DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第六話「贖いを演じる」

 逃げ切れたと思った。

 

 少なくとも、契約者が攻撃出来る範囲ではないと。

 

 しかし、アパートの自宅に入った途端、鼻をついた刺激臭にレミーは後ずさりする。

 

「……パパとの思い出が……」

 

 火をつけられたのはそう時間が経っていない。しかし、火の手がキッチンから回り始めていた。

 

 困惑する自分に夜都は問いかける。

 

「……どの辺りにあるの?」

 

「あっ……私の部屋の、机の中……」

 

 言うが早いか、夜都は炎の中に踏み出していた。思いも寄らぬ行動にレミーは声を上げる。

 

「危ないよ! ヤト……!」

 

「危なくっても! ……レミーの大事な宝物なんでしょ!」

 

 その言葉にレミーは胸を衝かれた思いであった。自分の事なんて誰も気にも留めていないと思い込んでいた。

 

 皆が皆、知らない振りを貫くであろうと。

 

 ――契約者の娘、異端の人間だ。

 

 だから石を投げられようが、心ない言葉が交わされようが、仕方ないのだと。諦観の向こう側に全てを置いて来ていた。

 

 しかし、夜都は……。そんな自分にも価値があると言うのか。どうしようもない、怪物に過ぎないであろう、自分に。

 

「……ヤト……っ!」

 

 声にした途端、夜都は大きく紅蓮の火の中央で片手を上げていた。

 

「レミー! これ?」

 

 その手に掴まれていたのは青白い鉱石であった。レミーは頷き、夜都へと駆け出そうとする。

 

「ヤト……っ! 私を、一人にしないで! お願いだから……あなたまで行ってしまわないで!」

 

 熱を帯びた言葉にレミーは火炎へと踏み込もうとして、不意に開いた背後の扉に振り返っていた。

 

「……契約者……」

 

「……探したぞ。手間をかけさせる」

 

 金髪の青年が青白い光を帯びて、瞳孔を赤く煌めかせる。その手に掴まれていた木片が光を吸収し、内側から再構築されていく。

 

 ただの木片であったそれが直後には拳銃になっていた。

 

 銃口が夜都へと向けられる。レミーは思わず叫んでいた。

 

「ヤト! 避けて!」

 

 返答を待たずして銃声が劈く。続けざまに銃撃され、炎の向こう側の夜都の影が消えていく。

 

 レミーは心の奥底から震えていた。

 

 自分のせいで、夜都は死んでしまった。こんな形で、友達を失ってしまった。

 

「ほら、来るんだ」

 

 手首を掴まれ、無理やり火の手の上がる部屋から連れ出される。

 

「いやぁっ! ヤトぉっ!」

 

 喚いた自分の首筋へと手刀が見舞われる。意識が没していく中で、視界の隅に辻風が瞬いていた。

 

「……またか。そろそろ近いな」

 

 どういう意味なのか、問い質す前に暗闇に視界が閉ざされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に消防隊が駆けつけていた新市街地のアパートを、ミシュアは仰ぎ見る。

 

 全焼したアパートを消防隊員が行き来する中でミシュアは問いかける。

 

「生存者は?」

 

「酷いもんですよ、中は。幸いにして入居者は全員、出かけていましたが……」

 

 言葉を濁す辺り、この火災も人的なものなのだと言う確証があったのだろう。ミシュアは現場に入るなり、火災現場特有の異臭に眉をひそめる。

 

「か、課長! ……早いですって!」

 

 遅れてきた茶髪の青年は赤いジャケットに袖を通し、周辺を見渡す。

 

「うーわ……こりゃひでぇ……。やっぱり契約者の仕業ですかね……」

 

「火を点けるだけならば一般人でも出来る。問題は、お前の言っていた観測結果との示し合せだ。照合するのは、この星で?」

 

 観測所から送られてきたメシエコードを見せると、部下は首肯する。

 

「それですね……。しかし、マジに新市街地を戦場にしたいのかよ、連中……」

 

「契約者に倫理観は通用しない。いつ遭遇するか分からないのよ。銃は取れるようにしておきなさい。カッコつけの赤ジャケットだけじゃなく、ね」

 

 肩を叩いてやると、部下はあっ、と間抜けな声を上げる。

 

「……すいません。携行忘れてました」

 

「そんなだから、昇進に恵まれないんだ。ジャン、ここだけ、変じゃない?」

 

 呼びかけられた部下――ジャンはこちらの指差した個所を注視する。

 

「……本当だ。何かここだけ……焼け残ったんですかね?」

 

 不自然に一区画だけ焼け残っている。ミシュアは歩み寄り、デスクを探っていた。

 

「……普通のデスクね。引き出しにも……何もない」

 

「じゃあ何にもないんじゃないですか? ただ偶然に焼け残っただけで」

 

「……契約者との現場において、偶然はあり得ない。何か必然的な理由があってそうなっている。……おかしい、ここ、焼け残ったのなら、こんなに綺麗なはずがない」

 

 引き出しの中には何もない。まるで予め、抜き取られていたかのように。

 

「……ジャン。ここの入居者を探って。もしかしたら、何かあるかもしれない」

 

「了解です。……しかし、急いで追わなくってもいいんですかね? 例のフリードの娘とやら。今頃、契約者に捕まってでもいれば……」

 

 最悪の想定だが浮かべないわけにもいかない。ミシュアは首肯してから、目線で急かす。

 

「……でも出来るだけ、一つ一つ解きほぐさないと。見落としが一番に怖いから、ね……」

 

 踵を返したミシュアは野次馬の中にテディベアを抱えた少女が居るのを発見していた。

 

 紫色のテディベアは嫌でも目を引く。他にも群衆が居るが、どこか浮いたように存在している彼女を注視していると、ジャンから声が飛んだ。

 

「課長、行きましょう。……心配です」

 

「……そうね、今は……」

 

 視線を据え直すと、既にその少女は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首筋に鈍い痛みを感じて、レミーは身を起こす。固いベッドの上で起き上がったのを感じ取り、ハッと周囲を見渡した途端、声が飛んできていた。

 

「厄介じゃないか。いつあんな悪い友達を作ったんだい? フリードの娘」

 

 金髪の男は視界の隅でコイントスをしていた。何回か取り落としながら、七回連続で成功し、コインを忌々しげに壁へと投げつける。

 

「……つまらないだろ? コイントスを連続して七回も成功させなきゃならない。だが、こればっかりは仕方ない。僕の、契約の対価なんだからね」

 

 黒スーツはジョッキに生卵を流し込み、それを丸呑みしていた。その渋い面持ちを歪め、ようやく飲み込む。

 

「……お互いに大変なんだ。契約者はこういう、精神的呪縛に悩まされなくっちゃいけない。彼は生卵を飲み込む事。……なかなかにクレイジーだろ? まぁ、日本人はこれを白米に乗せて食べるって言うんだから、さらにぶっ飛んでる」

 

 金髪の青年は笑いかけてから、ふっと表情を消し去る。まるで最初から感情など持ち合わせてはいないかのように。

 

「……フリードが言っていた。自分には娘が居ると。それが、鍵だとも。君はフリード……父親から鍵を預かっているはずだ。それを教えて欲しい」

 

「鍵……そんなの、預かって……」

 

「嘘はいけないなぁ。無自覚なはずもないんだよ? フリードは何かしらの形で、ゲート内物質を資料として圧縮していた。それを娘である君にだけは明かしていたはずなんだ」

 

 その言葉繰りにレミーはハッと青白い鉱石を思い出す。まさか、あれが、と硬直したのを青年は感知する。

 

「あるんだね? 心当たりが」

 

 頭を振るが青年は近づいてくる。その手に握っているレンガが青白い光に包まれ、次の瞬間には鞭に変わっていた。

 

「……契約者……」

 

「物質の変換だ。掌サイズなら何にでも出来る。これを、もっと痛いのにしてもいい」

 

 鞭がしなり、激しい音を立てる。レミーは慌てて扉を探すが、それをまるで児戯だとでも言うように青年は悠然と見つめる。

 

「逃げるのかい? いいよ、その扉、開けてみても」

 

 胡乱なものを感じつつもレミーは唯一の逃げ道に向けて駆け出していた。扉を開けた途端、足元が消失した感覚に襲われる。

 

 鳴動した床が波打ち、レミーの足を取っていた。無様に転がったレミーを青年は嘲る。

 

「彼の契約能力は地面の鳴動。ほら、逃げるなら今だよ? 立ち上がって、頑張ってさ」

 

 何度も立ち上がろうとして、その度に前につんのめる。足場がうまく使えない感覚に歯噛みしていると、青年は哄笑を上げていた。

 

「いいね! その悔しそうな顔! ……ここまで苦労したんだ。せいぜい楽しませてくれよ」

 

「いや……っ、来ないでぇっ!」

 

「死ぬのは怖いかい? その恐怖こそが、僕らの数少ない愉悦なんだ」

 

 鞭を握り締めた手が振るい上げられる。激痛を予感して、レミーは不意に視界に入った水筒へと目を留めていた。

 

 投げ込まれた水筒が内側から膨れ上がり、水蒸気を噴き上げる。

 

 相手がうろたえた一瞬の隙であった。

 

 レミーは床を踏み締め地下室から駆け上がり、周囲へと視線を配る。

 

「……また、旧市街地……」

 

 どこへ行けばいいのか、まるで分からない。それでも逃げ出していた。走って、走って、息が切れるまで走ってから、呼吸を整える。

 

 ――分かってる。逃げ切れるなんて思っちゃいない。

 

「……私は……こんな事になるくらいなら、誰か一人くらい……欲しかった。友達が……」

 

「――ここに居るよ」

 

 不意打ち気味の声に面を上げたレミーは、旧市街地に佇む夜都を目にしていた。

 

 だが、まさか、そんな、と戦慄く。

 

「ヤトは……撃たれて死んだはず……」

 

「大丈夫だった。危なかったけれど」

 

 何でもない事のように笑いかけてきた夜都へと、レミーは抱き着いていた。相手も想定外であったのか、その手を彷徨わせている。

 

「れ、レミー。大げさだってば」

 

「大げさじゃない! ……よかった、まだ、生きていてくれて……」

 

 感極まった自分の背中に、夜都は静かに手を回し、ゆっくりと撫でる。

 

「大丈夫……大丈夫だよ……レミー」

 

「ヤトぉっ! 私、もう嫌なの! みんな、消えて行っちゃう……。私の前から……っ!」

 

「大丈夫だから。レミー、行こう。二人なら、逃げ切れるから」

 

 力強く手を引いてくれる、夜都の温かさは本物であった。偽りではない、飾りでもない、本物の人間の手。

 

 旧市街地を夜都は熟知しているようであった。

 

 二人を撒いたのを確認してから、夜都は口を開く。

 

「何とか撒いたみたい。……レミー、これ。借りっ放しだった」

 

「それって……パパの……」

 

「思い出でしょ? レミーとお父さんの」

 

 青白い鉱石を握り締める。だがどれだけ悔いたところで、石は冷たいままだ。冷たいだけの、もう醒めてしまった思い出――醒めた夢。

 

「……ヤト。あいつらはこれを狙っている……。私は、ヤトになら任せられる……。私は多分、どこまで行っても逃げ切れないから。追い詰められる前に……ヤトの手で捨てて」

 

「でも、それじゃレミーが――!」

 

「私は! ……誰も理解者なんて居ないと思っていた。契約者の娘、異端の存在なんだって。……でも、ヤトの手、とてもあたたかかった。人間の手だよ。私に必要だったのは、契約者の娘の烙印じゃなくって、きっとそういう、困った時に応えてくれる誰かだったんだと思う……」

 

 契約者の娘だからと言って驕っていたわけではない。ただ単純に、みんなと一緒ではないのが隔たりであった。怖かったのだ。他と違う自分を持て余して、そして壁を作って。

 

 だが自分の心の一部を誰かに託す事が出来る。そうなのだと、実感出来た。

 

 夜都ならばきっと、自分よりも正しく、この思い出を使ってくれるだろう。

 

「……ヤトだけなんだ……」

 

「……分かった。でも、レミーが犠牲になる事はないよ。一緒に逃げよ? どこまででもいい。きっと、どこだっていいはずだから」

 

 そうまで言ってくれる人間はこれまでいなかった。クラスメイトは遠巻きに眺めるばかりで、自分の苦しみの一端を背負ってくれるなど。

 

「……もっと早く、ヤトに出会いたかった……。契約者の娘としてじゃなくて、ただの女の子として……」

 

 夜都の手に自分の手を重ねる。持っているべきは、夜都のほうだ。

 

 夜都は鉱石を握り締め、どこか悔恨のように口にする。

 

「……契約者は人間じゃない。奴らは、人間の皮を被った殺人マシーン。他人の事なんて考えずに嘘を平気でつき、誰かを陥れる事に罪悪感なんて覚えやしない。ただの破壊者、ただの人でなし」

 

「……ヤト?」

 

「……ゴメン。ちょっと思うところがあっただけ。ああいう契約者ばっかりじゃ、嫌だねって思って」

 

「あ、うん……。何だか今のヤト、ちょっと怖かった。……心の奥底から、契約者を憎んでいるみたいで……」

 

 膝を抱え込み、レミーは孤独に肩を震わせる。その肩に夜都はそっと触れ合ってくれた。

 

 やはり傍に居てくれる。居なくなりはしない。その手を握り返し、レミーは咽び泣いていた。

 

 誰かが傍に居てくれるだけでこんなにも心強い。きっと自分は、そういう友達を見つけ出したくって。でもその術を知らなかったのだろう。

 

 契約者の娘、異端者としてあり続けるほうが楽だから。安きに流れ、そして突き当りまで来てしまった。もう、どん底だ。

 

「……どうして、ヒトは幸福のままじゃ居られないんだろうね……」

 

「……幸福だけ感じ取っている人間が居るとすれば、それはもう、人間じゃないよ。みんな、孤独と寂しさの板挟みなんだ。そんな中で、誰かと触れ合う事だけでしか、きっと癒せないんだと思う。……どんな絶望の時にあっても」

 

「ヤト……怖いよ……。ヤトも、居なくなっちゃいそうで……」

 

「……私は居なくならないよ。レミーの傍に居るから」

 

 それでも仮初めの言葉に聞こえてしまう。もう誰かを信じ続ける事も疲れた。夜都だけを信じて終わりにしたい。

 

「……ヤト。私、契約者の娘で、一個だけよかったと思う。ヤトと出会えた」

 

「……レミーが契約者の娘じゃなくっても、私達、友達だったと思う」

 

 微笑んだ夜都は立ち上がり、旧市街地の裏路地を見据える。

 

「……契約者はどこまでも追ってくる。行こう、レミー。私達が、友達で居られるために」

 

 差しのべられた手をレミーは重ねる。

 

「うん……。どうか、思い出が……駄目になっちゃわない前に……」

 

 二人で駆け出す。旧市街地の河川敷を目安に、夜都は進んでいるようであった。何処をどう行けば新市街地に出られるのかを夜都は知っている。ならば、この手も、足もヤトに任せれば、安全のはずであった。

 

 そう思っていた刹那に、夜都が口にする。

 

「……網にかかった」

 

 その言葉に全身が不意に硬直する。口を呆然と開け、レミーは後ずさっていた。しゃがみ込んだレミーを他所に夜都が歩んでいく。

 

 その背中に呼びかけようとしても声がまるで出ない。呼吸と大差ない息が漏れ、夜都が遠ざかっていく。

 

 横合いを通り抜けていくのは追って来ていた青年達だ。

 

 彼らは自分へと目もくれず、夜都の背中へと追い縋っていく。

 

「……ヤトぉ……っ。何をしたの……?」

 

 魂が縛り付けられたかのように身体の自由が利かない。永劫にここに置いてけぼりを食らうのだろうか。

 

 不安が脳裏を掠めた瞬間、内奥から何かが弾けていた。

 

 辻風が舞い上がり、自分を中心軸にしていくつも発生する。こちらへと手を差し伸べようとしていた浮浪者がその牙にかかり、一人また一人と切り裂かれていく。

 

 辻風はまるで自分を守護するかのように吹き込んでいるようだ。

 

 レミーは頭を押え込んで悲鳴を上げる。

 

 胴体を割られた浮浪者の血潮が噴き上がり、レミーは夜都の背中を求めて駆け出していた。

 

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