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「行かないでくれ! お前が大好きなんだ!!」
目の前に、唐草模様のマスクと、すっとんきょうに見開かれたシワだらけの目。
「ホホ、予行演習かや? まだ早い早い、ちょいと落ち着きなされ」
蕎麦屋の常連のご隠居?
「・・・!?」
一生懸命意識を整えて、周囲を見回す。
場所は自分の店、腰掛けているのは前回と同じカウンター椅子。
店内に三々五々座ってこちらを見ているのは、思い思いのマスクをした常連の面々。
椅子の幾つかに覚えのないバッテンマークが貼られている。
壁際にやけに豪華な生花が飾られ、突き刺さったカードに『祝・おかえりなさい』の文字。
傍らに新聞がある。おそるおそる日付を見ると、押し込み強盗に遭ったぐらいの日だった。
そっと手を開く。刻まれたお天道さんマーク……やはり夢であってはくれなかったか。
「何だぁ、どうした?」
暖簾を上げて、菜箸片手にエプロン姿の男性が顔を出した。
「お前……」
つい先程(自分にしたら)電話で話した、小説家志望の悪友。
「何でお前がうちの厨房に居るんだ」
「・・???」
驚愕の視線は何故か自分に注がれた。
悪友は弛(ゆる)んだ丸顔をにわかに引き締め、側に来て肘をつまんだ。
「ちょっと来て手伝ってくれ。ダシ巻き卵はやっぱりお前でないと」
「おいおい、今日は蕎麦屋の旦那のお祝いだから座っていて貰うって言ったのは、お前さんのくせに」
というヤジを背に、引っ張られて厨房に向かった。
途中横目で壁のカレンダーを見たが、自分の知らない物に掛け換えられていた。
暖簾をくぐると見知った厨房ではあるが、微妙に配置が変わっている。棚の漆器類が端に寄せられ、使った事もない弁当用容器が収まっていた。
「ああ、持ち帰り用蕎麦ランチのみの営業だったんだ、先月まで」
困惑している私の表情を伺いながら、悪友が声を潜めて言った。
「自粛営業っての……『前は』していなかったのか?」
口を結んだまま首を横に振る。
「そう……それで、今のお前は、『あの時俺に電話をくれたお前』……なんだな?」
黙ってうなずく。
悪友は目を見開いて、鼻から大きく息を吐いた。
それからおもむろに隅の手提げ金庫を手に取る。
一瞬、背筋が緊張した。
が、彼は金庫を開き、中から折り畳まれた『あのカレンダー』を取り出した。
「これを書いたのも、お前なんだよな……」
彼とは二十年来の付き合いだが、ここまで真剣な顔は初めて見る。
その手の中のカレンダーの書き込みは、丁度今日の日付で途切れていた。
「最初はちょっとした都市伝説レベルだったんだ」
厨房の丸椅子に差し向かいで座り、悪友は圧し殺した声で話し始めた。
「どこぞの蕎麦屋のカレンダーに預言みたいなのが書いてあるって、ツィッターに画像が上げられて。多分一見(いちげん)の若い客が偶然ここで見付けたんじゃないかな。スポーツの結果や小さい事件が百発百中で、だんだん界隈がザワついて、中山で出た万馬券の配当を下一桁まで正確に言い当てた事で、一気に火が付いた。いや凄い勢いだったな」
「…………」
「当の蕎麦屋の親父が預かり知らぬってのもミステリアスで面白がられて、信者が湧いたりアンチが湧いたり解説者が湧いたり」
相変わらず難解な単語だらけだが、言っている事はだいたい分かる。
「俺はその段階で初めて知ったんだ。お前からの変な電話の後、こちらから掛けても要領を得なかったんで、まあ酔っ払っていたんだろぐらいに思っていた」
「そうか、済まなかったな。カレンダーを書いてすぐに何かのトラブルで、強制的にここに戻されてしまったんだ。だからその後の自分は何も知らない自分だったと思う」
「へぇ、じゃあ今のお前は、これを書いた直後のお前って訳か、面白ぇ」
本当に頭が柔軟だな、助かる。
「ああ、そんで続き。店を訪ねたら、案の定巡礼者が群がってエライ騒ぎになっていたんだよ。元記事は店名なんかは伏せられていたけれど、これ『月刊蕎麦ライフ』の講読者限定カレンダーじゃん。タマ数が少ないからあっという間に特定されたらしい。お前は困り果ててノイローゼ気味だし、自粛警察に目を付けられたりで、俺が何とかしてやらなきゃと思ったんだ」
「何でお前が……」
「預言者やれって焚き付けたのは俺だろ。俺の責任じゃん」
頬を紅潮させた悪友の丸顔をマジマジと見た。こいつ、自分の人生には無責任で無頓着なくせに……
「んで、ここに寝泊まりして、群がって来る野次馬を追っ払った。いやもちろん丁重に説得して平和的にお帰り願ったよ、うんうん。ネットにまとめサイトを立ち上げて、祭りはここでやれって掲示板を提供した。荒れると思ったら、結構真面目な議論が展開されてやんの。この国のキッズも捨てたモンじゃないぜ、後で見せてやるよ」
「…………」
「サイトの名前、『蕎麦屋の黙示録』っての。あっ今、この厨二! って思ったろ」