DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第五十九話「星霜を追う」

「……以上だ。何か質問はあるか?」

 

 打ち明けられたガーネットの過去に、紅は言葉を失う。ブルックも絶句しているようであった。

 

『……まさか。運命のいたずらにも程があるだろう? ガーネットの、実の父親だと言うのか。あの契約者が』

 

「確定した事実だ。組織からはガーネットがもし、相手へと離反した場合、即座に始末しろと厳命が下っている。ガーネットはこれまで、数多の苦難を乗り越えてきた特上のドールだ。あれを手離すのは惜しいが、相手に利用されるのよりかは遥かにマシだろうさ」

 

「……ガーネットの意思はどうなる」

 

 返した言葉にグレイは肩を竦める。

 

「ドールに自由意思なんてあると思うのか? 紅。プログラムされた事を着実に守るだけの、受動霊媒だ。心をとうの昔に失っているガーネットを殺す事には躊躇うな。ただ単にそういうカタチをしたものを破棄するんだと思え」

 

 グレイの言葉には淀みがない。それこそが組織の決定なのだろう。

 

 ――知り過ぎたドールは消せ。自由意思なんてドールには介在しない。

 

「……なるほど。合理的だ」

 

『だが、紅……。今回の場合、あまりにも偶然が過ぎる。組織は分かっていて、ガーネットを配備したんじゃないのか?』

 

「あんまり勘繰るなよ、ブルック。賢しい契約者は嫌われるぞ」

 

 踏み込み過ぎるな。ここが分水嶺だ、とグレイは告げている。

 

 ガーネットを生かすか、殺すか。それらの意思決定権はもう自分達にはない。

 

「……僕だって、今回に関しちゃ、悲劇だとは思っている。だが組織に反すれば僕らは消される。軽く思っちゃいないんだ、それくらい。ガーネットは紅、それにブルック、僕らの事をあまりにも知り過ぎている。これ以上の情報は与えて損する事はあっても得する事はないんだ。このニューヨークで【煉獄門】を張り続けるのなら、切り時くらいは覚えておいたほうがいい。使い物にならないドールは破壊しろ。それだけだ」

 

 断じた論調にブルックが渋る。

 

『……だが今も……ガーネットは俺達に示し続けている。燃え盛る観測霊が、その証……』

 

 紅は傍らに視線を振り向ける。ガーネットの観測霊の一部が今もまだ自分と共にあるのは、理由があるはずだ。

 

 グレイは舌打ちを滲ませていた。

 

「……見えないってのはこういう時に腹が立つ。だが観測霊が聞いているって言うんなら、話は早いはずだ。もう覆せなところまで来ているんだよ。ガーネット、僕には観測霊は見えないが、聞いているのなら覚悟を決めてくれ。君はもう、死ぬしか道はない」

 

 残酷であるのは百も承知であろう。だが、その決定は自分達より遥かに高次元の意思決定で決められたものだ。現場で動くエージェントにこれ以上の譲歩はない。

 

 ――要は、呑むか呑まないか。

 

 ガーネット自身に問いかけている分、まだ人道的だと組織は思っているはずであろう。

 

 しかし紅は、静かに歩み出していた。

 

『どこへ行く? 紅』

 

「……ガーネットが呼んでいる。私に、来いと」

 

「芋女。やめておけ。自分の手でガーネットを始末する覚悟も持ち合わせていないのなら、場を掻き乱すだけだ。それに、お前はB8に勝てなかった。奴の対価は質量希釈に伴う、存在そのものの消滅。放っておいても自滅する契約者だ。別段、リスクを踏んで殺す事もない。ここでの議論は、ガーネットを殺せるのか、それだけだ」

 

「……会って決める」

 

「話し合いなんて無駄だと思うがな。ガーネットはB8が実の父親である事を覚えてるのかいないのかも分からない。それに、B8自身も、だ。もし……万に一つも、その記憶が戻ったとして、じゃあガーネットを保護するかどうかは分からないんだぞ。自分へと繋がる明らかな弱点だ。合理的に判断すれば、排除しても何らおかしくはない」

 

 そう、合理的に判断するのなら、B8が自身の弱点をいつまでも保持しておくはずもあるまい。

 

 ガーネットは既に命の危機にあるか、あるいはもう廃棄寸前まで追い込まれているかの二つに一つだろう。

 

 だが、紅は傍らで未だに燻るガーネットの光の観測霊を視野に入れていた。

 

「……まだ私達を見限ったわけじゃない」

 

「ドールだ。どう捉えていても不思議じゃないし、MEを使われれば強制的な記憶置換もあり得る。僕達と一緒に戦っていたなんて、ガーネットは思う間もなく、相手の手中に収まるだろうさ」

 

『……紅。残念だが、俺もある程度まではグレイと同意見だ。それに、相手が悪過ぎる。お前でも勝てなかった契約者だ。無策で飛び込む事もないだろう』

 

「……勝てればいい。勝てば文句はないはずだ」

 

「大きく出ているが、勝算もない。これまで負け戦を繰り返してきた契約者の言葉とも思えないな。……客観的な事象を基にして言えば、天国戦争の生き残りの契約者なんて真正面から相手にするのはどうかしている。それとももう命が要らないのか?」

 

「……どうとでも捉えるといい。私は、行く」

 

 ガーネットの観測霊が道を指し示し続けている。彼女の灯火が生きているという事は、諦めていい言い訳にはならない。

 

 覚悟を決めたその背中へと、グレイの言葉がかかる。

 

「……殺すのなら、下手な情は抱くなよ。ドールなんて生きながらにして、死んでいるようなものだ。契約者以上に、何の期待も持つんじゃない。ただの人形なんだからな」

 

 確かにグレイの言葉も分かる。

 

 ただの人間からすれば、どちらも化け物に違いない。情を抱くなんて、あり得るはずもないのだが……。

 

『……待て、紅。行くのならば同行する。お前だけじゃ、どうにも危なっかしい』

 

 止まり木から飛び立ったブルックに一瞥を振り向け、紅は街並みを駆け抜けていた。

 

 ワイヤーでビルからビルへと飛び移り、視界を切り抜け、ガーネットの呼び声一つを信じて跳躍する。

 

「……ガーネットは、私達を信じている……」

 

 その言の葉を一つ胸に抱き、紅は観測霊の導きに委ねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も追ってくるまい、と思っていたが、案外に自分も甘いな、とB8は自嘲する。

 

「……本来ならば、弱点に当たる。契約者として事を続けるのならば、わたしはお前を殺すべきなのだろう」

 

 しかし、とB8は旧市街地の一角にあつらえた廃ビルの一室で頭を振っていた。

 

 埃の被ったソファに身を委ねた真里菜はだが、自分の事など見えていないかのように虚ろな眼差しを投げている。

 

 その瞳へと自分は問いかけていた。

 

「……真里菜。馬鹿に映るだろう? わたしは、約束一つ、守れやしなかったよ……」

 

 南米から必ず帰ってくると、そう約束して旅立ったと言うのに、こんな街中のどん詰まりで再会するなんて思いも寄らない。

 

 その手へと自分の手を重ねようとして、B8は躊躇っていた。

 

「……真里菜の指は、昔から変わらないね。あの幻像の景色のままだ。わたしにねだったそのテディベアも……変わらないのだね」

 

 何度も自分が見繕った紫色のテディベアを、真里菜は手離さない。それは恐らくドールとして刻まれた記憶であろう。

 

「真里菜」としての存在理由ではないはずだ。

 

 だが自分は、その意味を問い質していた。

 

「……わたしを、覚えていてくれたのか?」

 

「……分からない」

 

 ドールらしい答え。ドールとしか思えない応答。

 

 無機質で、そして人間味なんて一分も存在しない、ただの受動霊媒。

 

 それでもB8は真里菜を抱き留めていた。

 

「……何年も、あの幻像を見る度に、わたしは後悔していた。何で手離してしまったのかと……。あれを対価だと、信じて疑わなかったのは、もう得られないのだと感じていたからだ。だが、こうして出会えた……」

 

 しかしこんな束の間の安息も長続きするはずもない。組織は自分を消すべくして追ってくるであろうし、それは真里菜をドールとして使っていたニューヨークの赤ずきんを擁する組織も同じはずだ。

 

 機密情報を持つドールを、闇雲に放つはずもない。

 

「……だが、どうすればいい? わたしはもう、お前を永遠に失うか、それか自分の契約者としての矜持を失うかのどちらかしかない。……思えば、南米で出会ったあの琥珀色の瞳の女はこの再会を見透かしていたのかもな……」

 

 最悪の形での再会。もう手離すまいと思っていても、刻限はやってくる。無情にもその足音は近づいているのが分かる。

 

 B8はテディベアのほつれに気づいていた。

 

 そっとほつれ目に手を乗せ、幻像でやっていたように修復する。

 

「……魔法なのだと、お前は言ってくれていたね。だが、これも契約能力だった……。わたしの存在を薄めて、特定の存在を濃くするだけの……自己犠牲に過ぎなかったんだ」

 

 テディベアのほつれ目が消失し、修復されたそれを真里菜へと差し出す。

 

 彼女は、やはりと言うべきか奈落へと繋がっているような眼差しのまま、まともな返答も寄越さない。

 

「……本当に、ドールになってしまったんだね、真里菜……。だが、パパは今のお前を守ろう。それだけが、わたしに出来る数少ない贖罪のはずなのだから」

 

 もう自分は契約者として人を殺し過ぎた。今さらまともに戻ろうなんて思っちゃいない。

 

 それにまともぶったところで、何になろう。

 

「……契約者は人間ではない。人の皮を被った殺戮マシーンだ……。その事実だけは消せないんだよ、真里菜……。だから、わたしは……」

 

 しかしどうした事か。

 

 こうして娘を前にして、まだ終わりたくない、消えたくないと言う思いが胸の中から湧き上がってくる。

 

 とっくに枯れたのだと思い込んでいた感情が堰を切ったように、今は真里菜のために吹き出していた。

 

 ――この子を守りたい。

 

 それがただの人間の持つ愛情のそれであるのか、あるいは契約者の持つ使命感の残りカスなのかは判然としない。

 

 だが、今は、とB8は振り向いていた。

 

 そこに佇むのは、真紅の死神。この街を舞う、悪魔――。

 

「……思ったよりも早かったじゃないか」

 

「……ガーネットを返してもらう」

 

「返す? ……てっきり抹殺指令が下されたのだと、思い込んでいたが」

 

「……まだ彼女からは諦めが見えない。ならば私は、それに応じる」

 

 その証のように、死神の傍で燃え盛っていたのは観測霊であった。

 

 真里菜の一側面が相手の側にある。

 

 それだけで許し難い業のように、B8の胸の中で燃え上がったのは怒りである。灼熱の怒りで拳を固め、B8は呟いていた。

 

「……それは数時間前の真里菜の意思の残滓だ。今の真里菜は、わたしと共にある」

 

「……ガーネット。どうしてほとんど抵抗しなかった。この男に、何を見ていたんだ」

 

「問いに答える必要なんて――」

 

「……動くと思ったから」

 

 不意に紡がれた言葉にB8は驚愕の面持ちを向ける。真里菜は沈んだ瞳のままで、声にしていた。

 

「……心が、もう一度動くと思ったから」

 

「……真里菜?」

 

「……そうか。どうだったんだ?」

 

 死神の問いかけに真里菜はゆっくりと頭を振っていた。

 

「分からなくなった。……何も、分からなくなってしまった」

 

 その独白に一呼吸、飲み込むように相手は挟んでから――戦闘態勢に入っていた。

 

 身を沈め、殺戮の構えに移る相手にB8も応じるように手刀を携える。

 

「……真里菜には指一本触れさせない」

 

「……契約者ならば合理的なほうがいい」

 

「そのはずだ。勝てない相手に何度も歯向かうか。煉獄の契約者よ」

 

「……勝てないとは、限らない」

 

「それは合理的とは呼ばない。ただの無謀だ」

 

 互いにじり、と次の動作への準備を済ませる。死神は、ナイフを逆手に携え相対していた。

 

「……無謀でもいい。私は、ガーネットの意思を尊重する」

 

「……変わった契約者も居たものだ。真里菜はドールだぞ」

 

「なら……余計に手離せないとも」

 

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