DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
部屋を出て暗証番号を振り、ドアをロックする。
追跡されていない事を確認し、夜都は旧市街地に点在する空地へと足を進めていた。
煤けたような風が吹き抜ける中で、時計を気にするサラリーマン風の銀髪の男が新聞を広げている。
その男と背中合わせに座ると、相手はわざとらしく声にしていた。
「……今日の夕刊は酷いもんだ。新市街地で起こった事はやっぱり何一つ書かれていない。マスメディアが法であった時代は終わろうとしているな」
嘆かわしい、と肩を竦めた男に夜都は口を開く。
「……あの二人は」
「契約者だ。他の組織のな。どうやら熱心にああいう手合いを追う人間は居ないらしい。写真機を持って出歩くような人間も珍しくなったもんだ」
「……能力」
「一人は任意の地形を鳴動させる能力。まぁ、ミニ地震って奴だ。もう一人は分からない。金髪のほうはしかし、結構目聡いみたいだぞ?」
夜都は視線を旧市街地に流す。黄昏の夕陽を反射する窓辺に青白いぼやけたような像が結ばれていた。
「……観測霊」
「追っては来ている。そう逃げ切れると思わないほうがいい。……にしても、毎度の事ながらうまく潜入する。まるで本当に日本から来ましたって言う風体は得意技だな」
「……敵の位置関係と見つかるまでの試算」
「時間はないぞ。さっさとあのクラスメイトを殺してでも情報を奪うか、それか拷問でもして聞き出すといい。君の能力なら、お手の物のはずだ」
「……レミー自身も何かと疑念がある。もしかしたら、彼女も……」
「それを明瞭にするのは君の仕事だ。当てにしているよ」
時計を見やり、男は立ち上がる。その背中を目線で追ってから、夜都は戻る道中、浮浪者の不自然な動きを察知していた。
駆け足気味に廃ビルに戻り、ドアロックを開けてレミーを起こす。
眠気まなこを擦ったレミーに夜都は言いやっていた。
「……追って来ている。時間がない」
息を詰まらせたレミーに夜都はしっ、と唇の前で指を立てる。
「……静かに」
廃ビルの廊下を踏み締める音が響く。レミーは呼吸を殺しているが、それでも見つかるのは時間の問題だろう。
夜都はこっちへ、と促していた。
廃ビルの裏側には予め張っておいた逃げ道がある。梯子を伝い、レミーを逃がしつつ夜都は近づきつつある気配を感じ取っていた。
夕陽を反射する梯子に青白い像がぼうと浮かぶ。
目を細め、夜都はレミーが降り切ったのを確認して梯子を慣れた様子で伝い降りる。
「……どこへ逃げれば……」
「任せて。旧市街地なら何とか逃げ切れると思う……。問題なのは、こっちじゃ相手も手加減をしてこないって事」
その事実にレミーは目を戦慄かせる。
「……殺される……」
「大丈夫だから。まずは相手を撒けばどうにでもなるはず」
手を引こうとしてレミーが思い立ったかのように立ち尽くす。
「……家が……家にはパパの重要書類が……」
「……既に家は荒らされていると思うけれど……」
「それだけじゃないわ! ……思い出の品があるの」
レミーは肩を震わせる。夜都は暫時沈黙を挟んだ後に、首肯していた。
「……じゃあ、一旦家まで戻るけれど、危険は……」
「分かっている。でも、パパとの思い出まで……捨てたくない……」
夜都はレミーの住所を聞き出す。旧市街地から一旦抜ける以上、必ず阻止してくるはずだ。
「レミー。思い出の品って、何なの?」
「……私が行かないと分からないと思う。パパが、昔……東京で買ってきてくれた小さな鉱石なの。それがとても綺麗で……いつも眺めていた」
「……分かった。けど、時間は……ないみたい」
夜都は廃ビルを駆け下りてくる気配を感じ取る。恐らくは黒スーツか、金髪の青年かどちらかの契約者。
「急ごう」
頷いたレミーを伴って道沿いに出たところで、黒スーツとかち合う。
無言のまま、黒スーツがその手でレミーを捕えようとしたのを、夜都は腰に提げていた水筒を投擲していた。
相手から青白い輝きが放たれたと思った瞬間、水筒が内側から膨れ上がり、鳴動して炸裂する。
内部に収まっていた高温の蒸気が噴出し、僅かな目晦ましを手伝った。
その隙に夜都はレミーを新市街地の通りへと導こうと、いくつも裏路地を折れ曲がる。このニューヨークの路地は複雑怪奇に入り組んでおり、土地勘がなければすぐに迷うはずだ。
ある意味では想定通り、相手はこちらを見失ったらしい。
新市街地に出たところで、レミーが息を荒立たせる。
「こ……ここまで来れば……」
「駄目、一応路面電車を目指そう。さすがにそこまで追っては来られないと思うけれど、でも……」
最悪はどこまで想定したところで仕方がないが、逃げ切れるとは思わないほうがよさそうであった。
夜空を観測する巨大な望遠鏡設備にいつだって圧倒される。
青いスーツをびしっと着込んだミシュアは、ふぅんと仰ぎ見ていた。
「……偽りの星空を観測する、場所」
「ロンド課長。視察の日ではなかったはずですけれど?」
豊かなブロンドの髪をかき上げた美女はけだるげに口にする。ミシュアはフッと微笑んでいた。
「視察以外で来てはいけない?」
「……公安が来るのをいい顔をする研究員ばかりじゃないわ」
「……山里観測長。トーキョーに比べて、ここのドール達は随分と……」
ミシュアが周囲に点在するカプセルへと視線を投じる。中には禿頭の人間が入っており、彼らの脳波を拾い上げ、観測所から契約者の動きを炙り出す。
それこそが観測所の役目であり、ドールの使役する観測霊と呼ばれる存在が常時、このニューヨーク市街を見据えている。
「……大人しい? それとも、忙しそうに見える?」
「……ドールの感情は分からない」
「あたし達も分からないわよ。どうにも、このニューヨーク市は東京とは勝手が違ってね。こっちにはこっちのルールがある。ここじゃ話もなんだわ。喫煙所に行っていい?」
「……やめたんじゃなかったの?」
「ちょっと自分へのご褒美。ここ最近、詰めっきりだから。どうにも疲労が溜まっていけないのよ」
「……忙しいのはどこも同じ、か」
「ドールだろうが、人間だろうが、ね。観測霊を飛ばしてはいるけれど、東京の観測所とはまるでここのドール達は別種。ま、【地獄門】があるってのも大きいんだろうけれど」
東京に屹立する【地獄門】の壁を、ミシュアは思い返す。あれはまるで、世界の断絶であった。
漆黒の壁によってこの世界は均衡と偽りの平穏を謳歌している。
それがいつ崩れるのか、誰にも分からないのに。
「……南米じゃ、天国戦争の時にたくさんの契約の星が流れた。東京も同じにならないとは限らない」
「それはそうと、コーヒー。熱いのと冷たいの、どっちがいい? 奢るわよ」
自販機の前で立ち止まった相手にミシュアは微笑みかける。
「……知ってるでしょ。私は」
「極度の猫舌。熱いのは駄目だったわね、っと」
冷たい缶コーヒーを投げられ、ミシュアはベンチに座り込む。山里は煙草に火をつけて紫煙をたゆたわせていた。
「……ニューヨーク市警は目聡いのね。ここ一時間の報告をしてないのに来るなんて」
「……キャリアだけは一級品。あと勘も」
「女豹みたい、って言われない? 事件に飛びつき過ぎると、痛いしっぺ返しを食らうわよ?」
その言葉でミシュアは反省しつつも確信する。
「……契約者の動きがあったのね」
「契約の星は三つ。まだ断定は出来ないし、大体いっつも、事が終わってからしか、どの契約者が動いたのかは特定出来ない」
「……歯がゆいわね」
「とは言え、契約者がこの新市街地で戦闘行為を実行しているのは確か。……逮捕しないでいいの?」
「契約者相手には発砲を許されているわ」
缶コーヒーを振ったミシュアに山里は大仰に肩を竦める。
「おお、怖い。これだから、アメリカの方々は」
「……日本のほうが危ないって聞くけれど? トーキョーに契約者が集まって、日夜殺し合いだって」
「どこもかしこも、安全な場所はこの世界にはなくなったわね。諜報機関が幅を利かせて、各国の警察はそれに付き従うだけになっている」
「……この間の、契約者殺し」
「MA401の活動を確認。それとSV802ね。殺されたのはSV802、フリードという名前を使っていたわ。鉄を操る能力は無敵そうなのにね」
「その……フリードの身辺を洗っていると興味深い証言が得られた。彼には娘が居たと」
「その娘を追って、昼間っから契約者が? ……随分と物騒になったわね、新市街地も」
煙草の煙い吐息を吹きながら頭を振る山里に、ミシュアは確信めいた口調で言いやる。
「……恐らくはその娘が、鍵」
「そこまで調べは尽くしたけれど、そこから先に閲覧権限がかかった、か」
先回りする山里の論調にミシュアは苦笑していた。
「……知っているでしょう? 上層部は必死に契約者関連の情報を秘匿したがっている。新市街地での戦闘も、【煉獄門】が絡めばそちらの対処に追われるし……契約者を追っかけ回すのだって命がけ。……本当に、給料に見合わない仕事、選んじゃったな……」
「泣き言? らしくないのね」
「……職場じゃ、青の跳ね馬って言われているけれど、馬だってたまには休みますよーだ」
はは、と山里が笑ったところで他の研究員が声をかける。
「主任、観測霊による契約者の捕捉、完了しました……っと、公安の課長……?」
「失礼している。私はこれより職務に戻ります。主任、また、出来れば職務外で」
山里は特に気にしていないのか、気楽に手を振る。
「じゃあね。お互いに長生き出来るように」
その別れ言葉に、何それ、と失笑する。
「……老い先短いのは、この仕事ならば当然、か」
さて、とスーツの襟元を正し、ミシュアは携帯電話を取り出す。
「状況を報せて。契約者を捕捉したはず」
『課長? ……ビンゴですよ、タイミング。今、観測所から、二人分の契約者の補足情報が入って……。そのうちの一人が――』
思わぬ名前にミシュアは立ち止まっていた。
「……MA401? まさか、契約者殺しが……」
『らしいです。それと、これ、まだ未確定の情報なんですがちょっと気になる観測結果が送られてきまして。……三人分の契約者のスペクトル反応と時をほぼ同じくして、不可思議な星が輝きました。恐らくこれは……』
紡がれた言葉に、ミシュアは震撼していた。
「……急ぐ。このままじゃ、新市街地が……戦場になる」
車のキーを開けエンジンを始動させてから、ミシュアは呟いていた。
「……間に合ってよ」