DARKER THAN BLACK ―煉獄の扉―   作:オンドゥル大使

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第七十話 灰色を行く

 

「……どういう……」

 

「分からないかなァ? ボクが、契約者ペニー・ヒューストンであり、そして契約対価として、時間を、これまで消費してきたのだという事を」

 

「時間……」

 

 絶句するグレイにペニーと名乗った契約者は半笑いで告げる。

 

「ボクの契約対価はね、ただ時間を払うだけじゃないんだ。共有する必要があった。それは証人と呼ばれるシステムと共に、だとも。奇妙に思わなかったのかい? 何故、これまで爆弾魔ロギーは一秒も違わずに、どれほど追い込まれても、その時間ピッタリに犯行を犯すのか。そのメカニズムを」

 

「……それは、爆弾魔ロギーが、劇場型の犯罪者だったからじゃ……」

 

『違う。そうではないんだ、グレイ。契約者に劇場型の犯罪者など居ない。全てを合理的に判定するのみ』

 

「だが……では……どうして……」

 

「ボクの能力は強靭がゆえに、対価の縛りがキツイ。証人と呼ばれるシステムを構築し、そのシステム内でしか、ボクは対価を払えないんだ。証人を全て、これまでの犯行で殺してきたのは何でだと思う? それは起爆と共に外れる心理的安全装置だから」

 

「……言っている意味が、何を言っているんだ! ペニー!」

 

「……その名も聞き飽きたな。話してあげなよ! 全部知ってるんでしょ! 煉獄の契約者さん」

 

 こちらに向き直ったグレイに、紅は静かな語り口で告げる。

 

「……契約者、ペニー・ヒューストンの契約対価は時間。それもただの時間じゃない。その時間分、自分が契約者である事を忘れる。そういう仕組みになっているらしい」

 

「……忘れる?」

 

「そう。ボクに自白剤だとか、契約による強行だとかそういうのって無意味なんだ。だってボクは既に強力な対価を払っている。基本的に、対価を重複させる事は契約者は不可能。対価の履行中には他の能力対価は免除される。……まぁ、これはボクの場合だから、キミ等は知らないけれど」

 

「疑似モラトリアムだ、グレイ。奴は対価を払っている間、疑似的なモラトリアムになれる。しかも、MEによる記憶抽出も、あるいは強制的な能力発動も必要ない。文字通り完璧な……その間だけの人間であった」

 

 グレイがその真実に息を呑んでいるのが伝わる。

 

 建築物の間を抜けていく冷たい風を浴びて、ペニーは悪魔のように微笑んでいた。

 

「正解。……ただ落とし穴があった。ボクの対価はこれを突き詰めすぎた。自分だけの疑似モラトリアムなら最強なんだが、それを他者と共有しなければいけない。この場合は、最後の犯行を見た人間と、だ」

 

『そのシステムこそが、ロギーの証人だ、グレイ。ロギーは自身の密接な記憶と結びついている人間を証人として飾り立てる必要があった。多くの場合、起爆と共に死ぬが、最後の犯行は例外だった。例外的に、お前が生き残ってしまった……』

 

「まさか……僕なのか? 僕が、この犯罪者を、この時代まで生き長らえさせてしまっていた……」

 

 ある意味では一番の不運であり、そして悲嘆。

 

 グレイはロギーを追うためだけに今日まで生きてきたというのに、その存在理由は全て、ロギーの契約対価それそのものであった。

 

 彼の生存が、ロギーの生存とイコールで結びつけられてしまっていた。

 

「……爆弾魔ロギーを助けていたのは……一番に僕だった……」

 

 グレイが膝を折る。それを目にしてペニーが嘲る。

 

「いいね! その絶望! あー、待った甲斐があった! もう何年分? 分かんないな。ボクの対価は九進法だから、ちょっと計算が厄介でね。記憶が消えていた時間分、お努めご苦労様」

 

 降り立ったペニーがグレイの肩を叩く。

 

 グレイはその手に拳銃を握り締めているのにも関わらず、撃てないようであった。否、撃つ気力は最早失われたか。

 

「……何だ、キミ。灰色のままじゃないか。吼えた割には、変わらなかったね。ボクの最後の記憶と同じだったよ、キミの末路は」

 

 とん、とペニーがグレイの肩を突く。

 

 そのままグレイは生きる気力を失われたように、横倒しに倒れていた。

 

「……狂ったショウは、そこまでにしてもらおうか。貴様がEPRとやらの命を受けて、掻き乱したのはもう周知の事実だ。他の組織も追跡に来る」

 

「へぇ、そう! それって愉しそうだね! いやぁ、もう一回生まれ直した意味があったなァ!」

 

 喜色の笑みを相手が浮かべた瞬間、紅は駆け抜けていた。

 

 クナイを投擲し、ペニーの顔面を突こうとして、その手が触れる。

 

 瞬間的に膨れ上がった熱量を予見する前に、クナイが弾け飛んでいた。

 

 爆発の火力が外套を煽る。吹き込んできた風圧と共に、ランセルノプト放射光が続けざまに紅のレインコート上で開花していた。

 

 咄嗟に能力を発動させて相殺させるも、相手の火力の高さに紅は飛び退る。

 

「いいね、いいね! キミのその能力! ボクと同じだ。そっちは熱反応の操作? なら、似た者同士だねェ!」

 

「……ふざけるな。貴様と私は、同じではない」

 

 断じた声音と共にもう一本のクナイを払うが、それさえも児戯だと言うようにクナイの刀身が赤らみ、直後には弾けた熱波が襲いかかっていた。

 

 クナイに纏い付いた熱量操作は自分より遥かに精密である。

 

『紅! 奴の能力を見くびるな! これまで契約対価を払ってきた相手だ……相当な敵だと判定しろ!』

 

「うるさいなぁ、その蝙蝠。死んじゃえッ」

 

 ブルックの羽根にランセルノプト放射光の青白い光が纏い付く、即座に翼を返してその座標から逃れたブルックであったが、九死に一生のレベルであったのは自分ならば分かる。

 

「……熱伝導の操作だけじゃない。風に乗せて、相手を爆弾に出来る能力……」

 

「まぁ、触れているのがちょうど追い風だからね! 本当はもうちょっと集中すれば、連続起爆も可能なんだけれど……さすがにその方法を掴むのには時間がかかるなァ……。これが対価の面倒くささか。ヤになっちゃうね」

 

 今のうちしかない。

 

 ペニーが起爆方法を忘れていると言っている今のうちにしか、肉薄の機会はないだろう。

 

 だが、それが可能であろうか。

 

 吹き荒ぶ建築物の間の風圧一つで相手に遠隔爆破を仕掛けられる契約者を相手にして、自分は風下。それだけでもう不利になってしまっている。

 

 ワイヤーを放り投げる。

 

 円弧を描いてペニーにかかろうとする前に、相手がピンと指を弾くだけでワイヤーが熱量に阻害され、爆発の花弁が幾重にも咲いていた。

 

「バン! バン! アハッ! 楽しいねェ、煉獄の契約者さん! キミもそう思うでしょう? ボクと同じ、人でなしの契約者だもんねェっ!」

 

 次々にワイヤーを基点として爆破が迫るのを、紅は携えたクナイを跳ね上げさせて弾き返す。しかし、手数不足なのは明らかであった。

 

 それも当然。相手の武装は契約能力の断続的な発揮。

 

 こちらの射程は読まれ、そして攻撃は着弾の前に封殺される。

 

「……なら、これで」

 

 地面を這ったワイヤーが跳ね上がり、ペニーに絡みつくも、能力の発動前にその堅牢なはずのワイヤーが爆発で断ち切られていた。

 

「無理無理ィ! ボクに攻撃したかったら、煉獄の契約者さん、本気を出しなよ。まだ出していないんでしょ? 本気」

 

 口惜しいのはこれも同じ。

 

 相手と似たタイプの能力がゆえに、どれほどの能力閾値があるのかを想定されている。

 

 だが、熱操作の能力を使い過ぎれば、他の組織に察知される恐れもある。

 

 それは組織の契約者として活動を続ける自分としては旨味がない。

 

「……お前にはこれで充分だ」

 

「へぇ……あくまでも隠し通す、か。ボクには分かんないな。だってさ、契約者同士! 殺し合いには最大の敬意を尽くさないと、じゃないか! ボクのメインは拠点の爆破ばかりだったから、昂ぶってるんだよ……! 初めて! この力で契約者を殺せるかもしれないって事に!」

 

 旧センタータワーを吹き抜ける風は強まるばかり。

 

 ともすれば別の契約者が風向きを操っているのかもしれない。

 

 駆け抜け様にワイヤーを投擲するも、ペニーの首筋狙いの一撃は掠りもしない。

 

「……運だけはいい奴だ」

 

「それって褒めてるのかなァ! まぁ、キミは面白いからね。本格的に、能力を発動して、それで殺し合える! これってとっても愉しい、久方ぶりの感覚だ!」

 

「……お前は本当に、人でなしの殺戮マシーンなのだな」

 

「それの何が悪い! 契約者は人間じゃない。人間の皮を被った非情なる殺戮機械ィ! それに誇りを持ちぞすれ、腐るなんて!」

 

 風圧爆弾が襲いかかる。

 

 紅はコートを翳して爆発の威力を低減させつつ、一時も同じ場所に位置取らないようにしていたが、あまりに狭いフィールドではもう限界が近い。

 

 それを悟ったかのように、予め用意されていた足元の爆弾が起爆し、紅の足場を崩す。

 

 その一瞬の隙さえあればいいのだろう。

 

 ランセルノプト放射光の青白い光が、紅の胸元で煌めく。

 

 ペニーが手を押し広げ、そのまま爆弾を起爆させようとした。

 

 一秒もない、紅の一刹那の後に、爆弾は放たれていただろう。

 

 ――その時、振り向けられた声がなければ。

 

「……動くな。爆弾魔ロギー」

 

 ペニーの後頭部に据えられていたのは、銃口であった。

 

 彼女が振り返る前に、詰めた声が響き渡る。

 

「……僕は撃てる」

 

「いいや、撃てやしないさ。それとも、こう言ったほうがいい? ……私を殺すの? ヘンストンさん」

 

 涙さえも浮かべながら、ペニーはグレイの決意を弄ぼうとする。

 

 しかし、グレイは面を伏せたまま、引き金に指をかけていた。

 

「……僕は、あの時撃てなかった。さっき芋女から真実を聞いても、それでも撃てないかもしれない。根性なしかもしれない。でも、それでも僕はこの年月を、無駄にしたくない。……ペニーは僕の中で生き続ける」

 

「それは傲慢ね。ここに私が居るのに、記憶を失っていた頃の私に縋るの?」

 

 どこまでの冷酷。どこまでも合理性に振ったペニーの言葉繰りは悪魔のようだ。

 

 グレイが顔を上げる。

 

 その相貌に浮かんでいたのは、真なる決意。

 

 彼は唇を噛み締め、奥歯を軋らせて、苦渋に顔を歪ませてでも、それでも撃とうとしている。

 

 自らへの決着のために。

 

 あるいは、彼女へのはなむけのために。

 

 震える手は、何度も何度も、迷いと苦悶の只中にあるのが窺えたが、それでも今度こそ、とグレイは引き金にかけた指に力を入れているようであった。

 

「……そう。私を殺すのね、ヘンストンさん」

 

「……芋女。それにブルック。何も言わないでくれ。何も……僕の背中を後押しする事も、ましてやこれを否定する事も、何も……。僕は自分で、自分の過去に終止符を打つ。それ以外に、僕の進む道はない」

 

『……グレイ。お前は……』

 

「……グレイ」

 

「いいわ。撃ってみて。そうすればはっきりするでしょう。でも、あの時のように、撃てないんじゃない? だって、私を殺すのよ。あなたは。あの時と違う。爆弾魔ロギーの戯言に惑わされるのでもなく、本当に自らの意思で」

 

「……言ったはずだ。――もう、灰色でいるのは、うんざりなんだって」

 

「そうだよ――ねぇッ!」

 

 風圧が変位し、グレイの服飾に爆弾の光が纏い付こうとする。

 

 紅は動きかけて、その瞬間、銃声が木霊していた。

 

 ペニーが静かに倒れ伏す。

 

 グレイを襲っていたと思われた青白い光の残滓はそのまま、グレイの背後にあるコンクリートの壁を粉砕していた。

 

 最後の最後、ペニーが狙ったのは本当に自分だったのか、それともわざと逸らしたのか。

 

 答えは出ない。

 

 答えは出ないまま、夜は更けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まさか爆弾魔ロギーの正体があんな弱々しい女性だったなんて」

 

 呟いたジャンに、ミシュアは担架で運ばれていく死体を一瞥する。

 

 しとしとと降り始めた雨が、ニューヨーク新市街地を濡らしていた。

 

「……でも、だからって許される罪じゃない」

 

「課長。あの時……殴ってくれたのは、俺の分も、ですか」

 

「……分からない。分からないままなのかもしれない」

 

 振るった拳の行方が黒なのか白なのかなんて。

 

 きっと、この世の果てになっても分からないままなのだろう。

 

「……でも、雨は冷たいわね。こんなにも無情に……」

 

 禊の雨だ、とミシュアは降りかかる雨粒を拭いもしない。

 

 そんな自分に傘を差したのはリッターであった。

 

「……解せませんな、しかし。あの時、もうとっくの昔に、ロギーは捕らえていたなんて」

 

 彼も事の次第を聞いたのだろう。

 

 その苦渋なる面持ちに滲んだのは、何よりも自らへの不実であったように窺えた。

 

「……誰のせいでもありませんよ」

 

「分かってはおるのです。しかし……報われない奴を一人だけ、知っておりますので……」

 

 今日のリッターからは普段の威圧されるような感覚を覚えない。

 

 彼もまた痛みを抱えてこの夜を過ごすしかないのだろう。

 

 今さらにジキルを殴った拳がじくりと痛んできていた。

 

 きっとこの痛みを、自分は忘れようにも忘れないままなのだろう。

 

「……携帯、鳴っておりますよ」

 

 ミシュアは遅れて自分の携帯への着信に気づく。

 

「もしもし……?」

 

『あー……あたし。何とか生きてるわ……』

 

 爆発に巻き込まれた山里の声に、ミシュアはその場に膝を折って泣き崩れてしまう。

 

「ああ……よかった……」

 

『……何て声してんのよ、あんた。それにしたって、聞いたけれど、爆弾魔ロギーの正体は……』

 

「今はそんな事はいい……。生きててくれて……ありがとう」

 

 自分勝手でもいい。

 

 そんな言葉に通話先の山里は軽口を叩いていた。

 

『あんな爆弾じゃ死んでも死にきれないわ』

 

「……天文部の、ですか」

 

「ええ、でもまさか……。こんなにも、安心するものなのですね……」

 

「そんなものです。ああ、きっと……そんなものなのでしょうね」

 

 リッターが煙草に火を点ける。

 

 その煙い吐息の距離だけ、今はありがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――今回の任務は以上だ。何か意見があるか。紅、ガーネット。……グレイ』

 

 そう言葉を振った止まり木の上のブルックに、新聞記事に視線を落としたまま、グレイは応じていた。

 

「何も。しかし、今日の新聞は……何だか湿っぽい記事ばかりだな。これじゃ三流ゴシップのほうがマシだ」

 

『……グレイ。無理する事は――』

 

「何の事だ、ブルック。僕は命令をこなすだけ。お前達契約者でも、人間でもない側の……ああ、そうか。僕はとっくの昔に、灰色である事に慣れていたんだな……」

 

 今しがたその言葉を得たかのようにグレイは放心するのを、夜都は言葉を投げていた。

 

「……休養が必要なら申請すればいい。組織もそれくらいの温情はある」

 

「言うじゃないか、芋女。僕はもう何でもない」

 

 立ち上がったグレイの背広姿は本当に因縁を振り切ったように思われたが、新聞紙を手にして向かう方法がいつもと違っていた。

 

『おい、そっちは違う道じゃないのか?』

 

 呼び止めたブルックにグレイは振り向く。

 

「いや、こっちでいいんだ。ちょっとだけ……赤い薔薇を買わなくっちゃいけない用事が、あるだけだからね」

 

 

 

 

 

 

第七章 了

 

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