ウェインとギリは今回の強化合宿の前日。
見覚えのない女子学生から声をかけられた。同じ魔法学園の制服を着ているからここの生徒だと判断した二人はそれぞれ別の時間。別の場所。人気のない校舎裏や誰もいない空き教室で彼女に呼び止められた。
既に公表されている国家間の決闘に参加する自分達に興味があった彼女は自分と話したいとそれは嬉しそうに声をかけてきた。
女好きのウェインは喜んで彼女と話をしたが、プライドが高すぎて傲慢なギリは彼女の誘いを最初は断ったが、彼女が持ってきた話は決闘で戦う相手選手の情報だという事。
正直、なぜ彼女が知っているのかは眉唾物だったが、彼女の情報が本物なら有用だと考え、話を聴くことにした。
今思えば不思議である。
決闘前という緊張感があるはずなのに身元不明の彼女についていくことが。
どうして自分達はこうも人気のない場所にいるのか。
そして、整った容姿だが顔や声。肌や髪の色さえも今では思い出せない彼女の話をなぜ聞こうと思ったのか。
そして、彼女の持ってきた情報。
それは対戦相手が最低でもレベル3の上級魔法の使い手であること。
中にはレベル4の特級魔法の使い手であること。
対戦相手達は皆、上物のマジックアイテムを持っているという事。
なにより。これは代理戦争といっても過言ではない危険な戦いであることを知らされた。
戦争は勝った方が正義だ。
勝てば何をやっても許されてしまう。
こうして自分と話している間にも相手側に狙われているかもしれませんよ。と、不安を煽ってきた。
現に話しかけられた彼女が、自分のすぐ後ろに視線を向けると、そこには短剣のような光る物体を懐に持っていた作業員がいた。
それを目にしたとき、ウェインとギリの背筋に怖気が走った。
彼等は今回の決闘に参加するだけあって、それなりにダンジョン攻略や決闘の経験がある。
しかし、ダンジョン攻略は雇った冒険者や従者達の後ろ。決闘は厳守とされたルールの元で、ある程度の安全が保障されていたからに過ぎない。
ここで声を上げて魔法学園の教師や衛兵を呼ぶべきか。いや、この距離では声を上げたとしてもそれは自分の断末魔だろう。
そうやって震えてしまった二人に優しく声をかける女子生徒。
大丈夫。今は、襲ってはきません。
なら、後になって襲われるのかと身構えた二人に女子生徒は言葉を続けた。
ネーナ王国に寝返りませんか?
何もかも思い出せないのに、そう言った彼女の口端が嫌に上向きだったのは今でも覚えている。
対戦相手はレベル4の特級魔法使い。装備も万全。自分達は魔法学園ではエリートだが、やっとレベル3が見えてきたかの中級魔法使い。
装備は国から渡されるだろうローブ。これも一級品だとは思うが、彼女の様子からだと相手選手と比べるのが可哀そうになるほど強力なのだろう。
更には自分達のチーム。
高等部の自分達は良いとしても。中等部の女子。そして最年少の初等部一年生が二人も選出されている。
いくら何でも脆弱すぎるチームメイトだ。
いくら初等部の二人。一人は特待生。一人はエレメンタルマスターとはいえ、若すぎる選出にウェインもギリもこれでは勝てないと前々から考えていた。
そんな状態なのに命の危険がある決闘に出ろというのは無茶がある。その上、決闘に出るまでにも命の危険があると言われては、戦闘意欲が地に落ちるというものだ。
そのような考えの二人に女子生徒はアイテムを渡した。
ウェインにはラビットリングという腕輪型のマジックアイテム。装備すれば脚力に上昇補正がかかる代物を。
ギリには粉塵の書。持っているだけで風の魔法の精度が上がるアイテムを。
学生の身で、このようなマジックアイテムを得るどころか目にすることすら稀である。
それなのに、ポンと渡してきた女子生徒の表情は余裕のあるものだった。
話を聴いてくれたお礼です。でも、貴方達の対戦相手にそんなものでは全く歯が立たないでしょうけれど。
ウェインとギリは感じていた悪寒がさらに強まった。
マジックアイテムを渡してこの余裕。もう、疑うことはなかった。
今回の決闘。相手選手には、ネーナ王国には絶対に勝てないのだと。
それからは女子生徒の話すことを聞き逃さないように集中した。
もし、裏切るのなら今度の強化合宿で、特待生の子も寝返らせたいので、彼だけを特定の場所まで連れてくるように言われた。出来る事ならカモ君も連れてくるように言われた。
寝返った報酬も破格の物だ。
国を、家を裏切り、後ろ指で刺されようともおつりが出る報酬。
ネーナ王国で新しい貴族としての地位。名声を得ることが出来る。
では、この話を断ったらどうなるかと尋ねたら、返ってきた言葉に耳を疑った。
別に?何もしませんよ。
今回の寝返りの話を誰かに喋ったりしても特に彼女からは何もしないとそっけなく返されたのだ。そう言った彼女は別れを告げて、他の生徒がいる廊下へと歩いていき、人混みに混ざるように、その場を後にした。
これはつまり、自分達が何をしようと彼女は事を進められるという事。それだけに自信。余裕があるのだという事だ。
ウェインとギリは彼女を恐れた。
そして、強化合宿本番。
確かにカモ君とシュージは自分達よりも強い生徒なのだろうと認めざるを得ない。
しかし、あの女子生徒の言動から、彼等の戦闘力でもどうしようもないのだと告げられている気がした。
あの用意周到な彼女がこの二人の戦闘能力を把握していないとは思えない。
なにより、カモ君の態度が気に食わない。
確かに貴族の役目として領地と国民を守るのは義務なのだろう。
だが、それにかこつけて自分達にまで拷問をしてまで強くなろうとすることが気に食わない。
年下であり、爵位も持っていない状態のカモ君が主導権を持っていることが気に食わない。
小柄だが、美少女といってもいいメイドといい仲を思わせるのが気に食わない。
なにより、今回の強化合宿メンバーの中で一番貴族らしかった。貴族として正しい姿勢で合宿に取り組んでいた。
自分はこんなにもネーナ王国に怯えているのにカモ君は。彼の周囲だけは屈せず立ち向かう意思を持っていた。
ギリは自分が知らないうちに情けなく思えた。悔しく思った。惨めだった。
だから、お前も惨めになれ。
自分だけでは不公平だ。
その意志を貫けるカモ君を貶める為に彼の大事な友人を人質に取り、彼をここで仕留める。
そう決意した瞬間にメイドの一人に声をかけられた。
見ればそのメイドは自分に話しかけてきた女子生徒の一人だった。
何故、彼女に今の今まで気が付かなかったのか。まるで彼女は毎日目にする赤の他人のように興味を引くことが無かった。
こんなにも美しい風貌をしているのに…。
決意なされたのですね。
彼女の事は疑わしいが、彼女の言葉には逆らう気はなかった。
ギリが頷いた事を確認したメイドは新たなアイテムを彼に授けた。
ドッグ・チェーン。
本来は猟師が猟犬に装着させ、獲物を見つけた時それを猟師に伝え、猟師の位置を猟犬に伝えるマジックアイテム。一種の通信機の役割を果たすアイテムをギリは受け取った。
では適当な理由をつけて私の後ろを追いかけてください。モンスターは私がどうにかします。三十分は襲ってきませんから。
そう言って彼女はウェインにも声をかけて、混沌の森へとするりと入っていった。
それをとがめる人物はいなかった。
普通、メイドが一人。モンスターが跋扈する森に入る場面を見れば止めに入る。
監視役の教師はもちろん。それが同業者なら猶更止める。
だが、そうはならなかった。
まるで、誰も森に入りはしていないかのように。だが、確かに彼女は自分達の前で混沌の森へと入っていった。
色々不気味な点はあるが、あえてそれに乗ってやる。
どうやらウェインも乗り気のようで親指でネインを指す。どうやら彼女を人質にと言ったところだろう。
残念ながらウェイン並みの筋力はギリにはない。がっつり魔法使いタイプなので魔法の補助なしでは人一人運べない。となれば自分は、人質は取らないほうがいいか?いや、人質は多い方がいい。だが、良くても子どもを抱えるくらいが精いっぱいだ。
そこに目に入ったのはメイドの一人のキィだった。
出来ればもっと小さいコーテの方が良かったが、彼女くらいならギリでも抱えて走ることが出来る。
あれだけ疲れていたはずの体力も今ではだいぶ回復した。今なら、怪しかった彼女の後を追いかけることも出来る。
ギリは魔法を使いキィを捕縛すると同時にウェインもネインの首にナイフを突きつけているところだった。
もう後には引けない。
やりきるしかない。
そんな高揚感からか自分の体ではないように感じられるほどの膂力が体からあふれる。
あの女が何かしたのか?だが、今のギリには好都合だった。
ウェインがネインを肩に担いで。ギリが魔法で作り出したロープでキィを捉えたまま混沌の森に入っていく。
ドッグ・チェーンの効果であの女が通っていった道が分かる。
自分達が通ったあぜ道ではなくい。かといって、獣道でもない。
いつからそこにあったのか、まるで隠されていたかのように舗装された道が女の通った後に続いていた。
自分達が知らない。おそらく教師サイドも知らされていないだろうその道は一直線に混沌の森の奥地へと続いていた。
そんな不思議な道を走り切った先には断崖を思わせる一際大きな樹木が生えており、その周囲は掃除でもしたのかと思わんばかりに背の短い草原が広がっていた。空から見たらまるでドーナッツのようにぽっかりと開いているように見える場所だ。
モンスターが出現しなければ、観光スポットにでもなっていたかもしれないその空間に自分達に寝返りを打診してきたメイドはいた。
ギリよりも数分早く到着したウェインはネインの服を破いている最中だった。どうやら彼女に乱暴を働くつもりらしい。
メイドはそれを止める様子もなくギリを怪しく笑って迎える。
ご苦労様です。後は人質を利用して特待生を連れ去り、エレメンタルマスターの少年を殺すだけですね。
そう言った彼女は巨木を背に微笑んだ。
この瞬間を収めることが出来ればさぞ有名な絵画になっただろう。
しかし、今、こうしてみてもメイドの顔を捉えることが出来ない。
前髪で見えないわけでも仮面をつけているわけでもない。何も邪魔していないはずなのに彼女の顔を。声を。風貌を捉えることは出来なかった。だが、この時はなぜか、それを不思議とは思えなくなっていた。
…貴方もあちらみたいに楽しんでみたらどうですか。
もう、この国にはいられないでしょうから。
恐らくウェインも同じことを言われたのだろう。
だから、容姿が整ったネインに乱暴をしているのだ。
どうせ事が成功したらリーラン王国には居ないだろうし、失敗してもおそらく処断されるのは間違いない。ならば少しでも楽しまねば損というものだ。だが、自分が捕まえてきた人質は魅力的ではない。
はずだった。
ちらりと自分が連れてきたキィに目を向ける。が、あまり欲情することが出来ない少女体型。ロリコンなら喜びそうな体つきはギリの趣味ではない。
ネインやミカエリのように出る所は出て、引っ込むところは引っ込んでいる体型が好みであるにも関わらず、キィの姿を見て、これはこれで。と、思うようになった。
そんなギリの視線を受けてキィはじたばたと捕まえられた時以上にもがいたが、拘束を解くことは敵わない。出来るのならとっくの昔に逃げ出していたはずだ。
彼女のメイド服。エプロンになっている部分を無理やり引きはがし、ボタンを一つずつ外していく。
すぐ傍ではネインが大声で悲鳴を上げながら抵抗しているが、下着ごとズボンを脱いだウェインに完全に抑え込まれている。あと一分もしないうちにネインの操が無残に散らされるだろうと思った瞬間。
ギリの真横を太くて長いものが物凄いスピードで通過していった。
そして、そのスピードのまま、その先端がウェインの尻に。正確には尻の穴に深々と突き刺さった。
「あ“―――――っ!」
野郎の汚い声が鳴り響いた。
と同時にギリの顔に鋭く重い衝撃が走る。
「ぷげぇえええええっ!?」
衝撃のまま吹き飛ばされたギリは、そのまま数メートル地面を転がる。
その時に見たものはカモ君が思いっきり拳を振りぬいた体制だった。
「ひゃ、ひゃんで。おみゃえがひょひょに」
殴られた頬ではっきりと喋れないギリ放って、カモ君はネインの上に覆いかぶさっていたウェインの横っ腹を蹴り飛ばしていた。
カモ君だけではない。
ギリ達がとってきた道を通って来たのか後から付き添いの教師が一人。そして、シュージとコーテがやって来た。
まるで自分達の後からすぐに追いかけて来たかのように。
「みゃ、みゃしゃか、おみゃえたち。追いきゃけてきたのきゃっ。あの後しゅぐにっ!」
そう、あの犯行声明の後、一分もしないうちにカモ君を先頭に彼等はやって来たのだ。
人質の命がないと忠告したのに、それを無視して。
これには最初、シュージを含めた教師の何人かがすぐに追いかけるのは危険だと考えていたが、コーテから事情を聞かされたカモ君がすぐに追いかけるように行動したのだ。
理由はもちろんある。
まず、誘拐犯であるギリ達は現状二人だけの犯行。しかも人質という足手まといを連れた状態ならすぐにでも取り返せる。対処できると判断。
次に、彼等に時間を与えれば罠の設置や他の犯行メンバーとの合流が考えられる。そうなると救出はより困難になるという事。
その事を告げながらカモ君は戦える人間は自分に続けと指示を出して森に突入して言った。
幸いなことにカモ君の視力と聴力は常人の1.3倍。他人の魔力探知は5倍。これらは全て愛する弟妹のために常日頃からケアと鍛錬をしているおかげである。
そのおかげでギリの背中がちらりと見えた後を追っていくと舗装された明らかに怪しい道を発見した。そこからギリやキィの魔力を察知し、後に続いていった。
もちろんカモ君も一人で何でもできるわけではない。後からやって来た教師とシュージとコーテの気配を感じたからこそ、追走を続けた。
そして、人質に気を取られた瞬間の不意を突こうとカモ君は息をひそめていたのだ。
だが、ネインが本格的に危なくなったところで彼等は合流。魔法を使うには遅すぎる。カモ君は何かを投げつけて気をそらそうと、大きな道具袋を持った教師に手を向けて言った。
「何か投げる物をっ」
「バナナがあるよっ」
何でバナナ?とは思ってはいけない。
シュージのお陰でタフナルバナナは沢山入手できたのだ。それこそ教師の袋に入れられるほど大量に。
そして、カモ君の投擲は予想以上の成果を上げた。まずは体のどこかにでもあたって気をそらせればいいと考えていたが、タフナルバナナは投げやりのようにまっすぐに飛んでいき、そのやや弧を描いたバナナはピンポイントでウェインのデリケートゾーンに突入した。
あとは御覧の通りとなる。
ギリは殴り飛ばされた衝撃でキィを拘束していた魔法が解除された。
ウェインはカモ君に力いっぱい蹴り飛ばされたせいで呼吸がまともに出来ていない。何より尻に入った異物感もあってか、「お“っお”っ」とえづく始末。
誘拐作戦は見事に失敗。
あまりの不始末にギリが絶望した顔でカモ君を見上げる。
その風格はどこまでも正しく雄々しい。貴族男子なら誰もが一度は憧れる『英雄』だった。
「なんで、だ。何で、そこまでっ、そうしていられるっ!どうして、そこまでっ、正しくいられるっ!」
ギリの怨嗟はもはやカモ君だけではない。彼を取り巻く環境や世界を呪わんばかりの怒りだった。
自分はこんなにも無様なのに。カモ君は正しく強い。
ギリ自身、努力してこなかったわけではない。むしろその逆、努力してきたから。実力があるからこそ決闘する選手に選ばれたのだ。
だが、ギリとカモ君の立場はまるで違う。それが悔しくて、悲しくて、怒り狂わんばかりだった。
その差を知りたかった。答えを知りたかった。
しかし、返ってきた言葉はあまりにも短いもので単純なものだった。
「そりゃ、あんたが悪い事をしているからだろ」
ギリが、あの女に脅されても、屈することが無ければ、こんな事にはならなかった。
ギリは、対戦相手が強いからと言って戦う事を諦めなければ、こうはならなかった。
ギリが、リーラン王国の貴族の誇りを持っていれば、きっと彼もカモ君の隣に立っていたはずなのだ。
「…あ」
それは簡単な事。
走っている先が同じならばいっしょに並ぶことが出来たのに。自分がやっている事は逆方向に走っているようなもの。
だから、こんなにも差がつくのは当たり前。立場も違うのは当たり前なのだ。
その事に気が付いたギリは全身から力が抜けたようにその場に伏した。もう彼が抵抗することはないだろう。
ちなみにカモ君がギリの立場だったら、クーとルーナとコーテの安全という条件付きなら同じ行動をとっていた事をギリが知る由もなかった。