・・・おいおいっ・・・どんだけ待たせるんだよっ・・!
ウンディーネってのはどいつもこいつも時計を持ってねえのか・・・・・!
燦々と太陽が照りつける夏の午後、カイジは街中の小さな喫茶店にいた。滝のように流れる汗を拭って、ひんやりと涼しいこの喫茶店に入ったのがもう30分も前である。入店と同時に注文していたアイスコーヒーのグラスはすでに空であった。
カイジは向こう側にある柱時計に目をやると小さく舌打ちをした。そこへ新たに注文しておいたかき氷が届く。給仕に礼を言うと、カイジはかき氷をスプーンで押しつける。
ペタ・・・ ペタ・・・
ペタ・・・ ペタ・・・
全体にシロップの味が染みわたったところで一口頬ばった。
「くぅ~~・・・・!」
夏はいちごミルクに限るな・・・・・断然っ・・・・!
背もたれへ全身を預け、空を仰ぎながら弛緩するカイジ。暫し、待たされている事を忘れてかき氷の味を楽しんでいた。
勢いよく食べ過ぎたせいか鋭い刺激にカイジが頭を抱えていると、待ち人であるアテナがようやく訪れた。
「カイジ君……ごめんなさい、遅れちゃって」
「~~っ・・・・・・~~っ・・・!」
「ど、どうしたの……っ~~!」
カイジが悶えながら余りに渋い表情をしていたため、心配しながらも立ったまま小刻みに震えて笑いをこらえるアテナ。周囲からみれば非常に危ない光景である。それが数十秒続きカイジがようやく落ち着くと、アテナは向かいの席に腰を下ろした。
「ふぅ・・・・おせえぞっ・・・・」
「ごめんなさい……予定よりもガイドが長引いちゃって」
「ったく・・そっちから誘ってんだから間に合わせてくれよ・・・・」
「うん、ごめんね」
「・・・・・・・で、なに・・・?」
思った以上に悄然としてしまったアテナをこれ以上追撃するのが可哀そうになったカイジは、とりあえず用件を訊くことにした。
「その前に私も注文していい?」
「ああ、どうぞ・・・・」
カイジはアテナがメニューに目を通している間、シャクシャクとかき氷を無心で食べていた。最後の一口を食べ終え、懐からマルボロを取り出し火をつけると、丁度アテナも注文を終えていた。
「煙草、身体に悪いよ」
「あ・・・・?んなことより用件は・・・・?」
「でも……」
「おいおい・・・そんな事を言うために呼んだわけじゃないだろ・・・・」
「うん……実はね――」
アテナが語った内容は、カイジにとっては脈絡のない意味不明なものであった。それが以下のものである。
なんでもアテナにはルームメイトがいて、近頃、そのルームメイトは元気がなく塞ぎ込みがちなのだという。普段はそこまで表には出さないのだが、夜や人目がない時など、ふと気が附くと暗い顔で溜息をついたりしている。その理由は分からないが、傍からみていると気の毒で仕様がない程で、なんとか元気づけてあげたい。しかしながら、露骨に元気づけようとすると、難しいお年頃なのか、かえって反発してしまう可能性がある。それに、その子との関係は気の置けない仲というわけでもなく、距離感が未だよく分からない。これは直接なにかするというよりも、自然に元気づけてあげた方がいいだろう。どうしようか悩んだ結果、カイジの存在に思い当った。
「はあ~~っ・・・・!?」
途中までは普通に理解できた話が、突如、場外へ飛んでいったことに間抜けた驚き声をあげるカイジ。
「なんでなんでっ・・・?どうしてオレがでてくんの・・・・っ!?」
そこで、アテナが注文していたホットチョコレートがやってきた。ただでさえ暑いこの季節にわざわざホットを頼むアテナをみて、カイジは今までの疑問もどこへやら、なんだか滑稽になって乗り出していた身を一旦落ち着けた。
「ホットってお前・・・・あっ・・・もしかして間違えた・・・?」
「ううん、これを頼んだのよ」
「あっそう・・・・火傷すんなよ・・・」
「~~~~っ!……ふぅ、熱かった」
言ってるそばから・・・・・馬鹿だコイツ・・・
そんで幸せそうな顔してらあ・・・・・
忙しく変化に富んだアテナを眺めているのも悪くないが、何故自分が選ばれたのか気になったカイジは、続きを催促した。
「少し前にお友達が出来たらしいの」
「・・・・」
「そのおかげかずーっと元気だったんだけど、近頃ふさぎ込んじゃって」
「ふ~~ん・・・」
「その中の一人がARIAカンパニーの子らしいんだけど……私は良く知らないんだけど、灯里ちゃんって子」
「・・・・・・っ!・・・もしかしてお前のルームメイトってアリスなんちゃらって――」
「え……?知ってたの?」
「ああ・・・・つい最近紹介されたんだよ、その水無灯里に・・・随分生意気そうな奴だったなそういえば・・・多分あいつもロックの――」
「そうだったのね」
「え・・・?あ、ああ・・・そうか・・なるほどな・・・・・だからオレか・・・・」
カイジは給仕を呼んでお冷を注いでもらうと、それを飲み干して続ける。
「つまりこうか・・・・その子がどうして悩んでいるのか聞いて・・・出来れば少しでも元気づけてあげるようオレから水無に頼む・・・だろ・・?」
「本当のところはカイジ君にその役をやって欲しいかなって……それでもいいんだけど」
「ああ・・・・?なんでオレが・・・?」
「だってカイジ君、人と仲良くなったり喜ばせたりするの得意じゃない」
「・・?・・・??」
「晃ちゃんが喜んでたよ……ボッコロの日の事。もちろん私も貰って嬉しかったし」
「なんだ・・・・・・そんなことか・・・・」
「そんなことって……ふふふ。あの時晃ちゃん、社内で嫌な事があってちょっと落ち込んでたらしいの。でも晃ちゃんってそういうのほとんど表に出さないから……」
漏れてたけどな・・・・だだ漏れっ・・・・!
「そんな時、カイジ君から薔薇を貰って励まされたって。そう言ってたの」
カイジは人の口に戸は立てられないことを切に感じ苦笑いを禁じ得なかったが、喜んでもらえたようで少しは満足していた。とはいったものの、あの薔薇はあくまでも今後の為のお世辞や社交辞令であって、――ただ、アリシアへの薔薇はカイジの真の感謝であったが――それだけで自分を過大評価してもらっては申し訳ないという気持ちが強かった。
「・・・・・」
「だから、カイジ君なら上手くアリスちゃんを元気づけてあげられるかなって……そう思ったの」
アテナはスプーンで生クリームを掬い一口食べると、後はチョコレートと混ぜてしまった。それを両手で包んでちびちびと飲んでいる。
カイジは黙って考えるようにしていたが、一言、「難しいな・・・」と呟くともう一度黙り込んだ。
「それに……一度お友達と練習しているところを見たのだけれど、アリスちゃん本当に楽しそうなの。だからそういう時に嫌な気分を思い出させるようなことはしたくないから……お友達にも気を遣わせちゃいそうだし」
「・・・・・・」
かぁ~~っ・・・・!なんだそれっ・・・・・!
思春期真っ盛りっ・・・・・そんな時期は誰しも悩み事の一つや二つあんだろっ・・・
当たり前・・・自明だろそんなことっ・・・・放っておきゃあいいものを・・・
甘過ぎっ・・・・!いくらなんでも甘すぎるっ・・・
と、以上の事が口から出かけたカイジだが、ここはアクア。何度も言うようだがアクアならこういう不器用な優しさがあってもおかしくないのだ。故にカイジは少しオブラートに包んだ。
「ちょっと過保護じゃねえか・・・それって・・・」
「そう、なのかな……」
「ああ・・・・まあとりあえず水無にはそれとなく言ってみるよ・・・あいつも馬鹿じゃないだろうし下手なことにはならないだろ・・・・・」
「……うん」
結局、その日はそれでお開きになった。帰り際、再度カイジへ頼んだアテナの顔が、存外真面目であったことがカイジには印象的に映った。
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・
灯里先輩、藍華先輩……2人と一緒にいると本当に楽しいです。時間を忘れてしまうくらい。もう他には何もいらないくらい。
あの日、私が一人で練習している時2人は現れました。その時の私はほんっとにかわいくなかったと思います。ゴンドラ部での実績が評価されスカウトされたくらいですから、下手とは思っていません。だからといって、別に自分の実力を過信しているわけではなかったのですが、周りは違いました。それは妬み嫉みとして私には感じられました。皆、私のことが嫌いなのだと感じました。ただゴンドラが好きで、楽しく乗りたいだけなのに……。
だから、2人が私の前に現れた時も、きっと私をからかい囃し立てる為だと、そう思っていました。周りがそんなに自分を気にしていると思うこと自体、自意識過剰かもしれませんが、私の性格上そう判断せざるを得ないのです。でも……、でも2人は違いました。私のことなんてちっとも知らないようで、純粋に仲良くなろうとしてくれたのです。私はそんなこと夢にも思わなかったから、相手は年上なのに生意気な態度で、敬うということはしませんでした。
それでも2人はそんなことは気にせずに――藍華先輩は少し気にしていましたが、本当に楽しそうにゴンドラに乗っていました。今という時間が素敵で素敵でしょうがないという風に私にはみえました。ふと、私はゴンドラに初めて乗った時のことを思い出しました。
――そうだ、私もあんな風に笑っていた。あんな風に楽しんでいた。オール捌きが難しくっても、声が出なくっても、ゴンドラが大好きなんだって……。
自然に笑みが零れました。2人も笑っていました。なんだか久しぶりに笑ったような気がします。……凪いだ海から渡ってきた優しいそよ風が私たちの頬を撫でました。
それから、私たちはお友達になり合同で練習するようになって今に至ります。3人で集まる日々は今までにない、大切な時間となりました。毎日が輝くように過ぎていきます。
――……。
……ううん、やっぱりそれは嘘、かな。
今でも、会社内外で私を見つめる多くの目は敵意や不満を宿しながら纏わりついてきます。時には、私の方を窺いながらこそこそ内緒話をしていて、私がそちらの方を向けばはっとして立ち去っていくことがあったりします。
うんざりです。私なんかに構わないで、放っておいて欲しいのに……。
だから私は、随分前から気にしないようにしていました。なるべく関わらないようにしていました。話しかけられてもそっけなく対応していました。だって私には今、素敵な時間が待っているから。あの2人に会えば嫌なことも忘れてしまえるくらいに、――そう思うようにして普段はやり過ごしていました。
……でも、やっぱり駄目でした。2人に会えば会う程、一緒にいればいる程、一人でいる時とのズレが激し過ぎて、心が痛くなります。切り替えが上手く出来なくって、2人を心配させてしまったことがあります。そんな時に、苦しくなります。切なくなります。申し訳なくなります。ですから、最近は以前より楽しくなった半面、落ち込むことも増えたような気がします。
どうして? どうしてうまくいかないんだろう……? あんまりだ……。私はちっとも悪くないのに……。
私は今夜も、薄い毛布をかぶってルームメイトの先輩に聞こえないように少し泣きました。
・・・・・・・・・・・・・・・
忙しなく鳴き散らす蝉の声が依然として喧しい。アクアの夏は非常に長く、まだまだ暑さの盛りは継続中である。そんな中、アリスは合同練習に参加するため集合場所へと歩いて向かっていた。
アリスは少し憂鬱だった。或は、不安であったといった方が正しいかもしれない。なぜなら、今日はアリスの知らない人間が参加するからである。
どうしてわざわざ増やすんだろう……
もう、3人で十分なのに……
正確には増えたのではなくすでに居たわけなのだが、アリスにそんなことは関係なかった。元々人見知りしやすいアリスにとって必要以上の関係を結ぶことは忌避すべき事柄であったのだ。
不安でいっぱいになりながら集合場所の桟橋に到着すると、アリスは驚きに目をみはった。
新しいメンバーって男の人っ……!?
「おはようっアリスちゃん!」
「おはよーー後輩ちゃん」
「――あっ……おはようございます」
それになんだか乱暴そうな雰囲気です……傷もあるし……
何考えてるんだろう、おふたりとも……
アリスは目の前の危ない気配を纏った男に完全に委縮してしまっていた。灯里や藍華も今まであったことが無いタイプの人間ではあったが、この男はそれ以上に異様であった。男はじっとアリスを見つめている。
「そうだっ!紹介するね~~こちらARIAカンパニーで一緒に働いてるカイジさんっ」
「あーー、え~~と・・・ど、どうもっス・・・・伊藤カイジです・・・・」
「で、こちらがオレンジぷらねっとのアリスちゃん」
ぼそぼそ喋ってるし……ちょっとヤバそうです……
でっかい危険な香りが漂ってます……
「――後輩ちゃん?おーーい、後輩ちゃん」
「どうしたの?」
「す、すみませんっ……あ、あのっ……アリス・キャロルですっ」
「あ、はい・・・・・」
「ようしっ、それじゃあ挨拶も済んだことだしやるわよっ特訓!」
「おーー!」
「・・・・・」
「……」
「あによ、あんた達。元気ないわね~~」
「ふふふっ、きっと緊張してるんだよ2人とも。初めましてだからしょうがないよっ」
「それもそうね……ってなにカイジは後輩ちゃんの顔凝視してんのよ。キモイから止めなさい!怖がってるじゃない」
「……」
「え・・・!?ちっ違う違うって・・・そういうことじゃなくて色が・・・・・いやなんでもない・・・・」
「何わけの分からないこと言ってんのよ……さっ始めるわよ」
こうして、合同練習が始まった。
アリスは隣を並走する灯里のゴンドラに乗ったカイジの様子を窺っていた。座っている時も漕いでいるときも、事ある毎に横目で窺っていると、次第にあることが分かってきた。
へたっぴですね……
それとなんていうか……ヘタレっぽいです……
漕いでいる時は腰がくの字型に引けていて、その結果、力がオールへ全く伝わっておらず、へこへこ漕いでだらだら進むばかりである。そんな情けない状態について藍華が檄を飛ばすと、カイジはへらへら笑うばかりで一向に要領を得ない。そのうちお手上げだとばかりに灯里にオールを託して、へたり込んでしまった。おまけに小さく悪態まで吐いている。
「くそっ・・・・!手は尽くしているっ・・・・なのになんでだよ・・・・進めよっ・・・!」
「まったく尽くせてないわよっ!このおバカっ」
「あははっ」
アリスはこのカイジという男はそこまで恐るるに足る人物ではないのかと感じ始めていた。しかし、まだ油断はできない。風貌はどこからどう見ても怪しいのだ。ただ、風貌通りの高圧的な人物よりは余程ましだとアリスは思った。
藍華先輩に何を言われても反論はおろか、ただ情けなく笑ってるだけですね……
やっぱりヘタレっぽいです……
けど……どうしてだろう?
アリスは疑問だった。なぜカイジはゴンドラの練習をしているのかと。ARIAカンパニーで働いているにしても、実際にゴンドラに乗って客を案内するのはウンディーネに限られている。当たり前だが、男性はウンディーネにはなれない。だとすると、多分カイジは事務などの仕事をしているのだろう。それならばゴンドラの練習など必要ないはずである。
アリスはふと無意識に、カイジがウンディーネの制服を来てへなへなゴンドラを漕いでいるところを想像した。それは恐怖と笑いが入り混じった世紀末な光景であった。
「――それじゃあ後輩ちゃん、後は最後までよろしく~~」
「あっはい。えと、集合場所までですよね」
「そうよ、ちゃんと声出さないとダメだからね」
「わ、わかってます!」
藍華からオールを受け取る時、少し後ろをついてくる灯里のゴンドラが目に入った。灯里から手ほどきを受けて、カイジが一生懸命にゴンドラを操舵している。相変わらず腰は引けているが、先程よりはスピードが出てゴンドラも安定していた。どうしてか、やはり分からなかったが、それでも真剣にゴンドラと向き合っているのは事実であった。
アリスは後ろの様子を窺いながらゆっくりと集合場所まで戻っていった。
「あ、あのっ……漕いでる時の目線が近すぎますっ、もう少し遠くをみるようにした方がいいです」
合同練習を終えた4人は、桟橋まで戻り一息ついていた。そこでアリスは意を決してカイジに声を掛けてみることにした。
「・・・・・・・・・」
「カイジ、あんたの事よ」
「え・・・・・・オレ・・・?わりい、もう一回いいか・・・・」
「めっ、目線をもう少し先にした方がいいと思いますっ。近すぎると周りが把握できないし、身体に力も入ってしまいますし……」
「あ、はい・・・・・」
な、なんなんですかこの人っ! せっかくアドバイスしたのにそっけなさ過ぎます!
「それと姿勢が悪すぎますっ。あれでは進むものも進みませんよっ」
「ぐっ・・・あ、ああ・・・・・仰るとおりです・・・・はい・・・」
「そうよ、あんなへっぴり腰のゴンドラ乗りなんてどこにもいないわよ」
「っち・・・・・・わかってるよ・・・」
しっ舌打ちしました~~っ! でっかい最悪ですっこの人!
「まぁまぁ藍華ちゃん、カイジさんも頑張ってるしそのくらいで」
「う~~ん、確かに前よりは上手くなってるのは確かね……」
「クククっ・・・・まあそういうことだ・・・・」
むっ……、なんで私の方をみて言うんですかこの人は……
「・・・じゃオレはちょっと用事があるからこの辺で・・・・・お疲れっした・・・」
そう残すと、カイジは煙草をくわえながら路地の奥へと消えていった。
「行っちゃいましたね……」
「まあカイジが私たちに付き合ったこと一度もないからね~~、練習後に」
「きっと大事な用があるんだよっ」
「ないない、あるわけないでしょあんなやさぐれ男に」
残された3人は、近くの喫茶店で今日一日を振り返る反省会をすることにした。反省会とは名ばかりで、基本的には面白おかしく世間話をしているだけである。3人はアイスカフェオレを飲みながら、テラス席でお喋りに耽る。
アリスは、先程のカイジの態度が未だ癇に障っていた。一見して感じた怖そうな人というのはただの外面であって、その実、いい加減なヘタレというのがアリスの下したカイジへの現在の評価であった。
「あのカイジさんていう方は、一体どういった方なんですか?」
アリスはカフェオレにシロップを混ぜながら2人へ問いかける。
「どんな方って……、みた通りの奴よ」
「……」
藍華の返答に考え込むアリス。すると、灯里が藍華の言葉に付け加えるように口を開いた。
「カイジさん、見た目が怖そうだったり言動にぶっきらぼうなところあるけど、すっごく良い人だよっ」
「そうなんですか?」
「まあ、悪い奴ではないわね」
「うんうんっ、アリア社長を助けようとした時なんか凄かったよねっカイジさん」
「なんですかそれ、でっかい気になりますっ」
「えーーっとねぇ、――」
その後も、カイジについてのエピソードを熱心に聞き入るアリス。薔薇の件になると、目を見開いて驚いたアリスだったが、2人が楽しそうに話している様子をみると少し妬けると同時に、カイジへの見解を改め始めた。
「カイジさんってどうしてARIAカンパニーに入社したんですか?」
「あっ、それ私も知りたいなぁ」
「えっ……灯里先輩は知らないんですか?」
「うん、私が入社する前からカイジさんはARIAカンパニーにいたから」
「……っていうか後輩ちゃん、カイジのことそんなに気になるの?さては――」
「やっ、やめてください!でっかい不愉快ですっ……なんていうか、こういっては失礼かもしれませんが、カイジさんとARIAカンパニーって……」
「あははっ!確かに私もさいしょ、何かの間違いかと思ったわよ」
「ですよね、じゃあどうして――」
「でも……まあ、そのことについてはカイジ本人の口から聞きなさいな、灯里も」
「えーー、気になる気になるぅ~~」
「何を言ってもダーーメっ。私だって詳しく知らないの」
「……わかりましたっ!私、今度訊いてみますっ!」
アリスはテーブルを叩き拳を握りしめて猛っている。
「おぉ~~っ、アリスちゃん頼もしいっ」
「灯里先輩も自分で訊いてくださいね。教えませんから」
「えぇ~~」
「そうよ灯里。あんたなんかいつでも訊く機会あるじゃない」
「はーーい」
夕闇せまる中、喫茶店を出た3人は次の合同練習の日程を決めると、手を振りながらそれぞれの会社へと帰っていった。
アリスは帰り道でも、自分の部屋に着いてからも、食堂で夕食を食べている時ですら、あの怪しい風貌のカイジについて考えていた。まだまだ若そうだし、体力もある。仕事は探せばいくらでもあるだろう。そんな男性が何故、ARIAカンパニーに籍を置いているのだろうか。どうしてゴンドラの練習をしているのだろうか。なにより気になるのはあの2人から慕われていることだ。
アリスは湯上りの身体をベッドへ預ける。
考えても仕方ないです……次の練習のとき、堂々と訊いてやりますっ!
アリスはそうしてまどろみの中へとゆっくり沈んでいった。
だが、カイジを注意するあまり、アリスは気付いていなかった。合同練習が終わり2人と別れる際、夢の時間が終わったようで寂しくて憂鬱になっていた平生が、今回はまったく気にもしなかったことに、――食堂に入る前、いつもなら吐いてしまう溜息が出なかったことに、――布団をかぶると、自然と緩む涙腺がきつく閉じていたことに、――そしてさらに言えば、今アリスが心に決めたことは、渦中の悩みにおいても置き換えうるということにも、アリスは全く気が付いていなかったのだった……。
夜は、ぐっすりと眠っているアリスを優しく抱きながら静かに更けていった。
後編へつづく ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・