DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第四十二話「疲弊を踏み越える」

「――そろそろ疲れて来たんじゃないのか」

 

 また屹立した泥人形を焼き殺し、紅は呼吸を詰めさせる。

 

「……誰が」

 

「諦めるといい。この疑似ゲートの中ではお前はどれほど健闘したところで、何にもならない。……まぁおれも何にもならないんだがな。この疑似ゲートはおれの命と直結している。即ち能力を封じられるイコール死だ。これほどに理不尽な対価もあるまい」

 

「……いいのか。弱点を言ってしまって」

 

「構わないとも。どうせ、外からでは絶対に開けられないんだ。なら、お前の最後の生き意地の汚さをこうして見届けてから死んでやるとも」

 

 またしても浮かび上がった影に紅は飛びつき、熱操作で脳幹を焼き切るが、やはりと言うべきか、本体ではない。

 

 と言うよりも、本体など存在するのか。

 

 相手の言い草では、この濃霧の疑似ゲートそのものが契約能力であり、相手そのものと言えるらしい。

 

 ならば、殺すとすればゲートを破壊するしかないのだが、ゲートの破壊など現状持ち合わせている情報と戦力では到底及びつきそうにもない。

 

 何よりも、自分の能力は「熱源の自在操作」だ。それ以上でも以下でもない。

 

 ゲートを破壊するのには攻撃力が足りず、突破する手立てはない。

 

 この濃霧がまさに難攻不落の要塞。相手の契約者は発動した時点で相打ちに持っていく腹積もりであったと考えられる。

 

 だが、疑似ゲートの能力を発揮する契約者など他に例がない。

 

 この契約者はどうしてそれを今の今まで発動せずに済んだのか。あるいは、発動しても自分で発動後の対処を理解出来ているのか。

 

 紅はそこにこそ攻略の糸口があるのだと信じていた。

 

 疑似ゲートを生み出すのだと、理解しているのならば、疑似ゲートを閉ざす術もあるはず。しかし、こうして泥人形を生み出し続け、自分を疲弊させて絶望させるのには理由がある。その理由さえ掴めば、相手の首筋を掻っ切れるのに、蓄積された疲れが、何よりも重く圧し掛かる空気が、肺に滞留する。

 

 毒ではない。しかしながら、変わらぬ風景に、変わらぬ敵。どれだけ破壊しても立ち上がってくる人形――。

 

 疲労しないと言うのが無理な話だ。

 

 紅は頭を巡らせようとした。この局面で諦めとそして重たい疲れに足を取られればそこまで。

 

 戦って、勝ち得るのに思考だけは閉ざしてはならない。

 

 紅は勝ち筋を見出そうと駆け抜けクナイで泥人形の丹田を打ち抜く。そのまま投げ捨て振り返り様のワイヤーで首を刈っていた。

 

 それでも一向に減る気配のない亡者達。

 

 泥人形の動きは鈍い。攻撃に特化しているとはまるで思えない。むしろ、彼らはただ一点――こちらの体力の底を待っているかのようであった。

 

 だが攻撃力がまるでないわけでもなく、その腕は並大抵以上の膂力を誇る。

 

 少しでも油断すれば数に呑まれてしまうだろう。紅はクナイを逆手に握り直し、周囲へと視線を配る。

 

 地の底のような呻き声を上げて泥人形達が自分へと追い縋ろうとする。

 

 紅は駆け抜けて一閃を浴びせ、さらに返す刀で泥人形の頭蓋を叩き割っていた。

 

 打撃は有効。刺突も、斬撃も意味はある。

 

 問題なのはそれでも尽きぬ相手の戦力。

 

 どれが致命的なダメージなのか、どれがまるで手応えがないのかの区別がつかない。弱い攻撃で朽ちる場合もあれば、強めの攻撃でも倒れない事もある。

 

 判断が付けづらいのだ。

 

 こうすれば最小限度の動きで勝てる、というビジョンが浮かばない。

 

 逆に言えば派手に立ち回っても、地味に動いてもどちらに転べば正答なのかが見えないのは、やたらに精神をすり減らす。

 

 自分の行動如何で疑似ゲートが閉じるとも思えず、紅は呼吸に疲れを滲ませていた。

 

「……もう不可能だ。ここで打ち止めにするがいい、ニューヨークの赤ずきん。お前はよくやったさ。おれでさえもこの状況では相手が力尽きるまでの試算を並べる事も出来ない。だが、ここまで耐え凌いだのは恐らく、お前くらいなものだろう。おれの……勝利だ」

 

「ふざけるな。まだ何も……決しちゃいない」

 

 しかし永劫に現れ続ける泥人形相手にいたずらに消耗戦を続けても何の益もないのは事実。相手の心臓部さえも見えない中で、どうやって勝ち得ればいいのか、全くの不明。

 

「……何なら、呼ぶといい、お前のお仲間でも。まぁ、来たところで取り込んでやるがな」

 

「……何を言っている。契約者に、仲間なんていない」

 

 冷たく切り捨てた紅はよろよろと動き始めた泥人形へとワイヤーで繋げたクナイを投擲する。相手の額へと突き刺さったそれをそのまま横薙ぎに払い、肩を並べている泥人形達を一掃していた。

 

 しかしそれでも足りない。

 

 精製能力が段違いなのだ。

 

 一体倒れれば、次の瞬間には三体現れている。

 

 こんな状態で勝ちに繋がる要素が見えない。勝利が……遠のいていく。

 

 紅は萎えそうな意識に奥歯を強く噛み締めて耐えた。ここで膝を折ってどうする。こんなところで死ぬために、自分は今まで戦ってきたわけではない。そうだろうに。

 

 泥人形の腕が伸びる。その手が自分の肩に触れた瞬間にランセルノプト放射光を帯び、熱放射でその手を融解させる。

 

 そのまま連鎖的に一体は破壊出来るものの、人海戦術に出られれば自分の能力の底が見えてくる。

 

「もう、知れているぞ、お前の能力……。熱を操るのだな。それも熱エネルギーの原則を破って。高熱をそのままの状態で維持し、相手へと理想的な部位に放射、あるいは留める事が出来る……。なるほど、暗殺にはもってこいの能力だ。だが、派手なパワー型ではない。ゆえに、数の圧倒には押し負ける。それが必定というもの」

 

「……うるさい。黙っていろ。どうせゲートが閉じればお前の負けだ」

 

「ゲートが閉じれば? それは確かにそうだろうさ。だが……その時が果たして訪れるかな? おれの能力が終焉するとすれば、それはこの疑似ゲートを買い付けようとPANDORAか、あるいは他の諜報機関がゲート内物質で反作用を起こさせようとでもする時だろう。さて、その時までお前は生き永らえているか? あるいは生きていたとしても、そいつらを相手取って勝てる体力が残っているとでも?」

 

「……お喋りだな。契約者らしくない」

 

 その言葉に相手は暫時、沈黙を挟んでいた。

 

「……かもしれない。おれは、契約能力を行使している間は、契約者ではなくなるのかもな。ゲートそのものになっているんだ。そりゃ、ちょっとは人間味も出てくるさ」

 

「人間味? ……笑わせる。こんな異形の能力を使っておいて人間味なんて。……その冗談はどこから出てくるんだ?」

 

 問いかけた紅に相手は余裕の声を漏らす。

 

「話し相手が欲しいのだろう? ……分かるとも。こうやってもう何時間だ? 何時間も無言で戦闘行為なんて出来るはずもない。しかも、周りの景色は移り変らないんだ。何もない虚無に向けて刃を振るっているに等しい状況は、お前の精神を苛むだろう。いつ発狂してもいい。その時には我が能力が、お前を押し潰した勝利の時だ」

 

「……馬鹿馬鹿しい。契約者は一時の勝利に陶酔しない」

 

 しかし、まずいのは事実。このままじわじわと押し負ければ、単純に消耗だけで根負けしてしまいそうだ。

 

 ここは自我をしっかりと保ち――と思ったところで、不意に眩暈が訪れる。

 

 疲れだけではない。この空間では疲労の蓄積も何倍もの速度で訪れる。

 

 せめて時計を持ってくるのだったと後悔する。

 

 何時間、何十時間か。

 

 もう分からない。自分で時間を判定する術が全く存在しない。

 

 しかし、末路は見えている。

 

 自分が打ち死ぬか、相手が能力ごと消滅するかのどちらか。

 

 疑似ゲートを消失させる術はまるで考え付かない。と言うよりも、考えを放棄している。

 

 なにせ相手はゲートだ。ゲートの内側では何が起こってもおかしくはないし、何が起こってもそれはゲート内だから、という一事に集約される。

 

 疑似ゲートの中でも同じとは限らないが、ゲートの情報は極秘管理されており、自分達のような現場のエージェントにもたらされる事はない。

 

 ゆえに、ここで切り抜ける方法を自分は知らない。ゲートに関して、少しは知ったつもりであったが、潜入した時も結局、何が起こったのか分からなかった。

 

 ならば、契約者の能力の範疇にあるゲートならば余計にであろう。

 

 何が起こるのか分からない。そして、何をもって終わりなのかも。

 

 ――だが。

 

「……私はお前を破壊する。そうでしか、生き残れないのならば……私はゲートだって壊してみせよう」

 

「息巻くじゃないか、一契約者風情が。壊せるのか? ゲートを破壊出来たケースは存在しない。そうだとも。お前は一生、この地獄を見るのさ」

 

 紅は身を沈め、泥人形達を睨み据える。

 

 どこかで、一生はないだろう、と思っていた。

 

 何故なら、それを知覚する時にはもう、どちらかの死は確定しているであろうから。

 

 


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