東京に帰ってきたらしい。そう思ってシリカが次にやったことはピナの確認だった。
シリカが自分の肩を見て、ピナの名前を呼ぶ。小さな竜からの返答はない。
死線を超えた戦友。人ではないけれど、ソードアート・オンラインというゲームの世界で出会った誰よりも一緒にいた存在。シリカは慌ててピナを探す。
五感を使って確認できないのが分かると、ステータス画面を開こうと指を振った。SAOに囚われてから何百、何千と繰り返した行為のはずなのに、シリカの目の前にウインドウが現れることはない。
この出来事がまたシリカをパニックにさせたが、不思議と冷静になってもう一度考える。
「えっと、さっきまでSAOにいたけど、ここは東京で……。SAOに東京をモデルにしたフロアなんて聞いたことないし……。帰ってきたとしたら現実だからピナは存在できない、はず。なによりステータス画面が開けないわけだし。バグで飛ばされた? そんなことないか」
シリカの相棒、ピナはソードアート・オンラインというゲームの世界で出会った使い魔だ。つまり、現実と電脳が合体したMRでも開発されなければ、ピナは現実世界には存在できないはずである。さらにステータスウインドウが表示されないことから考えても、現実世界に戻ってきた可能性だって大いにある。
だとしたら自分は病院で目を覚ますはず。
「もう無理。分かんあい」
頭がパンクした。嘆きながら、うがーと頭を掻きむしる。すると、コツンと地面に物が落ちた。
「なぁにこれ」
熟考のすえ、無気力になりながらもシリカが足元に落ちたソレを拾いあげる。ピナの身体の色と同じペールブルーの機械には左側に一つ、右側に二つのボタンと、真ん中に液晶画面が付いている。シリカが拾った物は、子供の握りこぶしに収まるくらいの不思議な機械だった。
これまた訳の分からない機械を手に入れ、さらに混乱するシリカだったが、ここであることに気づく。
「どうして、服がゲームままなんだろう」
手と目で自分の身体を確認すると、SAOで見慣れた格好をしていた。≪シルバースレット・アーマー≫、≪イーボン・ダガー≫……。忘れもしない黒い剣士から貰った装備一式だ。
ゲームの格好で場所は東京。シリカはゲームとリアル、電脳と現実の中間にいるような錯覚にとらわれた。第三者が見ればコスプレをした女の子だが。
場所は東京、ピナが居なくなって、ステータス画面が開けず、だけど場所は東京、姿はゲームの装備、トドメに謎の機械。手詰まりとなったシリカは、ひとまず近くのベンチで休むことにした。
「ピナ……だれか。助けて」
子供たちがシリカの格好を見て不思議がっているが、当の本人は途方に暮れていた。ただ、何となく東京にいる人がする格好だなと思うだけ。シリカは寝転んで力なく空を見る。青空には雲どころか、シリカを捕らえていたデスゲームの象徴、アインクラッド城すらない。かわりにフワフワとシャボン玉がとんでいた。
「シャボン玉、どこかの家から出てるみたい。あのマンションか」
やることも無く、シリカがシャボン玉の飛ぶ位置を確かめると、あの不思議な機械が光りだした。シリカは慌てて立ち上がり、画面を除くと、シャボン玉の飛んでくる方を向いて光っていた。ためしに向きを変えても決まってシャボン玉の飛んでくる方角を示している。
「とあるマンションに兄妹が住んでおる。その二人にこれを届けて欲しいんじゃ」
ゲンナイの言ったセリフを思い出した。このシャボン玉に反応する機械を兄弟に届ければ進展があるのではないか。シリカはシャボン玉と不思議な機械を頼りに走り出した。
シリカがたどり着いた場所はマンションの一室だった。『八神』と書かれたネームプレートが掛けられている以外は他となにも変わらないドアだ。しかし、シリカが手にした機械は光りを強めて、「このドアを開け」と訴えてくる。
ペールブルーの色をしたモノに命令されるのはなんでだろう。シリカがドアノブに手をかけ、ガチャンと回すと、ドアはシリカを歓迎するようにすんなりと開いた。
怖い大人が出てきたらどうしよう。なんて説明しようか。格好も含めて自分は不審者と思われないか。良くないことがシリカの頭を駆け巡るが、部屋に入らないことには始まらない。
「おじゃましまーす」
小声で玄関へと踏み入れる。靴はこども用のが二足あるだけ。サイズやデザインから見て、小学校低学年の男の子が履く靴と、幼稚園の女の子が履くような靴だ。隙間に大人用の靴がしまってあったが、目立つところに大人の靴はない。出かけているのだろうか。
ゲンナイのクエストは兄弟に機械を渡すというもの。つまり、この小さな靴の持ち主に、この不思議な機械を渡せばクエストクリアだ。
「ええっと、靴は揃えた方がいいのかな?」
シリカは戸惑いつつも、靴を脱いで丁寧に揃えるとフローリングに足をつく。出来るだけ足音を立てずに歩いていくと、子供部屋までたどり着いた。
おそらく、この中にゲンナイの言っていた兄弟がいるだろう。その二人にペールブルーの機械を渡せばクエストクリアだ。だからといって容易に扉を開いていいものか。このエリアは明らかにソードアート・オンラインの世界と異なっている。観覧車も、フジテレビも、自動販売機も現実世界にそっくりだ。
もし、何らかの方法でシリカが現実世界に戻っていたとしたら、今シリカがしていることは明らかな不法侵入であり、立派な犯罪だ。見つかって警察でも呼ばれては困る。
幸い、子供部屋のドアが少し開いており、この隙間から例の機械を投げて兄弟が受け取ったらクエストクリアになるのではないか。
「よし、それでいこう」
投げ込むパターンに決めると、シリカはしゃがんだ。息をひそめると部屋の中から子供たちの声が聞こえてくる。わずかな隙間と、声のする場所から部屋の中心を予想して、機械を投げようと振りかぶったその時。
「まってろ、今エサとって来るから」
男の子の声が聞こえていきなりドアが開いた。驚きで棒立ちになる男の子。目が合うシリカ。
「お姉さん、だれ?」
見つかった。言い訳はどうするか。郵便? Amazon? そもそも来ている服がSAOのものだから怪しい者に決まっている。言い訳などできる訳も無い。ゲンナイの話をしたところで信じてもらえないだろう。
一瞬のうちにシリカの脳内でいろんな考えが浮かび上がり、その末に出た言葉は。
「どうも」
シリカの作戦が失敗した瞬間だった。
「大丈夫、心配しないで。この人はいい人。僕とおんなじ匂いがする」
固まった空気を元に戻したのはガラガラ声だった。シリカが部屋の中心に視線をやると、ピンク色の生物がボールのようにバウンドしている。モンスター?!
「まずはみんなで自己紹介をしようよ」
ピンク色の生物に仕切られる形でシリカは子供部屋に案内された。東京のモンスターは友好的だった。
子供部屋には三人の子供とピンク色の生物がいた。シリカとこの部屋に住んでいる兄妹である。
さて、シリカを庇ってくれた生物だが、コロモンと名乗った。サッカーボールくらいの大きさのコイツ。身体が顔なのか、顔が身体なのかは分からないが、大きい瞳と口、二本の触角が特徴的なモンスターだ。本来、シリカはモンスターを倒す側の人間だが、ピナという前例があるように、コロモンは友好的なモンスターのようだ。戦闘しなくていいだろう。
「僕は太一。んで、こっちが妹のヒカリ」
尖がった髪型が特徴的な男の子、兄の太一。その妹のヒカリ。太一は首からゴーグルをぶら下げて、ヒカリは首からホイッスルをぶら下げていた。活発な印象を与える兄とおとなしい妹。似ているようで似てない兄妹にシリカも自己紹介する。
「シリカです」
今までの癖でゲームの名前を使ってしまったが、太一とヒカリはシリカを受け入れてくれた。結果オーライ。
玄関の靴で判断した通り、太一は小学校低学年、ヒカリは幼稚園に通っていた。コロモンだが太一の話によると、昨日の夜にパソコンからタマゴが表示されて、飛び出してきたらしい。そのタマゴをヒカリが抱きかかえて寝たところ羽化し、黒い生物からコロモンへと成長したらしい。
パソコンから出てきたコロモンと、SAOの世界にいたシリカ。コロモンの言っていた「同じ匂いがする」とはこの事だろう。
「……そしたら私はデータなのかな」
シリカに新たな疑問が生まれるが、答えは出ない。天井を見て考えるシリカの耳にふと音楽が聞こえてきた。2種類のメロディーが繰り返させる曲、ラヴェルのボレロ。となりの家がCDでもかけたのだろうか。
ヒカリは笛でコロモンと遊んでいる。笛の音に反応するモンスターと少女。不思議な光景とボレロという不思議な音楽。幻想のような世界にシリカが没頭していると、太一が。
「シリカさんって、どうしてそんな格好してるんですか?」
「え、ああ。これね。これは友達から貰った服だからお気に入りだったの。お出かけに着て来ちゃった」
「ふーん」
「アハハハ……そ、その友達はいい人なんだよ。困ってた私を助けてくれたの。それから悪い人をやっつけたんだ。……私は何もしなかったけど」
シリカは苦笑いをするだけで精一杯。太一はジト目でシリカの鎧を見つめてくる。小学生とはいえ、疑っている。これ以上突っ込まれたら困ると、シリカは黒の剣士の話で誤魔化すことにした。
「……コロモン、食べる?」
「え、いいの」
ヒカリはコロモンにエサを与えていた。ゴミとなった容器を見る限り、ネコのエサのようだ。しかし、コロモンは嬉しそうにがっついている。コロモンは食い散らかして、周囲に食べカスが散らばっている。
「こんなに食い散らかして、汚ねぇなぁ!」
「……これ、後で片づけるの?」
太一が大きなため息をついた。ご満悦なコロモンと対照的な太一だが、もう一人不機嫌な人物がいる。
「にゃあご」
正確にはネコだ。ご飯の匂いを嗅ぎつけ、来てみたら訳の分からない生物に横取りされているではないか。コロモンにエサをとられたと勘違いしたネコは、そのまま状態を低くし、戦闘態勢に入る。
「え?」
コロモンがネコの存在に気づいた時には、ネコがジャンプしていた。間一髪、ネコの攻撃をかわしたコロモン。エサ箱がひっくり返り、床に飛び散った。
「もっと汚くなった」
嘆く太一を横にコロモンとネコの鬼ごっこが開始。おもちゃ箱をひっくり返し、ベッドの下を抜けて、さらに部屋を汚していく。
とっさの判断でシリカがヒカリを抱き寄せると、コロモンがシリカの顔に激突、続けてネコの爪がシリカの頬を捕らえた。
「いったあ」
「ミーコ、止めろ!」
太一も止めに入るが、次の瞬間にはネコに引っかかれていた。