DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
「分かっているのなら話が早い。何故裏切ったのか、なんて事も聞かない。まずはこの男から、血祭りに上げる」
ワイヤーが首元に引っかかり、クォーツは仰け反る。それをブルックは捻じ曲がった信号機に留まりつつ、声を発していた。
『……紅。確かにお前には裏切り者の死を命じた。それも、仕方ないだろう。彼は裏切った。だから組織は……』
「……ブルック……?」
ブルックは心に決めた言葉を口にしていた。
『……だから、裏切り者の始末は一人で清算がつく。――俺を殺せ、紅。それでチャラになるはずだ』
「……馬鹿げた事を。そんな結果を組織が納得するか」
そう、そんな生ぬるい結果が通用する組織ではないのは自分がよく知っている。それでも、ブルックは親友を裏切る事は出来なかった。
『……俺はどうなってもいい。クォーツは見逃してやってくれ。彼も被害者なんだ』
「……ブルック、お前……」
「合理的な判断じゃないぞ、ブルック」
紅の怜悧な声音にブルックは面を伏せていた。
そう、契約者らしい合理的な判断ではない。
ここにあるのはただの情にほだされた情けない理論だ。自分は、本来ならばクォーツを早々に始末し、このミッションを終わらせるべきであった。
だが、彼の生存に心を動かされたのは嘘ではない。
『……契約者は何があっても……眉一つ動かさずに相手を始末出来るんだと、そう思っていたよ』
「……ブルック。それがお前の結論ならば、私はお前とこの男を両方殺す。それでようやくチャラになる」
紅の言葉のほうが筋も通っている。ここで駄々をこねているのは自分のほうだ。
『……紅、それでも俺は――』
声にしかけて、紅の背後で何かが瞬いたのを視認する。
『危ない! 避けろ、紅!』
その声を察知した紅が回避行動に移ったのと、クォーツの脇腹を陽電子砲が射抜いたのは同時であった。
まさか、と見開かれた瞳にブルックが叫ぶ。
『クォーツ!』
「……この力は……LG891……?」
臓腑から血潮を撒き散らして、クォーツが倒れ伏す。
その身へと接近しかけて正確無比な陽電子砲の光条が遮っていた。
『……契約者か……』
「……来たのか。来なければ、死ぬ事もないのに」
どこか紅の声音には平時の調子ではないものが宿っている。彼女の眼が、霧に煙る禁断区域を歩み寄ってくる黒衣の少女に向けられていた。
「……ヤト。……いいや、MA401、煉獄の契約者! 私の目的は! 護衛対象を守り通す事!」
「……なら何故、私ごと貫いた。それでは達成出来まい」
「確実な方法を取るからだ。契約者は合理的に判断する」
陽電子砲の契約者はどこか昂揚した声音で紅を挑発する。その言葉繰りに紅は眉を跳ねさせていた。
「……何か、違うな……」
「違おうとも! もう賽は投げられたんだ!」
指が番えられ、光の砲撃が一射される。紅はワイヤーで構造物を手繰り寄せ、そのまま跳躍して直上を取っていた。
ワイヤーが舞い敵の契約者の腕を絡め取る。
ランセルノプト放射光を帯びた相手はしかし、それに慌てるでもなく、腕を引き寄せていた。
途端、紅の側が膂力に引っ張り込まれ、地面に突っ伏す。
「……これは……地面に磁力を付与して……」
「そちらのワイヤーに磁力を付与し! そして地面と引き合わせた! これでお前は這い蹲ったまま、死ぬ!」
再び陽電子砲がチャージされる中で紅は繋がったワイヤーに青白い光を棚引かせる。
紅の必殺の一撃が決まったかに思われたが、相手はそれを難なくかわしていた。
「……何故。通用しない……?」
「熱を操る能力! 聞いたとも、それは確かに無敵かもしれない。だが接触点に点在する熱をこちらで誘導してやれば、簡単に逃がす事が出来る。さらに言えば、その熱を逆に利用し、砲撃のエネルギーに転化する事も!」
真っ直ぐに構えられた一撃に紅はクナイを投擲していた。さしもの相手でも刃を相手に回避以外の行動に出る事は出来ないと判断してだろう。
だが、クナイは着弾の前に相手から跳ね返る。
まるでクナイそのものが弾かれたかのようであった。
「……斥力でクナイを弾き飛ばした……」
「お前の操る武装が何であれ、物質である以上、私の能力からは逃れられない。私はどんな物体でも磁力を付与出来る! ならば、これに勝る能力はない!」
紅は逃れようともがくが、相手の射程に完全に入ってしまっている。彼女に出来るのは武器の投擲とワイヤーに伝う炎熱での攻撃だけだ。
しかしその両方が封じられてしまえば、紅の勝ち目はない。
歯噛みした紅に相手は笑みを浮かべる。
「……これが絶望だ。分かるか? 友愛をちらつかせられて、それで裏切られると言うのがどういう事なのか。私は……生まれて初めて誰かを守りたいと思えた。そんな一瞬だったのに! ……お前が踏みにじったんだ、その心を! 契約者の中に沸いた情を! お前はその汚い足で、無茶苦茶に踏みにじった! 私の心だ!」
「……契約者が心を語るな」
「黙れ!」
光条が照射され、紅を貫かんと迫る。紅はワイヤーを新たに投げて逃走をはかったが、敵の磁力のほうが上だ。
這い蹲った姿勢のまま、紅は動けない。
「ざまぁないな、ニューヨークの赤ずきん! ……私の心に唾を吐いた。それを最大減に後悔しながら死んで行け!」
縫い止められた形の紅を狙い澄ました光に、確実なる死を予感したブルックへと声が放たれる。
「……ブルック……」
『クォーツ……! 待っていろ、組織の医療技術なら……!』
「……もう、いい。ここまでがわたしだった……。だがお前は違う。……あの少女契約者が、今の仲間か……。羨ましいな……この世の果てまで追いかけてくれる人間が、お前には居るじゃないか……」
『クォーツ……俺はまた、友情をないがしろに……』
出血は止め処ない。助かる道はないだろう。絶望視したブルックにクォーツは声に最後の張りを漲らせる。
「……だったら、一分でも後悔してくれているのなら……頼む……。もうわたしのような……友情に裏切られた人間を、生み出さないでくれ……! それが望みだ……」
『クォーツ……』
「死ねぇっ!」
相手の契約者の声が劈く。
ブルックは紅を見るなり、彼女のメッセージに気づいていた。
『……そういう事か。紅! 援護に入る!』
ブルックが羽ばたくなり、相手の契約者は舌打ちを漏らしていた。
「二人に増えたところで、ただの憑依型の契約者なんて!」
『……俺は間違いを犯した。だが、友の言葉が気づかせてくれたんだ。……契約者でも、やり直せるって事を』
ブルックの視界が捉えたのは紅の熱放射が辿っていた道筋であった。
遠赤外線を入れられる蝙蝠の視野ならば紅の目論見にも勘付ける。ブルックはすぐさま相手の契約者の上方を通過し、その背後へと降り立っていた。
「……後ろから。そんな小手先が通用するとでも!」
『……ああ、確かに小手先ならば通用しないだろうさ。だが、やるじゃないか、紅。彼女の能力は熱が高いところから低いところに推移する法則から逃れる事が出来る。熱を一ヵ所に留め、そこから再度、熱放射をする事も。無駄じゃなかったな、クナイの投擲は』
相手が弾き返したクナイはワイヤーで繋がれ背後に落ちていた。そのワイヤーで形作られた円弧が無造作に敵の足元にかかっている。
瞬間、それを関知した相手が振り返り様に砲撃しようとして、紅のランセルノプト放射光が煌めいた。
直後、絶叫が迸り、相手の契約者は昏倒する。
「……まさか、私の能力で弾かれたクナイがどこかに落ちる事も、その落ちた武器を仲間が有効利用する事も……計算づくだったって、言うのか……」
紅はクナイを携え相手の首筋に冷たい切っ先を向ける。
「……ロット。どうして私を追ってきた。追わなければ、死なずに済んだ」
「……追わなければ? ……確かにその通りかもしれない。でも、……ヤト。追わなければ一生後悔する。そういう背中だったんだよ、そっちのはさ」
――追わなければ一生後悔する背中。
その言葉をブルックも噛み締める。
『……紅。その契約者を殺せば、今回の任務は完遂だ。情報の出どころも抑えたところだろう。……組織は俺と言う裏切り者には制裁を下すだろうが、お前らに迷惑がかかる事はない』
「……ブルック。私はお前の背中も、追わなければきっと、後悔する背中だと、思っていた」
『……紅? それはどういう……』
「皆まで言わせるな」
紅の手が相手の契約者の後頭部にかかる。脳幹を焼き切って確実に王手をかけるつもりだろう。
「……言い残したい事は」
「……可笑しな事を言う。契約者は合理的に判断する。今際の言葉なんて一番に非合理だろうに」
「そうか……。そうだな……」
今度は悲鳴も出さず、紅は相手の契約者を始末していた。その冷たく研ぎ澄まされた瞳にブルックは何も言えなくなってしまう。
『……情にほだされたのは事実だ』
「契約者はそんな事はしない。言えば組織も理解する」
『……笑える話さ。お前達にヘマをするなよと年長者を気取っておきながら、一番のヘマをするなんてな。……紅。俺を殺せ。そうすればお前達への追及もなくなる』
その言葉に暫時向かい合った紅はしかし、手を下さなかった。
『……何故だ』
「……殺す理由がないからだ。ブルック、償うのなら、自分で償え。誰かの贖いなんて当てにするな」
ブルックはその言葉に絶句する。
『……紅、お前は、まさか……』
「――変わり者、ですよねぇ」
不意に耳朶を打った声に警戒する前に、仕留めた契約者の身体が引っ張り込まれていく。
紅がそれを押さえるよりも素早く、ゲートの中に入って来たのは頭部が狼の女であった。
『……何者だ』
「……メイ・リメンバー……」
どこか因縁めいてその名を紡ぎ出した紅に、メイと呼ばれた人狼の女は返答する。
「覚えてもらえて光栄なんですが、今はちょっと彼女に用がありまして」
首根っこを押え込んだ相手の契約者はしかし既に事切れている。今さら何の用が、と窺っていたこちらに対し、人狼の契約者はランセルノプト放射光を帯びる。
『……来るぞ!』
「身構えなくっても大丈夫ですよ。私が用のあるのは、この子だけですから」
直後、少女契約者の身体が収縮し、波打ったかと思うと肉体がぶよぶよに融け、そのまま掌より人狼の契約者に吸収されてしまう。
相手は満足げに声に艶を持たせた。
「……ご馳走様。美味しかったですよぉ……最上のスパイスですね。復讐心と言うのは」
「……ロットを駆り立てたのは、お前だな」
「失敬な。彼女の純粋な気持ちを代弁しただけです。そうしないと一生後悔するって、ね」
瞬間、膨れ上がった紅の殺気の波にブルックは身を凍らせる。
投擲されたクナイが人狼の契約者に突き刺さりかけて、それが不意に反転し、弾き返されていた。
「……斥力……まさか」
「私、まだヤトと戦うのには弱いと思うんです。この対価も何気に手間がかかりますし」
そう言いながら人狼はスケッチを重ねている。紅は歯噛みして相手を睨み上げた。
「……殺す。今、ここで……」
「怖い顔しないでください、ヤト。それとも……今は紅と呼んだほうが、いいですか?」
袖口からクナイを引き出し、紅の躯体が駆け抜ける。跳躍し、加速し、そのクナイの切っ先を白熱化させて相手の首筋を掻っ切らんとした一撃を、人狼の契約者は振り翳したナイフで防衛していた。
ナイフが超振動し紅の膂力を上回って弾かれ合う。
「……それは、シャルロットの能力のはずだ」
「ま、これじゃ戦えなからって今、ところどころ集めてるんですよ。色んな契約者の能力を。どうです? このコレクションに加わる気はないですか?」
相手の提言に紅は心底侮蔑する響きを伴わせる。
「断る。殺して奪うのみだ」
「やっぱり! 理想通りの答えですね! ヤト。……まぁ、貴女とはいずれ決着をつけるので、簡単に軍門に下られるとそれはそれでつまらないのですが」
「……お前の能力は危険だ。ここで、打ち倒す」
「出来ますか? ここはゲート。何が起こっても不思議じゃない空間。そんなところで、私と決着? そんな事をする前に、今は急く事があるのでは?」
紅は歯噛みして身を翻す。
人狼の契約者は濃霧の中に笑い声を響かせながら溶けていく。それをブルックは見据えてから、クォーツへと声を弾かせる。
『クォーツ……。俺は、目の前で友を失うのか。……自分から背中を向けておいて』
息絶えたクォーツの遺骸を一瞥し、紅は問いかけていた。
「……後悔しているのか」
『……まさか。それは俺の言葉じゃないはずだ。何よりも……契約者は合理的に判断する。過去の判断にいちいち逡巡するのなら、それは契約者じゃないはずだ』
「だが、お前はそうやって友人のために……涙を流せるんだな」
ブルックは蝙蝠の身を伝う水滴を感じ取っていた。
『……馬鹿な。契約者が泣くなんてあるものか……!』
強い論調で断じた自分に紅はそれ以上の言葉を重ねなかった。
「……私はもう行く。お前は戻るのか、進むのかは自分で決めろ」
その言葉通り、紅は自分とクォーツだけにしてくれた。
『……クォーツ。俺の胸に、一つ傷をつけてくれてありがとう。……これでただの人でなしでなく、俺はブルックとして、居場所を選べる』
それが友への最後の言葉。友情に捧げる、最後の口上。
ブルックは飛び立っていた。
「……今日の朝刊は最高の出来だな。一端に旧市街地の事件に切り込んでまぁ」
グレイの評を背中に受けながら夜都はホットドックを頬張る。
「……首尾は」
「上々、って言うのは何かと可笑しな話でね。まぁ持ち逃げされた情報は帰って来たし、その情報網を操っていた張本人は抹消された。これ以上ない幕切れさ」
夜都はしかし、それでも腑に落ちないものを感じていた。
あの局面――メイ・リメンバーと再会したのはきっと、何者かの意図がある。
そうでなければゲートでの再会などあって堪るものか。
「……私はまだ清算しなければならないものはありそうだ」
「そりゃどうぞご勝手に。……ま、一つ言えるとすれば、僕は戻って来られるとは思っても見なかったよ。ブルック」
止まり木へとかけられた言葉にブルックは応じる。
『俺もだ。どうやら今回、組織は温情を与えてくれたらしい』
「組織に温情、ねぇ。まぁ今回限りの気紛れだと思うしかないな。それくらい、組織は甘くはない。次はないぞ、ブルック」
『肝に銘じておこう。それと……紅』
淡白に返すものだから元の調子に戻ったのばかり思っていた夜都は不意に呼ばれて反応する。
「……何」
『……すまなかった。そして、ありがとう。……蝙蝠になってから、他人に礼を言ったのは初めてかもしれない』
「おいおい、気持ち悪いなぁ、もう……。自分に似合わない事を言っていないで、とっとと次の仕事に入ろうじゃないか」
『……ああ、そうだな。グレイ、紅。……ここにはいないがガーネットも。――次の任務だ』
その言葉振りの変わらなさに夜都はコーヒーに口をつける。
きっと変わらない日々にも意味があったのかもしれない。
――蝙蝠の契約者は、何を思うのか。
そんな事、多分余人には、窺えるわけもないのだ。
ノックしてから相手が出るまで三十秒。
夜都は頭を掻きながら顔を出したアリスに、はにかんで声を発しようとして、先に抱き留められていた。
「ちょ……! アリス? ここ、玄関先――」
「馬鹿ヤト! 何心配させてんのよ! 帰って来ないから……もう二度と、会えないかと思ったじゃない」
「会えないかもって……ちょっと連絡しなかった程度で……」
「それでもよ! ……親友が音もなく居なくなるってのは、気分がいいものじゃないでしょ」
「……親友……」
「何よ、ぼんやりしちゃって。あんたはルームメイトである以上に、あたしにとっちゃ無二の親友。だから部屋貸してんだからね」
そっか、と夜都はこぼす。
「……友達って、そういうもんなんだ」
こちらの答えに、アリスは怪訝そうにする。
「ヤト? ……もしかして何かあった?」
その眼差しに夜都は、ううん、と首を振る。
「……友達って……いつの間にか成っているものなんだね」
「なぁーに呆けた事言ってんの、この子は! ……あんたのコーヒー、楽しみにしてるんだから」
身を翻したアリスの背中に、見知った部屋。
夜都はまだ完治していない片腕のギプスへと一度視線を落としてから、そっと呟いていた。
「――ただいま」
第四章 了