DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第十六話「道標を照らす」

 その顔は何の冗談なのだか、狼のマスクであった。仮面を纏い、相手は焼け爛れた足を晒す。

 

「……これでは足が使い物になりませんね」

 

「……人狼」

 

「赤ずきんを食べたのは狼でしょう? なら、この顔が相応しい」

 

 相手はファイルを翳し、そこへとペンでささっと描きつける。その挙動に夜都は言葉を詰まらせていた。

 

「……お前の正体は……」

 

「そういう、野暮な事は言うもんじゃない」

 

「ねぇ! 生きているんならさっさと再構築して! 正常な場所と交換出来るんでしょう? だったら、早く!」

 

「ああ、しかしもう血液の中に赤ずきんの能力は入ってしまっている。私のように自身の体温を利用されて焼き殺されたのならどうとでもなるのですが、血液の流れで上ってくる能力までは排除出来ないですね」

 

「な、何を言って……。あんたの能力は無敵だって……! 生存率百パーセントでしょう!」

 

 その言葉に人狼はノンノンと指を振る。

 

「それは私一人の話。チームメイトまでは面倒を看られませんよ。しかし、困りましたね、これは。貴女の中に入った能力は未だに彼女の支配下にある。取り出そうとすれば、私がその熱のコントロールを引き受けてしまう」

 

「いいからッ! さっさと解いて! このままじゃ、脳に上って――!」

 

「ああ、それなら大丈夫。案外、この死に方は最初こそ苦しいですが、なに、一瞬ですよ」

 

「嫌だ……っ! 嫌、嫌ァ……ッ! そんな死に方したくない! だってここはゲートで……叶うのでしょう? 何でも……だったら、叶えて……ッ!」

 

 その瞬間、シャルロットの脳幹に熱が到達したのだろう。彼女は絶叫して事切れていた。その顔面から体液が滴るのを、人狼は、おお怖い、と舌を出しておどける。

 

「こんな形相で死ぬのは御免ですね。しかし、赤ずきんに手を出した代償は恐ろしい。内側から熱で焼かれて死ぬなんて」

 

「……シャルロットは最初から契約者だった。いや、彼女だけじゃない。運営も、研究所の人間も、グルだったのか」

 

「それは誤解ですよ。少なくとも研究所に居た人間は皆、友好的でした。まぁ、ほとんど使わせていただきましたが」

 

 人狼がぱちんと指を鳴らすと、濃霧の向こう側から数人の人影がのっそりと顔を出す。

 

 彼らは一様に手にしていたはずの武器と融合し、ライフルを頭蓋に歪な形状で突き出されている。

 

「……残酷な事をするのだな」

 

「残酷? それは可笑しな話をしますね。契約者は合理的に思考するものです。武器を使えるのならば、その行使の機会を窺うまで」

 

 人狼は彼らを仔細に観察し、スケッチを始める。

 

 それがスタートの合図であったかのように頭部を銃座にされた人々がそれぞれに武器を掃射していた。

 

 夜都は躍り上がり、ワイヤーで絡め取っては能力に身を委ねる。

 

 咆哮のような声が上がり、断末魔が次々と濃霧を満たしていく。

 

「……やりますね。彼ら、一応はそこそこ自我はあるんですよ? なのにまるで慈悲の欠片もない。一瞬だ、貴女の判断は。それが素晴らしい。銃撃網が舞う前に、既に勝負は決している。……頭数をせっかく揃えたのに。苦労したんですよ? こうやってくっ付けるのにも芸術性が必要でしてね」

 

「……契約者が芸術などと口にするな」

 

 ワイヤーが舞うが、人狼にかかる前にその身代わりとして参加者の成れの果てがかかる。

 

 迷いは浮かべない。

 

 すぐさま体温の中心部を関知し、血管の中に熱を入れ込み、脳幹へと一瞬で上らせる。

 

 眼前で散った人間の体液がマスクに散るが、それでも人狼はうろたえもしない。

 

「……やるぅ!」

 

 口笛さえも浮かべた相手に夜都は歯噛みし、クナイを逆手に握り締め、銃座の人間の肩を足掛かりに跳躍する。交錯させた一閃をまたしても身代わりが受け、血潮が迸る。

 

 自分と人狼の間で命を散らせた人影に、夜都は反射的に飛び退っていた。

 

「私は……これでも芸術性を重視しているんです。だって、そうじゃないとこの対価は物足りない。私の対価はこうやって、自身の感性を活かして融合させた対象物をスケッチする事。粘土でも練るみたいな感覚なんですよ、これ。どうとでも自由に出来る」

 

 銃座の人間同士がくっつき合い、頭部を三つ垂らした歪な人体が完成する。

 

 その口元から漏れた吐息と共に、三つの頭が地獄の番犬さながらに鎌首をもたげる。

 

 途端、銃撃が浴びせかけられ、夜都はコートを翻して弾き返しつつクナイを投げていた。

 

 銃座の番犬の頭部を狙ったが、僅かに狙いは逸れてその腕に突き刺さる。

 

 しかし、融合の効果は思いのほか強い。三人分の大人の膂力を引き移した六本足の異形が力任せにこちらを引きつける。

 

 その突き出した銃身が狙い澄まそうとしたが、その時には既にこちらの距離だ。

 

 掴み上げ、夜都は吐き捨てるように口にする。

 

「……吐き気がする。お前のような、人間を人間とも思わない、契約者の所業は」

 

 三人分のノイズ混じりの断末魔が貫き、夜都は遺骸へと一瞥をくれる。

 

「……赤ずきんでも慈悲はあるのですか?」

 

 試すような物言いに、夜都は白熱化したクナイを投擲する。相手はペンを突き上げてクナイを弾いたが、クナイに籠らせた熱量でペンが溶解している。

 

「……さすが」

 

 その声が弾ける前に夜都は地を蹴って懐へと潜り込んでいる。

 

 掌底を浴びせかけて、夜都は、ぐん、と何かが通過したのを感じていた。

 

 思いも寄らぬ速度で傍らへと行き過ぎる、それは――。

 

「……巨大な……魚影……」

 

 濃霧の向こう側で、明らかにスケール感を無視した巨大な魚の影が通過していく。攻撃を中断し、魅入られていた夜都を振り払い、人狼はランセルノプト放射光を棚引かせ、死した人体を練り上げて自らの躯体とする。

 

「ここの勝負はお預けにしましょう。……ニューヨークの赤ずきん」

 

 背中に人間の身体を負い、人間の腕を用いて人狼は四つ足となり駆け抜けていく。その速度にはさすがに追いつけず、夜都は濃霧の中で彷徨う。

 

「……ここがどこなのかも分からない。それに……限界か……」

 

 膝を折る。あまりにも自分の限界を無視した戦いをし過ぎた。夜都は周辺を漂う真っ黒な魚影に終わりを予感していた。

 

 異形の群れが浮かぶ中で自分は息絶えるのか。

 

 そう感じたその瞬間、濃霧を引き裂く黄金の輝きを感じて振り仰ぐ。

 

「……金色の……イルカ……?」

 

 中天を遊泳していく黄金のイルカは、何かを指し示すかのようにその内側から低く遠い呻り声を漏らす。

 

「……ついて来いって……?」

 

 夜都はよろめきながらも、自身の携行していた小型パソコンを片手に、一寸先さえも見えない濃霧を歩き出していた。

 

 黄金のイルカは羅針盤のように一方向を示し、霧を突っ切っていく。その姿は、まるで――。

 

「……月明りの……道標……」

 

 その時、不意にイルカの内側から眩い輝きが放たれていた。何だ、と思う間もなく、霧はイルカを中心軸に消え去り、夜都は出し抜けに視界に入った新市街地の一角で沈黙していた。

 

「……新市街地の……それほど遠い場所でもない」

 

 これまで来た道筋を反芻する。ゲートの戸口であったのか、それとも本当にゲートの中の内部に入っていたのかはまるで分からない。

 

 分からないが、ただ一つだけ――ハッキリしているのは。

 

「……あの人狼の契約者とは……決着を付けなければならない」

 

 その確信だけは、茫漠とした胸の中にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モーニングを注文すると店主が明るく口にする。

 

「おー、ヤトちゃん久しぶりだねぇ。旅行、楽しかったかい?」

 

「えっと……それがその……諸々あって結局中断しちゃって……」

 

「おや、そうかい。あんた! ヤトにデレデレしてないで手伝ってちょうだいよ!」

 

「あー、はいはい。まったく、うちのはこれだから。しかしそれは災難だったねぇ。旅行がご破算になるのはまぁ、私の若い頃も結構あったが、ありゃ辛いもんだよ」

 

 夜都は愛想笑いを浮かべてホットドッグとコーヒーをトレイに乗せ、公園のベンチに座り込む。

 

「……今日の朝刊には何も載っていない。相変わらず情報封鎖だけは一級品って奴だ。しかし……それでも誤魔化し切れないものもあるようだな」

 

「時計、返しておく」

 

「いいレコードは録れたか? 言っておくが、組織はそれなりのリターンがなければ僕達だって切り捨てるぞ?」

 

 銀時計の内部構造は自分に明かされていないが、ゲートに入った際の戦闘記録は入力されているはずだ。当然、自分の心拍数や脈拍も。

 

 ――あの時何があったのかも。

 

 もしかしたら時計には記録されているのかもしれないが、定かではない。

 

「それなら結構。他を見つけるまで」

 

「ドライには成り切れないね、こちとら。ただ、分かった事は、君の発見された場所には遺体もなければ血の痕もなかった。死骸は全部、ゲートが向こう側に持って行ったようだな」

 

「……【煉獄門】の事を、私達は結局、何も知らない」

 

「組織も内々で済ませようと躍起さ。だが、いずれにせよ、結果だけがこの世に残る。トーキョーの【地獄門】関連も最近ちょっときな臭い。どうにも、腕利きのエージェントが投入されたと聞くが、それも定かじゃなくってね。組織の中でも足並みは揃ってないようだ」

 

 いずれにしたところで、自分は一度、ゲートに触れたつもりであった。だが、この手が何もない空虚を掻いたのかもしれない。まだ、その結論は出ない。

 

「今日はすぐに齧り付かないんだな、ホットドッグ、冷めるぞ?」

 

「……たまには食欲のない時もある」

 

 そう言いつつ久しぶりの店主の御手製は格別であった。夜都はホットドッグを平らげてコーヒーを呷る。

 

 グレイは肩を竦めていた。

 

「……よく言うよ。だが、それくらいタフでいてくれたほうが助かる。僕達は後方支援しか出来ないからね。そうだろ? ブルック」

 

『同意だが、紅。本当に何があったのか、組織に報告するつもりはないのか?』

 

「……ゲートでは不可思議な現象が起こるのが常のはず。報告しようにも出来ない」

 

 直上の木々に留まった蝙蝠が首を傾げる。

 

『……隠し立てはためにならないぞ。だが、そう言われてしまえば言及も出来ない。ゲートで何があったのかは後々、組織の介入が入るだろう』

 

「やれやれ……。僕らは当面のところはこの街の契約者相手に立ち回りか」

 

『【煉獄門】の関連情報は相手が持つ。その条件で俺達はせいぜい、任務に就かせてもらうとしよう』

 

「了解……。だが、紅。これは年長者なりの忠告だが、長いものには巻かれたほうがいい。あまり一人で先走り過ぎると、自分を見失うぞ」

 

「……私は勝手に動く。他のも勝手に動けばいい」

 

「スタンドプレーは相変わらずか。まぁ、下手に馴れ合うよりかはいい」

 

 グレイは新聞を畳んで時計を気にして歩き出す。頭上のブルックが声を発していた。

 

『紅。お前は次の任務を待て。俺は組織に今回の件を問い質す。どうにもお前が死にかけたくらいだ。気にかかる事がないわけじゃないんだろう?』

 

 人狼の契約者を思い返し、夜都は目を伏せる。

 

「……別に期待していない」

 

『それでも、だよ。たまには大人に任せておけ』

 

 蝙蝠が飛び去っていく。夜都はトレイを返し、新市街地を抜けて自宅へと向かっていた。

 

「……たった三日間。それでも……この街は、何かを覆い隠している。それは充分に窺えた」

 

 ゲートと隣り合わせの街。表層だけを取り繕う言い訳のビル群。

 

 夜都はアパートの階段を駆け上がり、チャイムを鳴らしていた。

 

 はい、と出たアリスはこちらを認めるなり、目を見開く。

 

「あ、あの……」

 

 声を発する前にアリスが抱き着いてくる。その挙動に夜都は目を白黒させる。

 

「あ、アリス……?」

 

「馬鹿ヤト! ……本当にどこかに居なくなっちゃったかと思ったじゃない……」

 

「……馬鹿ってのは余計」

 

「あ、ゴメン……。でも、ちょっと不安になっていたのは、マジな話」

 

「それは何で?」

 

 呆れ気味に部屋に入り、鞄を下ろす。アリスはベッドにもたれかかって不服そうに頬をむくれさせる。

 

「いや……何か新市街地のど真ん中でさー、警察が張ってて、何でって後々店長に聞いたら、大規模なゲートが発生したんだってさ。それで当面はバイトは休み。……お陰様で暇を持て余していたところに、あんたが帰って来たってわけ。……ホント、心細かったんだから」

 

「分かったから。アリス、抱き着かないで。暑いよ」

 

 小型パソコンを開いた夜都にアリスはすぐ傍でふぅんと訳知り顔になる。

 

「……また書いたんだ、続き」

 

「うん……。実はね、金色のイルカは死んじゃう予定だったの」

 

「そりゃまぁ、救いようのない話で」

 

「でも……何だか気持ちが変わっちゃって。金色のイルカは少しの間だけ、死神の女の子の話し相手になる感じになるっぽい」

 

「へぇー、ちょっとは救いがあるじゃない。イルカ次第だけれどね」

 

 夜都は慣れた仕草でパソコンの起動中に立ち上がり、コーヒーメーカーで抽出する。

 

「おっ! 久しぶりの夜都の特製!」

 

「……もうっ、調子いいんだから。自分でも淹れられるでしょ?」

 

「いんやっ! 夜都の淹れてくれたほうが美味しいっ!」

 

 断言するアリスに、夜都は嘆息をつきつつお互いのマグカップへと注ぐ。芳しい香りに少しだけ、緊張を解きほぐされる。

 

 アリスは香りを楽しみつつ、口に含んで、うんと頷く。

 

「やっぱり、ヤトのがいい。格別ぅーっ!」

 

「……それでね、アリス」

 

「無視かいな」

 

「……イルカのキャラクターがまだ思い浮かんでいる途中なの。ちょっと相談してもいい?」

 

「あら、珍しい。その創作に関しては、自分の意見が絶対なんじゃなかったの?」

 

 そのつもりであった。それに、この小説自体――。

 

「……うん。でも、ちょっとは幸福なほうが、死神の女の子も救われると思うの」

 

「ちょっとは幸福、ね。ねぇねぇ、じゃあさ。黄金のイルカはとんでもなくムードメーカーで、色んなギャグを教えるの! 死神の子はそれで笑う事を覚えるってのはどう?」

 

「……いいけれど、ギャグ次第」

 

 お互いに意見を交わしながら、夜都はこの狭い部屋で満たされていくのを感じていた。

 

 死神の少女は、少しだけあの日失った道を、見出したのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

第二章 了

 

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