DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉― 作:オンドゥル大使
『逃がしたのは失態だぞ、紅』
ブルックの声が頭上よりかかり、夜都は赤いレインコートを翻させてポケットに仕舞っていた。
「……相手は天国戦争の生き残りだ。仕損じる事もあり得る」
『そうであっては困るんだ。……ガーネットの動きが奇妙に映る。先ほど、俺が捕捉した時……あいつはお前の表向きの顔を知る連れと一緒に居た』
その言葉に夜都は瞠目して振り仰ぐ。
「……アリスと? 何で……」
『こっちにも分からん。だが分からんなりに考えが及ぶとすれば、それはお前の連れが踏み入ってはならない場所に踏み入って来たのではないか、という懸念だ』
アリスが、裏側に精通してきた? 冗談にも等しいが契約者とゲートを追っている以上、あり得ないと棄却も出来ない。
『……どうする? 紅。お前の顔が割れている以上、ガーネットと直接会ってどうにかすると言う手段は難しくなった。しかし、敵も相当な使い手を忍ばせてくるじゃないか』
「……何か新情報でも?」
『組織のサーバーに繋ぐとあいつはすぐに出てきた。天国戦争の生き残り、B8、その手腕も。……そして契約対価でさえもな』
どこか声に翳りを見せたブルックに夜都は、どうせロクでもないのだろう、と察する。
「……契約者の対価なんて、どれも大した情報じゃない」
『いや、俺達からしてみればそれこそ、千載一遇の好機がその対価なんだ。B8は“夢”を見ると言う』
その言葉振りに夜都はすぐさま否定する。
「……契約者は夢なんて見ない」
『そういう原理的な夢ではなく、そうだな……これは一般的には妄想の類だろう。数分間の虚脱状態における幻視を確認した、と奴の所属していたチームから割れている。つまり、その数分間のみ……』
「……奴は無防備になる……」
赴くところを理解した夜都にブルックは指令する。
『……紅。契約対価を払っている最中に狙う事は……』
「……難しいと思う。契約者同士ならば特に」
戦闘中に対価を払わなければならない、強制引き落とし型の対価でない限りは、支払いを引き延ばす事は可能だ。
ゆえに、B8を正面切って倒すのならば、対価の発動中に狙うのは「自分では」難しいだろう。
『……やはりそうか。ならば作戦をBプランに移行させる』
「ブルック。その“夢”とやらは、どういう代物なんだ?」
『気になるか、やはり』
「……契約者は夢なんて見ないからだ。だからこそ、それでも夢と言い張るのならばそれなりに関係があるのだろう。B8……あの男の過去と……」
『……追跡しながらにしよう。ここで悠長に喋っていても、ガーネットを抑えられれば終わりだ』
「……確かにその通り」
今の自分達はそうでなくとも下策を打っている。ガーネットを連れ戻し、自分はB8との決着を。早期にケリをつけなければ禍根を残す。
しかし、と夜都は周囲を見渡していた。
浮浪者達がゆらりとした足取りで集まってくる。先の戦闘を見られたのだ。契約者相手に、今はホームレスに堕ちた身でも感じるものがあるのかもしれない。
「……契約難民……」
彼らの一人が声を放とうとした、その時であった。
サイレンの音が鳴り響き、パトカーが横付けに停車する。契約難民達は我先にと散って行ったが、彼らの背中をパトカーより現れた女性警官は追うでもない。
自分へと真っ先に駆け寄って声をかけていた。
「……大丈夫? こんなところ、一人で来るもんじゃないわ」
青いスーツをびしっと着込んだ女性警官は懐へと手を入れる。その動作だけで浮浪者達が離れて行った。
「……警察組織だって、こういう時には役に立つものね」
ブルックが音もなく飛翔し、電線に掴まって遠ざかる。自分はその視野を意識しつつ、女性警官相手にうろたえる。
「あの……あなたは……?」
「ニューヨーク市警の警官よ。名前はミシュア・ロンド。……それよりも、何でこんな場所に? ここは旧市街地よ?」
詰問に夜都は首を引っ込めて縮こまりかけて、ミシュアと名乗った相手の疑問符を聞いていた。
「あら? もしかして……どこかで会った事、ある?」
「……いえ、その……。ないと思いますけれど……。私、日本の留学生で……」
そこでミシュアがあー! と声を張り上げる。まずい、正体が露見したか、と構えた夜都に比して放たれた言葉は意想外であった。
「……この間の事件の……。ほら、覚えていない? 話を聞いていないかって、部屋の前まで行って……」
その時に顔を合わせただろうか。自分はあまり印象にはなかった。
「……いえ、そんな事……ありましたか?」
「うんうん、あったよ、あった。このご時世に日本人の留学生だもの。間違いない。……えっと、じゃあ何で、この旧市街地に? あなた、確か新市街地のアパートに居たわよね?」
住居まで割れているとなれば自分は猫を被るしかない。夜都は人畜無害な留学生を演じていた。
「……あの、よく分からなくって……。ちょっと遠出するだけのつもりだったんですけれどでも、路面電車の行先とか、知らないから……」
「あー、確かに。路面電車で寝過ごせばここまで来ちゃうか……。でもそうなると、余計に元の場所に戻るのは難しいわよね。乗っていく? 今なら、何とかなるし」
パトカーを示され夜都はやんわりと断っていた。
「いえ、そこまでしていただくのは……」
「でも危ないし……女の子一人でしょ? 旧市街地は……浮浪者がね。さっきみたいに囲まれたらお終いよ? そうじゃなくっても、ここいらは頭の痛くなる案件が……。あー、そうだった……。私もその頭の痛い案件に来たんだったわ……」
額を押さえるミシュアに夜都はそっと窺う。
「あの……大丈夫ですか?」
「いや、心配していただくのはありがたいんだけれどでも、ここは、ね! 大人なんだからしっかりしないと! ……でも、ちょっとすぐには送れないかな。ここで用事があるの。パトカーの中で待っていてくれる? そうすれば終わるから」
一秒たりとも無駄には出来ない。そうでなくとも、ガーネットの行方は分からないのだ。アリスの目撃証言もある。このまま時間を浪費したくはない。
「いえ、大丈夫ですから……っ。路面電車に乗れば、そんなに難しくは――」
そこまで口にしたところで不意に視界に入って来た一団にミシュアが振り返ってこちらを庇う。
「……離れないで。現地警察……」
どこか因縁めいた声音にミシュアはつかつかと歩み寄り、水色の腕章をしている集団へと声を投げていた。
「ミシュア・ロンド。リッター刑事を頼みたい」
「デカ長を……? おい、この女、何者……」
「何だ、誰かと思えば、いつかのニューヨーク市警の花形さんじゃありませんか。何の御用で?」
「……例の案件で来ました。噂の限りではまだ殺しは続いていると」
リッターと呼ばれた肥満体の男は鋭い眼差しでこちらを睨む。
「……民間人が居るようですが」
「彼女は日本の留学生。迷い込んだみたいなので保護しています」
「保護、ね。旧市街地を信じていないのなら、そもそも干渉せず、が基本のような気もしますが」
「信は置きたいのです。しかし事実として、それは難しい状況になっている」
リッターは葉巻をくわえて火を点ける。煙い吐息を吹き付け、彼はこぼしていた。
「またホトケです。例の……と言えばいいでしょうが」
「何か進展は?」
「……保護しているそのお嬢さんが邪魔ですな」
ミシュアは一瞥を振り向けた後に、パトカーへと顎をしゃくっていた。
「今は、不本意かもしれないけれど、あそこに居てくれる? すぐに新市街地に送るから……」
「あ、はい……。じゃあ、その、待っていますね……」
夜都はパトカーの後部座席へと乗り込む。瞬時に視線を走らせ、無線機へと張り付いた観測霊を目にしていた。
観測霊そのものはあのリッターなる男の煙草から出現し、そのまま煙の行方を辿ってパトカーまで至っている。
自分の身柄を知られるのは単純に旨味がない。
夜都は観測霊がこちらを察知する前にパトカーから駆け出していた。
幸いにしてミシュアもリッターも気づいた様子はない。今ならば、と見知った道順を辿り、夜都はセーフハウスへと逃げ込んでいた。
コーヒーを抽出させながら、次手を講じる。
「……どう考えても、これは好転してない。このままじゃ、あの契約者を倒す手立ては失われてしまう」
黒々とした液体にシュガーを三本入れ、夜都は口を付けていた。
敵対契約者ならば早々に排除すべきだ。ブルックの論調ならば、契約者同士の正面を切った戦いよりも、遠距離からの騙し討ちのほうが性に合っていると思われる。
「……ともすればグレイは汚れ仕事に就くか。だがどちらにせよ、あの契約者……B8ともう一度真正面から戦わなければならない」
その時、勝てるのか。まだ算段はついていないが、全くの好条件に恵まれていないわけでもない。
相手の弱点はある程度露見している。
このまま力比べではなく、一発でも攻撃が届けば、逆転の芽は残っているだろう。
夜都はコーヒーを呷り、セーフハウスの外を眺めていた。
旧市街地で浮浪者達が一定のリズムで生活を刻む中で、先ほどのリッターと同じ、水色の腕章の者達が調べを尽くしている。
「……あれが、件の現地警察と言う奴か」
案外、旧市街地で出くわした事はない。彼らは自警団のようなものなのだが、そのやり口に非合法的なものが見られるため、ニューヨーク市警とは反目しているはずだ。
だと言うのに、何故ミシュアはその頭目らしき男と会ったのか。不明な点は数多いが、何よりもあまり出歩けない事が痛い。
今頃、ガーネットが何をしているのかはまるで掴めない。ともすれば、アリスに情報を流しているのかもしれない。
そう考えると落ち着かず、夜都は窓から鉄骨を伝って飛び降りていた。
音もなく着地し、旧市街地の裏通りから、新市街地を目指す。
「……戦場になるとすれば新市街地、か……」
胸中に紡いだ言葉に、苦々しいな、と感じていた。