DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第三章「野良猫は、血の足跡を宿して…」(前編)
第十七話「地獄を征く」


 ――少しの間だけ、話をしよう。

 

 君の孤独が癒えるまで。そう口にした金色のイルカは、様々な話を語って聞かせてくれていた。

 

 この漆黒の森に入ろうとするのは、何も自分だけではなかったらしい。

 

 この世界に絶望した者、生きる価値を見失った者、あるいは独りでいたいと願った者……。

 

 彼らに対して金色のイルカは常に希望を説いてきたと言う。

 

 ――絶望なんてするもんじゃないよ。まだまだこの世は捨てたものじゃないさ。もう一度、身を翻してごらん。きっと明日が見えるはずだよ。

 

 ――生きる価値なんて誰かに見出されるものじゃないだろう? 自分で見出すものさ。心に語りかければきっと、見えてくるものもあるはずさ。

 

 ――独りでいたいのかい? だが君が思うよりもずっと、独りは辛いと思うな。この漆黒の森に入れば、誰も確かに君を害する事は出来ないだろう。だが同時に、君は誰も害する事も出来なくなる。人は互いに傷つけ合って、それでもなお生きていくんだ。

 

 それらの言葉が虚飾、あるいは嘘くさく思えるのは、やはり私が辿ってきたこれまでにあるのだろう。

 

 死神の鎌は命を刈り取る。

 

 それこそ容赦なく、何の躊躇いもなしに。

 

 触れるだけで死に至る毒と同じく、死神の宿命として、出会う人間を不幸にしてしまう。それならば独りで生きていくほうが、と感じてこの森に来たのだが、案外この世の最果てにもお喋りは居たものだ。

 

 金色のイルカは胸を反らし、これまで出会ってきた人間達の話を自分に聞かせる。

 

 別段、それで自分の決心が変わるわけでもない。しかし、彼からしてみれば、森に入る人間に聞かせる最後の言葉なのだろう。

 

 その声音は自然と熱を帯びていたし、何よりも情に溢れていた。

 

 ――漆黒の森に入れば、君は多分、もう二度と俗世と交われないだろう。それは死神を自称する君からしてみれば幸いかもしれない。だが、孤独は君を苛む。どこかで限界が来る。その時に、漆黒の森は何も反響しない。そう、響かないんだ、この森には。断末魔も、悲鳴も、何もかもを吸い込んでしまう。

 

 それでも構わない、と私は言いやる。イルカの言葉は確かに希望に満ちているが、それは自分の足を止める要因にはなり得ないだろう。

 

 少しの間、話をさせてくれ。

 

 そう彼は言った。

 

 自分はそれに従った。

 

 その一事に尽きる。

 

 だがその話に、私は意見を述べていた。

 

 ――じゃあ、あなたの言ったその人間達は幸福なの? と。

 

 彼らは皆、生きる喜びを再認識したのか。本当に漆黒の森に入らずして、そのまま家路についたとでも言うのか。この世の残酷さを全て忘れて、もう一度生きてみようと思えたのか。

 

 詰問に、イルカは押し黙る。

 

 ――僕はね、傲慢ではないつもりだよ。そこから先は君達の領域だとも。

 

 でもそれは、と私は口にする。

 

 ――それは最も残酷なのと、何が違う?

 

 希望をちらつかせて、彼らは本当にそれに手を伸ばせるのか。本当に希望だけを信じ込んで生きていられるか。生きる事に、疑問や疑心を抱かずして、では真っ当だとでも言うのか。

 

 矢継ぎ早の質問にイルカは困惑したようである。

 

 ――それは……分からない。だが死ぬよりかはいいはずだよ。

 

 でも、私は死神。命を摘む事でのみ、価値を見出せる。

 

 そんな存在にあなたは、こう言っているのだ。

 

 殺す以外にも、生き方はあるはずだと。

 

 だがそれは、何よりも……私と言う存在そのものへの否定の言葉に聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫煙をたゆたわせ、ガタイのいい男は机の上に煙草を押し付ける。

 

「……なぁ、あんた。確かに羽振りはいいが、それでも得心がいかねぇ。何だって、俺達みたいな人間に、ここまで便宜を図る?」

 

 男の視線の先に居たのはサングラスをかけた淑女であった。慎ましやかな黒い衣装に髪をサイドで結んでいる。

 

 女は机を囲むごろつき達を見渡していた。

 

 正面の男の部下が拳銃をちらつかせ、お互いに視線を配る。

 

 机の上には小切手が置かれており、メモとして「いくらでもご自由に」と優雅な筆致で書かれていた。

 

「……先にも言いましたが、契約難民の確保は急務なのです。それはアメリカだけではない、全世界で可及的速やかに行われるべきと言われています。ご存知でしょう? 天国戦争の末路を」

 

「ああ、そりゃあ知っているさ。南米がごっそり消えちまったあの戦争だろ? ……契約者とか言う、異常能力者共が殺し合って、そんで塵一つ残らなかったって言うおぞましい戦争だ。南米の【天国門】からもたらされる収益がそんだけ魅力的だったって事だろうが」

 

「我々の組織も、それを買っています。こうやってあなた方の手元にあるあれに関しても、同等の価値があると」

 

「価値、ねぇ……。俺らは所詮、ならず者だからよ。分からないと言えば分からないし、どうでもいいと言えばどうでもいい。……ただな、領分は守ってもらうぜ、女狐さんよ。ここの区画は俺達の住み処だ。それを争うって言うんなら、あんたは敵だよ」

 

「ですから、合意の上でサインし、そして好きな額で交渉していただきたいのです。我々は平和主義者ですので」

 

 女の紡ぐ言葉に男はケッと毒づく。

 

「……平和主義者ねぇ……。ゲートが現れてから久しく聞かなかった言葉だぜ。だが、満額つぎ込まれても、それでも痛くも痒くもねぇってその澄ました表情……気に入らないとだけは言わせてもらおう」

 

 男の吹き出した煙い息が女の顔にかかる。しかし女は眉一つ跳ねさせない。

 

「……ゲート関連の情報に関しては、各国が鎬を削っています。それなのに、後れを取るわけにはいかないのです。どうか、サインと額の提示を。それで事は済むはずでしょう?」

 

「ここまで舐めた態度取っても怒りも、ましてや交渉決裂だとか言い出さない辺り、あんた……例のドールって奴か? いや、ドールならこんな交渉条件、そもそも持ち出さないか。連中、感情がねぇんだもんな。だがあんた……一応はべっぴんだって言っておくぜ。こんな片田舎に連れ込まれるのはもったいないほどにな」

 

「恐縮です。ではサインを」

 

 男が脇の部下に目配せする。部下は首肯し、女へと引き金を引き絞っていた。

 

 銃声が二回、劈き女はそのまま倒れる。

 

「悪いね、べっぴんさんよ。こんだけの額を積まれりゃ誰だって警戒する。もっと他の……PANDORAとかに情報を売ったほうが有意義そうだ。あんたの死は無駄にはしねぇよ」

 

「――それは交渉決裂、と判断していいのだろうか」

 

 まさか、と男が目を見開いた瞬間、女は跳ね上がるように佇み、部下の心臓へと腕を突き入れていた。

 

 その身体が青白い燐光に棚引き、次の瞬間には女は心臓を掴み取り、血を噴き出す臓器を引き出している。

 

「な……何だ……それ」

 

「とんだジョークですよ」

 

 ぷしゅっ、と心臓が鷲掴みにされ押し潰される。飛び散った鮮血に慄いた男を他所にもう一人の部下が女へと飛び込んでいた。

 

 その手にはナイフが握られている。

 

 腰だめに体重をかけた一撃に女は倒れるかに思われたが、部下が声を震撼させる。

 

「……腕が……貫通した……?」

 

「正しくはあなたが私を通り抜けたのですよ」

 

 女が青白い光をなびかせたまま、部下の首筋に指を這わせる。その指先が不意に頸動脈に入り、引っ掻いた刹那には部下の首からまるでスプリンクラーのように血潮が舞っていた。男は恐れ戦いて後ずさりつつ、女の眼がサングラスの向こう側で赤く煌めいたのを確かに目にする。

 

「……まさか、てめぇも契約者……」

 

「どうなさいますか? 交渉を続けるか、やめるか」

 

 ひぃ、と悲鳴を上げて男は外へと飛び出す。女から逃げおおせれば、後はどうとでもなる、と感じていた彼はこちらへと歩んでくる人影を視界に入れる。

 

 少年であった。

 

 どこか虚ろな瞳の少年は、帽子を目深に被り、その手に握り締めたダーツの矢を投擲する。

 

「ば、馬鹿にしやがって……! ダーツの矢で人が殺せるかよ!」

 

 懐に入れた拳銃を抜きかけて、男は拳銃が手を滑り落ちたのを感じ取っていた。

 

 青白い光に押し包まれ、その手が何もない空を掻く。

 

 背後へと振り向けば、女が地面に手をつけ、そこから発せられた光を自分へと伝導させていた。

 

「な、何だこりゃあ……! 何も掴めねぇ……ッ!」

 

「……ダーツで人が死ぬわけない、って言ったね」

 

 少年の放ったダーツがそのまま男の体内へと潜り込む。その瞬間、激痛に男は悶えていた。

 

「……がぁ……っ! 身体の中にぃ……ッ!」

 

 異物が体内に入り、臓器を引き裂いた。その感覚と共にかっ血する。女はゆっくりと歩み寄り、男の肩へと手を置いていた。

 

「ブツの場所を教えてもらいましょうか」

 

「……ば、化け物共が……! 何の目的だ!」

 

「それを知る権利はあなたにはない」

 

 冷たく切り捨てた声音と、正面から迫る少年の脅威に男は居場所を吐いていた。

 

「わ、分かった! 言うとも! ……ブツの場所は南地区のホテルだ! 581号室!」

 

「……よろしい」

 

 女が手を離す。青白い光が失せ、少年は脇を通り抜けていた。

 

 ぜいぜいと呼吸を荒立たせ、びっしょりと掻いた汗を拭って、男は充分に離れた距離で、奥歯を噛み締めて振り返っていた。

 

「馬鹿が!」

 

 もう一丁の拳銃を照準しようとしたその時に、視界に入ったのはダーツである。まさか、と戦慄く前にダーツの矢はそのまま額へと突き刺さり、ずぶり、と頭蓋へと潜り込む。

 

 音もなく、男はそのまま仰向けに倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジェッツ、スプレー缶を」

 

 その言葉に少年――ジェッツは手持ちのスプレー缶を差し出していた。

 

「やるせないな……」

 

 そう言いつつ、赤いスプレーで壁一面へと落書きを施す。描かれていく抽象的な図柄にジェッツは問いかけていた。

 

「ジキル。この行動の意味は?」

 

「意味なんてないさ。これは私の、契約の対価だからね」

 

 缶一本分を使い切って描いたのは、大仰な悪魔の抽象画である。無論、どうだっていいわけではない。その時々に脳裏に浮かんでくるテーマがある。

 

 しかし、そのテーマの一貫性のなさと、そして「スプレー缶を使い切らなければならない」という制約は隠密を厳とするエージェントには致命的だ。

 

 絶対に現場証拠が残るこの対価は、自分達の仕事には向いていない。

 

 女――ジキルはそう胸中に独りごち、スプレー缶を投げ捨てていた。ジェッツはダーツを手に周囲を警戒する。

 

「もう敵は」

 

「いない。あの三人限りだろう。あまり時間もかけられないはず。さっさと南区画のホテルとやらに赴こう」

 

「了解。……ダーツで人は殺せない、か」

 

 どこか自嘲じみて発したジェッツの声音にジキルは目線を振り向けていた。

 

「能力を使ってやるまでもなかったな。見せてやればよかったかもしれない。ジェッツ、あなたの能力は危険だからね」

 

「他人の事を言える? 物質透過なんてえげつない能力のクセに」

 

「それもそうだ。まぁ、ひとまずは彼らが最後の抵抗……」

 

 その時、廃屋から飛び出してきたのは男達である。全員が全員、殺気立っており、恐らくは先ほどの男の部下であったのだろうと推測される。

 

「……契約者か。何の目的でここに来た!」

 

「目的? ……そんなものを問うてどうする? まさか我々より先んじられるとでも?」

 

「街を荒らされると面倒なんでな! 死んでもらうぜ!」

 

 アサルトライフルの銃口が向けられ、ジキルはほとほと呆れたように額に手をやる。

 

「……人間は人殺しが好きで困る。ジェッツ」

 

「はいはい。……高くつくよ」

 

「構わない。人数は……八人か。一斉にやれるだろう」

 

「簡単に言わないでよ」

 

 ジェッツがその両手にダーツを握り締める。思わぬ挙動だったのだろう。男達が高笑いを上げていた。

 

「馬鹿か! ダーツで人が殺せるかよ!」

 

「……だ、そうだ。どうにもそちらの能力は締まらないな。初見だと舐められてしまう」

 

「嫌だね、ホント。でもま、そのほうがありがたい。避けられるよりかは」

 

 ランセルノプト放射光を帯びて、ジェッツは赤く眼を煌めかせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 物質透過で扉を内側からこじ開け、ジキルは一室へと入る。

 

 ベッドの上で一人の女性が毛布を被ったまま呪詛のような声を吐いていた。こちらに気づくと、その瞳が怯えに揺れる。

 

「……誰……? ――ああ、そう。私を確保しに来たのね。そっちの小さい子がジェッツ、あなたがジキル」

 

 赤く眼をぎらつかせた女の眼光にジキルは怯えを宿す事もなく、真正面からその眼差しを捉える。

 

「……常時発動型の能力か。厄介だな」

 

「……そうとも思っていない。当たり前よね。契約者に、他人を慮る機能はない」

 

「話が早くってとても助かる。ここに来る道中、服が汚れてしまった」

 

「……さっきの大きな動乱は、そっちのジェッツの能力なのね。あんなに派手に殺さなくってもいいのに」

 

 その言葉振りにジェッツは帽子を目深に被っていた。

 

「……別に。見せつける気なんてなかった」

 

「そちらの都合は聞いておこう。それに、我々の都合も」

 

 ジキルの言葉振りに女性は目を細める。

 

「……私みたいなのってたくさん居るのね。あの天国戦争の生き残り……」

 

「能力を行使しないでいい場所へと案内しよう。ジェッツ」

 

 ジェッツがその手に握り締めたのは赤いヘッドフォンだ。それを女性の頭にかけさせると、女性は驚愕に目を見開いていた。

 

「……不思議。こんな道具があるのね」

 

 女性の周囲からランセルノプト放射光が凪いでいく。これまで、常に発動し続けていた能力がこの道具によって相殺されたのだ。

 

「……こちらの手を読まれ過ぎるのも困る。これより、あなたは私達の保護下に入ってもらう。改めて名乗ろう。彼はジェッツ。私はジキル。契約者の精鋭集団、ズヴィズダーだ」

 

 宣言したジキルに女性は瞳を伏せる。

 

「……やっぱり。私の行方なんてその程度よね。ようやく地獄が終わったと思ったのに」

 

「それはすまないが、これだけは言っておく。――地獄は、始まったばかりだと」

 

 

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