鴨が鍋に入ってやって来た   作:さわZ

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第二十一話 弟の奮闘

 目の前にある絶望を体現した存在にクーは心と体がくじけそうになっていた。

高さ七メートル。全長十メートル。自分達が住む屋敷よりも大きいドラゴン。

そんな存在が自分達の領に戻ろうとしていた自分達に押しかかって来るとは思いもしなかった。

 のどかな風景が広がる平野。夏も間近な風景にのんびりしていたら、魂をも揺さぶる方向と共にドラゴンが舞い降りてきた。

 しかも闇属性の象徴である黒い表皮に生える滑らかな鱗は太陽の光を弾いてまるで夜空に浮かぶ星のように輝いていた。

 自分の使う魔法は全てその鱗に弾かれた。グンキの強弓から放たれる矢も弾かれた。

 それなのにドラゴンから繰り出される黒い炎のブレスで護衛の衛兵達の半数が戦闘不能もしくは死亡したかで動けなくなった。

 その全体像からは短くも見えるドラゴンの腕。そして三メートル近い尾を振るわれれば残った衛兵達の殆どがやられた。

 残ったのは遠距離攻撃に徹した自分とグンキ。そして弓矢で攻撃する数人の衛兵達。

 自分達だけでは貫けない防御力。防ぎようのない威力を持つ攻撃。

 その二つの事を認識しただけで体が震える。くじけそうになる。だが、駄目だ。今ここで自分達がやられたら呻き声を上げて動けない衛兵達が勿論、くじけてしまった自分自身も食い殺される。だから駄目だ。動け。諦めるな。自分の兄ならこの程度の逆境を乗り越えられるはずだ。

 その上、自分から馬車を飛び下りて時間稼ぎのつもりで逃がした妹の乗った馬車。自分がやられた後にそれを追いかけられてやられてしまうかもしれない。そうなれば自分はもうあの人の弟として誇れなくなる。それだけは駄目だ。

 勝てなくてもいい。ここでやられてもいい。立ち向かえ。妹を逃がすための時間を稼ぐために。

 

 クーはそれから時間を稼ぐために、逃げた妹を乗せた馬車に注意が向かないようにドラゴンの目を執拗に狙って魔法を繰り出す。その全ては黒い鱗に弾かれる。だが、それでもドラゴンのヘイトを集めることに成功する。

 兄が使っていた二つの魔法の同時使用を弟のクーはこの場面で完全に習得した。

風属性の魔法を使い、体を軽くして人では出せないほどの俊敏さを見せながらドラゴンの目を火属性の魔法で攻撃した。

 ドラゴンから繰り出される腕や尾のなぎ払いをどうにか躱しながら魔法で攻撃をし続ける。ブレスを吐こうとした動作を見せた際には、ドラゴンの頭とは反対側の方に移動してドラゴンがブレスを吐きだすのが苦しむようにした。実際、ドラゴンはブレスを吐きださず、尾でのなぎ払いで自分を攻撃してきた。

 グンキや残っていた衛兵達も弓矢で攻撃していたがドラゴンはしつこく魔法を使ってくるクーだけを狙って攻撃を続ける。

 

 どれだけ時間を稼いだだろうか。一時間?三十分?もしかしたら十分も経過していないかもしれない。

 後どれだけ自分の魔力と体力は残っている。どれだけ動ける。そんなことも考える余裕も無く攻撃を続けるクーの攻撃魔法が発動しなくなった。それと同時に体中に重りをつけられたように力が入らなくなる。

 魔力が尽きかけているのだ。もう自分が使っている魔法が維持できないくらいに。

 その鈍くなった動きをドラゴンは見逃すことなく尾を振るう。その尾の太さは大の大人よりも太く高い。当たればその小さな体ははじけ飛ぶだろう。

 動け動け。魔法をどうにか発動させろ。残った魔力を全部使いきってでも。不完全でも発動させてあの攻撃を躱せ。

 その思いに応えたのかクーは一瞬だけ魔法を発動させる。その鈍くなった両足に力を込めて後ろに大きく跳び下がる。

 それは文字通り紙一重。直撃は免れたもののその尾によって生じた風圧でクーは下がった方向に更に吹き飛ばされた。まるでおもちゃの人形を投げつけたかのようにクーの体は回転しながら地面に打ち付けられた。

 

 「…う、あっ」

 

 随分と転がされた所為か。うつぶせに倒れているクーの視界は歪んでいた。しかしそれ以上の気持ち悪さをともなった体の熱さで立ち上がれなかった。

 たった一撃。しかも直撃していないのにその風圧で体を転がされただけだったのに。

その時に腕と足を痛めたのか動けなくなっていた。

 痛み以上に気持ち悪い。動かなければならないのに体がピクリとも動かない。

 先日見た兄のように目の前に襲い掛かってくる脅威に立ち向かおうとしたがそれに敵う事はなかった。

 

 

 

 やはりドラゴンに立ち向かうなど無理な話だった。

 

 

 

 歪んだ視界の中でドラゴンが大きく息を吸い込む姿が見えた。

 それがどこか他人事のように感じられたのは全身に奔る痛みの所為か、それとも絶望を前にした走馬灯なのか分からない。だが、数秒後にはドラゴンのブレスが理解出来た。そうなれば自分は消し飛んで死んでしまうだろう。

 子どものくせに、兄のように鍛え上げられた肉体でもないのに、真似をしようとした結果がこの状態である。兄なら吹き飛ばされても受け身を取ってすぐに立ち上がっていただろうに。

 

 

 自分がドラゴンと対峙するなど無茶な話だった。

 

 

 ドラゴンの口先が自分の方を向いた。そこから離れた所からグンキや衛兵達が声を上げて自分に逃げるように叫んでいる。しかし、それに答えることが出来ない。立ち上がる事が出来ない。

 兄ならその期待に応えることが出来ただろう。兄なら立ち上がる事が出来ただろう。そう、兄なら…。しかし自分は兄エミールではない。応える事も立ち上がる事もが出来ない。

 

 ドラゴンの口が開く。その奥には自分を吹き飛ばす威力を持った黒い炎が見えた。その動作がクーには嫌にゆっくりに見える。クーはそんな時でも思わずにはいられない兄の事を思った。

 そう、こんな絶望的な場面でも兄なら…。

 自分のように弱っている人を背に、ドラゴンという驚異を前にしてしても堂々とした佇まいできっと守り抜くだろう。

 そしてドラゴンのブレスが放たれる。黒い炎がクーの視界を埋め尽くす。

 

 ・・・はずだった。

 

 クーは視界の中央に白く輝く巨大な星を見た。

 その星の光を避けるように黒い炎は左右に分かれていった。

 黒い炎が自分達を避けていった後、白い星が役目を終えたようにその光を失う。

 その光の中から現れたのは自分達の英雄。どんな時でも優しく微笑みながら守ってくれた存在。

そう、いつもの訓練後のように微笑みながらこう言うのだ。

 

 「俺が来るまでよくやった。頑張ったなクー」

 

 

 

 しかし自分がドラゴンに戦いを挑むことは決して無駄ではなかった。

 

 

 

 兄がここに居るという事は、妹は逃げ切ったという事だろう。妹が自分の危機を兄に伝えて、兄が自分を助けに来てくれた。

 兄がいつものように自分の方に水の軍杖をかざして回復魔法をかけるとクーの体から痛みが消えた。疲れまではとれなくても立ち上がる事が出来るまでは回復した。

 

 「あとは俺に任せてお前はグンキさん達と一緒に王都に戻れ」

 

 「…にー様。僕も」

 

 「悪いな。今回ばかりは全力で戦わないといけない。周りにお前達がいると全力で戦えない。この杖を持ってグンキさんと一緒にここから離れてくれ」

 

 自分も戦いたかった。だが、魔力の尽きた自分は足手まといだ。それを暗に伝えた兄にクーは従うしかなかった。だから、せめて言葉だけでも置いていきたかった。

 

 「にー様。御武運を」

 

 クーが兄から水の軍杖を受け取り、グンキ達の元に駆け寄るのを見たドラゴンは彼に向かって再度攻撃をしようと視線を移した瞬間に、いつの間にか自分の視界の半分を埋める白い光を帯びた大剣を振り降ろすエミールの姿を見た。

 思わず瞼を閉じて、その動作でドラゴンは自分の瞼に軽い衝撃を覚えた。その事に驚いた。

 ドラゴンはこれまで自分がこれほどの衝撃を受けたのは自身が生まれ落ちた時、まだ母ドラゴンに小突かれた時に痛みを感じた時以来である。

 自分の体は闇属性の鱗に覆われている。その為、自分が受ける魔法攻撃は人間だとそよ風か精々羽でこすられる程度のものだった。そんな自分に衝撃を与えることが出来た新たに現れた人間は光属性の魔法使いだろうと思ったが、その割には地面から六メートル以上もある高さにある自分の顔面に切りかかる人間離れした跳躍力だ。

 閉じたまぶたを開くと同時に切りかかってきた人間も地面に着地する。その手に持っていたのは砕け散った大剣だった。

 だが、その人間は魔法を紡ぐと新たな土くれの大剣が彼の目の前に現れる。それを手にしてさらに魔法を発動させる。その大剣にはドラゴンに唯一効果のある光魔法が付与されていた。それで殴られでもすればさすがにダメージを負ってしまうだろう。

 それを感じ取ったドラゴンは考え方を切り替える。

 圧倒的な優位の自分でただ嬲られるだけの捕食対象から、自分を傷つけるかもしれないという危険な存在へと切り替わる。

 男が更に動く前にドラゴンは大きな咆哮を上げる。

 これから始まるのは決闘だ。命を賭けた物だ。ただし賭けているのは男の方だけ。ドラゴンは自分を傷つけることはあっても殺すまでには値しないと踏んでいた。

 事実、エミールはドラゴンに有効と思われる最大威力の魔法をぶつけたがドラゴンは未だにノ―ダメージ。それでもコイツの前から逃げるなんて事はしない。自分が逃げれば次はクーが狙われるから。本当は逃げたい気持ちを押さえながらドラゴンに自分の今の気持ちを伝える。

 

 「くそトカゲ。よくも可愛い弟をあそこまで痛めつけてくれたな。覚悟しろよ。努力してきた踏み台の攻撃はちょいとばかり体に響くぞ!」

 

 立場が逆転する。とは言ってもドラゴンの圧倒的立場が変わる事はない。

 変わったのはクーからエミールに攻撃対象が移っただけの事。そして、防戦一方だった人間の立場から隙を見ては反撃する事が出来るようになったことだ。

 

 「人間舐めんなよ!」

 

 そして、ドラゴンと踏み台の生死を賭けた戦いが始まった。

 


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