コロモンが進化した。
パロットモンに匹敵するくらいの巨体。オレンジ色のボディには青い模様が入っており、虎を彷彿とさせる。額の茶色い甲殻は鼻の頭に一本、後頭部に二本の角が生えていた。太い尻尾、ゴツイ足、鋭く太い爪が生えた両腕。
怪獣は身体にかかった瓦礫を振り払うと両足で立ち上がる。ティラノサウルスのような口を開き雄たけびを上げた。
さらに、この怪獣の足元には太一とヒカリの姿が見える。オレンジ色の怪獣が太一とヒカリを瓦礫から庇ったとしたら、コロモンになる。味方に違いない。
「コロモンが、また、進化した?!」
丸い生物から黄色い小型の恐竜へ、恐竜からオレンジ色の怪獣へ。生物学の理論を超えた変化に、シリカはゲームの知識から結論付けた。
新たな怪獣の出現にシリカだけではなく、パロットモンも困惑しているようで、シリカに背を向けて呆けている。
シリカは今がチャンスだと短剣を構えて、一気に跳躍する。がら空きとなったパロットモンの背中に短剣が突き刺さり、怪鳥の身体がグラリと傾いた。シリカを振り払おうと暴れた瞬間、オレンジ色の怪獣が火を吐いた。
炎はパロットモンの翼を一瞬にして焼き、衝撃で地面に叩きつけた。止められていた自転車が吹っ飛び、コンクリートが抉れる。
飛べなくなったパロットモンと怪獣に進化したコロモンは取っ組み合いの肉弾戦に発展。パロットモンがコロモンをねじ伏せたかと思えば、反撃とばかりにコロモンの角がパロットモンの顎を辛い抜いた。
シリカは二体の怪獣に翻弄されながらも、太一とヒカリの元へ走る。
「大丈夫! 怪我はない?」
「す、すげえ」
シリカが兄弟に声をかけるが、太一は戦いに夢中で、ヒカリは泣き出してしまう。
この二人を連れて逃げるのは無理そうだ。二人を抱きかかえて走る方法も考えたが、生憎、シリカのキャラは器用さと素早さを重視したキャラクター。二人を抱きかかえて走るほどの筋力は無い。
「……筋力上げておけばよかったかな」
両手剣くらいの重さを片手で振り回す、黒の剣士を思い出してボヤいてしまった。途方に暮れて二対の怪獣に視線を移すと、特撮映画顔負けの戦闘が繰り広げられていた。予備動作もスキルも無い戦闘。ゲームのムービーというより、生物同士の縄張り争いのような戦いだった。
「コロモン!」
太一が叫んだ。コロモンが吹っ飛ばされて後退し、その隙にパロットモンの触角が電気をまとう。歩道橋を粉砕した、電撃の前兆だ。
大通りとはいえ、二体の怪獣が戦うフィールドにしては狭すぎる。コロモンが避けるスペースなど無く、パロットモンの電撃をもろに浴びた。太一たちのすぐ隣、瓦礫の山に倒れて動かなくなる。
「コロモン、コロモン!」
動かなくなったコロモンにヒカリが泣きついた。パロットモンは勝利を確信したように、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
どんなに進化したところで、ネコに負けたコロモンが怪鳥に勝つ術はないのか。
鋭い爪に巨大な身体。同じ体格のコロモンをKOさせた電撃。かつてSAOでシリカを置いて詰めた35層最強クラスのモンスター、ドランクエイプを一撃で消滅させそうな攻撃力。改めてパロットモンというモンスターと向き合って、シリカの足が震えだす。
「誰か……助けて」
中層のプレイヤー、コロモン、黒い剣士……そしてピナ。思えばシリカの隣には誰かがいた。SAOがデスゲームと化した中で、戦闘の多くをシリカは誰と戦ってきた。この場に太一とヒカリはいるが、この二人は戦力にならない。パロットモンというボス級のモンスターを前にして、シリカは一人になってしまった。
孤独感に襲われる。勝てるわけが無い。逃げ出してしまおうか。
「ピナぁ」
ひねり出したシリカの悲鳴はパロットモンの足音で踏み潰されて、かき消されてしまう。気が付けばさっきまで鳴り響いていたボレロも消えている。シリカの耳に届くのはパロットモンの足音と、その合間を縫って聞こえてくる子供がすすり泣く声だ。
「……太一、ヒカリちゃん」
この二人がいなければシリカはこの戦闘から逃げ出すだろう。もし、この≪光ヶ丘≫がSAOの一部なら、この二人はプレイヤーではなく、NPCだ。パロットモンに倒されたところで現実世界では誰も死なない。ただ、シリカの受けたクエストが失敗するだけ。
「……でも、だからって」
太一とヒカリはシリカを助けてくれた。この≪1995年の光ヶ丘≫の中でシリカという異質な存在、最初から今に至るまで、ずっと味方でいてくれた。中層のプレイヤーも、黒の剣士も、ピナもいない、一人で心細かったシリカを助けてくれた。そう、見方を変えればピナもNPC。身体はポリゴンで、頭脳はプログラム。
今までずっとシリカはNPCに助けられて生きてきた。一度くらいNPCのために戦っても罰は当たらないだろう。
シリカはポーションをがぶ飲みすると、太一とヒカリ、コロモンを守るように前に出た。
「お願いキリトさん、力を貸して」
かつてシリカを助けてくれた黒の剣士。ピナの蘇生を手伝ってもらって、襲われた盗賊を一人で倒してしまった憧れの人。彼から貰った短剣を両手で構えて、パロットモンを睨みつける。
「貴方の相手は私です!」
シリカは怪鳥に向かって宣言すると、ダガーと共に突進した。パロットモンの足を切り付け、タゲをとり、身の丈が何倍以上ある相手に大立ち回りを繰り広げる。
電撃や片方の羽での叩き潰し、足での踏みつけや、鋭利な爪攻撃。パロットモンが全身を使ってシリカに襲い掛かるが、黒の剣士の力が宿ったように、シリカにはかすり傷一つすらつかない。
高難易度のアクションゲームのボス戦のようにパロットモンの攻撃を避けつつ、隙をついてダガーで切り裂いていく。攻撃の頻度ゆえに、ダメージこそ少ないものの、着実にシリカが有利になっていった。
「……ここで避けて、今!」
シリカは身体で怪鳥の動きを覚えつつ、一発逆転に賭けて怪鳥の目玉を突き刺した。
パロットモンは右目を潰され、手で押さえながら巨体に物を言わせて暴れている。誰がどう見ても大ダメージだ。
「やった、私にも出来たよ。ピナ、キリトさん!」
暴れるパロットモンに近づくのは危険だと考えて、怪鳥を倒す別の方法を考える。
シリカにはコロモン、太一とヒカリという味方がいる。この戦闘がクエストならば彼らと協力してパロットモンを撃退するのがセオリーだ。にもかかわらず、コロモンは敗れた。現状、太一とヒカリは戦闘に役に立っているとはお世辞にも言い難い。
何故か。
「ゲンナイさんのアイテム、アレを渡してないから。かな」
シリカがこのクエスト本来の目的を思い出す。あの、ゲンナイという爺から貰った文字化けアイテムを、兄弟に渡すのが目的だった。≪1995年の光ヶ丘≫や喋るコロモンに気をとられ、渡しそびれていたが、ついに渡すときが来た。
シリカはパロットモンに気を配りつつも、アイテムストレージをスクロールし、文字化けアイテムを探す。
≪繝?ず繝エ繧。繧、繧ケ≫
相変わらず文字化けを起こしていたが、逆に見つけやすかった。
「太一! これを受け取って!」
ピナと同じペールブルーの機械を握りしめ、太一を目掛けて投げる。地味に上げておいた≪投擲スキル≫の補正もかかり、太一の手の中にすっぽりと納まった。
「シリカさーん! もらったよ」
太一からキャッチしたと返答があった。だが、それがシリカに隙を作ってしまう。
「シリカさん、危ない!」
パロットモンがコンクリートを殴り、その破片がシリカを襲う。怯んだところに薙ぎ払いが飛んできて、吹っ飛ばされた。朦朧とする意識の中、シリカが目を開けると、パロットモンが電撃を放つ体勢に。
諦めたくない。
半分くらい失ったライフゲージを見ながらシリカは足掻くべく立ち上がる。視界はぼやけて、足には力が入らない。
半失神状態のシリカ。静まり返った夜の街。未だ意識の無いコロモン。それら全てを叩き起こす音が響く。
――――――
太一がヒカリのホイッスルをくわえている。笛の音は光ヶ丘に鳴り響き、それが起点となってゲンナイから貰ったアイテムが光りを放った。ボレロが鳴りだし、シリカの意識も戻る。そして、コロモンが目を覚ました。
笛に応えるようにコロモンが吠えると、口を開いて火球を放つ。電撃を溜めていたパロットモンに直撃し、攻撃は中断。さらにコロモンはトドメに入ったのか、大きく息を吸いこんだ。
進化したとはいえ、ネコに負けたコロモン。必殺技を放ったとして、果たしてパロットモンは倒せるのか。眠っていたシリカの脳みそがフルに動き出す。コロモンに加勢する手段は無いか。どうしたらパロットモンを倒せるのか。
「使い魔のバフだ!」
ゲンナイさんに出会う前、念を入れてピナに掛けたバフ。最近覚えた使い魔専用のバフを思い出す。効果量は高いくせに、ピナがサポート特化だったから使えないと肩を落としたが、怪獣へと進化したコロモンなら真価を発揮できるかもしれない。
「≪ガードチャージ≫と≪アタックチャージ≫をかけて……あと≪アクセルブースト≫も」
シリカはジャンプしてコロモンの肩に飛び乗ると、バフをかけてコロモンの必殺技を援護する。
パロットモンの翼を焼いた火球の威力は1.5倍、2倍へと膨れ上がり、コロモンの牙の間から炎があふれ出した。
「撃て」
「撃て!」
シリカと太一が同時に叫ぶ。ボレロがフィナーレに入った。
コロモンの口が大きく開かられ、炎が待ってましたと言わんばかりに吹き荒れる。ドラゴンのブレスとは比べ物にならない一撃。火山が噴火したと錯覚するほどの炎が、断末魔を上げるパロットモンを飲み込んだ。
炎はだんだんと真っ白な光へと変わり、輝きを増していく。白くて強い光を受けながら、シリカは目を閉じた。
笛のような小鳥のさえずりが聞こえる。
シリカは頬にペロペロと舐める舌の感触を受けながら、目を開いた。
「太一、ヒカリちゃん……パロットモンは? コロモンは?」
寝ぼけながら≪光ヶ丘≫で出会った名前を挙げる。誰からも返事はなく、シリカがキョロキョロと辺りを見渡すと、川辺にいることが分かった。そして、自分の膝に心地よい重さを感じて視線を向ける。
「ピナ! ピナ、会いたかったよ」
SAOでの相棒、ピナだ。フェザーリドラのピナは嬉しそうなご主人様に抱き着いて、キュルキュルと鳴いた。
シリカが周囲を観察すると、草原に名前の知らない花が咲いている。目の前には川が流れて、陽の光を反射して輝いていた。どうやらSAOに戻ってきたようだ。
ピナの頭を撫でながら、今まで起きたことを考える。
SAOでお気に入りのエリアを散歩していたら、霧のかかった桟橋を見つけ、ジンナイという老人に出会った。訳の分からないままクエストを受けると、1995年の光ヶ丘へと飛ばされた。そして太一とヒカリの兄弟と出会い、進化するコロモンと謎の怪鳥の戦闘に巻き込まれた。そして、目を覚ませばここにいる。
SAOにいたはずなのに光ヶ丘に飛ばされた。SAOがデスゲームと化した最初のころ、何度か現実世界の自宅や学校の夢を見た。今回もそれと同じかは分からない。
無限大な夢の後に取り残されたシリカ。現実世界が夢で、ゲームの世界に目を覚ますという不思議といえば不思議だが。もしかしたら夢と現実の区別がつかないほど、現実と電脳が合わさってしまったのかもしれない。
「ピナ、私ね、いっぱい戦ったんだよ。ものすごく大きな鳥のモンスターから二人の兄弟を守ったんだ」
シリカはピナの頭を撫でながら空を見上げた。この青く広がる空は、データの集合体。でも、この空の遥か上の層では、あの黒の剣士が戦っているに違いない。
「ちょっとだけ、近づけたかな。キリトさん」
このとき、シリカは気づいていなかった。クエストクリアを告げるウインドウ。そして、そのウインドウはあろうことか、ピナによって閉じられたことに。
だから、このことはピナしか知らない。
『クエスト:デジモンアドベンチャー をクリアしました。』
『アイテム:≪デジヴァイス≫ を入手しました。』