
だからこそ、父の死に直接関わっていないのであれば、もしかしたらヴォルケンリッターも許すべきではないか、許せるのではないかと悩み、クアットロに弱音をこぼす羽目になった。
――彼が死ぬ前に見ていた端末に写っていた子どもは、貴方だったのだな
その後、書から再召喚される前に闇の書と主を確保した以上、エスティアにヴォルケンリッターが現れるはずがない。
――謝って許されることではないとわかっている
しかし、ヴォルケンリッターは魔力さえあれば何度でも召喚できる。暴走時かその前か、消滅したシグナムがエスティア内で再召喚されたという可能性もあるのかもしれない。
――今の私にはこうすることしかできない
混乱するウィルの眼前で、シグナムが頭を下げた。その姿を見た瞬間、
「でも、許せなかったんです」
もしかすると、実験のせいで闇の書そのものの記録だとかそのような某が混じって、シグナムはただそれを自分の記憶だと勘違いしただけなのかもしれないと、そのような可能性も想像できた。
可能性。所詮は可能性に過ぎない。エスティアの中で何が起きていたのか、真相を明らかにする手段はない。
ウィルにとってシグナムがはやてやクアットロ、クロノに匹敵するほど大切な人で、絶対に死なせたくないと思えたのなら、シグナムが勘違いしている可能性を信じ込もうとしたかもしれない。
しかし、ウィルは自分の考えた根拠のない可能性ではなく、本人の罪の告白を信じた。ウィルにとって、ヴォルケンリッターは初めから敵だったから。
というのは後からつけた理屈で、あの瞬間にそこまで考えて行動したわけではない。
あの時はただシグナムが、父を奪った相手がここに存在しているという事実が許せなかった。
「盛り上がっているところ悪いが、ウーノから連絡がきた。彼女たちが到着したようだ」
離れた場所で一人座り込んで何事かのプログラムを組んでいたスカリエッティが、腰を上げて呼びかけてきた。
「さて、後詰も用意できたことだし、私たちは死にに行こうか」
無言で通路を進む内に思い出したのは、もう何ヶ月も会っていない高町なのはのことだった。
誰かの力になりたい、放っておけないからと、自分がやる必要なんてないのに、鉄火場に飛び込んでいく無鉄砲な少女。
もしもウィルがなのはなら。無茶で無謀で、優しく勇敢な、彼女のようであれたのなら。きっとヴォルケンリッターとも信頼関係を結ぶことができて、誰もが幸せな未来があったのかもしれない。
もちろんそんなのはありえない。恨みや憎悪を消し去ることは不可能だ。きっと、何があってもヴォルケンリッターが憎いという思いは変わらない。
それでも、だ。
――お話がしたいんです
彼女のように相手ともっと話をしようとしていれば、胸襟を開いて語り合えていれば、何かが変わったかもしれない。
そのせいで信用されずにご破産にしてしまったかもしれないが、殺意を笑顔の仮面の裏に隠して暴発させてしまうよりは、よっぽどマシな結果を引き寄せることだってできたかもしれない。
憎悪をごまかそうと、偽りの信頼を得ようと、上辺だけの笑顔を取り繕って接していなければ。父のことを告げずとも、少しでもヴォルケンリッターを憎む素振りを見せていれば。シグナムもウィルを警戒して正直に告白しようとは思わなかったかもしれない。
可能性。これも所詮は可能性にすぎない。
あれこれ可能性を考えて、その都度自分の意志を肯定したり、行動を否定したり、せわしないことこの上ない。
そんな愚かさに辟易しつつ、ここまでのことをやらかして思い悩まないようであればもっと酷い自己嫌悪に陥っていただろう――ほら、また否定と肯定を繰り返している。
結局こんなのは反省のふりをして、後出しの理屈で自分の歩いた道を舗装しようとしているだけだ。
今はただ目の前にある問題に取り組む。
はやてを助ける。
全てはそれを為してからだ。
通路の突き当り、電源が落ちているエレベータの扉をこじ開ける。エレベーターは逃げる時に使ったままそこにあったが、電源が通っていないので動かない。
床を蹴破って、そこから縦穴へと降下する。
先頭はザフィーラで、次にシャマルとスカリエッティが続き、一番後ろがウィルだ。
先をサーチャーで確認しながら、真っ暗な縦穴を魔力光で照らしながら慎重に降下する。
下りゆく縦穴は、いつもなら慣性制御されたエレベータが終点まで高速で運んでくれるのだが、こうして見やれば果て知れぬほど深く、延々と地獄まで続いているような錯覚を覚える。
もっとも、底にはお伽話の死神などより恐ろしい闇の書が待ち構えているのだから、行き先が地獄なことには違いない。
「ウィル」
突然、先に進むスカリエッティが、降下しながらもくるりと姿勢を入れ替えて、後に続くウィルに向き直る。
「なんですか、先生。ちゃんと下を向いてないと危ないですよ」
「きみはきみの思うように生きるといい」
「唐突ですね」
「いろいろと思い悩んでいるみたいだったからね」
スカリエッティも心配してくれていたのかと、嬉しさが半分、申し訳なさが半分。
「……ご心配をおかけして申し訳ありません」
「きみのためじゃない。私も常々見たいと思っているんだよ。思うがまま進んで夢を実現できた時のきみをね。そうすれば、私が求めていた答えが見えてくるかもしれない」
それだけ言うと、スカリエッティはまた反転し、再び下方へと向き直る。
「こんな時にまで、意味深で抽象的なことを言ってミステリアスぶらないでください」
後ろから投げかけた文句が聞こえているのかいないのか。
「そろそろAMFの範囲内に入る。飛行魔法はしまうとしよう」
スカリエッティの右手に鉤爪のようなデバイスが取り付く。
己の頭脳だけでほぼ全ての魔法を演算できる彼がデバイスを使うのは初めて見る。闇の書が相手となればスカリエッティも本気にならざるを得ないということか。
と、スカリエッティはその鉤爪型デバイスでエレベータのロープをつかみ、するするとラペリング降下じみたことを始めた。
若干複雑な思いを抱きつつも、ウィルもスカリエッティにならって義手でロープを掴んで同じようにする。空戦魔導師のウィルだが、状況によっては飛行魔法が使えないこともあるからと、ラペリング降下の訓練を受けたことはある。どんなものでも覚えていれば意外と役に立つ日は来るものだ。
スカリエッティよりさらにを下では、ザフィーラもまた同様に降下している。が、片腕にシャマルを抱え、ウィルやスカリエッティのようにデバイスをかませることもなく、魔力運用で膜のようなものを作ってもおらず、素手の握力のみで降下速度を調節しているようで。やはり守護獣。素の肉体の強度は人間を遥かに凌駕している。
AMFの範囲に近づき、灯代わりにしていた魔力光が次第に薄れていくと、スカリエッティの鉤爪が光を放ち新たな灯となる。魔力を用いない電気式の灯なのだろう。
もしかしてあの鉤爪はデバイスではないのだろうかと疑惑を抱きつつしばらく降下すると、縦穴の片側が金属から透明な繊維強化樹脂に変わる。
いつもなら、そこからは地下に広がる空洞と淡く輪郭を輝かせるラボが見えるのだが、今や透明な壁に、樹の根のような、あるいは脈動する血管のような、闇の書の触腕がびっしりと張り巡らされていて、空洞の中は触腕のわずかな隙間からうかがえるのみだ。
エレベータの底まで残り二十メートルほどにまで降下した時、突然壁面にひびが入る。
「さすがに気がつくか」
張り付いていた触腕が蠢き出す。ウィルたちの来訪に気がついて襲いかかろうとしている。
特殊な繊維強化樹脂とはいえ、魔法で肉体を強化したウィルなら助走がなくても破壊できる程度だ。それを触腕が一瞬で破壊できないのは、AMFが効いているおかげだ。
とはいえ、じきに破壊してウィルたちに襲いかかるのは確実で、その時、降下中で身動きがとれず、魔法による肉体強化もできないウィルたちではなすすべがない。
「さあ、スタートだ」
スカリエッティの宣言と同時に、AMFの濃度が低下する。
依然として外部に放出するタイプの魔法は構築できないが、体内――肉体を強化する程度なら可能となる。
その恩恵は触腕にも等しく訪れる。先ほどまで手こずっていた強化樹脂を一瞬で破壊し、降下中のウィルたちに迫る。
が、縦穴の反対側の壁を足場にして跳躍したザフィーラが、迫り来る触腕を拳で打ち砕き、その勢いのまま壊された強化樹脂の穴から空洞へと跳びだしていった。
ウィルはすぐそばにいたスカリエッティと、ザフィーラが放り投げたシャマルをそれぞれ片手で掴むと、同様に壁を蹴ってザフィーラの後に続いて穴から飛び出す。
広がる大空洞は闇の書に侵されながらも一部の照明が残っていて、月のある夜ほどの暗さだった。
居住棟や研究棟、それどころか地面や壁にまで、あらゆる部分が木の根とも血管ともつかない黒色の触腕に覆われていた。
十一年前のエスティアの中もこんな風だったのだろうかと一瞬だけ考え、余計な思考は捨てた。
穴から地面までの二十メートルほどを自由落下する。襲いかかる触腕は先駆けとなったザフィーラが四肢を駆使して次々と迎撃している。
濃度が低下したとはいえど、空洞全体にはいまだAMFが展開されている。触腕の動きは暴走直後に比べると遥かに緩慢だ。
そうでもなければ、いくら身体能力が高く守りに優れたザフィーラといえど耐えられない。なにせ彼と同等の実力を持つシグナムとヴィータが十秒足らずで屠られたのだから。
それを考えれば、真に恐るべきはこちらが対処できるギリギリのAMF濃度を算出していたスカリエッティなのかもしれない。
二十メートルほどの自由落下を終え、足から着地。
抱えていた二人を下ろすと、三人並んで先行するザフィーラを追いかける。
ザフィーラの向かう先は、触腕の中心にある闇の書だ。
触腕を四方八方に伸ばして侵食しているが、本体となる闇の書の位置は暴走を始めた時と変わっておらず、その周囲には破壊されたドローンの破片が散らばっている。
あそこに四人とも健在で到着するのが最低条件。
そのための露払いがザフィーラであり、肉体的には貧弱なシャマルとスカリエッティを護衛するのがウィルの役目だ。
飛行できないとはいえ、強化した肉体なら十秒とかからない距離だが、襲い来る触腕を迎撃しながらとなると、その三倍はかかる。
ましてや守らねばならない護衛対象が二人もいるのだ。出し惜しみをしている余裕はない。
デバイスから武器となる剣を出しながら、頭の中で命じる。
Ascension
音もなく、世界が塗り替わった。
新しい世界は光で埋め尽くされていて、ずいぶんと明るい。
前方には白藍の光。後ろには紫と翠の光。そして空洞全体に系統樹のように張り巡らされた黒い光。
駆けるウィルたちの右方、黒い光がさらに明るさを増し、直後に二条の黒光がこちらに向かって伸びてくる。
ウィルは体の中を巡る赤を剣に通わせ、一直線に伸びる黒の軌跡を遮断するように刃を置いて両断。返す刀で薙ぐように伸びる黒を斬り下ろしの一刀で両断。それで二つの黒は散って消えた。
義手型デバイスであるグレイスの製作と共に、ウィルの脊髄には人間の神経と電子機器を接続するヒューマンマシンインタフェースが埋め込まれた。
戦闘機人が身体各所に埋め込まれた人工機器を制御するために用いられているこのサイバーウェアは、人工物への拒絶反応を示さないデザイナー・チャイルドの遺伝子地図と並び、プロジェクトHの中枢となる技術である。
このインタフェースは、普段は人体への負荷を抑えるためにリミッターがかけられていて、グレイスの動作を補助するにとどまっている。
そのリミッターを一時的に解放し、デバイスと神経を直結させたその先に、二つの
主の意識レベルが低下した時、デバイスがインタフェースを通して主の肉体を直接操作する『
そして、人間の知覚と機械の認識を結びつけて同調させる『
アセンション状態では、デバイスに取り付けられたセンサーが得た、人間には知覚できない、できても定量化できない情報――不可視光線、超音波、魔力波、魔力密度、その他様々なものをすべて五感の延長線上として認識させる。
攻撃をしかける時には、より強い魔力を通わせ、構造を強化するのが基本。まして闇の書の触腕のように魔力で造り出されたものであればなおさらだ。
その魔力密度の変化を光の大きさとして認識することで、ウィルは敵が動き出すよりも一歩早く迎撃に移ることができる。
背後で黒い光が強くなる。今度はウィルではなく、翠の光の塊――おそらくシャマルを狙って、黒い光が動いた。
感知できているのだから、振り向く必要もない。後方へと剣をつきだして、光の軌跡を両断する。
足元の黒光が強くなり始めれば、集まる前に突き立てて散らす。
触腕の動きは単調で、この調子であればいくらでも対処できそうだが、ウィルの心には微塵の油断もない。
ウィルが対処できているのは、あくまでもAMFの影響で触腕の動きが鈍り、構造も脆くなっているから。もし何の枷もない暴走状態の闇の書が相手なら、両断しようとしても剣ごと触腕に弾き飛ばされるのが関の山だ。
さらに、最も密度が高い前方からの攻撃を受け持っているのはザフィーラだ。
そのザフィーラとウィルたちの距離が詰まってきている。闇の書に近づくにつれて密度を増し続ける触腕の攻撃が、次第にザフィーラの対応速度の限界に近づきつつある証左だ。
ザフィーラが落ちれば、ウィルだけでは四方八方からの攻撃に対処できず、すぐに触腕の餌食となる。そんな状況で油断できるわけがない。
闇の書まで残り三十メートルを切った時、ついに猛攻はザフィーラの許容量を越えた。
一本の触腕がザフィーラの両手両足を駆使した迎撃をかいくぐる。身体を打ち据えられたザフィーラはその場に踏みとどまったが、崩れた態勢を立て直すよりもなお早く、次の触腕がザフィーラの身体を地面へと叩きつける。
片膝をついたザフィーラに追い打ちとばかりに触腕が襲いかかり、次の瞬間、糸でその場に固定された。
その糸は、人間の視覚では赤に見えただろう。だが、魔力を中心に世界を見ている今のウィルにとっては、闇の書の黒い魔力よりもさらに暗い無に見えた。
色の無い線――魔力をもたない糸。いや、色を奪う線――魔力の結合を阻害する糸。つまりはAMFを応用したバインド。
その出処はウィルのすぐ後ろ。スカリエッティだった。
AMF環境下で使ったということは、おそらくドローンに搭載されているのと同じ機械式なのだろう。
バインドによる拘束は一秒ももたない程度であったが、その一秒の間に、さらに襲いかかろうとした触腕が、拘束された触腕に激突し、双方がその場に崩れて落ちて、ウィルたちを守る遮蔽となる。
そうして産み出された猶予は、四人全員が残りの三十メートルを駆け抜けるには充分な時間だった。
四人揃って闇の書へとゴールイン、となるその直前に、スカリエッティの鉤爪がザフィーラとシャマルを同時に薙ぐ。
魔力的視界をもつウィルには、ザフィーラとシャマルを構成する魔力のコアようなもの、人間でいうところのリンカーコアが、スカリエッティによって抜き取られたのが見えた。
二つのコアを掴んだ鉤爪が闇の書へと突き刺さると、あれだけ動いていた触腕が一斉に動きを止めた。
「あとは頼んだぞ」
「はやてちゃんをお願いします」
コアを抜き取られて自らの消滅が決定しても、ザフィーラとシャマルは恨み言を口にしない。
これはあらかじめ決まっていた筋書きだ。
ヴォルケンリッターは守護騎士機能によって、魔力を用いて構成された存在だ。
闇の書が主の元に現れてから守護騎士が顕現するまでに年月を必要とするのは、構成に必要な魔力を主から少しずつもらって蓄積しなければならないから。
そして、蒐集にはヴォルケンリッターの魔力を戻すことで頁を埋めるという裏技がある。
過去にそれを知らなかった管理局が、主をあと一歩のところまで追い詰めたものの闇の書の完成を許してしまったことがあった。
闇の書の蒐集はすでに残り一割を切っている。ザフィーラとシャマル、二人の魔力に今日彼らが集めてきた魔力を重ねて返上すれば、計算上では闇の書の蒐集は完了する。
これは命を賭ける計画ではない。ヴォルケンリッターにとっては文字通り命を支払う賭け。
返したところで闇の書が受け取ってくれるかもわからない、あまりに分の悪い賭けだったが、闇の書が動きを変えたということは目論見はうまくいったようで。
それでもまだ細い細い綱渡りのような計画の、第一段階にすぎない。
スカリエッティの腕に無数の式が浮かびあがる。頁が埋まるという変化によって動作を変えようとするその隙を狙って、闇の書へと干渉をしている。
スカリエッティの目的は、闇の書自体の改竄ではない。この短時間でそんなだいそれたことはできない。
これはただ闇の書に備え付けられたたった一つの魔法プログラムを発動させるだけの干渉。
『Absorption』
闇の書から放たれた光がウィルを包み込み、その姿が掻き消えた。
地下大空洞に一人残されたスカリエッティは、これで自分の役目は終わりとすぐさまその場から離れようとしたが、先ほど激突し合って沈黙していた触腕が突然動きだす。
強い衝撃を受けた次の瞬間には、視界がぐるぐると回転しながら高速で移動していた。地面か壊されたドローンや建造物の破片か、もしかしたら他の触腕か。様々な物体に何度もぶつかり、やがてひときわ大きな衝撃をともなって回転する視界が停止した。
声が出ない。身体は動かない。そもそも感覚がない。顔を動かして傷を見ることさえできないが、確実な致命傷を負ったということくらいはわかる。最後にくだらないミスをした。
血液が身体から抜け落ちていき、血という動力を失った肉体の動きは急速に低下する。
酸素の供給量が減って、脳細胞が死滅し、スカリエッティという個を構成する知性が失われていく。彼を縛る鎖を道連れにして。
「ああ、これが
その果てに望んでやまなかった境地を垣間見て。
命が消える刹那、スカリエッティは大きく笑った。
一人の男の命が潰えるのと時を同じくして、一人の少女が生まれ変わろうとしていた。
触腕は暴れるかのように蠢きながらも闇の書へと還って行く。
全ての触腕が集い、大きな繭を形作り、すぐに弾けた。
中から現れたのは、目を閉じた妙齢の女性。
腰まで伸びる白銀の髪。金の刺繍が施された黒衣を纏い、背に二対、頭に一対――六枚の黒翼を背負った姿は、お伽話に謳われる世に福音をもたらす天の御使いめいていて、性別を超越した美しさを持っていた。
内包された魔力は肉体という器に収まりきらない。何の魔法も使っていないにも関わらず、AMFで結合を崩し切れないほどの濃密な魔力光という形で周囲に放出されている。
その色は淀んだ黒の混じった紫。
これこそが五人目のヴォルケンリッター。闇の書のシステムを統括する管制人格の姿。
空洞の各所で爆発が起き、崩れ始める。
証拠隠滅用にスカリエッティが地下空洞に仕掛けていた爆薬が起爆した。
空洞全体を崩壊させ、全てを灰塵に帰すだけの爆発が、屍と化したスカリエッティと生まれ変わった少女を等しく飲み込む。
その刹那、管制人格から膨大な魔力が放たれ、周囲のAMFを強引に押しのけた。
結合を解除されるよりも速く大量の魔力を放出することで、自らの周囲からAMFの影響を排除し、さらなる魔力をもってして空間を歪める。
AMF環境下で転移魔法を行使するという離れ業をいともたやすくおこなって、管制人格は爆炎に包まれる空洞から姿を消した。
空洞より上方へと三百メートル。地上からの高度百メートルに管制人格が姿を現した。
管制人格の閉じられた目が開かれる。
何の感情も浮かばない血を塗った紅眼に映ったのは、鈍色の曇り空に輝く青色の魔力光。
待ち構えていたリーゼアリアの砲撃が、管制人格めがけて放たれた。
アセンション中は視界が変化していることを表現するために、ずっと背景色と文字色変えようかと思いましたが、これ普通に見にくいだけのやつや……と気づいてやめました。