DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第二十九話「悲しみを手繰る」

 

 包帯姿でドアの前に立つなり、アリスは目を見開いていた。

 

「……どうしたの? 怪我?」

 

「階段から落ちた」

 

「何それ。ベッタベタじゃん」

 

 こちらを指差して笑うアリスを他所に、夜都はまだ不自由な右肩から下を動かそうとする。

 

 肩を射抜かれた形で生き延びられたのは、熱源操作の能力で火傷と裂傷を防げたからだ。そうでなければ今頃、右腕の肩より下を切除していたかもしれない。

 

 こちらの深刻さに対して、アリスはどうやらブログの記事を更新しているらしい。夜都はコーヒーメーカーを抽出させ、マグカップを用意しかけてアリスに制されていた。

 

「いいってば。さすがに怪我人を動かせないよ」

 

「……でも、同居の条件だし」

 

「だから、それって半分ジョークだってば」

 

 アリスが慣れない仕草でコーヒーを沸かそうとする。その間に夜都はアリスの書いていた記事を覗き見ていた。

 

「……何これ。【煉獄門】の記事って……」

 

「いいでしょー、それ。またアクセス稼いじゃう」

 

「……あまり踏み込み過ぎると危ないよ。そうじゃなくっても、毎日のように新市街地じゃゲートがランダムに発生している。揉み消そうって思っている連中が多いのはアリスでも分かるでしょ?」

 

「……何よ、その言い草。心配してるのか馬鹿にしてるのかどっちよ?」

 

「……両方」

 

 その時、不意にアリスが夜都へと抱き着く。いつもの事だが僅かに怪我が痛んだ。

 

「……結構、酷い怪我なの?」

 

「……まぁまぁかな」

 

「何をやっていたらこんな怪我するのよ」

 

「だから学業だって。階段から落ちて……」

 

「そんなベタなの誰が信じるかっての」

 

「……自分は真実味のない記事ばっかり書いているくせに」

 

「何をー。あんたねぇ、あたしの記事はジャーナリズムに則って――!」

 

「でもほとんどゴシップでしょ。ゲート……東京の【地獄門】にみんなかまけているから、ニューヨークの【煉獄門】なんて話半分だって」

 

「……まぁ、かもね。って言うか、そうだからまだ本格的な闘争は起きていないんだろうし。トーキョーはマジにヤバいって、あっちに行っている友達からメール来てたわ。毎晩契約者が出てきて殺し合っているとか」

 

「噂でしょ」

 

「でももっともらしいじゃない。……えーっと、これ、どうするんだっけ?」

 

 アリスはコーヒーメーカーの操作方法が分からないのか、右往左往している。夜都は嘆息をついて片手で操作を手伝う。

 

「……こうしてこうでしょ。注ぐくらいは出来るわよね?」

 

「バッカにしてくれちゃってー。……でもなー、ヤトの淹れてくれたコーヒーじゃないの、寂しいかも」

 

「何それ。別に私のじゃなくっても死にはしないでしょ」

 

「いんや! あたしは死ぬね!」

 

「どういう自信なんだか……」

 

 ようやくマグカップに注がれたコーヒーの放つ芳香に、夜都は帰って来られた幸運を噛み締めていた。

 

 ――あの契約者……。

 

 夜都は焼き付いた陽電子砲を放つ契約者の相貌を思い返す。太陽から見放されたかのような白磁の肌を持つ少女であった。しかし、指差すだけであれほどの威力を誇る攻撃手段があるとなれば接近戦は危険だろうか。

 

 いや、不意を突ければあるいは、と思案していた夜都へとアリスは言葉を投げる。

 

「……ねー、ヤト。あんたの小説、さ。物悲しい感じになっちゃっているわね」

 

 昨日更新したばかりだ。夜都は自分のパソコンを引き寄せ、続きを書いていた。片手でタイピング速度は鈍るが、それでも書けないわけではない。

 

「そう? ……元々イルカとの話し相手なんて想定してなかったから」

 

「漆黒の森にイルカと一緒に行って……でもポジティブシンキングなイルカとは意見が割れちゃうんだ? 何だかどっちにも肩入れしづらいかな。死神の子は、もう自分は一人でいいって思ってるんでしょ?」

 

「だから、この森に来たんだろうけれどね」

 

「……それが悲しいって言ってるの。あんたさー、ただでさえ根暗っぽく見られるカッコしてるのに、こんなの書いてるってばれたらそりゃドン引きだわ」

 

「……アリスに言われたくない。三流ゴシップ記者」

 

「だーかーら! これは一応裏取り出来てるんだって! それに、こういうのでも見る人がいるから、ブログ収入が成り立っているわけだし」

 

 どの国もゲート関連の情報ならば素人でも欲しいレベルだろう。殊に【煉獄門】に関してのレポートは纏める人間が少ない。ニューヨークでゲートが頻発しているのも、こうやって書き留めなければ誰にも認識されないだろう。

 

 それほどまでに米国は落ち延びた。

 

 先の天国戦争において、アメリカの求心力は地に堕ち、さらに言えば契約難民の流入を抑え込めてもいない現状の議会に国民は愛想を尽かしている。

 

 ただでさえ、狭苦しいこの街に、もう一つの人間が棲んでいるとなれば、誰もが心穏やかではないだろう。

 

 それでもこの街での生活を選択せざる得ない人間だけが、新市街地に居を構えているのが今のアメリカである。

 

 かつての栄華を誇った都は消え去り、契約者との隣り合わせのリスクばかりが際立っている。それでも東京よりかはマシと思っている人間も多いのが事実だが、日本はまだ情報統制が万全だ。この街のように、一歩踏み出せば契約者が闊歩するほどではない。

 

 それだけ各国の諜報機関は神経を尖らせている。

 

【地獄門】に魅入られたように契約者も、諜報員達も次々と人員を搾り出していく。あの極東の島国にまだ見ぬ叡智の財宝でもあるとでも言うのか。

 

 アリスは抱き着いたまま、こちらの小説の進み具合を観察する。

 

「……あんたの、さ。救いのある終わり方にはならないの?」

 

「分かんない。書いていても、こうしたほうがいいってのは、自分次第だし」

 

「だったらさ、こうしない? 死神の女の子は、金銀財宝を漆黒の森で見つけ出すのよ。それも誰の手垢もついてない奴!」

 

 思わぬアリスの提言に夜都は渋面を作る。

 

「……何か、やだ」

 

「どうしてよ? お金さえあれば少なくとも表面上はハッピーじゃない? あ、そうだ。その金色のイルカもお金を捻出してくれる役割にして――」

 

「やだ。それって何て言うか……リアリティがない」

 

「……死神を出している奴が言うかね、それ」

 

 ずずっとコーヒーを啜るアリスに、夜都は次の展開を書き出していた。

 

 だが、と手を止める。

 

「……アリス。本当に、お金さえあれば、何でも大丈夫だとか思ってる?」

 

「うーん……まぁ大抵の事はどうにかなるんじゃない? そういうものよ、貨幣経済ってのは」

 

「……でも世の中の人達は、お金よりも大事なものがあるって言いたがるよね」

 

 こちらの物言いにアリスは訳知り顔になって問いかける。

 

「ははーん。さてはヤトってば、愛とか友情とか、あるいは無償の慈愛とか信じているタイプ?」

 

「……信じてないよ。アリスだって家賃が折半じゃないと嫌でしょ?」

 

「そういうけち臭い話じゃなくってさ。大きい話、世界に愛さえあればどうにかなるって考えているの? って聞いてるわけ」

 

 馬鹿馬鹿しい、と夜都は一蹴する。

 

「……そんなわけないじゃない」

 

「そっ。そんなわけない。愛さえあればみんな平和なら、【地獄門】も【天国門】も、ましてや【煉獄門】なんてものに手出しなんてしないっての。みんな、結局は利権欲しさよ。金のなる木に、じゃあ金がならないって分かったら、そりゃ撤退するでしょ。それと同じ。金がなっている間は、最後の最後まで搾り取るのが、人間のやり口でしょ」

 

 どこかその言葉尻には諦観さえも窺える。人間、金さえあれば何でもやってしまえるとでも言っているかのような。

 

「……でもそれって悲しいよ」

 

「あんたの話よかマシ」

 

「……そうかなぁ」

 

 小首を傾げた夜都は小説の続きを綴る。死神の少女はこのまま漆黒の森へと入り、そして何を見出すのか。

 

 続きは、まだ自分でも分からない。

 

 

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