水先案内録カイジ:ARIA×賭博黙示録カイジ   作:ゼリー

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よろしくお願いします。


第12話 前編 ~転機~

 残暑厳しい夏の終わり。傾く日の早さが涼やかな秋の到来を兆していた。人々は暑さに喘ぎながらも、徐々に迫るその季節を密かに、しかし敏感に感じ取っていた。そして、長かった夏が小さな足音を立てて去ってゆこうとするその気配に、ほんの少しの憂愁を抱えて虫の音の囁く夜を愛おしんだ。

 

 

 

「そろそろ夏も終わりですね~~」

 

 水無灯里は更けていく夏の夜を背に、デッキの欄干に寄りかかっていた。

 灯里の小さな感傷に、隣に座っていたアリア社長は「にゅっ」とこたえる。

 

「アクアで初めての夏……長かったようであっと言う間だった気がします」

「ぷいにゅ」

「思い返してみればいろんな出来事があったなぁ。海水浴も体験できたし、夜光鈴市にも行けました。あっ、そういえば薔薇も貰っちゃいましたっ」

「にゅにゅっ」

「練習も大変だったけど……ふふふっ、シングルにもなれましたっ」

 

 灯里はこの夏、ペアからシングルへと昇格していた。ゴンドラに乗った当初、逆漕ぎで恥をかいたあの春から、順調にウンディーネとしての技術を身につけていき、先日、試験を終えた灯里は希望の丘においてアリシアから昇格を伝えられたのだ。

 

「……本当に充実した夏だったなぁ」

 

 そう呟くと、灯里はゆっくりと顔を上げた。青みがかった夜空は星の瞬きによって、うっすらと明るくなっている。そのまま中空を眺めていた灯里は、真一文字に結んだ口を、小さく崩して微笑んだ。

 楽しかった夏にしばしの別れを告げよう、そう決意を新たに大きく息を吸い込んで海の方へと体を向けた。

 

「うんっ! でも秋も楽しみですっ」

 

 

 

 

「終わらないっ・・・・・!」

「はひぃぃいっ!?」

 

 おセンチモードから爽やかに新たな季節を迎えようとしていた灯里に対して、下方から鋭い声が飛んできた。

 

「カ、カイジさん……ビックリしたぁ。どうしたんですか急に?」

「終わらねえって言ってんだっ・・・・・!」

「な、何が……ですか?」

「残ってる・・・土壇場・・ここぞという場面に・・・あのイベントが・・・」

「はひ?」

 

 階下のデッキを覗き込みながら灯里は、カイジの謎の高揚に気の抜けた返事で疑問を漏らした。

 

「・・・りだ・・・」

「え?」

「ククク・・・・お祭りだ・・」

 

 カイジはその言葉を残して、気味の悪い笑い声と共に灯里の視界から消えた。直後一階のドアが閉じる音がした。

 灯里は少しの間、階下のデッキを窺っていたが何事もないと、アリア社長のほうへ向き直った。

 

「あははっ、カイジさん多分酔ってましたね~~」

「ぷいにゅ~~」

「それと聞きました? アリア社長っ、お祭りだそうですよっ!」

「にゅ!」

「いつなんですかね? 参加したいなあ」

「ぷいぷいにゅう!」

「ふふっ、明日アリシアさんに訊いてみますね」

 

 灯里はアリア社長を持ち上げる。

 

「まだ夏は終わりませんねっ」

 

そう笑いかけると、屋内へと入っていった。

 

 一方、灯里の推察どおり、酩酊状態のカイジは店舗のいすに座ったまま寝息を立てていた。

 本日の夕刻、仕事が終わるとカイジは、バーカロ(立ち飲み居酒屋)へと繰り出していた。アリシアが出先からそのまま自宅へ戻るときいていたことから、心置きなく酔っ払っおうとしたのだ。

 灯里に後のことは任せ、繁華街近くのバーカロへとおもむいたカイジ。そこで適当な安酒を煽っている際、小耳に挟んだのが件のお祭りである。それは明後日から2日間の日程で行われるらしかった。

 程よく酔いがまわっていたカイジは、普段は斜めに見ながら敬遠するようなイベントも、高揚からか何か自分にとって重要な契機として捉え、ほくそ笑んだ。しかしそれも順当なことだろう。夏場の繁忙期、ゆっくり休む間もほとんどなく、謂れのない社長からの頭突きや灯里との噛み合わない会話も相まって、鬱屈が溜まっていたのだ。さらに、店の多忙さから、唯一、癒しの源であるアリシアとの触れ合いも雀の涙ほどであったときている。これでは、酒の力を借りて楽しみを見出すのも頷ける。

 カイジはバーカロを出た後も、鼻歌交じりでタバコを吸い、明後日のお祭りへの過度な期待を膨らませていった。そして一切の根拠が欠落したカイジの幻想は、黄昏気味の灯里を巻き込んで、ようやく睡魔と共に暗転したのだった。

 

・・・・・・・・・・

 

 翌朝、1階の床の上で目覚めたカイジは一瞬取り乱したのち、飲んだことを思い出して軽く顔をしかめる。昨夜のことは綺麗に記憶から抜け落ちていた。

 

そんな飲んだっけかな・・・・・まあいいか・・・・

確かアリシアさんはいなかったはずだしな・・・

・・・っ・・・・頭痛えな・・・

 

 無様な姿をアリシアに目撃されなかったと考えると、安心したカイジは、顔を洗いデッキでタバコを吹かしはじめた。そこへ爽やかな朝を引き連れてくるように灯里が降りてきた。

 

「カイジさんっ、おはようございます!」

「・・・・・・ああ」

「どうしたんですかっ? 元気ないですね」

「いや・・・別に・・・」

「え?なんですかっ?」

「・・・ちょ、ちょっと・・・・音量下げてもらえる・・・?」

「あ、ごめんなさいっ」

 

 灯里は慌てて謝ると、囁くようにカイジの体調を伺った。

 

「ただの二日酔い・・・心配ないって・・・」

「それじゃあ私、お水持ってきますね」

「さっき飲んだから・・・・・」

「そうですか……あっそうだっ」

「ん・・・・なに・・?」

「カイジさん、昨日お祭りがあるって言ってましたよね」

「?・・・・??」

 

は・・・? お祭り・・・?

 

「夜、帰ってきたときそんなようなこと言ってましたよ?」

「悪いが覚えてないな・・・」

「え~~っ、すごい楽しそうに言ってたんだけどなぁ」

「・・・・・」

 

お祭り・・・・どっかで聞いたような・・・

 

 カイジは昨夜のことを思い出そうとしてみたが、バーカロに入ったところで記憶が曖昧になっていた。しかし、祭りという言葉に、何か訴えかけるようなもの含まれているような気はした。灯里の方も、昨夜のカイジの言葉を思い返していたのだが、当の本人が覚えていないということで、祭りの有無についてはアリシアに訊いてみることにした。

 

「それじゃあ、朝ごはんにしましょうか」

「ああ・・・・・」

 

 二人は室内に戻ると朝食をとり、業務の準備をはじめた。アリシアは自宅から予約客の待つ広場へ直接行くとのことであった。

 

 午前中の業務がある程度終わり、一段落すると昼前ごろになっていた。

 

「!……もうこんな時間っ!」

「・・・? ああ、練習か・・・」

「はいっ! 今日は難しいコースをやる予定なんです」

「ふ~~ん・・・・いってらっしゃい・・・」

「はひっ、後のことよろしくお願いしますねっ!」

 

 灯里は元気よくそう言うと、慌ただしく用意を済ませアリア社長を伴って会社を出て行った。カイジは2階のデッキからぼーっと駆けていく灯里の後姿を見送っていたが、煙草を吸い終わると、1階のカウンターへと戻った。

 カウンターに肘をついて、再度呆けたように沖合いを見つめていると、聞き覚えのある声が近くから聞こえてくる。カイジは、カウンターから顔を出して辺りを確認した。すると、そこには手紙を持ち上げながらカイジを呼んでいる郵便屋の姿があった。

 

「おーー、兄ちゃん。ARIAカンパニーに手紙だよ」

「あっ・・・どもっス・・・・っ!」

 

 郵便屋の庵野波平(あんのなみへい)は、ARIAカンパニーに配達があると階段下にゴンドラをとめて、僅かな時間だがカイジと談笑することがよくあった。ネオ・ヴェネツィアにおいて、ウンディーネ関係を除けば、カイジがまともに会話をする相手は今のところ彼だけであった。それゆえ、仲はいい。下らない話は勿論のこと、門外漢であったカイジにネオ・ヴェネツィアに関する多様な情報を、波平は談笑の折をみて教えたりもしていた。昨日のバーカロもその一つであった。

 カイジに手紙を渡すと、郵便屋は帽子を被りなおして声をかけた。

 

「どうだい調子は?」

「まあボチボチっスかね・・・」

「ははっ、ボチボチか。そうかい」

「最近はやっと落ち着いてきたかなって感じっスね・・・」

「忙しそうにしてたかんな兄ちゃん」

 

 そう言うと、郵便屋は懐から煙草を取り出し火をつけた。カイジにも一本勧める。カイジは礼を言って受け取った。

 

「週末は休みかい?」

「はい・・・伸ばせますよ・・・・これでやっと、羽がっ・・・!」

「ははっそいつぁラッキーだな」

「・・・え・・? らっきー・・?」

「知らんのか、週末にお祭りがあんだよ」

「祭り・・・・」

「結構でかい祭りでな、花火なんかもあがるんよ」

「へぇ~~・・」

 

水無の言ってたのはこのことか・・・・

 

「とーぜん人も集まるかんな、ウンディーネの需要が増えるだろ?」

「なるほど・・・・」

「まあ兄ちゃんが休みってんなら、ちょっと顔でも出してみたらどうだ」

「はあ・・・」

「おっと、ぼちぼち行くかな。じゃあな兄ちゃん、よい週末を」

「っス・・・またっ・・・!」

 

 郵便屋は軽く手を振って、ゆっくりとゴンドラを漕いでいった。

 

祭りか・・・・・大して興味はねえが・・・・

 

 大方、行くことになるだろうとカイジは考えた。それも半ば強制的なものになると推測を補った。しかし、昨日の幻想が微かに残っていたのか、はたまた、ただの気まぐれか、それはきっと悪いものではないような気がしていた。

 カイジは、貰った煙草に火をつけて少し吸って捨てた。そしてカウンターに戻り財布を取ると、看板を休憩中に変えて近くのカフェへと向かった。

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 

「いただきまーーす!」

「いただきますっ・・・!」

「はい、召し上がれ」

「ぷいにゅう!」

 

 予定より早く仕事を終えたアリシアが作った夕食を、全員で囲む。灯里はついさっき合同練習を終えて帰宅したばかりだ。灯里がいない間の仕事は、いつものようにカイジがこなしていた。といっても、台風の目のような本日は、たいした仕事もなくほとんどカウンターに座っているだけであった。

 こんがり焼けたチーズがのったグラタンを頬張って飲み込むと、灯里が嬉しそうに言った。

 

「アリシアさんっ! 明日からお祭りがあるんだそうですよ!」

「あら、知ってたの? 後で教えようと思っていたのよ」

「はいっ、今日藍華ちゃんから聞いたんです」

「あらあら、ふふふ。それじゃあ話が早いわね」

「早い?」

「ええ、明日は前夜祭で花火が上がるのよ。仕事はお休みにして、みんなで一緒に花火でも見に行かないかしら?」

「わあっ! 花火ですか!?」

「ふふふっ、そうよ。それも特等席でみたくはない?」

 

 アリシアはそう言うとウインクをして悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「特等席……ですか?」

「うん、どこだか分かる?」

「特等席……う~~ん」

「カイジくんは分かるかしら?」

「特等席ですか・・・・・そうですね・・・・浮き島とか・・・?」

「! カイジくんすごいっ! そうよっ浮き島から観ようと思ってるの」

「ええええっ! 浮き島で!?」

「・・・・・へへ・・」

「ふふふっ。そこでもう一つ提案があるんだけど、カイジくんも灯里ちゃんも浮き島行ったことなかったわよね?」

「はいっ、ないです」

「オレもないっスね・・」

「じゃあ明日はお昼過ぎに行きましょう。花火まで浮き島を観光するの」

「わーーーーい!」

「あらあら、ふふふ」

 

 両手をあげて喜ぶ灯里。隣に座るカイジは、推測した通りに進み少々苦笑いであった。

 その後、食事は明日から始まるお祭りの話題で、灯里が始終にこやかに話していた。カイジは祭りに参加することが実際に決まって、面倒な気持ちが芽生えるかとも思ったが、やはり、依然として悪く感じてはいなかった。仕事に追われていた鬱憤を晴らすという事情を超えて、純粋に祭りを楽しみたいというカイジの欲求がそこにはあったのだ。そして、それは多分、ウンディーネたちと過ごした半年の時間がカイジに培わせたものなのだろう。

 

「あ・・・・でも、週末の予約はいいんスか・・・?」

「ふふふ、大丈夫よ。前もって空けておいたから」

「あっ! それでスケジュール埋まってなかったんだ」

「だから、めいっぱい楽しまないとね!」

「はいっ!」

 

こうして祭りの前日は過ぎていった。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

《本日は当駅をご利用いただき、誠にありがとうございます》

 

「ほらほらっ! カイジさん、乗り遅れちゃいますよ!」

「ぷいにゅ~~っ!」

「あらあら、ふふふ」

 

 清々しいほどに晴れた空の下、一行は浮き島へと向かうロープウェイの駅に来ていた。見上げれば天高く浮かぶ島へ続く索道が一直線に伸びている。

 

喧しいな・・・・恥ずかしいからでかい声出すなよっ・・・・

・・っていうか・・・

・・・なんであいつもいるんだよ・・・

 

「早くしなさいよっ! なにとろとろ歩いてんのよっ」

「くっ・・・・」

 

 アリシアに誘われて同行することになった藍華は、ヒメ社長を腕に抱き、早速カイジを急かしつける。カイジは小さく舌打ちするも、小走りに女性陣の元へと急いだ。

 藍華の小言が繰り広げられる中、一向は切符を購入し、浮き島へ向かうロープウェイへ乗り入れた。

 

 

「わあ、すごい景色!!」

 

 徐々に高度を上げていき、島まで半分といったところだろうか。すでに眼下には広大な海と点在する島々が見渡せた。

 灯里の感嘆を機に皆一斉に窓の外を眺める。

 

「普段、なかなか見られない景色ね」

「ねえねえっ藍華ちゃん! あれ姫屋じゃないっ! ――すごいすごいっ! 高いっ!」

「ちょ、ちょっと、灯里っ」

「わあっ、サン・マルコ広場があんな小さいっ」

「これっ大人しくせいっ」

「あたっ」

 

 窘められた灯里は一旦は落ち着いたが、またすぐそわそわし始める。きょろきょろする灯里に藍華は苦笑いであったが、自身もこの絶景に心を躍らせていた。そんな二人の様子をみて、アリシアは嬉しそうに微笑んでいる。

 

「そうだ灯里ちゃん」

「はひ?」

「浮き島ってね、ただ浮いているだけじゃないのよ。火星の上空に無数に浮かんでいる――」

 

 灯里がアリシアの気候制御装置(ユニット)の説明に耳を傾けている反対側の座席では、カイジがアリア社長を頭の上に乗せ外の景色を眺めていた。

 

帝愛のスターサイドホテルよりたけえな・・・・・・

・・・ふんっ・・・

落ちたら一巻の終わりってやつだな・・・・・

 

 相変わらずズレた思考をしているカイジの上で、アリア社長が飛び跳ねながらしきりに大声で鳴いている。

 

「ぷいにゅうっ!!」

「お、おいっ・・・・人の頭の上は展望台じゃねえぞっ・・・!」

「にゅう~~っ」

「ったく・・・・・」

 

 何を言っても無駄だと悟り、カイジはまた外の景色を眺めながら余計なことを考え始めた。

 

・・・・・・・・・・

 

 

《ご乗車お疲れ様でした 当便はまもなく浮き島へ到着いたします》

 

 そうこうしている内にアナウンスが鳴り、ゴンドラは浮き島へと到着した。真っ先に駅に降り立った灯里は、はやる気持ちを抑えきれずに振り返る。

 

「私ちょこっと先に行ってますねっ」

 

 そう残すと一目散に走り出した。その後をアリア社長とヒメ社長がついてゆく。

 

「まるでこどもね」

「あらあら、うふふ」

「いや・・・・おまえだって――」

「あによ?」

 

 そんなやり取りをしながらカイジたちもゆっくりと駅の外へと出た。

 

「おおっ・・・・・・!」

 

 絶景であった。

 強いくらいの風がカイジの驚嘆をさらっていく。その風は視線を先導するように、見渡す限りの水平線へと吸い込まれていった。そしてその中空には、陽光を受けて白く輝く海鳥が青い空をキャンパスに、ドリッピングされたように羽ばたいていた。

 

「うっわーーーー!」

 

 風にも負けない大声で灯里が叫ぶ。

 

「どう?初めての浮き島は」

「……すごいです。空を飛んでるみたい」

 

 アリシアは満足したように微笑む。この絶景に、いつもならつっ込みを入れているはずの藍華もその通りだとばかりに頷いていた。

 

マジですげえな・・・・未来なんだな本当に・・・・

 

 自分の居た時代との差を改めて痛切に感じ入るカイジ。しかしそれも一瞬で、あとはこの光景に圧倒されるばかりであった。

 カイジは石組みの柵まで歩いていく。どれほどの高さなのかと、石組みの柵に手を付いて覗き込むと、段々になった町が同心円状に広がっているようで、地上までの高さはよく分からなかった。

 

「!!」

 

 カイジが下を向きながらきょろきょろやっていると、少しはなれたところで、灯里が先ほどとは違った驚きの声を上げた。カイジは灯里の方へ顔を向ける。

 

「よう」

 

 そこには、奇抜な髪型の象徴でもある灯里の長すぎるもみ上げを握り締めた、これまた奇抜な男が立っていた。カイジには見覚えのない人間だ。

 

「ああーーーー」

 

 灯里は握られたもみ上げを振りほどくと、小さく後ずさった。雰囲気からして知り合いのようである。その後ろでは藍華が首を傾けて「誰?」と呟いた。

 

「紹介するわ、火炎之番人の暁くん。今日一日浮き島の案内役をお願いしたの」

「よろしくなっ」

 

 アリシアに紹介された出雲暁(いずもあかつき)は、この浮き島で半人前ではあるが火炎之番人(サラマンダー)をしていた。ずいぶんと長い黒髪をまとめてポニーテールにしている、割に身長の高い男である。顔立ちは悪くなく、名前から推察するに日本人のようであった。

 暁は、灯里の最初の“客”であり、その縁でアリシアとも知り合いであったのだ。

 

「……その節はどうも」

「おうよ!」

「す、すごい汗ですね」

「さすがにアリシアさんの頼みとあっちゃあ断れねからな、職場からすっ飛んできたんだ」

 

 そう言うと、汗を撒き散らしながら灯里へと近寄る。当然、灯里は後ずさる。その繰り返しが続いたのち、痺れを切らした灯里は脱兎のごとく逃げ出した。暁は嬉しそうにそれを追いかけていく。まるでアホな小学生のようである。

 そんな様子を眺めながら、藍華はカイジへと問いかけた。

 

「カイジ、知ってんの?あいつのこと」

「いや、初めてだな・・・・」

「ふぅん。ずいぶん灯里と仲よさそうね」

「ああ・・・なんていうか、見るからにバカ丸出しだからな・・・・」

 

そういう意味で共鳴し合ってんじゃねえか・・・・・?

 

 カイジは心の中でそう付け足した。しかしカイジは気付いていなかった。何を隠そう自分自身が馬鹿丸出しの人間であることに。もちろん、藍華は「あんたもでしょーーがっ」と返したが、カイジは手を振って取り合わなかった。さすがカイジ、大人である。

 

「それじゃあアリシアさん、参りましょう!」

 

 いつの間にやら戻ってきた暁が上気した顔でアリシアに声をかける。すると、隣に立つカイジと藍華に気付いたのか、軽く眉をひそめてアリシアに尋ねた。

 

「この方たちはどなたですか?」

「紹介がまだだったわね、カイジくんと藍華ちゃん」

「ほう」

「カイジくんはARIAカンパニーで働いてもらっているの。藍華ちゃんは姫屋のウンディーネよ」

「なんですとっ!?」

「どうも・・・伊藤カイジです・・・・」

 

 相変わらず判で押したような自己紹介をするカイジと、軽く手を上げて「よろしく」とだけ言う藍華。暁は聞いているのかいないのか、拳を握り締めてカイジを睨んでいる。その口からは羨ましいという言葉が幾度となく漏れていた。

 

なんだこいつ・・・・・ちょっとヤバめの奴なんじゃねえのか・・・・っ?

 

「それじゃあ行きましょうか」

 

 アリシアの一声にはっとした暁は、勢いよく返事をすると背筋を伸ばして歩き始めた。柵の傍で息を切らして座り込んでいた灯里を呼び寄せると、一行は暁の先導で浮き島の観光を始めることにした。

 

 浮き島の観光といっても、基本は空に浮かぶ島特有の“どこへ行っても絶景”を味わうというだけである。暁が日々携わる気候制御装置はめったにお目に掛かれない代物ではあったが、一般人が入れるわけではない。つまり、観光施設と銘を打つものは別段に無く、浮き島を歩き回るだけである。歩き回っている最中に、一番多く目にするのは住居だ。そして家々は島の側面に張り付くように建てられており、それ自体は珍しいが、外観は地上の普請と特に変わらないものであった。結局何が言いたいかというと、カイジは飽きていた、ということである。

 

確かに路地の先に見える青空は綺麗だが・・・・・・変化がねえ・・・・

 

 案内する暁は、すぐ後ろを歩くアリシアたちに、ここは同級生の家だとかこの公園で昔よく遊んでいたとか興味を引きそうにない話を延々と続けていた。それでもアリシアと灯里は楽しそうに笑っている。

 一番後ろを歩いていたカイジは最初こそ暁の話を聞いていたものの、途中阿呆らしくなり、黙々と後を付いていくことにしていた。それは藍華も同じようで退屈そうにカイジの前を歩いていた。

 

「あいつ、アリシアさんに馴れ馴れしいと思わない?」

 

 後ろを振り返り小声でカイジに問いかける藍華。

 

「え・・・・?」

「え? じゃないわよっ。いつもいつもあんたは人の話を聞かな過ぎでしょ!」

「わりいな・・・・・でなに・・・?」

「なんでもないわよっ、ったく」

「・・・・・・・・・」

 

なんでもねえなら話しかけんなよ・・・・

 

「あんた明日の本祭には行くのよね?」

 

 少し間を空けて再び問いかける藍華。

 

「ああ・・・ちょっと参加してみようと思ってる・・・・」

「ふ~~ん」

「いくの・・・・? 藍華も・・・・」

「あったりまえじゃないっ。今回のお祭りはね『(ゴンドラ)の火送り』なのよ。数年に一度のお祭りだし、ゴンドラに関わる者なら出ないとダメね」

「へえ・・・・・で、ひおくりっていうのは・・・・?」

「よく送り火とかお焚きなんて云われてるんだけど、廃船をサン・マルコ広場で火にかけるのよ、感謝を込めてね。そうやって天に還すの。あれは一度観ておいて損はないわよ」

「へえ・・・・」

「あんたも水先案内店で働くひとりなんだから、観ておきなさいよ」

「・・・・・・・・」

「めったに――」

 

 カイジは夜の帳が下りる中、轟々と燃え盛る火を想像する。飛び散る火の粉や周りを囲む人々の歓声は、祭りのクライマックスに相応しい代物に思えた。

 ――見逃すわけには行かないな、そう心に決めたカイジはまだしゃべり続けている藍華を適当にいなしながら、想像を逞しゅうしていた。

 そのうち、一行は浮き島を廻る鉄道の駅前に来ていた。夕食をとる店まで列車を利用するということである。列車が動き始めると、灯里と藍華はすぐに後方のデッキへと出ていった。カイジは空いている席に腰掛け、飛びついてきたアリア社長を隣に座らせるとぼーっと流れる車窓を目で追いはじめた。

 すると、少し離れて座る暁が前を向いたまま口を開いた。

 

「貴様……本当にARIAカンパニーで働いているのか?」

「・・・・・・・」

「お、おいっ!無視するなっ」

「は・・・?オレ・・・?」

「貴様以外に誰がいるのだっ!」

「す、すまん・・・・・で、なに・・・・?」

「だから本当にARIAカンパニーで働いているのか?」

「ああ・・・そうだけど・・・」

「くっ……と、いうことは、アリシアさんと毎日顔を合わせているってことか……」

「・・?・・・??」

「羨ましい奴めっ、俺だって――」

 

 カイジは暁が何を意図してぶつぶつ喋っているか分からない。

 

いや・・・まてよ・・・・

 

 しかし、先ほどからのアリシアへの過剰な反応を鑑みるに、おそらく暁はアリシアへある種の憧れを抱いているのではないかと、思い至った。

 

クククっ・・・・なるほどな・・・・っ!

 

 カイジはしたり顔で小さくほくそ笑む。カイジのふてぶてしい笑みには、二つ起因するところがあった。一つはこの推測が十中八九間違いなさそうであるということ。そしてもう一つが、暁という男がいくら頑張ったところでアリシアが振り向くことはないだろうという意地の悪い発想であった。

 

ダメっ・・・・!まったく以ってお前じゃダメっ・・・・!

そんな気味の悪い独り言を垂れ流してるようじゃ論外っ・・・・天使は微笑まないっ・・・!

 

 同じくアリシアに並々ならぬ憧れを持つカイジとしては、どこの馬の骨とも分からない奇天烈漢を認めるわけにはいかなかった。とはいっても、カイジと暁の秘めたる想いはまるで違っている。前者は信仰心に近く、後者は複雑な恋心であるからだ。

 ともかくカイジは、暁に対するナンセンスな優越感に浸っていたのだ。

 

「クククッ・・・・・・」

 

 カイジは小さく声をあげて再度ほくそ笑む。そうして無意識に膝の上に乗ったアリア社長を両腕で抱え込んだ。そのままニヤニヤと笑っている。

 前を向いたままぶつぶつと喋っていた暁は、反応がないことに気が付いたのか、チラッとカイジの方を窺った。

 

「――……っ!」

 

 その瞬間の暁の受けた衝撃はどれ程のモノであっただろうか。推して知るべし、である。補足としてあるがままを伝えれば、髪の長い鼻と顎の尖った怪しい大の大人がアクア猫を胸に抱いて気味の悪い笑みを浮かべていた、というだけのことである。そして、その直後、暁の抱いた思惑が横に座る変態と同じであったことは、言わずもがなであろう。よって、暁もまた、気味の悪い含み笑いを浮かべることとなった。ちなみに、変態二人が座る向かいの座席にはアリシアが座っていたことも追記しておこう。彼女は何を思っただろうか。

 

 列車を降りた一行は、ミシミシと音を立てる木組みの道を抜けて路地の奥にある小さなレストランで夕食を済ませた。少し離れた席で、なにやら灯里を挟んで火花を散らす藍華と暁をよそに、カイジは優雅なディナーであった。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「それじゃ、そろそろメインイベントの花火を見にいきますか」

「わーーひっ」

 

 店を出ると再び暁を先頭に、花火観賞絶好のスポットへと向かう。陽は遠い水平線の向こうへ落ちようとしている時刻で、茜色に染まった夕空は、東のほうから紺碧に染まりつつあった。皆、浮き足立っているのか言葉少なに歩調を速めて暁についていく。一番後ろを歩くカイジも少なからず高揚していた。

 陽が完全に落ちた頃、一行は漸く目的地へと到着した。

 

「うわぁーー!!」

「特等席ねっ」

「地元でも滅多に知らない穴場ですから!眺めも最高っスよ」

「これは確かに凄いわね」

 

 暁の案内した場所は、浮き島の端のさら先、木組みの先端部分であった。目前には、たなびく雲ときらめく星しか見えない。

 カイジは街灯で体を支えながら地上のほうへ目をやった。所々に小さな灯りがキラキラと輝いている。それはネオ・ヴェネツィアだけではなく、ネオ・アドリア海に浮かぶ島々も同じであった。無言でその幻想的な光景を見つめるカイジ。胸中もまた、無心。ただただそこに佇んでいるだけである。

 

 すると、後を引くような音が響き、瞬間、猛烈な破裂音が辺りに轟いた。

 

「っ・・・・・!」

 

 花火が上がったのだ。ぱらぱらと辺りに火花が飛び散る。

 

「すごーーいっ」

 

 口火を切った光の大輪は、夜空を極彩色に染めるがごとく次々と咲き誇っていく。あるものは上空に、またあるものは目の高さに、そして足元の先に。それは信じられないような光景であった。

 カイジは自然と口が開き、魅入られたように目が離せなくなった。近くで灯里が目を丸くしてあげた感嘆の声もまったく耳に入らない。感覚を震わせるものは迸り弾け飛ぶ数多の光だけであった。

 

 ふと、壮絶な火花を映すカイジの双眸から涙が零れ落ちた。そして先ほどまで何も無かった筈の胸の中には、何か形容しがたい生暖かいものが流れはじめていた。

 頬を伝う涙の冷たさにはっとしたカイジは、軍手をはめた手でごしごしと顔を擦る。

 

何だってんだ・・・・なんで泣いてんだオレは・・・・・・

 

 花火に目を向けながらも、突拍子も無く涙が零れたことを訝るカイジ。自分がなぜ涙を流したのか、カイジにははっきりとした理由が見つけられなかった。ただ、夜空に広がる花火を見つめているうちにその光の結晶がカイジの心をさらってゆき、そうしてそこに芽生えたものを、僅かではあったが、カイジは感じていた。

 

 

・・・・・・っ!

 

 

 カイジはその小さな感情に、覚えがあった。アクアでの日常の狭間、なんの脈絡もなくふと首をもたげるそれは、ネオ・アドリア海を吹き抜ける春先の風のように、カイジの琴線を刺激してきたのだ、あらゆる場所で。たとえば海の見えるデッキ、人々が行き交う広場、張り巡らされた水路、そしてこの浮き島でも。

 カイジはそれに勘付くたび、認識の外へ追い出しひとまず結論を後回しにしてきた。その感情が何であるのか知ろうとしなかった――否、認めることが怖かったのだ、この望外の現状にいながらも、カイジを襲うその感情を。

 

 

 

・・・・・これは・・・・

 

 

 

 ふと、花火が止んだ時、

 

「懐かしいのよ」

 

――アリシアがそう言った。

 

 

 

 カイジは漠然とした心の内を見透かされたように感じて驚いたが、どうやらアリシアの言葉は灯里に向けられていたものらしかった。

 

「……懐かしい?」

「そう。灯里ちゃんがこのネオ・ヴェネツィアから受け取ったものすべて――ただ、懐かしいのよ」

「……そうかもしれませんね」

 

 灯里はそう言って小さく微笑んでいた。

 

 

・・・そうか・・・・・あのくそ忌々しい現実だったものが・・・

 

 

 カイジは再び打ち上げられた花火からそらした目を、胸の前で開かれた両手に注いだ。

 

 

――オレは懐かしいのか・・・・・・

 

 

「ぷいにゅう」

「・・・」

 

 いつの間にか、カイジの隣へきていたアリア社長がズボンを引っ張りながら鳴いている。

 

「ぷい、ぷいにゅ~~?」

「・・・・え・・?」

「にゅ?」

「いや・・・なんでもない・・・・」

 

ハハハ・・・・・笑えるなこりゃ・・・・

足掻けば足掻くほど・・・深みにはまっていく沼の底のような現実だったってのに・・・・・

懐かしいと来たもんだ・・・・まるで呪いだな・・・・

 

 

 長々と両手に目を落としていたカイジは、顔を上げた。そこには、花火を眺めて嬉しそうにしているネオ・ヴェネツィアの人たちがいた。花火の光に輝くその人たちは、どこかでみた眩しい光景によく似ていた。ほんの少し前まで、確かにそこにいたはずだったのだが、今はもう、何故だか自信がなかった。

 カイジは、花火が最後を迎えるまでその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

中編へ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


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