DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
はい、と扉を開けるなり、飛び込んできた人影に胡乱そうに視線を流す。
「……遅かったね。また朝までバイト?」
「ホント、それ……。眠い……」
欠伸を噛み殺した同居人に、夜都は訝しげに返していた。
「……また契約者が出たらしいよ。危ないから夜のバイトはやめたら?」
「うーん、そうもいかないんだなぁ、これが。店長のお気に入りだからさ」
大きく伸びをした相手へと、夜都はコーヒーメーカーを起動させる。抽出されるコーヒーの芳香におっ、と期待の声が飛ぶ。
「ヤトのコーヒーは美味しいからねー。いつも仕事の後の楽しみにしてるんだから」
はぁ、とため息混じりに夜都はパグの絵が描かれたマグカップへと黒い液体を注ぎ込む。苦み走ったコーヒーが同居人の好物だ。マグカップを差し出すと、ありがと、と同居人はありがたく受け取る。
「仕事の後の一杯ってヤツ! 格別ぅー!」
「お酒飲めないクセに……」
自分の分のコーヒーをデスクに置く。手狭なアパートの一室は挟み込む形のデスクと、ロフトのベッドで占められており、ベッドの下には資料用の本棚が敷き詰められていた。
雑誌が散乱しており、足の踏み場もない中で、同居人は胡坐を掻いてこちらの作業を見やる。
「まぁーた、やってんの? 小説の続き」
「……だってこれ書かないと落ち着かないし……」
「可愛いのに、もったいなーい!」
その時、不意に抱き着かれ夜都は当惑していた。硬直した夜都へと、同居人は悪ふざけする。
「ちょ、ちょっと……のしかかって来ないで……。重いんだってば」
「ちょっ……! レディに失礼してくれるじゃないの!」
「……レディだと思われたければ、もっときっちりすれば? この街で夜のバイトは危ないよ。学費稼ぎにしちゃ、大学、行ってないんでしょ?」
「いいんだって、大学は道楽なんだから」
ひらひらと手を振る相手に、夜都は呆れ返る。
「アリス。あなたのブログ、一応昨日だけで千五百件のアクセス。……面白いのかなぁ。契約者の追跡レポートって」
「ま、お国柄によっては重要書類に近いからねー。あたしの道楽の一つでも、見る価値はあるんじゃない?」
「……この仕事も危ないよ。いつ、契約者が飛んでくるか分からないんだから」
「こんなボロアパートに来る? ……そいつは笑えるわ」
コーヒーを呷ったアリスはそのままベッドへと足を運び、身体を投げ出して布団を被っていた。
「ちょっと寝るわー。ヤト、明日も決まった時間に起きるから起こしてねー」
一秒と経たずに寝息が漏れ聞こえて夜都は呆れ返る。
「……勝手だなぁ。ブログのアクセス数が伸びているからって、油断はならないのに……」
自分のコーヒーをちょびちょびと飲みながら、夜都は小説を書き留める。
ストーリーはシンプルなものだ。
世界から爪弾きにされた死神の少女が、少しずつ世界へと回帰していくメインプロットを、こうやってパソコンに記す。
暗闇の中で投影されてくるパソコンのブルーライトを浴びながら、夜都も欠伸を漏らしていた。
「……もう、寝よ……」
着込んだタートルネックの服から軽装のパジャマに着替え、夜都は二段ベッドの下へと潜り込んでいた。
「……ねー、ヤト」
「……何。まだ起きていたの?」
「いんや、あんたのさー、小説。何か寂しいよね」
「寂しい? どこが」
「どこがって……全部よ、全部。死神の女の子、最後にはどうなっちゃうの? このまま世界から追放されたっきり?」
「……言わない。ネタバレだし」
「別にネタバラシしたっていいじゃないの。あんたの小説、翻訳して載せてるのあたしだし」
ブログの片隅に貼られたリンクから、自分の小説は読めるようになっている。ただ閲覧数は芳しくはない。せいぜい、日に十五人が関の山であった。
「……感謝はしている。でも、やっぱり結末は教えられないよ」
「それってどんでん返しがあるって事?」
「……かも。多分」
「何よー、分かんないんだったら構想だけでも。ね?」
「……知らない」
横になるとアリスはへそを曲げたようだ。
「……あっそ。まぁいいけれどねー。こうやって美味しいコーヒーを淹れてくれるのが同居の条件だしー。それは満たしてくれてるんだから」
今度こそアリスは寝入ったらしい。不貞寝か、と夜都はほとほとアリスの図太さに感心する。
「……あの子は……最後にどうなっちゃうんだろう。分かんないな、まだ私には……」
ニューヨーク新市街地の表通りに面しているパン屋は、夫婦で営まれており、それなりに評判はいいものの客足はからっきし、という有り様だった。
だから、なのか、それとも、別の要因なのかは自分でも判然としないが、夜都はここでモーニングを注文するのが日課になっている。
「えっと……モーニングで……」
「おっ、ヤトちゃん。今日も可愛いねー」
店主の囃し立てる声に夜都は被った帽子を傾けて顔を隠す。
「からかわないでくださいよぉ……もうっ……」
「そうよ、あんた。ヤトはこの街に慣れて来たって言ってもまだ二か月なんだから。嫌な思い出を作ってあげるもんじゃないでしょ」
応じたのは店主の妻であった。彼女はいつも自分の味方に立ってくれる。
「いいじゃないか、ヤトちゃん、勿体ないだろ。ちまっこくて鈍くさいの、日本人って感じだぜ」
「それって褒めてないですよね……」
あはは、と笑い声が上がり、店主は焼き上がったホットドッグをトレイに載せる。
「はいよ、いつものモーニング。ホットドッグとオジサン自慢のコーヒーセット、お待ちぃ!」
ぺこりと頭を下げ、勘定してから夜都は店舗に面した公園へと足を進める。
公園の中央にあるイチョウの樹の下が自分のお気に入りのスポットであった。
「いただきまーす……」
ホットドッグを頬張りながら、夜都は一緒に購入した朝刊を捲ろうとして、背中合わせで新聞に視線を落としているサラリーマン風の男の声を聴いていた。
「今日の朝刊はかなりいい感じだ。昨日の騒動の欠片もない。ゲートに関するニュースも、それに契約者に関しての報道も一切が封じられている。報道管制が生きている分、トーキョーよりかはマシだな」
僅かに一瞥を向ける。
銀髪のサラリーマン風の若い男は朝刊を読みつつ、ふんふんと鼻歌を口ずさんでいた。
「だが音楽に関しちゃ、こっちが一流だ」
サラリーマン風の男は小さな音楽端末を握り締め、節を取っている。
夜都はコーヒーに口をつけつつ、朝刊のニュースに目を留めていた。
「……やっぱり契約者が居たんだ……」
不自然な報道内容のほとんどは契約者の情報のカモフラージュであろう。アリスの書くブログとは正反対のクリーンな内容はどこか薄めたコーヒーのように味気ない。
意図的に真実を秘匿し、そして都合のいい事実のみを湾曲させる。
ニューヨーク新市街地では、車通りも穏やかで早朝の時間帯であるためか、ジョギングをする人間も数多い。通勤するサラリーマンの風体も珍しくはなく、決してこの街が衰えたわけではないのだと物語る。
しかし、と夜都はニューヨーク新市街地のど真ん中に居座る鎮魂の石碑を視界に留めていた。
先の南米での数千人規模の大戦争――天国戦争においての犠牲者の慰霊碑である。
「……やだな。契約者なんて、居ないほうがいいに決まっているのに……」
この新市街地においても嫌でも突きつけられる。その存在感、この世界の流れを変えてしまった契約者がこの街にも跳梁跋扈する。
夜になれば彼らの領域だ。
偽りの星空の浮かぶ虚飾の宵闇を彼らは駆け抜ける。
自分達が三文役者だとも知らないまま、踊り続ける道化であろう。
「……っと、約束の時間帯だ。先方がお待ちかね」
背後にいたサラリーマンの風体の男が立ち上がり、朝刊を置いて歩み去っていく。
その後ろ姿を眺めてから、夜都は静かに置かれたままの朝刊を掠めていた。
丸められた朝刊にピン止めされているのは鍵である。その鍵の下に記事に直接メモ書きされていた。
「……今度はしくじるなよ、か。勝手な事を言うのね……」
トレイを店に返し、夜都は記された鍵のコインロッカーを目指す。セミロングの黒髪を風が煽り、僅かに涼しい。タートルネックの首筋を確かめてから、夜都は目的のコインロッカーに訪れていた。
鍵を開け、中に入っているクリーニングの施された制服と、そして学生証を確認する。
そのままトイレで着替え、切り取られた地図を見やっていた。
「……少し、急がなくっちゃ……」
駆け足で夜都は路面電車に乗り込み、そのまま新市街地を抜けていく。一番奥の席に座り込むと、先に座っていた女性が声にしていた。
「……あら、ちょっと電波悪い」
携帯電話を翳しつつ、電波を探す女性と入れ替わりで自分の隣に座ってきたのは紫色のテディベアを抱えた少女だ。
ゴスロリ衣装に身を包んだ赤い髪の少女はそっと女性が置いて行った端末を差し出す。
「……首尾は?」
「今のところ微妙。敵は光のないところにいる」
「ふぅん。……調子は?」
「悪くはない」
問いかけて端末を受け取り、夜都は路面電車を降りていた。切り取られた地図で示された地点にあったのはハイスクールだ。
数名の生徒に紛れ夜都は何でもないかのように学校へと潜り込む。
制服を着込んでいるので自分を怪しむ者はいない。目立つとすれば日系人であるくらいであろう。
夜都はまず職員室に出向き、学生証を片手に教員と向かい合っていた。
「ああ、話にあった留学生の。……えっと、名前は……」
「鷺坂夜都です。英語はこの通り」
「うん、喋れるんならそれに越した事はない。にしたって、この時期に編入とは。運があるんだかないんだか」
教員の背中に続く夜都は尋ねていた。
「何かあったんですか?」
「……いや、ね。ちょっと問題のある生徒が居るんだ。彼女の噂が現実味を帯びて来たって言うのが目下悩みの種かな」
「……噂?」
「それはクラスメイトに聞いてくれないか。こっちからは言い辛い」
教員が入ると、生徒達のざわめきが収まる。夜都を認めて囁きが交わされた。
「……誰? 日本人……?」
「今日からこのクラスに編入する事になった」
「鷺坂夜都です。よろしくお願いします」
にこやかに自己紹介した夜都へと教員は空いている席を探す。
「えっと……じゃあ、ヤトは、レミーの隣でいいかな」
レミーと呼ばれた少女はびくりと肩を震わせる。
夜都は歩みを進め、隣の席につく。
「よろしくね、レミー……だっけ?」
「……よろしく」
巻き毛の茶髪を持つレミーは視線を落としたまま呟く。
「よし、じゃあ今日の授業だが……」
授業が始まり、夜都は何でもないかのようにノートを開いていた。
レミーはしかしどこか怯えたようにじっとしている。視界の隅に捉えながら、夜都は教員の言葉を耳にしていた。
「ねぇねぇ、ヤトは、日本から来たの?」
クラスメイトの問いかけに夜都は笑顔で応じる。
「うん、語学留学で……」
「へぇ、じゃあトーキョーから来たの? あの……【地獄門】のある?」
話題は自ずとそれに集約される。日本に関する話題と言えば、核が落ちた北海道と【地獄門】のある東京のどちらかだ。関心事はどこに行っても同じである。
「まぁ、出身地はちょっとずれるんだけれど」
「……ねぇ、【地獄門】って本当にその……対価を払えば何でも叶うって……」
「噂だよ。私だってよく知らないし……」
「そうよ。日本人だからってみんな、契約者じゃないんだから」
「契約者……」
ぴくり、と隣に座って黙りこくっていたレミーが肩を震わせる。夜都へとクラスメイトは囁きかける。
「……ちょっと、行こ」
「えっ、でも私はここでも……」
「まずいんだって、あの子……。ここじゃ言えないけれどヤバい道を辿っているとか」
「ヤバい道……?」
廊下へと連れ出され、クラスメイト達はめいめいに言いやる。
「……レミーの父親、契約者だって」
思わぬ言葉に夜都は目を見開く。
「そんな馬鹿な事って……」
「マジ、本人が言っていたんだよ。自分で、パパは契約者だって」
「……契約者の……娘?」
「そうみたい。まぁ、私達もそれを信じたわけじゃないんだけれど、あの子の周りで不可解な事が最近起こっていてさ。……父親が憑いているんじゃないかってもっぱらの噂」
「契約者って死んでもこの世に残るんでしょ? だから娘を守るために……」
「……死んでも娘を守るって? そんな事……」
「分かんないよ。だって契約者だもん。そりゃ、私達だって全くの無関係貫けるわけじゃないけれどさ、それでも日本よりかはマシ」
「そうそう、あと南米もね。消えちゃったって言うけれど……」
夜都は教室の掲示板に貼られている世界地図を自ずと視野に入れていた。
南米を中心に巨大な円が描かれている。書かれているのは「【天国門】」の文字。
そして日本の東京にも、「【地獄門】」の文字が躍っている。
「……レミーが契約者かもしれないって噂もあるんだ。だって契約者って心がないんでしょ?」
「ピッタリじゃない。あの子、笑いもしなければ泣きもしないもの」
顎でしゃくったクラスメイトに夜都は当惑の眼差しをレミーへと送る。彼女は視線を落としたまま、沈痛に顔を伏せている。
何か罰でも受けているかのような印象ではあった。
「ヤト、ヤバいから関わらないほうがいいよ。隣になっちゃったのは不運だけれどさ」
「私らから先生に言おうか? いくらなんでもヤトが可哀想」
クラスメイトの気遣いは、同時にレミーを責め立てる言葉の刃だ。夜都はやんわりと遠慮していた。
「いいよ、別に大丈夫。私もちょっと……気にはなるし」
「関わんないほうがいいよ。あの子、本当に契約者だったらヤト、殺されちゃう」
「ないないってば! 契約者がハイスクールに通う?」
「まぁ、それもそうだけれど……。契約者がわざわざ学生演じる意味なんてないもんね」
言葉を濁したクラスメイトを振り切って夜都はチャイムが鳴ったのを聞いていた。席へと戻り、レミーへと窺う声を発する。
「……大変だね。何か色々と聞いた」
「話しかけないで。……私のパパは契約者なんだよ」
低く、どこか怨嗟さえも浮かばせた声音であったが、夜都は微笑む。
「……お父さんが契約者なら、みんなを遠ざけちゃうって事?」
「分かんないかな……不幸になるんだよ。私に関わると」
膝の上の拳をぎゅっと握り締めたレミーに、夜都は首をひねっていた。
「……でも、お父さんが契約者でも、レミーは関係ないでしょ?」
「関係なくないよ。……ヤト、だっけ。あんた、死んじゃうよ。多分今日の放課後にも」
その宣告に最も怯えているのは、どうやら彼女自身のようであった。
戦慄いた瞳に夜都はノートを取り出し、シャーペンで書きつける。
――じゃあ試してみない? と。
「……どういう」
――契約者の親が居ても、別に関係ないよ、と続け、レミーの手首に巻かれているミサンガに振れる。
「……やめて……。憐みなんて……」
これ以上は彼女自身も耐えられないか。夜都はノートを引っ込め、入って来た教員へと目線を移動させる。
とは言え、契約者の憑き物か、と夜都は思案する。
事実か否かは別として、興味はあった。