ソードアート・オンライン ジーニアス・メモリーズ 作:人民の敵
では、どうぞ!
「さて、言われた場所についたわけだが……」
神代博士に指定された港北総合病院の前までやってきた。昔は大学の病院だったが、最近民営に移管されたらしい。
「取り敢えず連絡するか」
ポケットからスマホを取り出し、神代博士に連絡する。
『はいもしもし』
「あ、神代博士ですか。今病院前に到着しました。どちらに伺えばいいですか?」
『お、早かったね。じゃあ取り敢えず受付の人に身分を伝えて、『神代凛子博士に呼ばれました』といってもらえれば案内してもらえると思うから、そうしてくれるかな』
「了解しました」
電話を切った後、正面玄関から病院に入る。適度に暖房が効いており近日の沁みるような寒さに晒されていた身としては心地よかった。小さな子供を抱える母親らしき女性や、車いすに乗った老人たちの間を縫って、俺は受付に向かった。
「あの、すいません」
「はい。どうかなさいましたか?」
若い看護師と思われる女性が、応対してくれる。
「ええと、僕は桧宮柚樹といいます。神代凛子博士にこの病院に来るようにと仰せつかったのですが」
「……!分かりました、すぐに取り次ぎます」
身分を伝えると、その看護師は目の色を変えて、内線電話を掛けに行った。1分も経たずに、彼女は戻ってきた。
「四階に上がった左手にある受付に向かって、このカードをそこで示してください」
「分かりました。ありがとうございます」
その後、四階に上がった受付でも同じようなやり取りをし、ベンチで待機する。1人の白衣姿の女性が現れたのは15分後のことであった。
「やぁやぁ柚樹君。お待たせ、よく来てくれたね。例の総務省の人と面会中じゃなかったっけ?」
「早めに切り上げて来ました。こっちの方が僕にとって大事な話のようでしたし」
「おーなるほど。じゃあ早めに向かおうか。用件の場所はちょっとばかし遠いから、歩きながらいろいろ話すね」
白衣姿の女性、すなわち神代博士は俺を連れてそそくさと歩き出した。
「それで、僕を呼び出した理由は?わざわざ病院なんかに呼び出して」
「まずそこからだね。柚樹君はちょっと前に私が『
「『メディキュボイド』ってやつでしたっけ?」
二ヶ月前ほどの会話を思い出して言うと、神代博士はこくりと頷いた。
「そう。前に言った通り、私はナーヴギアを応用した医療用機器の開発を行いたいと考えてる。その協力をしてくれそうな病院が見つかったのよ。それが……」
「この横浜港北総合病院、というわけですか」
「そういうこと。この病院はターミナルケアに力を入れていてね。そういう観点から見ても新たな光になりうるこの計画は渡りに船というわけ」
なるほどと思った。医療の専門家が多数いる大規模病院の協力を得ることが出来れば開発はスムーズに行くだろう。開発した機器の設置を確約すれば病院側も目玉にすることが出来て一石二鳥、Win-Winの関係というわけか。
「ふむ。確かにそれは効率的だと言えますね。で、治験担当者も見つかったんですか?」
「察しが良くて本当に助かるよ。その通りで、君にはこれからその娘と会ってもらうよ」
「……彼女はターミナルケアに関する治験対象者になれるってことですよね?」
「その通り。難病患者……と言っていいのかな。その一人だよ。詳しい病状に関しては彼女の担当医師が説明してくれると思う」
――――――――――
「ここだよ」
神代博士に連れられてやってきたのは、病院の最上階にあるVIPルームであった。曰く、ここに完成した機器を設置するつもりらしい。
「……無菌室が付属してるようですが」
「よく見てるね。いわゆるクリーンルーム、空気循環を徹底的に管理して室内の空気に外界から菌を入れないようにした場所」
「……がん患者ですか?」
俺は神代博士に聞いた。近年、開腹してのがん手術というのは減少し、分子標的薬などを中心とする抗がん剤による内服治療が主流になりつつあるが、その中には副作用として体内の白血球数が減少して免疫機能が低下してしまうことがある。その状態の患者は空気中に存在する感染力が弱い細菌でも感染・発症することからこのような部屋に入れることがあるというのは聞いたことがある。
「いいえ、違うわ。ま、百聞は一見に如かずというし、まぁ入ってみたら全部わかるよ」
「左様ですか」
そう言いながら神代博士は扉を開けた。VIPルームの中には様々な機器が繋がれたベッドに横たわった一人の少女と、彼女に寄り添う白衣姿の男性がいた。男性はこちらに気が付くとペコリと一礼し、それに合わせて僕たちも礼をした。
「お待たせしました」
「いえ、私は構いませんよ。それで、そちらの方は……」
「マサチューセッツ工科大学から参りました。桧宮柚樹と申します。よろしくお願いします」
「お初にお目にかかります。私は倉橋と言います。この計画の担当者に選ばれました。こちらこそよろしくお願いします」
俺は倉橋医師と握手をしてから、勧められた席に座る。少しばかり雑談をしてから、本題に入った。
「それで、神代博士からは、ナーヴギアのようなフルダイブ型VR危機を医療用に転用するための研究をこちらで行うと伺いましたが……」
「そうです。ナーヴギアの開発者と言っても過言ではない桧宮博士の前でこのようなことを言うのは若干気が引けますが……私はナーヴギアが娯楽用途に開発されたのが残念でならないのです」
「……ほう」
「……ナーヴギアが持つ感覚遮断能力は医療にとっては垂涎の的です。なぜかは分かっていただけますね?」
「……投薬を伴わない麻酔となる、というわけですか」
俺がそう言うと、倉橋医師はこくりと頷いた。
麻酔。医療には欠かせない技術であるそれは、古今東西で様々な方法が試みられてきた。一昔前はアルコールを用いて麻酔を行う方法が主流だったらしいが、アルコールは血液の循環を促す効果がある。場合によっては麻酔で投与したアルコールの効用で出血多量が引き起こされて失血死、なんていう笑えない事例が戦場などで多発したそうな。
そして、現代では笑気ガスなども使うが、持続する
「そうです。ご存じのことと思いますが、麻酔というものは手術だけに使われるものではありません。既に神代博士からお話されているとのことですが、終末期医療において鎮痛のためにモルヒネを投与し続けなければならないというのは患者さんにとって非常に辛い話です。ナーヴギアはそれを解決するだけでなく、様々な理由で病棟から出られない『寝たきり』状態の患者さんにとって、その"仮想現実"の魅力は凄まじいものがあります」
「なるほど。まさに『夢のような道具』になることが出来ると」
再び倉橋医師はこくりと頷く。そしてちらりとベッドに横たわる少女を見てから、彼は再び口を開いた。
「ここから先は口外しないようお願いしたいのですが……」
「……ええ、分かりました」
「ここにいる被験者……
「なるほど、エイズですか」
エイズ。正確に言えば
「ええ。彼女の身上などはここでは深く語れませんが、彼女は既にエイズを発症してしまっており、先ほど申し上げたように日和見感染症の兆候も少しずつ出てきています。デンマークなどで対エイズの特効薬の開発が進んでいると話は聞きますが……正直それを待っているわけにもいきません」
「そこで神代博士による提案が来た、というわけですか?」
神代博士をちらりと見る。彼女は頷いた。
「そう。柚樹くん……桧宮博士には伝えていなかったけど、既に厚生労働省と医療器具メーカーには話を通している。あとは治験と医療的な助言をしてくれる病院が必要だった、というわけよ」
「なるほど。事情は理解できました、医療用ナーヴギア……と言いましょうか。私も微力ながら協力させていただこうと思います」
――――――――――
「まさか被験者が僕とそう年の変わらない少女だとは思いませんでした」
病室を出てから、俺は神代博士に言った。あの後研究計画などについてしばらく話した後、倉橋医師の定期健診の時間だとかで俺たちは退室した。結局被験者の少女と喋ることはなかったが。
「何か不都合なことでも?」
「いえ何も。それで、すでに色々な手回しは済んでいるとのことでしたが」
「うん。すでに認可も降りるだろうというお墨付きも貰っているよ」
神代博士が自慢げに言う。
「それはちょっとまずいのでは?」
「細かいことは気にしない。それで、研究場所のことなんだけど……」
「東都工業大ではないのですか?」
俺が聞くと、神代博士は頷いた。
「ちょっとこっちでやらないといけないことが出てきてね。柚樹くんには申し訳ないけど、このゴタゴタが終わったらまたMITに帰ってもらわないといけないかもしれない」
「…あっちとは話はついているんですか?」
「もちろん。何でも
「それなら安心ですね」
俺は答えた。MMTといえば思い浮かぶ顔が一つあるが……多分気のせいだろう。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう」
「いえいえ。今日の用件は以上でしょうか?」
「うん。ごめんね、お話し中に呼び出すようなことをして」
「気にしないでください。では、失礼します」
俺はそう言って、病院を出た。