ありふれたRTAでラスボス撃破 タンクチャート 作:エチレン
ほもくんに興味がない人は前半は飛ばしても問題ないです。
カーテンから優しい朝の陽射しが差し込む。眩しさを感じて、北条衛は手を翳してうっすらと目を開けた。目覚まし時計は置いてない。それが無くても毎日ほぼ決まった時間に目が醒めるからだ。
「…今日は良い天気だな」
欠伸を一つして布団を跳ね除け、カーテンを開けてからベッドから降りて大きく伸びを一つ。朝の陽射しによってその日一日の体内時計がスタートした。
時計を見ると時間は午前六時。学校に遅刻せずに到着するためには七時に出れば十分に間に合うので、一時間ほど余裕がある計算である。
手早くクローゼットを開けて制服を取り出すと、一分ほどで着替えを終わらせた。
こうして身支度が素早いのが密かな特技となっているが、誰かに自慢などしたことは無い。どうでもいい事だと笑われるのが分かっているからだ。
ポコポコとスリッパの音を響かせながら階段を下りてリビングルームに行くと、そこにはすでに二人の男女が居た。フライパンで料理をしている女性と、椅子に座って新聞紙を読んでいる男性。北条家の父と母だ。
「おはよう、今日も早いわね。感心、感心」
「おはよう。流石お兄さんだな。弟たちの良い見本だ」
「…うん。おはよう、父さん、母さん」
優しい笑顔で挨拶をする両親に、同じく微笑んで挨拶を返す。
ご飯が出来るから席に着きなさい、という母の声に椅子を引いて着席した。
長方形のテーブルに父と母が隣り合って座り、その向かい側に子供達が年順に並んで座る。
誰が取り決めたわけではないが、それが北条家のルールだった。
どうやら弟や妹はまだお眠らしい。
「おや? 今日は確か休日だったはずだから制服は着る必要は無かったと思うんだけど」
「…えっ」
「あらら、おっちょこちょいね。うふふ、まあそんなところも可愛いんだけどね」
「ほら、今日は久しぶりの休日だから家族全員、水入らずでピクニックに行こうって話をしてたじゃないか。天気予報によると今日は一日晴れらしいから、絶好のピクニック日和だね」
そうだった。父親が仕事で忙しい中、久しぶりにゆっくりと休める日が出来たので、家族全員でどこかに出かけようという話を昨日していたのだ。
それで弟達は張りきってい母の弁当作りの手伝いをすると意気込んでいたが、結局朝に弱いので自分がこうして休日なのに早起きをして手伝うことになったと。段々と
「ご飯を食べたら母さんの手伝いをするよ。五人分となると量も多いだろうから」
「ありがとうね。親孝行な息子を持てて母さんは幸せだわ」
「大げさだよ。家族を助けるのは当たり前じゃないか」
「ふふん、そういう言葉が自然に出てくるのもやはり、父さんの背中を見て育って――あいたた、母さん、お玉で叩くのは反則だって!」
「もう、直ぐにそうやって調子に乗るんだから。さ、ご飯が出来たわよ。他の子はまだ起きてないみたいだけど冷めないうちに食べちゃいなさいな」
「分かった。それじゃあいただきます」
温かい朝ご飯を食べた後は制服から私服に着替えて、母の手伝いである。
父は朝食を食べ終わると車の調子を確認しに外へ出て行った。
二人並んでお昼の弁当を作っていると、バタバタと慌ただしい音が聞こえてきてリビングのドアが勢い良く開く。
「ね、寝坊だ~~! ごめん母さん、手伝うって言ったのに!」
「同じく寝坊だ~~! 休日だと思ってつい!」
雪崩れ込むようにして入って来たのは髪がところどころ寝癖で跳ねてしまっている少年と少女。
北条家の長女と次男だ。北条衛にとっての妹と弟と言う事になる。二人は入って来た勢いそのままに「姉ちゃんが起こしてくれなかったからだ」「弟が目覚ましをかけなかったからだ」と母と衛の前で益体の無い言い争いを始めてしまった。
そんな二人に微笑ましさを感じてつい笑顔がこぼれてしまう。
「あっ、ほら、兄さんにも笑われた! 兄さんも休みだっていうのにちゃんと早起きして母さんの手伝いをしてるし…、これはもう言い出しっぺである弟に償いをさせるしかないね!」
「いやいや、ここは年功序列で姉さんが責任を取るべきでは!? そもそも手伝いをするって言い出したのは姉さんだからね!?」
「俺は大丈夫だよ。弟や妹のフォローをするのが兄の役割だから。二人とも朝ご飯を食べたら手伝ってくれるかな?」
こうしてしょっちゅう言い合う二人を宥めるのが
二人の見本となれるように出来る限り品行方正、成績優秀に。
頼れる兄になって家族を守れる、家族に頼られるようになれるように努力を重ねるのが密かな日課となっている。
「はぁい、いただきま~す」
「いただきま~す」
食器と箸が鳴らす音を聞きながら衛は重箱の中におかずを詰めていく。
五人分で、食い盛りの子供もいるので量は多めだ。卵焼き、唐揚げ、アスパラの豚肉巻き、などを入れていくと、あっという間に重箱の中が彩で飾られていく。
「ごちそうさま~!」
「ごっそさんでした~!」
「はい、お粗末様でした。それじゃあ着替えてらっしゃい。父さんが車の調子を見に行ってるから、それが終わったら出発するわよ」
は~い、と気の抜けた返事をして弟と妹は食器も片付けずリビングを出ていった。
「まったくあの子たちは」と苦笑いをして食器を下げようとする母を衛は手で制した。
「皿洗いと弁当の残りは俺がやっておくよ。母さんも準備があるだろ?」
「あら、それじゃあお言葉に甘えちゃいましょうか。敷物とかおしぼりとかの用意もしなくっちゃね」
助かるわ、と言ってエプロンを椅子に引っ掛けてから母はリビングを出ていった。
その後、一人で黙々と作業を行い、重箱の蓋を閉め終わった瞬間に準備を終えた弟が入ってくる。
「……よし、これで終わり」
「俺は準備終わったぞ。姉さんはもうちょっと時間かかるってさ。で、兄さん、弁当は何が入ってるの?」
「それは着いてからのお楽しみだな」
後ろから覗き込もうとしてくるが時すでに遅し、風呂敷で重箱を包んでお弁当は準備完了である。時計の長針は九時を少し過ぎたころであり、出発するには丁度いい時間だ。
その後少しすると妹が身支度を済ませて二階から下りてきて、車の確認を済ませた父と細かい準備を終えた母が戻ってくると家の戸締りをして一家揃って車に乗り込んだ。
父が運転し、母が助手席に。後部座席には左から順に衛、妹、弟が座っている。
「そうそう、聞いてよ兄さん! この前私の友達が――」
流れていく景色を見ながら色々な事を話した。それは学校で流行っている事だったり、今やっているゲームの事だったり、あの服が欲しいなどといった何でもない話ではあったが、それが衛にとっては愛おしく掛け替えのないものに感じられる。
「……?」
ふと、何かが引っ掛かった。心の中で感じる違和感がある。忘れているものがあるような、今すぐにどこかに行かなければいけないような、上手く言葉で説明できない衝動がへばりついている。
それがどういったものかは分からない。何故そんな感情があるのか分からない。だが、とても大切なもののような気がして――。
「兄さん、聞いてるの? ……もしかして車酔いでもしちゃった?」
「ああ、うん。もちろん聞いてるよ。車酔いも大丈夫」
ふと、妹の心配そうな声で現実に引き戻される。横を見てみると不安げにこちらを見る妹の姿。
体調に問題がないと笑って言うと、今度は弟が少し考えてからハッとしたように言った。
「なんか窓の外見ながら考え事してたけど……、もしかして兄さん、好きな人でもできたのか?」
「なにっ、それは本当か衛! 誰を好きになったのか父さんに言ってみなさい!」
「えっ、いや、俺は別に恋愛事での悩みなんて無いんだけど……」
父親が弟の言葉に反応して振り向かんばかりの勢いで体を揺らす。急に全く考えていなかった内容がやってきて衛は困惑を隠せない。
「こらこら、お父さんはハンドルを握ってるんだから興奮しないの。そう言えば衛の通う高校には綺麗な娘がたくさんいるわよね。うふふ、隠さなくてもいいわよ~。誰が気になるのかしら?」
「私も気になるな~。その人が将来的に姉さんになるかもしれないわけだし?」
「二人まで……。勘弁してくれ……」
そこに母と妹も参加して集中砲火を受け、お手上げといった風に両手を小さく上げると笑い声が車内に響き渡った。
そんな下らない話をしているうちに街を抜け、郊外を通り過ぎ、やがて緑豊かな自然公園へと辿り着く。ごみを持ち帰る事が条件だが食料の持ち込みが出来る場所で、休日には家族連れの人達で賑わう事が多い。
「うーむ、流石に祝日だと人が多いな。まだお昼時までは時間があるし、少し歩くか」
「確か林道を抜けると小さな丘があったはずよ。お弁当を食べるのならそこに行きましょう」
「うへぇ、こっから歩くのか」
げっそりとした様子で弟が肩を落とした。自然公園はとても広く、目指す丘は遠目に見えるばかりであったからだ。丘の前には木々が生い茂っており、おそらくはそこに設けられた道を通っていくのだろう。
目算でも辿り着くのに一時間くらいはかかりそうだった。妹もそれに気付いて弟同じように肩を落とす。
「荷物は俺が持つよ。だから頑張って歩いてみよう」
「さっすが兄さん、頼りになる! それじゃあこれお願いっ!」
「あっ、兄さん! せっかくだからこれも持ってくれ!」
「はいはい」
衛が水筒やら鞄やらを持つように申し出れば、妹の顔がぱあっと輝く。現金な妹だなあと苦笑いをして妹と、あと便乗して渡してきた弟の荷物を受け取って丘に向けて出発した。
移動中は車内と同じように談笑しつつ、周りの景色を楽しむ。自然公園というだけあって人工物は最低限にしているようだ。吹き抜ける風を感じ、草木のざわめく音を聞きながら、青空を流れていく雲を眺めているとまるで違う世界に来たような感覚になる。
林を分断するように整備されている道を通り抜け、木組みの階段と緩やかな坂からなる登り路を進んでいく。目的地に到着するころには流石に皆歩き疲れていたようで、口数も最初に比べるとめっきり減っていた。
「つ、着いたぞ……!」
「こんなに歩いたのは久しぶりねぇ……。流石に足が痛くなってきたわ……」
一時間ほど歩いてたどり着いたのはあの時遠目に見えた丘の天辺であり、備え付けられている柵超しに見下ろしてみれば自然公園が一望できる程度の高さがある。
父と母は体力を使い切ったのかベンチに座り込んでいる。なお、弟と妹は先程まで「疲れて歩けない、おんぶしてぇ」などとヒイヒイ言っていたのに、それを忘れたかのようにスマホで丘の上からの風景を撮っていた。
ここにはいくつか机とベンチがおいてあり、疎らではあるが他の家族がそれに腰かけて風景を楽しむなり持ち込んだ弁当を食べたりして平和に過ごしている。だが今回、北条一家が過ごすのはそこではなく、丘の上に生えた大きな樹の下である。持ってきた大きいレジャーシートを広げて、そこで朝に作ったお弁当を皆で食べるのだ。
「用意は出来たよ。たくさん歩いてお腹も減っただろうし、ご飯にしよう」
「おっ、用意してくれたのかありがとう。それじゃあちょうどいい時間だし、お弁当食べるか!」
ちょうど木陰になっていて風が涼しい場所があったので、誰かにとられる前に手早くシートを敷いた衛が声を上げると、歩きすぎて腰が痛くなったのか腰をさすりながら、それでも楽しそうに父が号令を出した。
「やった、弁当だ! 兄さんの隣はもらったっ!」
「あっ、抜け駆けはずりぃぞ姉ちゃん!」
重箱を包んでいる風呂敷を解いていると妹が衛の左を陣取り、負けじと弟が右側を陣取る。それを見て母は「まあまあ、モテモテねお兄ちゃんは」とからかうように笑う。
お弁当のおかずを取り合ったり、ほっぺに付いたご飯粒を取ってあげたり、ご飯の後にお茶を飲んでごちそうさまを言ったりする。
それは仲の良い家族の、少しだけ特別でありふれた日常の一部分だった。見ているだけで頬が綻んでしまうような、幸せな光景だった。
「……」
「衛、どうしたんだ? 何かを我慢してるみたいだが、お腹でも痛いのか?」
「まじか兄さん。俺は何ともなかったんだけどなぁ」
幸せな時間はあっという間に過ぎ去って、傾いた太陽が橙色の光を放つようになったころになると、天辺にいた家族はもう北条一家だけになっていた。さあ帰ろうと後片付けをして出発しようとするのだが、衛だけはその場から動こうとしなかった。
「……ごめん。俺は一緒には帰れない」
「衛? 何言ってるの、早く帰りましょう。夜になっちゃうわよ」
「そうだよ兄さん、このままじゃ夕ご飯がスーパーの売れ残った微妙な総菜ばかりになっちゃうよ」
心配そうにする父、訝し気な母、呆れたようにため息をつく妹、首をかしげる弟。その四人を前に、衛は正座して俯いたまま膝の上に乗せた手を強く握り締めた。
「……」
本当は最初から気付いていたのだ。それなのに、文字通り夢にまで見たあまりにも幸せな光景が目の前にあって、ずっと心が暖かくて、いつまでもこのままなら良いのにと思ってしまった。もう少し幻想に浸っていたいと思ってしまった。
父も母も、自分が産まれてきたせいでいなくなった。弟や妹に至ってはそもそも存在しない。自分のせいで生まれてくる事すら出来なかった。こんな都合のいい現実なんてあり得ない。だから、車に乗っている時にはすでに夢だと分かっていたのだ。
ずっと夢に見た家族がいる一日は想像通り幸せだった。きっと自分さえ居なければ、こうして目の前にいる四人は当たり前の幸せを掴んでいたのだろう。
いつまで経っても俯いたまま動かない衛を心配したのか、妹と弟が駆け寄ってきて顔を覗き込もうとしたが、二人は衛の顔を見る事はできなかった。両腕で二人一緒に抱きしめられたからだ。
「に、兄さん……?」
「えっ、いきなりどうしたんだ?」
「……ごめんな」
急に抱きしめられて驚いており、それでも嫌がるような素振りがない事が声色から伝わってくる。流石に恥ずかしいのか、あたふたしている二人に投げかけられたのは謝罪の言葉だった。
「もし生まれてこれたなら、今日みたいに楽しいことが一杯待ってたはずなのに。俺のせいで、本当にごめんな」
名前の無い弟と妹に、そして名前も知らない父と母に聞こえるようにただ謝った。衛は二人を抱きしめたまま俯いていて顔色は伺えない。ただ、普段の感情の籠っていない声が嘘のように少しだけ震えていた。
そんな衛を気遣うような目で見る両親は、やはり想像した通りの優しい人だ。あまりにも理想的で、それ故に現実感がない。きっと本物がいたら恨み言の一つや二つ投げつけてくるだろう。
「本当はずっとこうしていたいけど、もう行かなきゃ。あともう少しで全部終わると思うから、最後までちゃんと頑張るよ」
最後に一度、弟と妹を強く抱きしめてから衛は二人を放して立ち上がった。
この夢は、おそらく試練だ。きっと他の皆も同じように自分が理想とする世界を夢見ているのだろう。苦痛が無く、都合のいい世界という誘惑を振り切って進めるかを試されている。
「……兄さん、私達と一緒にいてくれないの?」
「ごめんな。やらなくちゃいけない事があるんだ」
「ここにいればずっと幸せなのに? 辛い思いも寂しい思いもしなくて済むのに?」
「そうだな。でもこれはただの夢だ」
弟と妹が引き留めようとするが、迷いは無かった。
どんな人でも理想とする世界はある。辛い思いなんてしたくないに決まっている。都合のいい夢があったらそれに縋れば楽にはなれるだろう。
しかし、どれだけ辛いことがあっても時間は待たずに流れていく。幻想に縋っても現実は変わらない。だから人間はどれだけ打ちのめされようとも、ただ歯を食いしばって立ち上がり歩いていくしかないのだ。
後ろを振り向いて、丘の天辺に生えている大きな樹に向かって歩いていく。その手にはいつの間にか剣が握られていた。
木陰で休むのはこれでお終いだ。休んだらまた、歩き出さなければいけない。
剣を一閃するといとも簡単に樹は切り倒され、それが引き金になったのか世界が崩れ始めた。
緑の大地が遠くの方から崩落していく。橙と白と藍色の空がガラスが割れるように砕けていく。家族がいる理想の世界が消えていく。
「うん、合格だね。苦痛のない理想の世界というのはすごく魅力的だけど、それは誰かに与えてもらうものじゃない。辛くても苦しくても、自分の手で掴み取ってこそ意味のあるものだ。今は無理でもいつかは君に救いが訪れる事を祈っているよ」
割れていく空を見上げていると、ふと後ろから声がした。
振り返ってみるとすでに母、弟、妹は消え去っていたが父はいまだにそこに存在した。だが、今までの男らしい声ではなく中性的な声だ。まるで他の誰かがそれをスピーカーにして話しているようにも聞こえる。
「……そうか」
一体誰が話しているのか何となく見当はついたが今更訊くことに意味は無い。
短く返して後は黙り込む。やがて世界の全てが崩れ去り、北条の視界は黒く塗りつぶされた。
目が覚めて、起き上がる。それなのに視界は真っ暗なままだ。
手をかざして一言二言唱えるとテニスボールくらいの大きさの光の玉が出現して辺りを薄く照らし出した。ほんのわずかに光属性の魔法適性があるので、戦闘には使えないがこの程度の魔法であれば北条でも使えるのだ。
北条が目覚めたのはドーム状の空間。そこに十個の琥珀色をした棺が設置されている。
立ち上がって周囲を確認してみると、北条はこの琥珀色の棺に入っていたことが伺えた。きっと、他の棺には皆が入れられているのだろう。そしておそらく、同じように都合のいい世界を夢見させられているはずだ。
修学旅行の夜に見回りをする教師のように棺を見て回ると、予想通り他の皆が棺の中で横たわっていた。先程までゴブリンだった三人も元の姿に戻っている。
「……」
あれからどれだけ時間が経ったのかは分からない。北条に出来る事と言えば、皆を信じてひたすら待つことだけだが、その間にもやれる事はある。
ハジメが作った魔法のコンロと鍋を取り出してスープを作り始める。目覚めたらお腹がすいているかもしれないし、もしかしたら匂いにつられて起きるかもしれない。そんな頭の悪い考えからの行動だった。
コトコトと材料を入れてスープを煮込んでいると後ろで動く気配が一つ。
見知った気配に振り向くことなく調理を続けていると、背中にかかる重さと共に金色が視界の端に割り込んできた。
「……ん、おはよう」
「…ああ」
そのまま腕を回してぎゅっと抱きしめる。いつにも増してくっつき虫になっているユエはどのような夢を見たのだろうか。少し気になるがプライベートな内容かもしれないので訊くのは我慢した。
「……夢の中ではマモルは婚約者だった。私とは超ラブラブで国王の座も約束されてた」
我慢したのだが、訊いてもいないのにユエは夢で見た内容を勝手に語りだした。
曰く、その世界ではユエはお姫様、北条は世界を救った英雄であり、二人は将来を約束した間柄だとか。早々に夢であると気付いて何時でも脱出できたのだが、しばらく北条(英雄のすがた)とのイチャラブ生活を楽しんで、適当な所で切り上げて終わらせてきたらしい。
「俺は英雄じゃない」
「……マモルは私の英雄。迷わずにあの暗闇から助け出してくれた」
柔らかく微笑んで甘えるようにぐりぐりと頭を頬に押し付ける。
北条自身は頼まれたから助けただけだというが、あの状況で封印されている何者とも知れない存在を見返りすら求めず血を吐きながら、体に穴を開けながら、助けて守ってくれる人が他にいるだろうか。余裕があるのであればともかく、あの時は北条自身お世辞にも余裕があるとは言えない状況であった。
だから他の誰がどう言おうと、北条衛はユエにとっては自分を救ってくれた世界一の英雄なのだ。それだけは誰であっても否定させない。
「……マモル。私は、マモルが――「はい、そこまでだよっ!!」――ちっ」
熱のこもった視線と共にユエが顔の距離を詰めていこうとするが、その前に二人の間に割り込むようにして入ってきた小柄な人影が二人に距離を取らせるようにぐいっと両腕で押しのけた。
「ふぅっ、危なかったぁ……」
一仕事終えたという風に手の甲で額をぬぐう仕草をするのは先程までゴブリンの姿だった鈴だ。鈴が目覚めたのはつい先ほどだったのだが、起き上がって自分の体が元に戻っていたことを喜んだ瞬間に目に飛び込んできたのがキスをする一秒前のような北条とユエだった。
自分でも驚くほどの速さで移動して二人の間に割り込み、間一髪で間に合ったというのが今の状態だ。良い所を邪魔されたユエは露骨に舌打ちをした。
「ユエユエェ……神代魔法をコンプリートするまではこういうのは無しだって約束したじゃん!」
「……記憶にない。刹那で忘れた」
「ぐぬぬ……絶対覚えてるじゃん、確信犯めぇ……!」
詰め寄る鈴に対してユエは目線を逸らして白々しい態度をとる。
実は少し前に、七つ目の迷宮を攻略し終えて帰還の目途がつくまではお互いに手出し無用という盟約(笑)を交わしていたのだ。受験が終わるまでは遊んだりするのを我慢するのと同じでようなものである。
なお、その盟約は一週間もしないうちに崩れ去った模様。
北条に抱き着こうとするユエを鈴がディフェンスしていると、続々と他の仲間達が起き始めた。
三番目に試練をクリアしたのはハジメ。その次にティオ、シア、香織と続き、お互いの試練についてスープで体を温めつつ意見を交わし合っていた。
「うぅむ、この迷宮では絆を試されていると思うておったのじゃが……。どうやらそのような単純なものではないようじゃな。此度の試練は、方向性は違えど神山と同じような『誘惑を跳ね除ける意志の強さ』を確認するといったところかのう」
「そうですねぇ。私の場合はお母様がいて、マモルさん達もいて、皆仲良く暮らしている夢でした。……確かに現実は辛い事がいっぱいありますが、それがあったから皆さんとこうしていられるんです! だったら私には今を否定する理由なんてありません! あ、おかわりお願いします!」
「……マモル、私もおかわり」
キメ顔でシアはそう言って、空になったお椀を北条に勢いよく突き出した。確かに夢の中であっても母親に再会できたのは嬉しいのだが、シアはすでに母親の死を受け入れている。夢に逃げるほど心は弱くないのだ。
良い意味での図太さ。それがシアの真骨頂である。
あはは、と苦笑いするハジメだったのだが、彼の場合はなんてことない夢だった。
いつも通りの生活を送っているだけで、そこにトータス組が追加になっているだけの夢。これと言って自己顕示欲もなく、オタクとしての日常を送っているだけで幸せだったので特別何か変わった事は無い。
むしろ神代魔法をコンプリートして世界を超える術が見つかったら正夢になるんじゃ? と割と暢気なことを考えている始末である。
「……このスープ美味しいよね。塩加減も丁度良くて……ところで谷口さんはどうしたのさ?」
「ゆ、夢の内容を思い出して……。お願い、今は何も言わないで……! 冷静に考えなくてもまもるんがあんな事言うわけないじゃん……」
胃に溜まる熱を感じながらちらりと視線を横に向けると、両手で顔を覆った鈴が耳まで真っ赤にして蹲っていた。ユエとの攻防が一段落し、試練の内容を話し合うにつれて鈴の脳内に溢れ出した夢の中での記憶。
内容について言うのであればユエと大差ないレベルだったが、こちらの北条は絶対に言わないような甘ったるい言葉を使っていたという違いがある。
例を挙げるのであれば、「鈴、お前以外の女は考えられない(イケボ)」「世界一強い男になって一生お前を守る(イケボ)」「髪に芋けんぴ、付いていたぞ(イケボ)」などである。それも壁ドンや顎クイッのオプション付き。
うがー! と鈴が記憶を消し去ろうとしていると、やがて幸利と恵理がゆっくりと起き上がる。
どうやらこの二人も試練をクリアしたようだ。残りは光輝だけである。
「……あー、うん、そう言えば……。そっかぁ、あの時からかぁ……」
恵理は寝起きで頭が上手く働いていないのか、頭をフラフラと前後させながら何やらブツブツと呟いている。心なしか、普段よりも雰囲気が違うし声が低く聞こえる。
対して幸利の方はと言うと、シアを見て、ティオを見て、それから他のメンバーを見て、顔面崩壊を起こした後、棺に頭をぶつけ始めた。
「ぬうおおぉぉぉ!! ワンチャン現実かと思ったけどやっぱ夢じゃねェかああぁぁ!!」
急に奇行に走り始めた幸利だったが、すぐに気持ちの整理がついたのか北条からスープを受け取ると一気に飲み干した。
はあはあ、と荒い息を吐いて再びシアを見て、ティオを見て、それから他のメンバーを見て、再び顔面崩壊を起こした後、今度は頭を抱えて鈴と同じように蹲ってしまった。
「ユキトシさ~ん、どんな夢を見たんですかぁ~? 教えてくださいよ~」
「ほれほれ、言うてみよ。シアと妾の方を見ておったのじゃが、気のせいかのぅ? ん?」
「ぜ、絶対に言わねえ! くっ……、殺せ!」
幸利の行動を見てある程度夢の内容を察した面々。これ幸いと言わんばかりにシアとティオが殴りたくなるようなニヤつき顔で幸利をツンツンと指で突き始めた。
「……あはは、なんだかんだでいつも通りの空気になってきたね」
「……私が見た理想の世界にはね。ハジメくんがいたんだ」
ハジメが苦笑いをしていると、隣に座っていた香織がポツリと話し始めた。あまり声は大きくないが、不思議とハジメには良く聞こえる。
「僕が?」
「うん。その世界ではハジメくんはすごく強くて、何でもできて、皆から人気があって、私だけを好きでいてくれたんだ」
目を閉じて、香織は試練の内容を思い浮かべる。そこらのチンピラであればワンパンで追い払えるくらいに強くて、勉強もスポーツもお洒落も出来て、色んな女の子から好意を寄せられていて、それでいて香織だけを愛してくれる。
まさに夢のようだった。いつも妄想している世界がそこにあった。最初はその状況に喜んだ。自分の都合のいいように受け答えしてくれる大好きな男の子。夢の中のハジメはどんな我儘だって笑顔で受け入れてくれた。
「だけど、違うんだよね。私は中学の時からずっとハジメくんを見てたけど、ハジメくんはそんな人じゃない」
「ちょっと待って。僕と香織さんって中学校は別々だったよね? 出会ったのって高校が初めてだよね?」
「……? そうだけど、私はずっとハジメくんを見てたよ?」
「どういう事なの……」
真剣な顔でとんでもない事を言い放った香織に頭を抱えるハジメ。確かにハジメは高校で香織と出会ったが、香織はそれ以前からハジメの事を知っていた。
中学生の時、ハジメは不良に絡まれているおばあさんを助けるために土下座をしたことがあるのだが、香織はその場面をたまたま目撃してハジメに興味を持ったのだ。
その時は声をかけなかったので名前を知ることも出来なかったのだが、ハジメが着ていた制服から学校を特定し、さらに探偵さながらの張り込みをすることで個人を特定したという、ハジメが聞いたら顔を引きつらせそうな事を行っていたのだ。控えめに言ってストーカーである。
「優しくて、控えめで、人を気遣えて。オタク趣味で、好きなことに熱中するとちょっと周りが見えなくなることがあって。でもそういう時は決まってすごく楽しそうで――」
「っあ、やっぱり夢だったのか……? そうだ、香織――!」
香織は真っすぐにハジメを見つめながら言葉を続けていく。視界の端っこの方で光輝が目覚めて棺から起き上がるが、全く意に介する様子は無い。
雰囲気から香織が言おうとしている事を察して、光輝が香織に向けている感情を分かっている面々は「あっ」と憐みの目を光輝に向けた。
「私が好きになったハジメくんは、そんな男の子なんだよ?」
「……あ、うん、ありがとう……」
少し恥ずかしそうに、それでも言い淀むことなく香織は言い切った。誤魔化しようがないほどの真っすぐな告白だった。今まではそれらしい行動を取っていたが、言葉で伝えてきたのは初めてだ。さしものハジメも顔に熱が集まる。
ハジメは割と学校ではそれなりに人気があるが告白されるのは初めてで、しかもその相手が見た目だけなら雫と並んで『二大女神』と称される、極上の美少女である香織である。ちょっとおかしい所があるが基本的に性格もいい。
「その、気持ちは嬉しいけど。旅が終わるまではそういうのは控えるべきかなって僕は思うんだけど……」
「うん、分かってる。だから、それまでにハジメくんに好きになってもらえるようになるね。……ふふっ、言っちゃった。こうなったら覚悟してね、ハジメくん」
「て、手加減してもらえると嬉しいかな……?」
頬を染めてはにかむ香織と照れくさそうに頬を掻くハジメ。そしてそんな二人を囃し立てる鈴、幸利、シアと優しく見守っているユエ、ティオ。恵理は腰のあたりでガッツポーズを作っていた。
「???????」
なお、起きたばかりの状態で目を疑いたくなるような光景を目撃してしまった光輝は、情報を処理しきれずそのままフリーズした。
その後、全員試練達成と言う事で次に進むための魔法陣が現れたのだが、光輝は脳が破壊されて動けなかったのでシアが憐みの目を向けながら引きずって魔法陣に乗せる事になった。
ハジメくんはホルアドの宿屋ではほもくんと同室でした。
なので白崎姉貴は月下の語らいをキャンセルされたわけですね。