一日千秋の思い   作:ささめ@m.gru

39 / 221
39

ここは、何処だ……。

 

目を開けると白い天井が見えた。

日が当っているのかとても温かくて再び目を閉じたくなる。体がだるい。

カサカサと物音がしたのでそちらに顔を向ければ私に背を向けた男が一人……。

 

「じゃじゃーん、見て見てシンヤー!!」

「……だからなんだ」

 

花の活けられた花瓶を両手に持った男はこちらへと振り向き笑顔でそう言った。思わず言葉を返すが、かすれた声しか出なかった。

男が笑顔のままその手から花瓶を落とす。

ガシャーンと大きな音を立てて花瓶は割れた。笑顔だった男は目を見開いたかと思うとその目を潤ませて走り寄って来た。

 

「シンヤー!!!」

「……?」

 

良かった良かった、と涙を流しながら笑う男を見て眉を寄せた。

体を起こせば関節が少し痛む。ベッドで眠っていたらしい私は辺りを見渡す。殺風景な部屋、白系の色で統一された一室。

消毒液のようななんとも言い難い独特な香りがした。

 

「病院……?」

「シンヤ、ずっと眠ってたんだよ!!」

「ずっと?」

「そう!!なんで自殺なんてしようとしたの!?馬鹿なの!?」

「自殺……?」

 

はて、と首を傾げて考えてみる、ぼんやりと頭の中で思い出される映像……。

真夜中を指す時計、コップ一杯の水と病院で貰って来た睡眠薬……。そういえば大量に飲んで、死のうと思って眠った……。

全てどうでもよくなったのだ。その言葉が思い浮かんだが何がどうでもよくなったのか分からない。

どうして死のうだなんて思ったのか私にはどうにも思い出せない、寝起きだからだろうかと思ったが……、少しおかしい……。

 

「シンヤ……、どうしたの?」

「……シンヤ?」

「は!?」

「私の名前は、シンヤ……だったか?」

 

よく思い出せない。

その名前で呼ばれていたような気もするが……、その名前は私の名前ではないような気もする。

男が慌てながらシンヤはシンヤだよ!!と私の体を揺する、だがそう言われてもピンと来ない。

 

「寝惚けてるの?ずっと眠ってたから?」

「そうなのだろうか……」

「僕、シンヤが病院に運ばれたの聞いて毎日ここにお見舞い来てたんだよ!?毎日、話しかけてシンヤが起きるの待ってたんだからね!!」

「……そうか」

「ホント……起きてくれて良かった……!!」

 

ぎゅっと男が私に抱き付いて来る。

男に抱きしめられるのは嫌だ、と思ったのと同時にこの男は誰なのだろうか、という私の疑問が脳裏を過る。

こんなに私を心配して泣いてくれているのだから親しい人間である事は確かなのだろう、それなのに全く覚えのない顔なのはどういうことなのか。

 

「……すまん、お前が誰なのか聞いても良いか」

「……へ?」

「お前は誰だ?」

「……」

「……おい、」

「看護師さぁあああん!!!ナースコール!!ナースコール!!!看護師さん!!看護師さぁあああん!!!」

 

私の枕元にあったナースコールを連打した男は泣きながら看護師を呼んだ。

すぐに部屋へと来た看護師に男は泣きつく。

 

「看護師さぁああん!!!シンヤが僕に誰?って聞いたんです!!シンヤが僕を覚えてないってぇええ!!!」

「お、落ち着いて下さい!!」

 

酷い、そんなのあんまりだ、と嘆く男を必死に宥める看護師……。

看護師と一緒に来た医者に何処か不調が無いかと聞かれたので特に無いと答えを返す。

 

「記憶が曖昧になっているのでしょうかねぇ?」

「さあ、自分の事もよく分からない」

「うーん……、脳の検査をしてみて異常が無いか調べましょうか」

「よろしくお願いします」

 

私が頭を下げれば医者は笑顔で頷いた。

そして、泣き喚く男を宥める看護師を見てから私は窓の外へと視線をやる。

空が見えて、ビルが見えて、駐車場が見えた……。なんだか懐かしい景色を見ている気分になったのは長く眠っていたからなのだろうか……。

 

*

 

脳の検査をした所、私の脳に異常は見られなかったらしい。

暫く様子を見ましょう。そう言われて私は頷いたが立ち会った男はわんわんと病院内にも関わらず泣いた。

患者服を着ている私の隣で泣くものだから周りの患者や看護師らに余命宣告でもされたのかと哀れむような視線を向けられる……。

 

「そろそろ泣くのはやめてくれないか……」

「だってシンヤが僕の事覚えてないって……!!」

「名前を聞けば思い出すかもしれない」

「はっ!?そ、そうだね、僕だよヤマトだよ!!」

「……やっぱり覚えがないな」

「うあああああ!!!」

 

頭を抱えたヤマトが床に蹲ったので周りの視線が更に集まった。

ヤマトの襟首を掴んで引き摺るように自分の病室へと戻る、なんてめんどくさい男なんだろうと心から思った。

 

「じゃあ、大体の事をちゃんと話すから聞いててね!!」

「ああ」

「僕はヤマト。シンヤの幼馴染で大親友だよ!!」

「……ほお」

「これは本当だからね!?僕の妄想じゃないよ!?シンヤも僕の事ちゃんと親友だって言ってくれてたから!!大親友っていうのはちょっと大袈裟に言ったかもしれないけど、親友なのはシンヤも認めてくれてたから!!僕の一方通行じゃないからね!!」

 

別にそんな必死に言わなくても私は相槌を打っただけで否定なんてしてないじゃないか。

むしろそんなに懸命に説明されると逆に怪しく感じる……。

 

「でね、僕とシンヤは幼馴染なんだけどシンヤは高校を卒業してすぐに自立して一人暮らしを始めちゃったから僕とシンヤはあんまり会わなくなってたんだ。シンヤそんなに実家にも帰って来なかったしお互い仕事が忙しかったからね。ちなみに僕たちは25歳だよ」

「ふむ」

「シンヤは何処だったかなー……、なんか大きな会社で働いてたよ。シンヤが自殺しようとした前の日に辞表だしてたらしくて社長さんが、あ、覚えてる?なんかしゅっとしてて男前な社長さんだったんだけどその社長さんが会社を辞めるのを考え直して欲しいって言いにシンヤの家に来たんだけど、その時に顔を真っ青にして眠ってるシンヤを見つけて救急車呼んでくれたの」

「……全く覚えてない」

「うーん……、ぼんやりでも覚えてるかなぁと思ったんだけどねー……。ちなみに僕はトリマーの仕事をしてるよ!!覚えてない!?」

「覚えてない」

 

ガクンと肩を落としたヤマト。

それにしても、まさか現在無職とは……、しかし辞表を出していなくても自殺未遂をした人間を置いておく会社は無いだろう……。ずっと眠ってて休んでるわけだしな。

おまけに記憶も無くてどんな会社に勤めていたのかさえ覚えていない。

 

「……どうやって生活していけば良いんだ」

「あ!それなら問題ないよ!!」

「何故だ?」

「僕、シンヤの家を掃除したりしてたんだけどね。まあ、悪いとは思ったけどシンヤの預金通帳見ちゃった」

「……で?」

「凄く貯金があったよ……、桁を数え間違えてるんじゃないかと思って数え直して、目玉が落ちるかと思った」

 

でかした前の私!!

とは言っても前の私が自殺なんてしようとしなければ困りはしなかったのだから少し心情は微妙だが。

ん……、でも待て暗証番号……。

 

「シンヤ、暗証番号覚えてる?」

「私も今それを思った……」

「僕ねー、シンヤの誕生日で一回出来ないかなーと思ってやってみたんだけど無理だったよ」

 

人の口座から勝手に引き落とししようとするな……。

しかし、誕生日で無理なら何だ。何か私しか分からないような番号があるのだろうか……。

そんな面倒な事を複雑に考える人間では無いような気がする、いや今の私の考えで前の私とは違うのかもしれないが……。

 

「暗証番号って何処で調べられるんだろ、銀行?通帳とカード持って行ったら教えてくれるのかな……、前に聞いとけば良かったなー……」

「0123、とか単純な番号のような気がする」

「まさか!さすがのシンヤでも大事な口座の暗証番号を0123だなんてありえないでしょ!?」

「そうだよな、さすがにな……、退院してから銀行に行くか……」

「教えて貰えるの?」

「教えて貰えないとどうにもならないだろ。通帳とカードと印鑑と身分を証明する物を持って行けば良いんじゃないのか?」

「なるほど」

 

頷いたヤマトと視線が合う。視線が合うとヤマトはあははと嬉しそうに笑った。

突然笑うものだから気持ち悪くて私はつい眉間に皺を寄せた。凄く不気味だ……。

 

「なんだ……」

「いや、シンヤと会話してるなぁって感じがしたから」

「……」

「返事が返って来るってやっぱり良いね」

「……ふん」

 

嬉しそうに笑うヤマトに釣られて私も口元に笑みを浮かべた。

覚えはない、覚えはないが……、会話をしていても違和感がなくすんなりと馴染むこの感じは何処か心地の良いものだった……。

 

「でも、シンヤ……。昔より今の方が優しいっていうか柔らかい雰囲気してるから今の方が良いよ。人間として」

「……それは貶してるよな?」

「褒めてるつもりだけど」

「でもお前、人間としてって言ったぞ。前の私が人間として駄目だったみたいじゃないか」

「ちょっと駄目だったかもしれないね」

「記憶戻ったら前の私に戻るんじゃないのか……?」

「も、戻らない方が良いかも…」

 

どうしろと……?

というか、それは曲がりなりにも私の親友と言い張る人間が言う事なのか……!?

 

*

 

暫く様子見の入院という事で、退院出来ず病室で一人ぼんやりと過ごす。部屋には本も無いので退屈だった。

の、だが……。

 

「シンヤー、調子どうー?」

「最悪だ……っ!!」

「な、何があったの!?」

 

この手にある機械を壁に叩き付けたい衝動に駆られる。

ヤマトが近づいて来て、私の手元を覗き込めば嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「ゲーム!!しかもポケモン?どうしたのそれ?」

「入院してる子供が部屋に遊びに来てな……」

「そっかそっかー、シンヤは眠り王子だもんね。目を覚まさない王子って看護師さんに噂されてたから子供たちもよく見に来てたんだよ」

 

え……、それは初耳だぞ……。

というか、それで看護師が代わる代わる私の様子を見に来るのか……。

 

「で、子供たちに借りたの?」

「……ああ、退屈してると言ったら貸してくれたんだが」

「ポケモンって可愛いし面白いよね、何のやつやってんの?持ってるゲーム本体がアドバンスだから古いやつでしょ?」

「一番最初のって言ったら、赤色の貸してくれた」

「なんで最初のって言ったの!?ちょ、僕とバトル出来ないじゃん!!」

「新しいのはカズキが遊んでるんだと」

「あ、カズキくんって言うのね……。っていうか、今はDSでBWなのにー……」

 

ヤマトが何を言ってるのかさっぱり分からん。

しかし暇潰しになれば何でも良いと思ってたが……、このゲーム難しいぞ……。どうやって進むんだこれは……。

 

「今、何処やってるの?殿堂入りした?」

「タケシが倒せない」

「ぶっ!!」

「このヒトカゲが悪いんだ!!ヒトカゲが!!」

「なんでヒトカゲ選んじゃったの!?」

「このゲームに似たような恐竜の絵が書いてたから、コイツが正解だと思って……!!」

「違うよ!!いや、確かに当たってる事は当たってるけど違うよ!!好きなの選んで良いようになってるから正解とかないよ!!」

 

じゃあ、カエルとカメのどちらかを選んでも良かったのか……。

正解が無いなんて罠だ……。完全に嵌められた……。なんでこのゲームにデカデカと恐竜の絵を貼ったんだ、確実に罠だろ……。

 

「ヒトカゲのひのこでごり押しするか、キャタピー捕まえて進化させないと!」

「なんでタケシは岩みたいなの出して来るんだ!!こんなの出て来なかったぞ!!」

「後から出るから!!」

 

もう貸して!とヤマトが私の手からゲームを奪った。暇は潰せたが何か疲れた……。

溜息を吐けばコンコンとノック音が聞こえた、「どうぞ」と声を掛ければ見知らぬ男が入って来たんだが……。何で……、バラの花束持ってるんだ……。

 

「シンヤ!!元気そうで良かった!」

「……どちら様?」

「記憶が無いっていうのは本当だったんだな……」

「あ!!その人だよ、シンヤの働いてた会社の社長さん」

 

社長だったのか。

若い社長だな、私とあまり変わらない気がする。

 

「シンヤ……、キミの辞表はまだ受理してないんだ。いつでも戻って来てくれていい」

「社長……!!」

「社長って呼ばないでくれ!!シンヤは俺の事をボスと呼んでくれてたんだ!!ボスという呼び方以外認めない!!」

「えっ……!?わ、分かった……ボス……」

「シンヤに初めて……、初めてボスって呼ばれた……!!!」

「「!?!?」」

 

ヤッター!!と喜ぶ男を見てからヤマトと視線を合わせた。

変な人じゃない?変な人だな……。という会話が目だけで行われる、私はどういう会社で働いていたのか……知りたいような気もするが知りたくないような気もする……。

 

「あ、これは俺からの花束だ。受け取ってくれ」

「ああ、どうも……」

「なんてことだ!!シンヤが……!!シンヤが初めて俺からのプレゼントを受け取ってくれた!!あんなに素っ気無くて冷たくて釣れなかったシンヤが!!記憶喪失万歳!!」

 

そんな両手をあげて喜ばれても……。

とりあえず、鬱陶しいしうるさいから早く帰ってくれないかな……。

 

「社長さん、病院だから静かにしないと駄目ですよ……」

「あ、すみません」

 

こんな社長が居る会社は嫌だ。

私はきっとストレスで自殺しようとしたに違いない……。

 

「ツバキ社長、次の会議が始まりますので急いで頂けますか」

「分かった、すぐに行く。それじゃシンヤ……、また来るからなー!!」

 

もう来なくて良い。

そう思っても社長もといボスは私の入院中、暇さえあれば遊びに来た。

シンヤが居ないと仕事大変なんだもん、なんて言われても覚えてないから仕事も出来ないんだが……、その一言でやっぱり私の自殺動機はストレスだったんじゃないかと思った……。

 

*

 

私の過ごす毎日は賑やかな日々だった。

でも、私の心はぽっかりと穴が開いたように空虚なもので……。

一人になると頭の中で誰かが私の名前を呼ぶ声がする、シンヤ、シンヤと誰かが呼んでいる気がするのだ……。

記憶は戻らない。

暇潰しにと電源を入れたゲーム画面に映る文字を見ると、また……、名前を呼ばれた気がした。

 

"ポケットモンスター"

 

知らないはずなのに知っているような気がする。

 

「シンヤー、DS買って来たー!!新しい方のポケモンしようよー!!」

「カスミ倒したらな!!」

「まだ倒してなかったの!?」

 

 

 

<< 一日千秋の思い >>

 

 

 

『 おーい、シンヤー 』

 

 

 

*





【挿絵表示】


続く……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告