鬼狩り? 私は一向に構わん!!   作:神心会

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大変お待たせいたしました。
正直言うと、今回の話は難産で納得いくまで何度も書き直しをしておりました。
結果、烈海王vs猗窩座を超える過去最大の長さになってしまいました。

かなり独自の解釈が入っており、違和感を覚える描写があるかもしれませんがご了承ください。



30 再会

 

 

 

 

 

―――あれは、入隊してから三ヶ月程経った日の事だった。

 

 

 

 

 

―――岩柱、悲鳴嶼行冥。

 

 

 

 

 

―――任務中、隠の一人が口にした称号と名前……最初は、何かの間違いだと思った。

 

 

 

 

 

―――あの人が、生きている筈が無い……まして、柱の一人になっているだなんて。

 

 

 

 

―――同姓同名の別人に違いない……そう、安心したかった。

 

 

 

 

 

―――だから……片っ端から聞きまくった。

 

 

 

 

―――岩柱は一体、どんな人なのかって。

 

 

 

 

 

 

―――そして……絶望した。

 

 

 

 

 

 

―――聞けば聞く程、否定する事が出来なくなっちまった。

 

 

 

 

 

 

―――岩柱は……間違いなく、あの先生だった。

 

 

 

 

 

 

―――以来、岩柱の存在は……俺にとって、最悪の過去の象徴になった。

 

 

 

 

―――もしも会ってしまえば、否応でもあの日の事に触れざるをえなくなる。

 

 

 

 

 

―――それが……怖くて、堪らなかった。

 

 

 

 

 

―――だから、絶対に会わないようにと……出来る限り、その可能性を避けてきた。

 

 

 

 

―――俺のやってる事が、あの日と同じ……『逃げ』なのは承知の上だ。

 

 

 

 

 

 

―――それを……あの男がッ……!!

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

木々生い茂る山の奥。

 

岩柱―――悲鳴嶼行冥が居を構えるその地にて、四人の漢達が静かにその時を待っていた。

 

 

 

「…………」

 

 

一人は勿論、悲鳴嶼行冥。

屋敷の縁側に静かに腰かけ、両の眼を閉じたまま微動だにしていない。

それは断じて、くつろぎや安らぎに非ず……強い集中を以て心を落ち着かせ、肉体と精神の安定を保つ瞑想状態にあるのだ。

 

 

 

そうしなければ……この後、己を待ち受ける運命に冷静に向き合えないだろうから。

 

 

 

「……そろそろ、約束の時間ですね」

 

 

そんな彼の側に立つのは、二人目―――不死川玄弥。

一時期、悲鳴嶼の弟子として行動を共にしていた隊士。

産屋敷の面々や柱の面々に並び、悲鳴嶼の人柄をよく知っている男である。

 

 

 

「うむ……」

 

 

 

そして、三人目―――烈海王。

今の状況を作り出した、全ての発端たる男。

この場に立ち会う義務があるとして―――悲鳴嶼自身も、そうして欲しいと懇願した―――玄弥を伴い参上した次第であった。

 

 

 

 

 

「ッ……!!」

 

 

 

 

次の瞬間。

悲鳴嶼の両目が、勢いよく開かれた。

既に光を失い、役こそ成さないものの……その視線は、微塵のブレも無く前へと向けられていた。

 

その卓越した聴力と皮膚感覚で、来訪者の存在を瞬時に察知したのだ。

 

 

 

 

「……来たか」

 

 

 

 

数瞬後に烈海王、その数秒後に玄弥も感知する。

 

山道を踏み抜く足音、微かに聞こえてくる息遣い。

 

 

 

人の存在を知らせるあらゆる要素―――気配が、徐々にこの場へと近づいてきている。

 

 

 

 

「……待たせたの、行冥。

 烈さんも、お久しぶりじゃの」

 

「こちらこそ……ご足労いただきありがとうございます、慈悟郎さん」

 

 

 

そうして現れたのは、義足を身に着けた老人と一人の隊士。

 

 

老人の名は、桑島慈悟郎。

かつては鳴柱として多くの鬼を狩り、脚の負傷を理由に現役を退いてからも尚育手として隊へと貢献し続けている剣士。

正しく『達人』と呼ぶにふさわしい人物である。

 

柱として長く任に勤めている悲鳴嶼とは知己であり。

また烈海王も、過去に起きたとある事件が切っ掛けとなって、慈悟郎とは交流を重ね続けている。

 

 

 

 

 

 

そして……その事件を起こした張本人こそが、彼が連れ立って来たこの隊士。

 

 

 

今回、この会合を開くに至った原因を生み出した男。

 

 

 

 

 

 

「……獪岳……なのだな」

 

 

 

 

桑島一門の一人にして、かつて悲鳴嶼と寝食を共にしていた子。

 

 

 

 

「……久しぶりです……先生」

 

 

 

 

あの、獪岳である。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

―――烈海王……あの男だけは本当にッッ……!!

 

 

 

 

―――遠慮なんて物は一切ねぇ……人の触れてほしくねぇところに、ずけずけと踏み込んだ挙句、ボコボコにしやがって。

 

 

 

 

―――嫌でも……認めたくねぇ自分の弱さを、思い知らされちまうハメになっちまった。

 

 

 

 

 

―――そして、挙句の果てには……避け続けていた先生の前に、俺を引っ張り出しやがった。

 

 

 

 

 

 

―――ああ……本当に、嫌な思い出だよッ……!!

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

(……く……空気が、重い……!!)

 

 

無意識の内に、玄弥は硬く両の拳を握り絞めていた。

その額と背からは、冷たい汗が滲み出している。

 

 

場の空気が、あまりにも重いのだ。

ただ立っているだけだというのに、強力な圧に体力を奪われていく。

 

 

原因は言わずもがな、眼前の悲鳴嶼と獪岳だ。

両者共に挨拶を済ませたはいいものの……そこからの展開が無かった。

互いに押し黙り―――悲鳴嶼はその視線を真っすぐに獪岳へと向け、一方獪岳は気まずそうに下へと俯いている―――硬直状態に入っている。

どちらとも、何を口にすればいいか、何から話せばいいかが分からないのだろう。

 

玄弥とて、二人の間で他者には推し量れぬ事情があったのは勿論承知している。

承知してはいるのだが……それでも、このどんよりとした空気は堪ったものではない。

 

 

 

さながら、背に丸太を括りつけられているかの如き重みッッ……!!

 

 

かつての師を支える一助になれればと思い、この場に来たわけだが……まさか、ここまでとはッ……!!

 

 

 

 

 

「……獪岳。

 そう俯いていては、何も始まらんぞ」

 

 

故に、状況を変えるべく烈海王が動いた。

このままでは決して、二人のためにはならない……それは望むところではない。

だからこそ、立会人の任を引き受けたのだ。

 

 

 

如何に辛い事であろうとも、戦士が闘い―――眼前の相手、そして忘れがたき過去との―――から目を背けるなど言語道断。

 

 

立ち向かわせる義務があるッ……!

 

 

 

 

「二つほど、分かった事がある。

 まず一つ目だが……悲鳴嶼さんは先日まで、お前が入隊している事を知らなかった。

 だが獪岳、お前はそうじゃないな?」

 

「ッッ……!!」

 

 

 

出会いの瞬間に起きた、両者のリアクション。

烈海王は、それを見逃していなかった。

悲鳴嶼は獪岳の存在を己がレンジに捉えた瞬間、驚愕して目を見開き―――見えていない瞳なれど、反射的に動いたか―――身体を硬直させていた。

 

 

一方で獪岳は、驚きこそしてはいた様だが……親しき者の生存を知ったにしては、反応が小さかった。

 

 

これが見ず知らずの人間だったならば、ただ希薄な性格―――例えば冨岡義勇の様な―――と取る事も出来ただろう。

だが、烈海王は一度獪岳と闘っている……彼の人間性を、ある程度だが把握している。

 

 

自己の在り方こそ絶対という傲慢さは、決して褒められたものでは無い。

しかし才に胡坐をかく事はせず、努力を怠らず上を目指す熱さもまた持ち合わせている。

何より、自身が認められないと感じた相手に対するあの苛烈さ。

 

 

そんな彼の事である……死んだと思っていた知己に出会ったならば、身振りなり言葉なりで大きく意思を発する筈だ。

生きていたのか、あれから何があっただと捲し立てるか。

或いは、くたばりぞこなったか等と皮肉を言うに違いないだろう。

 

 

なのに、そういった返しは一切なく……ただ、久しぶりだと口にしたのみ。

慈悟郎が事前に説明をしていたとはいえ、面と向かえばもう少し何かがあった筈だ。

 

そして……俯き視線をそらしたその姿勢から伺えるのは、明らかな恐怖の感情。

 

 

ここまで材料が揃ってしまえば、答えは一つしかない。

 

 

 

「お前は、悲鳴嶼さんの事を以前より知っていた。

 その上で、出会わないように避け続けてきた……異論はあるか?」

 

 

「ッッッ!!!???」

 

 

その言葉に、獪岳は勢いよく頭を振りあげた。

 

息を荒げ、先程以上の驚愕の色で顔を染めて……その身を、大きく震わせながら。

 

 

 

 

相違ないと……言葉が無くとも、そう全身が雄弁に語っていた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「獪岳……」

 

 

自らが意識的に避けられていたという事実に、悲鳴嶼は握った拳を強く震わせた。

 

獪岳の様子から、恐らくそうだろうとは思っていた。

だが、同時に……そうであってほしくないという思いも、彼は捨てきれないでいた。

 

この手で育てた子の一人であったが故に。

自身と同様、今日この時まで互いの存在を知らぬままに生きてきた……僅かなその可能性に賭けていた。

 

 

 

 

しかし、そうではなかった……ならば。

 

 

 

「……過去の出来事について、私は悲鳴嶼さんから聞いた話でしか知らない。

 故に、失礼な言い方にはなるが……悲鳴嶼さんの主観でしか事態を知ることが出来なかった。

 だから、何か事情や誤解が生じているのではという懸念もあったのだが……」

 

 

 

獪岳が避け続けた理由は……やはりッ……!!

 

 

 

「これが二つ目だ……間違いではないのだな。

 お前が……悲鳴嶼さんや寺の子を、犠牲にしたのは」

 

 

 

己が助かる為に、鬼を手引きした……それが事実ッッ……!!

 

 

 

 

 

「何故だ……何故、お前はッッ……!!」

 

 

 

震える声で、悲しみと憤怒が入り混じった表情で、悲鳴嶼は問いかけた。

己が運命を……家族の運命を全て狂わせた、あの惨劇。

脳裏にこびりつき、決して離れる事の無かった地獄の光景……何度、悪夢に見ただろうか。

 

 

 

どうして、夜中に一人で寺を出たのかッ……!?

 

 

 

どうして、鬼を連れてきたのかッ……!?

 

 

 

 

 

どうして、どうして、どうしてッッ……!!??

 

 

 

 

 

「ッ……追い出されたんだよ、あいつらに。

 あんたも知ってんだろ?

 そりゃあ……その事は、金をくすねた俺が悪かったさ……」

 

 

 

悲鳴嶼の剣幕を前に、言い逃れは出来ないと悟ってか。

或いは、かつての親代わりを前にしたが故の心情か。

 

一拍置いた後、獪岳は静かに語り始めた。

まずは、あの日に何故寺の外へと出てしまっていたのか。

 

 

 

「遊ぶ金欲しさで……寺の金を、少しばかり取っちまったんだ。

 勿論、金はちゃんと後で返すつもりだった……けれど、あいつらに見つかって。

 すぐに、取った金は戻したさ……だけど、あいつらはそれでも俺を許さなかった……寺から俺を叩き出しやがったんだッ……!!」

 

 

事の発端は、魔が差したが故の行いにあった。

遊びたい盛りという年齢もあって、獪岳は夜中にこっそりと、皆の生活資金に手をつけようとしたのだ。

ほんの一回だけ、使った分のお金は折を見て返す。

 

そんな甘い考えの元に、ついつい動いてしまったわけだが……それを、他の子ども達に見咎められてしまった。

勿論、獪岳はすぐに彼等へと謝り、金も元に戻したわけだが……事態はそれで収まらなかった。

 

子ども達は皆、純粋で優しく……悲鳴嶼の事を強く慕っていた。

慕い過ぎていたがために、獪岳の取った行動を決して許さなかったのだ。

日頃から、彼には素行の悪さが少々あった事もあり……獪岳を寺から無理矢理追い出したのである。

 

 

 

「……あんたも、余程俺が憎いんだな。

 分かり切ってる事を、こうやって大勢の前で口にさせて……満足かよ?」

 

 

改めて過去の罪状を口にさせるという屈辱的な行為に対し、獪岳は悪態づいた。

 

とは言え……こうして聞けば、追い出されたのは彼の自業自得としか言いようがない。

子ども達の怒りは当然と言えるだろう……その点は、彼とて流石に分かっている。

だからこそ、一言だけとはいえ己に非があることを口にしたのだ。

 

 

 

……しかし。

 

それを差し引いても、彼にはどうしても言いたい事があった。

 

 

 

「だけど……先生には言うまでもないよな?

 あの寺の周りが、夜中に危険なのは……鬼が出るかもしれないって、前から言われてたのはッッ!!」

 

 

寺の子ども達は、獪岳のその後を甘く見ていた。

真夜中に丸腰の男児を一人放り出す……それが如何に危険な行いかを想像しきれていなかったのだ。

 

鬼など空想上の産物……現実に居る訳がないと、そう考えていた可能性はあったかもしれない。

だが、鬼はいなくとも田舎―――まして、未開発の土地が多い大正時代―――の山間部とあれば、犬や猪をはじめとする厄介な野生動物は現れ得る。

下手をすれば、野盗に襲われる危険性とてあった。

 

 

「例えば、次の日の朝まで待って……皆の前で謝った上で追い出されるなら、俺だってまだ納得できたさ。

 だけど、荷物を纏めたりする猶予も何も与えられずに無理矢理叩き出されてッッ……!!」

 

 

子ども故の純真さが、悪い方向に出た結果とでも言うべきか。

引き金を引いてしまったのは、獪岳自身と言えども……こうして聞けば、彼の言い分も確かに分からないではない。

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ったッッ!!」

 

 

 

その時であった。

玄弥が獪岳に待ったをかけ、会話を強制的にストップさせたのだ。

 

 

「……獪岳。

 俺は悲鳴嶼さんから、過去に何があったかは全部聞いてるんだけど……さっきから、何かおかしくないか?」

 

「何?」

 

 

獪岳の話に……彼の放つ言葉に、妙な違和感があったのだ。

 

 

この状況下において、彼が嘘をつく理由がない。

だとすれば、互いの認識が食い違ったまま進んでいる……そうでなければ、おかしい点が一つだけある。

 

 

 

 

「獪岳……あの子達は、お前を追い出したなど一言も口にしてはいないぞ……?」

 

 

 

 

子ども達が獪岳を追い出した事を、悲鳴嶼は全く知らなかったのだ。

 

 

 

 

「何だってッ……!?」

 

 

 

これには、流石に獪岳も驚かされた。

自分が寺から追い出された事を、悲鳴嶼は把握していなかった……子ども達は、彼に話をしていなかったというのか?

 

一体、どうして……?

 

 

 

「……あの夜、お前の声が聞こえない事を私も不思議に思った。

 だから、あの子達に聞いたのだが……」

 

 

 

――――――獪岳は疲れて眠ってるよ。

 

 

 

「あの頃の私には、気配を察する術が無かった。

 視えぬこの目では、子ども達の言葉を信じる他なかった……そして、やって来た鬼の言葉ではじめてお前が寺を出ていた事に気付いたのだ」

 

「嘘、だろ……何だよそれ。

 何であいつら、俺の事をあんたに……?」

 

 

獪岳も悲鳴嶼も、共に訳が分からないでいた。

子ども達は、獪岳の事を隠していたという事になる。

何故、そんな真似をしたのか。

 

 

 

「きっと、後ろめたさがあったんじゃろうな……それに、行冥の身を案じてもおったんじゃよ。

 子ども達とて、お前を追い出した後で事の大きさに気付いたに違いない……しかし、夜道を探しに行く事も出来ん。

 かといって行冥にありのままを告げれば、今度は行冥を危険な場所へと放り出す事になる。

 朝を迎えるまで、行冥に告げられなかったんじゃろうよ」

 

 

その理由にいち早く気付いたのは、慈悟郎であった。

数多くの剣士達を育て、その成長を見届けてきた経験が為せる業か。

子ども達がどういった心情にあったのか、彼にはすぐ分かったのだ。

 

 

 

若さ故の過ち……そう呼ぶに相応しい事件だったのだと。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「そうか……だから、あの子達は……」

 

 

何故、獪岳があの日に限って寺の外へと抜け出していたのか。

また、何故子ども達はそれを自分に黙っていたのか。

 

ずっと心に引っかかっていた謎が、ようやく解かれた。

子ども達もまた、自分達の過ちに苦しんでいた。

明日にはちゃんと話そうと、そう決めて……後悔を抱えながら、あの一夜を過ごしていたに違いない。

 

ならば……申し訳ない事をした。

子どもは利己的な存在と決めつけて、その責を彼等に押し付けた……何と愚かな事か。

 

烈海王の言う通り、自分以外の視点があったからこそ気付く事が出来た。

こうして獪岳と話せた御蔭で、一つの真実が掴めた……感謝をせねばなるまい。

 

 

「……だが、獪岳。

 だからといって……子ども達を鬼に売り渡したのは、到底許せる事ではないッ……!!」

 

 

子ども達と獪岳との経緯は分かった。

そこだけ見れば、彼に同情できる点も確かに無くはないだろう。

 

しかし、鬼を手引きした事は全くの別問題だ。

彼の手によって、子ども達の命が失われ……悲鳴嶼もその心に、深い傷を負う事となった。

絶対に容認してはならない、許されざる凶行だ。

 

 

 

明王を彷彿とさせる憤怒の形相を浮かべ、悲鳴嶼は全身より圧を漲らせた。

恐らくは、彼がその生涯で放った中でも最大級のプレッシャー。

 

獪岳は堪らず後ずさり、その迫力に呑まれそうになった。

烈海王と対峙した時よりも、更に激しく強いッ……!!

 

 

 

 

 

「ッッ……じゃあ、俺は死んだらよかったのかよッッ!!??

 子ども達を守るために、一人で鬼に喰い殺されてりゃあ良かったって……お前等はそう言うのかッッ!!??」

 

 

 

 

だが。

獪岳は退かなかった。

 

 

どうあっても、引き下がれぬ言い分があったのだ。

 

 

 

 

「そりゃあ、鬼殺隊士がそんな事すれば大問題さ……即刻処刑の重罪だ。

 けどなぁッ……あの頃の俺は、鬼も鬼殺隊も知らないただの餓鬼だったんだッッ!!!

 闘う方法なんてこれっぽっちも持っちゃいねぇ……そんな餓鬼にお前等は、死ねって言ってんだぞッッ!!??」

 

 

 

獪岳は、あのままでは確実に死んでいたのだ。

相手は鬼―――ただの人間では、まして子どもでは決して敵わぬ存在だ。

命乞いをしたところで、当然聞いてもらえるはずもない。

 

 

 

だから……生き延びる為には、誰かを犠牲にする他無かったのだ。

 

死にたくないが為に。

 

 

 

「ッ……」

 

 

その言葉には、悲鳴嶼も即座に言い返す事が出来なかった。

隊士としての視点でしか、事態を捉えていなかったが為に。

 

獪岳は、我が身可愛さに子ども達を差し出した……それは紛れもない事実だが、そうしなければ彼が死んでいたのもまた事実なのだ。

 

 

 

――――――他の子ども達を守るため、どうかここで死んでくれ。

 

 

 

鬼を倒すと覚悟を決めた隊士達ならば、喜んで受け入れただろう。

だが、隊士でも何でもない子どもがそう告げられて、果たしてどう感じるだろうか。

 

 

絶対的な恐怖を前に、悲しみ、嘆き、絶望するしかない中で……自らの死を選べる者が、果たしてどれだけいるというのか。

 

 

 

「だから、俺は……俺はッ……!!」

 

 

 

生き延びる為には、他に手が無かった……子ども達の死を容認する事は絶対に出来ないが、獪岳とて道を選べなかった身だ。

例え家族を犠牲にしてでもと考えても、仕方がなかったのではないか。

果たして、他に彼が生き延びられる方法があったのだろうか。

 

 

そう事実を突き付けられ、悲鳴嶼や慈悟郎は言葉を発する事が出来なかった。

 

 

 

 

ここで獪岳を否定することは、鬼より人々を守るという鬼殺隊の意思に反する。

 

 

かといって、彼を肯定してしまえばそれは、寺の子ども達の死を軽んじる結果にもなる。

 

 

 

 

 

誰しもが、沈黙し思案せざるをえなかった。

 

 

この問いには、正解など無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ただし。

 

 

 

 

「ッッッ!!!!!!

 この……馬鹿野郎ォォォォッッッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

ただ一人―――玄弥だけは、違っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――バキャァァッ!!!

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「がはぁっ!?」

 

 

頭部を迸る重い衝撃。

それが、玄弥の拳によるものだと気づいたのは、殴られた後だった。

 

震脚と共に繰り出された一撃をまともに受け、獪岳の身体は数メートル先まで大きく吹っ飛ばされていた。

 

 

 

「て、テメェ……ッ!?」

 

 

獪岳からすれば、全くもって理解不能な展開といえた。

正直なところ、この話し合いに参加した時点で悲鳴嶼に殴られるのは覚悟できていた。

慈悟郎と烈海王に拳を向けられるケースも、考えていないわけではなかった。

 

だが……玄弥に関しては、完全に意識の外だった。

 

何せ、互いに今日が初対面だ。

悲鳴嶼の元弟子にして現在は烈海王の弟子という関係上、この場にいることそのものにはそこまで不服は無かった。

 

 

 

だからこそ、分からない……何故、この男は自分を殴ったのか?

 

殴られる謂れが、どこにあるというのかッ……!!

 

 

 

「この野郎ッッ……!!」

 

 

 

困惑と強い怒りが入り混じった表情で、獪岳は玄弥を睨みつけた。

 

そして、立ち上がり反撃に出ようとする……が。

 

 

 

 

「ッッッ!!??」

 

 

 

膝から、再び地面に崩れ落ちた。

立ち上がれない……身体が、脚がふらつくッッ!!!

 

 

 

 

(く、くそッ……!?)

 

 

 

想像以上に重い拳だった。

ましてそれを、意識外の領域から……無防備な頭部目掛けて、まともに受けてしまった。

効かないはずが無い……寧ろこれは、意識を刈り取られなかった分だけマシといえる結果だろう。

 

 

 

 

尚……皮肉な話ではあるが。

 

この時の獪岳が意識を無事に保てたのは、先日の烈海王との手合わせに起因する。

 

恐るべし魔拳を散々味わったおかげか、肉体がその経験を思い出し、意識を手放さまいとしてギリギリのところで耐えてくれたのだ。

 

 

 

 

「お前はッ……なんで、そんなにハッキリ口に出来るんだッッ!!!

 自分が何をやったのか……分かってんのかッッッ!!??」

 

 

 

そんな状況の獪岳に対して。

玄弥は彼の襟首を掴み、真正面より強く睨んで声を荒げた。

 

 

 

 

その瞳に宿るのは、獪岳の何倍も強い怒り。

 

 

 

 

そして……涙であった。

 

 

 

 

 

「お前は、家族を……自分の家族を殺したんだぞッッ!!」

 

 

 

 

鬼と化した母に、兄弟は殺されてしまった。

 

 

頑張って、一緒に生きてきた家族を……大切な兄弟達を、母は手に掛けてしまった。

 

 

そして……その母を、兄はその手で殺すしかなかった。

 

 

 

 

「ずっと一緒だった家族を……兄弟を、殺さなきゃいけなかったんだろッッッッ!!??

 心が痛まなかったのかよ……何も、辛くなかったのかよッッ!!??」

 

 

 

 

あの日……家族は、バラバラになってしまった。

 

 

 

家族を失うことが、どれだけ辛いことか。

 

 

 

 

「どうして……どうして、そんな風に言えるんだよッッッ!!!」

 

 

 

 

そんな玄弥にとって……獪岳の口ぶりと態度は、あまりにも許せなかったのだ。

 

 

 

如何に、自分が生き残るために必死だったとは言えども。

 

彼等に対する謝罪は一言も無く……語るのは、ただただ自己弁護のみ。

 

 

 

 

辛くなかったというのか、悲しくなかったというのか。

 

もしも、死んだ家族への情愛が一切無いというのなら……絶対に、許すわけにはいかないッッ!!!

 

 

 

 

「お前だけは……お前だけはァァッッ!!!!」

 

 

 

 

二撃目を放たんと、玄弥は拳を大きく振り上げた。

 

そして、怒りと共に渾身の力を込めて打ち下ろすッ……!!

 

 

 

 

 

 

 

――――――ガシィッ!!!

 

 

 

 

 

 

「……そこまでだ」

 

 

 

 

しかし。

 

その拳は、烈海王によって強く受け止められていた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「烈さん……!!」

 

 

拳を掴む師に対し、悲痛な面持ちを向ける玄弥。

どうして、止めたのか……この拳を、どうして振りぬかせてくれないのか。

 

目の前の男を、どうしてッ……!!

 

 

 

「……お前の気持ちはよく分かる。

 家族を思うその心こそが、お前の強さの源だ。

 だが……今は一度、拳を引け」

 

「ッ……けど……!!」

 

 

 

如何に烈海王の言葉であっても、納得しかねる。

掴まれた拳を自由にせんと、振り払いにかかろうとする……が。

 

それよりも早く、烈海王が言葉を紡ぐ。

 

 

 

「私が鬼舞辻無惨を許せぬように、お前にとっても獪岳は許せぬ男だろう。

 だから、許せとは決して言わない。

 ただ……どうか一度、この場を私に預けて欲しい。

 これは、獪岳の為ではない……悲鳴嶼さんと、亡くなった子ども達の為なのだ」

 

 

「ッ……!!」

 

 

 

悲鳴嶼と、寺の子ども達の為。

 

そう言われれば、玄弥とて引かぬ訳にはいかなかった。

拳に込めた力を緩め、同時に隊服の襟首を離して獪岳を解放する。

 

 

彼を許すことは出来ない……しかし、彼の家族に罪は無いのだから。

 

 

 

 

 

「……玄弥、お前は先程心が痛まないのかと言ったな。

 だが……獪岳とて、家族を犠牲にしたことを何とも思っていないわけではないのだ」

 

「え……?」

 

 

烈海王の言葉に、玄弥は唖然とした。

 

獪岳が……家族を何とも思っていなさそうな、この男が?

一体、どういう意味だ……?

 

 

 

 

「悲鳴嶼さんより話を聞いてから、ずっと気になっていたのだ。

 獪岳は、鬼の恐怖を嫌というほどに味わった……死にたくないと、心の底から思ったに違いないだろう。

 だというのに……何故、鬼殺隊に入ったのだ?」

 

「ッッ……!?」

 

 

 

その一言に、玄弥は勿論悲鳴嶼もまた言葉を失った。

 

 

 

そう……鬼より命からがら逃げ果せた身でありながら、獪岳は鬼殺隊に入隊した。

 

鬼の、死の恐怖を感じていながら……尚、その恐怖に晒される道をだ。

 

 

 

 

「獪岳……お前は、安定した職に就き日々を過ごす事も出来た筈だ。

 過去の惨劇を忘れて、平穏な暮らしを送る事とて出来ただろうに……なのにお前は、剣士の道を選んだ。

 それは……子ども達や悲鳴嶼さんの事があったからではないのか?」

 

 

 

その根底には……犠牲になった者達への思いが、あるのではないだろうか?

 

 

 

 

「いい加減な気持ちで入隊した訳では、断じてない筈だ。

 私は……お前が努力を怠らない漢である事は、よく知っているぞ」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「……許されるなんて、思っちゃいねぇよ……!!

 罪滅ぼしだとか、そんな綺麗事を言うつもりもねぇ……」

 

 

しばしの静寂の後。

肩を震わせながら、喉奥から搾り出すように獪岳は声を発した。

 

 

 

 

「ただ……惨めだったんだよ、悔しかったんだよッッ!!

 あいつ等を犠牲にしなきゃいけなかった……俺自身の、どうしようもねぇ弱さがッッッ!!!」

 

 

 

烈海王の言葉に流されるくらいならば、まだ自分から言った方がマシだという判断はあったのだろうが。

 

それは、プライドの高い獪岳が発したとは思えない言葉であった。

 

 

 

他者に弱みを見せることなど決してなかった彼が……はじめて、自らの弱さを吐露した瞬間であった。

 

 

 

 

「……先生、知ってたか?

 広重、瑞穂、茂……あの三人、あんたを助けようとしてたんだぜ?

 瑞穂と茂は農具を取ろうとして、物置に回り込んで……そこで鬼にやられちまった。

 広重も、そのすぐ後にやられたけど……『誰か、先生と沙代を助けてあげて』って、小さく言い残してたよ。

 俺は……木の陰から、それを見てることしか出来なかったんだ」 

 

 

「ッ……本当なのか、獪岳ッ!?」

 

 

 

悲鳴嶼は獪岳へと駆け寄って、その両肩を掴んだ。

両手を震わせ、真偽を問い質す。

 

 

彼が名を上げた三人……忘れるものか。

自身の言うことを聞かず、寺の外へと飛び出していった三人だ。

あの時は、我が身可愛さに逃げ出したのだとばかり思っていた。

 

 

 

だが……そうでは、なかったッッ……!!

 

 

 

 

 

―――例えば、助けを呼ぼうとしたり、武器を探そうとしたり……そういった可能性があるのでは?

 

 

 

かつて、烈海王は自身にそう言ってくれた。

自分の育てた子ども達が、保身を第一にする訳が無いと。

 

あの時は、心が救われたものだが……今の獪岳の言葉は、それが事実だったという証明ッッ……!!!

 

 

 

 

「ッ……おお……!!」

 

 

 

両目より、涙が止め処無く溢れてくる。

 

 

子ども達は……最期の時まで、真っ直ぐに生きてくれていたのだッッ……!!!

 

 

 

 

 

 

「……笑っちまうよな。

 弱くて、泣き虫で、俺よりもずっと非力なあいつ等が……闘おうとしたんだぜ?

 そんなの……悔しくて、耐えられねぇよ……!!」

 

 

 

その勇気ある姿が、獪岳には眩しく見えて……自身の弱さを、突きつけられている気がしてならなかったのだ。

 

それがどうしようもない苦痛で、耐えられなかった。

 

 

 

家族を見捨てるしかなかった弱い自分が、嫌だった。

 

亡くなった兄弟達の様に立ち向かえず、逃げるしか出来なかった自分が、憎くて堪らなかった。

 

 

 

「だから……俺は、鬼殺隊に入ったんだ。

 弱い自分でいるのが耐えられねぇ……強くなりたかったんだよ……!!」

 

 

 

男として、負けたままではいられなかった。

弱い男のままでいたくなかった。

 

 

強くなりたい、強くありたい。

 

 

その一念があったが故に……彼は、鬼殺の剣士となる道を選んだのだ。

 

 

 

 

 

 

亡き兄弟達に負けぬ……己を弱いと恥じぬ男でありたいのだから。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

―――他人に弱さを見せるなんて、情けなくてみっともねぇ事だ。

 

 

 

―――ずっとそう思ってきたし、今でもその考えを変えるつもりはねぇ。

 

 

 

―――正直、善逸の甘ったるい態度には心底イライラさせられてきたもんだぜ……よくもあれだけ、みっともねぇ所を人前に出せるもんだ。

 

 

 

 

 

 

―――だから、まあ……言い訳がましいのは承知の上だが、あの状況じゃあ白状する方が良いって思ったんだよ。

 

 

 

 

―――二人の先生も……そして烈海王もいる中だ。

 

 

 

 

 

 

―――黙りこくったままでいるか、素直に言っちまうか……少しでも強くなる為には、前に進む為には、どっちが良いかって考えるとな。

 

 

 

―――今後に少しでも協力を得られるのならって……打算的なのは、勿論承知の上だ。

 

 

 

 

 

 

―――え……それは本心なのかって?

 

 

 

―――先生や子ども達に謝る機会を得られて、溜めてた気持ちをやっと吐き出す事が出来て……良かったんじゃないかって?

 

 

 

 

 

 

―――何だァ、テメェッ……?

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「……獪岳……」

 

 

全てを聞き終わった時。

既に玄弥の胸中には、怒りは殆ど残っていなかった。

 

烈海王の言うとおりだ……獪岳は、家族を何とも思っていないわけじゃない。

罪滅ぼしのつもりは無いなどと、口にしてはいるが……そうは思えない。

 

そうじゃなきゃ、こんな風に亡くなった兄弟の最期を鮮明に語れるわけが無い。

彼等が立派だったと、ああやって褒められる筈がない。

 

 

 

 

ただ、それ以上に……彼は、負けず嫌いなのだ。

自分の弱いところを他者に見せるのが、何よりも嫌なのだ。

だからこそ、隠し通そうとしてあんな態度と振る舞いをしているに違いない。

 

 

 

(分かるよ……俺だって、そうだったから)

 

 

 

それは、烈海王に出会う前の自分とよく似ている。

あの頃は、才能が無い己を……弱い自分を認めるのが嫌で、形振り構わずにいた。

少しでも上を目指せる様に、己を強く見せようとして。

 

結果、周りからは悪い印象を持たれてしまった……正しく、自分が殴り飛ばすに至った彼の様に。

 

 

 

「……ごめんな、獪岳。

 俺、お前の事……」

 

「ッ……全くだ。

 いきなり殴り飛ばしやがって……師弟揃って、腹立つぜ」

 

 

視線を合わせずに、舌打ちして毒づく。

自業自得の面はあるが、だからといって師匠にも弟子にも殴られたとあれば、流石に思うところはある。

 

 

 

だが、そうは言いつつも……先程までと比べて、その表情にはどこか憑き物が落ちたかの様な印象があった。

 

誰にも言えなかった、ずっと抱えてきた思いを―――本人はそれを素直に認めはしないだろうが―――遂に口に出来た事で。

 

 

 

 

「……先生。

 あんたはこれから、俺をどうするつもりでいるんだ?」

 

 

獪岳は、真正面から悲鳴嶼に問いかけた。

 

正直に言えば、まだ彼に対する恐怖はある。

 

胸がキリキリと痛む、喉が焼けたかの様に熱い。

抑え込んでいた震えが、再び起こり始める……辛くてたまらない。

 

出来る事なら、逃げ出したい……そうすれば、楽にはなるだろう。

 

 

 

「……言ってくれ。

 ここまで来たら……逃げるに逃げれねぇよ」

 

 

だが……獪岳は、ここで踏みとどまった。

今までの彼からは……命を惜しいとばかりに考える彼からは、考え難い行動であった。

 

烈海王達から逃げられるとは思えない、というのも勿論あるが。

ここで逃げてしまえば、それは己が弱さを認める事にもなる。

誰にも決して評価されぬ、愚か者に堕ちるだろう……少なくとも、この場にいる者達は全員自身を見限るに違いない。

それは望むところではない。

 

 

 

これ以上……そんな弱い自分でいるのは、耐えられない。

 

 

 

 

「……獪岳。

 お前の行いは、決して許せるものでは無い。

 如何な理由があろうとも、あの子達の命を奪った……その事実だけは決して消えぬ」

 

「ッ……」

 

 

決して許されはしない。

悲鳴嶼のその言葉に、獪岳は苦い表情をして歯を食いしばった。

その通りだろう。

そうするしか無かったとは言えども……彼からすれば、自分が子ども達を間接的に殺した張本人というのは、やはりどうしようもない事実なのだ。

 

 

それでも、流石にこうして突き付けられれば……心が苦しくて、重くて仕方がない。

 

痛い……今まで経験してきたどんなものよりも、ずっと大きなダメージだ。

 

 

 

 

「だが……お前は、鬼殺隊に入った。

 お前にどんな思いがあったか、その全てを推し量る事は出来ぬが……烈さんの言う通り、それは自らの罪と向き合う事でもある」

 

 

 

しかし。

そんな獪岳を……悲鳴嶼は、敢えて許した。

 

烈海王が告げた様に、彼は隊士以外の道を選ぶ事も出来た筈だった。

世渡り上手で且つ上昇志向の強い彼の事……表社会で成功する事も、十分可能だっただろう。

 

それでも、敢えてこの茨の道を選んだのは……犠牲となった子ども達の存在があるからだ。

即ち、彼は子ども達の命を背負ってこの場にいる。

 

 

ならば、その歩みをここで止めてはならない……それこそ、子ども達の命に対する冒涜だ。

 

 

 

「故に……あの子達の様な犠牲をこれ以上出さぬ様、死ぬまでその命を使え。

 力の続く限り、何があろうとも……命の限り、闘い続けろ」

 

 

そして。

悪鬼に立ち向かう道を選んだ以上、この様な場で立ち止まる事は決して許されない。

命ある限り、死力を尽くして永久に鬼へと立ち向かえ。

 

 

 

それこそが、悲鳴嶼の出した答え……獪岳に求める禊であった。

 

 

 

 

 

「そして……もしもお前が、命惜しさに同じ過ちを繰り返そうものならば。

 その時は……私が、この手でその命を絶つッッ!!!!」

 

 

 

 

同時に……悲鳴嶼もまた、罪を背負おうと決めた。

 

彼がまたしても、道を誤ったその時は……この手を、血で染めよう。

 

 

 

 

 

それが……彼を許した者としての。

 

 

 

 

そして……親としての、責務なのだ。

 

 

 

 

「……先生……」

 

 

 

 

かつての、優しく気弱だった頃の悲鳴嶼からは考えられない程に、力強く恐ろしい言葉。

だが……同時に、不思議と温かさも感じてしまう。

 

皆と共に過ごした、あの頃と同じ……あの温もりを。

 

 

 

 

「ッ……ありがとうございます!」

 

 

 

忽ち湧き上がって来る、強い解放感……そして、深い感謝の念。

獪岳は深々と頭を下げて、その場にいる全ての者へと意を伝えた。

 

 

身体が軽く感じる。

長年に渡り、自身に絡みついていた見えない重り……それがようやく、取れた気がした。

 

 

 

 

 

 

或いは……ずっと穴の開いていた心の中の箱が、やっと塞がったのだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「……烈さん。

 本当にありがとう……貴方がいてくれて良かった」

 

 

下山してゆく獪岳の姿を見送りつつ、悲鳴嶼は烈海王に感謝の意を伝えた。

こうして獪岳と再会できたのは……子ども達の真実を知れたのは、全て彼の御蔭だ。

本当に、感謝してもしきれない。

 

 

「わしからも言わせてくれ。

 前までの獪岳ならば、決してあの様な態度は取れなかったじゃろう。

 あいつの過去こそ知らなんだが、歪みを内に秘めておるのは分かっていた……それでも、わしには見捨てられんかった。

 どうにか、少しでもその歪みを正せればと思っておったが……変わったきっかけは、間違いなく貴方との出会いじゃろうて」

 

 

続けて、慈悟郎も礼を言う。

内面的な部分で獪岳に問題がある事は、彼とて分かっていた。

だからこそ、師として正しい方向に導かねばと思っていたのだが……自分では、それが出来なかった。

このままでは、いつか取り返しのつかない事態になるかもしれないと、己が至らなさに心を痛めていた。

 

そんな中で……烈海王は獪岳に真っ向から立ち向かい、その弱さを突き付けた。

その上で尚、彼が立ち上がり再起できる様にと手を差し伸べた。

 

 

獪岳が、それをどう捉えたかまでは分からないが……少なくとも、良い方向に変われたのは間違いないだろう。

烈海王との闘いがあったからこそ、彼は己の弱さを改めて認識できたのだ。

 

 

 

「いえ……私はただ、ここで潰れるには惜しいと思っただけですよ。

 獪岳にはまだまだ伸びしろがある……その成長を見てみたくなった。

 ただ、それだけの事です」

 

「それでもじゃよ……さて、と」

 

 

 

軽く息を吐いた後、慈悟郎は屋敷の奥へと視線を移した。

 

 

 

 

 

 

さて……冒頭にて、この屋敷には『四人』の漢達が集っているとあったが。

 

 

 

悲鳴嶼、烈海王、玄弥。

 

あの時、庭先で獪岳と慈悟郎を待っていたのは『三人』であった。

 

 

数が合わない……数え間違いではないかと、思われただろうが。

 

 

 

 

 

否……四人目は、いたのだ。

 

 

 

かつて、ピクルに会うべく『七人』の格闘士達が米軍基地へと終結した時―――『八人目』として、姿を隠していたガイアの存在があった時の様に。

 

 

 

 

「もういいぞ……善逸」

 

 

 

獪岳の弟弟子―――善逸が、屋敷の中に姿を隠していたのだ。

 

 

 

「ッ……じっちゃん……!!」

 

 

大粒の涙をボロボロと零しながら、善逸が皆の前に姿を現した。

声を震わせ、鼻水も出して……他者の目も気にすることなく、大いに泣いていた。

 

だが、誰もそれを責めようとはしない。

それどころか、褒めるべきだ……彼は、出来うる最大限の努力をしたのだから。

 

 

「よく耐えたの……本当に」

 

「うんッ……俺、が……俺の泣き声が、聞こえちゃった、ら……か、獪岳はきっとッッ……!!」

 

 

慈悟郎はそっと善逸に寄り添い、その震える背を優しく叩いた。

一部始終、彼はその優れた聴力によって全て把握していた。

 

自らの兄弟子が、如何な思いを抱えてこの場に立っていたか……彼には、その音で全て分かっていたのだ。

辛く、悲しく、痛々しい……だけど、最後には間違いなく幸せな音色があった。

それを耳にして、善逸は涙が溢れそうになった。

 

 

だが……そこで彼は、必死に感情を押し殺した。

 

 

もしも自分が泣いてしまえば、その声が獪岳に届いてしまえば……自分を弱虫と見ている彼の事だ。

弱さを知られた事で頑なに心を閉ざし、立ち直る事が二度と出来なくなるかもしれない。

 

 

 

いつか隣に立ちたいと願った、兄弟子の未来を閉ざす……それだけは、絶対に嫌だ。

 

だから……こうして、必死に耐えたのだ。

 

 

 

 

「善逸さん、ありがとうございました。

 あなたから獪岳の事を聞いていたからこそ……彼を、己と向き合わせる事が出来ました」

 

 

この場に善逸がいるのは、烈海王の采配であった。

 

 

入隊後の獪岳を、誰よりもよく知る人物……それが彼であったから。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「……これが、俺の知っている兄弟子……獪岳です」

 

 

話は凡そ一時間前に遡る。

獪岳達に先んじて岩屋敷に単身到着していた善逸は、悲鳴嶼達に事情を説明された後……獪岳の人となりを全て話していた。

 

悲鳴嶼はかつての彼の姿しか知らず、一方で烈海王も先の手合わせにおいて感じたモノでしか彼を知らない。

入隊を決め、そして今に至るまで如何な道を歩んできたか……それを、事前に知っておきたかったのだ。

そこで白羽の矢が立ったのが、弟弟子である善逸だ。

 

最も身近で、隊士としての姿を見続けてきた……そして何より。

今この時に至るまで、悲鳴嶼達の身に起きた不幸と、烈海王との一戦についてを彼は知らなかった。

故に余分な先入観を持つことなく、ありのままの獪岳を語る事が出来る唯一の人物なのだ。

 

 

 

「そうか……隊士としての責務は、しっかりと果たしているのだな。

 そして、形はどうあれその為に必要な努力も怠ってはいない……か」

 

 

善逸の話を聞く限り、また烈海王の件も合わせて考えれば、少々歪んだところはあるものの。

獪岳は、隊士として全うに活動をしている……そこに嘘偽りは一切無い様だ。

 

 

もし、努力を怠り責務を果たせずにいる様であれば、厳しく問い詰めるつもりであったが……その点に関しては、杞憂で済んだようだ。

 

 

 

「……悲鳴嶼さん、烈さん、玄弥。

 お願いします……獪岳と、真正面から向き合ってあげてください。

 あいつは、本当に頑張ってて……けれど、あいつから聞こえる音はいつも、空っぽなんです。

 心の中にある幸せを貯める為の箱に、穴が空いていて……ずっと、満たされずにいるんです。

 誰かが、あいつの穴を塞がなきゃ……でも、俺じゃ駄目なんです」

 

 

 

善逸は、三人に対して深々と頭を下げた。

ずっと前から、獪岳の心に空虚な穴が空いているのは感じていた。

それを塞がなければ、きっといつか取り返しが付かなくなる……確かな予感があった。

 

だけど、自分にはそれが出来なかった。

今までも何度か、彼の心に寄り添えないかと努力はした……けれど、その度に衝突しあってしまい、溝は深まる一方だった。

その事を、ずっと悔しく思っていた……彼のことを、悲しく思っていた。

 

 

 

だからこそ、これは二度とない機会なのだ。

彼の事を幼き頃より知っている悲鳴嶼ならば、彼と真っ向からぶつかってくれたと言う烈海王ならば、似た境遇とかつて話してくれた玄弥ならば。

あの獪岳を……救えるかもしれない。

 

 

 

 

「もしもあいつが俺の姿を見てしまったら……きっと、頑なに事実を認めようとしなくなります。

 だから……悲鳴嶼さん。

 俺を屋敷の中にいさせてください……絶対に姿は出しませんから。

 あいつの事を、最後まで聞きたいんですッ!!」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「俺……俺ッ……じっちゃんッッ!!!

 俺、も……頑張るからッ……獪岳に負けない、ぐらいにッッ……!!」

 

 

慈悟郎の胸に顔をうずめながら、善逸はそう宣言した。

 

 

 

今まで、自身が努力しても無駄なんじゃないかという後ろ向きな気持ちを、ずっと抱えてきた。

 

上位の鬼には、杏寿郎や烈海王でさえ苦戦を強いられた……自分如きでは、その領域には決して届きやしないだろう。

 

出来る事なら闘いたくない、死にたくない……そんな鬱屈した思いが、胸の中で渦巻き続けていた。

 

 

 

しかし……獪岳が、こうして自分と向き合い真っ直ぐに進むと決めた今。

 

その音を、確かに聞く事が出来た今……自分もまた、前に進まなければという気持ちが湧き上がってきたのだ。

 

 

 

彼に負けぬ様、恥じぬ様に……強くあらねばとッッ……!!!

 

 

 

 

「ふふっ……では、善逸さん。

 明日より時間がある時には、貴方も是非玄弥達と一緒に。

 私も、出来る限りの力添えをさせていただきましょう」

 

「ッ……はいッッ!!」

 

 

 

そして、闘士が強くなると心に決めたのならば。

 

 

烈海王は、協力を惜しまない……一向に構わないのだッッ……!!

 

 

 

 

 

(……お館様。

 貴方が何故、烈さんの入隊をああも強く推し進めたのか……今ならば、はっきりと分かります

 きっと……この未来が、見えていたのでしょうね)

 

 

 

 

 




獪岳と岩柱の再会・和解話となりました。

獪岳に関しては、どうしようと本当に悩みました。
原作と同じく上弦入りも当初は考えていましたが、何度か読み返していく内に「割と立ち直れる可能性があるのでは?」「傲慢だった頃の烈さんや克巳のケースもある」と判断し、こういう形で最終着地と相成りました。


Q:獪岳ってなんで鬼殺隊に入ったの?
  鬼に殺されかけた過去があって、しかも自分の命が何より大事な性格なのに、行動が矛盾してない?
A:寺の子ども達の件があったからこそ、鬼に対して思う事があったのでしょう。
  それ以外に、入隊する理由が考えられません。

原作でも謎だった、獪岳が隊士になった理由。
この作品では、自分が犠牲にせざるを得なかった子ども達の事があったからこそ入隊を決めたのだと解釈させていただきました。
そうでもない限り、隊士になる理由が本当に見当たらなかったんです。
人柄には多少難ありですが、真面目に努力が出来る性格を考えれば、全うに会社員なり商売人なりで大成できた可能性がありました……何より、そうした方が安全に生きられます。
それなのに隊士として生きるのを決めたのは、やっぱり子ども達の事が大きかったのではないでしょうか。


Q:獪岳が子ども達を犠牲にしたのは、不可抗力だった?
A:間接的にとはいえ子ども達を殺した事は、絶対に許されません。
  しかし、闘う術を持たない子どもが身を守る為には、他に手が無い状況だったのも事実ですし、夜中に寺の外へと追い出された身上も考慮すると、一概に彼が悪いとは言い切れません。


賛否あるとは思いますが、少なくとも自分は、獪岳の境遇には同情できる余地があると感じました。
当時はまだ、鬼の存在も何も全く知らなかった子どもです。
幾ら鬼避けの風習があるとはいっても、実在しているなんて露にも思っていなかったでしょう。
そんな彼が鬼の恐怖を目の当たりにすれば、冷静な心境でいられず半ばパニック状態に陥るのもやむなしです。
だから、死にたくない一心で子ども達を犠牲にするという判断を下してしまったのを、絶対に悪いとは言い切ることが出来ませんでした。

郭海皇の実行した「生き延びれば勝ち」とは、少しニュアンスが違いますが……言ってしまえばこれは、寺のみんなを犠牲にするか獪岳を犠牲にするかのトロッコ問題でしょう。


Q:獪岳は寺の子ども達の最期を見届けていたのに、悲鳴嶼さんが鬼を撲殺した事は知らなかったの?
A:外へと飛び出した子ども達が追ってきた鬼に殺されたのを目の当たりにして、恐怖と己の犯した罪の重さに耐え切れず、逃げ出してしまったからです。
  その結果、何も出来ずにいた自分の弱さを心の底から悔しく思い、今に至ります。

この一件が、獪岳の心に相当圧し掛かっています。
前述したとおり、彼は寺の子ども達を犠牲にするという選択肢を取りましたが、その子ども達は「農具で鬼に挑もうとした」「助けをよぼうとした」と、自分と違い立ち向かう道を選びました。
この姿に「自分も他に何か出来なかったのか」「警察など助けてくれそうな人の下に誘導するとか、朝日が来るまで回り道をさせまくるとか、やれる事があったんじゃないのか」と、後から思い知らされる事となり、自分自身が如何に弱かったのかをハッキリ自覚してしまいました。

だからこそ強くなりたいと願ったのですが、利己的な性格が災いして「強くなった自分を評価してもらいたい」という邪な願いもまた、いつからか抱くようになってしまいました。
その歪みをじっちゃんや善逸は分かってはいましたが、正そうと努力はしたものの、残念ながら原作同様の結果となっていました。


Q:善逸は原作同様に修行を頑張りますか?
A:原作以上に伸びるかもしれません。

原作と違って煉獄さんの死がない分、善逸が修行を頑張る理由が薄れていましたが、獪岳を切欠にして無事にスタートラインへ立つことができました。
寧ろ、彼の音を聞く事ができた分だけやる気を持てていると思います。


Q:烈さんはやっぱり獪岳を気にいっている?
A:手合わせの時も答えたように、実力は元々認めています。
  だからこそ、歪みさえ正せれば更に伸びるのではと期待して、岩柱達に全力で協力しました。


Q:ぶっちゃけ、獪岳は無事更正した?
A:一見すると以前と変わらない態度と口調ですが、内心では大きく変化しています。
  強くなる事・高い評価を求める事に対し、今までとは違う何かが確実にあります。
  ただ、彼の性格上それを簡単に表には出さないでしょう……もっとも、善逸や炭治郎達は感情を読み取れるので、彼等には駄々漏れだったりします。



Q:上弦フラグは折れました?
A:もし鬼化したら、その時は全力で岩柱と烈さんと玄弥と善逸が潰しにいきます。
  なお、じっちゃんだけでなく岩柱まで責任を取って腹切りを行いかねません。

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