DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
天文部が騒がしいのは珍しいな、とミシュアはどこか他人事のように感じていた。
「スペクトル反応増大! 星のメシエコードはMG673、これまで未確認の契約者です!」
「測定急いで! ……新市街地に発生した【煉獄門】とは異なるゲートらしき空間の算出も!」
「現状、疑似ゲートらしき空間の観測は不可能! 観測霊を何体か飛ばしていますが、どれもこれも……」
濁した研究員に山里は舌打ちを漏らす。
「……受動霊媒でさえも取り込む……何て言う能力だって言うの……」
望遠カメラに映し出されたのは半径五十メートルを覆う半球状の濃霧であった。唐突に新市街地に現れたその区域を警官達が閉ざしていく。
迂回した車両より覗いた市民が写真を撮る中で、疑似ゲートの内側が青白く胎動する。
まるで鼓動のような色調を湛えて。
「……一度観測霊を戻してやったほうがいいかもしれないわね。モニターを続けておいて。私は……公安に報告するから」
そう言って踵を返した山里に訪問していたミシュアは呆気に取られていた。
「……その、大丈夫なの? 任せて……」
「ちょっとは危ないけれどでも、今のままじゃどっちにせよ時間の無駄。なら少しでも手がかりを得る方法を選ぶ。……ミシュアに……思わぬ来客ね」
山里が顎をしゃくる。その先には自分に連れられてやってきたジキルとジェッツがにこやかに手を振っていた。
「……彼女らは協力者。機密性は保たれている」
「本当に? ……どちらにせよ、ここまで来た時点で機密も何もないけれどね。説明、いい?」
「それよりも、これ」
手渡した煙草のパッケージに山里は頷いて休憩所へと向かっていた。
一度落ち着いたほうがいい、と思って差し出したパッケージであったが、彼女は煙草に火も点けずに本題に入る。
「……つい三十分前に観測された契約者……MG673、これまでの能力行使は発見されず、過去のデータもない。……完全に新しい契約者ではないけれど過去の観測データがないのなら、特定は難しそうね」
「能力は? あれはまるで……」
濁したミシュアに山里は言葉を継ぐ。
「そう、あれはどう見てもゲート。でも……一契約者がゲートを生むとは考えづらい。ならば、あれは疑似ゲートと想定すべきでしょうね」
「疑似ゲート……。そんな強力な能力が……」
「強いかどうかはともかくとして……解析不能な領域が多過ぎるのよ。これじゃ、突破口も見当たらない」
その段になってようやく、煙草に火を点ける気になったらしい。紫煙をたゆたわせた山里は深呼吸して、やがて声を発する。
「……状況的に不明な部分が大き過ぎる。それに、契約者は意味のない行動はしない。だからあれは、意味のある行為だと思うべきなのよ」
「……契約者同士の戦闘で、発動させた……とでも?」
山里は首肯し、ジキルへと視線を流す。彼女は見解を示さない。あくまで門外漢だとでも言うのだろうか。
「……契約者の考え方なんて分からないけれどね。それでも、この能力は強過ぎる。あまりにも強大な能力は対価も当然大きくなるのが必然とも言えるのだけれど……特定が全く通用しない相手に対して、この考えも詮無いような気がしてね」
「……疲れてる?」
「少し。……いいえ、強がったって仕方ないかもね。疑似ゲートの契約者なんて今まで居なかった。だからこれはレアケースでもある。……各国諜報機関はこの事態を静観し、あえての契約者の投入も考えてくるかもしれない。ある意味じゃ、ゲートを持ち帰る絶好のチャンス。これがもし、たった一人の契約者によるものなのだとすれば、その契約者の身柄はイコールゲートの秘密そのものよ。……星がまた、流れるわね」
各国諜報機関がこの事態を予見しているとは思えない。だが、それでももしたった一人がゲートを生み出したのだとすれば、これは画期的だろう。
その一人を解析すれば未だに燻る【天国門】関連の情報や東京の【地獄門】に関して抜きん出る好機なのだ。
「……あくまでもここで見出すのはチャンス、か。何だかそれも……」
「人間らしくはないのかもしれないけれどでも、それくらい、ゲートって言うのはわけ分からなくって、そしてみんなが欲しがっている。調査の遅れている国家からしてみれば、この疑似ゲート発生の大元を押さえるだけで大国とも交渉出来る。……今から身構えておいたほうがいいわよ。絶対に何かが動く」
確信めいた声音にミシュアは嘆息をつく。
「……このニューヨークだけで収まる事態じゃない、か」
「どの国がどういう風に解決に導くつもりかまでは分からないけれどでも、遠からずどこかの諜報機関は動くでしょうね。あるいは解決なんてする必要性はないか」
「……ゲートを生み出す契約者を生け捕りにすればいい。手段は問わない……」
「それが本音なのかもね」
だが、そうだとすれば余計に厄介だ。
このニューヨークを守護する人間として黙って見過ごす事は出来ない。
「……捜査に戻らないと」
「大丈夫なの? こんな事態、誰も想定していないでしょ。……警察内でも混乱があるはず。あれを、ゲートだと断定すれば、それはそれで……」
「面倒事を背負い込むのは慣れているから。それに……何かを知りたくもある」
ジキル達はあえて目線を合わせようとはしなかった。山里は、そっかと呟き、天文部の研究室へと戻っていく。
「そろそろ戻らないと。……死なない程度にお互い頑張りましょう」
「そうね、死なない程度に……。でも、何が起こっているのか、私は知りたい。そして解決の手段があるのなら……」
「あまり背負わないほうがいいわよ? ただでさえストレスなんだから」
山里の背中を見送ってから、ミシュアは口火を切っていた。
「……分かっていたんですか」
「いいえ、レディロンド。我々でも未確認の情報でした。MG763……マークの対象にも上がっていない」
「では……ズヴィズダーはどう動くつもりで?」
「どうもこうも、先ほどのレディが言っていた通り。各国諜報機関はこの好機を逃さない。もしあれが本当に疑似ゲートなのだとすれば、ゲートを持ち帰れる絶好のチャンス。当然、ニューヨークが視界に入っている誰もが動き出す。それを阻止するのが、あなたの役目でしょう?」
言われるまでもない。ミシュアは携帯を取り出していた。
「……ジャンに過去の解析資料を捜索させています。それに、警官隊による疑似ゲートの封鎖も。あれに一般人が巻き込まれてはならない」
「それは同意。ですが、あまり張り詰めないほうがいい。我々にだってあれが何なのか、結局のところ分からない。……まぁ分からないから探るんでしょうが」
頬を掻いたジキルにジェッツが提言する。
「結局のところ、さ。ぼくらはこうやって遠巻きに見つめるしか出来ない。それを言ってしまえばいいのに」
「……この国に入っていても、ですか」
「勘違いをしないで欲しいのは、元々ぼくらの目的であった契約者の追跡は終わっている。ここに居るのは次の任務を待っての事でしかない。だから警察勢力に与するわけでもなければ、他の組織の陰謀を阻止するいわれもない」
ジェッツの言葉は冷淡だが正論だ。彼女らにこの事態の収束を任せるのはおかしい。何よりもお門違いのはず。
ミシュアは拳を握り締め、携帯へと声を吹き込んでいた。
「……ジャン。そっちはどうなっている」
『どうもこうも……。あれがゲートだって言うんですか? ……普段見る【煉獄門】と言われてみればそっくりですが……中で雷でも鳴っているみたいに青白い光が明滅して……。それにたった五十メートルしかない。あんな局地的な【煉獄門】は今までありませんよ』
つまり【煉獄門】ではないとも言えず、かといってゲート関連の対処はニューヨーク市警にはマニュアルとしても存在しない。
「市民の流入の封鎖。何よりも一般人が紛れ込まないように気を付けろ。……それと、これは言っても仕方ないのかもしれないが、契約者の動きにも注意をしておけ」
『……って言われても、俺一人じゃ契約者相手にだと逃げるしかないんですが……』
「いざと言う時は逃げてもいい。今は監視を厳にしろ。何が起こるのかまるで分からないんだ」
通話を切り、ミシュアはジキル達に向き合う。
「……どうしますか。ズヴィズダーとして見れば、干渉したいのが本音のはず」
「どうしましょうかねぇ。レディロンド、誤解しているかもしれませんが、別にゲート関連の相手だからと言って、じゃあ後も先もなく特攻させられるのが我々契約者でもないのです。当局は契約者を高く買っている。ここで失われるくらいなら、もう少し細く長く、と言うのが」
ジキルは自販機で缶コーヒーを購入し、ジェッツにも分け与える。ジェッツは無言でプルタブを開けていた。
「ですが……あなた達は諜報機関のはずだ」
「ですが同時に、命が惜しいのも事実。ゲートの核心に触れるかもと言うだけでは我々は実行力を持たない。今のところ祖国からの命令もない。ここは静観が正しいでしょう」
思わぬ言葉振りに絶句するミシュアにジェッツは言いやる。
「……他の組織も思ったよりも動かないとは思う。ぼくらが動けないんだ。この局面で動くとすれば、契約者の命を軽視した人間か、あるいは何としてもゲートの秘密を手に入れたい、ただの欲望の塊に過ぎない」
「……それが合理的だと?」
「合理的でも何でもない。事実なんだ。ゲートに意義を見出すのなら、それこそエージェントを延々を送り込めばいい。そうしないのは何故か。簡単な話、リスクが高いんだ。わざわざそんな事をしてまで手に入れるべきなのがゲートだとも思われていない。トーキョーの【地獄門】クラスでも表立った戦いはないはず。それなのに、ニューヨークの街に散発的に出現するゲートもどきに、わざわざ諜報員を送り込むとも思えない」
「……それはつまり、この局面で動くのは愚か者だとでも?」
「お国柄ですよ、レディロンド。ここで動くかどうかも一つの分水嶺。しかしあまり急いた動きをすれば他の諜報機関に出し抜かれる」
案外、各国は落ち着いているのかもしれない。一契約者の生み出したゲートへの関心は、こちらの計算よりも小さいのか。
「……しかし全くの無関心と言うわけでもないでしょう」
「それはその通り。出来る事ならば無傷で欲しいのが本音でしょうね。しかし、ゲートなら……あれがゲートならば、という仮定に立ってですが、少しの犠牲も厭わないのも事実。ですが一昼夜は動かないでしょう。それくらいゲートに関して言えば不明なんです。我々は、思ったよりも何も持っていないに等しい。ここで手札を切るかどうかは、単純にその上の手腕による。……何としてもゲートが欲しいと言うのなら、行動は限られてきますが」
ジキルは缶コーヒーを呷り、一呼吸つく。
「……何かが起きる。でもそれを、誰も予測も制御も出来ない」
「【天国門】の時のように急に不可侵領域に堕ちる可能性だってある。兵士を送り込むのは得策とは思えない」
そうだ、【天国門】の例を挙げれば、闇雲に飛び込むのは危うい賭け。ミシュアは浮き足立っているのはむしろ、自分達のような人類のほうか、と僅かに自制していた。
彼らは合理的だ。合理的がゆえに、【天国門】のような過ちを二度も三度も犯すはずがない。勝てる時に勝利し、敗北が濃厚になれば静観を決め込む。
それが契約者、それが彼らの思考回路。
分かっているはずだった。だが案外目の前にすればその判断も分からなくなってしまう。
「……では我々も天文部からの報告を待つしか……」
「そうしかありませんねぇ。物質透過であの一帯を沈下させてもいいのですが、何が起こるのか分からない。それがゲートですから」
ジキルならばそれくらいは容易なのだろう。だが勝手な行動は祖国からも制されているはずだ。
「……ところで、前回接収した彼女は……」
「ああ、ついて来ていますよ、エミリーは。ミスターに同行しているはずですが」
「……彼女の観測霊で濃霧の中を見る事は……」
「危険行為でしょうねぇ。天文部の観測霊が帰って来ないのに彼女の観測霊を飛ばすのはやめさせておきたい」
前回の戦いの後、ドールであるエミリーの身柄はニューヨーク市警が預かり、主にジキルが教育している。彼女は本当に命令以外の事はプログラムされていないようで、特に古巣には関心もないのか、こちらの指示には従順であった。
「……私、最低ですね」
「どうしたんです、急に」
「いえ、ドールなら……エミリーなら大丈夫かもしれないと思ってしまった」
「別に普通じゃないんですか。分からない事を一刻も早く解明するのには、観測霊は有効です」
「でも……彼女の人権を踏みにじってしまった……」
無論、この言葉も見当違いもいいところ。エミリーはドールだ。そうだと規定されればどうとでも動くし、こちらを敵とプログラミングされれば敵にもなる。
ドールとはそういう代物であるし、ある程度は理解しているが、身内に居るのは初めてだ。少し、持て余しているのかもしれない。
「人権とは……。我々契約者には馴染みの薄い言葉だ」
ジキルの嘲笑にミシュアはため息を混じらせていた。
「笑わないでくださいよ……。私だって、それなりに考えて行動しているんですから」
「重々、承知していますよ。しかし、天文部に問い質しても居所だけではなく、能力の実態も不明とは。まったく、恐れ入る。この国は、ただでさえ契約難民を抱えた破綻国家だ。あのゲートが本物だとすれば、PANDORAが黙っていませんよ」
契約者、それにゲートに関する高次権限を握る組織、PANDORA。その実態は不明でありながらも、警察上層部に取り行っているのは間違いない。
何回かそれらしい諜報員を目にした事がある。
ミシュアは、それこそ厄介だと髪をかき上げていた。
「……PANDORAの連中が嗅ぎ回っていたら……」
「あるいは、もう嗅ぎつけた後かもしれませんね」
最悪の事態に転がりつつある。だが諦観してもいられない。今は一手でも打てる手は打っておくべきだ。
頬を叩き、よしと気持ちを切り替える。
「……ここでめそめそしていたって何にもならないんですから」
「レディロンド、あなたのスタンスとしてはそれはいい。何よりも……ちょっと契約者っぽくって」
その言葉にはミシュアは眉をひそめていた。
「契約者っぽいって……」
「合理的な思考の切り替えですよ。我々に近い」
「……馬鹿にされている風では、なさそうですけれど」
「まさか。褒めているんです。ここまで割り切れるのもまた、才能だと」
「……やっぱり、馬鹿にしています?」
尋ねてジキルは小さく微笑んだ。
「しかし、一つ……気を付けていただきたい。この状況、誰が敵に転がっても何らおかしくはない。信じるのは自分だけにしておくべきです」
「それはあなたでさえも、信じるな、という事?」
こちらの逆質問にジキルは肩を竦める。
「参りますが、その通り。親しいものほど裏切りを警戒したほうがいい」
「言っておきますけれど、私、それほど他人を信じていないんです。ですけれど、一つ……。同業者には背中を任せます」
それは自分の譲れぬ矜持のようなものだ。前時代的だと笑われても仕方なかったが、ジキルはいやはやと感服さえもしてみせる。
「……やはり思った通り。あなたは強い」
「……今度はおだてたって」
「だから、ありのままを言っているのですよ。さて、お喋りはここまでにしておきましょう。ジェッツが痺れを切らしていそうだ。ミスターには申し訳ないことをしている」
ジキルは立ち上がるなり、天文部から踵を返す。ミシュアも山里の仕事ぶりを拝見しておきたかったが、邪魔になるだけならば仕方ないだろう。
「……何よりも、今は自分の仕事を、か」
独りごちてミシュアはスーツの襟元を正していた。