一日千秋の思い   作:ささめ@m.gru

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設定:新聞配達員


私達はみんな、主人公だった

最近はもう新聞を読んでる人は少ない。

ネットニュースが定番化されて、ゴミになるものと新聞は人々の手元から離れつつあった。

もっと年数が経てば、無くなってしまうかもしれない。

本だって、スマホロトムひとつで様々な物が読めるものだから本屋も少なくなって来た。

でも、まだ今じゃない。

インターネットの中で、初期化すれば跡形も無く消えてしまうものとは違う。手元に永遠に残り続ける財産だと、わたしは思っている。

紙の厚み、インクの香り、たまに指先を切りながらも束ねた新聞を、一部だけ引き抜いた。

 

「おはようございます!」

「おはよう」

 

頬にインクを付けた若者が白い歯を見せて笑った。

 

「今日で、定年でしたよね」

「ああ、長い事勤めたが…今日でこの小さな店ともお別れだ」

「……おれも就職したものの、おれが定年するまでこの新聞屋残ってるんスかねぇー」

「ははは、まだまだ新聞は消えんよ」

「だと良いんですけどー」

 

お互いに苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。

ニッと白い歯を見せた若者が深く頭を下げてくれる。

 

「お疲れ様でした!」

「ありがとう」

 

新聞を束ねていた数人の仲間達が若者と同じように頭を下げてくれる。

みんなに頭を下げて、わたしは店を出た。

振り返り、店の佇まいをまじまじと眺める。

就職した10代の頃から変わらないボロボロっぷり。

ここはずっとボロボロだ。そしてこれからもボロボロだろう。

新聞を抱えてキノガッサと一緒に走ってたあの頃が懐かしい。今でも早朝のこの空気は変わらない、隣にはいつでもキノガッサが居てくれてる気がする……。

 

仲間達に手を振ってから、新聞を一部だけ握りしめて走る。

毎日、走って、走って、走り続けたコースだ。キノガッサは先にいってしまったが、わたしもその内、追い付くだろう。

息を切らし、ポケモンセンターへと着いた。

今日でこのコースともお別れだ。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

ジョーイさんに挨拶をして、わたしは姿見の前に立つ。

ああ……、わたしも大分、年を取ったものだ。隣に立ったジョーイさんが微笑む。

 

「今日で、定年でしたよね。お疲れ様です」

「ああ、今日で最後だ」

「……」

「息子達には最後まで言えなかったよ」

「……そうですか」

「言おうとは何度も思ったんだけどね。新聞屋はやはり儲からないから、継いでほしいとは、ね……。なかなか難しかった」

「……」

「父さんは残念がるだろうな……。わたしが不甲斐なくて」

「…そんなことないですよ」

 

思わず目から涙がこぼれそうになった。

新聞を握りしめた右腕の袖で涙を拭う。

ジョーイさんがわたしの肩をそっと撫でてくれた。

 

「ずっと、届けてあげたかったんだ」

「……」

「新聞くらいね」

「……」

「父さんもきっと望んでただろうけど、わたしが言えなかったばっかりに……」

 

姿見に映る自分の顔が、くしゃくしゃの皺だらけの顔が更にくしゃくしゃになった。

 

「申し訳ない…っ」

「そんなことないです、そんなことないですから」

 

背中をさすってくれたジョーイさんにお礼を言う。

 

「最後の仕事でちゃんと謝ってくるよ!」

「謝らなくたって良いんですよ」

「いやいや、謝りたい」

 

困り顔のジョーイさんに苦笑いを返してから、わたしは姿見に足を踏み出した。

毎日、通った世界だ。

この新聞を届けたら、明日からはもうこの世界に新聞を届けに来る者はいなくなる。

毎日歩いた道を進み、毎日ノックした扉をノックして開けた。

 

変わらない玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いて、リビングへの扉を開けた。

 

「おはよう」

「……おはよう、おじさん」

 

ソファに座っていたおじさんがずっと変わらない姿で微笑んでくれていた。

新聞を握りしめたまま、おじさんの傍に近づいて、抱きしめる。

 

「おじさん、ごめんなさい。今日で、最後なんだ」

「知ってるよ、長い間ありがとうな」

「おじさんのこと、言えなかったんだ」

「ああ、構わないよ」

「ずっと届けるって約束したのに…」

「ずっと届けてくれただろ?」

「もっと、ずっとのつもりだった……」

「気持ちだけで十分だ」

 

変わらずに優しいおじさん。

コーヒーと読書が好き。新聞も毎日欠かさずに読んでいる。

インターネットはあまり得意じゃない。手元にずっと残る本が、新聞が大好きだから。

ずっとずっと、わたしが届けてあげたかった。

 

兄さん達がポケモンブリーダーにポケモントレーナーになっていく中で、わたしはおじさんに新聞を届けることを選んだ。

選んだ時は勿論、結婚して子供が出来たら、子供にも新聞配達をしてもらって、孫にも新聞配達をしてほしかった。

現実はそう甘くはなかった……。

 

「ごめんなさい…」

「今までありがとう。ヨハン」

「おじさん…!ごめんなさい!」

 

よしよし、と頭を撫でてくれるおじさんにわたしは何度も何度も謝った。

本当に、ずっとずっと届けたかったんだ。

妻にも息子達にも言えなかった、わたしの大馬鹿者め……。

 

+

 

良いか、お前達。よーく聞け?

お父さんの兄ちゃんはな?お前達のおじさん!おじさんはな、年を取らないんだ。

ずっとこの姿のままなんだ。

ヨハン。お前はまだ小さいから分からないだろうけどな。大事な事なんだ、よだれを拭いてこっちをちゃんと見なさい。そう!

おじさんはこのままおじいちゃんになる事なく、ずーっとこのままなんだ。

ちょっと特別な存在なんだよ。ちょっとだけな。

だから、お前達がおじいちゃんおばあちゃんになっても忘れずに、変わらずにおじさんを大事に思っていてほしい。

おじさんの事好きだろ?な?

大人になっていけば分かる。お前達がどんな大人になってくれるのか父さんは楽しみにしてる。

どんな大人になるのも自由だ。父さんはお前達に好きな事をして生きてほしい。悪いやつになっても怒らない!良い!

でも、約束。おじさんの事はずっと大好きでいて、守り続けること。

 

これだけは、絶対に約束だ。

 

お前達、将来の目標を挙手で言ってみろ!はい!一番目はダイナ!

 

「はーい、おれはシンヤ兄ちゃん大好きなのでー!ずっと一緒に居まーす!永遠にくっついてまーす!目標は特に決まってないけど、くっついてる!」

 

「わたしは~、可愛く生まれたし、目立つことやりたいな~って思ってる!」

 

「おれは…、なんだろ…。とりあえずトレーナーになりたいかなぁ…」

 

「キサラは、まだギラティナのお嫁さん狙ってる!」

 

「わたしはスイお兄ちゃんと一緒でトレーナーになりたいかなー!」

 

お前ら…、オレの子って感じだな…。

もうちょっと頭良く生まれてほしかったぜ…!!特にキサラはそろそろ諦めろ。

 

「わたし!わたし!」

 

お?ヨハン。お前もなんかあるのか?

 

「おじさんのよろこぶことするー!」

 

おおおおー!!ヨハンー!!お前が一番賢いぞー!!母親似だなー!!

 

+

 

そうあの日、父さんと約束した。

兄さん達と笑いあい、自分が一番、おじさんの役に立ってみせると、あの日、確かに思ったんだ。

だから、兄さん達がポケモンブリーダーにポケモントレーナーになっていく中で、わたしはおじさんに新聞を届けることを選んだ。

 

大好きなおじさんに、大好きな新聞をずっと読んでいてほしかったんだ。

 

 

『私達はみんな、主人公だった』

 

 

新聞の需要が薄れていくにつれて思ってしまった。

この仕事では食べていけないと、子供達にはもっと良い仕事に就いて欲しいと。

父さんのようには言えなかった。良い仕事に就いて、良い大人になりなさい、と、わたしは子供達に言ってしまったのだ。

手元に永遠に残り続ける財産だと、わたしが一番思い、言い聞かせていたのに、一番信用してないのも、わたしだった。

 

もっと年数が経てば、無くなってしまうかもしれない。

そう、最後まで、おじさんの存在を信用してなかったのもわたしだった。

 

だって、本当に変わらないなんて、信じられなかったんだ……。

 

ごめんなさい。おじさん。

ごめんなさい。父さん……。

 

約束を守れなくて、ごめんなさい……。

 

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