今このときまで押し倒そうとしていた昔馴染みの女が、まるで姿かたちだけを写しかえた怪物のようだ。
邪悪な笑みを浮かべた真幌を目の当たりにして、爆豪勝己はそんな所感を抱いていた。当然、先ほどまでの熱情はすっかり冷めてしまっている。
「きみ、爆豪くんだろ。その身体の持ち主・緑谷出久と入れ替わっちゃった次期No.1ヒーロー。違うか?」
「おまえ……なんで……」
そのとき、視界の端で大きな影がぬっと動いた。
「……!」
そちらに目をやった勝己は、思わず息を呑んだ。
忘れえぬ男だった。痩身を包む黒衣に、伸ばしっぱなしになった白髪。体格が変わらず、ほとんど肌を見せていないせいもあって、まるで二十年前から時が停まっているかのような姿。
「死柄木……弔……!」
敵連合の首魁。勝己の人生に幾度となく汚点を刻み続けた……最悪の仇敵。
それがなぜ、真幌の自宅にいる?──まさか、
「真幌……おまえまさか、敵連合に入ったンか……!?」
森羅万象、様々な事態をくぐり抜けてきたという自負のある勝己だが、流石に信じられない思いだった。出久や活真から聞く限り、ヴィランに堕ちる理由が真幌にはない。それなのに。
「ち、違うの、爆豪っ!」
「……は?」
女性口調で声をあげたのは、その死柄木だった。白髪の隙間から覗く血眼に、害意ではなくただただ焦燥ばかりが滲んでいる。
今度は真幌が、嘲りを多分に含んだ言葉を発する。
「まだわかんないかなァ、爆豪くん」
「何?」
「俺らもきみと一緒だよ。──こう。で、こう」
死柄木を指差し、そのまま自分に人差し指を向ける。かと思えば、もう一度死柄木を。傍から見ればまったく意味不明な動作。しかし勝己ははっとさせられた。
「!、てめェらも……入れ替わってンのか?」
「ははっ、ピンポンピンポ~ン」
わざとらしく拍手をする真幌……否、彼女の身体に入り込んでしまった死柄木。その姿を目の当たりにして、勝己は再び彼に詰め寄った──今度は純粋な憤懣から。
「死柄木ィっ、てめェどういうつもりだ!?真幌はてめェらとなんの関係もねえだろうがぁ!!」
そう頻繁に交流があったわけではないが……出久に対して語った通り、真幌のことは何かと目をかけてきたつもりだ。そこに敵連合が手出しをした。許せるわけがないではないか。
対する死柄木は、「きゃあ」などとわざとらしい悲鳴をあげた。
「こわぁい……やめて爆豪くぅん」
「……ッ、」
目の前の身体は、まぎれもなく真幌のもの。その中身がどれほど唾棄すべき存在であっても、手出しはできなかった。
と、今度は一転して憂鬱そうな表情をつくる死柄木。
「マジメな話さァ……俺も被害者なんだよ」
「被害者だァ?……てめェの差し金じゃねえっつーのか?」
「あたりまえだろ?今の中小零細も真っ青な俺らにンな大それたこと、できると思う?」
自嘲めいた笑みを浮かべてぼやく死柄木。かつてには考えられない哀愁漂う態度は、とても嘘をついているようには思えなかった。
ただそうなると、気にかかることがひとつ。
「……お前ら、歯医者かかったか?」
訊くと、ふたりは揃ってこくんと頷いた。真幌はまあ、いいとしても。
「生活感のカケラもねえクソヴィランが、いっちょまえに歯医者なんぞにかかってンじゃねえ!!」
「何その偏見……酷くない?」
「たしかに」と真幌が小声でつぶやく。言うまでもないが姿は死柄木のそれなので、勝己からすると敵に挟まれているような気分になる。いずれにしても、不快。
「知らないだろうけどヴィラン御用達の医者って内科外科歯科泌尿器科、その他諸々、一通り揃ってるんだよ。こう見えて俺も四十の大台乗った中年だからさァ、身体のあちこちにガタが来てて。……色んなとこの医者と顔馴染みになっちゃった。笑えるだろ?」
「……生々しいわ」
先ほどまでの怒りが嘘のように消え失せていた。今あるのは、ただそんなヤツと入れ替えられた真幌が不憫でならないという思いのみ。実際、彼女は露骨に肩を落としている。死柄木の姿でなければ、抱きしめ慰めてやってもいいくらいだ。
「つーかてめェ、今回のことに関わりねえならンで俺らが入れ替わってるって知ってんだよ」
入れ替わりの事実は当事者ふたりと切島、活真、そしてごく少数の警察関係者しか知らないのだ。そこから洩れたとは考えにくい。
「ああ、それはね……」
存外素直に死柄木が答えようとしたときだった。物凄い勢いで何かが窓に激突し、ガラスを粉々に砕きながら室内に侵入してきたのは。
「きゃああああ!!」
真幌が野太い悲鳴をあげながら「人!人が!」と叫んでいる。慌てて振り向いた勝己が目の当たりにしたのは、なるほど人間の姿だった。
「爆豪、無事か!?」
「うわっ……半分野郎」
すかさず立ち上がった轟は、死柄木の姿を認めるや拳銃を構えた。動けば躊躇なく撃つ……言葉にせずともその意志伝わる気迫に、真幌が怯えている。
「ッ、待て轟!」
「何?」
かくかくしかじか。事情を説明すると、轟は渋々銃を下ろした。が、表情はより険しい。
「入れ替わりはともかく、被害者ってのは信用できねえな。おまえを巻き込む理由がどこにある?」
「そんなの俺が聞きたいよ。ってかきみ、どこかで見たことあると思ったらもしかしてエンデヴァーの息子?ははっ、ヒーローになってないからどうしたかと思ったら警察官かよ。せっかく良い個性持ってたのに、悲しいねえ」
「……黙れ」
氷河が砕けるような声だった。女性の身体を乗っ取った死柄木とヒーロー崩れの警察官僚の間に、緊迫した空気が流れる。かといって、双方とても実力行使に及べるような状態ではないが。
「まあいい。ふたりとも、俺に同行してもらうぞ」
「警察なら行かないよ、捕まるのは御免だし」
「警察は警察だが、行き先は科警研だ。検査の必要がある」
「……ふーん」
少し考えたあと、死柄木は「わかったよ」と応じた。いやに素直だが、それを単純に受けとるわけにはいかない。ごねないということは、こちらが強行手段に打って出た場合に切れるカードを隠している可能性がある。落ちぶれたとはいえかつて社会を震撼させた悪魔だ、危険だからこそ手出しできないというジレンマがあった。
*
「はあい、動かないでくださいねえー」
ヴィラン来訪にも動じない研究員たちにより、両名の検査が行われている。ベルトコンベアに乗せられた製品のようにおとなしく寝台の上を移動していく死柄木の姿は、おそらく人生で二度とは見るものでもないだろう。尤も、その中身は真幌なのだが。
「お疲れ様でしたぁ」
「………」
「ドーモ」
検査は五分とかからずに終わった。死柄木は飄々としているが、真幌は明らかに憔悴している。それも当然のことだと勝己が思っていたらば、前触れもなく室内に飛び込んでくる者たちがあった。
「スンマセン失礼しまっす!ここにバクゴーたちが……うおっ!?」
切島鋭児郎、それに出久と活真が続く。勝己がここに来るよう連絡を入れたのだ、当然事情は説明して。
「……マジで、死柄木じゃねえか」
唖然とする切島。学生時代から幾度となく自分たちを危機に陥れてきた宿敵と、よもやこんなところで邂逅するとは。
「でも、中身は姉さん……なんですよね」
そうつぶやく活真は、なんとも形容しがたい表情を浮かべながらも真幌のもとへ歩み寄った。「活真、」と名を呼ばれ、その
そして、出久はというと。
「かっちゃん?」
「アァ?……!」
用意させた椅子にどかりと座り込む自分の前に立つ幼馴染。「見下ろすな」とどやしつけてやろうとした勝己は、その顔を見て硬直した。
笑っている、にっこりと。しかしそれは苦笑いでも、慈愛に満ちた笑みでもない。色濃い陰が目許を覆い、頬はぴくぴくと引きつっている。自分の顔だからすぐにわかった──コイツ、本気で怒っているのだと。
「どうしてきみ、まほちゃんの部屋にいたのかなあ?こんな夜遅くにさ……」
「ッ!」
出久から圧を感じるのは初めてのことだった。向こうが屈強な肉体と個性をもつヒーローで、こちらが一般人の身体というのも影響しているのだろうか。そんな分析でもしなければやっていられなかった。
「真幌……つーか死柄木が、家で呑もうっつーから……」
消え入りそうな声で答える。ほとんど言い訳のようなものだったが、嘘は言っていない。
だのに、ここでその死柄木が思わぬ投石をかましてくるのだ。
「ンなこと言ってきみさあ、ヤることヤる気満々だったじゃん?なんだっけ……あー思い出した、"酔わせてくれよ、真幌"だっけ?カッコよすぎて身震いがしちゃったよ、ははははっ」
「!!」
空気が、ぴしりと音をたてて凍った。
「ば、バクゴーおまえ……それは流石に……」
「……姉さんに何してくれようとしてるんですか……」
爆心地シンパのふたりでさえ冷たい視線を向ける一方で、出久の放つどす黒いオーラは勝己が思わず及び腰になるほど強烈だった。
だが、コイツにこんな態度をとられる謂れはない。勝己は自身を叱咤し、猛然と立ち上がった。
「てめェがウジウジしてっから、俺がヨリ戻させてやろうとしたんだろーが!!」
これに出久もキレた。
「余計なお世話だよ!!」
「余計なお世話はヒーローの本質なんだよ!!」
「~~ッ、じゃあ百歩譲ってそれはありがとう!!でもまほちゃんとそ、そういうことをしようとすんのはおかしいだろ!?」
「そんくれぇの見返りあってもいいだろーが!!そもそもてめェの身体なんだからよ!!」
「最低だなきみ!!!」
ふたりがぎゃあぎゃあと言い合っていると、
「やめてよ!」
真幌が、声をあげた。その視線が睨む先は、自分の身体を犯そうとした男ではなく。
「爆豪の言う通りだよ……あんたが逃げてるからいけないんだ!」
「な……!?」
まさか勝己の側に立たれるとは思わず、目を剥く出久。自分に対する罵倒には我慢強い彼であったが、別れ話のときにも散々詰られ溜め込んだ憤懣は頂点に達していた。
「そんな言い方ってないだろ!?僕はお互いの将来を考えて……」
「それが卑怯だって言ってんの!!そんなんだったら付き合わなきゃいいでしょ最初っから!」
「きみが告白してきたんじゃないかっ!!」
「告白て……はっ、小学生かよ」
「かっちゃんは黙ってて!!」
「……姉さんに何してくれようとしてるんですか……」
「はははっ、いいぞーもっとやれ!」
「てめェは黙ってろ死柄木ィ!!」
ここは幼稚園かと言いたくなるような狂騒状態。言っておくが彼らは活真を除いて皆三十路に突入したいい大人たちである。以前はストッパーになった活真も、姉さんbotと化してまともに機能していない。
(い、胃が……!)
たまらず鳩尾の下あたりを押さえる切島。勝己のフォロー役に徹してきた代償として、彼は胃薬が手放せない身体になってしまっていた。根っからの苦労引き受け人、それがヒーロー仲間たちからの彼の評判であった。
「轟、おめェもなんとか言って……」
傍観しているかつての同級生に制止を求めようとしたときだった。
(……え?)
切島は、確かに見た。高校時代、常に冷たい表情を浮かべていた轟焦凍が、かすかに微笑んでいるのを。
「轟……?」
おまえ、そんなふうに笑うのか?──思わず口に出して訊いてしまいそうになったときだった。
「皆さま静粛に!静粛に~願いまぁす!!」
「!」
不思議とよく通る研究員の声が室内に響き渡り、蝸牛角上の争いは強制的に中断された。
「検査結果が出ましたので、お知らせします」
「………」
「結論から言うと、お二方の口腔にもボンバーマンや金剛寺さんと同じチップが埋め込まれています」
まあ、それは予想しえたことである。
「てめェらも、丸山田歯科か?」
小さく頷く真幌。一方の死柄木はこてんと首を傾げている。
「何それ。俺は伝手を使ってウラ歯医者呼んだだけ」
「ウラ歯医者て、おまえ……」
「その歯医者、こんな顔じゃなかったか」
きりりとした表情に戻った轟が、彼の前に一枚の写真を提示した。
「あ、そうそうコイツ」
写っている男は言うまでもない、丸山田だ。
「なぁ……なんで丸山田、つーか丸山田を操ってるヤツは死柄木まで巻き込んだんだ?ヒーローを狙ったテロじゃねえってことなのか?」
「……なんか心当たりねえのかよ」
訊かれた死柄木は、軽々と肩をすぼめてみせた。
「ないよ。強いて言うならきみとの因縁くらいじゃないの」
「………」
「その辺さあ、調べるのはきみらのシゴトじゃないの?──公安の轟しょーとくん?」
この男、かつてのぞっとするような憎悪と殺意が鳴りを潜めたかわりに他人を苛立たせることにかけて技巧を増したらしい。轟も顔を顰めている。
「……安心しろ、すぐ元に戻して塀の中にブチ込んでやる」
「それは安心できないなあ、ははははっ」
先ほどまでとは一転、室内に冷ややかな空気が流れる。かつてオールマイトの死という悲劇を生み出した、敵連合の首領──そう聞けば出久にも彼がおぞましい化け物であることはわかるけれど、とてもそうは見えない。真幌の姿をしているせいも、あるかもしれないが──
睨みあう男たち──片方は女の姿をしているが──だったが、そんな折、轟の携帯電話が胸ポケットの中で振動した。
「はい、轟。……そうか、わかった」
応じた轟が一瞬眉をひそめたのを、勝己は見逃さなかった。良いニュースでないことは、容易に想像がつく。
「悪いニュースだ」
案の定の物言い。
「週刊誌でスキャンダルが出るそうだ」
「何?」
スキャンダル──その単語に、皆の視線が一点に集中する。
「ッ何見てんだカス!!」
「……だって、なぁ?」
「ええ……」
爆豪勝己、入れ替わりをいいことに妹分の女を抱こうとした男である。そうでなくとも、彼の女性関係はなかなかどうして慎みのないものであった。
「チッ……ふん!今さら女のひとりやふたり報じられたって後ろめたいことなんざねえわ」
「つってもなあ、対応すんのは緑谷さんなんだぜ?流石にこんなことで迷惑かけんのは……」
切島が困り顔を浮かべたときだった。
「勘違いしているみたいだが、爆豪じゃないぞ」
「え?」
「は?」
では、誰が?まさか死柄木ということはあるまい、ヴィランにスキャンダルも何もあるわけがない。そもそもが犯罪者なのだから。
──そうなると、ここにパパラッチの獲物などひとりしかいない。
「……まさか、俺?」
恐る恐る訊く切島を前に、轟は静かに頷いた。