DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第六十話「夢幻を浴びる」

 ワイヤーが敵意を帯びて伸びる。その包囲陣を抜けるのは、質量希釈による加速であった。

 

 一瞬で肉薄し、真正面から手刀を叩き込もうとして、ナイフに塞がれる。

 

 火花が一瞬だけ散り、両者の視界を眩惑したのも束の間、直後の動作へと移るのは素早い。

 

 足払いを行った死神にB8は跳躍していた。

 

 超接近戦において、跳躍は死を意味する行動だ。

 

 だが自分の能力ならば、次手を突破出来る。

 

 すかさず放たれたナイフがB8の頭部を射抜いたが、物理的効力も、ましてや契約能力も発揮させない。

 

「……存在希釈。わたしの肉体に、物理的な打撃は与えられない」

 

 無論、これは諸刃の剣だ。存在そのものを希釈させれば、物理法則を超える能力発揮が可能な側面、自分自身の命を縮めているも同義。

 

 ――しかし、辿り着いた。

 

 潜り込んだのは相手の懐。完全なる意想外の動きに敵が対応する前に、B8はその手刀を薙ぎ払っていた。

 

 狙うのは頸動脈。一発で終わらせる――。

 

 首筋へと手刀が入り込む。存在希釈を用いて首の皮膚を貫通し、血管そのものを引き裂かんとした手刀はしかし、次の瞬間には激痛に襲われていた。

 

「……何が……わたしの手が……」

 

 潜り込ませた指の第二関節から先が溶断されている。だが、いつの間に。どのような手を使って――。

 

 そのような一瞬の逡巡が明暗を分ける。

 

 首筋へとかけられたワイヤーが絞め上がり、引っ掴もうとして指がない事に気づいて歯噛みした直後、臓腑を焼かれる高熱が放たれていた。

 

 断末魔の叫びが喉から迸り、B8は膝を折る。

 

 その際、死神の首筋が視界に入っていた。

 

「……そうか。血管を熱で覆って、わたしの攻撃の際に、血管そのものを熱ワイヤーとして……」

 

 だがそのような戦略、思いついても実行出来るはずもない。

 

 一瞬の判断が分かれ目だ。自分が頸動脈を狙うと分からなければ、自らの弱点を自分の能力で焼く事にもなりかねない。

 

 それでも、確信があったのだろう。

 

 死神は告げる。

 

「……お前は南米の天国戦争の生き残りだ。早々に決着をつける手段を選んでくるのは分かっていた」

 

「……なるほど。わたしが優れたエージェントなのだと、確信していたから、狙いを逸らさなかった……」

 

 死神は自分のある意味では経歴も込みにして上回ったのだ。

 

 B8は倒れ伏した身体を起こそうとするが、その瞬間、全身が青白いランセルノプト放射光に包まれていた。

 

 粒子となり、身体が溶けていく。

 

「……ああ、終わりが来たらしい。わたしの対価だ」

 

 この世に死体となって留まる事さえも許されない。

 

 対価の時だ。

 

 自分は世に在った証明すらも残されず、消え去る。

 

 不思議と恐れはない。だが、とB8は真里菜へと視線を据えていた。

 

「……真里菜。わたしは……駄目な父親であったな……」

 

 その言葉に真里菜は否定も肯定もしない。ただ、当然のように彼女は口にする。

 

「……私の名前はガーネット」

 

 もう、自分の知っている娘でもないのだ。最後の最後に突きつけられた現実に、B8はああと目を伏せる。

 

「そうだったな……。そうであったのだ……。わたしは……まだ夢を見ている。お前と一緒の、幻像を……」

 

 幻像の中の真里菜はいつだって無邪気に笑っている。月明りの差し込む家屋で、紫色のテディベアを撫でて。

 

「……せめて、夢を見させてくれ。わたしの、最後の夢を……」

 

「契約者は夢なんて見ない」

 

 死神の断じる論調にB8は瞼を下ろす。

 

「……そう、だな……契約者は、きっと終わりに至るまで、夢なんて見やしないのだろう。だが、せめて、幻に生きさせてくれ……」

 

 掴もうとすれば消えていく蜃気楼であったとしても。

 

 B8は最後の一滴になるまで真里菜へと目を向けていた。

 

 その瞳から、一筋の涙が伝い落ちる。

 

 誰に手向けるための涙であろうか。それはきっと、誰にも分からない。

 

「……さよなら。真里菜」

 

「……さよなら。パパ……」

 

 これはともすれば自分に都合のいい言葉だったのかもしれない。本当に真里菜――ガーネットの言葉であったのかは判然としない。

 

 だが判然としなくともいい。

 

「これはいい夢だ……」

 

 それだけはきっと、確かであろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! B8と連絡が途絶えた! 本部から増援を回してもらう必要があるな……こんな中途半端で終われるか!」

 

 伊達男は車を路肩に停めたまま、本部へと繋がる番号をコールしていたが、直後に出たのは自分の担当者とは違う人物であった。

 

『……やぁ。その感じだと契約者に逃げられておかんむり、かな?』

 

「……誰だ、貴様は」

 

『心配しなくとも契約者じゃない。それにしたって、僕らの仕事はいつだって、振り回されるものだ。契約者にも、上役にも。納得いかない事だらけだよ』

 

「……俺の上の担当者はどうした?」

 

『そんな質問か? もっと重要な事があるだろう? 任務失敗をB8の暴走に棚上げするのに必死なのは伝わるが……正直ダサいぞ?』

 

「うるさい……! 俺はなぁ……まだ終われないんだよ! 何なんだ、貴様は!」

 

 その時、助手席に座っていたドールが不意に指差す。

 

 指し示した方向へと目線を振り向けた瞬間、乾いた破裂音が響いていた。

 

 伊達男は胸元をさする。そのスーツが瞬く間に血の赤に汚れていった。

 

「……まさか。俺の事を組織が切った……?」

 

『案外、うまく立ち回れないのはお互い様みたいだ。契約者の後始末って言うのはいつもこう……うまく行かないな』

 

 通話口から漏れ聞こえる声を聞きながら伊達男が車にもたれかかるようにして倒れる。

 

 ドールは何もしない。

 

 指し示した行動のまま、やがてゆっくりと沈黙していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今回の一件、相手側の組織とのある程度の譲歩、と言う形での決着だ』

 

 ブルックのもたらした情報に夜都はモーニングを食べながら背後のグレイの言葉を聞く。

 

「……やるせないな。ターゲットにされていた組織の高官が割を食ったとは言え、僕らだって腕利きのエージェントに一時的とは言え目を付けられた。あのままなら、全滅だってあり得たんだぞ」

 

『組織の決定は変わらない。どうにも、B8の消滅そのものがある程度意図されていた可能性さえもある。俺達には悪く思うな、だと』

 

「悪く思うな、か。……現場を見ていない証だな」

 

 嘆息をついたグレイは新聞記事を注視する。

 

「……今日の朝刊も最悪だ。コミックも……ブラックジョークが過ぎる」

 

「B8に関しては、これ以上は」

 

『ああ、踏み込むな、とのお達しだ。南米の天国戦争の情報に抵触する恐れがある。……お互いの事を思うのならば、ここで手打ちにしろ、とも』

 

「何だそれ。僕らは踊らされただけか」

 

 グレイのぼやきも分かる。しかし、夜都は問い返していた。

 

「……ガーネットは?」

 

『ガーネットに関しては継続的に任務を続行。俺達のチームとして組み込んでくれたままらしい。一時的に相手のバグを噛まされた可能性はあるが、MEによる記憶改ざんも見られない以上、放置が一番だとも』

 

「……芋女。ガーネットは本当に、今のままでいいと言っていたのか?」

 

 グレイの詰問に夜都は応じる。

 

「……ガーネットは……もう元の名前として生きる事を選んでいない。彼女の選択だ」

 

「選択、か。……ドールに選択権なんて」

 

 だが実際に現状の継続を選び取ったのはガーネットの意思である。

 

 無論、ドールに意思なんて介在しない、と言い切ってしまえばそこまでだが。

 

『いずれにせよ、今回の討伐はよくやってくれた。紅にグレイ、近々、報酬があるかもしれない』

 

「……どっちでもいい」

 

「僕も。正直、この街で生きるのには、障害が多くって仕方がない」

 

『……そうだな。俺達は、この街で生きていくしか、ないのだから』

 

 その言葉を潮にしてグレイは時間を気にして立ち上がっていた。夜都はブルックより振りかけられた言葉を聞く。

 

『……しかし、紅。あの娘はどうにかならないのか? あれからずっと……ガーネットの下に通っている……』

 

「アリスの事は言わないで欲しい。私にもよく分からない」

 

 こちらの返答に、ブルックは忠言を寄越す。

 

『……最悪の場合はお前が始末する事になる。それは分かっているな?』

 

 分かっていなくては、今まで同居なんて出来るはずもない。夜都は迷いなく応じていた。

 

「……もしもの時には覚悟はしている」

 

『……そうか。ならば安心だ。……時に、紅。お前に付き従っていたガーネットの観測霊、あれは彼女の無意識だったのか、それとも俺達を……仲間だと思っての……』

 

「契約者らしからぬ問いかけだ」

 

『……いや、そうだったな。妙な事を言うもんでもない。次も頼むぞ』

 

 蝙蝠が飛び立って行く空を眺め、夜都はトレイを店に返し、アパートへと帰路についていた。

 

 扉を開けるなり、白いワンピースを着せられたガーネットを鉢合わせになる。

 

「おっ、ヤトじゃん。今日は何、サボり?」

 

「……アリスだって学校でしょ」

 

「いーの、いーの。今日は子猫ちゃんの着せ替えに奔走するんだから!」

 

「……子猫ちゃん?」

 

「この子の事。ガーネットって言うんだってさ。何かあんたよりも物分かりがいいから、あたし気に入っちゃって」

 

「……知らないよ。他所の子でしょ。親御さんに叱られても」

 

「大丈夫だもんねー? 子猫ちゃん」

 

 こくり、とガーネットが頷く。

 

 まさかこんな近くまでガーネットが来ているなんて思いも寄らない。しかし、夜都はいつものようにパソコンを開いていた。

 

 物語の続きを紡ごうとして、アリスの視線を感じる。

 

「……何。見ないで」

 

「いやー、ヤトってばさ。いつもの野暮ったいタートルネックなんてやめて、この子みたいに着飾る気、ない? 素材はいいと思うんだけれどなー」

 

「……いいよ。私はこれが過ごしやすいの」

 

「出た。あんたのそういうところ。よくないよ? 変化を許容しないと。ねー? 子猫ちゃん。今日はさー、三つ編みにしてあげる! ……あっ、そのテディベア、預かろうか? 邪魔でしょ?」

 

 アリスが手を伸ばすとガーネットは引き離して首をゆっくりと横に振っていた。

 

「……いい。これは、私だから」

 

「……ふぅん。よく分かんないけれど大事なのね。誰からもらったの?」

 

「……大切な、人」

 

 アリスはもう関心もないようでガーネットの長い赤髪を弄っている。

 

 夜都はそれを横目にしつつ、キーを打っていた。

 

「……ねぇ、アリス。この後、実はイルカを殺そうと思っていたんだけれど」

 

「そりゃまた、救いのない話で」

 

「でも……もしかしたら魔女とイルカにも……居るのかもね。忘れられない、大切な人が」

 

「何? それがキーパーソンになるの?」

 

「……かも」

 

 呟き、夜都は物語の続きへと踏み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第六章 了

 

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