また、前話にて後藤さんが一言だけ語り、後書きにも書かせていただいた『とある日課』についての話になります。
猩々緋砂鉄を使った日課という事で、想像できた人は割と多いかと思います。
「フゥ~……」
夕陽差す、茜色の空の元。
煉獄家の庭先で、烈海王は日課の鍛錬に臨んでいた。
槇寿郎からは、前田による手袋の修繕が終わるまで、ゆっくり休んでいると良いとは言われたものの……
この鍛錬だけは、どうしても欠かす訳にはいかなかった。
彼の目の前にあるのは、巨大な木箱―――煉獄家で保管されていた物を貸してもらっている。
日によって、手持ちの皮袋等で代用する場合はあるが……重要なのは、その中身だ。
木箱の内部八割程を埋め尽くす、漆黒の砂―――猩々緋砂鉄である。
これは、耀哉に便宜を図ってもらい刀鍛冶の里より譲り受けた、極めて純度の高い最高級品だ。
優れた刀鍛冶が材料に用いれば、間違いなく最上級の業物が出来るだろう素材である。
しかし……烈海王にとって、この砂鉄は素材に非ず。
「墳ッ!!」
手刀を作り、勢いよく木箱の中へと突き下ろした。
決して指を曲げず、反らさず、真っすぐに。
その勢いたるや凄まじく、容易く手首の深さまで到達する。
「疾ッ!!」
そして素早く引き抜き、今度は反対の手で同じく突きを繰り出す。
こちらの手も同様の威力を以て、深々と木箱へと突き刺さっている。
砂鉄を満載した容器目掛けての、手刀の交互打ち込み。
中国拳法においては言うまでもなく、現代日本でいう空手等にも伝わっている貫手の伝統的な鍛錬である。
強靭な指先を作り上げるには極めて効果的だが、手指を襲う激痛に耐え兼ね投げ出す者も多い過酷な打ち込み。
これを烈海王は、入隊以来ほぼ毎日繰り返しているのだ。
尤も……彼がこの鍛錬を行う目的は、手指を鍛え上げる為だけではない。
そもそも、打ち込むのは手刀のみではないのだ。
「ヌンッ!!」
手刀を繰り返す事、千発後。
今度は、木箱の中へと両足で踏み入り……片足ずつ交互に、垂直に打ち下ろし始めたのだ。
無論、靴を脱いで素足の状態だ。
砂鉄への足踏み―――というには、足首まで埋まる程に強烈すぎる振り下ろしだが―――を、これもまた千回行う。
近代アスリートが脚力トレーニングの為に、砂場でのランニングを行う場面はよく見られる。
通常の走り込みよりも脚にかかる負荷は大きく、足腰やバランス感覚を磨くには打ってつけなのだが……無論、烈海王の目的は別にある。
鬼狩りを行う上で、必ずや役に立つ時が来ると……この日課には、ある期待を懸けているのだ。
「お疲れ様、烈さん」
そして、千回目の踏み込みが終わった丁度その時。
水を張った木桶に手ぬぐいを持って、槇寿郎が烈海王へと歩み寄ってきた。
どうやら、鍛錬が終わるタイミングを見計らって用意してくれたらしい。
烈海王は頭を下げて手ぬぐいを受け取り、手足の汚れを払っていく。
「ありがとうございます、槇寿郎さん。
庭先や道具を貸していただけただけでも十分なのに、ここまで手厚くしていただきまして……」
「何……これでもまだ足りないくらいさ。
あの日……烈さんと初めて会った時の事を思えばな」
烈海王は自身への手厚い待遇に感謝をするが、槇寿郎からすれば当たり前の事であった。
何せ……彼にとって烈海王は、掛け替えの無い恩人なのだから。
◇◇◇◇◇
「はじめまして、煉獄千寿郎です。
いつも、兄がお世話になっております」
それは、烈海王が入隊を果たしてから幾日たったある日の事だった。
久方ぶりの休日だが特に予定もなく、鍛錬に時間を費やそうと考えていた矢先に、杏寿郎から声を掛けられたのだ。
――――――烈さん、もしよろしければ俺の家に来てみないか? 歓迎しよう!
御前試合以降、何かと気にかけてくれている杏寿郎からの誘い。
勿論烈海王に断る理由もなく、鬼殺隊の中でも古い歴史を持つ煉獄家への興味もあった為、お邪魔する事にしたのだ。
「はじめまして、千寿郎さん。
烈です……君の事は、杏寿郎さんからよく聞いているよ。
安心して家を任せられる、自慢の弟だと」
「そんな……恐縮です」
兄と瓜二つの容姿―――特に特徴的すぎる髪形―――を持つ千寿郎にやや驚きつつも、烈海王も礼節をもって返答する。
実に礼儀正しく、優しい雰囲気を持った少年だ。
兄とはまた違うが、人間が良く出来ている……きっと、両親や杏寿郎の教育の賜物だろう。
「ふむ……千寿郎さん。
見たところ、その腕回りの筋肉……やはり君も、剣の鍛錬を積んでいるようだな」
「あ……はい、その通りです。
私も、兄上達と同じく炎の呼吸を……分かるんですか?」
「ああ……君もきっと、良き武芸者となれるだろう」
また……鬼狩りを生業とする煉獄家の人間なのだから、ある種当然かもしれないが。
実年齢を考えればしっかりしている筋肉の質より、彼が鍛錬を積み重ねている事も把握した。
これは教え通り誠実に、日々怠る事なく続けているからこその物だ。
「……そんな……私は……」
しかし。
その努力を称えた烈海王とは対照的に、千寿郎の表情は暗かった。
そう……まるで、自身にはそう言われる資格が無いかの如くに。
その様を見て、烈海王は彼の事情を察した。
鍛錬を重ね、間違いなく剣の技術は学べているにも拘らず、この沈み具合……思い当たる節が一つあったのだ。
「……千寿郎さん。
失礼な質問で申し訳ないが……もしや貴方は日輪刀を?」
そう……彼は、炎の呼吸はおろか全集中の呼吸そのものに適性が無いのではないかと。
「……はい、その通りです。
私の日輪刀は……まだ、色変わりをしてくれていません」
その予想は正しかった。
千寿郎は、兄の教えの元鍛錬を日々繰り返しているにも関わらず……全集中の呼吸を、未だ身につけられていないのだ。
日輪刀の色が全く変わらない事が、何よりもの証拠だ。
「……すみません、お客様の前でこんな。
待っててください、すぐにお茶を入れますね」
気まずい空気が流れかけるも、千寿郎は頭を下げてそれを打ち消した。
折角兄が連れてきた友人だというのに、失礼な真似をしてしまった。
客人の前で取るべき態度では決してないと、すぐに対応を切り替えたのだが……
「千寿郎さん、君は何も恥じるべきではない」
それを、烈海王は力強く引き留めたのだった。
「え……?」
「自身には才が無い……そう気落ちするのは、当然かもしれない。
だが……今の君を形作っているのは、外ならぬ君自身の積み重ねだ。
技術こそ身につかずとも、その心身は立派に磨かれている。
兄を始めとする者達の教えがあるからこそ、今の己があると……そう胸を張るがいい」
強さとは、一朝一夕で手に入るモノではない。
愚直なまでの積み重ねがあるからこそ、少しずつ人は成長していけるのだ。
無論、いい加減な努力をしている者には怒りを抱く他無いが……千寿郎は正しい積み重ねをしている。
だからこそ彼は、正しい心を持って成長出来ているに違いない。
ならば実力がまだ無くとも、今に至るまでの道だけは……決して否定されてはならない。
千寿郎のみならず、彼を指導してくれた者達全てに対する非礼を働く事になるのだから。
(尤も……刃牙さんに敗れる前の私ならば、何と言っていたものやら)
しかし、そう千寿郎に説いたは良い物の……過去の己を振り返ると、何とも言えず苦笑するしかない。
あの頃は大いに慢心してしまい、随分と思い上がっていたものだ。
もしも刃牙に敗れていなければ……自身の未熟さを理解する事も出来ず、また彼を初めとする友にも恵まれなかっただろう。
「うむ……烈さんの言うとおりだ、千寿郎。
強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない。
お前は自分が思う様に、胸を張って生きればいい」
杏寿郎もまた、烈海王と同じ思いを口にした。
強さとは、目に見えるものが全てではないのだ。
例え鬼狩りとしての技量が身につかずとも、正しき道を歩む心の強さを千寿郎は確かに育んできたのだから。
「まあ、それにだ。
呼吸が使えるか否かで言えば、私とて不完全で歪な形だからな……人の事を言える立場でもない」
「それであの強さなのだから、本当に烈さんは大したものだ!
千寿郎、例え呼吸が使えずとも強くなれるという事は俺が身を以て体験した。
お前も鍛えれば、烈さんの様になれる可能性だって十分にあるッ!!」
加えて杏寿郎からすれば、自身と互角以上に渡り合った烈海王の存在がある。
彼は全集中の呼吸を扱うどころか、その存在すらつい先日まで知らず……呼吸自体も独自で自然と身に着けた、不完全体だ。
それにも関わらず、実力はあの凄まじさと来た。
そう考えると、千寿郎にも将来的な可能性はあるんじゃないだろうか。
いっそ、烈海王に空き時間で指導を頼んでみてはどうだろうか。
中国拳法を見事に身に着け、自分達にも迫る戦士になりえるんじゃなかろうか。
兄馬鹿かもしれないが、ついついそんな風に思わずにはいられなかった。
「あはは……ありがとうございます、兄上、烈さん。
少し、気持ちが楽になりました……そうですね。
まだまだ、頑張ってみようと思います!」
そんな杏寿郎達の気持ちを伝えられ、千寿郎も心なしか憑き物が落ちた様な表情だった。
自らの努力を認めてもらえた事が、余程ありがたかったのだろう。
三人ともが笑顔を浮かべ、いつしか場の空気も和やかな物へとすっかり変わっていた。
しかし……その数瞬後。
「ハッ……何を馬鹿げた事を。
お前達が努力したところで、何になると言うんだ」
それをぶち壊す一声が、客間に響いたのだった。
◇◇◇◇◇
「父上……!」
客間に上がり込み、無粋極まりない言葉を放った男―――煉獄槇寿郎は、憎らし気に三者を睨みつけていた。
「……杏寿郎さん、こちらの方が貴方達の?」
「……ああ、父の煉獄槇寿郎だ」
槇寿郎の風体は、ハッキリ言って酷い有様だ。
服装は極めてだらしなく、その手には酒瓶―――まだ昼間にも関わらず―――が握られている。
漂う酒気からしても、随分と飲んでいるのは疑いようがない。
(この男が、杏寿郎さんと千寿郎さんの父親……?
信じられん……何という、無様な……)
烈海王が彼に抱いた第一印象は、最悪の一言に尽きる。
実直で、熱い心意気を持った杏寿郎。
優しく、人を思いやる心がある千寿郎。
この二人の父親が……この様な男だというのか?
「ッ……烈さん……!?」
そう思った次の瞬間には、既に烈海王は立ち上がり槇寿郎を睨みつけていた。
この行動には流石に杏寿郎も驚き、千寿郎に至ってはオロオロしながら両者へと交互に視線を向けている。
そう、まさに一触即発の空気ッ……!!
「……お前か、杏寿郎の言っていた食客とやらは」
「ええ……烈海王です、以後お見知りおきを。
すみませんが……先程の発言は、一体どういう意味でしょうか?」
烈海王の全身から発せられているのは、明らかな怒気。
並の者ならば、それだけで委縮しかねない程に強烈なプレッシャーであった。
「フンッ……言葉通りの意味だ。
杏寿郎といい千寿郎といい……大した才能が無い者が、くだらない夢を見て何になる?
時間の無駄だ……愚かな結末を迎えるのは、目に見えている」
しかし、槇寿郎はその圧を受けても尚微塵も怯まず、変わらぬ態度を保ち続けている。
否……この場にいる者達に対する敵意は、より増していると言ってもいいだろう。
「……その言葉、今すぐ取り消してもらおうか」
そして、その意は完全に……烈海王の逆鱗に触れたッ……!!
「何だと……?
赤の他人が何を言う……俺はこいつ等の父親だ」
「父だろうが何だろうが、関係ないッッ!!!」
溜まらず、耳を塞ぎたくなる―――千寿郎は実際に塞いでしまった―――程の一喝。
流石にこれには、槇寿郎も気圧されざるを得なかった。
「才が無ければ努力をしても無駄?
否……自らの非才を認め、それでも尚強さを手にした漢達はいるッッ!!」
そう……烈海王は知っている。
自身を苦戦させた、あのスモーキン・ジョーの様に。
才能が乏しくとも努力を積み重ね、猛者となった格闘士を。
「そして、私は杏寿郎さんとの闘いを誇りに思っているッ!!
これ程までの剣士がいたのかと、歓喜に打ち震えたッッ……!!!」
何より、杏寿郎との闘いで得られた充実感は他に代え難い物だった。
全集中の呼吸とは如何なる物かを、この上なく思い知らされた。
対剣術について、改めて考えさせられた。
煉獄杏寿郎という素晴らしい剣士に、鬼殺隊との出会いに、心より感謝した。
「それを……侮辱するかッッ!!」
故に……その全てを否定する槇寿郎の発言は、到底許せるものでは無かったのだ。
◇◇◇◇◇
「才能が無くとも、努力すれば強くなれる……?」
烈海王の怒声。
それを耳にした途端に、槇寿郎は凄まじい憤怒の形相を浮かべた。
つい今しがたまでも、不快感を露わにした表情ではあったものの……それどころじゃないレベルでの、激怒具合だった。
槇寿郎にとっては、何よりもの逆鱗に触れてしまったが為に。
「お前に……お前に、何が分かるッッ!!
部外者がッ……鬼殺隊の歴史を何も知らない、貴様がァッ!!」
その拳を固く握り絞め、即座に全集中の呼吸を実行する。
腕部には怒りの血管が強く浮き出て、激しく脈打っていた。
素人目でも見て分かる、異常な力の込め具合だ。
「父上ッ!?
駄目です、いけませんッッ!!」
咄嗟に杏寿郎が止めに入ろうとするも、時既に遅し。
槇寿郎はもう、烈海王の前へと踏み込んでいた。
そして、固められた右拳を彼の顔面目掛けて全力で突き出しッ……!!
――――――シュッ。
「ッ……!?」
空を切った。
烈海王は、首を横へと傾け紙一重で拳を躱していたのだ。
そして……言うまでもなく、この間合いは烈海王の得意とするモノ。
「破ァッッ!!」
右の拳を強く握りしめ、至近距離からの打撃を槇寿郎の腹部へ見舞うッ……!!
――――――ドッッ!!!
「ヌグゥッ……!?」
「むッ……!」
しかし。
命中こそ確かにしたものの……烈海王の表情には、驚きの色が浮かんでいた。
何故ならその拳が、狙いとは別の部位―――槇寿郎の左脚を捉えたのだから。
(咄嗟に脚を上げ、防御したかッ……!!)
そう……槇寿郎は腹部に拳が来ると瞬時に察知し、膝を上げてガードしたのだ。
それも、ダメージを最大限に抑えられる様に脚の硬い部分で受け止めている。
酔っ払いの身とは到底思えぬ、状況判断力と身のこなし。
一朝一夕では為せない、長年の経験則による動きだ。
「ッ……アァァッ!!」
更に、反撃へと転じるスピードも速かった。
避けられた右拳を開き、槇寿郎は烈海王の後頭部を掴みにかかったのだ。
狙いは、床への脳天叩き付けだ。
頭部への強い衝撃で、烈海王を昏倒させるつもりである。
また、もし仮に意識を刈り取れなかったとしても、うつ伏せに持ち込めるのは大きい。
肘打ちや踏み付けといった追い打ちを仕掛ければ、決して小さくないダメージを与えられるからだ。
「何ッ!?」
しかし、槇寿郎の手はまたしても空を切った。
その行動を読んだ烈海王が、前のめりの姿勢を取り頭部を下げていたからだ。
重ねて言うが、前のめりの姿勢だ。
即ち、重心を前方へと置いた体勢……込められた力を、前へと打ち放つ為のッ!!
「破ァッッ!!」
無寸勁。
間合いの無い密着状態―――即ち零距離射程から放たれる、避けようのない一撃である。
巧みな体重移動によって全体重を拳に乗せ、衝撃を瞬時に伝播させて相手を突き抜く。
中国拳法が誇る秘儀だ。
それを烈海王は、槇寿郎の脚部に防がれた右拳を引き戻さず、逆にそのまま押し当て放ったのだ。
――――――バシィィッッ!!
「ッ……ガァッッ……!!?」
槇寿郎の表情筋が、苦痛に歪む。
無寸勁の威力は、長年鬼狩りとして戦ってきた彼にとってすら、未知の代物だった。
撃たれたのは、間違いなく脚だった。
しかし、驚く事に……痛みが走ったのは、その反対側―――背中だったのだ。
(衝撃が、突き抜けたッッ……!?
打撃の……波ッッ……!?)
釜鵺戦でも見せた、体内まで衝撃を響かせる発勁の拳撃。
しかし今の一撃は、響かせるどころでは無く……貫いたのだ。
水面に生じる波紋の如く、威力の波がッ……!
脚から全身を瞬時に伝播して、背中へと到達し炸裂したッッ……!!
「ッッッ……!!??」
その痛みに、耐える事叶わず。
槇寿郎の身体は、背中より床へと崩れ落ちたのだった。
◇◇◇◇◇
「ち、父上ッ……!!」
倒れ込んだ槇寿郎へと、杏寿郎と千寿郎が二人揃って慌てて駆け寄り、その身を起こした。
(あの父上が……こんなに、あっさりと……?)
痛みに耐え兼ね、倒れ伏す父親の姿。
それは千寿郎にとって、信じられない光景であった。
如何に酒浸りと言えども、かつては先代炎柱として鬼殺隊を支えてきた父が……こうも呆気なく倒れるとは。
(……父上を、倒してくれた……!)
しかし。
(ッッ……!?
そんな……私は今、何を考えて……『倒してくれた』だなんて……?)
不思議な事に……千寿郎の胸中にあったのは、奇妙な高揚感であった。
実の父親が、目の前で無様を晒されたというのに……息子として、寧ろ怒らなければならない場面だというのに。
(……感謝している……?
烈さんが、父上を倒してくれて……?)
どういう事か、怒りどころか……感謝の念が湧いてきたのだ。
――――――才能が無い者が、努力して何になる?
――――――剣士になんかなっても意味がない……お前如きに、何が出来る?
(……あ……)
直後、脳内に響いてきたのは……かつて父が放った言葉の数々。
努力を重ねる兄や自分に対する、強烈な侮蔑。
そして……言い返す事が何も出来ずにいた、非力な自分がいた。
(……そうか、私は……)
悔しかったのだ。
己の努力が無駄であると、罵られた事が。
尊敬する兄を、才能の無い塵芥と称された事が。
だが、自分には反論する事が出来なかった……父に逆らう勇気も、力もなかったのだから。
悔しくても、その思いを吐き出す事が出来ずにいた。
それを今……己の想いを代弁するかの様に、烈海王が吼えてくれた。
だから……すっきりしたんだろう。
溜まった鬱憤を、ようやく晴らせたのだから。
「……烈さん。
父上の非礼に関しては、俺から詫びよう。
俺や千寿郎の為に怒ってくれた事も、重々承知している」
しかし。
杏寿郎の方は、流石にそうもいかなかった様だ。
「だが……それでもだ。
父上を目の前で殴り飛ばされて、流石に黙っている訳にはいかない」
烈海王が如何なる思いで拳を振るったかは分かっている。
まして先に手を出したのは槇寿郎なのだから、立派に正当防衛として成り立つ行動だ。
「杏寿郎さん……それは、息子だからですか?」
「そうだ。
他者にどう思われようとも、俺にとってはたった一人の父上だ」
それでも……息子として。
一人の漢として……父の背は、特別なのだ。
「杏寿郎……」
毅然とした態度を取る杏寿郎の姿に、槇寿郎は複雑な胸中であった。
無能であると散々こき下ろし、侮蔑を続けた男だというのに……それでも尚、息子として自分に敬いの気持ちを向けられるのかと。
(兄上……私は……)
また、複雑なのは千寿郎も同じであった。
父が倒された事には、スカッとした気分であったが……杏寿郎の気持ちもまた、良く分かる。
鬼殺の剣士として、武に生きる兄だからこその想いなのだろうと。
己の想いは、力が無いからこそのものだ。
だから、もし……例えば、自分が兄の様な鬼狩りであったならば。
今より少しだけ、力があったとしたら……やはり、兄と同じような怒りを抱いたかもしれない。
先代炎柱たる父が……目指すべき漢が、倒された事に。
強い男親というのは……強さを求める息子にとっては、何よりもの憧れなのだから。
◇◇◇◇◇
(……父と子、か)
杏寿郎の強い視線に、烈海王は己が友の面影を見た。
範馬勇次郎と範馬刃牙然り。
愚地独歩と愚地克巳然り。
皆、強き父親を誇りに思い尊敬していた。
その背に追いつこうと、日々必死に戦い抜いていた。
きっと、杏寿郎も同じなのだ。
今でこそこの体たらくだが、かつては炎柱に相応しい憧れの存在だったに違いない。
そうでなければ……彼程真っすぐな漢が、この父親にここまですまい。
(だから……な)
だから、余計に許せなかったのだろう。
杏寿郎達を侮辱された事のみならず……息子から尊敬と憧れの視線を向けられておきながら、堕落した日々を過ごす父という存在が。
勇次郎や独歩、マホメッド・アライといった偉大な父親達を知っていたが為に。
それ故に、怒りを抱き……そして、疑問も生じた。
「……槇寿郎さん。
貴方は炎柱に就任されるまで、並々ならぬ努力を重ねたのでしょう。
今の攻防でも、それははっきりと伝わった。
だから、杏寿郎さんはこうして貴方を慕ってくれている……貴方は幸せ者だ」
「烈さん……」
先程までとは一変し、烈海王は静かな口調で槇寿郎へと語り掛け始めた。
纏う空気も穏やかなもので……杏寿郎も、烈海王へと向けていた覇気を思わず緩めてしまった程だった。
「流石は先代炎柱と言うべきか。
引退しても尚、身に着けた技量は健在であるという事……」
口にした通り、先程の攻防は結果だけ見れば、己の圧勝にこそ終わったものの。
槇寿郎の反応速度に状況判断力は、烈海王をして目を見張るものがあった。
それ故に……どうしようもない、一つの矛盾が生まれてしまった。
「だからこそ、私には分からない。
槇寿郎さん……何故貴方は、努力を否定するのですか?
柱になるまで鍛錬を重ね、炎の呼吸を極めた……外ならぬ貴方が」
誰よりも努力を重ねたであろう漢が、何故他者の努力を否定するに至ったのかと。
烈さんの日課の正体は、超高純度の猩々緋砂鉄への突き・足踏みでした。
どうして、こんな日課をしているのかですが……刃牙を読んだ方々には、もうお分かりかと思います。
空道の修行で語られ、また李海王も類似した鍛錬を行っていた、アレです。
幾ら特注品の手甲や靴があるとはいえ、あの烈さんの事……鬼を殴り倒すのにはやはり、己の手足を使いたいと思うに違いなく。
そこで、この様な日課に取り組んでいる訳です。
Q:烈さん、いきなり煉獄パパ殴り飛ばしちゃったけど、流石に無礼過ぎない?
A:喧嘩を売った上に地雷をいきなり踏み抜いたのはパパさんの方なので、どっちもどっちです。
てかつい最近、本家の異世界転生烈海王でも竜殺しの爺さん相手にもっと失礼な不意打ちしかけてるので、これぐらいはまだアリな方だと思います。
Q:千寿郎くん、パパが殴り飛ばされたのにスカッとしてるのは流石にどうなんだろ?
A:原作でも炭治郎が頭突きをかました際「自分は父に言い返せなかったから、炭治郎がやってくれてすっきりした」と話してますし、父への恐怖や遠慮等溜まってた鬱憤もあっただろうから、寧ろ当然の反応かもしれません。