二年後、無人世界上空。
五年前の闇の書事件で、闇の書を構成する防衛プログラム――ナハトヴァールは破壊され、それが有していた隔離領域もまたナハトヴァールとともにこの世界から消滅した。
管制人格の消失とともに夜天の書は機能を失い、ナハトヴァールも蘇ることはなく、繰り返されてきた闇の書事件は終焉を迎えた。
――本当にそうなのだろうか?
積もり重なったバグにより管理者権限の取得を妨害し、周囲の全てを敵とみなして暴れ狂う防衛プログラムは、たしかに滅んだ。
だが、疑問も残されている。
防衛プログラムは管制人格が生存し、夜天の書が機能している限り蘇るようにプログラムされていた。転生という復活方法があるのに、別の復活方法もまた用意されているのは何故か。
それについては、一つの推測がたてられる。すなわち、転生システムは夜天の書や防衛プログラムとはまた別種の、後付けされた要因によるものであると。
では、そもそも転生システムとは何だったのか。闇の書が滅んでも再び時を経れば蘇っていたのは何故なのか。
もし転生システムが後付けであるという推測が事実であれば。
闇の書には無から有を創り出す、無限の連環を創り出していた要因があったのだとすれば。
そしてそれが夜天の書や防衛プログラムと独立した存在であるのならば。
その元凶は、両者が滅んで亡くなった後ですら、いずれは再び現世に姿を現すに違いない。
「ふ、ふふふ……」
何もないはずの曇天の下、どこからともなく笑い声が木霊する。
「ははは……」
幼い子供のような甲高い笑い声は次第に大きくなり、やがてけたたましい高笑いへと変わる。
「はーーーーっはっはっはっはっはっは!!!!」
そして人型のフレームが宙空に出現し、集う闇がテクスチャとなって姿を与える。
十才ほどの少女の姿。灰色の髪に透き通る水のような青。紫黒のインナーに闇色のジャケット。背には黒い六翼。
その姿は闇の書の最後の主、八神はやてと酷似していた。
「ついに復ッ活ッ!
しかし放たれる声は大きく、言葉と態度は傲慢と尊大に溢れ、はやてとはまるで異なる存在であると明確に主張していた。
そのはやてに酷似した少女のそばに寄る新たな人影が二つ。
「王様!」
片やフェイト・テスタロッサに酷似した、しかし彼女がしないような快活な表情を浮かべた真っ青な髪の少女。
「
片や高町なのはに酷似した、しかし彼女の特徴的なツインテールがなくなったショートカットの物静かな少女。
三人とも、闇のように黒い衣服を身に纏っている。
寄ってくる二人の少女を見るや、ディアーチェと呼ばれた少女は全てを見下ろす傲岸たる表情を崩し、喜色を浮かべる。
「おお!
「わかんない! 目が覚めたらこうなってた!」
真っ先に答えたのは、レヴィと呼ばれたフェイトに似た少女。何も考えずに発言していると一目でわかる。
「おそらく、現世に顕現する際に、蒐集にて集められた魔導師の中から特に優れた者たちの情報を、駆体構成式の基幹として利用したのかと」
一方、シュテルと呼ばれたなのはに似た少女は、冷静に己の状態や状況から推測し、ディアーチェへと答えを返す。
「まぁ理由など良い! 先に蘇って出迎えるとは、褒めてつかわすぞ」
ディアーチェはそばに寄ってきたレヴィの頭をぐりぐりとなで、レヴィも笑いながらきゃっきゃとそれを受ける。
その光景に、本物のはやてたちのことを思い出して少し胸を痛めながらも、いつまでも黙っていては話が進まないので、ウィルは声をあげた。
「なのはちゃんとフェイトそっくりな顔が出てきた時点で薄々覚悟していたけど、本当にはやてそっくりな子が出てくるなんてなぁ」
「ん? シュテルよ、なんだこの白髪の男は?」
発言したウィルに不快気な視線を向けるディアーチェ。
一方のウィルは、ずっとシュテルのそばにいたのに、発言するまで認識されていなかった事実にため息をこぼす。
「私たちの復活を予期していたようです。システムU-Dに関しても情報を持っているようでしたので同行を許可しました」
シュテルの紹介を受け、ウィルは軽く会釈しながら自己紹介。
「よろしくね。俺の目的もきみたちと同じ。単刀直入に言えば、システムU-D……闇の書を転生させ続けていた要因、無限連環機構を復活させたいんだ」
それに対するディアーチェの返答は簡潔。
「そうか。疾く去ね」
「酷いな。少しくらい話を聞いてくれても良いじゃないか」
「下郎と話す口は持たぬ。それに――その目が気に食わぬ」
肩をすくめるウィルを忌々しげに睨みつけて吐き捨てる。
「汚泥で濁り澱みきった目だ。暗黒は我が愛しき棲家なれど、貴様の眼に宿るのはもっと悍ましき混沌よ。媚びを売る佞臣であれば話くらいは聞いてやらんでもないが、貴様のごとき奸臣につけいらせる隙は与えん」
「はやての声と顔でそういうこと言われると、結構傷つくな……。まぁいいよ。それなら協力は諦めるから」
敵対の意志はないとばかりに両手を上げると、ウィルはディアーチェたちから距離を取る。
あまりに聞き分けの良い態度にディアーチェは眉をしかめ、シュテルは首をかしげながら問いかける。
「良いのですか? 私たちが必要だから声をかけたのでは?」
「どちらかといえば感傷かな。きみたちが知り合いによく似ていたから、つい声をかけてしまっただけで、本当はきみたち紫天の構築体が三基ともここで復活したってことさえ確認できれば、それで良かったんだ。構築体がここに集まっているなら、システムU-Dもまたこの空域に存在する。場所がわかれば、たたき起こすこともできる。だから――クアットロ、頼むよ」
ウィルの合図にあわせて、空中にスカリエッティ製の複雑怪奇で芸術にも等しい魔法陣が描かれる。
何のための魔法陣なのかを理解したディアーチェの顔が怒りで赤く染まる。
「魔導書の起動式……まさか貴様っ!」
「えっ? なになに? 何が起きてるの?」
「馬鹿者! 奴は我らに先んじてシステムU-Dを蘇らせるつもりだ!」
「……なんだとー! 横取りするのはダメなんだぞ!」
声をあげて抗議するディアーチェとレヴィとは異なり、シュテルは予想外の行動にも瞬時に対応を開始していた。
その行動力の高さはシュテルという存在が元より有していたものなのか、それともシュテルという駆体を構成するベースとなった少女の影響か。
空域に展開するプログラムの実行者を捜索、周囲に障害物が何もないにも関わらず、実行者が見つからないと判断すると対応を変更。
プログラムの流れから発生源を推測し、そこに向かって射撃魔法を拡散して放つ。
その推測は的中し、射撃魔法の一部がシルバーカーテンに隠れたクアットロへと向かい、しかし射線の途中にウィルが割って入り、向かってくる射撃魔法を手のひらで受け止めてシュテルへと投げ返す。
己の放った魔法をシールドで受け止めながら、シュテルはウィルの対応に感嘆の吐息をこぼす。
「弾殻を崩さぬように受け止めて返す。素晴らしい技量です」
「感心している場合か! ええい! まさか下郎相手に我自らが手をくださねばならんとは――」
ディアーチェが杖をかかげて範囲魔法を構築し始めた瞬間、ウィルと彼女たちの間の空間に幾筋もの炎の柱が生じた。
あらゆる方向から炎に照らしだされているその空間の中心に、存在するはずのない影が生じる。
『ユニット起動――無限連環機構動作開始。システムアンブレイカブルダーク正常作動』
燃え盛る紅の炎を伴って、それは姿を現した。
天に座す月のように金色に輝く髪と目、月が放つ光のように透明な青白い衣、凶日の月のように妖しくゆらめく紅い炎。月のあらゆる側面を収束させたかのような少女が、そこにいた。
「人型……? 我の記憶には、そんな情報は……」
無から有を生み出す、闇の書を闇たらしめていたシステム。
呼び出されたはずのそれは、少女の形をしていた。
呆然とするディアーチェたちに先駆けて、まっさきにウィルが声をかける。
「はじめまして、っていうのも少し変か。こんばんわ」
「ええい! 何を勝手に挨拶をしておる! これは我のだ!」ディアーチェは少女に向き直り、大声をあげる。 「貴様がU-Dであるなら、我のことも知っておるな! 呼びかけに応えよ!」
現れた少女は呆然と虚空を見つめていたが、騒ぐディアーチェの様子に意識を引き戻されたのか、その瞳が焦点を結ぶ。
「構築体の駆体起動を確認――ディアーチェ……レヴィ……シュテル。また会えるなんて、思っていませんでした」
「おお! やはりU-Dに相違ないのだな! 我ら三基とも貴様を捜しておったのよ。貴様がいれば、もはや我らに欠けたるものはない! この世を――」
「なぜ、目覚めさせてしまったのですか」
「――なんと?」
少女の背から放出されるゆらめく炎の翼――魄翼が実体のある巨大な刃と化す。
音速の数倍の速度で振るわれた刃は、少女を中心とした半径百メートルの空間を瞬き一つの間に薙ぎ払う。
防ぐこと能わぬ無上の刃は、少女との再会を喜ぶ三基の構築体を無情にも両断していた。
「な……ぜ……?」
はやてに似た顔を持つ少女ディアーチェ。彼女の肉体が消失する直前に浮かべた表情は、王のごとき傲慢ではなく、仲間に裏切られた怒りですらなく、自分たちを殺しながらも悲しみに涙を流す少女を案じる優しさで。
その表情は家族を案じるはやてに、少し似ていた。
「ごめんなさい……これが運命。悲しい運命……動かざる運命……私が目覚めた後には破壊しか残らない」
「そんなことはないよ」
空に残されたのは仲間を己の手で消滅させた少女と、ウィルの二人だけ。
声をかけられて初めて、少女がウィルを認識する。
「あなたは――?」
少女の顔に浮かぶのは、刃が振るわれた範囲内に自分以外に生存している者がいるという、ありえない事象への疑問。
そして少女の肉体は少女の意思をまったく意に介さず、生存者を殺害することでありえない事象を正しい事象へと戻すために動き出す。
再び振るわれる刃を、背面跳びのような姿勢で先ほど同様に回避する。
驚愕に目を見開く少女。さらに数を増やしウィルの肉体を両断せんと迫る刃の翼を、ウィルは両手に出現させた白い刃で受け止める。
「大丈夫だよ。きみはもう何も破壊しなくて良い。何も、破壊させない。俺がこの場できみを砕くから」
刃を受け止めるウィルの姿は、今や完全なる白へと変貌していた。
髪も肌も、放たれる魔力光すら白い。透き通るような純白は、あらゆる光のスペクトルが――大勢の人間の、様々な色の魔力光が干渉し合って生まれた結果の、想いの結晶。
今のウィルの身体が内包する魔力は、暴走する闇の書の管制人格をも上回る。
諦観と悲嘆、そして驚愕に染まっていた少女の瞳から、一瞬、感情の色が消える。
硝子細工のように無機質な、意思の介在しない機構の瞳で。口からこぼれる言葉も淡々としていて抑揚がない。
「危険因子の魔力量、閾値を突破。危機段階最大と認定。決戦システム起動。リミッタを解除します――――嫌ぁっ!」
再び意思の光を取り戻し、己の振るう破壊の力を厭う少女の瞳。しかしその矮躯から、これまでは抑えられていた膨大な魔力が放出され、それだけで周囲の空間が歪み、周囲数十キロメートルに設置された観測機器が機能を失った。
少女が内包する無限大の魔力とウィルが内包する
砕けては修復され、破られては継ぎ接がれ、世界という帳が破られるたびにその向こう側にある次元空間の色が世界を浸食する。
狂った色彩に飲み込まれた空で、世界を破壊し得る存在の戦いが始まった。
少女の背から伸びる魄翼の周囲、
直後、ウィルの頭上から降り注ぐ光線がその全てを迎撃。薄明光線にも似た数多の光の軌跡はまるで光のパイプオルガン。
光線と陽炎が衝突して相殺し合う中で、魄翼を変化させた少女の刃と、魔力の光を固めたウィルの光の柱。ともに百メートルを超える巨大な大剣同士が激突して砕け散る。
刃の形を失った魄翼は再び炎へと戻ったかと思えば、性質は炎のままに形を歯車の群れへと変える。
熱を持たず、しかし触れれば原子すら焼き尽くして消滅させる炎の歯車が、進行方向に存在する気体を焼滅させながら迫る。
防御不可能なその攻撃はウィルに触れる直前、その前方に開かれた空間の裂け目に吸い込まれて消失した。次元歪曲魔法――大魔導師と呼ばれた女ですら、魔力とデバイスの補助を必要とする大魔法。
「あなたは何者ですか?」
脆弱な人間のように見える目の前の存在は、己が有する圧倒的な破壊の力をもってしても容易に砕ける弱者ではない。
そう認識をあらためた少女からの問いかけに、ウィルはあの日、自分の頭に響いた声を――あの日からずっとウィルに目的を、戦い方を、遺志を、伝え続けてきた彼らを思い出しながら答える。
「声がきみの存在を教えてくれたんだ。闇の書の中にあるもう一つの闇。あらゆるシステムから切り離されて、異なるシステムで上書きされて、誰も到達できないように深く沈められた、転生システムの真の姿……無限の連環を構成する砕け得ぬ闇の存在を」
「構築体でも知り得ないことを、どうして……?」
「俺にきみの存在を教えてくれた彼らもまた、闇の書にとっての異物だった。本来なら無限の連環についてこれずに消滅するはずだった、闇の書が取り込んだデータの残骸。だからこそ、あらゆるシステムから切り離されたきみの存在に気が付き、そして、そのおこぼれに預かって、存在を繋ぎ止めることができた」
二人は言葉を交わし合いながらも魔法をも交わし合い、その余波で無人世界に存在していた物質が次々と消滅していく。
避けられた炎の砲撃は遠方にそびえる山を消し飛ばし、振り下ろした純白の光剣の余波で海が割れる。
そして遠距離での攻撃では決着がつかないと判断した両者は、次第にその距離を詰めていく。
少女の――砕け得ぬ闇の両手に生まれた炎の双剣による連撃。触れれば防ぐことすらできず焼滅する死の刃を紙一重で回避しながら、ウィルは両手の白い魔力刃で砕け得ぬ闇の身体を切りつけていく。
勝敗を分かつのは技量の差。
全てを破壊する圧倒的な力を持った砕け得ぬ闇というシステムよりなお、この世界に生きる数多の人々と、己の内にある数多の声に鍛えられたウィルの方が技量は勝っていた。
けれど、徐々に劣勢になりながらも、砕け得ぬ闇は己が敗北するとは欠片も思っておらず、その顔にはただ目の前にいる存在を壊してしまうことへの嘆きだけが刻まれている。
「そう……ですか。あなたは、ずっと漂っていたあの人たちの器になったのですね。……ごめんなさい。私はあなたたちに二度目の死を与えてしまう」
近接戦での斬り合いの最中、少女砕け得ぬ闇が双剣を大きく振るって両者に距離が生みだされた直後、彼女の平たい胸に突如として漆黒の孔が開き、その身の数倍にも及ぶ巨大な炎の槍が出現した。
炎槍もまた炎の歯車や双剣と同様に、全てを焼滅させる魄翼の性質を持った一撃と判断したウィルは、次元歪曲魔法による防御を選択する。
炎槍は先ほどの炎の歯車と同様に、歪曲によって同期させられた次元空間へと飲み込まれてその姿を消す――との想定は裏切られる。
直進する炎槍は螺旋状に回転する
その回転に合わせて周囲の空間に存在する元素、魔力素、あらゆる物質が吸い込まれ、あまねく全てが焼滅させられる。
次元歪曲魔法によって歪曲された空間を支えるため、質量の代替となっていた魔力もまた、炎槍へと引き込まれて焼滅させられる。魔力がなくなれば、空間の歪曲は保たれずに消失する。
守りを失ったウィルの身体を飲み込むように炎槍は直進。
一秒後、炎槍が通過した後の空間には、あらゆる元素も、魔力も、当然ウィルの肉体の欠片すら、何一つ残されていなかった。
何もなくなった空間を埋めるように、周囲の大気がなだれ込み、生じた暴風が砕け得ぬ闇の金色の長髪を捲き上げる。
変わらない姿のままその場に残ったのは砕け得ぬ闇のみ。
彼女は定められた悲しい運命が変わらなかったことに悲しみ、自らの手で消滅させてしまった彼に――彼らへの哀悼を込めて、瞳を閉じて黙祷する。
「さよならです」
別れの言葉を全て口にする前に、砕け得ぬ闇の身体が痙攣する。矮躯には不釣り合いな銀色の右腕が、彼女の小さな胸を後ろから突き破っていた。
歯車仕掛けの機械のようにぎこちなく首を回して後ろを見た砕け得ぬ闇の目に、死んだはずの男の姿が映る。
左腕も右足も左足も失い、それでもなお残った銀の右腕で砕け得ぬ闇の胸を貫いた男の姿。
炎槍に飲み込まれる寸前、ウィルは次元歪曲によって自らの周囲の空間を砕け得ぬ闇の後方の空間と同期させ、転移することで炎槍の直撃を回避した。
しかしウィルの肉体全てが転移を終える前に、迫る炎槍が歪曲のための魔力を奪い、空間の同期を強制的に解除させた。いくら膨大な魔力があるとはいえ、守護騎士や構築体のような情報体ではない生身の人間が、不完全な転移に巻き込まれた結果、肉体は無理矢理同期させられた空間が元に戻る際に引き裂かれた。
奇跡的に残ったのは頭と胴と、機械の右腕。
けれど、それだけ残っていれば全霊を込めた一撃を放つことはできる。
「砕けろ」
右腕に集った魔力が曙光を生み出し、砕け得ぬ闇の駆体を内側から砕いた。
肉体の大半を失った砕け得ぬ闇の肉体を、ウィルは唯一残った右腕で抱きとめた。
消滅を待つばかりの彼女は、ほんの少しの安堵と、しかし変わらぬ悲しみを浮かべている。
「まさか、本当にこの身を砕くことが可能だとは想定していませんでした。これで私は、これ以上の破壊を行わずにすみます。……ですが、それも一時のこと。呪われたこの身はいずれまた、この世に現れます。沈むことなき黒い太陽……影落とす月……ゆえに、決して砕かれぬ闇。それが私、システムU-Dの宿業……」
「わかってるよ。だから俺はここに来たんだ。きみを復活させようと動き出す構築体三基と、きみ自身。その全てをこの身に取り込むために」
言葉の意味するところを理解した砕け得ぬ闇の瞳が震える。
表情は相変わらずの悲しみ。しかし今のそれは破壊を定められた己に対してではなく、目の前の男に対して。
「人の身で、防衛プログラムの代わりをするつもりなのですね。きっと、長くはもちませんよ」
「大丈夫だよ。この命に代えて、二度ときみたちが戻ってこれないようにする。約束するよ…………だから、
ウィルの右腕から放たれた光が顎を形作り、消えゆく砕け得ぬ闇に食らいついた。
砕け得ぬ闇がその身を砕かれ、咀嚼され、飲み込まれる瞬間に覚えたのは、視界に映る男への憐れみだった。
「なんて、かわいそうな人」
力を失い、落下しかけたウィルの肉体は、疾風よりも速くその場に駆けつけた女によって受け止められた。
「助かりました、トーレ姉さん」
「目論見はうまくいったのか?」
「半分は。残り半分は……他のみんなは来ていますか?」
「約束通り、離れた場所に待機していた。じきに駆けつける」
言葉通り、数十秒もすると浮遊するドローンに乗った残りのナンバーズがその場に現れる。
チンク、セイン、ディエチ。そして昨年新たに完成したノーヴェの四人。
「あれ……クアットロは?」
「あいつなら先ほど、役目は終わったからと帰ったぞ」
答えたのはナンバーズの五番目、チンク。
白髪で十歳程度にしか見えない容姿の、しかし生み出された時期はクアットロとほとんど変わらない。
幼い頃のウィルがスカリエッティのラボに滞在していた時期によく顔を合わせていた、クアットロ同様の幼馴染のような存在だ。
大幅に欠損したウィルの状態に、集ったナンバーズも衝撃を受けている面子が多いが、その中でもひときわ狼狽しているのがセインだった。
そのセインに向かって、トーレはウィルの肉体を投げ、ウィルの肉体は放物線を描いてセインの手元に到着。
「うわっ! うわわっ! 何考えてんのトーレ姉! 血は出てないけど、これ、切断面どうなって……」
間近で見るウィルの姿に顔を青くさせるセイン。
今のウィルの肉体は、切断された手足の断面を魔法で強制的に封をした状態だ。封をするまでに失われた血は戻らず、痛みは変わらない。
「できれば早めに先生のところに運んでほしいけど、その前にお願いがあるんだ。砕け得ぬ闇の手で構築体は消滅させられたけど、あれは単に駆体の維持を放棄しただけ。再び姿を現すために、このあたりの空間に散逸して力を蓄えているはずだ。本当なら、システムU-Dも構築体も俺が回収するつもりだったけど、このありさまだ。みんなには、俺の代わりに構築体を回収してほしい。お願いできるかな?」
真っ先に賛意を示したのはトーレ。
「奴らは強いのだろう? なら私はかまわない。セインはウィルを連れてラボに戻っていろ」
「りょ、了解!」
他のナンバーズも次々に声をあげる。
「あたしはもともと戦うことになるからって連れて来られたんだ。このまま戦いもせずに戻れって言われる方が嫌だね」
「……お仕事なら、やるよ」
ノーヴェとディエチもまた賛同。最後に残ったチンクは肩をすくめる。
「妹が残るのに私が帰るわけにもいかないだろう。それに、弟の願いを聞いてやるのも、姉のつとめだからな」
「誰が弟だ。背伸ばしてから言え」
「……怪我していなかったら蹴り飛ばしているぞ」
軽口を叩きながらも、ウィルは心の中でたいした見返りもないのに協力してくれる彼女たちに感謝する。
この礼はこの世界を守ることで返すと誓って、ウィルとセインはスカリエッティのラボへと帰還した。
翡翠色の溶液で満たされたポッドの中でたゆたいながら、ウィルはポッドの前に立つ少年に声をかける
「解析結果はどうですか?」
十歳頃の年齢に成長したスカリエッティ少年は、楽しそうにデータを眺めながら答える。
「ある程度自覚はあるとは思うが、今もきみの肉体には負荷がかかっている。原因は説明するまでもないね?」
「システムU-Dを内包したことで、俺の肉体の許容量を遥かに上回るほどの魔力が、俺の内側で絶え間なく生成され続けているから……ですね。それでも俺が生き続けているのは、システムU-D由来とはまた別種の……俺の中にいる彼らの魔力がU-Dの魔力を相殺して抑え込んでいるから」
「そのおかげで今のところは肉体を徐々に蝕む程度の状態で安定しているわけだ。制御ユニットを増やせば、もう少し安定するだろう。都合よく残りの手足も失ったんだ。残りも義手義足にして、そこに防衛プログラムを模した機構を入れてみるとしよう」
「わかりました。それでお願いします」
こうしている今も、ウィルの内側に存在するシステムU-Dは胎動を続けている。
取り込んだ魔力が肉体を傷つけるのを、ウィルの内側にいる彼らが防ぎ、害を及ぼさないように周囲に発散させ続ける。
それが続く限りは、システムU-Dが外に出ることはない。そして、そんな綱渡りはいずれ破綻する。
「だが、システムU-Dは次第に防ぎきれないほどに魔力を増加させ、きみという器を破壊して外に出てくるだろう。闇の書の転生がシステムU-Dによるものである以上、その期間もまた闇の書の復活周期とほぼ一致するだろうね。最短で十年。それがきみに残されたタイムリミットだ」
「じゃあ、それまでに解決しないといけませんね。先生、聖王のゆりかごを俺にください」
刹那、スカリエッティの表情が固まった。すぐにいつも通りの微笑に戻るが、その瞳に生じた警戒と興味までは消えずに残り続けている。
「面白いことを言うね。それがどのようなものか、理解しているのかな」
「知ってますよ。古代ベルカの聖王家が保有していた戦艦。ベルカの戦乱を終結させた最悪の兵器。完全な状態であれば、次元断層の中ですら航行可能なオーパーツ。先生がそのゆりかごを奪取しようとしていることも、その起動のためにドゥーエ姉さんを使って聖王に関係した遺物を集めていることも」
スカリエッティの唇の端がさらに吊り上がり、少年の顔に不釣り合いな亀裂のような笑みになる。
「どうやって情報を得たのかな? まさか、私の知らない間にウーノを上回るハッカーにでもなったとは言わないだろうね」
ウィルの意志に呼応して、部屋が一瞬白い光で満たされ、そして再び消える。
その現象を観察したスカリエッティは、数秒の思考で答えにたどり着いた。
「なるほど、周囲に己の魔力を散布し、極小のサーチャーとして運用しているのか。観測機器が反応しない程度の大きさの魔力で構成されたサーチャーでは、観察で得られる情報量も送信できる情報量も極めて微小だが、数百、数千のサーチャーからの情報を統合することでそれをカバーしている。人間のマルチタスク能力はせいぜい二桁の分割が限界だから到底不可能な芸当だが、彼らという膨大な意識体を宿す今のきみならばそれも不可能ではない――答え合わせは、そんなところかな?」
「さすがですね。満点です」
ウーノをあざむいてラボのシステムから情報を盗み出すことはできなくとも、ドゥーエやウーノとスカリエッティの会話を聞くことはできる。
「では、正解の報酬として教えてもらおう。きみはゆりかごを手に入れて、いったいどうするつもりなのか」
砕け得ぬ闇の存在を知ってから、ずっと考え続けてきた。何度でも蘇り続けるその災厄から世界を守るためには、どうすれば良いのか。
「ゆりかごなら次元断層を超えて、誰の手も届かない場所にだって行くことができる。だから、ゆりかごの中で俺を凍結封印して、そのまま次元断層の向こう側へと送り込めば、もう二度と誰の手も届かなくなる」
かつてギル・グレアムが実行しようとしていた、凍結封印による解決。それがウィルの望みだ。
誰も手出しができない次元断層ならば、凍結封印は永遠に破られることはない。
万が一、凍結封印が溶けるようなことがあっても、次元断層そのものがシステムU-Dを閉じ込める檻になる。
次元断層の先は観測できない。空間そのものが断たれ、あらゆる情報が遮断されるからだ。
砕け得ぬ闇として現れたあの少女のように、この世界に顕現する駆体を滅ぼしても、情報そのものが本体のシステムU-Dはいずれ復活する。しかし情報は次元断層を超えられない。次元断層に到達した時点でゆりかごの航行機能を破壊しておけば、システムU-Dが戻ってくることはない。
「だから、ゆりかごの奪取は手伝います。先生だけに任せると、必要のない犠牲も出しそうですから。手に入れたゆりかごの中で俺を凍結封印して、先生はゆりかごを好きに使って、飽きたら俺ごと次元断層の中へと放り込んでくれればいい」
「聖王一族の生と死を見守り続けたゆりかごを、自らのための墓標にする――その贅沢は嫌いではない。だが、良いのかな。きみが死ななくてもうまくいく可能性というのも、万に一つはあるかもしれない」
「これが俺の贖罪……俺の望みです。人を殺した罪は償わなければならない。命の代償は、命で支払うしかない。だけど被害者が望んでいないのにただ命を捨てても、自己満足で意味がない。なら、今を生きる人たちを脅かす脅威……砕け得ぬ闇を抑え込むために、俺はこの命を捧げる。そうして、やっと……俺の命は償いに値する価値を得られる」
シグナムはウィルに仇をとらせるという形で罪を贖った。
けれど、ウィルを仇と見なし、死を望んでくれる者は誰もいない。ウィルが命を捨てたところで、その命には何の価値もない。
あの日、ウィルに砕け得ぬ闇の存在を教えてくれた彼らの声は天啓だった。いずれ蘇る砕け得ぬ闇が生み出す破壊は、闇の書に劣らぬ犠牲を生む。この次元世界に生きる数多の人々の命を奪っていく。
それをウィル一人の命で防ぐことができるなら、その死は価値のあるものだ。
「見る影もないね。あの日にきみを満たしていた炎は尽き、後に残されたのは灰。そして虚無だ」
スカリエッティは天を仰ぎ、深く、深く、ため息をつき。大きく息を吸い込むと喝采した。
「そしてそれもまた欲望の形だ! 全てを吸い込むような重力の渦! 滅びへと向かう圧倒的な
スカリエッティは息が途切れるまで狂ったように笑い続ける。
やがて壊れそうなほどに強く自らの身体を抱きしめて、打ち震えながら静かに、情念を込めてひとりごちる。
「ああ……実に興味深い。私も私自身の欲望を叶えた先には、きみのような変化があるのだろうか。私の知らない、私自身が待っているのだろうか。その未知を想像すると、期待で胸がはちきれそうだ。あの日、きみを治療して良かった。あの日、きみに永遠を与えて良かった。きみに復讐をさせて、本当に良かった」
スカリエッティは大きく腕を広げ、陶然とした顔でウィルを見上げ、高らかに宣言する。
「私は私の欲望を叶え、真の私を知るために! きみはきみの欲望の果て、闇の書に終わりを与え死の安らぎを得るために! ともに歩もうじゃないか! 我が共犯者ウィリアム・カルマン!!」
スカリエッティは輝かしい未知を想って笑い、ウィルは償いの先の死を想い静かに微睡む。
ここにはない未来に心を囚われている二人は気がつかなかった。
部屋の片隅、姿を隠して二人の会話をずっと聞いていて、やがて部屋から出て行った少女の存在に。
力もなく、現実から目を背けていたせいで、いつも自分の手は大切な人に届かない。だから、力が必要だ。
その決意を抱いて歩み続けた八神はやては、今年、上級キャリア試験に合格した。
海の上級キャリア試験を通過した者は、慣例として即座に三尉に任官し内局にて半年間の研修を受ける。そして二尉へと昇進し、見習いとして一年間海の部隊に配属される。それが終われば一尉へと昇進し、今度は陸の部隊に一年間の出向。そうして陸海双方の現場感覚を叩きこまれた後で佐官となる。
士官学校卒業組を上回る出世を約束された上級キャリア組とて、現場感覚を知らないままに出世することは不可能だ。まして各管理世界への戦力配備に関わる海のキャリアとなれば、管理世界の現状を知ることは必須。
はやてもその例に漏れず、研修を終えた後で海の部隊に配属された。
その配属先がアースラであったのは偶然ではなく、はやてという存在がハラオウン閥に属する存在だと周囲に認識されているからだろう。
実際、闇の書に大きく関わるはやての存在は非常に厄介なことになっており、並みの部隊に配属されたところで、その部隊の隊長が扱いに困って頭を抱えることになるだけだ。
ヴォルケンリッターという過去に大きな被害を出した存在を庇うはやてのことをよく思わない者が想像以上に大勢いることも、闇の書事件からの五年間で嫌と言うほど味わった。
アースラも五年の歳月で様々な変化があった。
二年前に内局勤務になったリンディに代わり、副長が艦長へと昇進。同時に、艦付きの執務官であったクロノが副長へと移り、そして今年、副長の転属により、昇進したクロノがアースラの艦長を引き継いだ。
そんな彼女たちの最初の任務は、無人世界への調査だった。
かつてスカリエッティのラボがあり、闇の書事件の最後の舞台になったあの無人世界で、原因不明の高魔力反応が観測された。観測されたのは一瞬。なぜならあまりに高い魔力反応のせいで、その一瞬で周囲に設置されていたあらゆる観測機器が機能を失ったから。
もしかして闇の書はまだ滅んでなかったのではないか。また何かが起きたのではないか。そんな気持ちで訪れた無人世界は、いくつかの山がえぐり取られたかのように消滅し、その表面が超高熱でガラス状に変質していたが、何が起きていたのかを知る手がかりは何一つ残されてはいなかった。
ただ、現地世界を観測して得られた魔力の残滓は大別して二つに分かれており、そのうちの片方は闇の書と一部が類似していたため、やはり闇の書が関係しているのではないかということで、周辺海域はアースラが調査を終えて離れた後も、当分の間は警戒態勢がとられ続けることになる。
アースラが本局の港に接弦して扉が開くと、はやては全速力でタラップを駆け下りて、驚く局員のそばを駆け抜けて、本局の通路をぱたぱたと走る。
五年前まで動かなかった脚は、リハビリと訓練のおかげでこうして人並の速度で走れるようになっていた。
「エイミィさん! もう来てる!?」
はやてが駆け込んだ部屋には、かつてアースラの通信主任を務め、執務官補佐として公私ともにクロノを支え、今はクロノの妻となったエイミィ・ハラオウンがいた。
彼女は第一子の妊娠により、長期航海もある艦船での仕事から外され、内局にて働いている。
もう少しお腹が大きくなれば休暇をとるつもりのようだが、今は膨らみ始めたお腹を抱えつつ仕事にいそしんでいる。
「うん、十分くらい前に来られたから、隣の部屋で待っていてもらってるよ。まぁ、アースラの帰港手続きが遅れてるとは伝えてあるから、別に怒ったりしてないと思うよ」
「ありがとうございます! それじゃ――」
「はいストップ。急いでいるのは良い心がけだけど、身だしなみはきちんとね」
エイミィは慌てて隣の部屋に行こうとするはやてを制止すると、走って乱れたはやての髪と制服を、はやての呼吸が平常に戻る程度の時間をかけて整え、背中を押して送り出す。
「お待たせして申し訳ありません!」
「かまいませんよ。こちらこそ、急な訪問に対応していただいて感謝しています。お久しぶりですね、八神はやてさん」
部屋の中にいた二人のうち、片方が表情を変えずにはやてに向き直り、軽く会釈する。
管理局の制服に身を包む、クールビューティを体現した女性。オーリス・ゲイズだ。
はやてがオーリスと初めて顔を合わせたのは二年前。ウィルが失踪してすぐの頃、事情を聴きにレジアスの元を私的に訪ねるクロノに無理を言って同行させてもらった時だ。
結局、ウィルの行方はレジアスら家族も知らず、手がかりすら得られなかったが、その時にはやてはオーリスと親交を結び、何か情報があれば教えてもらうように約束を取り付けた。
はやての立場上、直接顔を合わせたのはこの二年で片手で数えられるほどだったが、お互いに連絡は取り合っていた。
そんなオーリスから、至急会って話がしたいと連絡が来たのが昨日のこと。二人の間で急ぎの要件となれば、当然その要件は限られている。
「お久しぶりです。あの、話っていうのは、やっぱりウィルさんのことですか? もしかして、居場所がわかったんですか?」
オーリスの顔を見た途端、はやる気持ちを抑えられずに矢継ぎ早に言葉を重ねてしまい、それからオーリスの隣に座る帽子を目深にかぶった女性に気がついて、慌てて口をつぐむ。
オーリスだけならまだしも、初めて会う相手がいるのに無視するような形で話し出したのは失礼だ。
もう一人の女性に向き直り、頭を軽く下げる。
「申し訳ありません。次元航行部隊アースラ所属の八神はやてと――」
「いらないわ。知ってるもの」
挨拶はすげなく断ち切られ、想像の埒外の反応に呆然とするはやて。
オーリスはあまりに礼を失する同行者の態度にため息をつきながらも、たしなめるのは最初から諦めている様子で話を進める。
「用件については、私よりも彼女の口からお話する方が良いでしょうね」
うながされ、女性が帽子を取る。
あらわになった金色の瞳がはやてを真正面から睨みつける。腰まで伸ばした長髪は、はやてやオーリスとも似た栗色。
初対面のはずなのに、どこかであったような――
「まさか、忘れたわけじゃないわよね」
「……クアットロさん?」
あまりに雰囲気が違いすぎて、記憶と現実の姿が一致するまでに時間がかかった。
はやての記憶にあるクアットロは、常に微笑を浮かべて飄々としている可愛い人という印象だったが、目の前にいる女性は抜き身の刃のように鋭く荒んだ剣呑。何よりも、炎のように荒々しい激情が刻まれた双眸は不安定で、導火線に火のついた爆薬のように今すぐにでも爆発しても不思議ではない危うさを宿していた。
「単刀直入に言うわ。ウィルの居場所を知りたいなら、そして命を救いたいと願うなら――手を貸しなさい、八神はやて」
クアットロから情報を得て、管理局は海と陸の垣根を超えてスカリエッティの野望を阻止するために協力し合う。
スカリエッティは最高評議会に追われながらも準備を整え、ゆりかごとその鍵となる聖王のクローンを狙い続ける。
闇の書に関わる全ての闇を飲み込んだ男は、ゆりかごの玉座に座して、やがて訪れる死を待ち。
夜天の終わりを看取った最後の主は、想いを同じくする者たちとともに、大切な人を救わんと走り続ける。
のちにジェイル・スカリエッティ事件と――――あるいは、ウィリアム・カルマン事件と呼ばれる戦いが幕を開けた。
この後どうなるのか。ウィルが生きることになるのか、死ぬことができたのかは、ご想像にお任せします。