DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第五十二話「心を持て余す」

 

 映写機がからからと回るのを何度か聞いてから、ミシュアは、次と促していた。

 

 すると暗幕の中に映像が投影され、問題の映像が流される。

 

 渦巻く半球型の疑似ゲートが内側から風船のように破裂し、青白い燐光をまるで心拍のように弱らせながら消滅していく映像――先刻の「重要資料」である。

 

 ミシュアは何度目か分からないそれを再生させてから、目頭を揉んでいた。

 

「……やっぱり、分からない……。どうやってMA401は……あの疑似ゲートを破壊したの……」

 

「考えても、底のない答えと言うのはあるものですよ」

 

 映写室に入って来たジキルがアイスコーヒーを差し出す。苦み走ったブラックを口に含んでから、ミシュアは、でもと抗弁を浮かべていた。

 

「底がないからって考えるのをやめていいわけじゃないでしょう。PANDORAが動いたんです。ともすれば、あの疑似ゲート一つで、ニューヨーク新市街地がなくなるかも知れなかった……」

 

「それはその通りかもしれませんね。PANDORAは強硬策を明らかに取ろうとしていた。エリック西島なる重要人物がその証……。ですが、結果としてMA401の謎の能力によって疑似ゲートは破壊され、そしてPANDORA側も大した成果は得られなかった……それが結果論なのでは?」

 

「……でも、あれは疑似的とは言え、ゲートそのものでした。だから、あれを解除すると言うのは……」

 

「ゲートをどうこうする、という帰結に繋がりかねない、ですか」

 

 言葉の穂を継いで彼女はコーヒーを啜る。同行していたエミリーは大人しくその横に付き従っていた。

 

 やはりドールなのだろうか。そう言えばドールに関して、自分はあまりに見地が乏しい。天文部の操るドールと、エミリーは何が違うのだろう。

 

 彼らはカプセルに入れられ、自律行動を押え込まれているが、山里によればそれは決して苦痛ではないのだと聞いた事がある。

 

 それくらい、ドールは自分で考え、自分の意思で実行する意思がないのだと言える。

 

 だからエミリーは元々の責務から解放され、こうして自分達と行動する事に何の疑問も持たないはずなのであるが……。

 

「……あの、彼女をこの先、どうするつもりなんです?」

 

「エミリーを、ですか? ……まぁ、ドールは放っておけば何の行動も起こしません。自分から生命維持に必要な様々な事も出来やしないのです。いや、出来ないと言うよりかはしなくっていいと考える、と言ったほうが正しいかもしれません」

 

「……それは、合理的ではないから?」

 

「契約者の合理性と、ドールの合理性はまるで別のところにあると言ってもいいでしょうが、彼女らの目線に立つのならば、そうですね……しても仕方ない、と言ったところでしょうね」

 

「しても、仕方ない……?」

 

「ドールの身分で行動しても、心が一ミリでも動く事はないし、生きていても、何かを劇的に変えられる事はない。確かに、彼女らには私達にはない力があります。観測霊と言う……。しかしだからと言って、それを最大に行使してまで、では何を望むと言うのか。ドールとはつまり、そういう存在なのですよ。契約者は力を使って得られるリターンを計算出来ますが、ドールはリターンよりもデメリットを考えてしまう。そんな事をしてまで得られるものがないのなら、動く事もない。ある意味では契約者の合理性をさらに突き詰めた存在と言えましょう。彼らにはないのですよ。欲しい物も、してみたい事も、未来永劫、ね」

 

「……未来永劫、生きていく事に気力がない……」

 

 だが唐突にそんな存在が現れた、というのはどこか不自然だ。だが記録上、ドールと契約者はゲート出現に際して、ほぼ同時期に発見されたと言われている。

 

「……ゲートとは何なのか……。私達の街に出没する【煉獄門】は、何のためのゲートなのか……」

 

 再び映像に視線を戻す。疑似ゲートは契約者の能力に過ぎなかった。だから外部からの干渉が僅かながら可能であったし、MA401の能力による破壊も成立した。

 

 しかし、では本物のゲートはどうなのか。

 

【煉獄門】を観測する研究機関はどれも保留にしている。

 

 ゲートの中で何が起こり、そして何が発生しているのか。それは誰にも分からないし、解明もしようがない。

 

「……ゲートの中では物理法則は役に立たず、全ての時は不連続に繋がっている……それが【地獄門】や【天国門】への各国の見解です。そうは言っても何も分かっていないに等しい。だから我々のようなエージェントが遣わされる」

 

「……それでも、分からないんですよね……誰も……」

 

「PANDORAでさえも【煉獄門】を持て余しているのかもしれません。だから契約難民問題も解消しない」

 

 コーヒーを呷ったジキルの言葉にそういえば、とミシュアは携帯を開いていた。

 

「ジャン。旧市街地の契約者殺しの件の進展は……」

 

『それが……また現地警察に先回りされちゃってもう封鎖線を敷かれています……。立ち回りが違い過ぎますって……』

 

『弱音を吐くなよ。ジャン、君がちょっとランチを取ってからにしようとレストランに寄ったのが悪い』

 

『少年君! 裏切るんすか! ハンバーガーセットを奢ったでしょ!』

 

『それとこれとは別』

 

 電話先から聞こえてくる部下の迂闊さにミシュアは頭痛を覚えつつも、現地警察が動いていると言う事態を鑑みる。

 

「……やっぱり旧市街地で起こっている事件は、連続性があるとしか……」

 

『あっ、それだけじゃないんです。課長、何だか妙な連中がうろついていて……』

 

 声を潜めたジャンにミシュアは問い質す。

 

「……妙、とは?」

 

『旧市街地でもあまり見ないタイプのごろつきですよ。怪しいからって職務質問も出来ないんですが、ここに来る途中に何名か……』

 

 何かが水面下で動き始めているのか。ミシュアは、警戒を怠るな、と吹き込んでいた。

 

「先んじた真似をされれば、詰むのはこちらだ」

 

『分かってますって。……少年君も、もうちょっと協力してくれないっすか? 契約者集団なんでしょう?』

 

『ぼくは必要な時に戦うだけだ。それに、君だってそうじゃないと困るはずだけれど? 契約者を引き連れているなんて』

 

『あっ、コラそういうの言うなってば! ……まぁともかく、こっちも相当にヤバいですって……。前回の疑似ゲートの資料、あれも無理やり部長に言って持って来させましたけれど、課長がそこまで奔走する事、ないんじゃないんですか? だってこっちも被害者ですし……』

 

「警察官になった時に、そんな目線は捨てている。私達は被害者ではなく、明らかなる害意を持つ者達へと対抗しなくてはいけない。そうだろう」

 

 有無を言わせぬ口調だったせいか、ジャンはまごつく。

 

『……そりゃ、理想はそうですけれど……現実はそうもいかないですよ。契約者相手に、俺達は明らかに無力なんですから』

 

「それは……そうなのかもしれないが……」

 

 今度はこちらが意気消沈する番であった。契約者相手には自分達は無力。それを全く噛み締めないわけでもない。見ないようにしていても、歴然たる事実として屹立するのだ。

 

 彼ら相手に何が出来るのか。彼ら相手に、何をもって解決とするのか。

 

 答えは出ないままだ。

 

 自分の声が沈んだせいか、ジャンは無理やり話題を盛り立てようとする。

 

『で、でも! 課長はいつだってマジじゃないですか! ……俺、そういう課長だから部下やってんのもありますし……課長なら絶対、MA401も追い込めますって!』

 

 ジャンなりの不器用な励ましにミシュアは笑いかける。

 

「……そうか。相当参っているように映っているようだな。よっし!」

 

 頬を叩いたせいで通話先のジャンがびくついたのが伝わる。

 

『か、課長?』

 

「いや、らしくなかった。ジャン、お前は現地警察を押さえておいてくれ。傍から見ても明らかな越権行為なら取り締まれる。何よりも……契約者が次々と死んでいるのは気にかかる。その事実に、どうして彼らが介入するのか。情報が欲しい。出来ればリアルタイムで」

 

『……お供しますよ。俺はこっちで見渡しておきますんで、課長はゆっくり休んでいてください。今は、前回の疑似ゲート案件も落ち着いていませんし』

 

「そうだな。……私なりに出来る事をしたい。ジャン、ついて来てくれるか?」

 

『……言ったっしょ? お供しますって。伊達や酔狂で課長の下にはつきませんよ。青の跳ね馬らしくない』

 

「それ、今の私に言うか? ……まぁいい。減らず口の叩けるうちにはまだ見込みがある。ジャン、そっちは頼んだ。私は、部長からPANDORAへの渡りをつけてみる」

 

『……危な……とかは言えませんよね。焚きつけておいて。いや、頑張ってください。俺も少年君と調査を進めますんで』

 

『何度も言わせないでくれ。君よりも年上だ、ぼくは』

 

 と、その時携帯をジキルが引っ手繰り、声にしていた。

 

「ジェッツ。そこから見えている物だけが真実じゃないかもしれない。気を付けてくれ。それに、エミリーの観測霊を飛ばしておいた。これでもしもの時には連絡を」

 

「あっ、何をするんです! ……すまない、ちょっと取られていた」

 

『いえ、いいですけれど……。そいつ、当てになるんですか? だって元々の任務はもう遂行したんでしょう? ……あんまし少年君の前じゃ言わないですけれど、本国から帰国命令とか出てないんですか? それとも、先の疑似ゲートの件で継続捜査だとか……』

 

『お喋りだな、君は』

 

 いつの間にか近づかれていたのか、通話先でノイズと共にジャンが大仰に驚いたのが伝わる。

 

「ジャン? ……まったく何をやってくれているんだ……」

 

『いえ、すいません……。ったく、近づくんなら声の一つでも……あ! こっちはしっかり仕事しますんで! じゃあ失敬します!』

 

 ぶつり、と通話が切られてミシュアは眉根を寄せる。

 

「……忙しないな」

 

「失礼、レディロンド。ついつい話に割り込んでしまった」

 

 微笑んで反省の色も見せないジキルにミシュアは言い含ませていた。

 

「……私の態度次第なら、協力姿勢に一家言ありますよ?」

 

「すいません、一応、観測霊を飛ばした事は言っておかなければと思いまして」

 

「観測霊……」

 

 エミリーが飛ばしている観測霊は煙を触媒とすると言う。ちょうどジキルの淹れたホットコーヒーの湯気が外気の漏れる通気口付近へと置かれていた。

 

 観測霊に関しては分からない事のほうが多い。

 

 こうやって目の前で飛ばされたと言われても、まるでさっぱりだ。

 

「……私は疑似ゲート案件に関して、上層部に掛け合ってみます」

 

「話にありましたね。ですが、可能なのですか? PANDORAとの蜜月次第では、あなたの身も危うい」

 

「ご心配なく。自分の身は自分で守りますので」

 

「……強いお人だ」

 

 どこか感服したように息をついたジキルはその喪服のベールを下げる。

 

「私は、ではエミリーと共に周辺警戒にでも出ましょうか。もちろん、警察署から許可なく出たりはしませんよ? あなた達との協力体制は守りたいですからね」

 

 どこか虚飾めいて聞こえて、ミシュアは嘆息を漏らす。

 

「……あまり困らせないでくださいよ」

 

「それは心得ています。……ああ、レディロンド。一つだけ、いいですか?」

 

 立ち去り際に声にされてミシュアは振り返る。ジキルは唇の前で指を立ててから、静かに尋ねる。

 

「ミス401MA……煉獄の契約者を、目の当たりにした感想をお聞きしていなかった」

 

 ミシュアは暫時押し黙る。ニューヨークの赤ずきん、契約者殺し、そして煉獄の契約者……数多の逸話と死の気配を纏った契約者の実像を前にして、自分は……と掌に視線を落とす。

 

「……不思議でした。いえ、もちろん、思ったよりもその姿が幼かったのもあるのですが……私は彼女と……出会えば殺し合うのだと思い込んでいた。それはきっと、心の奥底のほうで。でも突きつけた銃口を、私はどこか躊躇ってしまった。あのまま撃ち込む事も出来たのに、牽制射撃も出来ないまま……」

 

「それは悔恨ですか?」

 

「いえ……っ、そういうのとは別の……。何とも言えない気持ちに支配された感じです。可笑しいですよね。私は、あの契約者を、場合によっては射殺するのだと規定してきたのに、いざ目の前にして何も出来なかった……」

 

「いえ、可笑しくはありませんとも。それがきっと、レディロンド。あなたが人間である証明でしょう」

 

「……それは合理的でないと言う意味ですか」

 

 合理的な契約者ならば、あの時に撃てていた。千載一遇のチャンスだったのに。

 

 ――でも撃てなかった。それが全てだ。

 

 ジキルは馬鹿にするわけでもまして迂闊さを嗤うわけでもなかった。

 

「いいえ、私達に持たぬ物を持てている。誇るべきです、あなたは。その心を、失わないように」

 

 まるで自分はその資格を永劫失ってしまったかのように。

 

 その言葉を潮にして彼女はエミリーと共に立ち去っていた。

 

 

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