DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
「物騒な街だな、ここは」
そうこぼした男は仕立てのいいスーツを着こなし、新市街地を眺めていた。
「【煉獄門】が現れてからこの先……ニューヨークもかつての栄華を忘れ、最早ただの狂乱の都に成り下がったか……」
諦観を浮かべたその声音に運転手は応じる。
「そうでもないですよ。ここはトーキョーとは一味違います。契約難民……かつての天国戦争で従軍した者達が控えていますので、各国諜報機関も目を光らせている。そこいらに居るかもしれない原石を探してでしょうね」
「そこいらに契約者が? ……ならばより物騒だと、判断せざる得ないな」
「新市街地にはほとんど居ませんよ。居るのは旧市街地です」
怜悧な眼鏡のブリッジを上げて男は口にする。
「……かつての表舞台、ニューヨークの看板が、今や見る影もなし、か。なかなかに風刺が効く……」
「ですが、現地住民は【煉獄門】の出現にはもう慣れているようです。ちょっと迂回すればいいだけの、事故みたいなものだと」
その論調に男は自嘲する。
「事故、か。ゲートを事故だと判定出来れば、どれほどに楽か。そんな日和見だから、天国戦争では痛手を負った」
「言って、ニューヨーク市民は天国戦争をまるで遠くの出来事のように感じています。あれだけ国力を増員した戦争を、なかったかのように」
「それは国民性かな」
「いいえ、ただ単純に……冷淡なだけでしょうね。みんなが無関心を決め込めば、それはなかった事になる」
「……極東の島国で少しばかり空気を味わったが、あれに近いのか。わたしもどうかと思うよ。【地獄門】……そして計画を円滑に進めるうえで、道化を演じるのはね」
「あっちでは外事四課でしたか」
「スケープゴートにはなっている。隠れ蓑にはもってこいだ。この身体に流れる、極東民族の血を、少しは役に立ったと評価出来そうだよ」
「それは何よりで。――ミスターエリック西島」
名を呼ばれ、エリック西島は窓の外から運転手に視線を投じていた。
「何かな?」
「いえ、あなたは父上より【地獄門】の計画を任されている。とても誉れ高いのだと思っております」
「何だ、急に。褒めても何も出やしないぞ」
「ですが……【地獄門】を巡って契約者同士の戦闘は激化し、それはこのニューヨークでも然り。ゲートがあるから、契約者なんてものが跳梁跋扈する」
「……何だ、反ゲート主義者か? 言の葉でゲートは閉じんよ」
どれだけ言葉を弄したところでゲートは歴然とした現実としてそこに「在る」のだから、ゲートを閉ざすのは人間の叡智に他ならない。
「シュレーダー博士が日本に現着したのがつい数日前と聞きます。それまで各国の研究機関を点々とされていたとか」
「あの変わり者の博士は拠点を据えてやると案外仕事をしてくれるものだが、ゲートの痕跡は各地に散らばっている。当然、そのデータもね。実数データを持ち込むのに世界一周の旅に出なければならなかったのはPANDORAとしては懐の痛い話ではあった」
だが、シュレーダー博士の生み出すゲート内物質の構造を目にしたがあれは画期的だ。
博士曰く、南米で一部の契約者が持ち合わせていた契約能力を特化させる物質と同等だと聞くが、それは定かではない。
南米の戦争は誰一人として生き証人は居ないはずだ。それほどまでに凄惨を極めた戦場であった。エージェント達が送り込まれ、それぞれに殺し合いを行う、爛れた場所であったとも。
呪われた地でどれほどの星が流れたのか、今は知る由もない。
だがあの南米戦争を皮切りにして契約者というものへの見方は大きく変わったと言ってもいいだろう。
契約者という、不明な存在を「有効利用」する術をある意味では心得たのだ。
「……契約者は人間ではない。人の皮を被った殺戮機械だ。彼らは平然と嘘をつき、他人を陥れる事に良心の呵責など覚えない。南米のデータを洗い出せば出すほどに、これは確かなのだと思い知らされる。まぁあのマッドサイエンティストは結果さえよければいいんだ。研究施設と金を与えてやれば、後はどうにでも転がってくれる。わたしが求めているのはその先……契約者が消滅し、人類が新たなる次元へと到達した先の未来だ。人間は知らなければならない。新時代の到来を。その時に、契約者と言う旧世紀の遺物をどう排除するのかが重要でしかない。……偽りの星空が消えれば、月も戻ってくる。宇宙に衛星も飛ばせる。確実に人類の生活基盤は五十年規模で上塗りされるだろう。それほどまでに、人類対契約者は必要な構図なんだ。……今はまだ、どちらも理解していないようだがね」
「人は人、契約者は契約者、ですか」
「そうなのだと規定したほうが精神衛生上いい。誰もが契約者に成り得る危機感のある時代に、次世代を芽吹かせられるものか。契約者は一匹残らず駆逐する。それがわたしと……そしてPANDORAの決定だ」
「……その時には、いい身分に成らせてもらえるのでしょうかね」
「君は随分と弁の立つようだが、言っておく。口達者なだけではこれから先の時代、生きてはいけない。やるのなら実力行使だ」
「――なるほど、胆に銘じて、おきましょうか……ねッ!」
運転手が不意にハンドルを切り、車両を急停車させる。横滑りになった車両の中で運転手の身体より立ち昇ったランセルノプト放射光にエリック西島は落ち着き払って応じていた。
「……契約者か」
「聞き捨てならないな、エリック西島。契約者を駆逐する? ……させるものか」
「どこの手の者だ? UB001の擁する例の契約者集団か? それとも、他国の?」
「……答える義務など……ないッ!」
赤く煌めいた瞳がエリック西島を捉える。直後、バックミラーが輝きその鏡の中に入っていた車両部位が吹き飛んでいた。エリック西島は後部座席から道路へと転がり、辛うじてその攻撃を回避する。
「……鏡に映した空間の粉砕能力……」
運転手は後部座席の消滅した車両を停車させ、ゆっくりと歩み寄ってくる。エリック西島は拳銃を構えていた。
運転手は手鏡を翳し、ランセルノプト放射光を浴びせる。
空間が鳴動し、直後に巨大な音を立てて吹き飛ばされていく。地面が捲れ上がり粉塵が舞う中でエリック西島は照準していた。
「……手鏡でもやれるのか。だが、あまりに杜撰だな。殺すのならもっと早くにすべきだった」
「PANDORAの狗が、偉そうに講釈垂れるんじゃないぞ」
「なるほど。ならば君は、その狗以下だ」
銃撃された運転手は手鏡を突き出す。
銃弾が鏡に突き刺さり、その肩口を射抜いていた。
「悪いが、対契約者戦闘は慣れていてね。極東国家ではまともにやり合わないだけだ。一対一ならば分はあるのだよ」
「何を言っている……。言っておくが、反射するものならば何でもこの能力の適応内だ。このサイドミラーも……地面に落ちたガラス片でも……!」
ランセルノプト放射光の青白い燐光が周囲で乱反射する。一斉に掃射されれば逃げ場はないだろう。
しかし、エリック西島は落ち着き払い、時計に視線を落としていた。
「……ふむ。一分だな」
「何を――」
その瞬間、撃ち込まれた弾丸が明滅する。体内で瞬き始めた弾頭に運転手が目を向けた直後、弾痕から体内がぶくぶくと肉腫を伴って膨れ上がり、弾け飛んでいた。
鮮血が迸り、エリック西島は首肯する。
「ゲート由来の弾丸でね。契約者の能力行使時のランセルノプト放射光に反応し、そして体内から弾け飛ぶ。人間相手にはただの弾丸だが、契約者にとってこれは如何に毒なのか、分かるだろう?」
「ぎ、ぎざまぁぁっ! あぶ、あぶぶぶぶぼぁ……っ!」
半身を吹き飛ばされても相手は健在だ。エリック西島は冷笑混じりに拍手する。
「さすがは契約者だ。PANDORAの重鎮たるわたしを暗殺しようとするだけはある。それなりに意地はありそうだな」
だが、とエリック西島は相手を冷たく見据える。
「対価と言う精神的強迫観念に駆られた亜種人類は醜いだけだ。見たところ対価は言語能力の退行だな。文化的に成り下がった人間の枠を自ら外す、愚かな行動だな」
「あぶ……っ、ぶばばぁあ――!」
冷徹にその銃口が据えられ、一発、二発とその体躯に撃ち込まれる。内奥よりランセルノプト放射光を誘発させ、炸裂弾が効果を発揮していた。
四散した契約者相手にPANDORAの特殊兵装に身を固めた護衛部隊がようやく合流する。
「遅いぞ。何があった」
「……すいません。この契約者に出し抜かれました。完全に我々のコードを物にしていて……」
「言い訳は結構。やれるならばやる。やれないのならばやれない。この二つだ」
「……疑似ゲートは開いたままです。我々の介入を拒む性質を持つようで……」
「東京の【地獄門】とも、南米の【天国門】とも異なると?」
「……性質としては同じのはずなのですが、一契約者の発現せしめたこの疑似ゲート……謎な部分も多く……」
「御託はいい。突破出来るのか、出来ないのか」
では、と護衛員が声にする。
「……並大抵の物質は外側からの攻撃を無効化します。やはり……ゲート由来の物質でなければ……」
「なるほど。シュレーダー博士の発明品があったな? あれを使う」
「まさか……黄金の流星を? 危険過ぎます、あれは……下手をすればこの新市街地を吹き飛ばして――」
「聞こえなかったのか? 使うと言ったんだ。ならば使用準備をすべきだろう。現地の人間は犠牲になったところで仕方あるまい。彼らも巡り合わせが悪かった。それだけなんだ」
そう、巡り合わせが悪かっただけ。そうだと規定し、切り捨てるべきなのが選ばれし優勢種とそうでない者との違い。
元々、契約者殲滅を掲げている自分達PANDORAからしてみれば、一国が消滅しても駆け引きがやりやすくなるだけだ。それほどの重要な因子にはならないだろう。
「……了承しました。黄金の流星を、では出来るだけ早く……」
護衛員が離れていく。エリック西島は時計を見やり、新市街地へと向かっていく新たな車両に乗り込んでいた。
乗り合わせるなり、相手の首筋にコードリーダーを合わせる。こちらの認証コード通りの人間のプライベートデータが参照され、エリック西島は銃を仕舞っていた。
「……我々の認識不足でした」
「いや、いい。どうあっても契約者達は足掻いてくる。ならば、眼前で摘むのもまた、生き残るべき人類種の資格だとも」
それにしても、とエリック西島は視野に入り始めた浮浪者達を眺める。
「……いやにホームレスが多いな、この街は」
「元々多かったんです。それが契約難民問題で、表面化したようで」
「東京もこれを辿るか。……いや、あれは【地獄門】だ。もっと悲惨な末路を迎えるに違いない」
「お忙しい中での訪問です。市長はお望みでしょう」
「どうかな。案外、PANDORAの遣いなど煩わしいだけかもしれない」
とは言え、とエリック西島は息をついていた。
「……悲しいものだな。街一つ消えるのに、その事を誰も知らないとは」