水先案内録カイジ:ARIA×賭博黙示録カイジ   作:ゼリー

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よろしくお願いします。


第7話 その 新たな門出は…

いそいそ・・・・いそいそ・・・・

 

はたはた・・・はたはた・・・

 

 伊藤カイジは洗濯していた。

 対象はシーツやらケットやら3階の洗濯ものだ。今は干している最中である。これが終われば昼飯だが、午後は新しい制服を取りに行かねばならない。ちなみに、それはカイジのもではない。カイジは今着ている黒の詰襟が気に入ったらしく、仮から晴れて正当な制服になったのだ。取りに行く制服は明日からの為のもので、女性用の制服である。

 そう、つまり明日はこのARIAカンパニーに新人がやってくるのだ。カイジは、そのための準備をしているのであった。洗濯の前に、朝の清掃、電話対応やネットの予約確認も済ませてある。今はとにかく明日の準備が先決だった。

 

「カイジくんごめんね、準備全部任せちゃって」

 

 午前の仕事を終えて、一度帰ってきているアリシアがそう言った。

 

「全然っ・・・・! 余裕っスよこれくらいっ・・・!」

「あらあら、ありがとうっ」

「エヘヘっ・・・・・!」

「それじゃあ私、次の現場に行ってくるわね。制服お願いします」

「分かりましたっ・・・・・! 昼はどうするんスか・・・?」

「あっちで何か買って食べるから大丈夫よ」

「そうですか・・・・・いってらっしゃいっ・・・・・!」

「はいっいってきまーす!」

 

 アリシアは手を振るとくるりと向きを変えて桟橋を渡っていった。カイジは呆けた顔でアリシアが見えなくなるまで手を振っていたが、傍にいたアリア社長から喝が入る。

 

「ぷいにゅ~!」

「わかってるってっ・・・・そう急かすなよ・・・っ!」

「にゅ~」

「・・・・・・・・いよしっ・・・終わったぜ・・・」

「ぷいにゅー」

「そうだな・・・・・飯にするか・・・」

 

 

 揃って昼ごはんを食べ終わると、カイジは看板を下げ鍵を閉めて店を出た。クリーニング店に着くと、引換券を渡し制服を受け取る。ありがとうございましたという声を背中で聞きながらそこを出たカイジは、一緒に来ていたアリア社長と帰路へついた。

 会社へ戻ってくると3階の片づけを始めた。

 

・・・・っつてもな・・・私物なんて何も置いてねえしな・・・

とりあえず・・・・掃き掃除と拭き掃除だけしっかりやれば問題ないだろっ・・・・

 

 カイジは、階段下から3階の床まで丁寧に掃くと、窓ガラスや机など綺麗に拭いていく。ひと月程前は竹箒で延々と同じことを繰り返していたカイジだが、成長したのだろう、徹底的に掃除をしていた。

 

オレの後は汚いなんて言われちゃ・・・かなわねえからな・・・・っ!

あり得るっ・・・当然・・・っ!おっさんの後は嫌という・・・そういう状況っ・・・!

塵も残さないっ・・・!オレが此処で寝ていたという痕跡っ・・・!

 

 という情けない理由ではあったが。

 

 

 カイジは掃除が終わると2階のデッキ部分に下りた。

 マッチを擦って煙草に火をつける。ぼーっと吹かしていたが、ふと、明日来る新人のことを考えた。

 

確か日本から来るって言ってたなアリシアさん・・・・・

・・・・・・・・

どうなってんのかな・・・・・日本・・・・・・

・・・・・・・・帝愛はっ・・・・まだ在るかもしれねえなっ・・・!

 

 ギリっと唇を噛み、拳を握りしめるカイジ。

 このネオ・ヴェネツィアに来てからひと月程経ったが、それでもあの地獄のような経験は今でも鮮明に思い出せた。色褪せるなんてことはない、それほど痛烈な記憶。

 カイジは手袋をはずして指の傷を見つめる。そうして(たなごころ)をぐっと締めるとまた手袋をはめた。煙草を吹かす。

 

ていうかオレ・・・いつか帰れんのかな・・・・

ここでの暮らしは悪くない・・・・・本当に・・・・・

それでもオレの居場所はここじゃない・・・・そんな気はずっとしてるんだよな・・・

もし・・・・もし帰ることができるとしてっ・・・・!日本に・・・・・っ!

・・・その時は・・・・・・・どうするのかなオレは・・・・・・・

まあ・・・考えても仕方ねえか・・・・・

嗚呼・・・・久しぶりにギャンブルしてえなあ・・・・・・・・

 

 のらりくらり煙草を吹かしながらそんな事を考えていたカイジであったが、客が桟橋を渡ってくる音を聞くと火を消し、すぐさま下へ向かっていった。

 

・・・・・・・・・・・

 

 日も暮れ辺りに夜の帳が降りる頃、アリシアが帰宅し、夕飯となった。

 かちゃかちゃと食器の音が響く中、アリシアが喋る。

 

「明日はアリア社長が迎えに行くんでしたっけ?」

「ぷいにゅ!」

 

 お皿に埋めていた顔をあげて元気よく首を振るアリア社長。

 

「一人で大丈夫ですか?」

「ぷぷいにゅ! ぷいにゅ~~」

「はあ・・・?」

 

社長の言葉に声をあげるカイジ。

 

「?……どうしたの?」

「なんか社長が・・・オレも連れていくから問題ないって・・・・」

「あらあら。そうなの?」

「ぷいにゅ!」

「社長・・・・・・オレは仕事があるからお前一人でいけよ・・・」

「にゅう~~っ!」

「んなこと通じるかよ・・・・・」

 

 カイジはチラッとアリシアの方を確認する。

 

「そうねえ~、明日は予約のお客様で埋まってるから一緒に行ってもらっても大丈夫だけど……」

「ぷいにゅ!」

「え・・・・・」

「……うん! それじゃあ二人で迎えに行ってきてくれるかしら?」

「ええ~っ・・・・そんないい笑顔で言われたら断れないっスね・・・・」

「あらあら、ふふふ」

「わかりました・・・オレも馳せ参じますよ・・・」

「ありがとうっ! よろしくねっ」

「へへへ・・・・っ! 任せてくださいっ・・・・!」

「にゅ!」

 

 夕飯が終わると軽く談笑して、アリシアが帰る時間となった。

 

「明日は朝の仕事だけでいいからねカイジくん。それが終わったらアリア社長と一緒に迎えに行ってくださいね」

「はい・・・!」

「社長もよろしくお願いしますねっ」

「ぷいにゅう!」

「うんっ、それじゃあおやすみなさい」

「おやすみなさいっ・・・・・!」

 

 バタンと扉が閉まる。カイジはいつものようにアリシアの笑顔に蕩けていたが、これまたいつものようにアリア社長から頭突かれ我に還った。

 

 明日から新人が来る。邪魔者もいたがアリシアとの二人だけの仕事場も今日で最後だと少し寂しそうにしていたカイジであったが、まあいいかと呟きその日は寝たのだった。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・

 

 

 

 

――当機はまもなく惑星アクアの大気圏に突入します

 

 水無灯里は寝不足気味の瞼をこすりながらアナウンスを聞いていた。

 ふあぁ~と大きな欠伸を一つするとメールを打ち始める。カタカタとキーボードを弾いていたが、宇宙船が電離層を抜けて、眼下に大海原と美しい街並みが広がると、感嘆の声をあげた。

 

うわぁ~~~!

ついに来ちゃったアクア!

どうしよう……! ワクワクが止まらないよ~~!

そうだ! 予定を確認しなくっちゃ……!

え~とマルコ・ポーロ国際宇宙港の前で下宿先の人が迎えに来てくれるんだったよね確か……うんっそうだ!

はあ~~ちょっぴり緊張するな~。どんな人なんだろう下宿先の人って……

 

 と、様々なことを考えて興奮していた灯里であったが、宇宙船が高度を下げて港に着く頃にはふぅーと息を整えていた。

 

よしっ! この新天地で水先案内人(ウンディーネ)に向けて頑張ろっ!

 

 着陸した宇宙船から下りた灯里はゲートまでゆっくりと確かめるように歩いていたが、はやる気持ちが抑えきれず自然と小走りになる。そうして春の陽光を受けて光り輝くネオ・ヴェネツィアの町へと飛び出した。

 

「わあっ!」

 

 眼前に広がるのは美しい景色。豊かな水を(たた)えたネオ・アドリア海、目線を上げればあれは浮島だろうか、辺りを見回せば煉瓦造りの建物とゴンドラを操る人々。どれもこれもメディアを通してしか見たことのない待望の光景であった。

 

んん~~っ! ネオ・ヴェネツィアだあ~~~っ!

はあ! どうしよう本当にきちゃった!

 

 潮風を全身で受け止めながら大きく伸びをする。堤防の前まで来るとも大きく息を吸ってもう一度伸びをした。

 

すごいな~っ! これが自然の風なんだ!

地球じゃ自動制御でみられなくなった本当の風だ~!

んんっ~~気持いい~~

……はっ! そうだった! 下宿先の人探さないと!

 

 慌てて周囲を見回してみるがそれらしき人は何処にもいない。

 

どうしよう全然わからない……

確かプラカードをもって待ってるってメールでは書いてあったんだけどな……

まだ時間あるみたいだし少しまってみようかな……

 

 すると、突然腕に変な感触を受けた。ビクッと硬直する灯里。目線を移すとそこには大きな猫らしき白い生物がいた。胸にはリボンをあしらっている。

 その猫が灯里の腕を舐めていた。

 

「火星猫…生で初めて見ちゃったー」

「にゅ~」

 

 火星猫はじーっと灯里のことを見つめていたが、腹が減ったのか、ふとお腹の虫が鳴きはじめた。灯里は少し呆れたが、気を取り直して、此処で待つ間一緒にこの火星猫とお弁当でも食べようと思い、そう提案した。

 

「お弁当…一緒に食べようか?」

「にゅ」

 

 お弁当を取り出して火星猫に半分渡す。火星猫はお弁当を受け取るとすぐさまかぶりつく。

 

「あはは、随分食いしん坊さんだね~」

「もちゃもちゃ……ぷいにゅ」

「私、水無灯里(みずなしあかり)! 地球から来たの…よろしくね!」

「にゅ!」

「待ち合わせしてるんだ~そろそろ下宿先の人が迎えに来るはずなんだけど……」

「にゅっにゅっ」

 

 火星猫はなにやら腕を自分の顔に向けて振っていたが、灯里は気付いていない。

 

「君も誰かをまってるの?」

「んに゛ゅ」

 

 そう言うが早いか、火星猫は灯里のかばんを肩にかけると堤防の上を歩き始めた。その様子を不思議に見つめていた灯里であったが、火星猫が足を滑らせ堤防から落ちると大慌てで海を覗き込む。

 

「にゃっ…にゃんこさーーん!」

 

 火星猫は偶然そこを通りかかったゴンドラの上へ見事に収まっていた。

 

ふぅ~っ・・・よかったぁ~~

もう人騒がせなにゃんこさんだな~……とりあえずバックを取りに行かなきゃ……

 

「――…ってあらら?」

 

 火星猫を乗せたゴンドラはそのまま漕がれていく。いきなり猫が落ちてきた事などお構いなしとすいすい進んでいる。灯里は大きな声をあげて操舵者の男性を呼んだ。

 

「おじさーーん…おじさーーーーん!」

 

 しかし、気付いていないのか結局そのまま行ってしまった。灯里は待ってくださーいと叫びながらそのゴンドラを追いかけはじめた。

 

待ち合わせもあるけど……! バックがなくなっちゃうとまずい~~っ!

早く返してもらわないと~!

 

 

 灯里が堤防を下りて走っているその上では一人の詰襟を着た男が、【ARIAカンパニー歓迎】と書かれたプラカードと温かい紅茶の入ったボトルを持って宇宙港の方へ歩いているところであった。

 

 

・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・・

 

 

 翌日、カイジは朝の仕事を終わらせると、看板を下ろして戸締りをした。

 新人は昼前ごろに到着するとのことだったので、朝はゆっくりできた。カイジは時間が迫ってくると、初対面だということで身なりだけはしっかりと整えることにした。

 

「どうだ・・・・?」

「にゅ~」

「そうか・・・・よし、そろそろ行くか・・・・」

「ぷいにゅ!」

「おっと・・・・忘れていくところだったぜっ・・・! コイツを・・・っ!」

 

 そう言うと、ドアに立てかけてあったプラカードを手に取った。

 

「相手の顔が分からないからな・・・これ持ってないと話しにならない・・・・・っ! このオレの自信作をなっ・・・・!」

「ぷいにゅう!」

「おうっ・・・! 行くかっ・・・!」

 

・・・・・・・・・・

 

 サン・マルコ広場に到着すると、堤防に座って宇宙港の方をみるカイジとアリア社長。

 広場は観光客やらで人が大勢いた。もしかするともう来ているかもしれないと、プラカードを高々と掲げたカイジ。注目を集め出したのですぐさま降ろす。そうして恥ずかしそうに下を向いてしまった。だったらやるなよカイジ。

 

「にゅう!」

「うるせえなっ・・・んならお前が持ってろよっ・・・!」

「ぷぷいにゅ!」

「っち・・・・! だから何時までたってもデブのままなんだよっ・・・!」

「にゅう~~っ!」

「おふっ・・・! てめっ・・・・!? ・・・・オーケーオーケー、一旦落ち着こうっ・・・そうだ・・・そのプラカードを一度下に置くんだっ・・・!」

「……にゅ」

「ようし・・・偉いぞ社長・・・っ! 後でコンデンスミルクを買ってやろうっ・・・!」

「にゅう!」

「ハハハ・・・まったくちょろいっていうか・・・阿呆っていうか・・・」

「ぷいにゅう……?」

「何でもないって・・・・そうだ・・・・! オレ飲み物でも買ってくるわ・・・っ! まだ時間あるし・・・・あ、でも社長はここで待ってろよっ・・・もし来ちゃったらまずいからな・・・・じゃよろしく・・・・っ!」

 

 カイジはそう言うと、堤防にどっしりと座っているアリア社長を残し、プラカードを持ってサン・マルコ広場へと入って行った。

 適当な飲み物でも買ってテイクアウトしようとしたが、どこの店も混んでいて入れない。カイジは仕方なく少し遠いが広場から離れたカフェへ向かった。到着すると紅茶とコーヒーをテイクアウトして直ぐに戻ろうとしたが、近くに小さな量販店をみかけ、そこでコンデンスミルクを買って出た。

 

ちょっと遅くなっちまったが・・・まだ時間はあるな・・・

あそこで待ちながらデブ猫の相手するのも疲れるし・・・・ゆっくり行くか・・・

 

 途中サン・マルコ広場に設置されている喫煙所で2本煙草を吸うと、堤防の方へ戻る。堤防沿いを歩いているとなにやら下が騒がしい。まさかあのデブ猫なんかやらかしたかと懸念したカイジは、下を覗くがただ少女が叫びながら走っていただけだった。

 

おお~っ怖っ・・・いるんだよな稀に・・・ああいう奴っ・・・・

恥ずかしくないのかね・・・・・大衆・・・・公然・・・そんな場所でっ・・・

 

 痴情のもつれか何かと勘違いしたカイジは、そのまま堤防沿いを歩いていき宇宙港の前までやってきた。しかし、そこで待っていたはずのアリア社長がいない。カイジは舌打ちをすると、とりあえず堤防に座って買ってきたコーヒーを飲む。港の時計をみるとそろそろ新人との待ち合わせ時間であった。

そこで10分程待ったが、どちらもやって来ない。アリア社長は知らないが、新人の方は便の到着が遅れているのだろうと推測してもう少し待ってみることにした。

 

ふざけやがってっ・・・・・・!くそっ・・・!もう30分だぞっ・・・・!

基本だろっ・・・!5分前っ・・・・・・!いや10分前行動がっ・・・・!

ていうかあのしろぶた野郎も何処行きやがったっ・・・・!

・・・・・・はっ・・・!?

もしかしてもう着いてたとか・・・・?それで社長が新人を連れていった・・・・?

あのデブ猫なら・・・・平気でやり得る・・・っ!オレを無視してっ・・・平然とやり得るっ・・・・!

 

 多分そうだろうなと結論づけたカイジは、近くのテラス席で優雅なティータイムをしていたカップルに声をかけた。

 

「あの~っ・・・・・」

「え? なんですか?」

「この辺で・・・まるまる太った白い豚みたいな火星猫みませんでした・・・・・・・?」

「ああ! 見たよさっき。なあ?」

「ええ、見たわ、郵便屋のゴンドラに乗ってどこかへ行っちゃったけど」

「そうそう! んでその後を女の子が追いかけてたな……なんかバッグーーとか言いながら」

「え・・・・?」

「3,40分くらい前だよ。大運河(カナル・グランデ)の方へ行ったみたいだけど」

「すいません・・・・ありがとうございますっ・・・!」

「いいよ、アンタARIAカンパニーの社員なんだろ?」

 

 カイジの持っていたプラカードを指さして男性が言った。

 

「俺この前乗ったんだよ、コイツと! ホント良かったよ~、これからも頑張ってな」

「そうっスか・・・・っ! ありがとうございますっ・・・! またよろしくお願いしますっ・・・・・・っ!」

 

 カイジはそう礼を述べると手を振るカップルを残して大運河の方へ走り始めた。しかし、今更走ったところで何処にいるのか分かる訳もないので、アホくさっと呟いて歩きながら探すことにした。

 

もしかしてあの大声出してた女の子が新人の子なのか・・・・・

だとするとっ・・・・社長が何かやらかしたなっ・・・・

まあ大通りまで行ってみるか・・・・

 

 

・・・・・・・・

・・・・・・

・・・

 

 

 バックを取り戻そうと勢いよくゴンドラへ飛び乗った灯里は、火星猫からバックを返してもらい、ゴンドラの主に謝るとそこから降りようとした。

 

「おうっ立つと危ねーぞ!」

「わわわっ」

 

 灯里はバランスを崩したが何とか持ちこたえて、ゴンドラに座らせてもらう。

 

「すみません、私港の前で待ち合わせしてて…」

「……」

 

 と、ゴンドラが止まりホッとする灯里だったが、その男性は郵便屋であり、ポストから配達物を取るために止まっただけだった。ゴンドラはまた進む。しかし灯里は先程とは打って変わってもう落ち着きをみせて、「本当にみんな船でお仕事してるんだぁ」などと暢気なことを言っていた。うん、流石灯里である。人を待たせている人間とは思えないマイペースぶりだ。

 緩やかな時を刻み、誤解を恐れずに言えば、ある種緩慢で停滞気味である人や町は、灯里にとっては不思議と居心地が良かった。地球は合理化と美観化が進み、便利ではあるが彼女にとっては(あきたらない)感じがいつも付きまとっていたのだ。それがこの地では、謂わば手作りのような、どこかそういった温もりが感じられたのだった。

 そんな事を灯里が伝えると、郵便屋は大きな声で笑って、面白い嬢ちゃんだなと本当におかしそうに言った。

 

「私、“水先案内人”になりたいんです」

「ほう~、ありゃあアイドル業だからな。なるのはちぃーとばかし難しいって聞くぜ」

「はい、でも私ゴンドラが漕ぎたくって……ほら、女性は水先案内人になるしかないじゃないですか」

「ん~~……そうだ嬢ちゃん、ちょっと漕いでみるか?」

「え、いいんですか?」

「ああ、かまやしねえって」

「わあ! それじゃあやらせてください!」

「ほい」

 

 灯里は郵便屋からオールを受け取る。バーチャルネットのシュミレーションとは違ってオールの重みがずっしりと感じられた。

 

「いきます」

 

 灯里が漕ぎ始めるとゴンドラは静かに進んでいく。必死に漕ぐ灯里は無心でオールを操る。そのうち速度が増してきた。

 

「おお、うめえじゃねえか……でもちょっとスピードがですぎだ」

「はひっ! 緊張してしまって……!」

「じょ、嬢ちゃん! 後ろ後ろ! ぶつかるぞ!」

「ぷぷぷいにゅ~~っ!」

 

 ぶつかる寸前、灯里は巧みな操舵で水しぶきを上げながら角を曲がった。そのオール捌きは並の乗り手では難しい程のものであったが、灯里はいとも簡単にやってのける。そんな様子を見た郵便屋は称賛の声を上げた。

 

「嬢ちゃんは立派な水先案内人になれるよ」

「え?」

「あんな漕ぎ方出来るんだ、普通はできやしねーぜ……間違いない」

「そうですか?」

「ああ、まあ頑張れや」

「はい!」

 

 灯里が漕ぐゴンドラは細い水路を越えて大運河へと抜けだした。大きく開けた景色と突き抜けるような青空に目を細める灯里。

 

わぁ! 運河からみる町も綺麗だな~~!

まるで鳥になったみたいっ~~~! 風が気持ちいい~

 

「本当に素敵なところですね! ネオ・ヴェネツィア!」

「へへっ……そうかい」

「はひっ!」

 

 

 その後灯里は、手紙の回収をおこなう郵便屋と談笑していたが、ふと静かになり、郵便屋が顔を向けると横になって気持ちよさそうに寝てしまっていた。

 

「まだ配達も残ってるし……少し寝かしておいてやるか」

「ぷいにゅ!」

 

 遠くからはおーいと呼ぶ声がゴンドラまで届いていた。

 

 

・・・・・・・

・・・・・

・・・

 

 

 大運河へ到着したカイジは、浮かぶゴンドラをすべて確認しながら河沿いを歩いていた。ここに来るまで通った水路にはそれらしきゴンドラはいなかった。

 結局、大運河の中心部にあるリアルト大橋まで来たが、見つからない。

 

もう会社の方へ戻ってるかもな・・・・・社長だって馬鹿じゃない・・・・

会社に戻る位、頭にあるだろっ・・・・

 

 そう考えたカイジは、ARIAカンパニーに戻ることにした。そろそろサン・マルコ広場に戻ってくるという辺りで、前方の水路に特徴的な白い火星猫が乗ったゴンドラを発見した。

 

「しゃ、社長・・・・っ!」

 

 呼んだ声も虚しく、ゴンドラは水路を曲がって行ってしまった。カイジは急いでそのゴンドラを追いかける。

 

あのデブ猫は間違いねえ・・・・っ!くそっ・・・・追いつけるか・・・!?

 

 角を曲がったカイジはまだ近くにいるゴンドラに呼び掛ける。

 

「おーいっ・・・・・・! おっちゃーん・・・・! 郵便屋のおっちゃ~~んっ・・・・!」

 

 丁度軒先のポストの前で配達作業をやっていた郵便屋に声をかける。郵便屋は走ってくるカイジの方を見て手を上げた。追いついたカイジは中腰になりはあはあと息を整えた。そしてゴンドラの中を確認する。

 

よかったっ・・・・!社長もいるし・・・・女の子もいるなっ・・・・

・・・・ってピンクっ・・・!髪の毛ピンクじゃんコイツっ・・・!

 

 郵便屋はひきつった顔をしているカイジに声をかけた。

 

「おう、ARIAカンパニーのとこの兄ちゃんじゃねえか。もしかして迎えに来たのか?」

「そうそうっ・・・! っていうかこの子、新人の子なのか・・・・?」

「ぷいにゅ!」

「・・・・マジかっ・・・なかなかショッキングな頭してんなっ・・・で、寝てんのこの子・・・・?」

「さっきまで話してたんだが、寝ちゃったみてーだな。疲れてるようだしこのまま寝かせておくべ」

「にゅ!」

「はあ・・・・・まあ、アンタがそれでいいなら・・・・おいっ社長っ・・・! お前勝手に行くなよっ・・・・! お陰で町じゅう探しまわったじゃねえかっ・・・・! くそっ・・・!」

「にゅにゅ~ぷいにゅ~」

「っく・・・・! お前覚えてろっ・・・・・!」

「ははは、まあまあ兄ちゃんそれぐらいにしてやんな。そうだ兄ちゃん。もう配達も終わったし乗ってくか? ARIAカンパニーまでいってやっぞ?」

「え・・・? いいのか・・・?悪いな・・・頼む・・・・っ!」

「おう」

 

 カイジはゴンドラに乗り込み少女の頭の上の方にどかっと腰を下ろす。すぐさまアリア社長がカイジの肩の上にひっついた。少女は物音もどこへやら、ぐっすりと眠っている。相当疲れていたのだろう。カイジは少女の顔をみる。まだ十代半ばといったところだろう、聞いていた通り日本人のようだった。そしてもう一度髪の毛をみる。こいつはパンクとかロックが好きなアバンギャルドな人間だな・・・後で聞いてみるかっ、と抜けた考えをカイジは抱いていた。

 ゴンドラは傾きかけた太陽を背にゆっくりと進んでいった。

 

 

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・

 

 

 ――夕刻

 

「ふっ…ふわあああああ~」

 

 大きく伸びをした灯里は、数秒ほどぼーっとしていたが次第に顔が青ざめていく。

 

「寝てしまった……」

 

ど、どうしよう……下宿先の人、待たせたままだ……

もう間に合わないしっ……ああ~っ……

 

 青ざめて目を瞑っている灯里に郵便屋がどうしたと声をかける。

 

「下宿先の人、宇宙港前にほったらかしにしたままなんです・・・・もうダメダメですっ」

「おうっ嬢ちゃん、落ちつけ」

「あら…起きたみたいね水無灯里さん?」

 

 灯里は声のした方を見上げる。そこには綺麗な女性がランタンをもってこちらに微笑んでいた。その隣には真っ黒な制服を着た男性が佇んでいる。

 

「ようこそARIAカンパニーへ」

「よ、ようこそ・・・・・」

 

 沈みゆく夕陽を受けた二人はまるで別世界の人間のように見えた。

 

「郵便屋さん、あなたが起きるまで待っていてくれたのよ」

「どうしてここが?」

「嬢ちゃん最初に言ってたろ?」

「あ……! そうでした! おじさんありがとうございます!」

「いいってことよ」

 

 郵便屋さんを三人で見送るとアリシアは灯里を部屋の中へと誘った。

 灯里は階段を上りながら申し訳なさそうに謝った。

 

「あの……今日はすみませんでした」

「え?」

「待ち合わせの場所で結局会えなくって……」

「あらあら、そうだったの。残念ね~社長とカイジくんが迎えに行ってくれたんだけど」

「いえ・・・っ! オレは別に・・・・」

「しゃ、社長……!?」

「ねっ?社長」

 

 二階の客間に入ると、そこにはあの白い火星猫が机の上に寝転がっていた。その横には社長と書かれた札が厳めしく置いてある。

 

「ぷいにゅ」

「あの……社長って?」

「この火星猫のアリア・ポコテンが社長なの」

「え~~~~~~!?」

「ふふふ、火星猫は知能は人間並みなのよ。それで知ってはいると思うけど、私はアリシア・フローレンス。ARIAカンパニーの水先案内人です」

「はひっ!」

「最後に、こちら伊藤カイジくん。ここで働いてもらっているの。なにか分からないことがあったら私と彼に聞いてね。今日はカイジくんもあなたを迎えに行ってくれたのよ」

「ども・・・・伊藤カイジです・・・・・実はオレもパンクとかロックとか結構好きです・・・・・・」

「あっ水無灯里です! 今日はすみませんでした」

「いやっいいって・・・・あれは社長が勝手に行っちゃっただけだし・・・」

「あらあら、ふふふ」

「にゅ!」

「社長がよろしくって!」

 

 頭を下げていた灯里をアリア社長が優しく撫でる。

 

 

「は、はい……! 皆さまこれからよろしくお願いします!」

 

 

 こうしてARIAカンパニーにまた新たな社員が入社したのであった・・・。

 

 

第7話 終・・・・・・・・・・・・・

 


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