鴨が鍋に入ってやって来た   作:さわZ

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第十話 決勝戦前夜。薄暗い空間。男と女。何も起きないはずもなく。

医務室から飛び出したギネは武闘大会場を出て、すぐさまわき道。人目につかない裏路地にそれた。そこで大声を上げながらそこに置かれたゴミ箱を蹴り飛ばし、当たり散らした。

もしそこに浮浪者や平民などがいれば殴りつけていただろう。相手が反撃できそうな輩なら魔法を使い一方的に暴力を振るっていただろう。

ギネはとにかく性悪だ。そして器が小さい男だ。そんな男が大声を上げながら物に当たる。出来る事なら大会の観戦者に。カモ君に。いや、カヒーに暴力を振るえたらどれだけよかったか。

しかし、それは出来ない。カヒーに忠告されたこともあるが、自己の保身の為。特に王族の前で無様を晒せば今後に支障をきたす。だから、人目のつかない所で怒鳴り散らす。当たり散らす。それでも苛立ちは収まらない。

このままギネが裏路地を抜けてしまえばそこらにいる平民達に無差別の攻撃魔法を放ってしまう。だが、そんな男は不意に後ろから声をかけられた。

 

「助けてあげましょうか?ギネ・ニ・モカ子爵」

 

「誰だ!」

 

ギネが振り返ると、三メートルほど離れた先に白いローブを羽織り、首には青と緑の宝石をはめ込まれた首飾りがかけられており、右手には土色の宝玉をはめ込まれた一メートルほどの長さの赤い杖を持った黒髪の妙齢の女性が立っていた。

 

…白いローブの女。神官か?しかし、あの外見は清貧を謳っている詐欺師どもがあのような豪勢な杖や首飾りをかけているか?

 

もし、目の前の女が神官ならば迂闊に手を出せない。神官職に無体な事を知られれば彼女達のネットワークによりギネ。ひいてはモカ領での回復魔法が使える彼等の仲間を呼ぶことが出来なくなるのだ。

逆に彼女が平民か自分より身分の低い貴族なら手を上げていた。その豪勢な装飾品や杖を力づくで取り上げ、憂さ晴らしに暴力を振るう。

そんな思惑のギネに目の前の女性は演技の入った言葉を連ねる。

 

「悔しいでしょう。己より力のある物に搾取されて。正しい事を否定されて。そんな貴方を私は力を貸しましょう」

 

「…名乗りもしない者に力を借りるほど落ちぶれてはいない」

 

ギネは知らない相手には力を借りないと言うが、正しくは違う。

自分より強い立場の者なら媚びへつらいその力を借りる。

自分より弱い立場なら奪う。

この二つの考えが彼の思考だった。しかしそれを知っているかのように、言葉は続く。

 

「私は王都で教祖の補佐をしている者です。申し訳ありませんが誰の補佐で、自分の名も言えませんがそれなりの地位にいる者ですよ」

 

「…そうか。ならこれでも喰らえ!」

 

名乗りもしない奴は攻撃しても問題は無い。そう言う人間が後で文句を言っても『知りません』の一言で済ませることが出来る。お互いに踏み込まれたくない事情がある相手に酌量する気持ちなんぞギネは持ち合わせてはいなかった。

ギネはカモ君が武闘大会で使っていたロックシュートの詠唱を開始する。普通の平民なら逃げだし、冒険者や魔法使いなら詠唱の妨害をする。

だが、目の前の女は詠唱を目の前でされてもただただにこやかに微笑んでいた。

 

気味の悪い女だ。だが、今の私に近付いた不幸を呪え!

 

「ロックシュート!」

 

ギネの詠唱が完成し、カモ君の放った魔法よりも一回り小さい岩がギネの前に出現。それが女に向かって射出された。だが、女は構えることもなく、手にした杖を前に出すわけでもなく変わらず微笑んでいた。

そして岩が直撃。女の顔はスイカのように割れて真っ赤な血が辺りに飛び散る筈だった。

 

「あらあら。無防備な人に向かってこれほどの魔法を…。よほど悔しい思いをしたのですね」

 

だが、岩は女に当たることは無かった。その岩と女の顔の間に拳一個分の隙間があり、そこから先に岩は進めていなかった。

 

「あら、別に不思議がる事なんかしなくてもよくってよ。これは私のマジックアイテムの力。…自作のね」

 

自作のマジックアイテムを作れるのはこの国ではまだミカエリだけのはず。またこの女が嘘を言っているだけかもしれない。どちらにせよ只者ではない気配を感じさせる女はローブの下から一つのコルク栓のついた小指サイズの小瓶を取り出し、ギネの前に見せつけた。

 

「これはね。正直になる薬が入っているの」

 

そう言いながら女はギネにもたれかかるようにすり寄る。

ギネはその女を不気味に思い後ずさりしようとしたが遅かった。彼が二の足を踏んでいる間にその小瓶の蓋を器用に片手で、目の前で開けられた。小瓶からは蜂蜜色のお香のような物が立ち上りギネの顔を包み込む。

 

「ほら、ね。貴方はどうしたい?」

 

「な、なんだこれは?!そんな物を儂になすりつけるな!」

 

「大丈夫。大丈夫。怖くないわ。これは正直なるお薬。毒なんかは入っていないわ」

 

女はそう言いながらギネの背中に杖を持った手で押さえつけながらその香りをかがせた。押さえつけられている手は女の感触なのにまるで地面深く打ちこまれた杭のように動かない。その不気味さにギネは息を荒くし、余計にその香りを吸った。

汗ばみ、息が荒くなり、視界が狭まる。明らか異常事態なのに女の声はしっかりと聞こえた。

 

「悔しいでしょう。おかしいでしょう。貴方は正しいと思っているのに周りは違うとおっしゃられている」

 

女の声がやけに頭に響く。現実感が湧かない。だが、それだけにカモ君やカヒーに対する怒りが込み上げてきた。

 

そうだ。自分は正しい。それを無理矢理握りつぶされかけている。あってはならない。そうだ。これは正しい事なのだ。例え、王族であろうと。いや、王族の前だからこそ貫かなければならないのだ!

 

「…そうだ。儂は正しい!奴等が、今の状況が間違っているのだ!」

 

カヒーも、依頼を果たせなかったゴンメも悪い。そして何より元凶のエミールが悪い。あいつだけは殺してでも正さなければならない!

しかしどうやって殺せばいい。生意気な事にエミールの戦闘能力は高い。こちらとぶつかればやられる可能性が高い。その上、奴の周りにいる奴等も強い。…あああああああっ!考えれば考えるほど今の不条理に腹が立つ!ああ、むしゃくしゃする!目の前の女を叩きのめせれば、少しは気が晴れるか。

 

「あらそんな怖い目で見られたら私」

 

目の前の女は表情を変えずに、魔力の波すら立てずに呟いた。

 

「潰してしまいそう」

 

その言葉を聞いたとたんにギネの激情は一気に鎮静した。代わるように感じたのは恐怖。

この女は出来てしまう。声を出さずに、音を立てずに、誰にも知られることなく、痕跡すら残さず潰してしまう。消されてしまう。

ギネが小刻みに震えあがるのを見て、女は再び微笑んだ。先程見せた聖職者がよく浮かべるような優しい微笑みではなく嗜虐的な微笑みを見せた。

 

「大丈夫。大丈夫。そのつもりならもう潰しているわよ。ただ、いつそうなってもおかしくないけれどね」

 

女はクスクスと笑う。そして、もう一度最初の言葉を繰り返す。

 

「貴方に力を貸してあげるわ。ただ、私と会ったことを言いふらされるわけにはいかないの。喋ったら」

 

女はギネの目の前で左手の親指と人差し指の先を合わせてみせた。

喋ったら潰す。

ギネに拒否権は無かった。

震えが止まらない。分厚い顔の中では歯を何度もカチカチとかみ合い、股間からは湯気が立ち上っていた。

初めて浴びる殺気。初めて殺されると自覚した感覚にギネの目の前は滲み出る涙で歪んだ。

そんなみじめに震えるギネを見ておかしそうに笑みを浮かび続ける女。

ギネは女が悪魔なんじゃないかと錯覚し始める。

 

「安心して。貴方に力を貸すと言ったでしょう」

 

そして悪魔は甘言を吐くのだ。一度味わえば離れることのない呪いを。

女は再び懐から二本の小指サイズの薬瓶を取り出す。一本はギネの怒りを増幅させた小瓶と似ていた。ただ、もう一本の白い小瓶は目の前の女とは似ても似つかない程の神聖さを感じさせた。

これは光の魔法が込められた小瓶だ。適性の無いはずのギネがそう思わずにはいられない程、清らかで力強く。安らかさも感じさせる小瓶だった。

それをギネの懐に差し込むと女はその身をひるがえし、裏路地の更に奥へと進んでいきながら言葉を残していく。

 

「一つは貴方のやる気を起こさせるもの。もう知っているわよね。もう一つは白い小瓶は貴方に『お友達』を増やす薬よ。魔法に抵抗のない人間に使えばずっと貴方の味方。貴方の剣にも矢にもなる『お友達』になるわよ。使うか使わないかは自由にするといいわ」

 

そう、言い残した女の姿は裏路地の陰に完全に消えてしまう。

そこにまだ人の気配が感じる間にギネは震えながらも声を投げかけた。

 

「これを渡して貴様に何の得があるっ」

 

本当なら怒鳴り散らしたい。だが、未だに恐怖はぬぐえない。女の意図が見えない。こんな都合の良い物を渡して女に何の益があるというのか。

そんなギネの問いに答えることなく、気配は完全に消えてしまった。

誰もいない。自分がここに来た状態だ。しかし、自分が着ている服は汗や涙といった老廃物ぐちょぐちょだ。更に自分の懐には小瓶が二つある。

ギネは腰を抜かしてその場に座り込んでしまう。

怒りから恐怖。そして安堵。

感情の振れ幅の大きい一時を過ごした後に再び浮かび上がったのは怒りだった。

エミールへの怒り。あいつがいたからこの町に来た。この町に来たからこのような無様を晒した。あいつがいなければこんな事にはならなかった。

言いがかりの、自業自得。しかしそれを理解することも出来なければ、諭す者もいなかった。

 

「…あいつだ。あいつの所為でケチがつき始めたのだ。だが、だが、どうする。本当にこんな小瓶でどうにかなるのか」

 

あの女から感じられた威圧感は本物だ。それに渡された小瓶からもその力を感じることが出来る。

女の意図はわからないが何をして欲しいのかは分かった。しかし、その踏ん切りがつかない。

ここには王女がいる。カヒーといった超人がいる。失敗して露見すればこちらもただでは済まない。ここに来た時に比べ小さくなった怒りという感情では後先を考えてしまう感情が邪魔して行動に移せない。だが、この薬が本物なら。

 

おぼつかない足取りで予約していた宿場に戻ったギネはその晩中悩み続けた。そして日が昇り、太陽が真上に登る時間帯になると、彼は女から貰った小瓶の一つを開けた。

 

「ふ、ふは、ふはは、ふははははははっ!」

 

高笑いをしたギネの足元には女が渡した『やる気を起こさせる薬』の入った小瓶が転がっていた。

 

やってやる。やってやるさ!ああ、間違っているのは儂ではない!儂を殴ったエミールだ!侮辱したカヒーだ!儂を認めない王族だ!

間違っているのは儂ではない!自分を取りまく世界だ!

だから正してやるのだ!儂が、自らの手で!

 

女の恐怖も忘れてギネは武闘大会会場へと歩いていく。

決勝戦はもう間もなく始まる頃だろう。今更観客席に行ってもそこには満員で入れない。しかし、大会関係者。出場者には簡単な造りではあるが個人の特等席が設けられる。そこになら自分は入り込める。

暗い感情を上手に隠しながら会場に入って来たギネは参加者特等席の文字か書かれたフロアへ行き、そこを警備していた者に参加者の関係者だと伝え、確認を取られている間もマグマの如く煮えたぎった感情を抑え込んでいた。

確認が取れたことで通されたギネはその関係者の元へ歩いていく。そこには自分のお友達いた。簡単な命令を果たせなかった凄腕のお友達が。

 


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