DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
先のツアーと同じ、濃霧に押し包まれた空間に出た夜都は周辺地域の把握に努めていた。
「……分かる範囲の地理的なものは……」
「あれ……さっきはもっと近かった……」
シャルロットの指差すほうには慰霊タワーがある。先ほどと同じく白黒反転したような形だが、それでも遠ざかっているのが窺えた。
「……新市街地中心部よりかなり離れている……」
『さて。皆さん、集まられましたか? ではゲートに向かいましょう。先ほどはゲート側から邪魔が入りましたが、今度は大丈夫だと思いますよ』
「……質問。スタッフが減っているけれど?」
夜都の挙手に拡声器のスタッフが応じる。
『……あまりたくさんで来ると、門の中の存在を刺激しかねないので。今度は携行武器も最低限で来る事にしたのです』
「……門の中の存在」
口中に繰り返してから、夜都は濃霧の中心地へとゆっくりと歩んでいく集団を眺めていた。
参加者は先の黒スーツと女性、それに目隠しの時に減った五人を計算してもかなり減った。今朝のゲート前での戦闘で散った人間は未確認だが、三人以上は死んだはずだ。
元の参加者の人数も分からない。だから、ここで下手に勘繰ったところで時間の無駄だ。
今は、少しでも真実に肉薄したい。そのためならば残酷でも前に行こう。
「……ねぇ、ヤト。あまり早足にならないで。危ないわ」
「……でも、この先にゲートがあるのなら……」
しかし一寸先さえも怪しい濃霧に、先ほどから皮膚に張り付く僅かな湿気。雨が降る直前のようなコンクリートのにおい。どれもこれも異常事態のはずだが、異常とも思えない。
ここが本当にゲート内部に近いのか、それともまだ戸口なのかも不明。
夜都は歩み進んでいる途中、その爪先が何かを蹴っていた。
「……何……?」
転がった対象を目にしてシャルロットが悲鳴を上げる。
「……人間の腕……」
夜都は屈んでそれを確かめる。腕には違いないが、血がほとんど止まっている。それに、この腕は……と夜都は記憶を探っていた。
どこかで見た腕だ。しかしどこで……と冷静になる自分とは裏腹に参加者は次々と恐慌に駆られていく。
「何なんだ、これ!」
彼らのほうへと視線を寄越す。視界の先には崩落した地面が広がっていた。砂礫に足を取られて数名がよろめく。
『気を付けてください。それはゲートに近い証です』
「……ゲートに近い……」
「や、ヤト……。私、もう……」
腰を抜かしたシャルロットに夜都は手を貸す。
「大丈夫? 手を……」
「ゴメン……。もうこれ以上……進める気が……」
「何のために来たの? ……一応はゲートの片鱗でも拝んでおかないと」
何よりも自分の任務に反する。夜都は周囲を見渡し、シャルロットを任せられる人間を探したが、スタッフの誰も彼もがこの濃霧にうろたえている。
ここに入る事に躊躇していないのは、あの拡声器のスタッフだけ……。
目線で確かめつつ、夜都は女性スタッフへとシャルロットを預けていた。
「……この人をお願いします。ここから先には行かせないで」
「ヤト! ……ヤトは、行くの……?」
「……見定めないといけない」
ここまで来たのだ。むざむざと逃げ帰って堪るか。夜都は歩み出し、他の先行メンバーの顔を覗き込もうとして最早その視界でさえも危うい事に気づく。
どこから敵がどう迫って来ても咄嗟に対応出来るか……。
夜都は姿勢を沈め、周辺の音に気を配る。
「……銃撃音がない。襲撃は……ないか。だがここから先がゲートだと言うのならば……」
今朝のように異形の存在が襲って来てもおかしくはない。夜都はこの視界ならばと、静かに手の中にクナイを携えていた。
瞬時の判断で読み負ければお終いだ。ワイヤーの強度を確かめ、すぐに伸長出来るように調整する。
小型パソコンを携え、夜都はゲートの濃霧の中で静かに起動させる。
手元で何文字か打っていると、不意に悲鳴が劈いた。
「……一人。いや、二人……」
男の悲鳴に女の断末魔。どれもこれも、雑多で解読し切れない。それでも、夜都は小型パソコンで文字を打っていた。落ち着いて、そして手順を踏み――。
「――それが対価ですか。難儀な事ですね」
分かっている。こんな音しか頼りのない中で、姿勢を沈めてタイピングしていれば格好の的だと。しかし、夜都は逆にこの状況を利用していた。
この期に仕掛けてくるとすれば、それは自分と同じ、音を頼りにした戦力に違いない。
相手の攻撃が舞う前に夜都はクナイを放っていた。
投擲した先に居た相手へとランセルノプト放射光を漂わせ、能力を行使する。
絶叫に倒れた相手に、夜都は歩み寄り、僅かに瞼を伏せる。
「……シャルロットを任せた女性スタッフ……」
では彼女はどこへ。そう視線を巡らせようとした夜都は、首裏に感じた直感にクナイを奔らせる。
火花が散り、互いに引き離されていた。舌打ちが滲み、相手が飛び退ったのを感じ取る。
夜都は相手を睨み、それからポシェットに入れている赤いレインコートを解き放っていた。
頭より被り、赤い衣を身に纏う。
その姿に忌々しげな声が放たれていた。
「……ニューヨークの赤ずきん……。そう、やっぱり、信じたくなかったけれど契約者だったの。でも、それはお互い様みたいね。一撃で死んでくれたら、よかったのだけれど」
ランセルノプト放射光を放ちながら、ナイフを携えた相手は妖艶に口にする。
「……何故、こんな真似に出る。――シャルロット」
その言葉にシャルロットは哄笑を上げる。
「何言ってるの? 分からない? 合理的に考えなさい。ゲートに最も接近出来る機会に他の人間が居るのは迷惑でしょう」
夜都は拡声器を持ったスタッフが歩み寄ってくるのを感じ取る。彼は、シャルロットの手にしたナイフへと触れていた。
目が赤く輝き、ランセルノプト放射光を帯びたナイフがまるで粘土のように変形し、次の瞬間には拳銃へと変異している。
「……やはり契約者……」
『私の元になったスタッフはどうしたんですかね。ネズミが嗅ぎ回っているんで始末するように命じておいたのですが……この様子だと仕損じましたか』
「……お前は運営側のスタッフじゃないな。契約者か」
『だとすればどうします?』
「どうもこうもない。お遊戯は終わりだ」
夜都は両手にクナイを携え、スタッフへと投擲する。相手が動じる様子もなく、その射線をシャルロットの持つ拳銃が的確に撃ち落としていた。
即座に引き込み、ワイヤーで描かれた円がそのままシャルロットの手首へとかかる。
シャルロットはワイヤーに口づけをしていた。
その途端、強化されているはずのワイヤーがバラバラに解ける。
「……物質の分子分解」
「そう、それが私の……能力ッ!」
拳銃より銃弾が速射される。弾丸にも青白い輝きが纏いついており、直撃すれば恐らく防弾効果があるとは言え、コートは貫通するだろう。
夜都はその攻撃にあえて回避行動を取らず、頭部を仰け反らせた。
「獲った!」
着弾した弾丸はシャルロットの能力を引き写し、コートを分解させていく。だが夜都は冷静に分析していた。
「……私の能力ならば、弾ける」
「……まさか……」
驚愕に塗り固められた彼女へと、夜都は銃弾を落下させていた。
「……同じ分子分解? でも、この能力は貴重なはず。そうそう同じ能力者が居るはずもないッ!」
「だと言うのならば、もう一度撃ってこい」
「冷静に成り下がって!」
狙いを澄ませたシャルロットはしかし、直後に銃を取り落とす。その手首から白い煙が棚引き、彼女は悶絶していた。
「何、これ……。あ、熱い……。さっきワイヤーのかかった部位が……」
『これは興味深い。ワイヤーの接触部位がみみず腫れを起こしている。それに、これは……生き物の焼ける独特の臭い。なるほど、ニューヨークの赤ずきん。その契約能力は、恐らく……』
「冷静になってないでッ! 何とかしてよぉっ! これ、上ってくる……!」
『それもそうでしょうね。彼女の能力は常に、高いほうへと上る。血液の循環に乗せれば一発でしょう。それとも、ある程度なら熱を残してもおけるのでしょうか。数々の契約者を葬ってきた、その名に相応しい凶悪な能力です』
「お喋りは、過ぎれば毒になる」
夜都はクナイをスタッフに向けて放つ。相手は拡声器を翳して防御していたが、直後には拡声器は爆発四散する。
「……熱を通した物体の破壊力の増強。その力、まさに……」
白熱したクナイを目にしたスタッフに夜都は肉薄し、その頭蓋を掴んでいた。
「――死ね」
絶叫が迸る。その喉元と耳、眼球から赤黒い体液が噴き上がり、ばたりと倒れる。
「……嘘、やられちゃったの……? ねぇ! 起き上がってよ! あんたの能力なら!」
「シャルロット。……残念だった」
クナイを投げる。その肩口へと突き刺さった激痛に彼女は呻き逃げ切ろうとする。その背後へと追い縋り、せめて一撃に、と手を翳したところで、夜都は不意に背中に迫った殺気に飛び退っていた。
起き上がったスタッフがその手で先ほどまで夜都の居た空間を引っ掻く。
「……惜しい」
「……何故生きている」
ぐずぐずに顔が融けているが、そもそも生きているはずがない。自分の能力は二度目のあるタイプの能力ではないはずだ。
「……おぞましい能力だ。物質の内側の体温でさえも利用して、内部から体熱上昇し、臓腑を焼く……。単純だが、それゆえに万能性が高い。銃弾は命中する瞬間に鉄の融点を迎え、溶解して落ちる。……なるほど。何故、この契約難民の数多いニューヨークで、生き永らえているのか、よく分かりましたよ。この身でもってね」
ランセルノプト放射光を漂わせ、スタッフは自身の形状を変異させる。
砕いたはずの脳髄を何度か頭を振って巻き戻し、ばらばらに焼け爛れた顔面を再生させる。
「……物質の再構築。いや、この場合は正常な部位との融合」
「……正解。やられた個所は、ほらこの通り」
スタッフ――否、既にその顔は変容している。