思いのほか準々決勝戦が終わったことにより、お昼過ぎには武闘大会会場からは観客は自宅に帰るなり、遅めの昼食もしくは早めの夕食を取る為に出払っていた。
それは大会選手も観戦に来た王族も同様であったが、そんな選手控室の前に王女マーサがカヒーとビコー。数人の護衛を引き連れて控室までわざわざ出向いていた。その目的は白騎士。正確には覇剣シルヴァーナを持つマウラに会うためだ。
予め、白騎士の名前で出場しているマウラが選手控室に戻ったところに従者の一人に他の選手がいなくなるまで控室で待っているように事付は済んでいた。
マーサが控室に入るとこには備え付けのベンチに腰かけることもせずに、まるで彫刻像のように直立していたマウラがいた。
もはや兜を取れとは言わない。シルヴァーナもそうだが、目の前の人間から感じられる魔力はマーサにとっては何度も感じている妹の物。間違えるはずが無かった。
「マウラ。どういうつもりですか。この武闘大会に出場するとは」
「…」
姉の言葉に妹は応えない。いつもは自分が声をかけると子犬のように声を上げながら寄ってくるマウラが無言を貫いていた。
「第三王女でもある貴女なら欲している物なら父上や母上に言えば手に入るでしょう。この大会で得られるものはそこでも手に入る。何故、出場したのですか」
「…」
目の前の白騎士は何も答えない。マーサのような王女に対してこのような無言を貫くという無礼が許されるのは同じ王族だけだ。他の人間がしようものなら文字通りその場で首が落ちる。それほどまでに王族というのは気高く強い存在なのだ。
マーサの美貌で睨まれた白騎士はそれでも無言を貫く。答えは既に知っているはずだと。
「もしや、この間の事をまだ引きずっているのですか」
ピクリと白騎士が動いた。それはカヒーやビコーといった圧倒的な強者でなければ気付かないほど小さな動き。マーサの付き人達にさえ気づかない小さな動きだった。
「まだ検討段階ですが私の嫁ぎ先がネーナ王国公爵になったのがそんなにいやなのですか」
最早質問ではない。決めつけではなく、落胆じみたその言葉にようやく白騎士から声が上がった。
「ネーナ王国は我が国リーランに良い印象を持ってないことぐらいお姉様も存じているはずでしょう。リーラン王国の者が嫁げば不逞の輩共の慰み者になるとうわさも絶えません。我が国民が実際そうなった情報もあります」
普段の調子なら夏の日差しを思わせる元気な声は今、悲嘆に暮れていた。
これから言う事は拒否されるというのは分かっている。それでも言わずにはいられなかった。自分の愛する姉が敵国に嫁ぐことを何としても阻止したい白騎士の声は震えていた。
「敵国とはいえ王族の娘を貰うのですよ、そのような無体を働けるはずがありません。そのような事になれば即国交断絶。下手すれば戦争です。いくら憎い相手でも戦争を吹っ掛けることはしないでしょう」
もう何度目になるか分からない問答。頭痛を抑えるように額に手を当てるマーサは白騎士に言い放つ。
「それに言ったはずですよ。私はそれでもかまわないと。それでリーラン王国の人間がドラゴンの脅威から守れるのなら私は長年の怨敵とすらも婚約を結んでも構わないと」
そう、全ては王国内にカモ君一家を襲ったドラゴンが原因だ。
カヒーやビコーくらいに戦闘力がある兵が沢山いれば何も問題などなかった。しかし、そのような超人が大量にいるはずもない。
学園長を務めるシバ。超人のカヒーとビコー。他にも超人クラスと言われた親衛隊隊長のような人間が沢山いればマーサの縁談も無かった。しかし、圧倒的にリーラン王国には戦力が足りない。それほどまでにリーラン王国は広大だ。守り手が足りないのだ。だからこそ怨恨のある隣国であるネーナ王国と縁談という強い縁を結び、ドラゴンへの脅威に対抗する。
王族として、それは理解している。民の為にその身命を犠牲にする。だからこそ王族は称えられるのだ。それでも、マウラは愛する姉にそんなひどい目にはあって欲しくは無かった。
「私は」
「この婚姻が正式な物になれば私はすぐにでもネーナへと行くつもりです。わかりますね」
「私は」
「これは王命でもあります。いくら貴女がこの大会で優勝してもそのような願いなら叶うことは無いでしょう。それほどまでにドラゴンとは驚異的な物なのです」
白騎士は王女の手を取ろうと腰においていた手を上げようとしたが、マーサの冷たい視線を感じてその手はそれ以上上がろうとはしなかった。
「私がいなくなっても兄達がいます。姉が、妹である貴女がいます。貴女達がこの国を支えるのです。…いいですね。これ以上同じ問答を繰り返すつもりならこの大会は辞退しなさい」
そう言ってマーサはカヒー達、護衛の人間を連れて控室を出て行った。
控室に残されたのは白騎士のみ。白騎士はその場でただ堅く己の拳を握る事しか出来なかった。
「と、言う事があった」
「なかなかの修羅場だったぞ」
カモ君達を匿っているセーテ家別荘に立ち寄ったカヒーとビコーは、別荘内で夕食を取っていたミカエリとそこで世話になっているカモ君。コーテに事の詳細を伝えた。
「それって、機密事項じゃ」
「うむ。他の人間に漏れれば大変な事になるな」
「だが、ばれなければいいのだ」
コーテの言葉を否定することなく頷く兄弟にコーテは眩暈を感じた。
この国のトップクラスの秘密事項をこんな夕食の場でぽろっと言うのはおかしい。隣を見ればカモ君も同様に手で目を覆いながら天井を見上げていた。
「ここに居る人間はミカエリ本人が厳選した者達だ。口も軽くは無かろう」
「うむ。それにもしこの事を漏えいしようものなら我等自ら罰を下せばよい事だ」
ようは喋れば殺すという事だ。
本当に夕食時に話していい事柄ではない。
それにコーテは別方面で心配していた。
カモ君の戦闘意識が削れるという事に。
翌日の準決勝では実力的に白騎士。マウラが決勝戦に進むことは間違いない。しかし、そのような事の後に彼女がそのまま大会出場するのは彼女の心情的に考えれば難しい事だろう。優勝しても姉の婚姻を無しにするというのは無理ということが分かったから。彼女がこのまま大会を参加し続けるかどうか分からなくなったからだ。
彼女がこのまま大会出場するとしよう。カモ君が準決勝でゴンメを倒したとしよう。その先に待っているのは事情を知った相手。ただならぬ事情を抱えた白騎士マウラとの決勝戦だ。果たしてカモ君にそのような相手と戦えるかどうか。
コーテはそれが心配だった。相手に同情して負けるなんてことが無ければいい。しかし、同情しない程カモ君が薄情とは思えなかった。
そんなカモ君の心情は。
ラッキー!優勝候補が一人消えるかも!
と、薄情な事を考えていた。
怨むことなかれ。こちらにも事情という物があるのだ。
マウラ達の事情に比べれば家庭内のいざこざという低レベルな事なのだけれど無視できるものではない。譲れるものではない。
マウラの準決勝の相手は一般冒険者っぽい人だ。実質ゴンメとの戦いが決勝戦のような物だ。彼に勝てれば優勝は自分の物だとカモ君の心は小躍りしていた。
勝ったな。風呂入って寝る。
その日のカモ君は大変安らかに眠る事にしたのだった。
翌日。
「対戦相手の棄権により、白騎士!決勝進出決定!」
白騎士マウラは自身の悩みを振り切ったのか、まだ抱えたままなのかは分からないが、未だに闘志だけは変わらずに持ち続けていた。
武闘大会会場の中央で多くの歓声を浴びている白騎士の姿を見たカモ君。
・・・うん。知ってた。
彼の目は死んだ魚のように淀んでいた。