DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
第十二話「喰らい合いを統べる」
『皆さん、朝礼です。朝のラジオ体操を行います』
思わぬ声で眠りを覚まされ、夜都はハッとベッドから起き上がる。枕元には昨日飲みかけていたコーヒーと、昨晩開いていたワードファイルがそのままに明かりが点いている。
夜都は静かに小型パソコンを閉じ、コーヒーを飲み干していた。少し苦み走っているが、眠気覚ましにはこの程度でいい。
部屋から出るなり、旅客達が文句を垂れていた。
「……あ、ヤト。信じられる? あのスタッフ、私達を叩き起こして……」
拡声器を持ったスタッフの声に眠りを覚まされた人々が不平不満を言いつける。それをどこか涼しげに相手は応じていた。
『重要連絡があるからです。昨日、この研究室で皆さんと行動を共にしていたスズキさんが消息を絶たれました。誰も見ていませんか?』
スズキ、と言う名前に、全員が顔を見合わせる中で、黒スーツが大声を出していた。
「相棒をどこへやった!」
掴みかかる勢いでスタッフへと詰め寄った黒スーツに、他のスタッフが制する。
「落ち着いてください、ニシキドさん」
「ここは我々が対処します。ですが、皆さんの昨日の行動記録を聞きたいのです」
「事情聴取ではないか! それよりも相方はどこへ行ったんだと聞いているんだ!」
声を張り上げた黒スーツにシャルロットは声を潜めていた。
「……あの成りでスズキとニシキド? ……合わない名前ねぇ。偽名かも」
恐らくその通りであろう。夜都は黒スーツを仔細に観察するが、契約者らしい挙動はない。むしろ、昨日最も疑われるべきなのは彼だ。
何せ同行していた女性契約者をこの旅行スタッフに押さえられている。そこで怒声を発してもおかしくはなかったのに、どうして昨日怒らずに今、怒りを露にしているのか。
理由があるはず、と勘繰った夜都の思考を先回りしたかのように拡声器のスタッフが声にする。
『それは聞かれては困る事があるからですか? ニシキドさん』
「……ゲートの調査に関する依頼書だ。ここでの監査権は自分にある」
差し出された依頼書らしき紙をスタッフ達が見るなり、その顔を蒼白にさせる。シャルロットも、驚愕に顔を塗り固めていた。
「……驚いた。正式な命令書ですって?」
「それもゲート調査の……。一国が動いていたって事か」
だがどこだ? 日本か、それとも他の組織が……? 思案を浮かべた夜都にスタッフの代表である拡声器のスタッフが落ち着き払って声にする。
『強制権なんてありませんよ。ここはどこの国の利権でも動かないんですから』
「……馬鹿な事を! ここは米国であろう!」
『答える義務、あるんですか? あなた、同意書にサインしましたよね? あの時点で、どこの諜報員であろうと、強制権なんてないんですよ。それはあなた自身が決めた事です』
「……それは形式だ」
『形式だと仰るのなら、その依頼書も形式ですよね? 答えるのは旅行プランに反します』
「……何だか雲行きが怪しくなったわね……」
シャルロットの懸念に黒スーツは怒り心頭の様子で拳を固めたが、やがて踵を返していた。
『……どこへ行かれるので?』
「……わたしはこのゲートに関する調査を依頼されている。ここが米国の研究施設であるのは疑いようのない事実だ。だから調査する」
『ご勝手に。しかし、スズキさんに関する話をしてもらってからでいいでしょうか? 旅の仲間が消えたんです。皆さん、知りたがっているはず』
全員分の視線を感じたのだろう。ニシキドは手を払っていた。
「……知らん。だが隣の部屋であった。それに奴も……調査官であったからな。それなりの仕事への責務はあったはず」
『そうですか。では、我々も知らぬ存ぜぬを通しますね。それでおあいこです』
その言葉に何も言えないのだろう。ニシキドは苦渋に奥歯を噛み締め、それから全てを投げ打つように背中を向けていた。
「……それこそ、勝手にしろ、だ」
歩み出したニシキドを止める者はいない。どうやら彼らは昨日今日で三人ともばらけてしまったらしい。
『皆さん、すいません、早朝から。ですが原因を究明しなければならなかったので強硬手段を取らせてもらいました』
言い繕うスタッフにシャルロットは胡乱そうに眉をひそめ、こちらへと声を振る。
「……ねぇ、おかしくない? 昨日の契約者もそう。まるで狙い澄ましたみたいに……」
「そうも見える……。でも、だからと言って短絡的に結び付けるのは……」
だが、目隠しされていた間に五人も消えていた。不都合な人間を運営側が消していると思われても仕方あるまい。
『さぁ、皆さん! 今日のプランを説明しますね。三十分後に再集合でお願いします。それからゲートをお見せしましょう。楽しみにしていてください』
めいめいに散っていく中でシャルロットが肩を突いていた。
「……ヤト、時間、いい?」
「うん。大丈夫だけれど」
「そう、なら……」
促されて研究所の中でも人目の付きにくい廊下の曲がり角へと案内される。
「……怪しいところだらけで信じろってのが無理なんだけれど、あなたはどう思うの?」
「……どうって。あの黒服二人は……危なさそうだけれど」
「危ないで済むと思う? スズキとか言う、片割れ、多分もう死んでいると思うわ」
「何でそう言い切れるの?」
「だって、朝一番から行方をくらますなんて異常じゃない。それに、この研究所に探りを入れるつもりなら多分、連中黙っていないと思うわ」
「連中……あの旅行スタッフ達……?」
「グルだと思う。この研究所に居る人間と」
「誰かと会ったの?」
「いいえ……でも確信があるわ。きっとこの研究所に勤めている連中はまともじゃない。先の目隠しもあった。その時に何人か消えていたのには気づいた?」
夜都はわざとらしく目を見開く。
「……考えもしなかった」
「そう……。でも、数を確認したらやっぱりそうなのよ。五人ほど居なくなっているわ……。ねぇ、ヤト。ヤバい事に首を突っ込んだのはお互い様だけれど、ここは協力しない? 何とかして、この旅行を生き延びるの」
「……何とかって……と言うか、ゲートを観て帰るだけでしょ?」
「……本当に、ゲートを観た人間を、そのまま帰すと思う?」
それは、と返事に窮した夜都にシャルロットは強い論調で断言する。
「絶対に、無事に帰す気なんてないわ。この研究所の物々しさがそれを克明に物語っている。何かがあるのよ、ここには。そして私達は、集められた研究資料ってわけ」
「……それは、実はモルモットは私達だったって事?」
シャルロットは無言で頷く。夜都からしてみれば、昨日には到達していた理論であったが、ここでは初めて思いついたように装う。
「……じゃあ、ここから逃げる手段は……」
「今のところないわね。……一応、部屋を物色したのよ。でも、何にもない。外に繋がる窓も。換気扇も、空調設備も、どれもこれも、外の空気をまるで感じないの」
「……閉じ込められてるって言うの?」
「……それだけならいいんだけれど。相手の想定が私達全員の観察なのだとすれば、もう始まっているのよ。最初にリタイアしたのはあの赤髪の契約者。ここへと繋がる扉に反応して、半狂乱に陥った」
「うん。……あの人は、どうなったんだろう」
「始末されたか、あるいは重要な研究に使われているのかも。いずれにせよ、ここで一人脱落。そして次は目隠しの試験。その時にも五人、居なくなった。その五人の共通項は今のところ不明だけれど、でも好転はしていないでしょうね。きっと、その五人はその時点で、ふるいにかけられていた」
「基準は? 基準がないのなら、私達だって脱落していたかもしれない」
「……それは多分だけれど、本心からゲートを観たいと思っているか、じゃないかしら? 私はそう思っているし、きっとあなたもでしょう?」
「それは……確かにその通り」
「曖昧な基準かもだけれど、あの時点で疑念を持っていた人間を排除するのに働いたとすれば? 目隠しの時点で、私達は耳も目も塞がれていた。狂ったのが五人居ても気づけやしないわ」
「……つまり、みんなゲートの手前で狂ってしまったか、大きな疑念を抱いていた……。それを旅行スタッフは読み取って、排除していたと?」
考え過ぎ、という体を示すが、シャルロットの声音は真剣であった。
「でも……それくらいは構えていたのだと思う。だってゲートよ? 諜報機関が喉から手が出るほど欲しい情報を、一般人に差し出すと思う? ……ともすれば、一国の重大機密。私達みたいな旅行者が得られると思ったのが、そもそもの間違いかもしれない」
「……最初から、スタッフには客を帰す気はない……と?」
その推論にはさすがに難色を示したのか、シャルロットの表情が翳る。
「……いえ、そこまでは。だって旅行プランに沿っているし、今のところおかしいのは消えた六人と、そして黒服の片割れだけ。パンフレット通り、バスツアーの翌日からのゲート検分……何もおかしくないと言えばその通りなんだけれど、それ自体が……」
「どこかしら異常に思える、とも」
先回りして応じた夜都にシャルロットは頭を振るっていた。
「……正直、分からないわ。ゲートを見せてもらえるにせよ、そうでないにせよ、私達は最終日まで生きていられるのか。それとも皆殺しにしてでもゲートの秘密を抱えて戻りたい、誰かさんが居るのかって事もね」
夜都は心拍数を一ミリも乱れさせずに顎に手を添えていた。
「……まさか、契約者が他にも……?」
「……その可能性は高いって事よ。だから、ヤト。ここでは協定を結ばない? 生きて帰るまで、お互いに隠し事はなしにするの」
魅力的な提案に思えたが、既にこちらは昨夜の研究員の事がある。一方的な交渉になりそうだと、その方向性を弄っていた。
「……でも特に隠し事なんてないよ」
「一つでいいのよ。お互いに休憩時間に一つずつ、発見した事を教え合いましょう。そうすれば隠し事はなしになる。もちろん、どうしてこのツアーに参加したのかなんて無粋な事までは聞かない。あくまでも生き残るための方策よ」
ある一面ではまともな交渉に思えるが、夜都は条件を提示していた。
「じゃあ、もう一つ。これまで通りの法則性なら、ゲートを狙っている連中が居て、その人達が犠牲になっている。……これから先も、もしかしたら犠牲は出るかもしれない。あのニシキドとか言う黒服はそうでなくとも危なかった」
「ええ……スズキとかの二の舞になりかねない感じだったわよね……。でも、そうだとすれば一つの推論が成り立つわ」
「それは……?」
そこでシャルロットは周囲へと警戒を走らせ、やがて一つだけ口にしていた。
「……ここから先は休憩時間の時にしましょう。三十分後に部屋から出てこないと怪しまれる」
首肯し、夜都はシャルロットと共に部屋へと戻っていた。しかし、彼女は部屋に入る直前まで不安げな面持ちである。
「……ヤト。戻る前に一個だけ。契約者が居るとして……あなたはどう思う? こんな……一般人まで手にかけるような相手を、どう考えているの? ……私は怖い……」
怯えるシャルロットに夜都は、そうだね、と同調していた。
「……きっとロクでもない、最悪の連中には違いないよ」
そう口にしてから扉を閉め、夜都は小型パソコンから有線LANケーブルを壁に突き刺していた。
ランセルノプト放射光を放ち、夜都は壁を睨む。
「……そうだとも。最悪な連中同士の喰い合いだ。契約者は、所詮は人でなしなんだから」