水先案内録カイジ:ARIA×賭博黙示録カイジ   作:ゼリー

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よろしくお願いします。


第10話~幻影~

「カ、カイジさーーん!た、大変ですーーっ!」

 

 それは茹だるような盛夏の朝だった。

 

「え・・!?なになにっ・・・・・!どうした・・・・・!?」

「そ、外っ!」

「は・・・・・?」

 

 キッチンでアイスティーをいれていたカイジは、突然大声でわめく灯里に背を押されて表へと出た。蝉がそこらじゅうで唄っており、まさに蝉時雨といった風情だ。

 

「見てくださいあれっ!」

 

 灯里が驚愕の面持ちで指さした先は大海原であった。カイジはつられるように目を移す。

 

・・・・・蜃気楼か・・・・初めて見たな・・・・

・・・・それにしても何をそんなに騒いでいるかと思えば・・・・・・非常事態だと思ったじゃねえか・・・・・っ!

ていうかいきなりでかい声出すなよバカ・・・・びっくりしただろ・・・・っ!

 

「昨日まで海しかなかった場所に街が……」

「蜃気楼だ・・・・・・・・え・・?知らないのか・・・・・?」

「ほへ?しんきろう……?」

「いやいや・・・・そんな顔されてもこっちが驚きなんだが・・・・」

 

 蜃気楼の存在を知らない人間がいたことに驚きを隠せないカイジであったが、話に聞く限り、現在の地球に住んでいた灯里にとっては仕方のないことなのかもしれないと考え直した。それはつまり、一応地球出身ということになっているカイジがこれ以上下手なことを言うと、以前のように口笛頼りになり兼ねないということでもあった。

 カイジは語るに落ちる事を避けようと、あたかも蜃気楼について勉強したことがある風を装おうとした。

 

「蜃気楼っていうのはな・・・・・オーロラ的な・・・そういった現象が・・・こう、ね・・・夏の暑い日に起こるわけだが・・・・・それは・・」

「あら珍しい……蜃気楼ね」

 

 カイジがしどろもどろに身ぶり手ぶりで意味不明な文句を並べ立てていると、額に滴る汗を拭いながらアリシアが出社してきた。

 挨拶する2人に笑顔で返事をすると、アリシアは蜃気楼について簡単な説明を始めた。

 

「大気の温度差で空気の密度に急激な差が生じて光が異常屈折を起こすと、ああやってそこにはない物があたかもあるように見えたりするのよ」

 

 アリシアの語った内容に、2人はまるで意を得ていない顔であった。が、カイジは突如腕を組んで頭を縦に振ってうんうん頷きだした。

 

「そうそうっ・・・!それっス・・!・・・・・なっ?俺の言った通りだっただろ・・・・・」

 

 最後の一言は灯里だけに聞こえるような小さな声である。灯里はその声に反応せず沖合を見つめている。

 

「・・・・・・・・・・まあ・・うん」

「だからあそこには何にもないわ……夢うつつな幻よ」

「……摩訶不思議」

 

 3人は沖合に縹緲と浮かぶ蜃気楼をただ蕭然と眺めていた。蝉の声は、勢いを増している。

 

「そういえばアリア社長は?見せてあげましょ、蜃気楼」

「あすこでヘバってますよ」

「だらしねえ・・・・まったくだらしねえ・・・・」

「あらあら」

 

 陽が遮られた建物の陰は、じりじりと熱せられた周りと違い涼を取るには心地いい海風が吹いていた。そこへまるで打ち上げられたヒトデのように寝転がっているアリア社長。

 

「毛皮のアリア社長にはこの暑さは相当こたえるんでしょうね」

「うふふ、そうね」

「なにもここで寝てないで・・・・浅瀬にでも浸ればちったあ涼しくなるだろうに・・・・」 

「そうですね~~でもアリア社長泳げないんですよね」

「ああ・・・・・ていうか猫が泳げたらそれはそれで驚きではあるが・・・・」

「ふふふ、猫は犬と違って金槌なのよね」

「ほへ~~そうなんですか、泳げないのアリア社長だけだと思ってました」

 

 その後、3人はアリア社長の横へ並ぶように身体を預け、暑さの為か口数少なく言葉を交わしていたが、思い出したようにアリシアがぱっと手を叩いて2人に顔を向けた。

 

「そうだわ!さっき広場を通った時にあるものを買ってきたの」

「へぇ~~・・・・・なんですか・・・?」

「ふふふ、ちょっと待っててね」

 

 言うが早いか陽のあたるデッキへと向かったアリシアは、手に何かを持って直ぐに戻ってきた。

チリンと小気味よい音が響く。

 

「ああっ・・・・・!風鈴・・・・っ!」

「うんっ、どう?綺麗でしょ」

 

 そう言って風鈴の横で微笑むアリシア。

 

・・ググっ・・・・・アンタの方がよっぽど綺麗だよっ・・・・・チクショウ・・・っ!

 

 カイジは心の中でそう絶叫して悶えていたが、アリシアは平然と、続く灯里の言葉にこたえていた。

 

「可愛いっ!何ですかこれ?」

「何って……風鈴よ」

「へぇ~~っ!初めて見ましたっ!」

 

くそぉ~~・・・・オレだけのスマイルを奪いやがって水無の奴・・・・・!

風鈴くらい知ってろよっ・・・・ざけんな・・・っ!

 

「そっか……地球にはもう風鈴を飾る夏の習慣はないのね」

「私は見たことないですね。カイジさんは知ってたんですね~~」

「・・・・・え・・?・・・・う、うん・・そうそうっ・・」

「これはね、夏の暑さを音でやわらげてくれる物なのよ」

「ほへーー」

 

 カウンターに吊り下げられた風鈴が、そよ風に揺られて玲瓏とした音色を奏でる。その響きは風に乗ってどこまでも海を渡っていくようである。

 

「ちなみにこの風鈴は特別製でね、“夜光鈴”といって夜光るの。アクアだけの特産品なのよ」

「ほほ~~~~」

「へぇ・・・・蛍みたいな感じなんスね~~・・・・」

「言い得て妙だわカイジくん!蛍と一緒で夜光鈴も寿命が短いの……大体1ヶ月くらいかしらね」

「……寿命?ほへーー」

 

 先程から感嘆しかしていない灯里は珍しそうに夜光鈴に見入っている。カイジも同じく真面目に見入っているかにみえたが、アリシアに少し褒められたからか内心小躍りしていた。

 そんな様子をみたアリシアは2人に向かってある提案をした。

 

「今日から3日間、サン・マルコ広場で夜光鈴市があるのよ。午後になったら行ってくる?」

「ええっ!?いいんですか?」

「ふふふ、カワイイものは早いもの勝ちよ」

「ありがとうございますっ!やったぁーー」

「カイジくんも行ってらっしゃい。灯里ちゃんと社長をよろしくね」

「いや・・・・オレは別に・・・・・」

「……ね?」

「はいっ・・・!任せてください・・・・っ!」

 

ハハハっ・・・・断れまへん・・・・っ!

まあ・・・適当に一、二歩後ろを歩きゃあいいか・・・・んでさっさと買って直ぐ帰る・・・

うん・・・・それがいい・・・

 

 こうして午前中に仕事を切り上げて、カイジたちは昼食後、夜光鈴市へ赴くこととなった。依然としてカイジは、奇妙な3人組で歩くことを良しとしていない気持ではあったが、それも結局のところアリシアの押しにいとも容易く崩れ去った。脆い脆い牙城である。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「見てくださいカイジさんっ……ってあれ?」

「ん・・・・?なに・・・・・?」

「な、なんでそんなに後ろを歩いてるんですか?」

「別に意味はないが・・・・・悪いか・・・?」

「悪いっていうか……他人みたいで淋しいじゃないですか」

「ぷいにゅう~」

 

御明察っ・・・・それを狙ってるんだよ・・・っ!

いい加減察してくれ・・・・・

 

「まあいいじゃん・・・ゆっくり街を見物しながら歩きたいんだよ・・・」

「なるほど~~」

「だから先に広場に行っててもいいぜ・・・・売り切れちゃうかもしれないからなお前の――」

「名案ですっ、まだまだ私の知らない素敵がネオ・ヴェネツィアにはいっぱいあるし、のんびり行くべきですよね!」

「にゅっ!」

「・・・・・・・」

「流石カイジさんだな~~私、もっと精進します!」

「ぷいにゅう~~」

「・・・・もうなんでもいいや・・・・・」

 

 結局、仲良く並んで向かうことになった。

 

 

 カイジ達は、午前の業務を終え昼食をとると、アリシアに見送られてARIAカンパニーを出立した。すでに気分が高揚している灯里と麦わら帽子をかぶったアリア社長は大股でずんずんと進んでいく。その少し離れた後ろをカイジは煙草を吹かしながらダラダラと歩いていた。    

 しかし中途まで来ると、夜光鈴を持った親子連れを見つけた灯里がカイジに声をかけ、以上のような展開と相成ったわけである。

 

 並んだ一行は喋りながら市へと向かっていく。

 

「そうだっ!カイジさん!」

「な、なんだよ・・・・いきなり・・・」

「カイジさん最近練習に参加してなかったじゃないですか」

「まあ・・・そうだな・・・」

「それで、カイジさんが来てなかった間に新しく仲良くなった子がいるんですよっ」

「ふぅ~~ん・・・・・で・・・?」

「それでその子もそれ以来一緒に練習してるんです!」

「へぇ・・・・ウンディーネなのかその人・・・」

「はいっ……オレンジぷらねっと所属で、オール捌きがすっごい上手なんですよ」

「にゅう!」

「社長も一緒にいたのか・・・・お前ホントいつも暇だな・・・・」

「にゅにゅうっ!」

「はいはい・・・・そうッスか・・・」

「ふふふっ、今度その子、カイジさんにも紹介しますね!」

「あ、ああ・・・・・よろしくお願いします・・・・・」

 

 暑さからか、弾む会話もここまでであった。徐々に口数が少なくなっていき、そのうちほとんど喋らなくなった。蝉の声だけがうるさく辺りに響いている。

汗を拭いながら一行は黙々と歩いていく。

 

 

 

 

 

――チリン……チリ――ン……

 

 前方からは夜光鈴を携えた人々がこちらに歩いてくる。彼らが近づいてくるにつれ、歩調と合わせて玉の音が大きくなってくる。

 

 

「……それにしても暑いですね」

「ぷいにゅう……」

「うん・・・・水分でも取らないと熱中症にでもなりそうだな・・・」

 

 

 照りつける太陽の下、幾分か先の景色が漂うように歪んでいる。

 通り過ぎていく人々の夜光鈴が静かに鳴り響いた。

 囲むように響き合うその音は、蝉時雨と重なって暑さでぼんやりした頭に不思議な感覚を宿していく。

 

 

「そろそろ広場だな・・・・・・」

「……はい」

 

 

 周りを歩いていた人の声が少しずつ遠くなっていく。

 玉の音と呼応するように揺れる世界は、夢か現か幻か。その中でもはっきり映るのは夜光鈴、幽かに聞こえるのは蝉の声と玉の音。

 

 

「はぁ・・・・やっと着いたぜ・・・とりあえずなんか飲み物でも買うか・・・・」

「……」

 

 

 ……チリン

 

――ふと、余韻を残してすべてが停止した。

 人が消え、風は凪ぎ、音は止んだ。

 動くものは自分と蜃気楼。此方から彼方へと、近づいては離れ、追っては逃げる白昼夢。

 

 

「・・・・・?・・・・どこ行ったあいつら・・・」

 

 

ここは夢か現か幻か。

 

 

「まあ・・いいか・・・」

 

 

 

 

賑やかな夜光鈴市に残されたのはカイジ一人であった。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・

 

 

「――あれ……カイジさん、アリア社長?」

 

 

 誰も居ない広場に一人佇む灯里。

 ここへ来るまで一緒だったカイジとアリア社長はいつの間にか消えていた。それだけではない、あれほど賑やかだった蝉の声や広場の喧騒も水を打ったように静まり返っていた。

 周りを見渡せば、夜光鈴の屋台と電灯だけが等間隔にずらりと並んでいる。

 

 

「あれれ?」

 

 

 時刻は午後2時。日中一番暑い時間帯。

 

 

誰もいない……?

……あれ?さっきの時計も午後2時だったような……

 

 

 すべてが静止したかにみえるこの場所で、依然太陽は容赦なく頭上に光り輝いている。

 額から首筋へと流れていく汗を拭う。暑さで頭がうまく働かない。

 灯里はふらふらと広場を歩き始めた。

 

 

どうして誰もいないの?

 

 

 横目でちらりと捉えた夜光鈴は、垂れ下がる短冊が風を受けた時のまま停止している。確かな意識を持った夢を見ている、現実ではない現実にいる、そんな感覚が灯里を襲った。

 

 

……アリア社長?

 

 

 いくつもの屋台を抜けていると、ふと見覚えのある麦わら帽子が目の前を横切った。灯里は導かれるようについていく。

 

 

どこに行くの?

 

 

 しかし、いくら追っても追いつけない。開いた距離は縮まらないが、拡がりもしない。

 そんなことは気にもせず、灯里はぼやけたアリア社長の背中を追い続ける。

 

 

ああ、そうか……

きっとここより涼しいところだ

……猫さんは涼しい場所を見つけるのが得意ですもんね

 

 

 朦朧とする意識の中、アリア社長の背だけを見据えてついていく。だが、次第にその姿も薄くなっていく。

 

 

「……きっとカイジさん達もそこにいるんですよね?」

 

 

 灯里の呟きは、静かに虚空へと吸い込まれていく。そして、その呟きを聞きとどけたかのようにアリア社長の姿が忽然と消えた。

 

 

――……チリ――ン

 

 

 今まで一切聞こえていなかった玉の音が響く。瞬間、灯里の目の前に一軒の喫茶店が現れた。

 

 

……喫茶店?

 

 

 看板には黒猫の絵が描かれている。煙突からは、もくもくと白い煙が立ち上っていた。店の前には小判を持った招き猫がこちらを見つめている。奇妙な組み合わせだった。

 

灯里は扉の前へ立った。ガラス越しに中の様子を窺おうとしたが、ぼやけてよく見えない。きっとアリア社長はこの中だ、そう思い灯里はその扉をゆっくりと開いた。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

ったく・・・・どこほっつき歩いてんだよあいつらは・・・

展開的には願ったりかなったりなんだが・・・・如何せんアリシアさんに頼まれてるからな・・・

まあ適当にぶらついてみるか・・・どっかで会うだろ・・・

 

 灯里達とはぐれたカイジはとりあえず屋台を見て回ることにした。人々のざわめきと夜光鈴で満たされたサン・マルコ広場は縁日といった風情であった。

 カイジは持ってきた団扇で顔を扇ぎながら広場を練り歩く。

 

たかだか風鈴に・・・・老いも若きも勢ぞろいだな・・・・

ん・・・?ていうか風鈴って日本の風物詩だよな・・・なんでこの街の風物詩になってんだ・・・?

・・・・・・考えるだけ野暮か・・・・・・・くそっ・・・あちぃな・・・

 

「兄ちゃんどうだ、プレゼント用に一つ」

「え・・・・・・いや、いいです・・・もうちょっと見て回るんで・・・・はい・・・」

「そうか、じゃあ最後にはうちに寄ってってくれよな!安くするからさっ」

「はあ・・・考えておきます・・・・」

 

 屋台に垂れ下がる夜光鈴はどれもこれも意匠が異なり、眺める人々を飽きさせない。昔ながらの青銅製のものもあれば、木製、水晶、もちろん、ネオ・ヴェネツィア独自のガラス製など様々である。

 とはいうものの、大して風鈴に興味のないカイジにとって、それらはすべて夏に飾る音の出るもの程度の認識である。それゆえ声を掛けられても店先に足を止めることはなく、ただふらふら逍遥しているだけであった。

 カイジが広場の中ほどまで来ると、とんとんと後ろから肩を叩かれた。いなくなった灯里達が戻ってきたと思ったカイジは、「どこ行ってたんだよ・・・」と呟きながら振り返った。

 

「・・・・藍華かよ・・」

「あによ……文句あんの?」

「いやそういう訳じゃなくて・・・・お前も夜光鈴を買いに来たのか・・・?」

「そうよ。カイジ、あんた一人なの?」

「さっきまで水無と社長がいたんだけど・・・・はぐれた・・・」

「はぐれたって……あんた何歳?」

「こっちじゃねえよっ・・・・あっちが勝手にはぐれたんだ・・・!」

「どっちだって同じことでしょ」

「全然同じじゃ・・っち、まあいい・・・じゃあオレは探すから・・・」

 

 カイジは舌打ちをすると子ども相手に熱くなりかけたことを一人恥じ、すたすたと歩いていく。

 

「・・・・ってなんでついてくんの・・?」

「ぬなっ!ち、違うわよっ!ただ方向が同じってだけでしょ!」

「――ねえぞ・・・」

「え?」

「奢らねえぞ・・・・夜光鈴・・・」

「は……?」

「ついてくるってことは・・・・とどのつまりそういう魂胆っ・・・・!でも・・・オレは奢らねえぞ・・・・っ!」

「……」

「え・・?何その真顔・・・」

 

 あまりの間抜けた言葉に茫然とカイジの顔を凝視する藍華。カイジは、何故藍華がこんな表情をしているのか皆目見当がつかない。数十秒見つめ合っていた2人だったが、そのうち藍華が大きく溜息をついて喋りはじめた。

 

「……時たま思うんだけどアンタってちょっと、ううん、だいぶズレてるわよね」

「は・・・・?」

「分からないならいいわ。さっ、灯里達を探しましょ」

「お、おう・・・・奢らないけどな・・・」

「うるさいわねっ!あんたに奢られる筋合いはないわよっ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 カイジと藍華はその後、夜光鈴を見物しながらも灯里達を探し歩いた。が、多くの屋台と人々がひしめき合う広場では、そう簡単に見つかるものではなかった。

 一通り広場を巡り終えたカイジと藍華は、そこから少し離れた街角で一息つく。

 

「見つからないわね~~」

「この人の多さじゃ仕方ねえな・・・」

「それよりお前買わなくて良かったのか・・・?夜光鈴・・・」

「うん……灯里達と合流してからでもいいかなってね」

「そうか・・・・・とりあえず休憩でもしないか・・喉も乾いたしそこの喫茶店で・・」

 

 カイジはそう言うと、目の前の建物を指さす。すると、藍華は一度目を向けた後、怪訝な顔つきでカイジを見返した。

 

「あんた……もしかして暑さで頭でもやられた?」

「え・・・?」

「どこに喫茶店があんのよ!ただの廃墟じゃないのこのおバカっ」

「バカっておまっ・・・!・・・そこにあるじゃねえか・・・・っ!」

「……」

 

 またしても茫然とカイジの顔を見つめる藍華。そのうち、阿呆らしくなった藍華は、広場の方を向いて話を切り上げてしまった。

 

「ちょ、ちょっと・・・っ!ほらっ・・・変な招き猫置いてあるじゃんっ・・・!」

 

 カイジは喫茶店の前まで行き、これが分からないのかとばかりに招き猫の頭を叩く。そうして藍華の方を振り返ったが、未だにそっぽを向いているままであった。

 

・・・ふざけろっ・・・!バカにしやがってっ・・・・

目ついてんのかよクソガキっ・・・・!

・・・まあいい・・一人で入るか・・・・

 

 カイジは、怒りを抑えて扉へ触れる。ガラスの向こうは薄ぼやけていてなにも見えなかった。ゆっくり押していくと、扉はぎいいという音をたててゆっくりと開いた。ひんやりとした空気が顔にあたる。カイジは嬉々として中へ入っていった。

 

「はぁ……あっちに喫茶店があるからそこに行き――」

 

ぶつぶつ文句を言っていたカイジの声が聞こえなくり、やっと面白くもない冗談を止めたのかと藍華は再び溜息をついた。そして廃墟の方を向いて喋り終えかけたが、目線の先にカイジの姿はなかった。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・

 

 

ふ~~っ・・・・!生き返るっ・・・・・!

完全に勝ちっ・・・・圧倒的勝利だろオレのっ・・・・!

バカめ藍華の奴っ・・・!ざまあみろっ・・・・!

 

カイジはシャツの胸元をはためかせながら、どこに座ろうかと店内に目を走らせた。

 

「いらっしゃーい」

 

 店主らしき人物に声をかけられたカイジは、カウンター席に腰を落ち着けた。メニューを探していると、突然、店主が驚きの声を上げた。

 

「……!?これはこれは……珍客が迷い込んで来たと思ったら、まさか次はあなたのような方が来店されるとは」

「は・・・・・?」

「いえいえ、こちらの話です……オホホ。では、お隣の方はお連れさんですか?」

「・・・?・・・・っ!・・お、お前らっ・・・!」

 

 今まで全く気が付いていなかったが、店主がカイジの隣を手で示すと、そこには灯里とアリア社長がよく冷えていそうな飲み物を前にくつろいでいた。確かに、暑さでぼんやりしていた部分もあっただろうが、それにしても隣にいることに気が付かないなんてことはあるのだろうか。カイジは驚きながらも訝った。

 

「あれっ!?カイジさんも来てたんですか!?」

「ぷいにゅ~~!」

「今来たんだよ・・・・・っち・・・お前らこんなところにいたのかよっ・・・・広場探し回っちまったじゃねえかっ・・・・!」

「すみません……何だか不思議なことがあって」

 

お前はいつも頭のネジが緩んだ不思議ちゃんだろうが・・・・・・

 

 カイジはそう思ったが声には出さず、店主にメニューはどこか訊いた。

 

「ああごめんなさいね、うちはアイスみるくしか置いてないのよね」

「えっ・・・・・?ビールは・・・・?」

「だからないのよ、アイスみるくしか。オホホ」

「私いま飲んでますけど冷えててすごく美味しいですよっ」

 

 カイジは灯里の言葉を無視して再度訊き返す。

 

「アイスコーヒーも・・・・?サイダーも・・・・・?」

「ホホホ」

 

ホホホじゃねえんだよっ・・・・ざけんなっ・・・・!

きょうび牛乳しか置いてない喫茶店が何処にあんだよっ・・・ええっ・・・!?

常識的に考えて客をナメすぎだろっ・・・・!

 

「っく・・・・・じゃあそれで・・・・・」

「やっぱり夏はこれに限るわねえ」

 

限らねえよっ・・・・!牧場かよここはっ・・・!

 

 心の中で散々文句を吐くカイジではあったが、カウンターに置かれたアイスみるくを手にとると愚痴も忘れて一気に飲み干した。

 

「かぁ~~っ・・・・!おかわりっ・・・・!」

「ホホホ」

 

 一息ついたカイジは空のコップを店主に差し出すと、先程の不思議について一応訊いてみることにした。

 

「で・・・なんだよ・・?不思議なことって・・・」

「それがですね……」

「あっ・・・!その前に・・・・これいくらっスか・・・?いや、オレこの前サイダー一杯でぼったくられちゃって・・・ここ値段書いてないし・・・へへへ・・・」

「オホホ……お金は取りませんよ」

「え・・・?」

「ここは特別な場所ですもの」

 

おいおいっ・・・んなことあんのかよ・・・・

後で強面の若い衆が因縁つけてきたりしねえだろうな・・・・

だいたいこの店主も怪し過ぎるだろっ・・・男か女か分からねえし変なサングラス掛けてるし・・・・

 

「後々請求なんてことはないっスよね・・・・・?」

「ホホホ」

 

だからホホホじゃねえんだって・・・・はっきりしろよっ・・・!

 

 結局、カイジはそれ以上訊くことはしなかった。ネオ・ヴェネツィアならそう乱暴な事が起こるとは思えなかったし、徐々にネオ・ヴェネツィア的緩慢思考に慣れつつあったカイジは、牛乳を無料で提供してくれる店があってもおかしくない、そう結論付けることにしたのだ。

 カイジは灯里に話の続きを促す。

 

「多分暑さのせいだと思うんですけど……私さっきまで白昼夢をみていたんです」

「・・・・・ぷっ・・・う、うん・・」

「広場に着く寸前のところで、気付いたら周りの音も人も一斉に消えていたんです」

「はあ・・・・・?」

「本当なんですっ!思わず夢の中に迷い込んじゃたのかと思ったんですよ」

「ククっ・・・それ本当にオレが信じると思う・・・・?」

 

 3世紀も前からやってきたというアンビリーバブルな自分の事は一切を棚に上げるカイジ。

 

「途中、屋台の向こうにアリア社長を見つけたんですけどそれからが大変で……」

 

 カイジの発言を苦笑いでいなして灯里は続ける。

 

「どんなに追いかけても全然追いつけないんです。なんだかアリア社長の姿もノイズが入ってるみたいでぼやけてたし……あっ、それに時間も止まってたんですっ!」

「ハハハっあり得るかよんなこと・・・・っ!あんましバカバカしくてついていけねえよっ・・・アハハハっ・・・!」

「お嬢ちゃんのみたそれ……“逃げ水”みたいね」

「アハハハっ・・・・時間が止まる・・・?バカじゃねえのお前っ・・・・クククっ」

「逃げ水?」

「そう。蜃気楼の一種よ」

「アハハハっ・・・・!」

 

 カイジの大笑いに反して、店主と灯里は至極真面目である。そして、店内も神域のような独特な雰囲気の中静まり返っていた。カイジは、それに気がつき「え・・あれ・・?」などと呟くと、視界の端に見えた新聞を読む人間に軽く頭を下げた。

 

「地面が熱せられて空気が膨張すると、地表が水に濡れたように見える現象なの」

「……」

「近づこうとするとどんどん逃げていってしまうから、そう呼ばれているのよ」

「ほへぇーー」

「けっして追いつくことができない夢うつつな幻」

 

 店主は新たに用意したアイスみるくをテーブルに置いた。カイジが礼を述べると小さく笑って、灯里の方を向いた。

 

 

 

「でも、もしその逃げ水に追いついてしまったら……どうなるのかしらね?」

 

 

 

――……チリ――ン……

 

 

 一際大きく夜光鈴の音が響く。店内を包む空気が変わった。

 口元から今までの笑みが消え、店主は黙々とコップを拭いている。灯里はそんな店主を見つめていたが、その背後にある柱時計が瞳に映るとはっとした。

 

「カ、カイジさん……あれ、みてください」

「ん・・・?時計がどうした・・・・?」

「時間が……2時になってます」

「・・・壊れてるんじゃねえの・・・・」

 

 カイジが広場に着いたのが丁度2時であった。それから藍華と一緒に広場を探し回っていたことを考えると、すでに3時近くになっているはずである。当然、カイジとしては時計が壊れているとしか考えられない。

 

「ああ、そうね。今が一番暑い時間帯よね」

 

 それは耳元で囁かれているようにも聞こえた。

 

「でも大丈夫。……涼しく過ごせるわよ」

 

 そしてまた先程とは別の、少し不気味な笑みを浮かべた。

 

 

 

「だってここは特別な場所ですから」

 

 

 

 店主が言い終えると同時に、後ろから視線を感じたカイジと灯里はゆっくりと振り返る。

 

「あ……」

「あああ~~っ・・・・・なになにっ・・・!なにコレっ・・・!?」

 

 そこには猫がいた。それも床を埋め尽くすほどの数である。大小様々な猫がいるだけでなく、なかには店先に置いてあったような招き猫や人形の猫、おもちゃの猫までがカイジ達を見つめていた。その瞳が訴えかけているのは闖入者への好奇か、はたまた非難か警告か。

 

「あなた達はここへ何をしに来たの?」

 

 店主はコップを拭きながら静かに問いかける。

 

「わ、私はただ……夜光鈴を買いに……」

「――って、ていうかあの猫は何なんだよっ・・・だいいちに・・・あれっ・・ナニっ・・!?」

 

――……チリ――ン

 

 カイジがまくし立て続けるのを止めさせるように夜光鈴が響く。その音色はカイジの直ぐ隣から響いていた。

 息をのむカイジと灯里。いつの間にか隣の席に、先程向こうで新聞を読んでいた人が座っていた。非常に大柄な人でこの暑い中、コートを来ており帽子を目深にかぶっている。そのため表情が全く伺えず不気味である。そして、その手からは夜光鈴が吊るされていた。その夜光鈴を灯里へ無言で渡す。

 

「オホホ……ではそれ持ってそろそろお帰りなさい」

 

 店主はこの状況にも平然として、諭すように2人へ話しかけた。

 

「ここは夏の間私達が涼をとるための秘密の隠れ家」

 

 今まで黙って座っていたアリア社長が一足先にイスから飛び降りて、カイジ達を先導するように出口へと向かう。それを機に、突然の出来事で固まっていたカイジと灯里は緊張の糸が解れたようにアリア社長についていく。

 

「お嬢ちゃん達人間が……けっして追いついてはいけない場所よ、ホホホ」

 

 扉の向こうは夏の激しい日光によって目を開けていられないほどに光り輝いていた。一歩、店を出たカイジと灯里は扉を閉めようと振りかえる。2人は再度息をのむ。

 ひしめき合う猫の群れの中に、一際大きな猫がいた。それはコートを着ていた者で、その目深に被った帽子のつばを持って顔を露にしていた。漆黒の毛で覆われ耳が立っているまさしく猫であった。しかしそれは、猫でありながらも猫ではない別の何かであった。

 

 

 

「でも伊藤カイジ君……あなたは大変特別なお人。またいずれ逢うこともあるでしょう……」

 

 

 

――……チリ――ン

 

 その音と共に、喧騒が戻ってきた。広場へ続く通りは蝉の声と人々の活気で満ちている。今出たばかりの喫茶店は無残な廃墟と化していた。

 

「え・・・・・?は・・・・?・・・あれ・・・どうなってんの・・・?」

「……」

「夢・・・?」

「ぷいにゅ」

「でも……これが……」

 

 灯里は呆然と自分の手にある夜光鈴を掲げた。その時、広場の方から大きな呼び声が聞こえた。

 

「藍華ちゃん……」

「あんた達どこ行ってたのよもうっ……何その幽霊でもみたような顔」

「・・・・・・」

「……」

「ったく突然いなくなるんだから……カイジあんたの事よ」

「あ、ああ・・・・・」

「……社長、どうしたのこの2人。ぼーっとしちゃって」

「ぷいにゅ~~」

 

 

 

――それは真夏の白昼夢

 

「ってもう灯里、夜光鈴買っちゃったのっ!?」

 

――ネオ・ヴェネツィアがみせた摩訶不思議

 

「あはは……ごめんね、貰ったのこれっ」

 

――夢か現か幻か

 

「なによそれ~~っ、私も買いたいから付き合ってよね、カイジも」

 

――ネオ・ヴェネツィアがみせた蜃気楼……

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

・・・・・っく・・・確かにどこかで見た覚えがあるんだが・・・・

思い出せねえ・・・・

 

 用事があるからと先に灯里達を帰したカイジは、一人河岸沿いを歩きながら考えていた。沈む夕日がカイジの横顔を照らしている。

 

それに最後の言葉っ・・・・・あれはオレの境遇を知っていると考えられる・・・

いやっ・・・逆か・・・・・もしかして・・・?

ここへ来ることになった因縁っ・・・・それが・・・・・・

・・っち・・・・ダメだわからねえ・・・・・・・

ただ一つ・・・確かなことは・・・これからも付いて回るってことだ・・・

 

 いくら考えても答えは出ないが、何かが始まったことは感覚的にカイジには分かっていた。むしろすでに始まっていたのかもしれない、そう捉えてすらいた。とはいうものの、具体的な事はなにも理解できていない状態であった。

 頭上を風に逆らうようにウミネコが飛んでいた。カイジはポケットから煙草を取り出すと火をつけた。

 

考えても埒が開かねえな・・・・まあ何とかなるだろ・・・・

・・・・・・帰るか・・

 

 ウミネコの鳴き声を背に、カイジは家路を急いだ。

 

 

 

 

――この日、カイジはネオ・ヴェネツィアと真の邂逅を果たしたのだった……

 

 

第10話 終・・・・・・・・・・・・・・

 


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