復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

66 / 70
注意
 このエピソードには原作で生存しているキャラの敗北や死亡、チート主人公などの要素が含まれます


IF 墓標(ゆりかご)(前編)

 これは高町なのはが、ウィルとシグナムの戦いを止めに来れなかった「もしも」の話。

 

 

 降り注ぐ白雪が吹きすさぶ風に振り回されて舞い踊る中、ウィルとシグナムは数多の剣戟を交わし合い、数多の拳を打ち込み合う。

 その果てに、ウィルの握る銀剣がシグナムの左肩へと打ちこまれ、柔い女の肉を裂いて右胴へと抜けた。

 ヴォルケンリッターの修復力をもってしても、再構築よりも生命活動の停止の方が速い致命の傷。

 しかしウィルは留まらずにその場で回転。腕部から生じた無色の翼がひるがえる身体にさらなる加速を与え、次いで打ちこまれた銀剣が左胴から右肩へと抜ける。

 一拍遅れて、十字に刻まれた銀の軌跡をなぞるように血が爆ぜ、舞う白雪とウィルの顔を赤く染める。

 シグナムの身体がぐらりと傾くと、飛行魔法が造り出す慣性場がほどけるように解け、重力に導かれて空から落ちていった。

 

 後を追ってウィルも降下する。

 元は海であったはずの地上はデュランダルの影響で海面が凍り付き、降り注ぐ雪によって雪原となっていた。

 

 真っ白な雪原にぽつんと一つ赤い染み。

 流れ出た血で周囲を赤く染めながらも、その中心に横たわるシグナムの身体は随分と白く見えた。

 

 銀剣を雪原へと突き立てると、ウィルはシグナムの額へとそっと手を伸ばす。

 

 死闘の果てに先にたどり着いたのはウィルの剣。

 けれどウィルは認識していた。

 最後の一瞬、並みの剣士ならば隙をつくどころか気づくことすらできないような刹那。シグナムがわずかに剣を鈍らせたことを。

 迷いが剣に表れたというにはあまりに露骨なそれは、ウィルの力を試したのか、それともウィルならばその隙をつくと信頼していたのか。

 どちらにせよ、シグナムはたしかにその一瞬の隙を恣意的に作り出した。ウィルに敗けるために。仇を取らせるために。

 

「最後まで、嘘が下手なんですね」

 

 凍てついた外気にさらされて、騎士甲冑が解けたシグナムの身体は急速に冷たくなっていく。

 シグナムの額に当てた手からは、生命の熱は感じ取れない。

 肌をなでるように手を動かし、開いたままのまぶたを閉ざす。

 

「おやすみなさい、シグナムさん」

 

 

 幼い頃から我が身を焦がさんばかりに燃え盛っていた内なる炎は、まるで元から何もなかったかのように消え失せていた。

 その空白を埋めるのは、ついに復讐を果たしたという達成感と、淀みだ。

 

 ──ああ、自分は今、人を殺したのだ

 

 仇だった。復讐だった。大切な人を殺された痛みを、殺した者を殺すことで帳消しにしようとした。奪った者が奪われずにすむことが納得できなくて、奪うことで納得を得ようとした。因果が応報でないのが我慢ならず、自らの手で報復した。それが理由だ。

 けれど、今のシグナムがどれだけ善良な人格を有していても、ウィルの父を殺した事実が変わらないように、いかなる理由と背景があっても事実は覆らない。やったことは、なくならない。

 

 だから、この事実も等しくなくならない──自分は、人を殺した。この手で誰かが大切に思う人の命を、未来を奪った。

 

 

 ずっと前から決めていたことがある。

 たとえ父がウィルが復讐に生きることを望んでいなかったとしても、もしも闇の書を滅ぼして復讐を遂げることができたなら。父の命を奪ったものに報いを与えることができたなら。

 

 ──やったよ、父さん

 

 と、墓前に報告するつもりだった。

 けれど今、ウィルの口から漏れる言葉は。

 

「ごめん、父さん」

 

 あなの息子は、今、人を殺しました。

 あなたが未来を守ってくれた息子は、今、人の未来を奪いました。

 

 

 やがて周囲の魔力素が正常に戻り、転移でやってきたクロノの手で拘束されるまで、ウィルはその場から動くことなくシグナムの亡骸を見続けていた。

 

 

 

 

 アースラにて拘束を受けたウィルとはやてが再び顔を合わせたのは、それから三日後のことだった。

 

 ウィルには魔力出力を抑えるためのリミッターがかけられ、デバイスとなる義手も取り上げられている。

 両者の間は透明な繊維強化樹脂で区切られ、どれだけ手を伸ばしても届かない。

 加えて、ウィルの側にはクロノが、はやての側には武装隊の隊長がそれぞれ配備され、何かがあれば即座に取り押さえられる状態になっている。

 

「リインフォースが……死んでしもてん」

「さっきクロノから聞いたよ」

 

 闇の書の中枢──夜天の書の管制人格であったリインフォースは、闇の書を闇たらしめる防衛プログラムを破壊し、再び夜天の書の管制人格へと戻った。

 だが、その防衛プログラムを生成するためのプログラムは、管制人格たるリインフォースに刻まれていた。リインフォースが生きており、夜天の書が機能し続けている限り、防衛プログラムはそう遠くない内に蘇る。だから、リインフォースは自らその命を絶った。

 ウィルがその事実を聞いたのは、ここに来る直前。全てが終わってからだったが。

 

「最後の瞬間には、立ち会えてん。こんな私を、最高の主やって言って、消えて。……誰も守れんかった、私を」

「はやてのせいじゃない。リインフォースが死ぬしかなかったのは、過去の主たちに責任がある。そして、シグナムさんが死んだのは俺が原因だ」

 

 被害者にも原因があるなんて、そんな馬鹿なことがあっていいはずがない。

 よしんばあったとしても、それは本当にただの原因でしかない。被害者に責任はない。

 

「はやてが俺を憎んで死を願うなら、俺は今すぐにでも受け入れる。はやてだけじゃなくて、残りのヴォルケンリッターでもいい。俺を許せずにこの胸に刃を突き立てたいと言うのなら抵抗はしない。ただ一言死ねと言うだけでも良い。そうすれば、俺は自分でこの命を断つから」

「ふざけんのもいい加減にして。ここでウィルさんが死んだら、シグナムは何のために死んだん?」

 

 放たれたはやての言葉に、ウィルは言葉を失い、顔を苦痛で歪ませる。

 はやてはウィルの目をまっすぐに見据えると、続けて語る。

 

「ウィルさんと今まで通りにっていうのは……ごめん、今すぐにはできそうにない。だからって、死んでほしいなんて思うはずない。それに、シグナムを殺したウィルさんよりも、リインフォースを死なせた昔の人らよりも……あれだけ大きな口を叩いといて肝心の時に何もできん! 間に合わなかった自分が一番憎い!」

 

 はやては机の上に乗せた両の掌を強く握りしめて、机に叩きつけ。双眸から涙がぽろぽろとこぼれ落とし。

 それでもウィルから視線を外すことはなかった。

 

「一つ、教えて。ウィルさんの復讐は、これで終わりやの? それとも、ヴィータとシャマルと、ザフィーラ……あの子らのことも仇やと思ってるの?」

「俺の復讐は……終わったよ」

 

 闇の書とヴォルケンリッターを憎んでいた思いは、シグナムの告白で闇の書とシグナムへと対象を変えた。そこに残りのヴォルケンリッターは含まれていない。

 他の三人だって誰かの命を奪っていたはずだ。でもウィルの復讐は、悪行を憎む正義感なんて綺麗なものから生じたわけではない。徹頭徹尾、父の命を奪われたことへの報復という私的な感情で成り立っている。

 残りのヴォルケンリッターを、ヴィータ、シャマル、ザフィーラという個人へと止められないほどの殺意を抱くことはできない。

 

「そう……それやったら、もう誰かが死なんとあかんようなことは、これで終わらせよ。だから、ウィルさんはシグナムの死を無駄にせんように生きて」

 

 突き立てられた言葉は、本物の刃を突き立てられるよりも、深く、鋭く、ウィルの心を抉る。

 はやては強く優しい子だ。大切な人を奪われた憎しみを他者にぶつけずに、どこまでも自罰的に、他者の苦しみを己の責任だと感じて、重荷を背負って歩き続ける。

 ウィルはそんなはやてを助けるどころか、この後に及んで、はやてという他者に裁かれることで苦しみから逃れようとしてしまった。その結果、ウィルの命というさらに重い荷物を背負わせることになってしまうのに。

 

 ならせめて、個人ではなく社会というシステムに、人を殺した罪を裁いてもらおう。

 

 

 

 

 アースラが本局に帰港すると、ウィルは本局内の施設で勾留されることになった。

 ウィルにはシグナムを殺害しただけではなく、闇の書事件に関してグレアムと共に闇の書に加担し、広域指名手配犯ジェイル・スカリエッティと協力していた嫌疑がかかっている。そのため、執務官であるクロノや本局の査察官に何度も事情聴取を受けた。

 そして半月が経過した頃、拘留中のウィルの元にクロノが訪れて、結論を告げた。

 

「不、起訴……?」

 

 告げられた言葉が理解できず、ウィルは間抜けにも首をかしげた。

 

「言った通りだ。不起訴処分、だそうだ。明日には釈放されてここを出られる」

 

 普通の犯罪者であれば、喜ぶべきことだ。

 不起訴処分──つまり、罪を犯していない。もしくは犯していたとしても立証できない。だから無罪だと判断されたということなのだから。

 

「いや、いやいやいやいや、待てよ、待て、待ってくれ。……ありえないだろそんなの」

「今回の一件、ヴォルケンリッターは人を殺さないように動いており、重傷を負ったきみもまた彼らに監禁されていた。海鳴での戦闘の後、現状の捜査方法では逃亡したヴォルケンリッターを発見できないと考えたグレアム提督は、捜査本部に無断で独自の情報網でヴォルケンリッターの行方を捜し続けていて、きみはその最中にグレアム提督に救助された──それが上層部による今回の一件のストーリーらしい」

 

 クロノの語る内容が意味するのは、スカリエッティが闇の書事件に関与していたという事実の抹消。

 だが、そのことはウィルにとってはどうでもいい。少なくとも、もう一つの大きな罪に比べれば些事だ。

 

「そんなことはどうでもいい! 俺は、シグナムさんを殺したんだ!!」

 

 ウィルはシグナムを殺した。決定的に、殺害した。

 ヴォルケンリッターは死んでも再召喚が可能だが、切り離した夜天の書に残された魔力は少なく、四人を再召喚することでほとんど消費されてなくなった。

 そしてリインフォースが消滅したことによって書は機能を失い、二度とヴォルケンリッターの再召喚はできなくなった。

 シグナムという存在はもう戻って来ない。

 

 それを殺人と言わず何と言う。

 あらゆる次元世界において傷害や殺人は罪だ。たとえ被害者やその身内が訴えるつもりがなかったとしても、法を司る者たちはその罪を裁かなければならない。人類が互いを傷つけることをタブーとして、安定した社会を形成する上で避けられない必須の条件だ。

 

「ヴォルケンリッターは、既存の法律の枠内ではインテリジェントデバイスと同等の人工知能として扱われる。管理局法を始めとする全管理世界のどの法でも人権は認められていない。それが法務部の下した判断だ」

 

 ヴォルケンリッターは人型をしているだけで、闇の書を構成するモノにすぎない。闇の書に関わるまで、ウィルも同様の認識をしていた。

 だが、はやての家族として暮らしていた彼女たちを知ってしまった以上、そんな歪な認識を認められない。

 

「ふざけるな!! シグナムさんは生きていた! 会話をして、自分のやったことを悔やんで、俺に頭を下げてくれて、それでも納得できなかったから俺はあの人を殺したんだ!!」

「彼らがこれから生活していく上で、周囲の認識も変化していくことだろう。そう遠くない内に、人の定義も変わることだろう。だが、少なくとも今回の一件に関する判断が覆ることはない」

 

 体から力が抜けて、椅子に座り込みうなだれる。

 何を言えば良いのか、わからず。理屈的な反論は浮かんで来ず、しかし管理局が下した決定は決定的に間違っている、歪んでいるとしか思えなかった。

 

「クロノはそれで納得できるのかよ」

「納得はしていない。何度も考え直すように進言した。だが、変わることはなかった。これが管理局の――僕たちが生きるこの世界が下した判断だ」

 

 クロノもまた歯を食いしばり、拳を握りしめて、それでも声を荒げることなく、現状を受け止めていた。

 

「僕たちは知っていたはずだ。この世界は残酷で、こんなはずじゃないことばかりなんだと。今回もまた、そうだった」

「それで、我慢するのか。……やっぱり強いよ、クロノは。俺は納得できない。そんな判断を受け止められない」

「納得できず、我慢できず、法に背いてまた力でなんとかしようとするのか? それこそ、ふざけるな」

 

 クロノは立ち上がってウィルのそばに来ると、肩を掴んでウィルを揺さぶった。

 うなだれるウィルの顔を強制的に上げさせて、目を合わせて言葉を紡ぐ。

 

「たとえ望んだ通りの最善が選ばれなかったとしても、僕たちは自分の意志で次善を考えて選ぶことができる。きみが罰を与えられることを望んでいるのなら、八神はやてやこの社会がそれを裁こうとしなくたって、向き合えばいい。他人が裁きを下さないというのなら、自分で償うしかない。……そのために助けが必要なら、僕はいくらでも力になる」

「俺にそんな価値あるのか? 人殺しだぞ?」

「だけど、友達だ」

 

 はやても、クロノも、罪を犯したウィルに手を差し伸べてくれる。

 失望して、そんな奴だと思わなかったと唾を吐きかけて、友情も親愛もなかったことにして、見捨ててくれれば良いのに。

 でもどうすれば良い。自分はいったいどうやって罪を償えば良い?

 

「命にふさわしい償いなんて、どこにあるんだよ……」

 

 

 

 クロノの言葉通り、ウィルは翌日には解放された。

 レジアスが本局へ訪れると大事になるからと、姉のオーリスがと本局へとやって来て、クロノやリンディたちと何事かを話してからウィルを連れて帰った。

 レジアスもオーリスも、すぐに全てを訊くつもりはないようで。勧められるがままに、しばらく休暇をとることになった。

 

 子供の頃から過ごしてきたゲイズ家の自室で、罪の償い方をひたすらに考える。

 

 大切な少女に、奪った命を無駄にしないように生きてと言われた。

 大切な幼馴染に、生きて罪を償うのだと言われた。

 管理局の局員として、他者を助けながら生き続けることこそが彼らが望むことなのだろうか。

 

 だけど、同時に思う。

 罪を犯したのに、償いだなんて綺麗な言葉で取り繕ってのうのうと生きて良いはずがないと。それは被害者の強く優しい心にもたれかかり甘える、唾棄すべき邪悪ではないのか。

 殺人を犯したもの全てが疾く死ぬべきだという極論を述べるつもりはない。

 だが、ウィルに関しては別だ。ウィルは父を殺したシグナムが生きることに納得できず、耐えられずに、シグナムを殺した。

 そんなウィル自身が、他人に同じような苦しみを与え、その苦しみに耐えるように強いてるかもしれないのに、生き続けて良いはずがない。

 

 それでもなお生きることを選ぶほどの、命を奪う大罪に相応しい贖罪の術をウィルは知らない。

 知らないから、奪われた命に対して命を支払わせる道を選んだ。

 どこかに術があったとして、知ろうともせずに命を支払わせたのに、自分の番になってから選ぶのは許されない行いではないか。

 やはりたとえ望まれずとも、自ら命を支払うべきではないだろうか。

 

 その思いがウィルの手のひらに魔力の塊を構築する。

 自分の身体を巡る魔力を操作し、抵抗力を極限まで下げる。そしてこの魔力を自分の頭に向けて放てば、それで簡単にウィルは死ぬ。

 

 生きて罪を償うべきだという気持ちと、己に死という罰を与えるべきだという相反する想いが高まり、決断できず。

 手のひらに集まる魔力だけが次第に肥大化して、銀腕が熱を持ち始めたその時に、

 

 

「──────────────────────」

 

 

 頭の中に、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 それから、三年の月日が流れた。

 

 

 

 

 

 首都クラナガン。

 人口数億の巨大都市(メガシティ)にして、時空管理局発祥の地たる第一管理世界ミッドチルダの中心都市(メトロポリス)であり、あまたの管理世界の中心となる世界都市(グローバルシティ)たるこの街の中央にそびえ立つのは、各管理世界に駐留する管理局地上部隊を統括する地上本部だ。

 次元世界の調停者にして圧倒的な危機に対するカウンターとして次元の海に君臨する『本局』と、管理世界の守護者としてその地の民の安寧を常に守り続ける地上の『本部』は、ともに平和を乱すものから世界を守る双璧である。

 

 地上の象徴たる部隊が、陸上警備隊だ。

 最も数が多く、それゆえに犯罪予防、事件の捜査、鎮圧、交通の取締、通信の確保など、様々な面で常に安全と秩序を保ち続ける、地上部隊の理想の体現。

 だが、そんな彼らの数の力をもってしても抑えられない大きな事件が発生した時、それを抑えるさらに大きな力が地上にもある。

 

 首都防衛隊――レジアス・ゲイズが代表を務めるこの部隊は、地上部隊最強の戦力を有する機動部隊だ。

 必要に応じてミッドチルダで発生する様々な事件に介入し、鎮圧する。地上に在りながら海に近しい役割を持つこの部隊には、高い実力を持つ者だけが配属され、たゆまぬ訓練によって実力を高めており、海の本局武装隊や、海からミッドチルダに出向してきている本局航空隊にも劣らない精鋭が揃っている。

 

 地上本部に隣接して建設された総合訓練センターでは、今日も普段と変わらずに激しい訓練が行われている、はずだった。

 

 

 空は澄み渡る蒼。雲一つなく温かな日差しが屋外模擬戦場に降り注ぐ中で、首都防衛隊の中隊を構成する隊員たちが地に伏していた。

 

 倒れ伏した彼らの姿を背景に、超越者同士が戦いを繰り広げている。

 

 片割れは、一目で鍛え抜かれた戦士とわかるたくましい体格の偉丈夫。獅子のたてがみを思わせる褐色の髪の下で爛々と輝く、刃のごとく研ぎ澄まされた視線は、並みの戦士であれば目が合うだけで萎縮するほどの圧力を放っている。

 地上本部に名のある魔導師は数あれど、真正古代のベルカ式を使う騎士において最強は誰かと問われれば、半数以上が彼の名──ゼスト・グランガイツを挙げるだろう。

 そして首都防衛隊の中で最も精強な部隊はどこかと問われれば、みなが彼が指揮するゼスト隊の名を挙げる。

 そのゼストが繰り出す槍斧型のアームドデバイスによる連撃は、いずれも一撃必殺の威力を備えている。

 

 その圧倒的な暴風と至近距離で攻撃を交わし合うは黒い青年。

 目元まで覆うフードで顔の上半分を隠し、全身を覆う黒い長衣型のバリアジャケットを身に纏い、唯一右腕の義手だけが鈍い銀の輝きを放つ。

 ゼスト隊の副隊長を務める青年──ウィリアム・カルマンだ。

 

 息もつかない攻防は、素人目にはゼストの圧倒的優勢に見える。

 ウィルの長剣はゼストの槍斧と打ち合うたびに押し負け、ゼストの攻撃がその身に届く直前に、身をよじってかろうじて回避する。しかし避けた先にもゼストの攻撃が迫り、再び長剣で迎え撃ち──と、紙一重で生き残り続けているようにしか見えない。

 

 しかし、一流の戦士がこの攻防を見れば、明らかな違和感に気が付く。

 紙一重の攻防を繰り広げながらも、劣勢のはずのウィルはゼストの槍斧が届く範囲から脱出しようとせず、身体を動かしながらも常にゼストの刃圏に留まり続けている。さらに押し負けているように見える打ち合いも、最初から衝撃を受け流すようにさばいているのだと。

 そしてウィルを良く知る者なら、さらなる違和感に気が付く。

 彼の両手両足を覆う銀の装甲──フェザーとハイロゥはいまだ展開されておらず、彼の握る剣すら愛用の銀剣ではなく、鈍色の汎用型のアームドデバイスでしかないことに。

 

 およそ百を超える攻防が交わされた頃、ウィルの握るアームドデバイスの刀身がゼストの攻撃に耐えきれずに砕けた。

 逸らしきれなかったゼストの突きがウィルの顔面へと迫る。即座、ウィルは両足の力を抜いて膝を折り曲げ、大きくのけぞって回避する。

 逃げ遅れた毛髪とフードの一部が槍斧に貫かれ宙に舞う中、ようやくウィルはその場から飛びのいてゼストから距離をとった。

 

 やぶれたフードの隙間からのぞくウィルの顔は、およそ戦士とは思えない様子をしていた。

 心労か病か赤髪の半分は白くなり、遠くを見ているように焦点の合わない双眸の周囲には色濃い隈が浮かんでいる。

 陰気や暗鬱というよりはもはや病的と形容されるその様相は、彼の上官たるゼストにとっては見慣れたもの。

 纏う雰囲気こそ異質だが、この部下の技量は年々向上し続けている。

 

「自らのデバイスを使わずともこれほどとはな」

 

 ウィルが握る汎用アームドデバイスは、訓練校や陸士隊での訓練用に支給される汎用のアームドデバイス。粗悪ではないが、実戦に用いるには強度、性能ともに不安の残る品だ。

 武装隊や防衛隊ともなれば、自分自身の専用デバイスを持ち、訓練でもそれを用いるもの。

 義手型デバイスたるグレイスを展開せず、フェザーやハイロゥといった圧縮空気の噴出による加速を用いることなく、まともに正面から打ち合えば即砕かれるような訓練用デバイスで、ゼストと何十秒も渡り合う。

 それだけでも、彼の技量が超一流を越えて異常の域にあるとわかるというのに、ウィルは刀身の砕けた訓練用デバイスをその場に落とすと、今度は素手でゼストと対峙する。

 

「ここからは無手でいきます」

「……そうか」

 

 ふざけたことをぬかす部下に対して、しかしゼストは油断せずに対峙する。

 今のウィルの技量は、ゼストをもってしても計り知れない。

 三年前、ゼストの元に配属された時は、まさかここまで腕を上げるとは思っていなかった。

 

 

 ウィルがゼスト隊に配属されたのは、レジアスの意向が大きく関わっていた。

 数百年に渡り次元世界に君臨し続けた災厄──闇の書が滅ぼされた歴史的偉業。最後の闇の書事件と呼称されるその事件にウィルは大きく関わり精神的な傷を負った、と聞かされている。

 初めのうちはレジアスも管理局を辞めるように勧めたらしいが、ウィルの方がそれを断り管理局に、しかも戦う機会の多い首都防衛隊に残ることを望んだ。

 悩んだレジアスは、親友であるゼストの隊にウィルが配属されるように手を回した。

 

 管理局の仕事で関わるのは初めてであったが、ゼストにとってウィルは知らない相手ではなかった。

 親友が引き取った子供であるから、家を訪れた時に何度か顔を合わせているし、ウィルの父親であるヒューもゼストにとっては有望な後輩であった。

 地上に残りこの街と空を守ると誓った自分たちと道は異なっていても、彼もまた世界を守るための戦いに殉じた戦士だ。

 たとえレジアスからの頼みがなくとも、その忘れ形見の面倒を見ようとしていただろう。

 

 そうして初めて顔を合わせた時、ゼストはレジアスの危惧を理解した。

 赤い瞳に宿る色は昏く、身に纏う覇気は薄く、心はここにあらず。礼を失するような言動こそないが、他人との接触を極力避けようとする。

 通常の職務であれば問題となるほどではないが、命の危険のある鉄火場へと飛び込み、仲間と命を預けあって戦うこの仕事には最も向いていない。

 しかし、実力はその歳にしては極めて高いのも事実だった。

 魔導師ランクはAAだが、ゼストの見立てでは単純な実力であればAAA+に届く。いや、強い意思と気迫があればSランクの魔導師にすら匹敵するのではないかというほど。

 

 今は心が傷つき疲れているのだろうと考え、部下であるクイントやメガーヌにもなるべく面倒を見てくれるように頼み、ゼストは彼に戦い方を叩きこんだ。

 十年後、いや五年後にはゼストにも匹敵する魔導師に成長するのではないかと期待をかけて。

 

 

 そして、そんなゼストの思惑はあっさりと外れた。

 

 一年後のクラナガンに違法薬物を流通させるシンジケートの検挙。二年後の違法研究所摘発と反管理局組織によるテロの鎮圧で大きな活躍を繰り広げた彼は、配属から三年が経った今日この日、魔導師ランクの試験を突破してSランクに到達した。

 Sランクは魔導師にとっては事実上のゴールと言える。ランク上はS+やSS、SSSまで存在するが、その領域は単純な実力ではなく、Sランクの魔導師の中から、ゼストのように数多の戦歴や高い任務達成率を持つ者がS+と認定されたり、規格外の魔力や稀少技能を保有して大規模な事件の対処が可能と判断された者がSSやSSSに認定されるなど、単なる戦闘力よりも保有する技能が大きく関わっている。

 ゼストの予想を裏切り、たった三年でウィルは管理局が誇る最高峰の魔導師たちに列した。

 

 首都防衛隊とはいえど、同じ隊にSランクの魔導師を二人も配属させるのは、隊ごとの保有戦力上限に抵触するため、近々行われる人事異動で別の隊に配属されるのは確実。

 昇任祝いと迫る別れを惜しむ中隊の面々を前にして、ウィルはこう言い放った。

 

「最後に、全員と模擬戦をしたいんです」

 

 こんな仕事をするくらいだ。戦いを嫌うものはいない。

 格上とはいえ、若造からの挑戦状を意気揚々と受け、誰から先に戦うか、何日かけてやるかと打ち合わせを始めた隊員たちに続けて放たれた言葉に、中隊全員の表情が凍り付いた。

 

「全員と一度に戦いたいんです。もちろん、ゼストさんも含めて」

 

 中隊三十人、S+のゼストを筆頭にAAのメガーヌとクイントなど実力者を多数抱え、チームワークでも首都防衛隊随一。

 地上戦のみという地の利のある環境なら、管理局最強のエースたちが集う戦技教導隊複数人を相手にして勝利を収めたこともある。

 その彼らを相手に一人で戦いたいなど、正気とは思えない。記念の模擬戦にしても舐めている。

 

 その舐めた提案の結果が、こうして周囲に広がっている。ゼストを除く全員が倒れ伏しているというありえない結果として。

 

 

 無手のウィルは無造作に一歩前へと進み、直後、その気配が膨れ上がりゼストへと迫る。

 瞬間、ゼストは槍斧を突き出した。その動作は長年の訓練で肉体に染みついた反射に等しい攻撃。

 しかし突き出した一撃に手応えはなし。ウィルはいまだにゼストの刃圏の外にいた。

 

 不覚をとったことよりも、己の感覚を狂わせたその技量にゼストは驚愕を隠せなかった。

 魔導師も騎士も強くなるほどに、あらゆる感覚を総動員して戦う。

 視覚には限界がある。攻撃を見てから動くようでは間に合わない。一流と言える領域に到達した騎士や近接魔導師は皆、相手の動作の起こり――予備動作となる肉体のわずかな動き、なによりも魔力の流れを認識しなければならない。

 それを逆手にとったのが先ほどのウィルの虚。肉体は元の位置のまま魔力のみを動かして、相手に動いたと錯覚させる。魔力の動きをとらえたゼストの感覚が、ウィルが動いたという誤った情報を元に反射的に肉体を動かしてしまうほどの精度で。

 

 過ちを悟ったゼストは即座に槍斧を引くが、それに合わせて今度こそ本当にウィルがゼストの懐へと踏み込んでくる。

 リーチの長い槍斧は懐に潜り込まれると弱い――というのは誤りだ。

 ゼストは右手で槍斧を引きながら、左手を柄に添えて右手で握る箇所を支店として円運動へと移行し、先端の真逆、石突の部分で接近するウィルを横合いから殴りつける。

 ゼストの槍斧は刃となるヘッドのみならず、握る柄の部分にすら高密度な魔力が宿っている。刃ほどではなくとも、直撃すれば昏倒させるには十分な威力を宿している。

 

 ウィルはその攻撃を避けず、右の掌で受け止めた。

 掌からウィルの身体へと叩きこまれるゼストの魔力。それはウィルの右掌から右腕へと流れ、右肩から背へと、そして左肩、左腕へと流れ、ウィルの左拳による掌打がゼストの腹部へと叩きこまれるのと同時に左掌へと到達し、そっくりそのままゼストへと流し込まれた。

 カウンターを受けたゼストの身体が宙に浮き、肉体の動作が一瞬停止するも、ウィルは追撃をせずに再び距離をとる。

 何かを警戒したわけでもなく、ただ単にゼストの実力の底を見極めるまでは倒すつもりはないという意思表示だ。

 

「驚いたな。そのような技、いつの間会得した」

 

 ベルカ式の騎士としての単純な好奇心で、問いかける。

 先ほどの虚ですら、理屈は単純だが歴戦たるゼストを欺くとなれば極めて高い精度が必要になる。

 カウンターに至っては、もはや曲芸だ。

 自らの人体に魔力を流す通り道を即席で作りだし、己の体内と干渉せぬように極めて繊細に人体を流し、反対側から放出する。人体に落ちた雷撃を地面から逃がすような奇跡を人為的に行い、あまつさえタイミングを合わせて攻撃することで自らの魔力を使わずに相手へと叩きこむ。

 これほどの技を教えられるような存在は、現代ではそう多くない。

 

「声が教えてくれるんです。だから、たくさん練習しました」

 

 ウィルの返答は、実体をともなわないあやふやなもの。

 それは天性の才覚ゆえに流派の秘奥にも等しい技ですら独自に編み出したことの比喩だろうか。それとも教わった相手のことを教えたくなくて、ごまかしたのか。

 ともあれ、本人が教えるつもりがないのなら、誰からと掘り下げて聞くものではないだろう。

 肝心な事は、それほどの技量を身につけるほどに部下が成長したということ。そして真に問うべきは、その目的だ。

 

「始める前に詳しく聞いておくべきだったな。なぜ、この試合を? ただの腕試しか?」

「ええ……本当に、ただの腕試しです。必要な強さが俺に備わっているのか、確認するための」

「そうか……何故とは聞かん。ただ、騎士として全霊で応えよう」

 

 男に強さを求める理由を問うのは不粋。

 ゆえにゼストは、己のデバイスを両手で握り、構えた。

 

「ゼスト・グランガイツ、推して参る」

 

 全霊を込めた一撃。雷速にも例えられるゼストの『一』が放たれ――――

 

 

 

 ウィルは確かめるように自らの両手を握りしめた。

 その周囲には倒れ伏した隊員たちの姿。立っているのは、ウィル一人だけ。

 

 この日、ウィリアム・カルマンは地上本部最強の魔導師となった。

 

 

 

 

 地上本部の近くに建設されたマンションの一室。

 照明を落としたリビングで、ウィルはソファに深く腰かけて漫然と窓の外の夜景を眺めていた。

 

 子供の頃、執務室から眺めるクラナガンの景色が好きだと、酔ったレジアスに語られたことがある。自分たちが守らねばならないものを再認識させてくれるからと。

 今はその気持ちがわかる。ウィルもこの部屋から見える夜景が好きだ。人がいなければ街に光は灯らない。街並みを彩る様々な色の光は、そこに人が生きていることを認識させてくれる。自分が何のために命を捧げるのかを再認識させてくれる。

 

 ここでの生活の見納めにと夜景を眺めていると、インターホンが鳴り響き、来客の訪れを告げる。

 

「……予定より早いな」

 

 ウィルは現在時刻を確認すると、かすかに眉をしかめながらも家屋の管理AIに扉を開けるように指示する。

 すぐに扉の開閉音が聞こえ、リビングへと近づく足音。そしてリビングの扉が開いて部屋の灯が点き、

 

「灯りもつけないで、一体何をしているのですか」

 

 予想していなかった声に驚いて夜景から視線を外せば、開いた扉の前に立っていたのは、インテリを絵に描いたような妙齢の女。義姉のオーリス・ゲイズだった。

 

「……姉さん? なんで?」

「誰かも確認しないで開けたのですか? 不用心ですね」

 

 オーリスは淡々とした口調でウィルの不注意を咎めながら、部屋の様子を見て顔をしかめた。

 

「昔からあまり物を増やしたがらないのは知っていましたが、これはさすがに行きすぎですね。家具もほとんどないなんて」

 

 リビングに置かれているのは、入居した時から備え付けられていたソファとテーブルだけ。それ以外の物は先週のうちに処分した。

 

「誰もいない家で夕飯を食べるのにも飽きました。少し多めに買ってきたので、一緒に食べませんか?」

 

 オーリスは訊く前から来訪の理由を述べると、手に持っていた紙袋をテーブルへと置き、中から中食を取り出しながらウィルの隣に腰かけた。

 

 

 家に帰る前に夕食はすませていたが、当のオーリスは食が細いこともあり、結局持ってきた食事の半分ほど近くはウィルの胃袋へと収まった。

 

 家族の食事はたいして会話もないまま終わる。昔からそうだ。姉は食事中にむやみに喋るのを嫌う。

 そんな彼女が一人の食事が嫌だからやって来た、なんてのは考えるまでもなく嘘で。やって来た理由も考えるまでもなく、ウィルのことを気にかけてだろう。

 

 夕食を終えて、ゴミを再び紙袋の中へとまとめると、オーリスはウィルのそばへと座りなおし、その顔に手を伸ばし、細くしなやかな指でウィルの目元をそっとなでた。

 

「また隈が酷くなっていますね。ちゃんと寝ているのですか?」

「……仕事に支障をきたさない程度には寝ているよ」

「体が資本の仕事なのですから、大事にしないといけませんよ。もっとも、ゼストさんを倒してしまうような魔導師に言うのは、覇王に拳の振るい方を教えるようなものでしょうけど」

 

 数時間前の模擬戦に言及されて、気まずさで視線を逸らす。

 

「耳が早いね。観客もいない隊内の模擬戦のはずなんだけど」

「ゼストさんからお父さんに連絡がきましたから。耳を疑いましたよ。そんなことをしようとしたことも、それで勝ってしまったことも……本当に、あなたは昔から思いもよらない速度で成長しますね。それなのに、見ていると全然安心できない……むしろ心配は増すばかりで」

 

 オーリスは再びウィルの顔へと手を伸ばし、今度はウィルの髪に触れ、半ば白髪が混じっている髪の束へとそっと指を通す。

 

「髪もこんなになって……一度病院に行った方が良いですよ」

「……ただのファッションだよ」

「それが万に一つ本当だとしたら、少し残念ですね。子供の頃は羨ましかったのですよ。あなたの赤い髪は綺麗で、夕陽に照らされると炎みたいにきらきらと輝いていて」

 

 親戚なのに、どうして自分はくすんだ茶色なのだろうと少し嫉妬していたのですよ――と、オーリスは昔を懐かしむように少し笑みを浮かべた。

 普段は鉄面皮で知られるオーリスだが、家族の前では時折こうして表情を見せてくれる。

 言わずに置こうと思った言葉が口からこぼれ出る。

 

「管理局、辞めようと思うんだ」

「……そうですか」

 

 オーリスは切れ長の目を大きく見開きはしたが、すぐに元の表情に戻ると、変わらずにウィルの髪をなでる。

 

「理由、聞かないの?」

「教えてくれるつもりがあるなら聞きますが。自分から言わないということは、教えたくないのでしょう?」

「うん、ごめん。聞かれてもちょっと話せない」

 

 教えれば反対されるのはわかっているから。知られて邪魔される可能性を生みたくないから。

 そして知って看過したとなれば、その人がいらないことで気に病むかもしれないから。

 オーリスは小さくため息をつく。

 

「局員としては、反対です。ゼストさんを圧倒できる相手なんて、戦技教導隊にだって片手で数えられるほどしかいないでしょう。そんな存在がいるというだけで、犯罪者への抑止力になります」

 

 陸士隊ならまだしも、武装隊や首都防衛隊といった戦闘を本分とする部隊を打ち倒せる犯罪者など、滅多に存在しない。

 だが、自分はその滅多に存在しない強者だと勘違いした愚か者が犯罪を起こすことは往々にしてある。

 そんな愚か者でも、さすがに個としての圧倒的な格差は理解できるらしく、慢心すら打ち砕く圧倒的な強者の存在は犯罪予防にとって有益だ。

 

「ただ、私個人としては賛成です。この三年間、管理局で働くあなたは本当に辛そうでしたから。あなたも、お父さんも、ゼストさんも……みんな、自分を顧みなさすぎです。私としては、もう少し自分の幸せを考えても良いと思います」

「姉さんも、だよ。俺たちにかまわず、そろそろ恋人見つけなよ。きっと親父も心配してるよ?」

 

 オーリスは無言で目を細め、再びウィルの頬に手をやると、今度は頬の肉を指先でつまんで思い切りひねりあげた。

 久しぶりに受けた肉体的な痛みは心地よかった。

 

 

 しばらく会話を続けると、オーリスは手早く帰り支度を終えて、立ち上がる。

 

「お父さんには自分から言いなさい。小言は言われるでしょうけど、きっと反対はしないと思いますよ」

「そう……だね」

 

 公人としてのレジアスにとって、ウィルというSランク魔導師が抜けるのは大きな痛手だろう。

 犯罪と対峙する仲間たちのため、地上部隊の戦力不足を解消する。そのために最高評議会という存在に魂を売り渡すほどに、彼は戦力を欲している。

 一方で、最後の闇の書事件の後で、ウィルに管理局を辞めるようにうながしたのもまたレジアスの一面だ。己を犯罪者に堕としてまでも叶えたい願いを、ウィルという義理の息子のために曲げようとする。

 人から見れば管理局でありながら犯罪に加担する悪党で、レジアスが看過したスカリエッティのせいで犠牲になった者にとっては、許しがたい仇だろう。それでも、レジアスはウィルにとって、優しい…………父親だ。

 そしてオーリスもまた、こんなウィルを気にかけ続けてくれる優しい姉だ。

 

 玄関扉を開けようとするオーリスの背に、声をかける。

 

「俺は姉さんの髪も好きだよ。そういえば、俺が好きになる女の子はみんなそんな髪の色だ」

 

 微笑みを浮かべようとしたが、三年間で凍り付いた表情筋は思った通りに動かず、唇が歪に引きつっただけ。

 どうやって笑っていたのか、もう思い出せない。

 

「なんですか、急に」

 

 けれど、そんなウィルの言葉と顔、どちらがおかしかったのかはわからないが、オーリスはほんの少し嬉しそうに口元をほころばせてくれた。

 

「それでは、ウィル。おやすみなさい」

「おやすみ、姉さん」

 

 去っていくオーリスの背中を名残惜しげにしばらく見続け、ゆっくりと扉を閉めて、扉に頭をもたれかからせてつぶやく。

 

「……さよなら、姉さん」

 

 

 どれだけそうしていたのか、もたれかかっていた扉が急に開いた。

 閉まった時に自動でロックがかかるはずの扉を家主であるウィルの許可もなく開け放ち、扉の前に立つのは、紫髪の少年だった。

 年齢は、六、七歳くらい。白いシャツと短いズボンを履いた良家の子息のような子供。子供ながらも整った顔立ちの中で、金色の瞳が年齢に不釣り合いな酷く強い輝きを放つ。

 闇の書事件で死亡した先の彼に代わり、記憶と人格を受け継いで新たに産まれおちた、今代のジェイル・スカリエッティ。

 

「お別れはすんだようだね」

「お待たせしてすみません。突然、姉さんが来たので」

「家族の最後の団欒を邪魔するほど不粋ではないよ。準備はできているんだろう?」

「ええ。思い残すことは……いっぱいありますけど、後のものは全部ここに置いていきます」

 

 スカリエッティは満足そうにうなずくと、背を向けてマンションの廊下を歩み始める。

 三年間すごした部屋に別れを告げ、スカリエッティの背を追って廊下に出れば、扉の影にもう一人。戦闘機人として完成しているからか、三年経っても容姿に大きな変化のない幼馴染の姿。

 

「クアットロも、久しぶり」

「ええ。本当に久しぶりね」

 

 肉体は子供のスカリエッティの歩幅は小さく、その後ろを歩むウィルとクアットロの歩む速度も自然とゆったりとしたものになる。

 視線だけを動かして隣を歩むクアットロを見れば、クアットロはこちらに顔を向けて、ウィルの顔をじっと見ていた。

 視線が合ったのは一瞬、クアットロはウィルから視線をそらして再び前を向き、忌々しげにつぶやく。

 

「ずいぶんと嫌な目をするようになったのね」

「……知ってるよ」

 

 

 数日後、首都防衛隊隊員ウィリアム・カルマンの突然の失踪がクラナガンの各種ニュースで報道された。

 当初は事件性が疑われたものの、失踪当日に上官であるゼストのもとへと辞表が送信されており、捜査の結果数日前から住居の家具などを処分していたことが判明した。

 そのため、依然捜索は続いているものの本人の意志による失踪であると見なされ、次第にその他の大きなニュースにかき消され、一月もする頃には関係者以外の記憶からはすっかり消え去っていた。

 




 本編ルートのウィルはゼストさんの見立て通りに五年後くらいにSランクに上がり、しかし最後までゼストさん相手にはあまり勝てないくらいの強さになります。
 このルートで異様に強くなってるのは、明確な目的意識と技量を鍛えるに十分な大勢の脳内師匠がいたからです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。