疲れたし仕事も終わったし帰宅の時間だし家に帰ろう。
生徒たちがいなくなった校舎から出る。
IS学園の敷地内から出て暫く歩いて駅に行く。がらんとした電車に乗り込んで席に座って一息つく。溜息を吐き出すと体中から気力が抜けてしまい、疲労感で支配されてしまう。もう、動きたくないと叫びたくなるほどに疲れた。今日は疑われたりで一段と疲れてだるい。
あの後、犯人は私か織斑のどちらかということになったが、証拠不十分で結論は先送りされた。警察という専門家の存在は重要だと認識された時間だった。
容疑者を増やすという事態をややこしくした点子は高笑いしながら堂々と帰っていった。きっと明日は校門の前に屈強な教師が待ち受けていることだろう。そして、どうせまた上手く逃げ果せるんだろうな。今までずっとそうだったから。
電車が目的地にたどり着くと、私はくたくたの身体に鞭打って下車した。奇妙な達成感があった。
「疲れましたね」
もう声に出さずにはやってられない。誰がどう見ても疲れているように見えるだろうけど。
女子生徒のブルマを盗んだ犯人は誰だ。
目的はなんだ。
学校関係者か。それとも外部の人間か。
もしかして本当に織斑なのか。
疲れていても今回の窃盗事件のことを考えずにはいられない。濡れ衣を着させられたんだ。疑われたまま黙って事態が解決するのを待つつもりはない。犯人を見つけ出して公的に裁いてもらう。その前にできれば一発殴ってやりたい。ただでさえ男性に冷たく就職し辛い世の中だというのに、男の評価を下げるような真似をしてくれて。それもIS学園という危険地帯でだ。場合によっては男全員信用できないって連帯責任でやめさせられる可能性がある。苦労して手にした職を手放してしまうことになったら、次の就職差先が見つかるかどうか。路頭に迷う羽目になったら犯人をリンチする。恨みつらみをいっぱい込めて。
考えは犯人追及から犯人確保後の処置に変わってる。疲れているから考えようとしていても深く考え込むことができない。今日はもう極力何も考えずに家に帰って寝た方がいい。考えるのは明日で構わないだろう。
とぼとぼと帰路に着く。途中で背後を付かず離れずの距離感で足音が聞こえてくる。かつかつという音からおそらく女性だ。
帰り道が同じだけ。最初はそのくらいだろうと思っていたのだが、どうやら違うらしい。足音は常に一定の感覚で鳴り響きながらついてくる。大通りから離れてわざとらしく寄り道をしてみても離れてくれない。完全につけ回されてる。
最近は女性ばかりが危ないばかりの世の中じゃない。男性だったとして容赦なく昼夜問わず襲撃されるような世の中だ。この背後から聞こえてくる足音は女性通り魔じゃないのか。
変な緊張がする。襲われるかもしれない恐怖とはこういう言葉にし辛いもやもやした感覚なのか。恐くてドキドキする。やばいな癖になりそうだ。
……疲労が体全体に回っているみたいだ。感覚すら馬鹿になってる。
とにかく背後の存在をなんとかしないかぎり安心して家に入ることはできない。今はなんとかさりげない寄り道で誤魔化しているけれど、いずれは限界がきてしまう。そうなれば、背中を包丁のような鋭利な刃物でバッサリとされる。
できるだけ人の居る場所に行こう。他人の目のある場所なら相手も動き辛くなるはずだ。
大通りに戻る。帰宅ラッシュなのか人が多い。これなら何かあるってことはないだろう。
その場でピタッと足を止める。付かず離れずの足音も止む。
ゆっくりと背後を振り返る。十枚買った宝くじの最後一枚が当たっているかどうか確認するときの気分に似ている。
振り返ってみると沢山の人がいる。スーツを着た会社員が黙々と歩いていく中に、苛立ちを孕んだ瞳を向けてくる女性がいた。
「いまさら気がついたのか」
織斑だった。やれやれと出来の悪い生徒を見るような視線を向けてくる。今までまったく気がつかれていなかったと思っている彼女に、私も同じ想いを込めた視線を向けた。
「織斑さん。人のことをつけ回して何の用ですか?」
「つけ回すとは人聞きが悪いじゃないか。お前を監視していたんだ」
「ストーカーは勘弁してくれ」
「違う! 今回のことで私も容疑者に挙げられてしまったんだ。この不名誉な容疑を晴らすためには真犯人を見つけるしかない」
不名誉な容疑って。容疑って大なり小なり不名誉だと思うんだが。
「そして思いついたのはもっとも犯人だと目されるお前の監視だ。後を付けていればどこかでやらかすはずだからな。たとえ今日は犯行に及ばなかったとしても、隙を見てお前の部屋に入り込みさえすれば、犯罪の証拠がある」
自信満々に語る織斑。その自信は手放しして褒めてあげたいが……馬鹿ではないか。その話を容疑者の目の前で意気揚々と喋るか普通は。ていうか、隙見て部屋に入るってそれこそ犯罪じゃないか。犯罪を見つけるために犯罪を犯すのは駄目だろう。
「それでだ。自分が犯人じゃないと主張するなら、その疑いを晴らすためにお前の部屋を見せろ」
「急に開き直るんだな。ええまぁ、いいよ。部屋の一つや二つ見せても減るものじゃないし、自分が無実であることは自分が一番よく知っているんで」
「ふん。私の鋭さを舐めるなよ。どんなに巧妙に隠そうとして、必ず暴き出してみせるからな」
「……酔ってるんですか?」
「飲んでない!」
「酒ではなく自分に?」
「……それは冗談のつもりか?」
「……い、いいえ」
駅から十数分離れたところにあるアパートにたどり着く。このアパートの一室が今の私の部屋だ。日頃から整理整頓を心掛けているのと、元々手元に多くの物を置きたくない性格のおかげで部屋の中は綺麗だ。物が少なすぎて綺麗と言うよりは殺風景と言った方がいいかもしれないが。
そんな男の一人暮らしには見えないような部屋に織斑を招き入れるのは抵抗がない。見られて困るものなんて存在しないし、異性に私生活の一端を覗かれてもなんとも思わない。
ただ、困ることがないわけでもない。そうだな具体的なことを言うなら織斑の行動に困っている。
「探すのは構わないけれど。ちゃんと元通りにしてくださいよ」
「ふ、ふん。男の一人暮らしだ。多少散らかっている方が味が出るだろ。つべこべ言うな」
箪笥の中身を次から次へと引っ張り出していく織斑。綺麗に畳んでおいた服がぐしゃりと握られ、放り投げられぐちゃぐちゃになっていた。織斑が都市を蹂躙していく怪獣にしか見えない。
「あーあ。ちょっと幾らなんでも少しは気を使ってくださいよ。ちょっとちょっとちょっとぉ! 畳んで、きちんと畳んでから戻して」
「あぁぁ、五月蠅い。男ならこれくらいでいちいち騒ぎ立てるな」
「男だ女だを言う前に、織斑さんはガサツ過ぎる」
「私がガサツなんじゃなくて、お前が細かすぎるんだ」
「いいや、違う。グシャグシャにしたまま箪笥に戻す織斑がおかしいんだ。ちゃんと畳んで!」
織斑は手に持った衣服の袖部分を摘まんで弄びはじめた。暫く袖部分を重ねたり折り曲げたりしていたが、できるかとキレて服をこっちに投げてきた。
「洗濯機に入れれば自動的に畳まれるだろうが!」
「畳まれないから」
「洗濯機だろ、あの万能な! 洗って脱水して乾燥機能がついてるのに畳む機能がついてないのか!?」
「ないよ。そんな機能なんて」
どうやら織斑は洗濯機に触れたことがないようだ。
「じゃあアレは一夏がせっせとやっているのか」
そして洗濯から畳む作業までの全てを一夏とやらに押し付けているみたいだ。
「掃除洗濯料理とアイツは万能なんだな」
「全部やらせているのか」
「違う。アイツが率先してやってくれているだけだ」
「つまり率先してやらなきゃと思うくらい織斑の家事能力が低いってことだな。洗濯に関しては何もやっていないことが分かるけど。もしかして掃除も料理もできないわけじゃないよな?」
「五月蠅い。不自由ない程度には稼いでるんだ。ちょっとくらいできなくても構わんだろう」
「なるほど。なんにもできないんだな」
「黙れ」
織斑に暴力を振るわれた。さすが世界最強だ。とても痛い。
片付けもせずに次から次へと引き出しの中身をひっくり返していく織斑に、私は溜息をつきながら元に戻す作業をする。
他人の家をひっかき回しまくってようやく満足した織斑。やることやったから帰るんだろうなぁと思ったのだが、彼女は流れるような動作で椅子に座った。まだ何か用事があるようだ。
「満足したのなら帰れ」
「時間を見ろ。もう学園行きの電車は出ていない」
「タクシー」
「そんな金ない」
「自宅に帰れ。近いんだろ」
「私は疲れているんだ」
「こっちも疲れてんだけど」
「それに今から帰ってももう一夏は寝ている。アイツが寝ているとなると夕食はお預けだ。夕食も食べれないのに家に帰ってもな」
そこは外食でもすればいいだろう。それだけの金はあるんだろ。
「それもこれもお前のせいだぞ」
「誰がどう見ても自滅だろ。」
織斑の理不尽な怒りを適当に受け流していく。こういうのは真剣に向き合う必要はない。可哀想なものからすぅっと顔を逸らしたら叩かれた。手が出やすい相手はおっかない。
「飯だ。迷惑料として飯を要求する」
「おかしいだろ。迷惑してるのはこっちだぞ」
「知らん」
「知れ」
知らんと言ってるだろとどっしりと椅子に座り込んで動かない織斑。椅子に座ってうるさくしてれば夕飯が出てくると思ってるようだ。顔も知らない一夏くんの苦労が目に浮かぶ。大変そうだ。
私もテーブルを挟んで反対側の椅子に座り込む。誰かと食卓を囲む気のない小さなテーブルの上で視線がぶつかり合う。目を逸らして行動に移した方が負けの戦いが始まる。
「……………………………………………………………………………………」
「………………………っ」
体感で一分ほどして私は目を逸らした。それから五秒くらいしてキッチンへと向かった。時計を見てみると実際は三十秒しか経っていなかった。世界最強にはかなうはずがなかった。
食事は手を抜いて作った野菜炒めと焼き魚とよくある味噌汁だ。そんなに多くは作ってないのでぺろりと平らげた。
「さてと……もう遅いな」
「帰れば」
「か弱い女をこんな真夜中に放り出すのか」
「強気な態度で言う言葉じゃないな」
「泊めろ」
織斑は簡潔に言った。
「嫌だ」
有名な彼女を家に泊めたら、職場で何を言われるか分かったものじゃない。たとえ口を噤んでも学園には広場点子がいる。探偵も舌を巻くほどの情報収集能力の前では沈黙を貫いたって意味をなさないのだ。
ここは私の威信をかけて織斑を外に放り出すほか生き残る術はないな。そして、追い出す際に大声での言い争いに発展してはいけない。ご近所さんに見られてしまうからだ。ご近所さんというものは情報の散布が素早く、根も葉もないねつ造を添えて大げさに話すからだ。そうなればここで大手を振って暮らしていくのは不可能だ。これほど恐ろしい生物兵器はいないだろう。いや、けっこういるな。
「むかつくくらい美味いな」
「じゃあ食うなよ」
「お前といい一夏といい。どうしてこう男のくせに料理が上手いんだ。昨今のコンビニ弁当の発展によって料理をしなくても手ごろな値段で美味しい物を食べられる世の中になったというのに」
彼女の言葉には話している以上の深い憎しみが込められているように感じた。
「家事のできない女のどこが悪い。女以上に家事ができる男の方が気持ち悪い」
家事ができないことをこんなに気にして、できる男に嫉妬する姿から男女差別に囚われていることがよく分かる。
「それにお前は家事のできる変態だ。女生徒のブルマをどこへやった」
「それはこっちのセリフだ。女子生徒から憧れの眼差しを向けられているのをいいことに、教師である貴女は何をやっているんだ」
「アレは広場の罠だ。私がそんなことをするわけないだろ」
「こっちだって男だからってだけで根拠の欠片もない疑いかけられてるだけだ。ちゃんと時間をかけて調べれば私が犯人じゃないってすぐに気がつくはずだ。全部そっちの怠慢なんだよ」
「怠慢だと思うのなら真犯人を見つけ出して汚名返上するんだな」
織斑は無理だろうがなと言って食事を再開した。
その後、食後になっても帰るそぶりを見せない織斑を追い出してから、私は風呂は明日でいいやと思って眠りについた。
次の日の昼休み。学食からはるか遠い用務員室で私は昼食を取っていた。今日の弁当は昨日の残り物を詰めただけのものだ。
学食で食事をすることもあるが、今の私の置かれた状況から学食で悠悠自適にご飯を食べることはできない。窃盗事件の話がどこまで拡散しているのか分からないが、こんな小さな世界ならもうほとんどが何かしらの情報をもっているはずだ。そんな中に入っていけば後ろ指さされて辛いだけ。今は目立たない場所でじっと息をひそめているべきなんだ。面会謝絶中。
「よむーの弁当は美味しいから好き。もっとちょーだい」
だというのに用務員室にはデボラがいる。弁当の中身を次から次へと攫っていっている。私の弁当なのに。
「返事を待たずして取るんじゃない」
「いいじゃん。減るもんじゃないし」
「減ってるよ! 弁当が軽くなってるよ!」
「ぜったい気のせいだよ」
「自信満々に何言ってる」
デボラが弁当の中身を勝手に取っていくのは今に始まったことではない。出会ってからと言うもの度々食われてしまう。嫌がらせかって言うくらい丸々食われたこともある。この腹ペコ魔人め。
デボラは私の弁当の隅の隅まで突くと、購買で買ったであろうパンを食べ始めた。
「お腹が減っては戦はできぬのだ」
「全力全開で過ごすのはやめろよ。私の弁当がなくなる」
「ボクはボクの生き方を貫くんだよ」
「その信念のせいで被害を被ってるんだけど」
「それも気のせい」
「被害者を目の前によくもまぁいけしゃあしゃあと」
「……けっ」
容疑者は反省の色を見せない。被害者である私は法的手段に訴えるべきだと考える。
「ところで。よむーはなんでこんな辛気臭いところにいるの」
人の職場をなんとも酷い言葉で表す子なんだ。こういう舐めきった態度の人間は将来苦労するだろうなぁと思った。人生を真剣に生きている私でさえこんなに苦労しているんだ。きっとデボラは用務員にもなれないだろうな。
「今、巷で噂が流れているのを知っているだろう?」
「……あひゃん」
デボラは肯定か否定か判別できない返事をする。
「あれでしょ。ド変態が女子のブルマを盗んですーはーすーはーしてるって話でしょ」
あの返事は肯定を意味していたらしい。それにしても嫌な説明の仕方だ。
「そうだ。それだよ。その噂のせいでちょっと表に出ずらいんだ」
「なるほど。犯人はよむーか」
「言っておくけど違うからな」
私の否定にデボラは意味ありげに笑った。
「聞かなかったことにしておくね」
「聞けよ」
なんだその要らん気の遣い方。いや、気を遣ってないぞそれは。
「大丈夫だよ。よむーは犯人じゃない。だからよむーの弁解は聞く必要はないんだ」
デボラは胸を張って言った。その顔は真剣そのものだ。
私は目頭が熱くなるのを感じた。このIS学園でデボラと出会ってからというもの、からかわれたり、酷い言葉を浴びせられたり、食事を要求されたりと散々な目にあってきたのだが。まさかここにきて信頼の言葉を聞けるとは思わなかった。
「……デボラ、お前」
「ちっぽけで小心者でビビりで度胸のないミジンコ野郎なよむーにはぜぇぇぇえっっっったいできないって」
私の耳は何か聞き違いをしていたようだ。あの言葉に信頼のしの字もなかった。
確かに私は超社会的で模範的な人間だと自称していて、常識から逸脱する行為はしなようにしている。だけどこの言われようはあんまりだ。
「年功序列って言葉知ってるか?」
「あれだよね。あの美味しいやつ」
それとなく年上に対して礼儀を持てと注意しようとしたが一蹴された。さすが、超狭き門で有名なIS学園だ。常識なんてもう存在していない。できればデボラだけであってほしいが、広場も更識も常識の外の世界で生きているような人種だ。他の生徒たちも常識なんて二の次三の次なんだろうな。IS学園の教師はなにをやってるのだろうか。いや、冤罪を作ろうとしてる教師たちの指導だ。それこそ常識なんて蔑ろにされているかもしれない。
「まーまー。年功序列なんて言葉は捨てておいて」
捨てるなよ、と抗議したが無視された。
「ボクの直感だけどね、窃盗事件の犯人は男だよ」
デボラは自信ありげに当たり前のことを言った。
「……それで」
「それだけ!」
どうやら根拠はないらしい。どこからそんな自信が沸いてくるのか少しだけ気になった。
「でもね。ボクはよむーが犯人じゃないってことだけは信じているよ。だってよむーだもん」
またも根拠のない自信を見せるデボラ。まだ出会って一年も経っていないというのに信用するのはいかがなものかと。いや、信用されるのは嬉しいから素直に受け入れておこう。
女子生徒のブルマを盗んだ犯人を突き止めてもらうために、放課後、私は二年二組の教室へと向かった。目的の人物は超IS学園級の情報通・広場点子。あの子の異常とも言える情報収集能力を使えば、きっとすぐに犯人を突き止めることができるだろう。ていうか、広場は犯人も被害者も知っていると言っていたな。
教室にたどり着くと広場すぐに見つかった。扉を開けたら目の前に立っていたからだ。きっと私が来ることを知っていたのだろう。ニタリと笑うのが証拠だ。
「広場よ。犯人を教えてくれ」
切実な願いだ。このままでは犯人に仕立て上げられてしまう。
「えぇ~?」
広場が嫌そうな声をあげる。泣きたくなった。
「頼む!」
もう土下座でもなんでもしてもいい。そんな想いを込めて頭を下げる。これを拒否されたらいよいよ恥も外聞も投げ捨てて土下座をするしかない。
「……土下座してくれるなら……いいよ」
……コイツ。
「というのは冗談。オレはよむーの土下座なんて見たくないよ。それよりも教師全員の土下座の方が何倍も良い」
「お前、嫌な性格しているな」
「お褒めの言葉をありがとう。オレが嫌な奴なら、よむーは嘘つきだよ。犯人を教えることはできない。何故ならば、それじゃあつまらないからだ。推理物の小説を答えから見る奴なんかいないだろ。それと同じさ。犯人を捕まえたいと思うのなら自分の頭で考えてみることだ。ああ、でもヒントはあげよう。こう見えてもオレはよむーのことが好きだからね。普通なら知ることのできないようなシークレットな個人情報まで頭の中に入っているよ。行き過ぎてる自覚はあるから大丈夫。自覚している内はストーカーじゃないから」
自覚しているかどうかは問題じゃないと思う。ストーカーは被害者がそう感じた時点でストーカーだ。
「さてヒントだけど。うーん、どうしようか。色々あるんだけど、まぁ好意でのヒントだから分かりやすいものにしよう」
「それはありがたいな」
「ふふふ。好きになってくれてもいいよ」
「悪いけど範囲に入ってないから」
「それは残念。じゃあヒントだけど。榊原菜月先生でいいかな」
廊下を全力で走る。
広場の出したヒントを聞いた瞬間にパチッととスイッチが入った。
ヒントは榊原菜月。たったこれだけなのに。
榊原菜月は品行方正で器量良し。生徒からは親しまれている教師だ。二十八と教師としてはまだまだ新米の域を出ない年齢だが部活棟の管理を任せられるほど仕事ができる人だ。
そんな榊原はどういうわけか男運が悪い。同僚の教師たちが「それはちょっと」と悪い反応を見せるのにも関わらず男と付き合い、その男にこっぴどく振られるまたは幻滅して自ら別れを切り出すの繰り返し。まるで学ばない恋愛を繰り返しては枕を涙で濡らしているらしい。本人は平穏でさざ波のような恋愛はしたくないらしく、常に燃える恋愛を求めているそうだ。もう彼女は恋愛だけしてればいいと思った私は嫌な奴なのかもしれない。
榊原菜月は男運が悪い。つまり悪い男もしくは残念な男ばかりと交際している。そして彼女が現在交際している男は――。
「榊原先生!」
教員室へ入るなり叫んだ。数人の教師が何事かと振り返り、私の姿を認識すると警戒の込められた視線を向けてきた。
教員室には射殺さんばかりに視線を向けてくる織斑を始めとして、榊原、イケメン教師の多岐、キモメン教師の日野畑先生と申し訳ないが名前の存じ上げない何人かがいた。
「何の用だ、よむー」
織斑が進み出る。私はその脇をすり抜ける。今日も明日も相手にする気はない。
「榊原先生」
「な、なにかしら?」
私の剣幕にちょっと腰を引いて返事をする榊原。
「先生の今のお付き合いの相手は」
「……は?」
ぴしり、と時間が止まる音を聞いた。全員の冷たい視線が私に向くのを感じて心が折れそうになる。だけど、ここで折れてしまっては駄目だ。
「先生のお付き合いしている男性の名前は?」
目を丸くしている榊原に再度質問する。もう家に帰って頭から布団をかぶって眠りたい。
織斑。阿呆なこと言っている自覚はあるから、そんな憐みの視線を向けないでくれ。
日野畑先生。カエルのような顔を無表情にしないでください。普通におっかないです。
できるだけ二人の方を見ないようにして榊原の返事を待つ。
「え、ええと」と榊原はようやく口を開いた。
「た、多岐先生とお付き合いしています」
私に集まっていた視線が榊原に移り、続いて多岐の方に向かった。
「え、はぁ、えぇ!?」
視線の集中にたじろく多岐。
「……まさか」
教師の誰かが呟く。
「まさか、今回の窃盗事件の犯人は」
織斑が多岐に詰め寄る。多岐は「ひぃっ」と小さな悲鳴をあげて壁際に逃げた。
私は多岐のいたデスクを調べる。中にはこれといった証拠はなかった。デスクの隣に置いてある鞄が目に入ったのでそれも調べてみると、中から紺色のブルマが出てきた。物的証拠を見つけてしまった。
榊原菜月は男運がとても悪い。付き合う男はどうしょうもない悪人か駄目男だ。むはやダメンズホイホイと言っても過言じゃないくらいに。そんな彼女が付き合っているのは多岐だ。つまり多岐先生は悪人化駄目男のどちらかだ。広場のヒントで分かった。榊原の彼氏こそが犯人であると。
「多岐先生……いや、多岐」
ゴゴゴ、と音が聞こえてきそうな気迫を纏った織斑が腕を組む。
「お前のせいで私も犯人扱いされてしまったのだがな」
織斑。私はアンタたちに犯人扱いされたんだけど。
私の心の声なんて聞こえない織斑は一歩一歩多岐に接近して威圧する。世界最強が鬼の形相で近づいてくるのだ。心臓の弱い人ならコロッと死んでしまうだろう。そう考えると多岐の心臓は丈夫のようだ。
「……殺す」
織斑が宣言する。窃盗犯が目の前で殺人宣言される。罪は更に重い罪によって隠されるということか。
このまま犯人が殺害され死人に口なし状態になるのを静観するか、と考えていると多岐が奇声をあげながら走り出した。向かう先は教員室の出入り口。逃げるつもりだ。やっぱり崖の上に犯人を追い詰めなきゃ駄目なのか。
私は多岐を捕まえようと駆け出すが、それよりも早く多岐が教員室から飛び出した。
天網恢恢疎にして漏らさず、と言う言葉がある。悪事は絶対にばれるという意味だ。悪事がばれるということは捕まることに繋がる。
多岐はとても運が悪かった。
一つ。男運が悪いことで有名な榊原菜月と付き合ってしまったこと。
二つ。どこにでも目があるのかと疑いたくなるようなくらい何でも知っている生徒がいたこと。
三つ。ここがIS学園だったこと。
「あら?」
廊下から聞こえてきたのはそんな何気ない声。その後にズシンという重い音がした。
何があったのかと廊下に出ると、仰向けに倒れている多岐がいた。
「あは。急に飛び出してくるからビックリしたわ」
倒れている多岐の隣には更識がいて、涼しそうな顔で扇子をパタパタさせていた。