DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
第四十四話「憶測を佇む」
ふと、現場周辺に目線を振り向けたジキルにミシュアは疑問視していた。
「あの……何か?」
「……珍しい形の観測霊が」
「観測霊……っ!」
慌てて拳銃に手をかけようとしてジキルが制していた。
「普通の人間には見えませんよ。契約者にしか見えない……暗号のようなもので。ですがこの暗号は……面白いな」
「面白い? どういう……」
「あのニューヨークの赤ずきんが、疑似ゲートの中に居るようです」
その言葉にミシュアは眼を戦慄かせる。
「まさか! だってあれの星のスペクトルは……!」
「あるいは、疑似ゲートの中に居ると観測出来ないか……。確定情報のようですよ。あちら側の組織の有する、受動霊媒の仕業です。我々にだけ……事実を伝えようとしている」
「……あちら側に裏切り者が?」
「いえ、と言うよりも……。なるほど、こちらを利用する腹積もりですか。観測霊とその言の葉を拾えるのは我々契約者のみ。それもこの局面で周辺地域に居るのが私とジェッツだと分かっていての情報漏えい……。高みの見物、と言いたいわけですか」
仰ぎ見たジキルに釣られてミシュアも空を仰ぐが、一匹の蝙蝠が飛び立っていくだけであった。
「……つまり、我々に動いて欲しい、と……MA401の組織は思っていると?」
「組織立った行動とはどうも思えないのですが……しかし、こうして伝えてくるところを見るに、期待はしているようですね。よろしい。協力しましょう」
「ちょ、ちょっと! ……身勝手な真似は……」
「ですが、どうです、これは」
ジキルの視線の先にあったのは封鎖された道の奥に佇む半球状の結界――濃霧の奥を青白く胎動させる疑似ゲートであった。
ここに到達するまでだけで数回の身元確認が必要だったが、ジキルの同行でうまく切り抜けられた。
「……恐らくもう、PANDORAは動き出している」
「そうですね。構成員らしき者達を見かけました。ああ、視線は向けないように。我々はあくまで、愚行を演じるとしましょう。現場警察が愚直にも向かってきた、という体裁が相応しい」
視線を振り向けようとしてミシュアは慌てて疑似ゲートを見据える。
「……契約者ですか」
「いいえ、PANDORAのような徹底的な組織に契約者は少ないでしょうね。居たとしても、PANDORAに好印象は持っていないはず。それでも心配要りませんよ。契約者らしき殺気は見受けられません」
その言葉がいつになく頼もしかったのは、やはり契約者同士の戦闘となれば自信がないからだろう。拳銃一丁で対戦車ほどの強さを誇る相手にどう足掻くと言うのか。
安堵半分、警戒半分でミシュアは疑似ゲートに視線を注ぐ。
「……こんなの、どう突破して……」
「あまり物事の表面だけで判定しないほうがいい。疑似ゲートと聞いていましたが、思ったよりも契約者寄りだ。ゲートの無慈悲さに比べれば随分と人間臭い」
「人間臭い……?」
当惑しているとジキルは一礼する。
「失礼、……この言い種はどうにもよくないですね。ですが……この契約者はミス401MAを巻き込んで……自爆したようなものです。極めて非合理的な行動であったと言えるでしょう」
「何でそこまで分かるんですか?」
「……契約者だから。それは理由になりませんか?」
問いかけたジキルの眼にミシュアは首を傾げる。
「はぁ? ……なるわけないじゃないですか」
「では失敬して。……先ほど観測霊から得た情報です。ミス401MAは勝負をかけている、とも」
「勝負を……かけている?」
「有り体に言えば勝てないはずの自滅に巻き込まれておいてまだ勝とうとしている……これは吸収された観測霊から得た情報ですが」
「吸収? それは天文部の?」
「ええ。この疑似ゲートは観測霊を巻き込んでいる……。近づき過ぎると、磁石のように巻き付いてしまうようですね。観測霊は元の形状を失い、ただただ情報のみを垂れ流す存在と成り果てる……。この疑似ゲートの特性ですね。観測霊は天文部に情報を返そうとするのですが、それがうまくいかず、エラーの繰り返しとなる。これではまるでいたちごっこだ。天文部がお手上げになるわけです。疑似ゲートが観測霊を吸い込んでいる。ですが、彼らの放つ客観情報を我々契約者は得る事が出来る。まぁ、この距離にならなければ、ですが」
「……あの、俺達にはその、観測霊も見えないんですよね。だったら、結局この事態をどうこうするのって……」
ジャンの濁した声音にジキルは断言する。
「ええ。契約者の協力は不可欠。ですが、どうします? ……401MAのお仲間達に手を貸すか、あるいはここでの状況はあくまでも我が方のみの物とするか。どちらに転ぶとしても、疑似ゲートの消滅のためには奔走しなければならない」
「……MA401と……手を組む……」
「形としてはそうなりますが、どうしますか? 天文部の観測霊ではこの疑似ゲートの特性上、優位は打てませんが、エミリーと401MAの仲間である観測霊を組み合わせれば、可能かもしれません」
付き従っているエミリーは相変わらず読めない瞳を浮かべたまま、すっと指差す。
「あそこに観測霊」
ハッとミシュアは警戒に入るが、そうだ意味がないのだった。自分達常人には、観測霊は目視出来ない。それだけに留まらず、現状を的確に把握するのにはジキル達以外の契約者の協力が不可欠であろう。
下手に意地を張ったところで仕方あるまい。
「……手を組む、とは言いません。利用しましょう」
「それぐらいの気概でいいと思いますよ。何せ、相手もこちらを利用する腹積もりだ。どちらが最終的に得をするのかは置いておくとして、ここでは一手の過ちも惜しい」
「本気ですか、課長。相手は得体の知れない、契約者なんですよ」
「おや、その論法だとミスター。我々も、ですが」
ジキルの返答にジャンは言葉を彷徨わせる。ミシュアは嘆息一つで余計な感情を打ち切っていた。
「契約者であろうがなかろうが、この疑似ゲートを相手にすれば、国家間の取引すらあり得る……。ここでは他の諜報機関に先んじられないように、我々ニューヨーク市警は動かなくってはいけない。それが使命でしょう?」
ジャンはどこか不承気にそれを受け止めていた。
「……ですが、相手は観測霊以外を飛ばしても来ない。フェアじゃないですよ」
「そうでもない。観測霊の性質さえ分かれば、これから先の戦いでいくらでも巻き返せます。ここは、一旦の停戦協定で済むのなら、長い目で見れば」
ジキルの物言いには余裕が窺える。彼女は本気でそう思っている事だろう。そこに契約者特有の合理的判断が合わされば、疑う余地はない。
「……相手の観測霊は、何と?」
「自分の誘導に従って行動するように、と。あちらの持ち得る情報との共有もはかられていますが、どうしますか? エミリーに情報の共有をさせるかさせないかはあなたの判断です、レディロンド」
ここでは迷ったほうが読み負ける。ミシュアは早急に判断を下していた。
「……構いません。どうせほとんど分かっちゃいないんです。天文部の観測霊もエラーを弾き出しているとなれば、我々の指針は一つ……」
「疑似ゲートを発生させている契約者の排除と、ゲートの消滅、ですね……。では応じるとしましょうか。エミリー」
ジキルが顎をしゃくるとエミリーは手を払う。そこから観測霊が放たれたのかもしれないが、自分達には何も見えない。
「……この疑似ゲート、煙の類に近いから、私の観測霊でも干渉出来る……」
「そうですか。ですが、ここは相手が動いてからにしましょう。初手で誤ればそこまでです」
あくまでも相手の手札の誘発を狙うか。ある意味ではジキルらしい手腕だ。
エミリーは首肯し、瞬きもせずに疑似ゲートへと首を巡らせる。
「……当てになるんですか? 受動霊媒でしょう?」
「ミスター。あなたは少しばかりは契約者を……我々を信じて欲しい。あまりにも逸脱した行動を取るのはイレギュラーです。契約者の行動理念は合理的であるかないか。その点で言えば、ここで策を弄するのは合理的なのです。何せ、目の前に疑似ゲートがある。ここまで肉薄した時点で、他の組織を上回っている。ですが、油断なさらぬよう。各国諜報機関が動き出すとすれば、まさしく今。他の組織の動きは思っているよりも迅速だと想定したほうがよろしい」
「……こちらの警戒を潜り抜けて、敵はやってくると?」
ミシュアの問いかけにジキルは頭を振る。
「敵、かどうかも微妙ですがね。少なくとも401MAのお仲間は手を組む所存のようですし、ここは慎重に行きましょう。味方だと言われれば、ではその通り、と言うわけでもございませんし」
味方を騙って情報網に近づかれるよりかは、敵だと断じた相手だとしても手が割れているほうがやりやすい、か。
MA401とその仲間は確かに驚異的だが、現時点で手を組もうとしているのならそれには乗っかるべき。
ジキルの合理的判断能力はここで光る。
平時では敵であったとしても、こちらへと好条件を持ちかけてくるのならば最大限に利用し、それから判断を決める。通常の人間ならばしがらみや因縁でそうだとは言えないところを、契約者ならばその場その場の最も効率的な道を選び取れる。
――ある意味では、とても戦いに適した人種……。
それが契約者なのだとすれば、先の天国戦争での徴用もある意味では頷ける。問題なのは、一時的とは言え、仇敵と手を組むと言う精神的なもの。
そう、それは所詮、一市民に過ぎない自分の個人的な感情だ。そんなものに振り回されて、大局を見失うわけにはいかない。
だが合理性を突き詰めれば、それは契約者と変わらないのではないか。
「……共闘を申し出ましょう。そうでなければ、我々だけの叡智では……」
ここは素直に認めるしかなかった。自分は無力、そしてただの人間では解き明かせない叡智の塊が、こうして屹立している。
ならば、外道と罵られようとも、彼らと手を結ぶ。
ジキルは指を弾き、声を跳ねさせた。
「スマートな判断です。レディロンド、まるで契約者のように」
その言葉には胡乱そうな眼差しを流すと、ジキルは咳払いする。
「……失敬。言葉が過ぎました」
「いいけれどさ、とっととしないと、この疑似ゲート、ヤバいんじゃないかな」
ジャンに連れられた形のジェッツの言葉にミシュアはそういえば、と思い返す。
「……ジェッツ……の攻撃でゲート内部へと押し進むのは……」
「無理だね。やれたとして、もしそれで取り返しのつかない事になるのなら、ぼくはやらないよ」
ジェッツの声音は冷たいが、どこかで諦観を漂わせていた。
自分がどうこうしても結局のところは、意味がないとでも言うように。
「……でも別に武器を投げる事はないのでは……?」
ジャンの発した言葉に全員の視線が集まる。彼は、あ、いや、と手を振っていた。
「少年君の能力なら……疑似ゲートの皮膜を突っ切って、中を観測出来るんじゃないですか……って思っただけで……。すいません、素人考えで……」
平謝りするジャンにジェッツは、いや、と手元のダーツに視線を落とす。
「確かに。元々はダーツの攻撃性能に重点を置いているからこそ、この使い方しかしないが、君の言う通りかもしれない。ジキル」
「ええ、それならば今からでも用意出来るでしょう。レディロンド、投げても壊れない程度のカメラを、用意出来ますか?」
尋ねられてミシュアは呆気に取られてしまう。
「えっと……どういう……」
「ぼくの契約能力は、投げた物質の加速。でも別に、今は誰を殺すでもないし、よくよく考えればダーツにこだわっているのは攻撃性能を熟知しているのと、慣れているからだけだ。今は疑似ゲートの渦のような皮膜さえ破れればいい」
「まぁ、つまるところはダーツじゃなくってもいい。それなら、疑似ゲートの渦を突破する速度でカメラを打ち込み、そこからリアルタイム情報を読み込む。そうすれば、中がどうなっているのか分かるはずです」
「……突破出来るんですか? 疑似ゲートを……」
「やってみないとそれは。でもやる価値はある」
帽子を目深に被ったジェッツにジキルが首肯する。
「やってみましょう。価値ある一手のはずです」
二人して言うのならば止める理由はない。ミシュアは警察無線を取っていた。
「……ロンドです。至急、用意していただきたいものが……」