DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第七章「灰色の薔薇は、追憶の色彩に濡れて…」(前編)
第六十一話 幻影を視る


 

 いくつかのテクスチャマッピングデータを読み込んでから、これが仕上げだとエンターキーを押す時にこそ、恍惚の一瞬が宿る。

 

 準備は万端に。しかして少しの油断こそ、スパイスとなり得るのだ。

 

 この時、爆弾魔ロギーの仕掛けた爆弾に気づける好機を持っていたのは大きく二人の人物。

 

 一人は叩き上げの警察官。どれほどの正義感があるのか、それは観てのお楽しみ。

 

 もう一人はただの女学生であった。図書館で遭遇した際に、貸出図書に紛れ込ませた自分の暗号に気づけているのならば、彼女は唯一の証人となり得る。

 

「……でも、来るかなぁ」

 

 爆弾魔ロギーの興味は大別して二つに分けられる。

 

 自分に肉薄する相手か、そうでないかだけ。

 

 どうせ、ニューヨーク新市街地では今もまた、濃霧のゲートが発生している。そちらに対応を追われるニューヨーク市警にはほとんど期待してはいない。

 

 ――否、ほとんどの人類には、か。

 

 この世で特別な能力を持ち、他者とは違う目線で俯瞰する事に対して、特別感を覚えていたロギーは幼少期より、誰かの特別であろうとしていた。

 

 それはミドルスクールで九歳の頃、赴任してきたまだ垢抜けない女教師に対して、初めて感じた劣情とそして爆発への情念である。

 

 ロギーはその時初めて、完全犯罪を成立させていた。

 

 生まれて初めての犯罪が完全犯罪に昇華したロギーはしかし、その時より「面白味」を見出すようになっていった。

 

 わざと証拠を残し、わざと誰かに自分の行動をトレースさせる。

 

 それこそがロギーの遊びであり、他人とは違う自分だけの悦楽の時間であった。

 

 緊張感は喉を絞めるかのような感覚を味わわせてくれる。肺が今にも締め上げられて破裂しそうになるほどの緊迫の一瞬。それこそが自分への褒美なのだ。

 

 だからロギーは完全犯罪には全くの無頓着で、そして興味の欠片もなかった。

 

 この世に証明の残らない殺しはいくらしてもつまらないし、誰かの興味関心を引けないのならば、それは二流であると。

 

「……誰か、ボクの爆弾に気づけないのかなぁ……」

 

 ロギーの見上げた先はニューヨーク旧市街地に聳えるセンタービルであった。ここ数年でほとんど無用の長物と化したセンタービルにはしかし、本日午後九時をもって取り壊しの前に一度だけ煌びやかな装飾に彩られる事になっている。

 

 いわば今際の際における死に化粧。

 

 それを自分の爆弾で彩りを与えられるのならば、まさしく自分の証明だ。

 

 ロギーがノートパソコンを片手に歩き回っていると、不意に声がかかった。

 

「――そこまでだ。爆弾魔ロギー」

 

 振り向くと拳銃を構えた歳若い青年が佇んでいる。灰色の髪をした青年に対して、ロギーはああ、と声を発する。

 

「来たんだ。じゃあ、ボクの爆弾を阻止しに?」

 

「そうだ。このセンタータワーの爆弾は全て解除した。だからお前はもう、ここで逮捕されるしかない」

 

「それ、本当に逮捕する前に言っていいの? ボクを逮捕出来ないかもよ?」

 

「……言っていろ。既に包囲されている……」

 

 ロギーはタワーの中腹部から眼下を見下ろす。

 

 確かに数名の警官隊が張っている。あながち嘘でもなさそうだ。

 

「……でも、キミは馬鹿かもしれないよ? ボクをここで逮捕するよりも、その銃でとっとと撃ってしまったほうがよかったと後悔すると思う」

 

「……犯罪者を野放しには出来ない」

 

「ふぅん……。ちょっと話そうか。キミ、ボクとさほど年かさも変わらないように見えるけれど、まだ警部補とか、その辺? もしかして巡査とか? 他人の階級には興味ないんだ、ボク。だからざっくりと警察関係者の中で、ちょっと面白そうなキミにだけ情報を流したわけなんだけれど」

 

「……何が言いたい?」

 

 青年刑事は銃口を向けたまま、どこか放心したようにこっちを見据えている。ロギーは肩を竦めていた。

 

「つまりは、さ。何もキミが特段、優秀な頭脳を持っているだとか、素質があるから選んだわけでもないんだよね。ボクは、この世に生まれ落ちた証明が欲しい。だから爆発するし、それはアートなのだと思っている」

 

「ふざけるな……! 連続殺人がアートだと?」

 

「……細かいなぁ。殺人は副産物さ。ボクにとっては爆発こそがメインディッシュであって、それ以外は何と言うか……余り物なんだよね」

 

 銃弾が頬を掠める。どこかいきり立った様子の青年刑事は銃口を握る手を震えさせていた。

 

 ロギーは頬の傷より滴った血を舐めてから、うぅんと呻る。

 

「危ないなぁ、今の。でもま、死ぬ距離じゃないからいいけれどさ」

 

「ふざけるな! お前……前回の爆発で何人の犠牲者が出たか……!」

 

「だから、さ。余分なんだよ、それ。ボクにとってのメインじゃない部分ってのはつまり、あってもなくってもいいんだ。ああ、でも、メインはしっかり残しておきたい。キミもだろ? 子供の頃、好きなものを最後に取っておいたクチじゃないのかい? ボクはハンバーグが好きで――」

 

「お喋りをしに来たんじゃないぞ! 大犯罪者、ロギー! お前をここで逮捕する。投降するのなら、命だけは……」

 

「見逃してやるって? 随分とお優しいじゃないか、キミは。ああ、でもだからこそ、そうだな。三手遅れている、とでも言うべきか」

 

「……何を」

 

 こつん、と鉄骨の階段を下りてくる影へと彼は視線を上げていた。

 

 そこには爆弾を括りつけられた女学生が佇んでいる。うら若き相貌は涙で汚れ、今や見る影もない。

 

「……彼女は……」

 

「キミと天秤にかけたもう一人の証言者さ。言ったろ? 証拠は残す、そして目撃者は消さない。それがボクのルール。そしてアートを発表し続ける。多分死ぬまで、かな」

 

 猿ぐつわを噛まされた女学生が必死に青年警官へと助けを求めている様子であったが、そんな三文ドラマには自分はもう興味がない。

 

 ここで判定すべきは、一つ。

 

 まだ若く判断力に乏しい青年刑事は、爆弾を巻かれた女生徒を見捨てるのか、そうでないのか。

 

 その一つにドラマは集約される。

 

 ロギーはノートパソコンを片手に鼻歌を口ずさんでいた。

 

「貴様ぁ……ッ! この外道が……!」

 

「芸術家が人格者ばっかりだと思っているのだとすれば、とんだ誤解だよ、マイフレンド。キミはここで選ばなくってはいけない。後に来ちゃったんだからね。キミが先に、もし間に合いさえすれば、あっちの役割はキミだったんだ。そう、全ての責任は遅れてきたキミにある。さぁ、どうする? ともすれば自分だった役割の少女を見捨て、その銃で撃つかい? 撃てば、なるほど、彼女は爆死はしないだろう。だが銃殺はされる。だがもう一つの選択肢として、あの爆弾の信管をボクに押させるか、あるいは時限式の爆弾がタイムリミットを迎えるのを待てば、キミは職務放棄だ。目の前で爆弾が爆発するのを、何もせずにただ観ていた無能だよ。彼女は死体さえも残らないために、爆死という表現は当てはまらない。しかし至近距離で爆発の余波を受けたキミは死ぬ。致し方ない」

 

「……それでも人間か! 貴様!」

 

 その言葉は心底可笑しく、ロギーは腹を抱えて笑っていた。こうして打算なく笑わせてくれる相手が居るから、この条件はいい。何よりもヒリヒリとしたスリルがあって、他のどんな娯楽よりも自分を楽しませてくれる。

 

「ああ……悪魔に悪魔か! と問うみたいなの、最っ高だね! キミは知っているはずだ、ボクを。ボクは爆弾魔ロギー、そしてキミはまだ若く可能性に満ちた警察官。さぁ、この好条件でどう動く? 彼女はまだ世間さえも知らない女学生だ。ここで無残に撃ち殺して大義を成すか、それとも爆発するのをただ見つめているのか。キミの判断力は今、研ぎ澄まされている。どうだい? 何ならテキーラを一杯程度なら奢るとも。シラフじゃ頭が回らないって言うのは、結構な確率で見て来たからね」

 

 片手にテキーラグラスをちらつかせた自分に対して、青年刑事はどこか歯噛みするような表情をした後に、爆弾の女生徒へと一瞥を寄越して銃を下ろしていた。

 

「……頼む、殺さないでくれ。こんな事に……誰もこんな理不尽を望んでいないはずなんだ。誰だって幸福に行きたい、それだけなのに……お前らのような悪魔は何で、そんな当たり前の権利さえも奪っていくんだ……」

 

「銃を下ろす、と言う事は、彼女を爆死させてキミも死ぬと? それはまた随分と、つまらない幕切れだね。もっと苦悶してよ! もっと苦しみ抜いて選びなよ! そうじゃないとどこにもドラマなんてないじゃないか! さぁ、もっとだ! まだ時間は残っているとも。ギリギリまで命の駆け引きをしてから、そうして絶望するか、それとも希望の一手を見出すのかが、キミの――」

 

「もう、やめてくれ! ……僕にそこまで選べるような権利なんてない……」

 

 憔悴した様子で膝を折った刑事にロギーはこの時、心の奥底から侮蔑を向けていた。

 

「……何だよそれ。許しを乞うとか一番ダサいじゃないか。そんなんじゃないだろ? カッコつけなよ! カッコつけて、それで何の策も打てずに死ぬんだってば! そうじゃないと何のためにここまで来たの? 何のためにボクのアートを邪魔しに来たんだよ! ……選択ミスだったかなぁ?」

 

 青年刑事は涙で頬を腫らしながら、何度も頭を振る。

 

「やめてくれぇ……。こんな残酷な選択、出来ない……」

 

「……つまんないな、その感情。キミってさ、白も黒も選べない、究極的に灰色なんだね。だったら、彼女に聞こう。どう? 自分の生き死にを掴まされた男の末路ってのは? 情けないだろう? ここで選択肢は彼女に移る。彼女がキミをここで殺したがれば、彼女の思っている通り、キミを先に殺す。だがここで彼女が自己犠牲と言う……美しさに目覚めたのならば、彼女を先に殺してこのセンタービルを爆破する。どう? これなら少しは違ってくるんじゃないかなぁ?」

 

 仰ぎ見た女生徒はしかし、涙を流してその場に蹲っていた。

 

 ――どちらも出来ない、というサインのようであった。

 

「あっちゃー、今回は失敗だねぇ。どっちも、死に際の生き意地の汚さを見せてくれないかぁ。じゃあ、こうしちゃおう! キミら、どっちも死んじゃえ。それで今回は終わり! じゃあね!」

 

 ロギーが爆弾のエンターキーを押そうとしたその時であった。

 

 突然に指先が硬直する。

 

 何にも出来ないままに身体が浮かび上がり、全身を青白い光が押し包んでいた。

 

「何だ、これ? おっかしいなぁー、何だこれ」

 

 何度かキーを押そうとするが、その度にパソコンから身体は離れていく。

 

「あっれー?」

 

 首を傾げたところで、不意に肉体が折れ曲がったのを感じていた。

 

「うわっ、何だこれ。身体が無茶苦茶な方向に折れ曲がってぇ……ぇっ?」

 

 直後、ロギーの肉体は多方向からかかってきた重圧に押し負けて血潮を撒き散らして落下する。

 

 それを青年刑事と女生徒は不思議そうに眺めていたが、一番に不思議なのは自分自身だ。

 

「……何が起こったんだ。ボクの身体……」

 

 警官隊が押し入ってくる。そこまで目にして、なるほど、と納得していた。

 

「何てこった。最初っから当てにしていなかったわけだ、灰色のキミには。……でもまー、こういうアートの幕引きもありっちゃあ、ありだなぁ」

 

「動くな。動けば即座に頭蓋を撃ち抜く」

 

 手慣れた様子の警官隊に包囲され、青年刑事と女生徒が下がらせられようとする。

 

「でもさすがに、さ、見繕った獲物に何の罰ゲームもなしってのは、つまんないよねぇ……」

 

 ロギーは顎を開いていた。

 

 奥歯にはこのような時のために、緊急用の爆破ボタンが押し込められている。

 

 その信管を自らの手で撃ち抜いた刹那、こちらへと振り向いていた女生徒の表情に恐れが宿っていた。

 

「……そうだよ、それそれ……」

 

 爆弾魔ロギーの意識はそこで途切れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カタカタとキーを叩く等間隔の音を聞きながら、収監室とあだ名されているMEの専用ルームにて、グレイは面を上げていた。

 

 目元を覆うゴーグルより疑似的な記憶情報が開示され、そして自分はその重要参考人としてここに呼ばれたのだ、と思い返すまでには一分程度の沈黙が挟まれる。

 

 他者の記憶をその人物に成り替わって見聞きさせられるのだ。当然、自己認識はあやふやになってくる。

 

『これは?』

 

 鏡に映った自分を見せられてようやく、グレイは平時の落ち着きを取り戻していた。

 

「……僕だ。エージェント、グレイ」

 

 今の記憶を見せられた後ではこのコードネームもかなり悪質なものである事が窺えるが、わざわざクレームを言いつけるわけでもあるまい。

 

 何よりも、理由のない事をしないのが組織のやり口であった。

 

『爆弾魔ロギーの記憶を見せた意味は、君ならば分かっているはずだな?』

 

「そりゃ、当然。僕はあの場に居ましたからね。爆弾魔ロギーを……殺せる立ち位置に」

 

『そうだ。君はあの現場に居た。そして、後に爆弾魔ロギー最後の事件と言われるセンタービル倒壊において、数少ない生存者となった』

 

 忌々しい名を紡がれている間にも、自分のバイタルが測られているのが確認出来る。組織は自分の一挙手一投足すらデータ化しようとしているのだ。

 

「……爆弾魔ロギーのMEを何で今さら? だってあれは未解決でしょう」

 

『グレイ。君には素質があると思っている』

 

「……それはどうも」

 

 賛辞にもならないと思いつつも応じたグレイに、しかしと相手は言葉を継ぐ。

 

『実らなければどうしようもないものと言うのはある。今日の契約者との戦い振り、MA401とブルックを指揮するのもその手腕を買っている』

 

 わざわざそう言いやるという事は頼みにくい用件でもあるのだろうか。グレイは極めて簡潔に告げる。

 

「組織の命令ならば、聞きますよ」

 

『それでいい。次のミッションに向けて、MA401と共に、君に追跡して欲しい契約者が居る。そのデータを明後日までには手渡す。それに関してなのだが……グレイ。今観てもらったMEに無関係ではない』

 

「まさか、爆弾魔ロギーが復活したとでも? おかしな冗談だ。奴はあそこで死んだ」

 

『それが一般認識だろう。だが、ここにMEがある意味を、君は履き違えていないか?』

 

 MEがあると言う事は、あの時点で爆弾魔ロギーは死んでいなかった。後に回収し、組織が取り調べでも行った形跡があるという事。

 

「……それで、死んだはずの爆弾魔に警戒しろとでも言うんですか」

 

『この国は先の天国戦争のあおりを受けて、死者と生者が入れ替わったと言っても過言ではない。天国戦争が全てを変えたのだ。グレイ、君にはブルック達には伝えない任務を当てさせてもらう』

 

「極秘任務……でも僕は契約者でもなければ特別な身体能力があるわけでも」

 

『君のこれまでの経歴を買っての交渉だ。やってくれるか』

 

 問い質してもここでやらない以外の選択肢はないだろう。組織はそれさえも込みで言って来ている。

 

「……いいですよ。どうせ、他にやる事もありませんし」

 

『助かる。しかして、グレイ。MA401は最近、どうかね』

 

「どう、とは? まさか敵に回っただとかそういう話をしたいんですか?」

 

『経過観察は君に一任している。主観でいい。どう映るのか、と問いたい』

 

「どうって、別に……」

 

 いや、別になどと言う事もあるまい。この数か月で彼女はあらゆる死線を乗り越えてきた。それは自分達のチームも込みでの評価のはずだ。

 

「……思ったよりも生き意地の汚い人間、いや契約者なのだと」

 

『MA401は特別製だ。下手を打って死なれないようにしてくれたまえ』

 

 下手を打って死ぬのは自分のほうが危うい。あれでも腐っても契約者だ。全ての事象は合理的に判断するであろう。

 

「了解しました。ですが、僕だって目の前で死なれちゃ分かりませんよ」

 

『その心配は少ないとは思うのだが、用心するといい』

 

 ようやく解放される、と立ち上がって収監室を出ようとして、グレイはハッと気づく。

 

「……組織は何で、疑似ゲートを破壊したあいつにこだわらないんです? 本当なら、何かしらの接触があってもいいはずなのに」

 

『そこは君の関知するところではないな』

 

 分かっている。知り過ぎれば戻れない。

 

「……それも込みで、ですか。分かりましたよ」

 

 そう言い捨てて、グレイは部屋を立ち去っていた。

 

 

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