DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第六十二話 想いを損なう

 

 花を買うとどうしても思い出に囚われた自分を発見してしまう。

 

 だがそれも仕方ない事なのだ、と言い聞かせて、グレイは一輪の薔薇の代金を支払う途中で、呼び止められていた。

 

「いつも、ここで薔薇を買うんですね」

 

 にこやかに声をかけたのはバイトの女性店員であった。グレイは不愛想に応じる。

 

「ええ、まぁ」

 

「薔薇を売っているのはここだけだからですか?」

 

「……新市街地はほとんど様変わりしてしまった。今時、薔薇のない花屋なんて当たり前でしょう」

 

「です、ね。花を買う人も減ってしまったようで。何だか寂しいんですけれどね。天国戦争から先、この国のこの街も、何だか誰も彼もが他人事みたいで……」

 

 何に期待しているのだろう。彼女は話し続けていた。

 

「包装紙は要りませんので。では」

 

「あの……っ! 誰かのために薔薇を買っているんですか?」

 

 呼び止められてグレイは一瞥を寄越す。

 

「……ですね。数少ない……友人のためだと言えばいいんでしょうか」

 

 話を打ち切ってグレイは病院へと向かう。新市街地に建てられたまだ真新しい病棟にて、自分は面会の約束を取り付けて病室を訪れる。

 

「……季節が過ぎ去るのを観ているのか」

 

 窓辺から外を眺めている影にグレイは問いかける。

 

 振り向いた女性は柔和な笑みを浮かべていた。

 

「ああ、いつもの。今日は調子がいいんですよ。忘れないでいられています。継続時間は、七時間、ですね」

 

 時計を見やった女性にグレイは薔薇を差し出す。彼女は手を叩いて顔を明るくさせた。

 

「まぁ! 薔薇を買ってくださったの?」

 

「ああ、まぁ気紛れだよ。花瓶はあるかい? 水を替えてくるから……」

 

「ああ、うん。それでね、えっと……あなたは……?」

 

 時間切れか。どこか茫然とする女性にグレイはいつもの論調で返す。

 

「君の叔父だ」

 

「そう、おじさん……。あれ? でも私に、叔父なんて……」

 

 直後には、彼女は枕元にある日記帳に手を伸ばしていた。日記帳にはこれまでの人間関係が事細かに記載されている。

 

「そう、叔父の……ベイヤード叔父さん?」

 

「ああ、そう。僕はベイヤードだ」

 

 そうなのだと、彼女に認識させたほうが都合はいい。グレイは水を替えながら、どこか煮え切らないこの関係に苦みを噛み締めていた。

 

「……なぁ、お医者さんは何だって?」

 

「……さぁ。私、何で病室になんか……? 何かの病気だったっけ……」

 

 その言葉が発せられる度に、己の悔恨だと過去を恨む。

 

「いや、君のせいじゃない。薔薇を買ったんだ。いつも君が好きだと言っていた、紅色の薔薇を」

 

「そう、薔薇が……とっても綺麗ね、ベイヤード叔父さん」

 

 会った事もない叔父を演じる事が彼女にとって都合がいいのならば、それで結構だろう。

 

 グレイは暫く彼女の目線を追っていたが、その先にあったのは枯れかけた広葉樹であった。

 

「……今は、秋?」

 

「そうだね、秋だ」

 

「おかしいの、私、この間まで春だったような気がするのに……。いつの間に秋になっちゃったのでしょう……」

 

 当惑する彼女に言葉を返そうとして、主治医が病室に押し入ってくる。

 

「……時間切れ、ですか」

 

 どこか諦観さえも混じらせた主治医の言葉にグレイは立ち上がっていた。

 

「さぁ、先生に診てもらおう。そのほうがいいに決まっている」

 

「ええ、それはもう……。でも何の病気で……?」

 

「脈をはかりましょう。いつものように」

 

「そう、いつもの……。私はでも、確か司書課程の勉強をしていて……それでその後は……?」

 

 グレイは面を伏せ、その場を後にしようとする。その背中へと看護師が声をかけていた。

 

「待ってください……。彼女の病状は、日々日々深刻になりつつあります。一度お話を聞いて行ってくださったほうが覚悟も出来ていいかと」

 

 覚悟か。グレイは向き直り、では、と応じていた。

 

「後ほどお話は聞きましょう。ですが……七時間は持ったと、彼女から聞きました」

 

「……不思議ですよね。あの事件……爆弾魔ロギーの無差別爆破テロに巻き込まれて奇跡的に生き延びたかと思えば、継続記憶を失ってしまうなんて……。彼女はあの日から、ずっと停滞しているんですよね……」

 

「それは僕もかもしれません。僕もあの日に囚われている」

 

 あの日、もし自分のほうが先に爆弾魔ロギーに立ち向かえていれば、運命は変わっていたのかもしれないと思いつつも、運命なんてと醒めた目線も同時に存在していた。

 

 ――そうだ、運命なんてあり得ない。全ては必然のうちに起こった事実。

 

「囚われるものではない、なんて言えないのかもしれませんけれど一つだけ……。あなたはもう、いいのではないですか?」

 

 そう何度も言われてきた。何度だってそうだ。

 

 あの日から、少しくらいは前に進んでもいいのではないか、と。前進しなければ、一生あの日のまま。あの時失ったままなのだと。

 

 だが、自分の持つ宿命は決して変えられないだろう。誰かに肩代わりなんて出来ないはずだ。

 

「ヘンストンさん。ちょっとよろしいでしょうか」

 

 主治医に呼び止められる。ヘンストンと言うのはグレイの表向きの名前であった。

 

「……何でしょうか」

 

「彼女の容体に関して、です。少しお話をしても」

 

「立ち話は……」

 

「ええ、ですから少しだけ。……今日の薔薇はとても血色のいい薔薇でしたね」

 

 主治医に導かれつつ、グレイは応じる。

 

「そうですか? 薔薇なんてどれも同じようなものでしょう」

 

「……ですがあなたはそう思っていないから彼女に買っていくのでしょう?」

 

「……分かりませんよ」

 

 主治医の診察室にて、グレイはまずいくつかのメモを見せられていた。

 

「……ここ数日の継続記憶の関連メモです。彼女の継続記憶は限りなく短くなってきている。この間隔ならばもう数か月もすれば、一時間も危うくなってくるでしょう」

 

「……そうですか」

 

「ヘンストンさん、それに関しても覚悟していただきたいのです。我々は最善を尽くしているつもりなのですが……どうしてなのだか、彼女の前頭葉も、ましてや記憶をつかさどる部分も一見すると正常にもかかわらず、記憶は失われ続けている。……これは安全装置のようなものなのかもしれないとも、わたしは思っています」

 

「事件のショックで、ですか。PTSDのようなものだと?」

 

「……そう思ったほうが説明がつくとも」

 

 グレイは嘆息をついて、その可能性を棄却していた。

 

「あり得ませんよ。だってあの爆発の中で……僕と彼女は奇跡的な確率で生き延びた。記憶がそもそも怪しいのも仕方ないんです。PTSDであったとしても、彼女の現在の病状の説明にはならない」

 

「ヘンストンさん……。そこまで彼女の事を理解していて、何故、この関係性に留まると言うのですか。あなたはあの場で……英雄的な働きをしたと――」

 

「やめてください。僕は何も出来なかった。……そう、何一つとして、出来なかったんですよ……」

 

 爆弾魔ロギーを罰する事も、ましてや己を犠牲にする事すらも。

 

 その悔恨を感じ取ってか、主治医は声にしていた。

 

「彼女……ペニーの病状は深刻です。少しずつ時間を失っていく。継続記憶を、まるで何かの代償のように、失っていくのは観ていて辛い。医者としても、何一つとして手が打てないのも」

 

「せめて、安楽死させる事は出来ないのですか。それならば望みも変わってくる」

 

 その提案にしかし、主治医は首を横に振っていた。

 

「安楽死制度はまだ成り立っていません。それはこのニューヨークがいくら廃れようとも、国家の制度として許されていないのならば仕方ないのです」

 

「……それが救える最善手でも、ですか」

 

 こちらの論調が厳しいものになっていたからだろう。主治医は柔らかく返す。

 

「ヘンストンさん。あなたもわたしも、何も出来ないのには違いありません。ですが、彼女の思い出を、少しでも彩る事は出来るはず。もし、一分先の事でさえも思い返せなくなったとしても、彼女を支えるのは思い出のはずなんです」

 

「……理想論ですね。失礼を」

 

 立ち上がった自分に主治医は言葉を搾り出していた。

 

「……ですが救うのは難しい……」

 

 目の前で患者を救えないのは医師としての敗北だろう。ならば自分の価値は、結局のところ、最初から敗北の立ち位置にあるのだ。

 

 帰り際に花瓶に差された薔薇を見やる。真っ赤な薔薇に自分は吐き捨てていた。

 

「……血の色だな」

 

 

 

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