「ハッ!」
ケイネスが目覚める。
「はぁ……はぁ……ここは……」
息遣いが荒い。痛覚は私の治癒魔術によって脳から信号を送らないように遮断しているけれど、おそらく危篤状態のショックが彼を混乱させているのだろう。念のためストレッチャーに拘束して置いて良かったと私は苦笑する。
「気が付いたようね」
彼に話しかける。私の声こそ彼の意識を現実に戻させる良い刺激だと思ったからだ。
「ソラウ……」
彼も私の存在に気付いたようだ。私は廃墟の水場に向かい、ストレッチャーに仰向けに伏しているケイネスに背を向ける。
濡れたタオルを手でしぼりながら彼の言葉を待っていたが、一向に反応がない。何も喋れなくなるなんて、それほどショックが大きかったのだろう。
「ケイネス、あなた何があったか覚えている?」
私は濡れたタオルを手に持ってケイネスに近づき、仕方なく自分が敗北したのすら知らないケイネスにこちらから話しかける。
「本当に……ソラウなのか」
「え?」
私は目を丸くする。ケイネスからそういう言葉が出てくるとは思いも寄らなかったからだ。
私はケイネスという人間を良く知っている。
学者肌で探求心は強いが、魔術師としてのプライドが高く魔術の素質が悪い者や家柄が低い者達は容赦なく見下す。そして非常に利己的であり、目的のためだったら他人はもちろん私でさえも利用するだろう。
そんな男が自身の状況確認よりも先に他人……私を気に掛けるなんて、あり得ない。
「何を言っているの、ケイネス。私は私よ」
「また、君の声を聞けるなんて……」
ケイネスは子供の様に喉を鳴らしながら、すすり泣く。
……一体、何があったのか分からない。私の治癒魔術は痛みを軽減するため脳に干渉するが微々たるものだ。性格そのものを変えてしまうなんて事は絶対に起きはしない。
「な、泣かないで。ケイネス。私を心配してくれるのは嬉しいけれど、あなた自分の身体が一体どうなっているか分かっているの?」
そう。あなたは衛宮切継に何らかの手段で体内の魔術回路を暴走させられた。暴走した魔術回路は臓器を傷つけ、治癒魔術で臓器の再生はできたけど、肉体の障害は残ってしまった。
「身体……ああ、そうか。身体は……そうだったな」
ケイネスは顔だけ起こし、涙で赤くなった目で自分の身体を見渡す。
あら? もっと取り乱すかと思ったけど、意外と冷静ね。でも『魔術師として終わり』なんて聞けば、魔術師を拠り所にしているあなたにとって冷静でいられないはずよ。
「そう、あなたの身体は……」
「ソラウ」
私の言葉が遮られる。
「ランサーはいるか?」
「ランサー? ……そうね。ちょうど今、外を見張らせている所よ。それよりもあなたにとって、とても重要な事実を聞きたいのではなくて? あなたの身体は……」
「魔術回路が修復不可能なくらい損傷を受けたのだろう」
「え?」
また私の言葉を遮られた。……それはともかく、なぜケイネスは自分の魔術回路が破壊されていると知っているの? そしてその事実を知っているならばケイネスはかなりのショックを受けるはず。
「私は己の身体より今すぐランサーと話をしたい。ソラウ……悪いが呼んできてくれないか?」
おかしいわ。私の目論見ではケイネスは魔術師に戻りたいがため、魔術回路と身体を完全に治癒させる万能の願望器である聖杯をちらつかせ、それに乗じて彼の方からマスター権を譲渡させるつもりが……。
「……ね、ねぇ、ケイネス。ランサーを呼ぶ前に、ちょっとだけこれからの事で話をしない?」
「…………」
ケイネスは私の言葉を待っているのか。何も言わず黙っている。
「正直、あなたの身体だとこれからの聖杯戦争を戦い抜くのは無謀よ。だから、提案があるの」
「……ソラウ。マスター権を譲るのは構わないが、一度ランサーと話をさせてくれないか」
私は軽くふらついた。ケイネスはこんなにも勘が鋭い男だったとは思っていなかったからだ。
「そう。分かっているなら話が早いわ。私はこの通り、無傷でいるわ。あなたと違ってね。だからこの戦いを勝ち抜いて聖杯を手に入れるには、マスターを私にするのが最善。……分かるでしょ」
ケイネスは声には出さないようにしているが笑っている。……そうね、ケイネス。たかが使い魔の魅了に堕ちた馬鹿な女をあなたは笑っていい。あなたにはその権利があるのだから。
「分かっている。令呪は君に譲る。だが、聖杯戦争なんてやめ……」
「どうしたの?」
「いや……ランサーにも言っておくつもりだが、くれぐれも気をつけるんだ。敵はサーヴァントだけとは限らないのだからね」
なるほど。何かおかしいと思ったら、今までない大怪我をしたから自信が無くなったのね。それなら今までのケイネスらしくない言動も納得だわ。
「危険なのは承知であなたに付いて来たのよ。それにロードエルメロイの名において逃亡という選択はない。このソラウ・ヌァザレ・ソフィアリがあなたの代役を見事果たして参りましょう」
私はケイネスの手を握り、令呪を受け取った。
続