DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第六章「紅柘榴の幻像はたまゆらに漂う…」(後編)
第五十四話「幻像をすがる」


 

「受動霊媒に、判定材料はない」

 

 口にした言葉に対して伊達男は旧市街地を眺めつつハンドルを切る。

 

「それはどんなドールでも、か?」

 

「ああ、そのはずだ。だからこそ、受動霊媒と呼ばれている。彼らが能動的になる事はあり得ない。それほどまでに、ドールと契約者はかけ離れている。契約者は合理性に反すれば、それは実行しないが、ドールは最初からだ。最初から、判定材料は存在しない。動く事そのものに関して、意味がないと考えているんだ」

 

「天国戦争でいくつものドールを見てきたクチか」

 

 B8は後部座席に乗り合わせた少女ドールをバックミラー越しに見やる。彼女は瞳を伏せ、その鏡面のような眼差しを投じていた。

 

「天国戦争ではドールは主に索敵、そして情報収集のために用いられた。ゆえに、消耗品であったとされている。……わたしの居た部隊でもそうだった。ドールを相手に情報を集める以外の選択肢は存在せず、そして彼らは得てしてドールを居ないもののように扱う。観測霊を飛ばすためだけの代物であり、それ以上は誰も求めていない」

 

「もったいないな。見た目だけなら上玉も居ただろうに」

 

「……契約者に、そういう思考回路は皆無なのさ」

 

 ドールを慰めものにするような契約者は居なかった。それは合理性に反するからだ。

 

 ドールはドールであり、契約者は契約者。それは明瞭に分けられており、誰もその領分を侵す事は儘ならぬ。

 

 それはこの旧市街地でも同じのようで、そこいらをふらつく浮浪者の中には明らかに人間でない者も見受けられた。

 

 何せ、彼らはこちらの操る観測霊をちらちらを覗くのだ。それが契約者である証なのだが、今日の寝食さえも満足でない彼らにはわざわざ干渉するのも意味がないのだろう。

 

「……契約難民。まさかこれほどとはな」

 

「さっきから俺の車をちらちらと見ているな。そんなに珍しいか? 一応は一級品のスポーツカーではあるが」

 

 一般的な人間からしてみれば、観測霊を見ているのだと言う観点は存在しないか。

 

 B8は分かり合えないものだ、と結論付けて周囲を見張る。

 

「……契約難民も、能力がつかえないわけではないはずだ。それなのに、我々に取り入るわけでも、ましてや現地で何か行動を起こすわけでもないのは、それが合理的ではないからだろう」

 

「確かにここに居る連中みんなが契約難民だって言うんなら、デモの一つくらいは起こせば政府転覆くらいは出来そうなのにな。それはしない、か」

 

「合理的じゃない。たとえ政府転覆が出来たとしてもその先、誰が導く? 契約者は自ら指示者になる事はない」

 

「誰かを率いるのも合理性に反する、か。なかなかに契約者も生きづらそうだ」

 

「実際、生きやすい世の中ではないがね。……待て。観測霊が動いた」

 

 車両が止まる。こちらを窺う伊達男に、B8は言ってのける。

 

「……この感じ、昨日の観測霊の持ち主が近くに居るな……」

 

「降りるか? ドンパチやるのは嫌いじゃない」

 

「ここは待て。わたしが探る」

 

「やれるのか? 敵が見えるって言うんなら……」

 

 車を降りたB8は行き過ぎる路面電車を視野に入れていた。

 

「……ドールが自分から逃げるわけはない、か。放ったはずのごろつきがきっちり作用しているのならば……」

 

 路面電車が道を遮った瞬間、先ほどまでそこに居なかった人物が佇む。

 

 静かに赤いレインコートをはためかせる人影にB8は息を呑む。

 

「……被害が出ない場所まで。ニューヨークの赤ずきんだ」

 

「まさか……! こんなところで遭遇だと! クソッ、一括で買ったんだぞ、この車……!」

 

 徐行運転する伊達男に比して、B8は落ち着き払っていた。

 

「どうした? お前もあのドールを追っているクチか?」

 

「……こちらのドールに何をした」

 

「何も。少し観測霊を阻害してやった程度だ。しかし……お前の傍にも観測霊が居るな。あのドールがもしもの時の安全装置として置いていた、別の観測霊か」

 

 赤ずきんの傍で観測霊が燃え立つ。しかしこちら側にも観測霊は囚われている。ハッキングを受ける前に分離したか。いずれにせよ、赤ずきん側の観測霊さえ奪ってしまえば相手に捕捉の機会はなくなる。

 

 B8は姿勢を沈める。身体がランセルノプト放射光に押し包まれ、直後には質量を希釈化させて加速に入っていた。

 

 眼前に迫った自分へと赤ずきんの契約者がクナイを振るい落とす。弾き返す勢いで放ったのは手刀であった。

 

「……素手で……!」

 

「嘗めるな、ニューヨークの赤ずきん。超加速さえ使えばただの手刀でも刃と化す」

 

 しかしあまり接近戦はよくないな、と直感的に悟る。蹴り上げて相手をよろめかせ、B8は躍り上がっていた。

 

 その躯体へとワイヤーが伸ばされ、捉えようとするが両手を翼のように広げさらに高空へと飛翔する。

 

 ワイヤーの反発力を利用し、B8は飛び上がって舞い降りる。

 

 着地するなり肉体をさらに希釈化させ、B8は駆け抜ける。クナイが頭部を射抜く軌道を描いたが、貫いたそれを確かめつつも握り締める。

 

「希釈化した身体は物質攻撃を無効化する。それでも、やるか?」

 

「……無論だ」

 

 相手の身体も青白い光を帯び、能力を行使しようとする。B8はワイヤーを指先で弾き、身体の軸から外す。

 

 纏った輝きをそのままにワイヤーが電柱に纏いつき、そのままコンクリートの柱を融解させていた。

 

「……なるほど。熱の融点を操るのか、あるいは熱そのものを……。だがいずれにせよ、お前みたいな契約者は天国戦争じゃごまんと居たさ。何百人と見たクチだ。今さら驚きもせんよ」

 

 質量を限りなく低減させ、B8は跳躍していた。手刀をそのまま赤ずきんへと打ち下ろす。相手は半身になってかわしたが常人の回避速度ならばこちらの返す刀の手刀までは避けられまい。

 

 その眼前に迫った一撃を、相手はクナイを翳してずらす。

 

 弾かれ合い、互いに距離を取った形となった。

 

 クナイを確かめた赤ずきんは、刃毀れを確認し、舌打ちと共に投げ捨てていた。

 

「ただの手刀が武器になる。それが超加速だ。さらに肉体の質量を低減、そして存在の希釈化……通常の物理攻撃はわたしには効かんとも。それでも、やるかね」

 

 赤ずきんは短く息を吐き、こちらへと駆け抜ける。

 

 恐らくは接近は相手の望むところ。だが、それでも太刀筋は見え透いている。ワイヤーを投擲した相手の挙動にB8は跳ね上がり、そのまま飛び膝蹴りを赤ずきんの頭部へと打ち込もうとしてハッと背筋が粟立ったのを感じ取る。

 

 咄嗟に地面に手をつき自身の軌道を変える。

 

 地を這って気配を殺したワイヤーが蛇のように鎌首をもたげ、先ほどまでのB8の軌道上に出現していた。

 

 中空で絡まり合い、能力を行使させる。

 

 スパークしたランセルノプト放射光に、なるほど、とB8は納得する。

 

「……嘗めているのはお互い様だったか。しかし、解せないな。あのドールを何故守ろうとする? それは契約者の合理性に反するのではないのか?」

 

「……私は何かを守るなんてお題目は掲げない。殺すべき相手を殺すだけだ」

 

「……なるほど、合理的ではある」

 

 しかし、とB8は臨戦体制を解いていた。こちらから殺気が凪いだのを感じ取った相手が次手に移る前に、B8は横滑りしてきたスポーツカーのボンネットの上に乗り上げていた。

 

「だが合理的がゆえに、ここでの勝負は預けよう。負ける気はしないが勝てる気もしないのでね」

 

「……待て……」

 

 ワイヤーが追撃するが急発進した伊達男のスポーツカーの速度に相手は追いつけない。伊達男は口笛を吹かしていた。

 

「あそこまで挑発するかね、普通。それも合理的じゃないんじゃないのか?」

 

「乗せてやればいくらでも乗ってくる。……また追って来るぞ」

 

「確信か? どっちにせよ、明瞭な敵意って奴だけは分かるとも。……しかし戦っているところを直に見たのは久しぶりだな。……そろそろヤバいんじゃなかったのか?」

 

「ああ。……来たな。幻影だ」

 

 景色がぐにゃりと歪んでくる。対価を払う時だ。

 

 幻想の中に入ろうとする自分へと伊達男は静かに口にしていた。

 

「安全運転は心がけるとも。ゆっくりと夢の淵へと、入っていくといい」

 

「……ああ、そうさせてもらう……」

 

 直後には、意識は遠のき、目の前で駆け回る少女を視野に入れていた。

 

 ――ああ、ここが、と木目造りのチェアに腰かけ、自分は息をつく。

 

「あなた、仕事続きじゃない? 大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だよ。それより心配をかけさせた。……悪いと思っている。この子とも遊んであげていないな、最近は」

 

「出張で忙しいんだから。無理はしないでいいわよ」

 

 そう言ってくれる妻の声に半ば甘えつつも、自分は少女へと歩み寄っていた。

 

 少女は習い始めた裁縫を試し、テディベアの足首を直している。

 

「上手になったじゃないか。これはパパの魔法は要らないかな」

 

「いーやっ! パパの魔法じゃなきゃ直らないの!」

 

「分かったから。ぽこぽこと殴るのはやめてくれよ」

 

 少女はむくれて裁縫を行う。どこか危なっかしい手つきに戦々恐々としていると、やはりと言うべきか、針で指を刺したらしい。

 

 血の玉が滲み出したその指先へと絆創膏を巻こうとして、少女は首を振る。

 

「いいっ! パパの魔法で直してもらうんだもん!」

 

 どこか意固地な声音はもしかすると反抗期の始まりかなともさえ思わされる。少女は指先を自分で舐めてから、また針仕事を始める。

 

「……一人でもやるんだって聞かないんですもの。……あなたも少しは遊んであげて」

 

「ああ、それは分かっているんだが……なぁ、ガーネットは何て言っているんだ?」

 

 テディベア――ガーネットを慮ると、少女は笑顔を咲かせた。

 

「あのねー、ガーネットは私に直してもらうのがいいんだって! パパの魔法がなくっても……多分、平気……」

 

「嘘は駄目だな。……しょうがない。来なさい。ガーネットと一緒にパパの魔法にかけてあげよう」

 

「やった! パパの魔法っ!」

 

 抱き着いてきた娘のぬくもりを感じ取り、自分は魔法をかけるイメージを伴わせる。

 

 そう、物心ついた時から、どうしてなのだか分かっている「魔法」。誰かを抱き締める時に、こうして抱き締めれば、きっと思いは伝わるのだと知っている。

 

「パパの魔法……あったかいね……」

 

「ガーネットを直してあげよう。足首のところだったね」

 

 ほつれた糸へと触れてやると、その瞬間、糸が巻き戻ったように縫合され、テディベアの足が修復される。

 

 少女は呆然としていたが、やがて大輪の笑みを咲かせてくれていた。

 

「パパの魔法! すっごい!」

 

「こんなの、魔法でも何でもないさ。ちょっとだけ得意なんだよ」

 

「でも、私にとっては魔法っ! パパだけがつかえるんだよね?」

 

「ああ、パパだけが、この魔法を――」

 

 そこで不意に言葉を詰まらせる。この魔法……月明りの光を思わせる輝きを、つい先ほど、自分は知っていたのではないのか。

 

 唐突に網膜の裏で焼き付いたのはいくつもの人影とそして……青白い輝きを灯らせる存在達であった。

 

 頭痛を覚え、蹲った自分へと少女は窺う。

 

「パパ? ママ! パパが……!」

 

「まぁ、どうしたの? ……どこか悪いの……?」

 

「いや、違う……何で、この場所にまで……」

 

 網膜の裏で明滅する「彼ら」はこの世界には干渉出来ないはずなのに。それなのに今は明瞭に像を結んでいる。

 

 彼らは――契約者。

 

 そして自分の、魔法そのものも……。

 

「この力は……契約能力……?」

 

 だがそんなはずがない。自分の力は、虐殺のためにあるこんな力などでは。

 

 よろめいた瞬間にフラッシュバックしたのは彼方の戦争の記憶であった。

 

 紅蓮の炎の中をランセルノプト放射光を滾らせた殺戮兵達が踏み進む。

 

 蹂躙の記憶が視界を埋め尽くし、彼らの能力を相手に、自分は走り抜けていた。これはかつての戦場の記憶。凄惨を極めた、契約者同士の喰らい合い。

 

 空間を引き裂く刃を掻い潜り、自分は質量希釈と超加速で肉薄していた。

 

 その人影の首の骨を折ろうとして、ハッと気づく。

 

「……お前は……」

 

 もう遅い。実行された攻撃に、頸部を打ち砕かれていたのは――幻想の中で目にする妻の形相であった。

 

 叫びと共にB8は現実へと引き戻される。

 

 酷く動悸が早い。それでいて、背中にはじっとりと汗が滲んでいる。

 

「ど、どうした? お前らしくもない。……対価を払っていたんだろう?」

 

「ああ、そうだ、ここは……」

 

 ニューヨーク旧市街地を行き過ぎる車内で、B8は先ほどの幻想を反芻する。

 

 こんな事は、今まで起こり得なかった。しかし、どうしてなのだか、対価の中に映り込んだ天国戦争の末路は、これまで以上に、どうしてなのだかリアルだ。

 

「……まるで、こちらが本当の対価だとでも言うように……」

 

「……大丈夫か? 具合が悪いのなら、作戦の見合わせも検討するが……」

 

「いや、問題ない。……戦闘機械に、そのような事は些末なはずだ」

 

 そう、些末なのだと、自分に言い聞かせなければ、この時ばかりは幻像を振り払えなかった。

 

 

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