DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
「遅かったな……ロット」
そう呼ばれた少女は黒衣に包まれていた。せせこましい旧市街地の一室で男はベッドの上で項垂れている。
「……食糧を買ってきた」
「誰かに見られていないだろうな?」
ロットは先ほど邂逅した少女の事を思い返していたが、報告するまでもないと応じる。
「……いや、誰とも」
「……本当だろうな。まぁ、契約者に嘘をつく機能もついてやしないだろう。しかし、バケットか。喉が渇くな……」
「水ならいくらでもある。それに、携行食も」
「そういう問題じゃないんだよ。……お前らは本当にそうだな。誰かに命じられるままに戦い、そして殺しを平然とする。……あの企業が金で雇っただけの殺人マシーンだ。本当に……こんな事にさえならなければお前らなんて一生無縁だっただろうに」
吐き捨てるように男は言ってからバケットを噛み締める。ロットは部屋の隅でじっとしているもう一人の契約者に問いかけていた。
「……他に接触は?」
「……ない」
フルフェイスの黒ヘルメットを被っている大男の風貌はそれだけで目立つ。さすがの旧市街地とは言え、彼に立ち歩かせればここはすぐさま露見してしまうだろう。
その傍らには少女ドールが佇んでおり、彼女は僅かに視線を翳らせていた。
「……車が二台、旧市街地に入って来た」
「……潰しておくか」
「待て、スチュアート、エミリー。お前らはここに居ろ」
男の命令に二人は立ち止まる。
「……脅威は排除する約束のはず」
「分からないのか? 目立つんだよ、お前ら二人とも。それなら、ロットに任せたほうがいい。エミリーは観測霊でロットの支援を――」
「必要ない。観測霊は飛ばすな。私の行動を誰に見咎められるのも御免だ」
断じた論調に男は口を噤む。
ロットはスチュアートへと声を振っていた。
「……あんたの能力は対契約者用だ。一般人に使ってもさほど価値はない」
「……分からんぞ。向かってくるのは、契約者かもしれない」
「判断は私が下す。抹殺すべきなら、初手で潰せばいいだけだ」
こちらの声音に男が声を差し挟む。
「ま、待て! 判定をするのはわたしだ! 主人を間違えるんじゃないぞ、スチュアートにエミリー! ロット、お前も、あまり分を弁えない言葉を吐かない事だな。それ以上は越権行為だ」
そう言われてしまえば、相手の事を慮っての言葉も吐けなくなる。いや、そもそも契約者に慮る、なんて機能はなかったか。
「……承知した。だがまずは出端を挫く。一般人であろうとも関係ない。エミリー、乗っているのは?」
「……前を行くのは女が二人。後ろは男が二人」
あまりに粗い判定だが、それは彼女の観測霊がそもそも諜報向きではない事に由来する。霊媒とは言え、万能とは言えない。
「四人か。……広域射程で迎え撃つ。それでいいだろう」
「……待て、ロット。お前の能力はただでさえ目立つ。昨日の契約者だって死んだかどうかまでは分からないんだ。むざむざ晒す事もないだろうに」
「ではどうしろと? ここが見つかるリスクを負ってまで、何もしないのか」
「……違う、ああクソッ……! こいつらは融通が利かなくって困る……! これだから契約者ビジネスなんてうまく行かないんだ……!」
ロットはベッドの上で悪態をつく男を見据えながら、次の手を打つとすればどうするかを思案していた。
旧市街地に入ってくる余所者は往々にして面倒な相手だとクライアントからは教え込まれている。それに自分の所感でも、目につかないような相手は厄介だと告げていた。
その時、不意に先ほどの少女の笑顔が脳裏を過ぎる。
ロットはその像に頭を振って棄却した。
――あれはただの少女だ。だが……何だこの違和感は……。
決めあぐねた胸中に男が命じる。
「……よし、分かった。ロット、お前はまず侵入者の足止めをしろ」
「殺さないでいいのか」
「……だから、物騒なんだよ、お前らは……。……殺してやればまた足がつく。能力を最低限に使って車を止めるくらい造作もないだろう」
「……その程度のオーダーでいいのなら」
「ああ、構わん。スチュアート、それにエミリーはこの部屋に居ろよ? ……わたしを守る者が居なくなる……」
「……了解した」
重々しい声音でスチュアートが応じる。ロットは部屋を出る前に男へと尋ねる。
「……もし抵抗してきた場合は? それこそ契約者の可能性」
「……なら躊躇うな。すぐに殺せ」
そうと規定されたならば迷う事はない。ロットは部屋を出る際に全ての感情を冷たく押し殺し、残ったのはただの契約者としての命令だと処理していた。
廃ビルの屋上に上り、風になびく観測霊を目にする。エミリーの観測霊がそこいらで燻る黒煙に纏いつき、旧市街地を見下ろしていた。
「……煙を触媒にする観測霊……。精度は微妙だけれど、この街なら……」
ロットは旧市街地の狭い車道を抜けてくる二台の車体を見据える。乗っている人間の素性までは不明だが、これ以上クライアントの気分を損ねるわけにもいかない。
「……悪くは思わないでね」
指の間に電磁を纏いつかせる。黄金の電磁波が形状を成し、次の瞬間、解き放たれようとして不意に前方を行く車が停車する。
「……勘付かれた?」
まさか。そんなはずはない。このまま発射しようとして、助手席から降りた喪服の女がこちらを仰ぎ見る。
その瞳に映っているはずのない距離なのに、相手はこちらを正確に捉えているのが窺えた。
「……何故。見えるはずが……」
その時、ロットは電線を伝う青白い霊媒を視野に入れる。
――やられた、と確信したその時には、喪服の女は車両の広域無線を使って呼びかけていた。
『……ここで抵抗すれば、敵対勢力と判断し、排除する』
「……天文部とか言う連中の観測霊か。昨日目立ち過ぎたのが仇になったな」
電線を伝う観測霊をロットは八つ当たりのように散らしていた。ランセルノプト放射光を帯び、指先から発したプラズマを照射し、電線を断ち切る。
『……それがそちらの契約の能力か』
「……来るのならば来い。……私は逃げも隠れもしない」
喪服の女は顎をしゃくる。
運転席から出てきた黒髪の女はその手にライフルを握っていた。
舌打ちを滲ませてロットは電気の塊を放射しながら身を仰け反らせる。途端、一射された銃弾が眉間の付近を跳ねていた。
相手には躊躇がない。そこから導き出されるのは対立組織の諜報員だが、ここまで目立つ真似をするとも思えない。
「……一手誤ったか」
苦々しく口走り、ロットは靴裏に能力を纏わせる。その瞬間、壁へと吸着し、その身が落下を免れた。
「……私の能力を目立つだけの陽電子砲使いだと思っているのなら、お前らの負けだ……!」
ロットは発した力の残滓を感覚する。地を跳ね回り、加速した能力の獣は牙を研いで黒髪の女へと飛びかかっていた。
それを喪服の女が突き飛ばし、青白いランセルノプト放射光を纏う。噛み砕いたかに思われた一撃は思わぬ帰結を迎えた。
能力の牙がその首筋を掻っ切らんと迫ったのに、相手の肉体を一閃がすり抜ける。
「……すり抜けた? ……いや、物質透過か!」
しかし二度目が通用する相手でもないのだろう。後ろの車両に乗っていた少年が歩み出てその手にダーツを番えたのが能力を通して「視える」。
ロットは慌てて壁を蹴りつけ駆け抜けていた。
直後、ダーツが空間を奔り、空気の膜を引き裂いてビルを貫通していた。
思わぬ連撃にロットは歯噛みする。
「……物質透過と質量の加速能力を持つ契約者集団……! 例のズヴィズダーとやらか!」
提携している企業の上役から予め聞いていた抹殺リストの中に入っている契約者達だ。
まさかこんなにも早くに遭遇するとは思いも寄らない。ロットは突き抜けて行ったダーツの一つへと、能力の指先をかけていた。
「……でも、――捉えた!」
その刹那には空間を抜けて行ったダーツの一つがロットの手へと手繰り寄せられていく。
携えてみれば、ほとんど重さもないただのダーツ。だが、超加速を得る事で弾丸以上の威力を誇っている。
「こんなもので死んだらネタにもならない。……返すよ」
ダーツを投擲し返す。
相手の少年契約者はダーツを感覚し、回避の動きに入ろうとするが、その直前にロットは能力を行使する。
急加速に入った自分の得物を捉えた少年は心臓を貫かれ、絶命するはずであったが、それを阻んだのは赤ジャケットの男であった。
咄嗟に少年を抱えて飛び退く。その背中にダーツがかかり、鮮血が舞った。
――仕留め損ねた。
その感覚にロットは壁を跳躍し、別のビルの壁面へとその身を翻させる。相手からは見えない位置で駆け抜け、瞬間的に発生したランセルノプト放射光の網を目にしていた。
「……透過能力の全力行使……。こんな射程を持つなんて、化け物じゃないか」
だが自分を捕えるのには一拍遅かった。その射程から逃れたロットは靴裏に能力を纏いつかせ、弾かれるかのように空間を抜けていく。
完全に相手の能力の外に出たのを関知してから、ロットは舌打ちを漏らす。
「……クライアントから剥がされた……!」
相手の目論見は達成されたわけだ。しかし、ロットは同時に一矢報いる事も出来たと感覚する。
「……悪いけれど、やられっ放しなのは性に合わないんだ。私は絶対にその首を取ってみせる」
ロットは地上へと降り立ち、そのまま抜けようとして衝動的な感覚に襲われた。
歯ぎしりをしてフードを取る。
差し込んできた太陽光にロットは皮膚を焼かれるのを感じてその場に膝を負っていた。
「……この体質で、この対価は……辛いね……」
皮膚が赤らんでいく。それだけではない。全身から立ち上る高温に身を焼かれる思いであった。高熱に晒され、そのままよろめいたロットはふと何者かに抱き留められてハッとする。
「……誰……ってさっきの」
自分を抱き留めたのは先ほど出会った少女であった。まさかまだ旧市街地に居たとは思いも寄らず驚愕に目を見開いたロットに少女は歩み寄る。
「……あの、大丈夫ですか? 皮膚が……焼けて……」
硝煙を棚引かせる皮膚は一般的には珍しいのだろう。ロットは何でもないかのように、ああ、と応じていた。
「……体質なんだ。生まれつき太陽の光に弱い……」
「じゃあ……早く逃げ切らないと! ……ここじゃもろに太陽を浴びてしまいますよ!」
「……いや、いいんだ。これで、だってこれは……」
対価だから、と言う前にロットの意識は闇に没していた。
久方振りの能力の連続行使だ。当然、対価も久しぶり。思ったよりも自分の対価は重い。
予め分かっていても、ロットは抗い難い苦痛に意識を閉ざしていた。