DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第三十二話「接触を講じる」

 

 旧市街地のセーフハウスに入るなり、夜都は窓際に反射する光を触媒にした青白い観測霊を目にしていた。

 

「……ガーネット。敵の位置は?」

 

 観測霊が震える。まだ不明との事であった。

 

「……足で稼ぐしかないか」

 

 だが旧市街地はここのところ、妙に浮き足立っている。前回の戦いの途中より、何かが並行して起こっているのが窺えた。

 

 お陰で自警団気取りの一般人が棍棒や拳銃で武装している。

 

 厄介な事この上ないが、ただの人間だと自分から明かしているようなものだ。契約者ならそんなもので武装する必要性はない。

 

 夜都は屋台へと歩み出てバケットを買おうとして、横合いから延びてきた手に目線を振り向ける。

 

 黒い外套を纏った少女であった。

 

 全身を覆う漆黒のそれはまるで影をそのまま引き写したかのようでさえある。

 

 パン屋の主人はしかし分け隔てなくバケットを売りつけていた。この旧市街地で下手に差別すれば命を取られかねない。

 

 夜都は自分の分のバケットを受け取り、食べ歩きをする少女へと言葉を投げていた。

 

「美味しいですよね、ここのバケット」

 

 少女は視線を僅かに向けたがそれ以上の反応はない。その手まで薄い手袋で覆われている。垣間見える白磁の肌は太陽の光を知らないように薄らぐ。

 

「……旧市街地は危ないですよ。多分……他所の人ですよね……?」

 

「……そちらこそ現地人には見えない」

 

 ようやく応じた少女の声は切り詰めたかのように冷たい。しかし、夜都は務めて微笑んでいた。

 

「留学生なんです。この辺、一応は知っていて……案内しましょうか?」

 

「……いい。外国人なら、下手な事はしないほうがいい。命を落とす」

 

「それ、よく聞きました。警句なんですかね……。でも旧市街地って昔はこっちが本当のニューヨークだったって」

 

「そんな話、誰に聞いたの。観光客の来るところじゃない。さっさと表に戻ったほうがいい」

 

 断じる論調ではあったが、こちらを煩わしく思っている風ではない。夜都はバケットを抱えつつ、少女の背に続く。

 

「……でも、いい人ばっかりで。今のところ不自由はしていないんです。案外、悪くない場所なのかもしれませんね、ここも」

 

 その言葉に少女の足が止まる。夜都も合わせて足を止め、振り向いた少女の相貌を目にしていた。

 

 透明感のある白磁の肌に、緑色の瞳が射る光を灯す。

 

「……興味本位でこっちに踏み込まないほうがいい。旧市街地はただでさえ契約者が多い。下手に首を突っ込むと、本当に死んじゃうよ」

 

 今度こそ突き放したつもりだったのだろう。しかし、夜都は表情をやわらげさせる。

 

「……心配してくださってるんですね。その……ありがとうございます」

 

 こちらの謝辞に相手は調子を崩されたかのように視線を逸らす。

 

「……別に。ただ、死ぬんなら迷惑のかからない場所で死んでって言ってるの。旧市街地は多分、ここ二、三日は一番危ない。だからもし帰る場所があるのなら帰っておいたほうがいい。死体の中に見知った顔がいると、調子が狂う」

 

 最大限の警告のつもりだったのだろう。再び歩き始めた少女に、夜都はついて行く。

 

「……何、着いて来ないで」

 

「いえ、その……そんなに危ないって言うのなら、あなたもそうじゃないんですか? だって、旧市街地が怖いのは知ってますから……。確か、契約難民とかが居るって……」

 

「噂でしょ。そんなものよりよっぽど怖いのが居るよ。だからとっとと失せて。正直なところ迷惑」

 

「迷惑……ですか。でも、同じお店のバケットを買ったんです。ちょっとだけお話しませんか? ……その、帰り辛い事情がありまして……」

 

 少女は睨む眼を寄越しながら問いかける。

 

「何、家出でもしているの?」

 

「……まぁ、みたいなもので……」

 

 頬を掻く夜都に少女はふと、空き地を指差す。夜都は頷いて歩調を合わせていた。

 

「……変わり者ってどこでも居るんだね。私みたいなのに話しかけないほうが、どう考えたっていいでしょ」

 

「まぁ、よく言われます。でも、そんなに変ですかね? だって、この旧市街地は……」

 

 少女は周囲を彷徨い歩く浮浪者を視野に入れていた。確かに彼らの待遇から言えば、少女の纏っている服飾はそこまで異質でもない。

 

「……木を隠すなら、のつもりだったのに……」

 

「あの……あなたはでも私とそんなに歳、変わらないですよね? 何か事情でも?」

 

「何にもない。放っておいて」

 

 ベンチに座り込んだ少女の隣に、夜都は座り込む。少女は目に見えて不愉快そうな面持ちを返していた。

 

「……何。外国人って図太いね。普通ここまで言ったら分かるでしょ」

 

「それもよく言われます。……でも、バケットを外で食べるのは私の趣味みたいなものですから。ちょうどいいかなって……」

 

「……変わってる。って言うか、変な人だね、あんた。本当なら旧市街地の人間になんて声をかけないのも普通なのに」

 

「旧市街地の人っぽくないからかな……。多分、違いますよね……?」

 

「……まぁそうだけれどさ」

 

「旧市街地の……古びた街並みを見るのが好きで……それにマッチするんですよ、このバケットの香ばしさが」

 

「へぇ、偏屈」

 

「……かもしれませんね。でもバケットが美味しいのはその通りでしょう?」

 

 掲げてみせた夜都に少女は顎をしゃくる。

 

「……怪我してでも?」

 

「あ、はい……階段から落ちちゃって……。鈍くさいって言われます」

 

 照れた声音の夜都に少女はぷっと吹き出す。

 

「何それ。馬鹿みたいじゃない」

 

「あっ……笑うんですね、そうやって……」

 

 相手からしてみれば思わぬ感情であったのだろう。ハッとした様子の少女は、自分の頬をさすっていた。

 

「……私、笑えるんだ……」

 

「当たり前じゃないですか。笑えない人なんて居ませんよ」

 

 バケットを頬張る夜都へと、少女はじっと注視する。その眼差しに夜都は当惑していた。

 

「な、何ですか……?」

 

「いや、喋るのも久しぶりだったから、ちょっと意外かも。そういう、人間らしい事って、もう二度とないんだって思っていたのもあるし……」

 

「……何だか私が変みたいじゃないですか」

 

「それは間違いない。あんた、何なの? 旧市街地の、しかもこんなに怪しい人間に話しかけるなんてどうかしている」

 

「どうかって……でも私達、同じお店でバケットを買ったんです。きっと、全く趣味が合わないってほどじゃないと思いますけれど……」

 

「あのお店のバケット、そこそこ美味しい……」

 

「ですよね。私、あのお店の作るパンが大好きで……」

 

 その時、不意に視線がかち合い、少女はフッと儚げに微笑む。

 

「……妙な縁もあったもの。他人と話すのはやめておけって、あれほど言われていたのに……」

 

「……私はそうは思いませんけれど……」

 

「そうかもね。あんた、変だけれど面白い。屁理屈だとか、そういう事をこねない人間は、久しぶりかもしれない」

 

「……私、そんなに性格悪そうに見えます?」

 

「分かんないよ、人間なんて。一皮剥いたらみんな化け物だ」

 

 そう告げた少女はバケットを口に含むと、むせていた。夜都はさっと水筒を翳す。

 

「コーヒー、持ち歩いているんです? どうぞ」

 

「……ゴメン」

 

「何で謝るんですか?」

 

「……迷惑って言ったのに、迷惑かけているのはこっちになった」

 

 その言葉繰りに夜都は吹き出してしまう。

 

「何ですか、それ。……こういうの、お互い様って言うんですかね」

 

「……分からない。でも、コーヒーは美味しかった」

 

 突き返された水筒を手に夜都は立ち上がった少女を仰ぎ見ていた。

 

「一旦、戻らないと。クライアントがうるさいし」

 

「……社会人なんですか?」

 

「一応はね。……ねぇ、言っておくけれど。もう一回、私を見かけてももう……喋りかけないほうがいい。そっちのほうが……うん、いいに決まっている」

 

 その言葉に返答する前に少女は駆け出していた。夜都は空き地の一角に佇む針葉樹に留まったブルックへと声を振る。

 

「……追跡」

 

『分かっているとも。しかし、紅。お前はいつでも、強引にでもああやって近づくな。少しは良心の呵責はないのか?』

 

「……契約者にそんなものは必要ない」

 

『そうだろうな。追うとも。……だが、話しぶりを聞いている限りじゃ、本当に昨日の奴なのか?』

 

「間違いない。……白い肌に、緑色の瞳……。陽電子砲の契約者だ」

 

『そこまで確信していて、あそこまで初対面を装えるのが俺には分からんよ』

 

「……どうだっていい。とっとと追わないと本当に逃す」

 

『了解』

 

 蝙蝠の翼が飛び立つ。夜都はバケットを頬張りつつ、肩口を貫いた痛みに顔をしかめていた。

 

 別段、恨んでいるわけでもない。

 

 あんな顔をする契約者である事に、ましてや良心の呵責なんて――。

 

「……契約者は、だって人間じゃない。殺戮機械がたまに見せる温情に、いちいち感情を揺さぶられるのもまた、馬鹿馬鹿しいでしょうに」

 

 

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