DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第三十話「暗雲を睨む」

「おーっ、ヤトちゃん、おはよう……」

 

 欠伸を噛み殺した店主に夜都は声音で窺う。

 

「あの……何かあったんですか?」

 

「いやね、昨日何だか騒ぎがあったみたいで。ブリッジのほうかな。まぁ、結構大きなものだったようでね。救急車だとか、パトカーが右往左往していて……」

 

「要は寝不足だって話だよ、ヤト。あんた、お客さんの前で欠伸なんてしない」

 

「へいへい、ヤトちゃん、今日もいつもので?」

 

「はい! ……でも最近、物騒ですよね。嫌だなぁ……」

 

「まぁ、この新市街地も決して治安のいいわけじゃないからね。お上がこっちで起こる事は保証するけれど、旧市街地は自己責任って言っているだけで」

 

「この街の治安のよかった頃なんてもう五年も前さ。その頃には、旧市街地がニューヨークだっただけれどね」

 

「……もう、本来のニューヨークを、誰も知らないんですよね……」

 

「何、沈んでいるんだい。いつものヤトちゃんの可愛いところを見せてくれよ。はい! ホットドッグもう一個サービス!」

 

「わぁっ……! ありがとうございます!」

 

「うんうん。ヤトちゃんはそうじゃないと」

 

「あんた! ヤトにちょっかい出してないでさっさと手を動かす」

 

 頭を下げて、夜都は公園のベンチへと腰を下ろしていた。背中合わせのグレイが新聞を捲りながら声にする。

 

「……今日の朝刊はイマイチだな。ジョークもなければ、スパイスにも欠けている。いつも通りなのはコミックくらいだ」

 

「……昨日の契約者に関しての継続情報」

 

「そう焦るなって。あれだけの規模だ。特定するのは難しくはない。問題なのはもっと別なところにある」

 

「別……仕損じたのがそこまでまずいって言いたいの」

 

「どこの組織でも上の考える事は同じらしい。現場の負担は度外視してでも、殺し損ねた男の身柄は獲れ、との事だ。それくらいまずい技術が流出したらしい。ま、例の如く詳しくは教えてもらえないわけだが」

 

「……要は取り返せばいい。裏切り者の男と、それに契約者の命を奪って……」

 

『そうは上手くいくかどうかも、少し雲行きが怪しくなってきたぞ、紅』

 

 止まり木からの声に夜都は仰ぎ見もせずに応じる。

 

「何か問題でも?」

 

『とある企業が裏切り者の男へと契約者を斡旋した。これはある意味ではイレギュラーだ。俺達の粛清を、どうやら阻止したいらしい』

 

「そこまで生き意地汚くもなれるかね。僕には理解出来ない」

 

 そもそも組織から追われる要因を作ったのは男のほうだろうに。それなのに今さら命が惜しいと言うのは身勝手な論法と言うほかない。

 

「……遣わされる契約者は?」

 

『まだ調査中だが、紅、お前の肩を射抜いた契約者もいる。あまり油断はしない事だ』

 

 じくり、と肩口が痛む。陽電子砲の契約者は結局、追い込めていない。どこで遭遇するかも分からない以上、警戒を強めるしかない。

 

「……それくらいは分かっている。問題なのは、情報不足で読み負ける事」

 

「確かに、芋女の言う通り。情報戦で負ければ一気に形勢は逆転しかねない。その辺は抜かりないんだろうな? ブルック」

 

『ガーネットが観測霊を飛ばしている。相手は旧市街地に逃げ込んだと言う情報を得ているからな』

 

「旧市街地、か。……契約難民の巣窟だ。案外、男は契約者の機嫌を損ねて死ぬんじゃないか?」

 

『それはないだろう。契約者は合理的だ。意に沿わぬ殺しはしても、衝動的な殺人は決して犯さない』

 

「合理的判断、ねぇ……。だが、男がどれほどの額を提示したかにもよる。契約者にとってそれがまるで規格外の安さだった場合は、裏切りも視野に入るんじゃないのか?」

 

「……斡旋してきた企業の情報が欲しい」

 

『どうする気だ』

 

「潜入して契約者を始末する」

 

 言い放った夜都にグレイは口笛を吹いて囃し立てる。

 

「僕達のエースは違うねぇ。可能なのか、ブルック」

 

『……危険が過ぎる、と思うがな。金を積んだ程度で契約者を売る企業だ。どのような罠が迫っているのかも分からない』

 

「だが、恐れていては前には進めない。だろう?」

 

 ブルックはグレイの言葉に二の句を継げないようであった。夜都は迷いなく言いやる。

 

「……情報さえくれればいつでも潜入してみせる。それくらいはやるとも」

 

「……だとさ。やる気があるんだ、やらせればいい」

 

 グレイは朝刊を眺めつつ、時計を気にし始めていた。あまり長居するとこちらの動きも割れかねない。相手から攻めてくる事はないとは思うが、契約者の集団と言うのならば、こちらを潰しにかかる可能性もあり得る。夜都は前回、罠にかけようとしてきた契約者を思い返していた。

 

 契約者は合理的だ。

 

 ゆえに勝てると判定した戦いで撤退する事はない。

 

 負けない事こそが契約者同士での戦いの鉄則なのだ。

 

『……一度、俺と紅で旧市街地へと潜入する。その後で、企業に入り込むかどうかは決めたい。敵の能力は強大だ。嘗めてかかれば潰されるのはこちらかもしれない』

 

「そいつは慎重な事で。あまり巻き込まないでくれよ。契約者同士の戦闘になんて、入り込みたくもない」

 

 グレイは時計に視線を落として歩み去る。夜都はホットドッグを頬張り、ブルックの声を聞いていた。

 

『……紅。傷は癒えていないのだろう? 無理はさせたくない』

 

「契約者にしてはらしくない考えだ」

 

『違うとも。契約者だからこそだ。勝てない勝負に持ち込もうとする味方を止める義務くらいはある』

 

 それもまた合理的判断だろう。

 

 今の夜都では陽電子砲の契約者と渡り合って勝算があるとは思えないに違いない。契約者ならば勝てる時に確実に勝利する。それこそが契約者らしい戦い方だろう。

 

「……旧市街地に向かう」

 

『待て、紅。俺も同行する。……いつものようにこっちを撒くんじゃないぞ』

 

 飛び立って行く蝙蝠を視野に入れ、夜都はトレイを返し、路面電車へと乗り込んでいた。

 

「……契約者同士の戦いに、非合理的な感情は不必要、か」

 

 呟いた夜都は垂れ込めた曇天を仰いでいた。

 

 

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