DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第三十六話「出会いを呪う」

 

 ハッと目を醒ましたロットは身体に巻かれた包帯を視界に入れていた。

 

「これは……」

 

「あっ、まだ起きないほうがいいですよ。酷い症状でしたから」

 

 見渡すと、旧市街地の一部屋らしい寂れた室内に、少女が佇んでコーヒーメーカーを抽出していた。

 

 芳しいコーヒーの香りが鼻孔に運ばれてきて、これがようやく夢でも幻でもないと気づく。

 

「……私は、生きているの……」

 

「驚きましたよ。陽を浴びると、あんな風になっちゃうなんて……」

 

 ああ、とロットは包帯の下の皮膚を感覚していた。

 

「……生まれつきの体質なんだ。太陽の光に弱くって……」

 

「だからそんなに肌が白いんですね。それに、黒い外套も」

 

「……でも、これは仕方ないんだ。本当なら夜にだけ行動すれば済む話なんだろうけれど……」

 

 企業は自分の能力に対して、対価の支払いの過酷さを加味し、評定を下した。

 

 対価と能力の釣り合いの悪い契約者は失格の烙印を押される。自分は、その中でもまだマシな部類ではあったが、それでも失格者であった。

 

 契約者としての弱点を露呈させれば、そこまででお終いの能力。

 

 如何に強力な陽電子砲を操れるとは言え、それでも弱点のほうが強いのなら意味がない。

 

「……どうぞ。コーヒーしかないですけれど」

 

 微笑んだ少女からロットはマグカップを受け取る。温かいコーヒーに視線を落とし、ふと呟いていた。

 

「……何で助けたんだ。あのまま放っておいたら……死ねたのに」

 

「そういう風には見えませんでしたから。それに、死んじゃったらお終いですよ。……どれだけ過酷な運命でも、死んじゃったら……」

 

 どこか暗さを漂わせた少女の声音にロットはコーヒーを啜る。苦々しさの中に酸味が垣間見えた。

 

「……私は何度も……何度も失敗してきた。だから、もう失敗は許されなかったのに……」

 

「あの、私程度じゃ、その……何の事なのか窺う事も出来ませんけれど……。大変な事をされているのだけは分かります。手助けに……なれればいいとは思うんですが」

 

「何でそんな事を。理由がない」

 

「……理由のない助けは、してはいけませんか?」

 

 その問いかけにロットは眼を見開いていた。この少女は本気で言っているのか。自分のような人でなしの存在に、理由もなく手を差し伸べると。

 

「……そんな事をしたって得にもならない。合理的じゃない」

 

「いいじゃないですか。合理的じゃなくっても。……たまたま同じバケットを美味しいと思っただけの間柄でも、手助けしちゃ、駄目なんですか?」

 

 そうだ。自分と少女は所詮その程度の間柄でしかない。なのに、何故なのか。

 

 この時、その言葉に灯った何かに、僅かながら失ったはずの心が惹かれたのは。

 

「……そんな変わった人間、初めて見た」

 

「やっぱり……変わっていますかね……」

 

 頬を掻いて困惑する少女にロットはコーヒーを飲み干す。思ったよりも喉に通り易い液体にロットは息をついていた。

 

「……もし、疲弊しているのならここで休んでいくといいと思います。それに、外はまだ陽が高い。あなたの体質なら、日が暮れてからでも」

 

「どうして、そこまで他者に尽くせるの? それが分からない。私なんて、そこら辺で死んでいても問題なかった」

 

「そんな事……! 誰だって、死んだらお終いですよ……!」

 

 少女の声には熱が籠っていた。どうして、自分のようなただの殺戮兵器を助け出したのだろう。少しだけ興味が湧いて、ロットは問いかける。

 

「……私がもし、すごい人でなしで、殺しも厭わなかったらどうするの? 他者の命なんて踏みつけにして、それで成り立っているような人間だったら」

 

 少女はうーんと思案した後、ぱっと微笑んでいた。

 

「じゃあその時に考えます。私は……たとえ相手が人でなしでも、やっぱり見捨てられないですから」

 

「……変わってる」

 

「それはそうかもしれません。だって、旧市街地のバケットが好きなんて」

 

「でもそれはお互い様、か。こうやって誰かに頼るなんて事、久しぶりに思い出した」

 

 それに、とロットは付け加える。

 

「バケットが好きなのも、変わり者の証かも」

 

 ふっと笑いが漏れる。こんな風に穏やかな時間を過ごすなんてのはともすれば一生ないと思っていた。

 

 だからこそ、この少女の優しさにそのまま甘えてもいいのだろうか、と考えてしまう。

 

 自分はあくまでも、引き絞られた弓矢。敵を射抜くためだけに存在する一本の武器に過ぎない。

 

「……ねぇ、もし……どうしても誰かに依存しなければいけないとして、じゃあどう生きるのが正しいのだと思う? ……誰かを頼りにしないと生きていけないとして」

 

 どうしてこんな問いを重ねたのか自分でも不明瞭であった。

 

 だが、契約者は一人で生きて行けるようでそうではない。殊に契約者ビジネスにおいて、クライアントと雇われの関係は絶対だ。自分は彼らの都合のいい武装として成り立つしかない。

 

 少女は少し考える仕草をして、やっぱり、と声にする。

 

「……どんな人間でも、それでも他者は必要なんだと思いますよ。それが人でなしであれそうでないとしても。……私も、誰かに頼りにされたいですし」

 

「それならば今遂行されている。私は、……あなたを……そういえば名前は……」

 

「あ、夜都です。鷺坂夜都……留学生です」

 

「そうか。……私はロット。ヤト、やっぱり変わっている。名前も含めて」

 

「もうっ……それってどういう意味ですか?」

 

 少しだけむくれた夜都にロットはぷっと吹き出す。夜都も合わせて笑い声を上げていた。

 

 こうやって人間の真似事をするなんて思いも寄らない。

 

 自分は契約者として、人殺し以外では真っ当にはなれないと思っていただけに。

 

「……そう言えば……」

 

「どうかしました?」

 

「……役目があった。一度……旧市街地の一角に戻らないといけない」

 

「……でも、まだ太陽が……」

 

 その懸念は分かるが、ロットは外套を目深に被っていた。

 

「これは仕事みたいなものだから。一応は確認しないと」

 

 クライアントの要請には応答しなければならない。如何に契約者の考え方を分かっていない相手とはいえ、護衛対象だ。

 

 ロットは窓の外にくゆる、浮浪者達の焚いている黒煙を眺めていた。

 

 黒煙の中から青白い観測霊がこちらを見据えている。

 

「……スチュアートがやられた」

 

 もたらされた情報に夜都が当惑している間にもロットは立ち上がり、扉を抜けようとして夜都に手首を掴まれる。

 

「……離して」

 

「離せませんよ。だって……っ! もう他人じゃないでしょう?」

 

 他人じゃない。そんな事を、他者に言わせたのは生まれて初めてであった。

 

「……ついて来ないほうがいい」

 

「それでも……っ。私、見知った人を見殺しにするのは嫌なんです」

 

 強情な少女だ。しかし、ここで振り切るのもどこか気後れしてロットは太陽光を浴びないように外套を袖口まで纏う。

 

「……言っておくけれど、いい事は何もない」

 

「……それでもいいですよ。ロットさんの……少しでも支えになるのなら」

 

 どうして夜都はここまでしてくれるのだろう。その不明瞭な感覚には狼狽しつつ、ロットは歩み出していた。

 

 僅かに皮膚が疼く。それでも対価を払っているよりかはマシだ。

 

 斜陽の差し始めた旧市街地は浮浪者達の溜まり場であった。青い腕章を付けた者達が彼らを統率している。

 

「……あれは」

 

「現地警察ですね……。旧市街地の荒れくれ者達を纏め上げる……自警団みたいなもので」

 

「……じゃあ顔を合わさないほうがいいね」

 

 しかし、このまま現地警察とも、ましてや敵の契約者とも出会わず、護衛対象まで戻れるだろうか。

 

 能力を使えばすぐにでも駆けつけられるが、夜都の前で契約能力を使いたくはない。

 

 そこいらの煙を触媒にしたエミリーの観測霊が自分へと最短ルートを導かせる。

 

 このまま向かえれば、と思った瞬間であった。

 

『――どこへ行く、LG891』

 

 不意打ち気味の自分の名称にロットは振り返り様に能力を行使する。

 

 その対象となったのは一匹の野良犬であった。

 

 野良犬の体躯から電磁が跳ね上がり、瞬時にその肉体を焼き尽くす。

 

 夜都は驚愕に目を見開いて硬直しているが、ロットは既に戦闘形態に入っていた。

 

「……契約者か」

 

『クライアント相手に随分と手荒いじゃないか』

 

 まさか、とロットは息を呑む。今度は電柱に留まったカラスが声にしていた。

 

「……クライアント……お前も……契約者……?」

 

『契約者ビジネスで最も得を得ようと思えば、それなりに契約者に精通している必要がある。雇い主が契約者でも何らおかしくはあるまい?』

 

 立ち尽くしている夜都を庇うようにロットは前に歩み出ていた。

 

 それを目にしてクライアントの男はほうと感嘆する。

 

『少し見ない間にどうしてだか人間らしくなったじゃないか、LG891。それとも、君の中身はそういう風だったかな?』

 

「……黙れ。どういうつもりで追って来ている」

 

『なに、知っての通りだ。スチュアートが死んだ。だから君まで死んだんじゃないかと思ってね。こうして追跡してきたわけだが、案外しぶといじゃないか。あの釣り合いの悪い対価で自滅したのだと思ったとも』

 

「……悪いが、あの程度では死ねないのでね」

 

『それは結構な事で。しかし、LG891。君がやるべきは護衛対象の完全警護だ。そこいらの少女にうつつを抜かす事ではない』

 

「……彼女は関係ない」

 

『それはどうかな? それにその是非を決めるのは君ではない。我々は契約者ビジネスを通して、君達の精神の動きを観測してきた。ある者は殺人に意義を見出し、ある者は契約対価の存在に意味を見出した。ゆえに――契約者は人間ではない。ヒトの皮を被った殺戮機械だ。それがこの数年間で下した結論だよ。君が如何に人間らしく振舞おうとも、ヒトでない存在をどう規定するかね』

 

「黙れッ!」

 

 指の間に挟んだ磁力の球体を放つ。カラスは羽ばたいて回避するが、その背筋へと追撃した球体によって背骨を打ち砕かれていた。

 

 弱々しく鳴いたカラスが墜落し、やったかと息をついたその時であった。

 

『……LG891。能力は磁場のコントロール。それは時には磁力の存在しない場所への介在も可能になる。さらに言えば、相手へと磁力を付与し、回避不能な攻撃を放つ事も。とても応用の効く能力だが、対価が釣り合わない。よって君の契約者としての脅威判定はC止まりだ。もっとも、これでも高評価なのだね』

 

「どこだ……どこへ行って……」

 

 周囲を見渡したロットは走り抜けるドブネズミを目にしていた。

 

 まさか、あんな小さな生物に? と当惑した直後には磁力操作の能力で電磁波を叩き込んでいる。

 

 ドブネズミの足を奪ったが、横合いで項垂れていた浮浪者が不意に立ち上がる。

 

「……人間にも憑依出来るのか……」

 

『さて、どうするかね。LG891、このままやっても益はないと思うが。それとも、これ以上戦って力の差を再認識するか?』

 

「……そんなつもりなど……ない!」

 

 片手に電磁を充填させる。光の瞬きを凝縮させ、ロットは相手を狙い澄ます。

 

 浮浪者に憑依した相手は余裕を崩さない。射程も精度も不明だが、誰にでも憑依出来るのだとすればそれは厄介だ。このまま長期戦に持ち込めば、自分の力を晒してしまう。

 

 ゆえにこそ決着のために一撃を――。

 

 陽電子砲を溜め込み、ロットは一射していた。

 

 輝きを帯びた光軸が浮浪者を貫き蒸発させる。

 

 これで終わったか、と安堵しかけてロットは不意に急停車してきた一台の車両を目にしていた。

 

 後部座席を蹴って現れたのは、今しがた戦っていたはずのクライアントである。

 

 どういう事なのか、と目を戦慄かせていると相手は何でもない事のように言いやる。

 

「どうやら誤解していた様子。我が契約能力は憑依だが、自意識を保ったまま憑依が出来る。つまり、無防備な肉体と言う最も危うい綱渡りをしなくってもいいのさ。さぁ、まだやるか?」

 

 ロットは膝を折る。

 

 ――勝てない。

 

 それが明瞭に分かってしまった。戦力としての差だけではない。相手は自分達のような奴隷の扱い方を心得ている。

 

 決して届かない絶望を味わわせてこそ意味があるのだと。

 

「終わりか。では、最後の最後に。任務失敗の憂き目は払ってもらう」

 

 クライアントの身体が青白い光に包まれていく。その瞳が赤く輝いた瞬間、思考が同調し、ロットは意識が闇に沈んだのを関知していた。

 

 ――ああ、終わる。

 

 そう思って意識を手離そうとしたロットは、完全に憑依されているにしてはまだ残存している意識に違和感を覚える。

 

 瞼を開くと、クライアントの肩口にクナイが突き刺さっていた。

 

「誰が……」

 

 しかもその武器には見覚えがある。

 

 昨夜、陽電子砲を直撃させた相手の武装。そして――ニューヨークの赤ずきんの得物。

 

「……まさか。あり得ん、どうして今の今までLG891は気づかなかった……!」

 

「……下種な能力ほどよく口が回る。そうして無数の契約者を騙してきたのか。言葉を弄し、彼らの居場所と理想を逆手にとって」

 

 その論調の冷たさは先ほどまでの夜都とは一線を画している。ロットは振り仰いだ夜都の瞳に奈落のような暗闇が浮かんでいるのを認識していた。

 

「……ヤト」

 

「対抗組織の契約者! ニューヨークの赤ずきんとまさか相見えるとは! これも僥倖か! その肉体、もらい受ける!」

 

 再びクライアントがランセルノプト放射光を帯び、憑依を実行しようとするが夜都はクナイと接続されているワイヤーを引っ張り込んでいた。

 

 それだけで相手が転倒し、憑依能力をし損ねる。

 

 夜都は躍り上がって相手の背中を押え込み、その手首を捩じ上げていた。

 

 クライアントが呻き声を上げる。

 

「い、痛いぃ……っ! 貴様、何のつもりで……。LG891は敵のはず! なら、こちらに味方してもいいだろうに」

 

「……それは合理的な思考とやらか」

 

「そ、そうだとも! 合理的に考えればこちらの味方をするのが筋だ! そうだ! あんな不完全な契約者ではなく、こっちで専属契約者として雇われないか? 金ならいくらでも出す!」

 

 夜都がこちらを一瞥する。彼女は一呼吸置いた後、静かに応じていた。

 

「……それもそうだ。益のないほうには契約者は動かない。この場合、組織の情報を持ち逃げした男も押さえられる上に、強力な契約者を抹殺出来る。これほどまでにない、好条件だろう」

 

「そ、そうだろう? なら――!」

 

 その瞬間、夜都は相手の手首をひねり上げ、そのまま捩じ切っていた。血飛沫の舞う中で、彼女はクライアントの後頭部を地面に擦り付ける。

 

「……合理的に、か。お前らのその言葉を聞く度に――反吐が出そうだ」

 

 夜都の身体が青白い輝きを帯びた刹那、クライアントの喉から絶叫が迸り、その身体が息絶える。

 

 夜都は死骸を一瞥し、こちらと対峙していた。ロットは呆然と問いかける。

 

「……騙していたのか」

 

「……知らなくっていい事もある」

 

「でも……っ! だからって……!」

 

「……話しても分かり合えないだろう」

 

「それは……確かにその通りだったのかもしれない。……でも、私は……初めて……」

 

 心を許した。それが最悪の過ちであったかのように、夜都は歩み去っていく。

 

「……殺せ。殺せ! ニューヨークの赤ずきん! せめて殺して行け!」

 

「……戦闘の意思のない相手を殺すような下種に生まれたつもりはない」

 

 それが決定的な隔たりのように、夜都は言い捨てる。

 

 ロットは振り返って指を番えていた。

 

 夜都は振り返らない。その背へと照準しようとして、ロットは涙ぐんでいた。

 

 手を下ろし、夜都の背が雑踏に消えたのを視認してから慟哭する。

 

「何で……何でなんだ! ヤト……! 契約者じゃなければ……こんな思いを……しなくって済んだのに……。契約者として出会わなければ……!」

 

「――そうだと、本気で思っているのですか?」

 

 問いかけにロットはハッと面を上げ、振り返る。

 

 息絶えたはずのクライアントに歩み寄ったのは柔らかな慈愛の微笑みを湛えた女性だった。

 

「……誰……」

 

「ヤトも困る。殺し損ねるなんて」

 

「……何を言って……」

 

「この契約者ですよ。まさか憑依で……こんな小さな生き物に死ぬ直前になっちゃうんですもの」

 

 女性が捕まえていたのはドブネズミであった。その喉から声が漏れる。

 

『……やめろぉ……何者なんだ……』

 

「……生きて」

 

『ね? 何度殺そうとしたって、この契約者は死にませんよ。それより、どうです? こんな男に雇われるよりも、有益にその生を使ってみませんか?』

 

「……何を言って……まさか……契約者!」

 

 指を番えると女性はどこか物悲しげに笑みを浮かべる。

 

「……そうだとしたら?」

 

「……殺す。もう……嫌なんだ。誰かを信じるのも……誰かを信じられなくなるのも……」

 

「じゃあ、私と一緒に来ませんか? そうすれば見えるはずです。新世界が」

 

「新世界……だって」

 

 フッと笑みを浮かべながら、女性の肉体がランセルノプト放射光に包み込まれ、ドブネズミに憑依していたクライアントの躯体を吸収していく。

 

 その肉が、まるで沈み込むかのように女性の掌で波打ち、やがて影も形もなくなっていた。

 

「……何だ、その能力は……」

 

「教えてもいいですけれど……条件が一つ」

 

 女性はスケッチを始めていた。そのペンが鋭く奔り、ネズミを描き上げる。

 

「条件……」

 

「――赤ずきんを、食べてしまいたくは、ないですか?」

 

 その陶酔したような色を含む瞳が、獣の形に収縮したのが伝わった。

 

 

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