復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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復讐の刃Ⅲ

 大気を震わせる甲高い音が響く。

 振り向いたなのはの瞳に映るのは赤と菫。天へと昇る二色の魔力光の残像。

 光の軌跡を追いかけて視線を上へと向けても、二つの光の筋は途中で天に蓋する雲へと紛れて見えなくなっていた。

 残されたのは耳が痛くなるほどの静謐の中で、なのはと同様にあっけにとられ空を見上げる人々。

 

 赤の魔力光を見間違えることはない。なのはにとっては、自分とユーノの魔力光の次によく見た光。ウィルの色。

 

「あいつらっ!」

 

 声をあげたヴィータの方を見れば、そこにいたのは激情を顕わにしたヴィータと、沈痛な面持ちで顔を伏せるシャマルと、眉間にしわを寄せて目を閉じるザフィーラ。

 シグナムの姿がどこにもない。

 

「くそっ! なんだって急に――っ!!」

 

 クロノは二人の後を追いかけようと飛び立とうとするも、突然胸を押さえて苦しみだし、隣にいたリーゼアリアに体を支えられる。

 デュランダルに蓄積されていた膨大な魔力を制御したせいで、クロノのリンカーコアは疲弊しきっている。魔力は残っていても、それを急に引き出そうとしたショックで、リンカーコアが萎縮して機能不全に陥るほどに。

 

 なのはに理解できたのは、ウィルとシグナムが突然この場を離れたということだけ。その行動の理由と目的がわからない。

 

「ウィルさんとシグナムさん、どうしていきなり……?」

『決着をつけるつもりなのだろう。誰の邪魔も入らないところで』

 

 特定の誰かに向けたわけではないなのはの問いかけに、気絶しているはやてから答えが返る。正確には、彼女と融合しているリインフォースから。

 しかしその言葉の意味もわからず、なのはは問い返す。

 

「でも全部終わったのに、二人が戦う理由なんて、どこにも……」

「あの二人が戦うのは今に始まったことではない。俺もこの目で見たわけではないが、闇の書が暴走を起こす直前も、あいつらは戦っていたそうだ」

 

 続けての疑問にはザフィーラから答えが返ってきたが、その内容は再びなのはの理解を越えていた。

 

「どういうことですか……? ウィルさんも、シグナムさんも、はやてちゃんを助けるために協力してたんじゃなかったんですか?」

 

 なのはが駆けつけられず、ウィルが戦闘と負傷の痕跡だけを残して失踪したあの日に、彼とヴォルケンリッターの間に何があったのか。あの日から今日までにどんな紆余曲折を経てここに至ったのか、なのはは知らない。

 けれど、両者が揃ってこの世界にいたということは、ウィルははやてを助けるためにグレアムやヴォルケンリッターと協力していたのだと思っていたのだが。

 

「はやてちゃんのため……その志は同じでも、ウィル君にはもう一つの目的があったの。お父さんの仇を討ちたいって」

 

 ――クロノ君のお父さん、そのロストロギアが前に起こした事件で亡くなってるの。それから、その時にウィル君のお父さんも一緒に。

 

 シャマルの言葉で、かつて月村邸でエイミィが語った言葉を思い出し、絶句する。

 

『不幸なめぐり合わせだが、真実だ。烈火の将……シグナムは、己の罪をさらけ出し、応えることを望んだのだろう』

 

 そして戦いを望んでいるのはシグナムも同様だと、リインフォースは語る。

 

 たしかにいくら消耗しているとはいえ、この場にいる魔導師全員で協力すれば暴れるウィル一人を取り押さえるくらいはできる。戦いに応じる意志がないのなら、この場にとどまれば容易に戦いを回避できたはずだ。

 逆に考えれば、この場で戦えば必ず取り押さえられてしまう。二人してこの場を離れたのは、邪魔をされずに決着をつけることを双方が望んだから。

 

 それを理解して、それでも納得できなくて。

 なのはがその思いを言語化するよりも早く、クロノが痛みをこらえながらも声を絞り出す。

 

「だからって……認められるか! やっと、たどり着けたのに……誰も失わずに、終われそうだったのに……!」

 

 なのはの心中を代弁したかのような言葉に、シャマルが力なく首を横に振る。

 

「けれど、止める方法がありません。凍結封印で空間の魔力素の動きが阻害されていて、私たちでも空間転移は使えません。管理局の船――アースラもそれは同じなのでしょう? 飛んで追いかけたとしても、あの二人が移動しながら戦っているのなら追いつくのは……」

 

 いや、いる。

 

「できます。私なら、追いつけます。カートリッジはまだ一つ残してあるから」

 

 胸の前でデバイスを構えながら、フェイトが宣言する。

 管制人格との戦闘でのフェイトの戦い方を見ていないヴォルケンリッターが訝しげな視線を送るが、フェイトの新たな力ソニックフォームであれば、あの二人に追いつくのも不可能ではない。

 

「無茶だよ! フェイトだって戦える体じゃないんだよ!?」

 

 アルフが悲痛な声をあげ、今にもカートリッジをロードしようとするフェイトを押し留める。

 フェイトは一連の戦闘で常に前線にいて最後まで戦い続けていた。いくら彼女が魔力総量や制御構築に優れた魔導師であっても、肉体は十歳の子供にすぎない。連続した超音速飛行が身体に与えた負担は決して軽くない。魔力パスによって繋がっているアルフが止めようとするほどに、フェイトもまた消耗している。

 いくら魔力が残っていても、そんな状態で体を酷使して、よしんば追いつけたとしても、たった一人でウィルとシグナムの二人を止められるはずがない。

 

 一人では、無理だ。

 

「フェイトちゃん、私を二人のところに連れていって」

「僕も行くよ。ちょっとした補助魔法を使うくらいの魔力は残ってる」

 

 だから、なのはとユーノが声をあげた。

 PT事件で短くとも濃い付き合いを重ねた三人の間に、それ以上の問答は必要なかった。

 うなずき合うと、フェイトがカートリッジをロード。姿さえ霞むほどの魔力光を纏ったソニックフォームとなる。

 続けて、なのはがフェイトにバインドをかけて体を連結させ、ユーノはフェレット姿になってなのはの肩に乗る。

 行くのはすでに決定事項とばかりに行動しだす三人の様子を見て、アルフも諦めたのか、子犬の姿になってフェイトにしがみついた。

 

 出発しようとする四人を周囲の局員が慌てて制止しようとする中で、

 

「あたしも連れてけ」

 

 フェイトの体に新たな鎖がかけられる。バインドとも違うその捕縛魔法の使い手はヴィータ。

 

「シャマルとザフィーラははやてについててくれ。騎士の決闘を邪魔するのは、あたし一人でいい」

 

 ヴィータの行動に、局員の制止の声がさらに強くなる。

 先程は共闘したとはいえ、敵であったヴォルケンリッターと子供たちを同行させることに不安を抱く者がいるのは当然の反応だ。

 けれど、武装隊の隊員は軒並み魔力切れで、クロノやリーゼ姉妹はデュランダルやカードなど、身の丈を越える魔力を立て続けに制御したせいで、リンカーコアが衰弱して魔法もろくに使えない。

 戦える者はもうなのはとヴォルケンリッターしか残っていないという現状もまた厳然たる事実であり、迷う局員の視線は現場責任者であるクロノへと向かう。

 

「……頼んだ。あの馬鹿をぶん殴って連れて帰ってきてくれ」

 

 許可を出すクロノの声は弱々しかった。

 それが痛みに苦しんでいるからでも、決断に迷っているからでもなく、自分の無力さを悔やんでいるからだと、なのはには痛いくらいによくわかった。

 

 安心させるように大きくうなずいて、その場を飛び立つ。

 

 

 二人と二匹を牽引しながらも、フェイトは数秒で音速に到達し、突破する。

 フェイトがなのはとヴィータをカバーするために慣性制御圏を広げてくれているため、体を押しつぶすような加速度はほとんど感じない。

 超音速で移動し続けているのに、視界に広がるのは光を閉ざす厚い雲と水平線の彼方まで広がる凍りついた海面。

 

 

 なのはは代わり映えのない景色を眺めながら、ウィルのことを考えていた。

 

 半年前の自分は、敵として出会ったフェイトと戦うことを受け入れられなかった。

 一月前の自分は、知り合いだったシグナムが敵という事実に動揺して戦えなかった。

 そして今は、ウィルを止めるために戦わなければならない。

 

 魔法に触れて右も左もわからない自分を導いてくれたのは、ユーノとウィルだ。

 ユーノが技術を、なのはが立つ足場を固めてくれて。ウィルは戦う方策を、道を示してくれた。

 なのはの意見は管理局の局員として行動しなければならない彼にとっては、勝手で迷惑だったことも少なくなかったはずで。それでも一蹴したりせずに、受け止めた上で妥協案を模索してくれた。誰かのために何かをしたいと、意志はあったけど手段がわからない、そんななのはを導いてくれた。

 

 けれど、なのはは気づいていた。

 彼の瞳に時々、寂しさや諦めのような色が宿ることに。その時の彼は、普段とはまるで違う、全てを拒絶するような目になる。

 それは戦場で出会った時のフェイトやシグナムに宿っていたのと同じ色だ。

 

 みんな同じなのかもしれない。

 誰だって大切なもの、譲れないものを持っていて、それが現実と合わなくて。

 一人で全部抱えて、言っても仕方がないのだと、これしかないのだと、諦めて。苦慮の末に行動に移す。

 

 そんな人たちを相手に、いったいなのはに何ができるのか。

 話し合いで解決できるなら最高だ。でも、なのはは理屈を説いて相手の意志を変えられるほどに賢くはない。

 それに相手だって諦めるまでに必死に考えて、その末に行動を起こしているはずで。後からやって来た者が口を挟んだところで、ただの言葉が入り込むのは困難だ。

 

 それなら、この一瞬一瞬に己の最善を尽くそう。

 相手を止めるために全力で戦い、全霊で言葉をかけよう。

 

 

 

 

 ウィルとシグナムがあの場を離れたのは、邪魔の入らない場所で二人存分に戦うためだったが、そのために仲良く並んで移動するなんて平和的な光景はありえない。

 二人は場所を移しながらも、抜きつ抜かれつを繰り返す中で戦いを繰り広げていた。

 

 ウィルが後方から衝撃波を撃ち出せば、先を行くシグナムは進行方向を右に傾けて回避する。

 回避のために弧を描く機動をとったシグナムの進行方向を先読みして一直線。

 

 ウィルの接近を悟ったシグナムは高度をわずかに下げ、雲に紛れる。

 人が初めて空を飛び出した時代でもなし、その程度で相手の姿を完全に見失うことはない。

 しかし視覚情報は人間の知覚の中では最も重要で、わずかでも姿が見えなくなれば決断に迷いが生じる。その一瞬を突いて再度雲から飛び出て襲いかかることで、シグナムが機先を制する。

 

 このまま斬り結ぶのは不利と判断したウィルは、速度を上げてシグナムの刃圏を逃れる。

 一転して追われる側になったウィルはさらに加速して距離を離し、雲を突き抜けてくすんだ日の出ている空を昇る。

 体を翻し、減速。速度が零になる瞬間、両腕両脚のフェザーから圧縮空気を翼のように放ち、追いかけてくるシグナムへと急降下。

 

 シグナムも降下し、両者ともに雲の下へともぐる。

 赤と菫、漸近する二つの曲線軌道の距離が極小になった瞬間、二曲線を結ぶ銀の線分がいくつも刻まれる。両者の間で交わされる剣の閃光だ。

 曲線間の距離が再び離れ始めた瞬間、宙にわずかに赤が残された。

 一瞬の攻防の果てに、ウィルの剣がシグナムの腹をわずかに裂いていた。

 

 二人はどちらともなく減速し、距離を保ったまま再び対峙する。

 

「このあたりで良いだろう」

「そうですね。このあたりで」

 

 数分間、本気を出せば音速を越える二人が、戦いながらとはいえ駆けた。もう十分に距離はとった。

 前哨戦はこのあたりでいいだろう。

 

 

 空は相変わらずの曇天。

 デュランダルの影響がこんなところにまで及んでいるのか、バリアジャケットがなければ痛みを感じるほどに周囲の気温は低い。

 灰色の厚い雲が陽光を遮るので、日中だというのに辺りは薄暗い。灰色の世界に、氷のような白雪が降り注ぐ。

 

「俺のわがままにつきあってくれて、ありがとうございます」

 

 シグナムはゆっくりと首を横に振った。

 

「礼を言うのはこちらだ。主はやてを助けてくれたことに感謝している。……始める前に一つ聞かせてほしい。何のために私を殺す?」

「今更言わなくたって、理由は知ってるでしょう?」

「原因ではない。貴方の心が知りたい」

 

 自分の意を通すだけなら、そんなもの伝える必要は必要ない。けれど――

 わずかな空白の後、ウィルは困ったような顔を浮かべる。

 

「嫌ですよ。それを言えば、あなたの心を傷つけるかもしれない。そこまでは望んでいません。ただ、死んでくれれば、それで俺は満足です」

 

 シグナムは何も言わず、強い意志を込めた目でウィルを見返す。

 ウィルは呆れたように口元を歪ませて、それから語り始めた。

 

「復讐なんて無意味だってことはわかっています。それにシグナムさんのことも好きですから、抑えられるものなら抑えたいんですけど……どうやらそうはいかないみたいです。どうしても許せないんですよ、あなたが生きているのが。……許せるものかよ、奪った奴が生きているなんて。はやてと一緒に生きる、なんて」

 

 自然と言葉が漏れた。どうやって抑えつけていたのか、こんなものを内に囲って生きて来たのかと、他ならぬウィル自身が驚くほどに、吹き出る憎悪は激しかった。

 表情を作ることは得意だったはずなのに、顔の筋肉一つ動かすことができない。ただ一つ、憎悪以外の顔を作れない。

 

「許せるか!! 奪ったお前に、幸福な人生なんて与えるものか! 贖罪なんて綺麗な言葉にくるんだ、安穏とした生活なんて認められるか! 奪われた者はもう帰ってこれないんだよ! もう、二度と! 何をしたって! 父さんは俺のところに帰って来てくれないんだ! なのに、なのに、……畜生ぉぉぉお!!」

 

 心の裏から湧き出る言葉を、斟酌一切無く叩きつける。あらんばかりの罵声に、溢れんばかりの感情を乗せても、まだ足りない。

 

「奪ったお前が奪われずにすむだと!? ふ、ふざけるな! そんな理不尽を認められるかよ! 世界の誰が許したって、俺はお前を許さない! お前にはどんな人生だって与えない! そうだ! 死以外、何か一つでも与えてやるものか!!」

 

 ウィルの殺意を後押しするように、風雪は一層強く吹き付ける。

 言葉が止まる。内心を吐露したことでこもる憎悪が発散できた、などありえない。

 十年だ。十年、体の奥で薪をくべられ理性を燃やし心を煮えたたせ続けたそれが、たかだか百字二百字の言葉に変えただけで薄れるわけがない。

 

 言葉を用いるのは、他者に伝えるため。シグナムが求めた分はこれで喋った。

 だから口を閉じ、なおも体の奥から溢れ出てくる憎悪を言葉に変えず、内にためこむ。

 つがえた矢を引き絞るが如く。溢れる憎悪は体を手足を満たし、爪の先から毛の一本一本に至るまで通う。

 

 ここで決める。その意志が伝わったのか、それとも思考を移植したデバイスも同じ判断を下したのか。命令なしに状態が遷移する。

 

  Ascension 

 

 インテリジェントデバイスたるグレイスが有する機械の知覚と、魔導師たるウィリアム・カルマンの意識が繋がり、世界が姿を変える。

 

 

「貴方の復讐は正当で、その怒りは正しい」

 

 シグナムの全身を纏う魔力が燃え上がる。シグナムという存在そのものが燃えているかのように強く、激しく。

 振り続ける雪が溶け、水へと変わる暇もなく蒸発して消える。

 

「だが、私の使命は主に仕え、そばにあること。むざむざ殺されるわけにはいかない。私のことが憎いなら、その怒りを力に変えて、私に報いを受けさせてみせろ」

 

 

 再開に合図はいらなかった。

 圧縮空気が放たれる爆発めいた轟音が鳴り響き、ウィルが一直線に空を駆ける。

 突撃からの薙ぐウィルの剣を、同様に突撃していたシグナムのレヴァンティンが迎え撃つ。

 

 剣と剣は衝突することなく、互いの刃を避け合うようにして、相手の身体へと。

 互いに紙一重で回避し、すれ違い様に即座に反転、蹴りを放つ。

 

 ぶつかりあう脚と脚。衝突した互いの足の甲と甲を引っかけ合って錨として、軸として、鏡写しのように回転して剣を振るう。

 剣同士が激突し、反発して弾かれる。

 

 シグナムが身をひるがえし、横回し蹴りをウィルの胴めがけて叩き込もうとすれば、ウィルのフェザーから放たれる圧縮空気が、不可視の羽根となってその攻撃を回避するだけの動力を与える。

 迫る横回転の蹴りを、シグナムの頭上から背後へと回る円軌道をとって回避。続けて放たれた圧縮空気で加速された脚で縦回転の蹴りをシグナムへと返すが、シグナムは読んでいたかのように回避。

 

 続けて空を裂いて奔るウィルの刺突を、シグナムは左手に持ちかえたレヴァンティンで受けながし、開いたウィルの体に右の直突きを打つ。

 ウィルは体を横回転させてかわすと同時に、フェザーで左脚を加速させ、半身になったシグナムへと回転蹴り。

 シグナムは左手のレヴァンティンを盾として蹴りを迎撃。刃とブーツが激突。剣戟であれば装甲ごとウィルの脚を切り落とすこともできたろうが、守るためにとっさに置いた剣にそれだけの速さも鋭さもありはしない。

 蹴りが剣を押し込みシグナムの胸部を打つと同時、彼女の裏拳がウィルの頭を打ち抜く。

 

 打たれた衝撃で肺から息を押し出されたシグナム。次の行動のため、新たな息を吸い込み。

 打たれた衝撃で意識を失いかけたウィル。グレイスからの電機信号で、意識を覚醒させられ。

 

 次の行動に移るまでの一瞬の猶予。

 手を伸ばしあえば触れ合える。眼前の敵の瞳の奥に映る己の姿すらわかる。呼吸どころか心拍すら伝わる。

 その間合いで、二人は目をそらさず、相手を見る。

 

 そして息の続く限りの連撃(ラッシュ)が始まった。

 密着した近接格闘の間合いでは四肢をぶつけ合い、衝撃で距離が開いて近接戦闘の間合いになれば刃を交わし合い。刃と刃の衝突が生んだ隙にさらに距離をつめ、また四肢をぶつけ合う。

 上から下から、左から右から、手を変え品を変え、狙う部位もタイミングも変え、互いの位置を変えて何度も何度も繰り返す。

 

 そのうち、変化が生まれ始める。

 四肢のぶつかり合う鈍い音も、刃と刃が擦れ合う甲高い音も、次第に聞こえなくなっていき、互いの動作が生み出す風切り音だけが残される。

 互いの刃も体も、相手に当たることなくすりぬける。互いに相手の行動を予測して、紙一重で回避しているからだ。

 

 二人が直接戦うのはこれで三度目。

 三度目で手の内を把握するどころか、一挙手一投足を予測できるほどに理解し合えるのなら、二人はとても相性が良いのかもしれない。

 こんな形で出会わなければ、もっと違う因果で結ばれていたのなら、息を合わせ、ともに肩を並べて戦う相棒になることだって。

 

 そんな感傷を断ち切るように、剣と魔が渾然一体となる戦いの中で、ウィルが吼え、シグナムが叫ぶ。二人の獅子吼が空を震わせる。

 互いの間を斬撃の暴風が荒れ狂い、その隙を縫うようにして徒手空拳が飛び交う。二人の間に侵入した雪はその余波を受け、切られ、砕かれ、目に見えぬ微細な粒子へと分解される。

 

 百分の一秒を知覚し、千分の一秒の差を求めて競り合う。

 身に染みついた戦技、記憶する魔法、頭脳が紡ぐ論理、己の肉体を駆動する感情、

 機械と繋がった人間のみが/歴戦のプログラム体のみが、得られる特異な知覚。

 ありとあらゆるものを複雑怪奇に統合し、昇華させた、己のスタイルとスタイルの激突。

 

 機械だけでもプログラムだけでも到達できない、人のみがたどり着くことを許された魔境に足を踏み入れた両者が、相手の命に食らいつくためにさらに深層へと踏み込もうとした――その瞬間

 

 

 ウィルはセンサーがとらえた魔力反応を見て。シグナムは戦士の直感で。両者共に、その場から飛び退いた。

 わずかに遅れて、二人がいた空間を桜色の光の柱が貫く。

 

「外れたっ!」

 

 放ったのはフェイトに牽引され、ウィルたちの元に急速に近づいて来るなのは。

 

「でもこれで二人とも範囲内だ!」

 

 なのはの肩にくっついていたフェレット姿のユーノが逃走防止に結界を展開する。

 

「フェイトッ! これ以上は!」

「うんっ……ごめん……ここまでが限界」

 

 魔力が切れて墜落し始めたフェイトの身体を、子犬から人型へと戻ったアルフが支える。

 

「いいさ、あんがとよ」

 

 牽引するバインドが解かれ、ヴィータとなのはの体が解き放たれる。

 なのはとユーノはその場にとどまり、もう一発砲撃を放つ。

 そしてヴィータは、

 

「こんの馬鹿二人! これで三度目だぞ三度目! その都度あたしに止められてんのに性懲りもなく! 今度という今度は、両方ぶっ飛ばしてやるからな!!」

 

 怒声をあげて一直線に飛び出していった。

 

 

 

 

 ヴォルケンリッターで最も速いのは誰か、という問いに単一の答えはない。

 

 長距離移動であれば、飛行と継続的な魔力放出に優れたシグナムが頭一つ抜きん出ている。

 移動時間であれば、少々ずるい気もするが転送魔法に熟達しているシャマルに並ぶ者はいない。

 地上や閉所を駆けるのであれば、獣となり四足で駆けるザフィーラの得意とするところだ。

 ではヴィータは?

 

 彼女が小柄な体躯に反して高い攻撃力と防御力を併せ持つのは、内包する魔力が多いからではなく、瞬間的に制御できる魔力量が非常に多いからだ。

 つまり極々短距離に限れば、ヴォルケンリッターで最も速いのはヴィータだ。

 

 ヴィータの両足に生じた大量の魔力の塊が大気と混じり合って衝撃波を形成し、その体を加速させる。

 衝撃波で吹き飛ばすという攻撃方法を制御して己の加速手段とする曲芸で最短距離を駆け、二人との距離を一気に縮める。

 その最中、再び足に魔力を集めて、再度の衝撃加速。

 わずかに方向を変え、二人のうちの一方――ウィルへと明確に狙いを定める。

 

 復讐を望んでいるのはウィルであり、シグナムは応えようとしているだけ。

 それならウィルの方を先に気絶させてしまえば、シグナムが戦闘を継続する意味はなくなる。

 逆にシグナムを気絶させても、動けないシグナムを守りながらウィルと戦うことになる可能性があるのだから、ウィルを狙うのは当然の選択だろう。

 もっとも、それを相手が受け入れるかはまた別の問題。

 

 ヴィータの突撃を、白銀の刀身が受け止める。刃の繰り手の、赤い長髪が風になびく。

 

「だろうなっ!」

 

 ウィルを守るように割り込んできたシグナム。その瞳は口下手な彼女の言葉よりもよほど雄弁だ。止めるなと言いたいのだろう。これは自分の責務なのだと。

 けれど、認めるわけにはいかない。

 

 グラーフアイゼンを力任せに振り回し、レヴァンティンを払いのける。

 膂力勝負でヴィータと互角にやりあえるのは、ヴォルケンリッターではザフィーラくらいだ。シグナムでも鍔迫り合いでヴィータに勝てはしない。

 しかし、技量はまた別。鉄槌の切り返しより早く、崩された姿勢を利用してのシグナムの左拳による直突き。

 ヴィータは鉄槌を中心として、自らの体を回転させて攻撃を回避し、その最中に再び鉄槌を振るう。

 

 鉄槌が己より重くとも、魔力による身体強化があれば、自在に振り回して回転することは可能。

 鉄槌が己より重いが故に、身体強化を弱めれば、鉄槌を中心に己の体の方を動かすことも可能。

 鉄槌を振り回し、鉄槌に振り回されて己の位置を変え、再び鉄槌を振り回す。速度と威力が落ちない連続攻撃の嵐は、まるで見えないパートナーと踊る舞踏めいている。

 己と鉄槌、二つの軸を瞬時に切り替えて行われる連続攻撃。鉄槌の騎士と鉄の伯爵による、止むことない嵐のような重量級輪舞曲(ヘヴィーロンド)

 

 シグナムもまた、受けきれぬ攻撃をそらし、間断なく続く攻撃の隙をついて的確に反撃。

 将たるシグナムはヴォルケンリッターにおいて最も優れている。だが、それはどんな状況でも最強であることを意味してはいない。

 攻防は互角。よく手の内をよく知る者同士ゆえに、初見の技による不意打ちも不可能。

 戦況を分けるのは相手の意表をつくような奇策。もしくは、さらなる外部要因が均衡を崩すしかない。

 

 

 

 シグナムとヴィータが攻防を繰り広げる中でウィルがとった行動は、二人の戦いが終わるまで傍観して体力を温存するでもなく、シグナムと協調して乱入者のヴィータを狙うでもなく、自分を守るために動いたシグナムを後ろから狙うでもなかった。

 

 シグナムとヴィータの戦いは容易に決着がつかないと判断し、彼女ら二人以外の外部要因をまず排除すべきと判断した。

 何よりも、この場で最も危険な存在、それは高町なのはだ――その確信があった。

 

 なのはの持つ魔法の才能は規格外だ。PT事件の頃ならいざしらず、いまや武装隊ですら彼女の実力を疑う者はいない。しかし、ウィルが脅威に感じているのはそんな目に見える力ではない。

 なのはには物事を好転させる力がある。無論、神に愛されているとか、幸運の星の元に生まれただとか、物語の主人公めいてるだとか、そんなオカルトじみた意味ではない。

 

 彼女は流されない。自分の感情に嘘をつかない。こうなるのは仕方がないとみんなが思っていても、彼女は諦めない。

 フェイトを取り押さえて捕まえることばかり考えていたウィルに、話し合うための戦いを考えさせたように。フェイトを助けるために、死ぬような嵐の中に突っ込んでいったように。傷ついたフェイトを救出するために、時の庭園に乗り込むことを志願した時のように。

 そして今、疲れ切っているのに、ウィルとシグナムを止めるため、動ける面々を連れて追いかけてきたように。

 彼女はいつでも自分が望む未来のために、自分にできることを考えて、行動する。

 その彼女の本気は、誠実さは、周囲の人間に伝わり、動かして、物事を良い方向へと変えていく。

 

 その結果、望む未来に必ず到達できるわけではない。むしろ、うまくいかないことばかりだ。

 フェイトとの話し合いは結局ウィルが倒したアルフを人質にすることで成り立ち、嵐を抑えこんだところで敵味方を巻き込むプレシアの攻撃でフェイトは傷ついて、乗り込んだ先の時の庭園では助けるはずだったフェイトと戦いになった。

 けれど、その意志と行動が、なるはずだった結末に確実に変化を与えている。

 それがウィルにはとてもかけがえのないものに思えた。闇の書を暴走させてしまった時に、なのはのようであればもっとマシな結果を引き寄せられたかもしれないと、彼女のことを思い出すくらいには。

 

 だからこそ、なのはを真っ先に排除しなければならない。

 今のウィルはなのはに止められる側の存在だから。幸福な結末を汚すのであれば、きっとなのはこそが最大の脅威だ。

 

 

 こちらに照準を合わせて砲撃の構築するなのはへと、ウィルもまた一直線に向かい、人間としての視覚で認識するなのはまで、後百メートルほどに近づいた瞬間、何もない空間に蹴りを叩き込んだ。

 そこにはレイジングハートを構えているもう一人のなのはの姿。その肩に乗るユーノが驚きの声をあげた。

 

「いつから気づいて……」

 

 ウィルを止めるために、彼女たちも必死に考えたのだろう。

 遠距離で砲撃を構築しているなのはは、幻術魔法で作られた虚像。本物のなのはは同じく幻術魔法で姿を消してウィルへと接近していた。

 

 幻術魔法が展開されたのは、なのはが二度目の砲撃を放った直後。砲撃の閃光と魔力に紛れるようにしてユーノが自分たちの姿を消し、同時になのはの虚像を作り出す。

 そしてヴィータが大声をあげて突撃。シグナムとウィルの注意がヴィータに向いている隙に姿を隠したままウィルに近づく。

 遠距離型で接近戦は不得手ななのはが、突撃してくるとは考えない。その意識の隙をつかれて奇襲を受け、残存魔力とカートリッジの全てをかけた突撃でも敢行されれば、ウィルはあっさりと負けていた。

 

 でも、そうはならなかった。

 

「最初から見えていたよ」

 

 ウィルには最初から最後まで、なのはたちの行動が手に取るように見えていた。

 光なんてものは数多くの知覚情報の一つにすぎない。機械が得た各種情報を五感にフィードバックさせているウィルには、遠くに見えるなのはたちの姿が魔力で構成された幻術魔法であることも、幻術魔法を使って接近していることも簡単に見抜けた。

 今のウィルにとって、視覚ですら光だけで構成されてはいない。隠しきれていない彼らの体温も、移動が生み出す音や気流の変化も、すべてがウィルには五感の一部として認識できる。

 ヴィータも、なのはたちも知らない、ウィルの力。機械の知覚を得るアセンションを欺ける幻術魔法など、クアットロのISくらいだ。

 

 ウィルの蹴りはなのはが構えるレイジングハートへと。

 接近した時に魔法を叩きこむ予定だったのだろう。すでにレイジングハートはカートリッジをロードし終えていた。

 カートリッジの圧縮された魔力を解き放つ。そのための精密な制御を必要とする瞬間に与えられた衝撃は、デバイスの動作を一時的に停止させ、半端に解放されたカートリッジの魔力は制御されずに暴発し、デバイス内を駆け巡り、いくつかの部品を焼き切って、一時的に機能不全にさせるほどのダメージを与える。

 そして魔力パスの繋がっている魔導師へと流れ込んで、体内へと魔力ダメージを叩き込む。

 

 その一連の流れもまた、ウィルの感覚は正確にとらえていた。

 アースラに戻り部品を交換すればすぐに直せるだろうが、少なくともこの戦いではレイジングハートは確実に使用不可能。なのはへの魔力ダメージも少なくはない。

 

 飛行魔法を維持できずに落下するなのはを見ながら、ウィルは脚部のフェザーから圧縮空気を噴出させる。

 なのはに追い打ちするためではなく、

 

「それも見えている」

 

 とんぼ返りの要領で放たれた蹴りの狙いは、落下するなのはとは真逆の上方。

 短距離転移によってウィルに奇襲をかけようとしていたアルフをとらえた。

 

 グレイスのセンサー網は、全周囲に張り巡らされている。二つの目のように、前しか見えないわけではない。

 魔力や空間の歪みが観測できるのなら、どこにどの程度の質量が転移してくるかもわかる。

 

 ウィルが再びシグナムの方を向いた時、そちらの戦いも終わりを迎えた。

 なのはたちの策が破られたことでヴィータに生じたわずかな隙をつき、シグナムがヴィータを海へと叩き落としていた。

 

 乱入者を退場させて、戦場には再び二人が残った。

 

 

 

 

 存分に戦うためにせっかく離れたところにやってきたというのに、ぞろぞろとやって来て。

 なのは、ヴィータ、アルフは迎撃したが、確実に戦闘不能といえる状態に追い込んだわけではない。時間をおけば、また何かしら仕掛けてくる。

 戦いには向かないユーノや、魔力を随分と消費しているようなフェイトにも、何か手があるのかもしれない。

 もう猶予はない。名残惜しくとも、戦いには幕をひかなければならない。

 

「互いの一で、決着をつけよう」

 

 シグナムの提案、というよりも宣誓を合図に、二人は逆方向に加速して距離をとる。

 そして反転。一気に距離をつめる。

 猛禽のように襲いかかるシグナム。右手に握られたレヴァンティンには先程を上回る菫色の魔力光がこもっている。

 

 ベルカ式には様々な流派が存在するが、流派を越えて共通する『(いち)』と呼ばれる技がある。

 ベルカ式の魔法が得意とするのは強化。ゆえに近接戦闘のエッセンスは極めて単純だ。

 魔力によって強化した己の武装を、魔力によって高めた肉体によって振るう。

 

 『一』はそこにある。

 

 武装に纏わせる魔力をより高密度にし、魔法による肉体強化を限界まで高め、体に染み付いた技で敵を討つ。ただそれだけの技が一。

 基礎であるがゆえに一。二撃は必要ないがゆえに一。最短であるがゆえに一。

 小細工一切なし、基礎の延長であるがゆえに騎士の技量がそのまま表れる。

 シグナムほどの騎士の振るうそれは、まさしく必殺。単純だからこそ強力。時代が移り変わろうとシンプル・イズ・ベストは真理だ。

 

 ウィルもまた己の剣を両手で握りしめ、対敵を見やる。

 飛行魔法を最大限に行使し、音の壁を破った光輪を宙に描き、肉体の限界まで加速。

 

「紫電――」

 

 空間そのものを削り取るかと錯覚するほどの圧力を持った斬撃が、炎を纏って迫る。

 

「至天――」

 

 剣を振る動作に合わせて、両腕のフェザーから翼を吐き出し、剣速をさらに加速させる。

 

 

「「一閃!!」」

 

 

 互いの一閃が激突した。

 

 牙と牙が噛み合う異形の接吻。赤と菫の魔力光が混じり合う。纏う炎を風が吹き飛ばす。相反する二つの魔力の激突が生み出す衝撃に、空間が悲鳴にも似た音をあげる。

 

 両者ともに剣を振るうタイミングは完璧だった。威力も申し分なく互角。

 

 勝敗を分けたのは、互いの剣。

 機械の視点を持つウィルは、己の銀剣が先に限界を迎えることを理解した。

 古代ベルカの時代に鍛え上げられた真正のアームドデバイスは折れず、曲がらず、刃こぼれしない。そう謳われるほどに頑強だ。

 

 ウィルの右手が柄から離れた瞬間に、剣が刀身の真中で真っ二つに折れ、レヴァンティンの刃がウィルを袈裟に切らんと迫る。

 ウィルは二つに折れた剣の先。宙空に舞ったむき出しの刀身に手を伸ばして掴み取る。

 

 シグナムの刃がウィルに届く。

 左肩に剣が触れる。

 肩から全身へと伝わる激痛。

 

 きっとその剣は左肩から胸骨に守られた心臓を通り、臓器を裂いて左下へと抜けていくのだろう。そしてウィルは血と内臓をまき散らして絶命するのだろう。

 だが、ウィルの死が確定しても、シグナムの生まで確定したわけではない。

 

 ウィルは右手に握った刀身を、シグナムの胸へと目掛けて突き出した。

 体を両断されたとしても問題はない。シグナムの心臓を貫くその動きは、すでにプログラムされた動き。右腕の魔力が運動エネルギーへと変換され、まっすぐに動く。

 

 刃がシグナムの騎士甲冑を破り、皮を裂き、肉を貫く。

 そのまま心臓を貫き、致命の傷を負わせる直前、ウィルの体が弾き飛ばされた。

 

 

 何故――と疑問が頭を埋め尽くす。

 その答えは弾き飛ばされて急速に離れるシグナムの姿――彼女が持つレヴァンティンにあった。

 シグナムはレヴァンティンを、普段の握りから九十度返していた。

 

 峰打ちですらない。シグナムは鍔競り合いで自らが勝ったと理解した瞬間、刃を返して横の平たい部分でウィルを打ったのだ。

 だからウィルの体は切り裂かれずに、左肩の肉が抉れ骨が砕かれ体が吹き飛ばされるだけですんだ。

 

 もしもレヴァンティンの刃が返されることなく、そのままウィルの体を両断していたら、ウィルの肉体は弾かれることなくその場に残り、ウィルの刃もまたシグナムを貫いていたはずだった。

 

 狙ってやったのなら、あの一瞬でウィルの最後の攻撃を予測して対応したその嗅覚に畏怖を覚える。

 だが、最初からシグナムにウィルを殺す気がなかったのだとすれば、きっと彼女は――

 

 

 関係ない。まだウィルは生きている。シグナムも生きている。それが全てだ。

 

 

 すぐさま体勢を立て直す。再びシグナムの姿をとらえると、一条の光となって空を駆ける。

 もはや刃はない。グレイスそのものに魔力を纏わせて、銀の腕を赤の魔力で染めて突撃する。

 

 突き出した捨て身の手刀はシグナムへと到達し、そして何の感触もなく、ウィルの身体はシグナムを通り抜けた。

 まるで、何もない空間を駆け抜けただけのように。

 振り返れば、たしかに先程まで捉えていたはずのシグナムの姿が、忽然と消えていた。

 

 

 目の前からだけではない。周囲にもシグナムの反応はない。

 転移で回避したのだとしても、それなら魔法の反応と空間への痕跡が残るはず。

 

「……どう、して?」

 

 もしも、シグナムがこの場からいなくなったのではなく。

 ウィルの方が、五感だけではなく、アセンションによって得られる機械的知覚すら欺かれているのだとしたら。

 そんなことができるのは一人だけ。

 

「どうして――――!!」

 

 その名を口にしようとして、視界が桜色に染まった。

 体内を駆け巡る魔力の奔流は、力強く、けれど優しく、ウィルの戦う力を奪っていく。

 

 視界から桜色が消えて、舞い散る白い雪と、空を閉ざす灰の雲と、眼下に広がる深く黒い海が目に映る。黒い海の海面のそばに、若草色のフロータが展開されていた。

 その上に立つ、なのはとユーノ。鏡合わせのように、なのはが右腕を、ユーノが左腕を、互いに半身で前に突き出す姿勢をとり、前に出された二人の腕が砲身を成すような形になっている。

 おそらく、デュランダルを使うクロノをリーゼアリアが補助したように、レイジングハートが使えなくなったなのはをユーノが補助したのだろう。

 

 しくじった。たしかに物事を好転させてきたのはなのはの意志だったが、それをずっとそばで支えてきたのはユーノで。

 注意するべきはなのはではなく、なのはとユーノだったのに。

 

 

 結局、止められてしまったのか。

 友人の、善良な人々の隙をついてまで得た千載一遇の好機で、しかし仇を倒すことはできず、返り討ちにされて死んで終わることすら叶わない。

 

「シグ……ナム…………クア……ロ……」

 

 うわごとのように名前を口にしながら、懸命に首を動かして、周囲を見回す。

 けれど、どちらの姿も見当たらず。

 

 胸の奥に燃える炎の熱ですら埋めきれない寒さが、身体を震わせる。

 仇には決着の直前で手を抜かれ。尊敬できる子らは仇を助けるためにウィルの前に立ちはだかり。唯一味方でいてくれると思っていた幼馴染も、さっきいなくなった。

 ウィルのそばにはもう、誰もいない。これからは一人で歩むしかない。

 

 耐えがたい寒さを覚える中で、次第に目がかすみ、視界が黒に染まっていく。

 魔力切れによるブラックアウトの兆候。

 

 

 やがて、視界も意識も真っ黒に染まって、消えた。




 A's編 完

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
 お気に入り、感想、評価など、とても励みになっています。

 特にA's編は様々な意見が聞けて嬉しかったです。


 次回から最終章、もとい最終戦になります。それほど長くはなりません。
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